ロクでなし魔術講師ととある特殊部隊員   作:藤氏

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102話

「これは…まぁ、酷いもんで……」

 

 フェジテ西地区住宅街の人気のない路地裏にて。

 

 警備官と連邦軍との銃撃戦が始まってから数時間が経っている。

 

 そんな中、ジョセフ、ダーシャ、アリッサ三人は裏側で操っている天の智慧研究会の外道魔術師を叩くべく、この路地裏に来たのだが……

 

 そこにいたのは、血まみれで、両目が抉られ、体中が滅多刺しにされていた警備官僚の無残な死体が転がっていた。

 

「致命傷は、細剣での、脳に一突き…ってところか…それまでは拷問を受けていたらしい」

 

 殺ったのは…あの男だろう。

 

「……ええ、男性の身元は、ユアン=べリス。フェジテ警邏庁警邏正の警備官僚です…はい、恐らくは彼が今回の銃撃戦の黒幕かと……」

 

 ジョセフがユアンらしき男性の死体を検死している傍ら、背後ではダーシャが通信機で、領事館で全体の指揮を執っているマクシミリアンに、報告している。

 

(仮にジャティスが殺ったとしたら、恐らくは『マナ活性供給式』の場所を聞き出そうとしたのだろう…最初から生かすつもりはなかっただろうが……)

 

 ジョセフのみならず連邦はジャティスから、天の智慧研究会≪急進派≫がフェジテで何を企んでいるのかは聞いていた。

 

 それは、急進派は『Project:Flame of megiddo』…【メギドの火】と呼ばれる魔術を起動するため、フェジテで行動を起こしていること。

 

 それを、今日の日没まで解呪しなければ…フェジテは一瞬で石器時代に戻るということ。

 

 解呪はジャティスがルミアの能力を使わなければ間に合わないため、攫う形で連れて行くと言い、連邦はそれを黙認した。

 

 デルタは、日没までにこの計画の中心人物と見られる天の智慧研究会≪第三団≫≪天位≫のラザールを捕縛・殺害しなければならなかった。

 

 連邦政府がこのフェジテに大規模な部隊を投入したのはそういう背景があったからである。

 

(【メギドの火】――正式名称、錬金【連鎖分裂核熱式(アトミック・フレア)】――原子崩壊の際に生じる質量欠損が莫大な破壊エネルギーを生み出し、全てを滅ぼす禁断の錬金術。戦略級と称されるA級軍用攻性呪文なんて比じゃない…S級と言っても過言ではない。起動すればフェジテなんて一瞬で石器時代に戻る。そんな代物だ)

 

 それを阻止するには『マナ活性供給式』と『核熱点火式』の二種類の魔術式を解呪する必要がある。

 

 ジャティスはそれを解呪して回っているんだろうが、ジョセフがジャティスの目的は別にあると思っているのは、今回のジャティスの行動に疑問があったからだ。

 

(彼は、天の智慧研究会はもちろん、帝国も目の敵にしている。そんな彼が、なぜフェジテを救う行動を……?)

 

 ジョセフが腑に落ちないと思っていること。それは、ジャティスが突然、善人面をし始めたこと。

 

 ジャティスからしてみれば、フェジテがどうなろうが自分に何の影響もないはずだ。それどころか、『この国は滅びるべき』という国の重要な学級都市が消えてなくなるのだ。ジャティスにしてみれば、これほど良いことはないはずだ。

 

 そんな男が、ルミアを連れ去ってまで【メギドの火】を阻止しようとする目的は何だ?

 

(……いや、あるいは【メギドの火】自体に何か目的があるのか)

 

 どちらにしろ、ジャティスの目的がわからない。

 

 ジョセフがジャティスの目的がわからず、ため息を吐いていた…その時だった。

 

「貴様ら、何者だ!?そこでなにしている!?」

 

 三人が声がした方向へ振り向くと、そこには警備官が数人拳銃を構えながら誰何していた。

 

「……この死体はユアン=べリス警邏正か?」

 

「……は?」

 

 ジョセフの誰何を無視した質問に、警備官は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、死体を見るが――

 

「……ッ!?これは、ユアン警邏正ッ!?」

 

「なんて酷い…まさか、貴様らが、警邏正を!?」

 

 ユアンを殺したのをジョセフ達だと勘違いした警備官が、拳銃を構える。

 

「何か勘違いしているけど…それよりも、アンタは誰の命令で動いているん?」

 

 ジョセフはため息を吐き、釈明せずに警備官に問いかける。

 

「は?いや、その前に私の質問に答えろ!貴様らがユアン警邏正を殺したのか!?」

 

「その質問は、答えを言うとNoや。さ、質問に答えたで?アンタらの上司は?」

 

「そんなのどこ誰なのかわからない連中に――」

 

 警備官がそう言おうとした瞬間、気がついたら喉元にナイフを突き付けられていた。

 

「ひ――ッ!?」

 

「答えて…でないと刺す」

 

 そのナイフの持ち主、アリッサがその警備官を睨み付けながら、言う。

 

 拒否したら、確実に刺し殺す。これは嘘ではないと思うと、警備官は顔中脂汗を垂らしながら――

 

「……ロナウド=マクスウェル警邏総監…フェジテ警邏庁長官がユアン警邏正を呼べと……」

 

 警備官は唇をがたがたと震わせながら、答えた。

 

「うちらを攻撃しろと命じたのは、警邏総監か?」

 

 本当は誰なのかわかっていたが、ジョセフはあえてその質問をする。

 

「は?攻撃を?何を馬鹿なことを――」

 

「ウチらはな、連邦軍の者や。警邏総監と話をしたい」

 

「連邦軍だと…ッ!?なぜここに――」

 

「話をしたいんだけど…どうなの?」

 

 答える前にアリッサがナイフをさらに突きつけたため、警備官はこくこくと頷きながら、連絡をロナウドに連絡を試みるのであった。

 

 

 

 

 赤絨毯が敷かれた通路を、黒を基調としたロングコートを羽織った軍人が歩いていた。

 

 二十代半ばを少し過ぎているスラっとした長身の男で頭が坊主頭。その眼を見た者は、誰も一瞬で警戒心を解くほど親しげな男――マクシミリアン=テルミドールは、会議室の扉を開けるなり、上座の方に向かい、座る。

 

 周囲には無線機が置かれており、通信士がひっきりなしに飛び交っている通信を受信し、内容を紙に素早く書き記し、それを将校に渡す。将校はそれを見て、巨大な地図に〇など記号や文字を記している兵士に手渡し、兵士はそれを地図に書き込んでいく。

 

 同じ頃、フェジテ警邏庁、市庁舎爆破テロ事件特別捜査本部では、事態が二転三転し混乱が収まらず、その後、帝国宮廷魔導士団特務分室室長執行官ナンバー1≪魔術師≫のイブ=イグナイトがなぜか単独で来て、指揮下に置かれていた。

 

 それとは対照的に、連邦領事館に設営された作戦本部は最初の警備官による突然の攻撃を受けたものの、状況を整理し、素早く対処。現在、現場の指揮官と見られる男性の死体が発見して以降、銃撃戦は収束しつつあった。しかし、やはり被害がないというわけではなく、この攻撃で陸軍特殊作戦群から四人、シールズから一人、海軍特殊戦開発グループから二人、武装偵察中隊から五人、計十二人がこの銃撃戦で戦死した。

 

「ふむ、この収束具合…やはり裏で操っていたのはその指揮官だったか……」

 

 先程、ダーシャからの報告を思い返しながら、マクシミリアンは受信したメモを眺めながら、呟いた。

 

 現にあの後、一部の警備官が突然の銃撃戦に混乱し、連邦軍に投降する事態が何件かあったのである。

 

(まさか、いや、女王陛下暗殺未遂では側近が件の組織の者だったのだ。それを考えれば、不思議ではないな)

 

「マクシミリアン大佐。投降した警備官の内、一名を連れてまいりました」

 

 マクシミリアンは顔を上げると、そこには陸軍の下士官が警備官を引き連れて来ていた。警備官は無線機とかを見たことないのだろう。それを恐る恐る見渡していた。

 

「ご苦労。さて……」

 

 警備官はマクシミリアンが自分に視線が向けられているのに気づき、慌てて視線をマクシミリアンに戻す。

 

「ははは、これらの機材が気になるんだろ?まだ、連邦にしか運用していないからな。まぁ、いい。そこに腰掛けてくれ」

 

 マクシミリアンがにこりと微笑み、椅子に座るように、促す。

 

 警備官は自分がこれから何されるのかわからず、びくついていたが、マクシミリアンの親しみがもてる言葉に、警戒心を解いていた。

 

 常に人を見下し、駒のように部下を使い、手柄は全部自分のものにするイブの振る舞いとは対照的な振る舞いだった。

 

「済まないね。やかましいとこだが、ここしか余裕がある場所はなかったんだ。さて…まずは、状況の確認をするわけだが、まず何が起きたのか、君が知っているだけでいいから、話てくれないか――」

 

 それから、マクシミリアンは警備官から銃撃戦が始まった当時の状況を事細かに聞き出した。

 

 まず、警備官はフェジテ市庁舎を爆破したテロリスト、グレン=レーダスの確保をするために検問などを展開していたこと。

 

 それからしばらくすると、街の一角から発砲音が発生、当初は警備官かグレンどちらか撃ったのだろうと思っていたのだが、やがて銃撃の応酬と怒号が飛び交り始め、様子がおかしいと思った矢先、突然、路地裏から完全武装した集団――つまり連邦軍が出てきて目が血走った状態で銃を構えたため、現場にいた者と共に投降したという。

 

 誰の命令で何が起きたのかはわからず、少なくとも捜査本部、もしくは現場指揮統括であるユアン=べリス警邏正からは発砲をしろという命令を受けたことはないということ。

 

 マクシミリアンは彼の言う通りだとしたら、発砲を命じたのはユアンで、彼が暗示魔術で操っている者のみに命じていたのだろうと結論する。

 

「そうか…ところで、お互いの被害状況を把握したいから、ロナウド=マクスウェル警邏総監と話がしたいのだが――」

 

 マクシミリアンがそう言った…その時。

 

 兵士が無線のメモをマクシミリアンに渡す。

 

 マクシミリアンがメモの内容を見ると――

 

 ――帝国魔導士団特務分室室長ガフェジテニ姿ヲ現シタリ。他ノ特務分室ノ構成員ハ見当タラズ、単独デ今回ノ案件ニ介入シタト思ワレタリ――

 

 ――ソレニトモナイ、フェジテ警邏庁ハ特務分室ノ指揮下ニ入ッタト思ワレタリ――

 

「……いや、もういい。ご苦労だった。彼を別室に案内してくれ。丁重にな」

 

 マクシミリアンは連れて来た下士官に言うと、下士官は警備官を伴って部屋を出ていった。

 

「……こりゃ、めんどいことになるぞ……」

 

 周囲が忙しなく動いている中、マクシミリアンは背もたれにもたれかかりながらそう呟くのだった。

 

 

 

 

 暗闇の中を、グレンは指先に灯した魔術の光を頼りに、ただ一人歩いていた。

 

 そこは乾いた空気が漂い、埃の積もった、何もない通路だ。

 

 下水道通路と酷似しているが、脇の排水溝は完全に涸れ、下水の一滴も流れていない。

 

 グレンは、そんな奇妙な空間を無言で進んでいき…やがて、突き当りに見つけた梯子を登って…そして、頭上のマンホールを押し上げ…地上に出た。

 

 暗闇に慣れた目が、日の光に微かに眩む。

 

 地上に出たグレンは、ほっと一息を吐いて、近場の建物の壁に背を預けつつ座り込んだ。

 

「なっ?探せば意外とあるもんだろ?活路なんてもんは」

 

 にやりと笑いながら、通信魔導器の向こう側にいるシスティーナに話しかける。

 

『まさか、今は使われてない…地図にも載ってない、旧下水道…フェジテにそんなものがあったなんて……』

 

 システィーナの呆けたような呟きが返ってくる。

 

 グレンが警備官に完全包囲されつつあった、あの時。いくつか意味不明の質問をグレンとシスティーナがやり取りした後、とある街路灯の根元の石畳を、グレンがいきなり魔術で吹き飛ばし始めた時は、システィーナは気でも狂ったのかと疑ったものだ。

 

 だが――現れたのだ。吹き飛ばした石畳――その下から、そこにある筈のない、古びたマンホールが、土肌の上に不意に現れたのだ。

 

「フェジテは、アルザーノ帝国魔術学院と共に生まれ、共に発展してきた街だ」

 

 グレンがどや顔で語る。

 

「元々、片田舎の小さな町だったから、時代の変遷と共に、何度も区画整備と上下水道整備が行われてな…たまに、ああいう旧下水道が埋めきれずに残っていたりするんだ」

 

『あの質問は、その昔の痕跡を探し出すためだったんですね……』

 

「そゆこと。逃げながら観察してた周囲の街構造から、あの辺りには旧下水道が残ってそうだな~って思っててな。いざという時に利用することを考えてたんだよ」

 

『そ、そんな事まで考えて…?凄い……』

 

 システィーナが驚愕する。自分は周囲の状況を観察し、グレンへそのまま伝えるだけで精一杯だった。二手、三手先の状況を見据えての行動なんて、考えもしなかった。

 

 だが、グレンは…警備官から逃走する…間違いなくシスティーナよりも困難な作業をこなしながら、そんなことまで視野に入れていたのである。

 

 そもそも、グレン以上にあの周囲の状況を把握していた自分は…あの時、もう駄目だと半ば諦めていたのだ。

 

『……諦めなければ…立ち向かえば…活路はあるものなんですね……』

 

 システィーナは落ち込んでいた。グレンの助けになるって息巻いていたのに…肝心な所で、こんな自分の弱さを浮き彫りにされてしまったからだ。

 

「気にすんな。結局、俺が助かったのは、お前のサポートのおかげなんだからよ」

 

 にやりと笑いながら、グレンが立ち上がる。

 

「さて、休憩は終わりだ。入り口のマンホールを、黒魔【イリュージョン・イメージ】で隠蔽したとはいえ…そのうち気付いて追ってくるだろう。今のうちに――」

 

 と、その時だ。

 

 ぱちぱちぱち…もう一つの通信魔導器から、不意に拍手の音が聞こえてくる。

 

『いやぁ、お見事お見事!グレン。よくあの状況を切り抜けたね』

 

 相変わらず耳障りなジャティスの声が、グレンの耳に流れ込んできた。

 

『君のおかげで、こちらの仕事も捗ったよ。君には本当に感謝している』

 

「ちっ…今はてめぇの相手をしている場合じゃ――」

 

『ん?ああ、それはもう心配しなくていいさ。なにせ――警備官達はもう君を追ってこないから。つまり――第二の課題はクリア、だ』

 

「はぁ?追って来ない?なんでだよ?」

 

 グレンが訝しむように、眉を顰めると。

 

『そ、その人の言ってること、本当です、先生!』

 

 システィーナの驚いたような声が、グレンの耳に届く。

 

『街の警備官が…なぜか全員その場で待機状態に…一体、どうして…?それに、さっきから鳴り響いていた銃声が嘘のように静まって……』

 

『彼女が来たからね。…まぁ、”読んでいた”よ』

 

「……彼女が来た、だと?」

 

 意味不明なその言葉に、オウム返しに問い返すグレンだが……

 

『さぁ、グレン。もう少し君とこうしてゆっくり談笑していたいところだが…こうしてはいられない…もう、次の課題の時間が迫っている』

 

「ちっ…好きにしろ」

 

『僕がこれから指定する場所へ急いでくれ。…頼む。時間がない。これは…君の命に関わることなんだ。その場所とは――』

 

 その言葉の端々に、どこか只ならぬ様子を感じたグレン。

 

 忌々しいが、今はどうせ、ジャティスの言いなりになるしかない。

 

 その喉笛に食らいつく機会を虎視眈々と窺いつつ…今は、黙って従う。

 

 グレンが旧下水道から抜けてきたこの一帯は、南地区――しかも商店街など活気のある区画からさらに郊外の方へ離れた、倉庫街であった。

 

 フェジテで商業を営む各商会へリースされている倉庫が、ずらりと並んでいる。

 

 一般人は立ち入り禁止区域で、周囲に人気はまったくない。

 

 空を見上げれば、真上の太陽がやや傾いている。丁度、正午を過ぎたくらいか。

 

 やがて、グレンは、ジャティスが指定する場所の倉庫へと辿り着き、両開きの重たい扉に手をかけた。…鍵はかかっていなかった。

 

 鉄の軋むような音を立てて開かれる倉庫。日の光が、薄暗い倉庫内に差し込む。

 

 広々とした倉庫内の奥や窓際には、古びた木箱が山と積まれており…そして、倉庫の中央に、あからさまに雰囲気の違う鞄が一つ、ちょこんと置かれている。

 

『あの鞄を開けてくれ。…次の課題に必要なものが入っている』

 

「…………」

 

『大丈夫だよ、心配しないでくれ。罠とかじゃないさ…あれは善意で君に用意したものなんだ…僕を信じてくれ』

 

 もちろん、信じられるわけはないが、ルミアを人質にされている以上従うしかない。

 

 一応、爆弾や毒ガスなどを警戒して、魔術的な対策を取ってから、グレンは意を決して、その鞄を開いた。

 

 その中に入っていたものは――

 

「これは…どういう…ことだ……?」

 

 その物品達を目の当たりにしたグレンが、目を鋭く細める。

 

 飛針、魔術が付呪された投げナイフ、鋼糸一式、護符、巻物、各種魔晶石、拳銃の特殊弾頭に、魔術火薬、強力な防御効果を持つ特務分室の魔導士礼服まで――

 

 グレンが帝国宮廷魔導士団のメンバーとして軍務についていた際に、愛用した武器や防具の数々が、ぎっしりと詰まっていたのだ。

 

『わかる!わかるよ、グレン!君が怒るのは、よぉ~~く、わかるっ!』

 

 グレンの憤怒を感じたのか、ジャティスが宥めるようにグレンへと言った。

 

『何しろ――それは、君の暗黒面の象徴…明るい日向を歩き始めた君にとっては、目を背けたい、血と死臭にまみれた負の遺産だ…それを、こう不躾に突きつけられて君が怒らないはずがない…ごめんよ、グレン。わかってたんだ。だが――』

 

 その時、だった。

 

 どくん、と。グレンの心臓が、跳ねた。

 

 ぞくり、と。グレンの背筋が、震えた。

 

『――わかるだろう?今は、そんなこと言っている場合じゃ…ない』

 

 辺りの空気が鉛のように重く、氷のように冷たくなっていく感覚――

 

 その破滅的な予感は、こうしている間にも、刻一刻と際限なく強まっていく。

 

 グレンは確信と共に、思った。

 

 何かが、来る。

 

 人知を超えた…とてつもなく強大な何かが――ここに、来る、と。

 

 そして、際限なく膨れ上がるその何かの圧倒的な存在感が、グレンの鈍った魔導士としての感覚を無理矢理に覚醒させ、その肌をびりびりと痺れさせていく。

 

「くっ!?」

 

 呆気に取られたのは一瞬、グレンは用意されていた各種装備を、猛然とした勢いで身につけ始める。礼服を羽織り、鋼糸の手袋をはめ、魔道具をベルトに突っ込んでいく……

 

『それでいい、グレン。本当は僕だって、今の君にそれを押し付けるのは不本意なんだ…だが、君が今から対峙する彼は、そんな生温いことを言ってられる相手じゃない』

 

「……言われねえでもわかってるよ、クソがッ!少し黙ってろッッ!」

 

『帝国宮廷魔導士団でも、連邦特殊作戦軍でも、今の彼に真正面から勝ち得る者はほとんど居ないだろう…可能性があるのは≪星≫と≪黒い悪魔≫と≪皇帝(カイザー)≫くらいかな?まぁ、この僕とて、まともにやり合うのは躊躇ってしまう相手だ…心しろよ、グレン』

 

 そして……

 

『彼は――強い。君がかつて彼を打倒しえたのは…君の所見殺しと悪運、≪黒い悪魔≫と彼の準備不足が、奇跡的に上手く重なったがゆえの…ただのまぐれなのだから』

 

 ……なんとか、ぎりぎりでグレンが準備を終えて、出入り口扉に向かって振り返って。

 

 それと同時に、倉庫の扉が、音を立てて左右に開け放たれる。

 

 ……その逆光の向こう側に、その男は、悠然と佇んでいた。

 

 ダークスーツを纏った、その男は――忘れもしない。

 

 かつて、グレンが非常勤講師だった頃――学院を襲った、爆破テロ未遂事件。

 

 その渦中で対峙したその男を――無数の竜牙兵を手足のように使役し、数々の超絶的な魔術技巧を披露した戦慄の男を――忘れるわけもない。

 

 事件の後、上から聞かされたその名は――

 

「レイク=フォーエンハイム…天の智慧研究会、第二団≪地位≫――≪竜帝≫レイク!てめぇ、…生きてたのかよ……ッ!?」

 

「…………」

 

 そんな切羽詰まるグレンの言葉に、ダークスーツの男――レイクは、なんの感慨もなく、何も語らず、ただ、グレンを凍れる眼差しで鋭く見据えている。

 

 視線だけで、グレンの心臓が潰れんばかりに悲鳴を上げた。

 

『さぁ、グレン。第三の課題だ――』

 

 そして、耳から聞こえてくる、そんなジャティスの声も――

 

『――生き残れ。――手段は問わない』

 

 頂すら見えぬその存在感。魔王のように立ちはだかるレイクの姿を前に。

 

 最早、グレンの脳内に、何一つ言葉としての意味を紡ぐことはなかった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





今回はここいらで。

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