ロクでなし魔術講師ととある特殊部隊員   作:藤氏

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長いですけど、ラストです。


119話

『オノレェエエエエエエエエエエエエエエエエエ――ッ!』

 

 魔人はしつこく攻め立ててくるグレン達を、手刀から黒い斬撃を放って、追い払う。

 

『人間共めッ!何故、貴様ら如きがここまで食い下がれる!?私は人間を超越したのだぞ!貴様らなど歯牙にもかけぬ至高の存在になったのだ!なのに何故――ッ!?』

 

「へっ…ンなこた知るかよ」

 

『私は、貴様ら如き塵芥どもに手を煩わせている暇など微塵もないのだッ!私には――禁忌教典を大導師様に捧げる使命があるのだッ!禁忌教典こそ全知全能――即ち、神ッ!この世界が真に欲する我らが”主”なのだッッッ!この崇高なる使命の邪魔をするなァアアアアアアアアアアアアア――ッ!』

 

「テメェの言う禁忌教典が何なのかサッパリわかんねーし、興味もねーけどな……」

 

 グレンは狂乱の魔人に向かって、堂々と向き直り、言った。

 

「もう一度言うぜ?…馬鹿騒ぎは、これで終いだ」

 

 そして、グレンは両手で握った拳銃を頭上に掲げ、とある呪文を唱えながら、親指でかちりと撃鉄を引いた。

 

「≪0の専心(セット)≫……」

 

 その銃に、どくん、と得体の知れない不穏な魔力が胎動した。

 

『……なんだ、それは?…それが貴様の切り札か?』

 

「ああ。テメェをぶっ倒す、魔法の弾丸だ」

 

 すると。

 

『くくくく…私を倒す、だと?』

 

 グレンの身の程を知らない言葉に、急速に我に返った魔人が低く笑い始める。

 

『ふん…恐らく、何らかの魔術を弾丸に込め、撃ち出すようだが――たかが、人間の小細工が通用すると思うのか?この魔将星に。神鉄の身体に』

 

「……ふん。やってみなけりゃ、わかんねえだろ」

 

 だが魔人はそんなグレンの言をただの虚勢と取ったようであった。

 

『まぁ…とりあえずは、貴様達人間の奮戦…褒めてやろう。少々、不意を突かれたとはいえ、魔将星である私に、よくぞここまで食い下がった』

 

「…………」

 

『だが…ここまでだ。なるほど確かに、地上の連中もお前達も、人間の割によくやった。だが結局、貴様らに、この私の神鉄の身体を害せる手段は何一つないのだ』

 

「…………」

 

『思えば、ゴーレムだの巨人だの、そのような玩具を使ったのが間違いだった…最初からこの私が全てに片を付ければよい話だった。まずは、この場で貴様らを皆殺しにする。その後、再び地上に降り立ち、あの忌々しい学院の連中を皆殺しにする。そして…改めて【メギドの火】でフェジテを焼き払ってやろう!』

 

 そう言って、魔人は構え…さらに――その闇の力を高めていく。

 

 ことここに来て、その圧が、存在感が、際限なく絶望的なまでに高まっていく。

 

 だが――

 

「あのな。テメェはさぞかし、自分の思惑を外されまくって、憤ってるみてーだが…ふざけんなよ?怒ってるのは、俺の方なんだぜ?」

 

『……ッ!?』

 

 グレンが放つ不思議な威圧感に、魔人は一瞬、気圧される。

 

「もう、てめぇと問答することなんかねーよ。俺がてめーに言うことは、これだけだ」

 

 そして、グレンはその銃口を魔人へと向けて――言い放つ。

 

「俺の生徒に…手ぇ出してんじゃねえよッッッ!」

 

 すると。

 

 魔人は、一瞬言葉を失って……

 

『ふっ……』

 

 やがて、魔人はグレンを見下したように笑った。

 

『いいだろう、試してみるがいい…貴様のその小癪な小細工が、目論みを外した時…それがお前達の終焉の時だ!』

 

 魔人が深く身構え――闇の闘気を高め、さらに高め――

 

 グレンがそんな魔人を、銃の照準にぴたりと合わせ、待ち構える。

 

 極限まで張り詰めた大気が、高圧電流のように、びりびりと肌を震わせ――

 

 しばしの時を、グレンと魔人は、真っ直ぐ睨み合って――

 

 そして――

 

 際限なく昂ぶる緊張が、ついに極限頂点へと達した――その瞬間。

 

『死ねッ!人間んんんんんんんんんんん――ッ!』

 

 魔人が床を蹴って、霞み消えるように、グレンへ突進を開始した。

 

 その神速――ルミアの≪王者の法≫のアシストがなければ、グレンは何が起きたのかも認識できずに、粉微塵と化していただろう。

 

 だが、ルミアの力が、その神速領域の戦いにグレンを引き上げる。

 

 その刹那、世界の時の理が崩れ――

 

 極限まで高められた集中力と緊張が、時の流れを緩やかにする。

 

 魔人の神速の動きが――見える。

 

「馬鹿が――油断したな、化け物ッッッ!」

 

 何の小細工もなく、真っ直ぐ突っ込んでくる魔人へ。

 

 ぴたりと照準を合わせたまま。

 

 グレンは引き金を――引いた。

 

 撃鉄が――ゆっくり落ちる。シリンダーの雷管をゆっくり叩き、その発火がシリンダー内を伝い――内部に充填されていた魔術火薬『イヴ・カイズルの玉薬』に着火。

 

 炸裂――瞬時に生み出された圧倒的な推力が、弾丸を…銃口から吐き出させる。

 

 その弾丸は…ゆっくりと…真っ直ぐ…魔人へと突き進み……

 

 その胸部に…着弾して……

 

 

 

 

 

 

 

 カンッ!

 

 

 

 

 

 

 

 あっさりと、神鉄の身体に屈し、弾かれる。

 

 魔弾は――魔人に通らなかった。

 

「――ッ!?」

 

『馬鹿が――奢ったな、人間ッッッ!』

 

 目を見開いて硬直するグレンへ、魔人は手刀を引き絞って、さらに距離を詰める。

 

『我が神鉄は不滅ッ!無敵ッ!最強ォオオオオ――ッ!』

 

 だが、その刹那。

 

「いいいいいいいいやぁああああああああああああああああああ――ッ!」

 

 大剣を振りかざしてリィエルが、魔人へと飛びかかり――

 

「≪雷帝の閃槍よ≫――ッ!」

 

 システィーナが魔人を指さし、【ライトニング・ピアス】を撃ち放つ。

 

『無駄だッ!無駄無駄無駄無駄無駄ぁあああああああ――ッ!』

 

 だが、魔人は右の手刀でリィエルの大剣を弾き返し――左の手刀で雷閃を弾き返す。

 

 そして、そのまま、リィエルとシスティーナは眼中になし、とばかりに、魔人はグレンとの距離を詰め――グレンを貫こうと、その手刀を突き出して――

 

 が、その時、魔人が気付く。

 

 グレンが、にやりと、笑っていたのだ。

 

「かかったな…≪0の専心(セット)≫ッ!」

 

『!?』

 

 リィエルとシスティーナが、ほんの刹那の時間稼ぎをしている間に、グレンは再び拳銃の撃鉄を引いていて――

 

 その銃口を――そのまま身体を開いて、前へと突き出す。

 

 魔人の突き出す手刀と、グレンが突き出す銃口がすれ違い――

 

 本当に――それは僅か、ごくごく僅かな差だった。

 

 それは、拳銃一丁分のリーチが生み出した、差。

 

 その差分だけ、魔人の手刀がグレンの胸部を貫くより、グレンの拳銃の銃口の方が、ほんの刹那だけ速く、魔人の胸部に到達したのであった。

 

『な――ッ!?』

 

「終わりだ――固有魔術【愚者の(ペネト)――」

 

 

 

 ――その時。

 

(あっ……)

 

 それを見ていたシスティーナは気付いた。気付いてしまった。

 

 その脳裏を走るは、童話『メルガリウスの魔法使い』の一シーン――

 

 

 

 

 ――ああ、もう誰も、かの神鉄の魔人を止められない。

 

 ――誰もが絶望した時、彼の者に立ち向かったのは、正義の魔法使いの弟子でした。

 

 ――彼は、小さな棒で、魔人の胸を突きました。

 

 ――すると不思議なことに…魔人は突然、倒れて死んでしまったのです。

 

 小さな棒で――魔人の胸部を突く。小さな棒で。…小さな棒?

 

 目の前には、グレンが拳銃で――小さな棒で魔人の胸を突いている光景。

 

 そう、その姿は――まるで――

 

 

 

 

「――一刺し(レイター)】ァアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!」

 

 裂帛の希薄と共に、ついに引かれる引き金。

 

 再度、咆哮する銃口。死棘が火を噴いて吐き出され――

 

 ありえないことが、起きた。

 

 グレンの放った弾丸が――

 

 絶対不滅の神鉄で出来た、魔人の身体を――

 

 

 

 

 

 

 その時、おおおおぉ……と、どよめきが学院中に走った。

 

 全ての者が協力し合って、全てを出し切って、押さえ込んでいた巨人。

 

 それが、不意にがくりと力を失い、活動を停止し……

 

 その巨体がゆっくりと…光の粒子と砕け…マナの霧となって消滅していく。

 

「勝った…勝ったのか…?え…?終わったのか……?」

 

 その場の全ての者達が、一体、何が起きたのか判断できず、ただ、次第に消滅していく巨人を、呆然と見上げるしかなくて。

 

 そしてそんな中、アルベルトが構えていた魔杖を下ろし、ちらりと空を見上げる。

 

「ふん…何時まで待たせる」

 

 彼の突き放すような呟きを耳にした者は、誰もいなかった。

 

 

 

 極限状態ゆえに緩慢だった時間の流れが――元の正常な流れに戻る。

 

 グレン。

 

 そして、魔人。

 

 銃口と手刀を交差させ、至近距離で睨み合う二人。

 

 誰もが固唾を呑んで見守る中――

 

「……ふぅ」

 

 まず、最初に息を吐いて、沈黙を破ったのはグレン。

 

 そして――

 

『馬鹿な……』

 

 魔人が、ゆっくりと…グレンに届かなかった手刀を…下ろす。

 

 そのまま、一歩、また一歩…後ずさりする。

 

『……馬鹿な…馬鹿な……』

 

 魔人は後ずさりしながら、声を震わせ、ぶつぶつと呟く。

 

 グレンはそんな魔人に油断なく銃口を合わせたまま、真っ直ぐと見据えている。

 

『貴様の攻撃は…この私に、何一つ、傷をつけられなかった……ッ!』

 

 魔人は胸を押さえながら、後ずさりし続ける。

 

 神鉄で作られたその身体…魔人の言うとおり、グレンの銃撃を受けた筈の箇所は、穴の一つ、傷の一つはもとより、凹みのひとつすらついていない。

 

 そう、グレンの弾丸は――魔人を、まるで幽霊のようにすり抜けただけだったのだ。

 

『神鉄は不滅の金属…世界最高の神の金属…この世界の何者にも滅ぼせぬ…なのに…だと、言うのに……ッ!?』

 

 魔人は己の両手を見る、

 

 魔人の手が…少しずつ、少しずつ、黒い光の粒子と砕けて…崩壊していく。

 

『何故、私が滅びる!?滅びねばならぬ!?グレン=レーダス…貴様、一体、何をしたぁあああああああああああああああああああ――ッ!?』

 

 信じられないとばかりに吠える魔人へ。

 

「……別に?たいしたことはやってねえよ?」

 

 指の先でくるりと拳銃を回転させて弄び、グレンは言った。

 

「『イヴ=カイズルの玉薬』。それによって起動させる固有魔術【愚者の一刺し】…俺の魔術特性【変化の停滞・停止】を弾丸に乗せて、放つ術だ」

 

『な、なんだと……?』

 

「この魔術火薬によって発射された弾丸は、”あらゆる物理エネルギー変化が停止”し、同時に、”あらゆる霊的要素に破滅の停滞”をもたらす」

 

『ま、まさか……ッ!?』

 

「そうだ。この弾丸の物理エネルギーは変化しないから、あらゆる有質量物資を、何の物理的作用をもたらすことなく素通りし…だが、霊体だけはズタズタに引き裂く」

 

『――ッ!?』

 

「お前の神鉄の身体がいくら不滅で無敵だろうが関係ねえ…俺の弾丸は、てめぇの無防備な霊体――魂そのものを射貫いたんだ」

 

 肉体と霊体は、重ね合わせで出来ている。

 

 ゆえに肉体を傷つけることができなければ、肉体と重なる霊体を傷つけることはできない。不滅の神鉄を相手に霊魂のみを射貫くなど、普通は不可能だ。

 

 だが――グレンの【愚者の一刺し】はそれを可能にした。

 

「ただ、この魔弾は一度発射して外界に晒されたら、効力が刹那の間に急激に失われちまう。遠距離から狙って撃ちこむってことがまるでできゃしねえ。

 ……わかるだろ?接近戦で()()()()()()()()()()()んだよ、この弾は」

 

 魔人はこの時、完全に、グレンに一杯食わされたことを悟った。

 

 もし、グレンが最初から零距離射撃を狙いにいったら、流石に魔人も何かあると警戒してしまう。そんなものをまともに貰いにはいかない。間違いなくかわす。

 

 だが、グレンは敢えて、無意味な遠距離射撃を先に放ち――魔人の神鉄の身体に、その最後の切り札である魔弾すら何一つ通用しない、と錯覚させたのだ。

 

 それが、魔人をグレンの懐に誘い込み――この結末だった。

 

『馬鹿な…こんな…ことが…あり得ぬ……ッ!?』

 

『何度だって、言うけどね』

 

 そんな、魔人に、ナムルスは冷ややかに言った。

 

『貴方、人間、舐めすぎなのよ』

 

 そして……

 

『バカな…この私が…アセロ=イエロが滅びるとは…そ、そうか…グレン=レーダス…思い出したぞ…貴様は…あの時の…ッ!?あの時…我を滅ぼした…う、うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――ッ!?』

 

 ……断末魔を上げて、魔人の身体は真っ黒な爆光に包まれて、四散し――

 

 そのまま、呆気なく消滅するのであった。

 

 …………。

 

 ……静寂。

 

 システィーナも、ルミアも、リィエルも。

 

 終わったというのが、未だに信じられず、緊張のまま沈黙していると。

 

「この【愚者の一刺し】は、暗殺の際、予め銃に起動させておいて…【愚者の世界】で敵の魔術を封殺した後、相手がどんなに強固な魔術的防御を予め構えていても、関係なく撃ち殺す…そのために作った術なんだ…俺の悪意と殺意の塊なんだ」

 

 グレンが三人に背を向けたまま、ぼそりと言った。

 

「せ、先生……」

 

 考えれば、そのネーミングも皮肉が効いている。

 

 愚者の考えなしのナイフの一撃は、時に賢者のあらゆる知恵をもってしても防げない。

 

 魔術師(けんじゃ)を殺すための――術。

 

 一体、当時のグレンは何を思ってそんな名前をつけたのか――想像もつかない。

 

 どう言葉をかけていいのかわからず、三人娘達が戸惑っていると。

 

「……でもな!」

 

 突然、グレンは、ん~~っと背伸びして、くるりと三人を振り返った。

 

「ルミア、お前を守れた!もう、それでいいよなっ!?」

 

 振り返るグレンは、もう完全に吹っ切れたのか。

 

 実に清々しく笑っていた。

 

 そして、拳銃をしまい、ルミアに歩み寄ると…そのおでこをつんと突く。

 

「あっ……」

 

「ったく…お前は無茶しやがって……」

 

 グレンが呆れたように、それでいて優しげに嘆息する。

 

「あの時…お前の願い、聞こえたよ。…お前が密かに心に抱えていたことも」

 

「あ、…ぅう……」

 

「ったく、俺は教師失格だなぁ。自分のみみっちいことでウジウジしてばっかで、お前の葛藤にまるで気付かなかったよ……」

 

「そんな…そんなことは…だって……ッ!」

 

「……悪かったな。お前は…思えば、いつも気丈に振る舞って…でも、本当は色んなものを一人で抱えて…諦めて…悩んで苦しんでたんだよな」

 

「……せ、先生…先生ぇ……」

 

「それで精一杯、背伸びして、無理をして…我慢して良い子になって…もういい、もういいんだ、ルミア。無理をする必要もない。何かを気負って、諦める必要もない。聞き分けいい、良い子なんかならなくたっていい。もっと我が儘でもいい」

 

「う…うぅうぅ…うぅ……」

 

 そして。

 

 グレンは優しくルミアの頭を撫でて、言った。

 

「……帰ろうぜ?俺達の学院に。そして、一緒に考えようぜ?お前が、この世界で幸せを掴む方法を…俺達で…いいや、皆でさ。

 薄汚ねぇ、血まみれの暗殺者だった俺だって、こうして受け入れてくれた世界が…受け入れてくれた連中がいるんだ…吹っ切って乗り越えた今があるんだ。

 だったら、お前を受け入れてくれない世界なんかあるわけない…お前が乗り越えられないわけがない…そうだろ?だから……」

 

 一呼吸置いて、真っ直ぐ、優しくルミアを正面から見つめて。

 

「さぁ、帰ろうぜ?一緒に」

 

「せ、先生…ぐすっ…ひっく、うぅ…うわぁあああああああああああああん!」

 

 そして、ルミアはグレンに抱きつき、子供のように泣きじゃくる。幼い子供の頃から心を縛り付けていた枷から、ルミアは今、ようやく解放されたのだった。

 

「ルミア……」

 

「……ん。なんだかよくわからないけど…よかった」

 

 そんなグレンとルミアを、涙ぐみながら見つめるシスティーナとリィエル。

 

 そして…そうこうしているうちに、≪炎の船≫が激しく揺れ始めた。

 

 そこかしこが、光の粒子となって解け始め、崩壊を始めていた。

 

 魔力供給源だった魔人が滅んだ今、≪炎の船≫は、もう存在を保てなくなったのだ。

 

「ちっ…最後の最後に、お約束展開が来やがったぜ……」

 

 忌々しそうに、苦笑いして。

 

「もう!何言ってるんですか!?早く、逃げましょうよ!?」

 

「ん。グレン、遅い」

 

「って、おぃいいいい!?お前ら俺を置いていくな、薄情もんがぁああああッ!?」

 

 システィーナとリィエルは、もうとっくに出口を目指して駆け出していた。

 

 涙を拭うルミアの手を引いて、グレンが慌てて、駈け出そうとする。

 

「おい、ナムルス!お前も一緒に――」

 

 最後に、グレンはナムルスを呼ぼうと振り向いたら。

 

「……ナムルス?」

 

 ナムルスはすでに、その場から、忽然と姿を消しているのであった。

 

「ちっ…あいつは相変わらずだな…まぁ、いいさ」

 

 また、いつか会う日もあるだろう。

 

 今は――帰ろう。

 

 かけがえのない、俺達の居場所に――

 

 …………。

 

 ……。

 

 

 

 

 

 こうして、ルミアがようやく枷から解放されたの同時に――

 

 もう一人の少年の過去にも今、決着がつこうとしていた。

 

 

 

 

 

 アルザーノ帝国魔術学院の北にあるアウストラス連峰。

 

 その連なる山々のとある一つ、その山頂付近。

 

 万年雪の降り積もった岩肌の、殺風景なその場所に――

 

「…………」

 

 雪を踏みしめながら進んでいるのは――ジョセフだった。

 

 マクシミリアンから命令を受けた後、ジョセフは星の回廊のような空間を通り、この地に降り立った。

 

「…………」

 

 ジョセフは黙ったまま、ただひたすら真っ直ぐ進む。

 

 あと少し。

 

 もう少しで決着がつく。

 

(学院では決着がついているな…≪炎の船≫は崩壊しているだろう)

 

 ジョセフはそう思いながら、進み続ける。

 

 ≪炎の船≫が崩壊したということは、魔人は滅んだはず。

 

 ならば、なぜジョセフがこんな所にいるのか……

 

 それは、ジョセフの先にある倒れ伏している人影があった。

 

「……見つけた」

 

 ジョセフはそう呟くと、足を止める。

 

 ジョセフは今まで自分が敵を倒してきた人数と、これからのことをふと考えていた。

 

 ジョセフは北部戦線で三百人の敵を倒し、『黒い悪魔』と敵からも味方からも呼ばれ、畏敬の念を持たれていた。

 

 だが、この齢十五の少年がそこまでの敵を倒せたのか?普通ならばとっくの昔に気が狂う筈なのに、ジョセフは普通でいられるのはなぜなのか?

 

 それは、ジョセフがラザールに対する強い殺意――ニューヨークで母を殺したあの男に対する殺意によるものだった。

 

 あの男を殺すまで、復讐を果たすまでは、正気を失うわけにはいかない。その思いで、ここまできた。

 

 だが、それは裏を返せば、ラザールを殺した後、この行き場のない殺意はどうなるのだろうか?

 

 それが、マクシミリアンが恐れていたこと。ジョセフが『呪い』であり、『爆弾』という所以である。

 

 彼を殺した後、自分は狂うのではないのか?

 

 そんな不安がジョセフの頭を過り、足を止める。

 

 と、その時。

 

 ――大丈夫よ、ジョセフ。

 

 ――今の貴方なら、乗り越えられるから。

 

 ――だから、終わらせなさい。終わらせて、過去を乗り越えなさい。

 

 ――愛してるわ、ジョセフ

 

 そんな囁くような声がジョセフに聞こえた、ような気がした。

 

 ジョセフは、左手に握られている刀を握り直し、察知されないように、静かに接近するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『はぁ…ッ!はぁ…ッ!はぁ……ッ!』

 

 倒れ伏す魔人――ラザールが居た。未だ滅びず、生きていた。

 

『危なかった……ッ!』

 

 グレンの魔弾は、魔人の霊魂をズタズタにし、そこから連鎖的に崩壊させた。

 

 人間よりも、霊的存在よりの存在である魔人にとって、図らずもあの魔弾は、人間以上に致命傷になるらしく、魔人にとってはまさに猛毒のようなものだった。

 

 最早、魔人の滅びは不可避のはずだったのだ。

 

『だが…間に合った……ッ!』

 

 あの時、魔人は自分の身体を再び霊体化し、魔弾の毒に蝕まれた己の霊魂を大量にえぐり取って放棄した。そして≪炎の船≫へ注いでいたマナを回収し――失った霊魂を補填し、なんとか、その存在を繋いだのである。

 

(本当に危なかった…≪炎の船≫がなかったら…あのグレン=レーダスが気まぐれで二発目を撃ちこんでいたら…私は問答無用で滅びていた……ッ!)

 

 魔人は、身を起こして、ふらふらと立ち上がった。

 

 再び物質化した身体――すこぶる絶不調。

 

 だが、辛うじて存在は保てる。動ける。

 

『まだだ…私はまだ終われない…ッ!私はこの世界に、確たる”神”の存在を見出さねばならないのだ……ッ!』

 

 ラザールと、魔将星≪鉄騎剛将≫アセロ=イエロの存在は融合しているが、魔将星の降臨は基本、現世の人間よりの存在となるのだ。

 

 ゆえに魔人――ラザールは、自身の人間だった頃の古い記憶に思いを馳せる。

 

 それは――二百年前の出来事。

 

 六英雄達と一緒に、外宇宙の邪神と戦った――あの魔導大戦のことだ。

 

『そうだ…私はあの戦いで、仕えるべき主を…神を見失ったのだ……』

 

 元々、ラザールは聖エリサレス教会の敬虔なる信徒だった。

 

 主の存在を信じ、救いを信じ、主の下の正義を信じ――聖堂騎士として極まった。

 

 神の恩寵と徳のために、生涯かけてその身を捧げる…その信仰を守るため、同じ神を信じる力なき信徒を守るために戦う…それが彼の信念であり、在り方だったのだ。

 

 だが、ラザールは二百年前の戦いで――魔導大戦で、知ってしまったのだ。

 

 この世界に存在する神とは、いかなる者なのかを。

 

 確かに、この世界には大いなる存在――神はいたのだ。

 

 だが、それはラザールが信じていたような、信じる全ての人間達に恩寵と福音、救済を与えるような崇高なる存在ではなく――

 

 底の知れぬ悪意と、人知の及ばぬ邪悪の具現――まるで人間の敵そのものだったのだ。

 

 ……酷い戦いだった。

 

 ラザールと同じく、救いの神を信じていた者が大勢、居た。

 

 だが、誰も彼もが現実に存在する邪悪の神々に、塵芥のように殺された…ラザールの愛する妻も子さえも…彼女達も真に敬虔なる神の使徒であったというのに。

 

 最期まで高潔に信仰に殉じても、神の名を幾度唱えようとも。

 

 邪悪なる神々は、それをあざ笑うように踏みにじり…そして、自分達が祈りを捧げる神は、何一つ答えてくれない。

 

 この世界に――神は居ない。

 

 否。神は居るが、それは自分達が信じていたような神じゃない。

 

 神とは、ただただ邪悪と悪意に満ちた、人の理解の及ばぬだけの存在だったのだ――

 

『二百年前の最後の戦いで全てを失い…死に瀕した私は…信仰を失った…物心ついた時から信じていた我が主を…憎んだ…呪ったのだ……』

 

 だが、ラザールの命が尽きる…まさにその時だった。

 

 あの方――大導師様が、ラザールの前に現れ――彼に道を示したのである。

 

『……禁忌教典…私は、その力の一端に触れた…真理を垣間見たのだ……』

 

 聖エリサレス教会の教義によれば…主は一であり全、全であり一…すなわち全知全能の存在であるとされる。

 

 全知全能が神であるならば。

 

 まさしく、全知全能の真理たる禁忌教典こそが、神ではないか。

 

 善もなく悪もなく、まさに無色無垢なる存在。

 

 まさに、完璧なる存在――まさに、神。

 

 自分の仕えるべき神――信じるべき神は――禁忌教典だったのだ。

 

 全てを理解したラザールは、その時、大導師様から『鍵』を受け取り…第三団≪天位≫に…魔将星になったのだ。

 

『そうだ…だから、私は大導師様に禁忌教典を捧げる…ッ!全知全能の完全なる主に仕える巫女は、同じく完全でなければならない…ッ!だから、不完全なルミア=ティンジェルは殺さねばならない…ッ!私は……ッ!』

 

 神を、信仰を取り戻す――その時、初めて自分は、あの時、無惨に逝った者達への…愛する者達への冥福を、心から祈ることができるのだ。

 

 ラザールが決意に満ちた声で、そう宣言しようとした――その時だった。

 

「……だが、そんなものは”まやかし”だよ」

 

 不意に、その男は…現れた。

 

「ラザール。君は根本的に間違っている…神の存在とは自分の外に求めるものじゃない…自身の内に見出すものなのさ」

 

『なん…だと……ッ!?』

 

 ラザールは目を剥いた。

 

 ここに居るはずのない、居てはならない男が――居た。

 

「”貴方が道に迷った時、己が良心の言葉に耳を傾けなさい。それが主の御言葉である”…”主は常に貴方の良心を通して、貴方に語りかけるのだ”…エリサレス聖書、第三章『使徒福音書』四十七節、四十八節……」

 

『馬鹿な…なぜ……?』

 

「ラザール、君の罪は…己の内なる神を信じられなかったこと。己の外に偽りの神を求めてしまったこと。君は――弱き者さ」

 

『ジャティス=ロウファンッ!?貴様、何故、生きている――ッ!?』

 

 そこにはラザールがこの手で殺したはずの、確実に殺したはずのジャティスが…生きて、二の足で立っていた。

 

「……僕は錬金術師だよ?自分の肉体の複製を作るなんて朝飯前さ」

 

『馬鹿なッ!肉体はまだしも精神と霊魂はどうした!?どうやって持ってきた!?まさか、『Project:Revive Life』――ッ!?』

 

「それこそ、まさか。アレで出来上がるのは本質的に別人…あんな粗悪なものと一緒にしないでくれ。僕は、正真正銘、本物のジャティス=ロウファンさ……」

 

 ジャティスはお戯けて言った。

 

「そう…僕自身の存在体質…霊魂を二つに割って、二つの身体に分けた…それだけさ。何、君を殺すためにどうしても必要なことだったから、仕方ないね」

 

 ラザールは、一瞬、絶句した。

 

『なんだと、この狂人め…ッ!?己の存在を二つに分けただとッ!?貴様の自我は一体どうなっているんだ!?この世界で唯一無二の自己存在を自ら二つに分けるなど…分けたとしても、その二つはそれぞれが等しく貴様自身…ッ!なのに何故、片方がもう片方の自身に、後の全てを託して、この私に殺されることができるッ!?あり得ないッ!そんなのあり得ないだろうッッッ!?なのに、何故――』

 

「それが『正義』だからさ」

 

 まったく揺らがず、ジャティスが嗤いながら言った。

 

「ああ、確かに僕は死んだ…だが、僕は生きて『正義』を成す…ッ!確かに僕の意思が、僕自身の意思で邪悪を滅ぼすッ!そこに何の問題があると言うんだい!?」

 

『そんな命の理を冒涜する外法…代償がないと思ったか……ッ!?』

 

「百も承知――この外法は魂に多大なるダメージを与える…僕の寿命は後もって、五、六年かな…きっと、これからも減るだろう…だが、充分だ」

 

 逆に狼狽えるラザールをあざ笑いながら、ジャティスが言った。

 

「それだけの時間があれば…貴様達、真の邪悪に『正義』を執行できる…禁忌教典を手にし、この世全ての悪を鏖にできる…それで充分さ…ククク……」

 

 目の前の男に、まるで、二百年前に対峙した邪神のような不快感と嫌悪感、そして恐怖を覚えるラザールであった。

 

「さぁ、異端者ラザール、宗教裁判だ。判決は死刑。その不信の罪を死で償え」

 

 まるで法廷の裁判官のように、ジャティスが朗々と宣言し、左手をラザールへ向ける。

 

『……舐めるなよ、人間如きがッッッ!』

 

 ラザールが神速で、ジャティスに突進する。振るわれる神鉄の手刀が真空を引き裂き――ふわりとすれ違ったジャティスの左腕を、肘から切り飛ばす。

 

「ふぅん?」

 

 血をまき散らしながら、悠然と飛び下がったジャティスが、薄ら寒く笑った。

 

『勝てると思っているのか!?いくらグレン=レーダスの魔弾に傷ついたとはいえ、この神鉄の身体は健在ッ!貴様如きに――』

 

「……まだ、わからないのかい?君はもう僕の敵じゃない」

 

 ジャティスが不敵にそう告げた、その瞬間。

 

 ラザールの左手――以前、ジャティスの血で汚れた手が――その汚れが真っ赤に禍々しく輝き始めた。

 

『な、何だ…ッ!?一体、何が起こって……ッ!?』

 

 すると、ラザールの神鉄の左手は、ラザールの意思に反して、勝手に解けて、粒子化して…風に乗って流れ…ジャティスへと集まっていく。

 

 そして――切り落とされたジャティスの左腕の代わりに、神鉄の粒子が寄り集まり…その左腕を形成するのであった。

 

「ほう?これが古代文明の神秘…神鉄か…くくく、これは便利そうだねぇ」

 

『貴様、一体、何をシタァアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!?』

 

 絶叫するラザールに。

 

「うるさいなぁ。折角、良い玩具を手に入れたのに…ただ、君の左手の支配権を、僕が奪っただけだよ…僕が命を代償に、君の左手にかけた呪いでね」

 

『な……』

 

「神鉄と言っても、たかが金属…錬金術師の僕に支配できない道理がないだろ…もっとも僕の計算によると、命を懸けても、成功確率は10%を切っていたけど。

 でも、まぁ…このくらい出来なきゃ、いつまで経っても、僕はグレンに届かないよねぇ…?10%なら、グレンにとっては、ほぼ100%と同義なんだしさ」

 

 なんだ?

 

 本当になんなのだ?この男は。

 

 一割を切る賭けに、自身の魂の半分を、何の迷いもなく賭けるのか?

 

 おかしい、どう考えても――最早、人間ではない。

 

 最早、この男は、ジャティスという現象か何かであった。

 

「さて…構えろよ、ラザール。刑の執行時間だ」

 

 ジャティスは、神鉄で構築された左手を、自由に変形させる。

 

 その手の甲から、黒い剣が伸びていった。

 

「もし、自分が万全の状態なら…とか、そんな泣き言は言わないでくれよ?」

 

『う、う…ぁ…ああ…ッ!?く、来るな……ッ!?』

 

 ジャティスが黒剣を携え、何の迷いもなく、魔人へゆっくりと歩いて行く。

 

 が――

 

「――いや…気が変わった。ここは『彼』に刑を執行させよう」

 

 ふと、歩みを止めるジャティス。

 

『は……?』

 

 ラザールはジャティスの意図がわからず硬直する。

 

「ラザール。一年前のニューヨークのテロを覚えているかな?」

 

『……ッ!?』

 

「そう、君が起こして、無辜の市民達を虐殺したあのテロだよ」

 

 ジャティスは笑いながら、語り始める。

 

「君は、ある女性を抹殺するために、帝国から連邦へ渡った」

 

 その瞬間、ラザールは自分の背後から強烈な殺意を感じた。

 

「元・帝国宮廷魔導士団特務分室所属――執行官ナンバー2≪女教皇≫のエヴァ=スペンサー」

 

『ぅ…う…ぁ……』

 

 殺意が、死が段々と濃くなってくる。

 

「そして君は…彼女の子の手によって死ぬのさ」

 

 ジャティスがそう宣言すると同時に。

 

 ラザールが背後を振り向いた瞬間。

 

 ドスッ!と刀剣のようなものがラザールの心臓を貫く。

 

 その瞬間、周囲の風景が白く染まる。時間がゆっくり流れ、白く染まっていく。

 

 そして――

 

 

 

 

 

 

 白く染まった世界にて。

 

 そこは真っ白の世界。上下左右、どこまでも真っ白な世界。

 

 そんな世界の中、ジョセフはラザールと対峙していた。

 

「……私の…今までの信仰は…人生は、一体、なんだったのだ……?」

 

 ラザールはジョセフを見るや否や、そう呟いた。

 

「お前は、逃げていたのさ。二百年前からずっと自身と向き合わずに逃げ続けた」

 

「私はあの戦いで、全てを知った…ッ!今まで信じていた神は邪悪で人々を救うのではないのだと…ッ!だから――」

 

「違う、お前は全てを知らない。いや、お前は神の存在に正しく理解していなかった。その結果が…この様だ」

 

 ラザールの言葉を切っぱり否定するジョセフ。

 

「ならば、どうすれば良かったのだ……ッ!?どうすれば…ッ!?あの時、最期まで信じていた信徒や私の愛する者達はどうすれば救われたのだッ!?答えろ、ジョセフ=スペンサーッ!」

 

 ラザールが悲痛な叫びを上げる。

 

「さぁな。だが、ただ一つ言えるのは、お前は神を信じていたのではない、神に依存していたのさ」

 

「あ、あぁ…そん…な……」

 

 それと同時に――

 

 ラザールの足下から、徐々に、徐々に、粒子となって消滅していく。

 

「終わりだ、ラザール。結果を受け入れろ。そして、自分がかつて信仰していた神の下へ、愛していた者達の元へ、逝け」

 

 ジョセフは徐々に消滅していくラザールに歩み寄る。

 

 そして、ジョセフはラザールのそばに寄り――

 

「――信仰が汝に苦しみではなく安らぎをもたらさんことを。眠れ、安らかに」

 

 ジョセフがそう言うと同時に――

 

 ラザールは完全に消滅していくのであった。

 

 

 

 

 

 そして、真っ白な世界から再び現実世界に戻ったジョセフは、刀をラザールから引き抜く。

 

 心臓を貫かれたラザールの身体は、そのまま、黒い霧状のものと蒸発して、虚空に消滅していった。

 

「…………」

 

 ジョセフはそれを見届けると、刀を鞘に納める。

 

 ジャティスはすでにいなくなっており、今、ジョセフだけがそこにいた。

 

「…………」

 

 よく、復讐した時の気分はどうなのかという質問が、小説なり、演劇なりよく出てくる。

 

 ジョセフがその質問を答えるとするならば、それは――虚しかった。

 

 虚しい。ただひたすら虚しい。そんな気分。

 

 ラザールは死んだ。だが、彼が死んだからといって、母が、戦争で散っていった仲間達が生き返ってくることは…ない。

 

 ジョセフは虚ろな目で、空を見上げる。

 

 雲が厚く覆われているどんよりとした空。

 

 ジョセフは、それをしばらく見て。

 

「……そうだな。俺にはまだ、守りたいやつがいる」

 

 そう呟いたジョセフの目は、段々と光を取り戻していく。

 

 確かに、かつて守りたかった者は生き返ってこない。

 

 だが、これから守りたい者はジョセフにはいる。

 

 これからは彼らを守ろう。

 

 それが、母、戦友、かつて守れなかった者達に対するせめてもの供養なのだろう。

 

「帰ろう。あの受け入れてくれる、優しいあの場所に」

 

 ジョセフはそう言うと、そこから去って行くのであった。

 

 

 

 

 

 セリカドラゴンに乗って、異次元へと崩壊消滅していく≪炎の船≫を後にする。

 

 空を翔け、雲を裂き、風を切り――地上へ、地上へ。

 

 眼下に広がるは、燃える夕日に輝く、美しいフェジテの町並み。

 

 最初、ミニチュアみたいだったそれが、段々と大きく質感を伴っていき――

 

 やがて、学院校舎がはっきり見え始めた時、不意に何かが耳に飛び込んでくる。

 

 それは――

 

「グレン先生ぇええええええええええ――ッ!」

 

「ルミアぁああああああああ――ッ!」

 

「システィーナぁあああああああ――ッ!」

 

「リィエルぅううううう――ッ!」

 

「皆、お帰り――ッ!」

 

 ――学院の生徒達の大歓声であった。皆が皆、中庭に、屋上に、窓から身を乗り出し、グレン達の帰還を、諸手を挙げて待っていた。

 

 耳をつんざくような熱狂と歓声は、留まることを知らない。

 

 グレン達が近づけば近づくほど、それは際限なく大きくなっていった。

 

 やがて……

 

 セリカドラゴンが翼をばさばさと羽ばたかせ、中庭にゆっくりと着陸して。

 

 グレン達が、その背から飛び降りると。

 

「「「「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――ッ!」」」」

 

 グレンのクラスの生徒達が大挙して、グレン達のもとに集まってくる――

 

「先生ッ!ついに、やったなぁ!」

 

「ルミア、ありがとうッ!」

 

「システィーナ、リィエル、よく頑張ったねッッッ!」

 

「先生達のおかげで、僕達は――」

 

「馬鹿、違うだろ!?これは俺達、皆の勝利だろ!?」

 

「そうだ、俺達の勝利だッ!俺達、皆で勝ったんだッッッ!」

 

「「「「ばんざぁああああああああああああああああああああああああいッ!」」」」

 

 カッシュも、セシルも、ウェンディも、テレサも、リンも、カイにロッドも。

 

 アルフ、ビックス、シーサーも、ルーゼルも。アネットも、ベラも、キャシーも。

 

 ……この時ばかりは、ギイブルさえも、

 

 グレンの生徒達が総出で、目を白黒させるグレン達を取り囲んで、大はしゃぎだ。

 

「ははっ…何も心配する必要なかったな」

 

「はい……」

 

 グレンの言葉に、ルミアは穏やかに笑う。

 

 そして。

 

「しっかし、本当によくやったな、グレン。褒めてやろう」

 

 不意に、グレンの方が背後からぽんと叩かれる。セリカの声だ。

 

「なんだよ、セリカ。お前、もう元の姿に戻ったのか…って――」

 

「いやぁ、私は信じていたぞ?お前は、やれば出来る子……」

 

「――服を着ろォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!?」

 

「……んー?あ、忘れてた」

 

 変身を解き、その美の女神のように超然と整った妖艶な裸体を、惜しみなく衆目に晒して登場したセリカに、その一帯が不意に大騒ぎとなった。

 

 

 

 

 中庭に集まり、勝利の美酒に酔いしれる生徒達の中にて。

 

「一件、落着…ですね」

 

「ふん……」

 

 リゼが安堵の息を吐き、ジャイルが鼻を鳴らして踵を返す。

 

「……あら?もう行かれてしまうのですか?ジャイルさん」

 

「借りは返したしな。それに…ちっ…こういう空気は苦手なんだよ」

 

「……ふふ、不器用な人」

 

 人知れず、黙って去って行くジャイルの背中を、リゼは微笑みながら見送った。

 

 

 

 

「ふぅ~~まったく、しんどいのぉ……」

 

「今日はお疲れ様、諸君」

 

「くそっ…明日からの事後処理…頭が痛くなってくる……」

 

「フゥハハハハハハハハハ――ッ!だが、良いデータが取れたぞぉおおおお――ッ!?」

 

 ツェスト男爵、リック学院長、ハーレイ、オーウェルを始めとする学院の教師陣も、無事収束した事態に、ほっと安堵の息を吐き、肩を叩いて喜び合っていた。

 

「ていうか、どうする!?一体、どうすればいいのだ!?特に、ルミア=ティンジェルの扱いは――ッ!?」

 

「どうもこうもすまい」

 

 ハーレイが貴重な毛根にダメージを与えていると、ツェスト男爵が神妙に言う。

 

「……見たまえ」

 

 そこには、ルミアが大勢の生徒達に囲まれ、心から笑っている姿。

 

「彼女がごく当たり前のように、この学院に通えるようにする。いつも通りの日常を提供する。あの笑顔を守る…なんてことはない、それが我々大人の義務だろう?」

 

「……本音は?」

 

「ルミアちゃんみたいな美少女、守ってあげないなんて、全国の美少女と美幼女を愛でよう会、名誉会長のこの私のすることではなぁああああああああああああいっ!」

 

「学院長!?この男、早くクビにしてくださいよッ!?」

 

「……そろそろ真剣に検討せねばならん気がしてきた」

 

 と、そこに。

 

「皆さんっ!」

 

 セシリアが手を振りながら、ぱたぱたと駆けてくる。

 

「おお、セシリア先生…その…どうじゃ?」

 

 リック学院長の恐る恐るの問いに。

 

「……ええ、学院、帝国軍は大丈夫です」

 

 セシリアは複雑そうに答えた。

 

「中には、重傷でしばらく療養生活が必要な人も居ますが…死者は一人もいませんよ」

 

 ほっ…と、その場に居合わせた者達が安堵の息を吐く。

 

「き、奇跡だ…あれだけの激戦で……」

 

「……特務分室の人達の、作戦のおかげじゃな……」

 

「ただ、連邦軍の方は……」

 

 ほっと息を吐いている中、セシリアは前方の方にいる連邦軍の方を指さす。

 

 教師陣がそれを見ると、そこには、連邦軍の兵士が二人一組で何かを運び出していた。

 

 連邦軍が運び出していたのは、遺体袋だった。遺体袋を丁寧に運び、日の当たらない場所に置いていく。

 

「連邦軍の方は、この戦いで多くの人が命を落としました……」

 

「そうか……」

 

 その光景をみた教師陣は、先ほどまでの喜びから一転して空気が重くなる。

 

「……我々と生徒達に死者が出なかったのも、彼らが最前線で戦ったお陰なのかもしれん。このまったく知らない国、土地にもかかわらず、我らを守り、命を落としていった彼らに敬意を送ろう」

 

 リックがそう言うと、連邦軍が安置している遺体に向けて黙祷を捧げる。

 

 それに倣い、他の教師陣も黙祷を捧げるのであった。

 

 しばらく黙祷を捧げた後。

 

「それに、セシリア先生の尽力の賜もあるね」

 

「いいえ、違いますよ」

 

 セシリアが、向日葵のように微笑んで――

 

「先生方、生徒達…今日ここに集った者、皆のおかげでブゴバハァアアアッ!?」

 

 そう言おうとした瞬間、セシリアは笑顔のまま、盛大に血を吐いて倒れるのであった。

 

「せ、セシリア先生――ッ!?」

 

「虚弱体質のセシリア先生が、限界だぁああああ――ッ!?」

 

「ハァ、ハァ、ハァ…あっ、お婆ちゃん…久しぶり……」

 

「いかんっ!このままじゃ帝国側でこの騒動初の死者が出るぞぉおおおおお――ッ!?」

 

 結局、学院教師陣も、てんやわんやの渦に巻き込まれていく――

 

 

 

 

 

「かぁ~~ッ!今回は、マジでしんどかったわいッ!」

 

 バーナードが大騒ぎする学院関係者を遠目に、中庭の隅であぐらをかいていた。

 

「ええ、まったく…でも、大事なくて良かった」

 

 クリストフがくすりと笑う。

 

「……先ほど、フェジテの断絶結界が解かれ、帝国軍と連邦軍の一隊が、この事態を収拾するためにこちらに向かっているそうです」

 

「……俺達の仕事はこれから、というわけだ」

 

「げぇええええ――ッ!?もう勘弁してくれぇええええ――ッ!」

 

 そんなクリストフ、アルベルト、バーナードのやりとりを尻目に。

 

「…………」

 

 少し離れた場所で、校舎の壁に背を預けて腕組みし、イブがぼんやりしていた。

 

(恐らく今回の一件…流石に、私は上層部からの厳しい追及を逃れられないわね……)

 

 イブの父親は当然、ここぞとばかりにイブの尻尾切りをするだろう。

 

 全ては功を焦ったイブの独断と暴走、という形に一方的にして。

 

(……色々と…覚悟しておいた方がいいわよね……)

 

 だが、なんだか、もうどうでもいい気分だった。とても疲れていた。

 

(そうよ…どうせ私みたいな無能…室長の器じゃなかったのよ…左手の魔術能力は戻らないし…あははっ…もう、どうにでもなればいいわ……)

 

 と、イブが捨て鉢な気分になっていた、その時だった。

 

「あの……」

 

 二人の女子生徒が、しずしずとイブの前まで歩み寄ってきていた。

 

 イブが指揮を務めていた部隊(実質、ジョセフ、ダーシャ、アリッサの三人が指揮を執っていたのだが)の

、ウェンディとテレサだった。

 

「何か用?今さら私に文句でも言いに来たわけ?使えない無能指揮官だって――」

 

 イブが二人の顔を見もせず、鬱陶しそうに突っぱねようとすると。

 

「ありがとうございましたっ!」

 

 二人の少女が、ぺこりとイブに頭を下げていた。

 

「なっ……?」

 

「あの時、私達を助けてくれて、本当にありがとうございました」

 

「頼りないなんて陰口叩いて、本当に申し訳ありませんでした。貴女は軍人さんの鑑でしたわ。これからもお勤め、頑張ってくださいな」

 

「………」

 

 ちくり、と。

 

 そんな少女達の無垢なる信頼が、イブが遠い昔に忘れてしまった…忘れることを強要され、忘れた何かが、不意にほんの少しだけ蘇ったような気がして……

 

「ふ、ふん…別に…?そんな大したことじゃないし…それなら、貴女の幼馴染にもお礼を言いなさいな……」

 

 やはり、素っ気なくそんなことを言って、ぷいっとそっぽを向くのであった。

 

 その頬には…ほんの少しだけ、赤みが差していた。

 

 

 

 

 

 

 

「六十名……」

 

 中庭の日が当たらない場所にて。

 

 連邦軍総指揮官である、エルテールは目の前に安置されている遺体袋を見て、呟いた。

 

「先日の騒乱と今回の攻防戦…この数をこれだけも戦死者を出したというのか、それともこれだけで済んだというのが正しいのか…どう思う?マクシミリアン」

 

「……わからん」

 

 エルテールの問いに、マクシミリアンは横に立ち、そう答える。

 

「わからんが、少なくとも任務は完了した。後は、ラザールの生死の報告を待つのみ――」

 

 マクシミリアンがそう言うと――

 

「――大佐」

 

 背後から、声がした。

 

 ジョセフだ。

 

「ジョセフ、ラザールは?」

 

「神の下へ行かせました」

 

 マクシミリアンの問いに、ジョセフがそう答える。

 

「そうか…ホッチ、本国に報告しろ。”正義は成された”と」

 

「了解、そう伝達します」

 

 マクシミリアンの指示に、ホッチンズは無線機で連邦政府に今回の作戦の結果を報告する。

 

 数時間後は、連邦全土はお祭り騒ぎになるだろう。

 

「ジョセフ、よくやった」

 

「いえ……」

 

「復讐は……?」

 

「……虚しかったですよ」

 

 マクシミリアンの問いに、ジョセフは苦笑いを浮かべながら答える。

 

「……だろうな」

 

「ですが、前には進めると思います」

 

 と、ジョセフは穏やかな表情でそう言う。その目はどこかやっと過去を乗り越えた、そして、新たに進んでいくという決意に満ちた目だった。

 

「ほう?」

 

「確かに、母や、戦友は帰ってきません。ですが――」

 

 ジョセフはそう言うと、背後を振り返える。

 

 ジョセフの視線の先には、自分の幼馴染であるウェンディとその友人であり、大切な人であるテレサがジョセフを見つけ、駆け寄ってくる。

 

「――これから、新しく守っていく者達もいますから」

 

 そう言うと、ジョセフはウェンディ達の元へ向かう。

 

 ラザールの死により、ジョセフは再び前へ進むことができた。

 

 これからは、楽しいこともあるだろうし、苦難もあるだろう。

 

 天の智慧研究会の急進派は壊滅したが、まだ終わりではない。

 

 だが、それでも今までとは違い、ジョセフは前へ進もうと決意した。

 

 それが、遺された者のやるべきことであると信じて――

 

「――だろう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 かなーり、長くなりましたが、十巻はこれで終わりです。

 次からは十一巻に突入します。

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