アルザーノ帝国魔術学院の敷地内におけるラザールとの戦いが、一旦収束して。
日もすっかり沈み、帝国が属する気候区特有の、肌寒い夜が訪れる。
白く冷たい月に照らされた船が、暗黒の空に映し出す陰影はまるで魔物のようだった。
この有事に発令された緊急待機令により、学院で夜を明かすことになった生徒達の不安と混乱は、夜になっても冷めやらない。
そんな状況下、学院校舎二年次二組の教室にて――
「……話して…くれるよな?」
「もうそろそろ…わたくし達も知るべき頃だと思うんですの」
カッシュやウェンディを初めとする、二組の生徒達が全員集まっていた。
燭台に灯された火が、生徒達の顔を、ぼんやりと闇から浮かび上がらせている。
彼らが一斉に視線を集める先には、グレンとルミア、システィーナとリィエル、そしてジョセフがいる。
グレンは半眼で明後日の方を向き、ルミアは沈痛に押し黙っている。
ジョセフは、それを横目で流し見、システィーナはそんな二人を不安げに見守るしかなかった。
「先生やルミア達は…一体、何者なんです?」
恐る恐る呟かれたセシルの問いは、そこに集う生徒達の胸中の代弁だ。
不安げにおろおろしているリンも、複雑な表情で周囲の顔色を窺っているカイやロッドも。ただじっと動向を見守るテレサも。
アルフも、ビックスも、シーサーも、ルーゼルも、アネットも、ベラも、キャシーも。
教室の隅の席に一人ぽつんと離れて腰かけ、暗い窓の外を眺めているギイブルすらも。
その場の誰もが、真相を聞くまで引かない…そんな頑な雰囲気が滲み出していた。
「はぁ…流石に誤魔化しきれねえよな…良いぜ。話してやるよ」
やがて、グレンが深く溜息を吐き、ぽつぽつと話し始めた。
「まず…俺は、元・帝国軍の魔導士…まぁ、軍人だ…退役しちまったがな。セリカから斡旋を受けて、この学院の魔術講師をさせてもらうことになった…それだけだ」
「まぁ、先生がそっち関係の人だってことは、何となくわかってたよ」
グレンの言葉に、カッシュが頷く。
「アルベルトさん…いかにも軍の御方と懇意にしていらしましたしね」
「となると…リィエルもジョセフも……?」
「ああ、ジョセフはちょっと違うが、リィエルはそうだ」
頭をかきながら、グレンが続ける。
「リィエルは、俺が元所属していた部隊のメンバーでな。ルミアを護衛するため、この学院に編入生として派遣されたんだ」
グレンの隣にちょこんと腰掛けるリィエルは、グレンに頭を撫でられ、きょとんとしている。今、皆が何のために集まっているのかまるで理解していないようだった。
「ジョセフは、まぁ、レオスとの結婚騒動で一部の連中は知っていると思うが、俺とリィエルとは違い、連邦軍の軍人だ。現役のな。一年前にニューヨークで起きたテロであの外道魔術師…今は魔人になっちまっているが、そいつが所属している組織が関わっていたから、そいつらを壊滅するために留学生としてこの学院に編入された」
ジョセフは窓に寄り掛かりながら、≪炎の船≫を眺めている。
その背中には、微かに闇が濃くなっていた…ような気がした。
「さらに言えば、白猫の家…フィーベル家は、ルミアの預かり先だ。白猫の話によれば、ルミアの本当のお袋さんと白猫の両親は、若い頃、深い親交があったらしい」
ゆっくりと言葉を選びながら、グレンは慎重に話し…そして、押し黙る。
しばらくの間、教室になんとも言えない沈黙が流れる。
「……肝心なことが抜けてますが?」
やがて、微かに苛立ったように、教室の隅のギイブルが口を開いた。
「はっきり言って、先生にリィエル、システィーナにジョセフに関しては、貴方達の常日頃の行動を観察していれば、大体そんなことだろうと予想付いてますから。
ついでに言えば、今回のフェジテ市庁舎爆破事件も、いつものように、何らかのトラブルに巻き込まれた結果なのだろうと。他のクラスの連中ならいざ知らず、このクラスでそんなことを疑ってるバカはいませんよ。僕達が知りたいのは…そこじゃない」
「うっせ、わかってるよ」
ギイブルの指摘に、グレンは深く溜息を吐きながら、ふて腐れたように応じた。
「……ルミアは…そうだな…なんつーのか……」
いかにも気が進まなさそうに、グレンが言葉を続けようとすると。
「先生。…私から話します」
「ルミア?」
「それが私の義務だと思うから」
グレンに薄く微笑みを向け、ルミアは何一つ隠すことなく、ゆっくりと語り始めた。
自分が帝国王家の人間であり、元・王位継承権第二位の王女であったこと。自分が生まれながらの『異能者』であり、そのせいで王室籍を剥奪され、在野に下ったこと。
そして、そんな自分の『異能』を、天の智慧研究会という魔術結社が狙っていること。
そのせいで、今まで生徒達皆を、様々な事件に巻き込んでしまったこと。
そして、今回の【メギドの火】の一件…自分という存在が、フェジテ中を破滅の危機に陥れてしまったこと。
その全てを、ルミアは包み隠さず、言葉を飾ることなく話した。
せめて、それが誠意だと信じて。
「……これで全部、かな……」
ルミアが全てを話し終わると、夜の闇がより一層深くなったような気がした。
……無言。ルミアの話に耳を傾けていた生徒の誰もが、ルミアの明かした、あまりにも重い衝撃の事実に、ただただ押し黙るしかない。
「……皆、本当に…ごめんね……」
その沈黙に耐えきれず、ルミアは消え入るように呟いた。
「全部、私のせいなの…先生やジョセフ君やシスティやリィエルが傷つくのも…皆が危ないことに巻き込まれるのも…今だって、私のせいで、フェジテは消滅の危機に晒されて……」
無言。生徒達は無言。
「ずっと、私…思ってたの。私はここにいるべきじゃなかったって…私はここに居ちゃいけないんだって…でも…私、みんなに甘えていた……」
「ルミア……ッ!」
ルミアの吐露に、システィーナが沈痛な表情で俯き、拳を握り固める。
「……ッ!」
キッ!と、一瞬、ジョセフがルミアを睨むが、やがて沈痛な表情になる。
「……?」
リィエルはいつもの通り無言で、事態を何一つ理解してなさそうな雰囲気だったが……その眠たげな瞳は、どこか潤んでいた。
「私の我が儘で、皆に迷惑をかけてしまって…本当に…ごめんなさい……」
最後に、そう言って。
ルミアが皆の前で、頭を下げた…その時だった。
「……どうして?」
ウェンディがどこか固い声で、ぼそりと零す。
「どうして、ようやっと今になって、そんなこと言うんですの?」
どこか責めるような、怒りを孕んだその言葉。
「……ああ、まったくだ…本当に今さらだな」
カッシュも、そんなウェンディに追随する。
「ちょっと!いくらなんでもそんな言い方って――」
居ても立ってもいられず、システィーナが席を立ちかけるも。
「……せ、先生……?」
グレンがその腕を掴み、無言で首を振って、場の動向を見守らせる。
(ウェンディ…そうか、お前は……)
そんなウェンディの言葉の真意を察したジョセフも、同じく見守る。
そんなグレン達を余所に。
「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」
ルミアはただただ、悲しそうに、辛そうに謝るしかなくて。
そして……
「私は…もっと早く、皆の前から消えるべきだっ――」
ルミアがそんな事を呟きかけた、その時だ。
ばんっ!ウェンディが激しく机を両手で叩き、席を蹴って立ち上がった。
「どうして、もっと早く、そのことを教えてくれなかったんですの!?」
そんなことを、怖いくらい真剣な表情で、叫んでいた。
「えっ?」
「そんな貴女の複雑な事情さえ知っていれば…今までだって、きっと私達も何らかの形で貴女の力になって差し上げられることもあったでしょうにっ!」
「……えっ?」
「ああ、確かに俺達は、先生達と比べれば、何の力もねぇ、無力なガキかもしれねえけどよ…それでも俺達なりに、小さくても何かできることはあったはずだぜ?」
「そうだよ…僕達だって、先生の生徒なんだよ?」
意外な反応に戸惑うルミアへ、カッシュとセシルがそんな風に言葉を続けて。
「そんな重たいものを背負って…き、きっと、私達じゃ…想像もつかないくらい、大変…だったんだよね……?」
「貴女の抱えた苦しみを何一つわかってあげられなくて…ごめんなさいね」
そんなリンやテレサの申し訳なさそうな台詞を皮切りに……
「ていうかさ、ルミア、別に全然、悪くないよな?」
「ああ、随分もったいぶってかしこまるから、その天使な笑顔の裏で、どんだけ悪いことしてたんだって、思わず身構えちゃったけど…たいしたことなくて、ほっとしたよ」
ロッドもカイも。
「つーか…元・王女様だったのかぁ…ど、どおりで……」
「ち、ちくしょう…高嶺の花が、さらに天元突破しちまったぁ……」
「諦めなよ、ビックス…元々叶わぬ恋だよ……」
アルフも、ビックスも、シーサーも。
「それよりも、私達、信用されてなかったってことの方がショックですわー?」
「「ねー?」」
アネットも、ベラも、キャシーも。
クラスの全員が、お互いに顔を合わせながら、口々にそんなことを言い合う。
ルミアを否定的に責める者など、一人としていない。
そんな生徒達の意外過ぎる反応に、ジョセフはポカンとしており、システィーナは目をぱちくりさせていたが。
「み、皆…?ど、どうして……?」
やはり一番、困惑していたのは、当の本人――ルミアだろう。
「私…『異能者』なんだよ…?悪魔の生まれ変わりだって言われて……」
「むしろ禁忌の力を持った薄幸の美少女とか、僕にとってはご褒美です、ハァ、ハァ……」
「「「「ルーゼルゥウウウウ――ッ!?お前、ちょっと黙ってろぉおおお――ッ!」」」」
一人の変態生徒をとりあえず、教室の隅のロッカーの中へ、皆で叩き込んで。
「はっ、異能者だって?そんなもん気にしねえよ!そりゃ何も知らないヤツなら、偏見あるかもしれねーけどよ。そもそも異能者差別ってのが時代遅れな考えだぜ?」
「わたくし達、ずっと一緒に居たんですよ?たとえ、貴女にどんな秘密があったって、貴女がいない方がよかったなんて思うなど、ありえないことですわ!」
おろおろするルミアを一喝するカッシュとウェンディ。
(……まさか…こうも早くあの法案の効果があるなんて…陛下、貴女は……)
その時、ジョセフはルミアの実の母であるアリシア七世女王陛下のことを思い出していた。
異能者保護法案――異能者を差別から法的に保護することを明文化し、また、青少年の異能者に対する偏見意識を改善する教育計画も大綱に組込んだ、彼女の努力の結晶。
そんなことに予算を使うのは無駄で無意味だと。王室の権威を貶めるだけだと。それでも、アリシアが周囲の反対を押し切って、推進した政策の数々。
実は、この法案の成立に最も危機感を抱いていたのは連邦であった。
連邦は現在、国策で世界中の異能者を連邦に移住するような政策を推進している。
連邦は帝国が異能者を差別してくれていた方が、異能者をこちらに招くのに非常に都合が良かったのである。
だから、異能者を法的に保護するこの法案を連邦は、秘密裏に反対派に莫大な資金を投じてまで支援していた。しかし、その無駄に莫大な支援も虚しく、この法案は推進されている。
現に、ルミア達が得た絆には、そんな母の愛も力を貸してくれたのかもしれない。
「……わ、私のせいでいつも皆を危険なことに巻き込んで…今だって……」
「ふん。僕達を舐めるなよ、ルミア」
苛立ったような声で、ギイブルがルミアの言葉を一蹴する。
「俺達だって魔術師だ。降りかかってくる火の粉くらい自分で払う」
「ギイブル君……」
「そもそも、魔術師として生きるってことは、大なり小なり、将来、闘争の中に生きるってことだ。それを覚悟してここにいるってことだ。君を責める暇があるなら、僕は何もできない僕自身の無力さを責めるけどね。…魔術師として」
これ以上言うことはないと言わんばかりに、ぷいっと、そっぽを向くギイブル。
じわり、じわり、とルミアの胸の中に、熱いものがこみ上げてくる。
「み、皆…わ、私を許して…くれるの?」
「許すも何も、貴女は何一つ悪くないでしょう?」
「まぁ、唯一悪いっつったら、俺達を信用せずに今まで黙ってたことくらいかな?」
ぼろ、ぼろ…と、ルミアの目尻から熱いものが零れていく。
「私…ここに居ても…いいの?」
「そうに決まってるでしょう?貴女は私達の仲間なのよ」
「それより、今から皆で飯、食いに行こうぜ!?腹減ったよ!」
「確か、今、学食で炊き出しやってるんだよな!?」
「腹が減っては戦はできぬ…事態を打破するいい考えも思い浮かびませんしね」
「そうよ、皆でこの事態を乗り越えましょう!」
そんな風に、あっけらかんと笑い合う生徒達を前に。
「……ありがとう…皆、本当に…ありがとう……」
ルミアは一人、熱い涙を流すのであった。
「ルミア…良かった…本当に……」
ルミアと生徒達の様子を固唾を呑んで見守っていたシスティーナも泣いている。
「ん……」
リィエルもリィエルなりに感極まったのか、ごしごしと服の袖で目元を拭っていた。
(お前ら……)
「……ウチらちょっと、甘く見ていましたね。あいつらを」
そして、ルミアを囲んで連れ立って食堂へと向かう生徒達から、そっと離れて。
グレンとジョセフは、閑散とした暗い廊下を歩く。
「なんだ…お前らは、俺の想像を超えて成長していたんだな…むしろ、俺の方が何もわかってねぇガキだった…ははは…教師の俺が教えられてどうする……」
「でも、それも先生のおかげかもしれないですよ?先生が、ルミアもリィエルもシスティーナも誰も見捨てずに助けたりしていたから、それがあいつらに影響したのかもしれません」
微笑みながらジョセフがそう言うと、グレンは照れくさそうに頭をかく。
「でも、話はそう都合良くはいかないでしょうね」
「そりゃ、そうだろうよ」
異能者に対する偏見は根強い。ルミアにこうも理解を示してくれたのは、今までルミアと一緒にずっと過ごしてきた二組だからこそとも言える。
「あいつら以外の生徒達や、未だ古い偏見や価値観に囚われちまっている講師・教授ジジィ達からどんな目で見られるかは、まだわからんしな」
だが、それでも。
「ま、あいつらなら、きっと乗り越えられる…そう確信できた」
グレンは、ふっと笑った。セラを失って、正義の魔法使いを挫折して、軍を辞めて以来…一番、心から清々しく笑えたかもしれなかった。
同時に、グレンの奥底から自然と湧いて浮かび上がる感情――
「……守りてぇ……」
ぐっと、その思いを心に刻みつけるように、拳を握り固める。
「ええ」
ジョセフはグレンの言葉に、肯定するように相槌を打つ。
「正義の魔法使いなんか関係ねえ…俺は、あいつらを守ってやりてぇ…ッ!あの優しい世界を…あんなクソッタレな魔人ごときに壊させてたまるか……ッ!」
明確なる決意と共に、グレンは歩く。
「守る…絶対に…ッ!どんな手を使ってでも……ッ!」
そんなグレンの強き誓いが。
暗く閑散とした学院校舎の廊下に、ひっそりと響き渡るのであった。
「……やっぱ、貴方は最高の教師ですよ、グレン先生」
そんな中、ジョセフは立ち止まり、そう呟く。
「どんな絶望的な状況でも、そう言えるんですから。あいつらがついていく気持ち、わかります」
「ええ。貴方がいれば、この状況は乗り越えれるかもしれません。あの魔人を倒すことは出来るでしょう」
この時のジョセフはこれまで、今ほど――
「対して俺は、アイツを憎んでます。家族も、友人も奪われたのですから、だからなんでしょうね――」
こんなに――
「今の俺では間違いなく倒せません。なぜならあのクソ野郎は仇でもあり――」
こんなに――
「――『爆弾』でも、『呪い』でもあるんですから」
暗い表情をしたことはなかった。
今回はここいらで。