ロクでなし魔術講師ととある特殊部隊員   作:藤氏

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というわけで、どうぞ。


132話

 

 

 

 アルザーノ帝国魔術学院の行く先を背負った、運命の生存戦。

 

 意外にも、それは、グレンの二組の圧倒的優勢で進んでいった。

 

 勝利の手応えに高揚する二組の生徒達。

 

 だが、そんな時――事件は起こった。

 

 

 

 

「おー、おー、二人とも生きてたか」

 

 裏学院第四階層の廊下にて。

 

 ジョセフが廊下を歩いていると、廊下の先に二人の少女がいた。

 

「ジョセフ……?」

 

「貴方…って、まぁ、生き残っているのはわかってましたけど……」

 

 二人はジョセフに振り向き、安心したような表情になる。

 

「んで、どうだった?連中、けっこう簡単に引っかかっただろ?」

 

「ええ、まさかあんなに簡単に引っかかってくれるなんて…どうして、わかったんですの?」

 

「いや、だって…あのマキシムに教えられてるから、そう思っただけなんやけど?」

 

「マキシムに教えられたから、そう思った?」

 

 鸚鵡返しに言うウェンディに、ジョセフは、ん、と頷く。

 

「実を言うとね、マキシム学院長が自分の教え子達に、手札をある程度揃えたらそれを素早く切るように訓練し育て上げたんだけど、これ自体は決して的外れではないんだ。現に、イブさんはお前達が持っている手札を素早く、かつ有効に切れるように鍛えてたしな。ていうか、俺もそうしてきたつもりなんやけど」

 

 確かにマキシムの教育方針は間違っているが、手札を素早く切るというのは一人前の魔術師になるには必要なものである。だから、模範クラスの生徒達はアマチュア軍人並みの実力を持つことができた。

 

 しかし。

 

「でも、昨日ウェンディに言った通り、それだけなんや。ただ早く手札を切ればいいと思っている。だから、ちょっとの駆け引きにすぐ引っかかる。魔術師としては連中は三流以下や」

 

 そう、模範クラスの生徒達は、魔術師の武力を重視し過ぎたあまり、駆け引きなどの騙し合いには疎いのである。

 

 確かに魔術は戦争の武器にもなり得るのはなり得るのだが……

 

「マキシムは力のみ鍛えることこそ、真なる魔術師の近道だと思っているらしいが…力だけでそうなるなら、最初から学問とかないわ。っていうか、そんなの『魔術師』じゃないし。ただの『魔術使い』だし」

 

「ジョセフは、魔術師はなんだと思っているんですか?」

 

 テレサの問いに、ジョセフはんーっと、しばらく考え込み、

 

「これは、俺がまだボストンにいた頃、ちょうどテレサと同じ質問を母さんにしててな。そん時、母さんが答えたのは、”魔術戦ほど小細工が必要な物は無いのよ。けど、相手が理論的に反応不可能な速度とパワーで攻めてきても、理と先読みでそれを覆す…それが魔術師ね~”って。つまり、手札やそれを切る速さはもちろん、立ち回り、位置取り、見切り、判断力、そして、揺さぶりやハッタリなど嘘を用いた駆け引き…これを駆使してこそ魔術師だと。俺はそう思っている……」

 

 まぁ、母さんの受け売りだけど。っと、ジョセフが言おうとした――

 

 まさに、その時であった。

 

 

 

 

 

「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!」

 

 

 

 

 身の毛もよだつような絶叫が、裏学院のどこからか響き、辺りに幾度も反響する。

 

 その反響の具合から察するに、発信源はここからそう遠くない。

 

「――ッ!?」

 

 ジョセフを含め、ウェンディとテレサが思わず硬直してしまう。

 

 その叫びは――どう考えても、普通ではなかった。

 

 この生存戦で倒された者が発した、ただの無念と苦痛の発露とは思えない。

 

 何か理解し得ない理不尽、想像を絶する恐怖、正気を崩壊させる何か――不運にもそれらに遭遇し、弾け飛ぶ理性が絞り出した、魂の砕け散る”音”だ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいまし…今の悲鳴…いくらなんでも…おかしくありません……?」

 

 全身から、ぞわっと吹き出す冷たく不快な汗の感触を堪え、ウェンディが言った。

 

「さっきの悲鳴…ここから遠くないところですね…一体、何が……?」

 

 テレサもウェンディと同じく、不快な汗の感触を堪え、声を絞り出すように言う。

 

 二人はまるで石像のように動けない。

 

「……二人とも、俺の後ろにいろ……」

 

 ジョセフは、二人を庇うように前に出て、圧縮していた拳銃を展開し、身構える。

 

 その目は、さきほどまでの優しい目つきではなく、人を殺してきた者がするような鋭い目つきになって、前方を睨んでいた。

 

 自身の本能が、何かヤバいことが起きていると告げている。

 

 しばらくすると。 

 

 ぞるり。

 

 静寂が支配するその空間に、奇妙な音が…響いた。

 

 ぞるり。ぞるり。ぞるり……

 

 その奇妙な音は、ジョセフ達の前方の廊下の奥から、近づいてくる。

 

「……何かが、来る……ッ!」

 

 ジョセフは拳銃のスライドを引き、弾倉から薬室へ拳銃弾を送り込み、奇妙な音がする方へ構える。

 

 目を凝らせば。

 

 通路の奥、特濃の闇の中から。

 

 さらに特濃の闇を纏ったナニカが、ゆっくりと…ゆっくりと、近づいて…くる。

 

 やがて。

 

 廊下の壁にかかっているランタン、その心細く揺れる炎の淡い光が。

 

 その闇の中から近づいてきた、ナニカの正体を、三人の前に露にした――

 

「な――ッ!?」

 

 誰も――動けなかった。

 

 誰もが――言葉を失った。

 

 これまで北部戦線など幾度の死線を駆けてきたジョセフでさえも。

 

 なぜならば――

 

 現れたそのナニカは、あまりにも人の想像を絶した存在だったからだ。

 

 そのナニカ――全体的には一応、人の形をしている。

 

 その極薄の衣を纏った身体のラインが示す通り、女性に類する存在なのだろう。

 

 だが、それ以外のパーツがあまりにも人間離れしていた。

 

 そのしなやかな女性の手足は、まるで千枚下ろしにでもかけたかのように、薄っぺらい紙のようなものが何千何百と折り重なって構成されている。

 

 動く度にざわざわと蟲のように蠢いては、めくれていくその手足の断面には、這いずる百足の如き禍々しい文字がびっしりと綴られており、その様はまるで、手足を模した本を思わせる。

 

 その頭部は千切れ本の頁のようなものが折り重なり、まるで蛇のように蠢いている。

 

 その頁の隙間からただ一つだけギョロリと除く眼球だけが、闇の中で爛々と不吉に輝き、その蒼冷の虹彩で周囲の空気をどこまでも凍てつかせた。

 

 思わずその異彩から目を背ければ、今度は、ぷん…と、饐えたインクの匂いが空間を汚染していることに気付く。

 

 その腐臭にも似た強く不快な匂いが、胃を捻るように絞り、否応なく喉奥にこみ上げる酸が舌を痛烈に刺激する。

 

 視界に入れるだけで、眼球の奥に特濃の闇が染み込んでくるような錯覚。

 

 脳を直接掻きむしり、正気を削る、直視に堪えないナニカ。

 

 ジョセフ達の前に現れたのは、そんな特上の狂気と冒涜の具現であった――

 

「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!?」

 

 先ほどとまったく同質の絶叫が、どこからか上がった。

 

 本の怪物――とでも称するべきか。

 

 その怪物が、ぞるり、ぞるりと、頁でできた足を引きずって、頁でできた手を伸ばして迫ってくる。

 

 その姿は――まるでゾンビ。

 

 そして、またどこかで――多分さっき絶叫が上がったところと同じところだと思う――悲鳴みたいな断末魔の叫び声が上がった。

 

「――ッ!」

 

 その悲鳴を聞いて我に返ったジョセフは、何の躊躇いもなく、にじり寄ってくる本の怪物に向かって発砲した。

 

 最早、違反とかどうこう言ってる場合じゃない。

 

 止まれとか、撃つぞとか、そんなことを言っている場合じゃない。

 

 こいつはヤバい――殺らないと殺られる。そう確信をもって直感したジョセフは、一呼吸で弾倉内の拳銃弾を全て放つ。

 

 銃声、銃声、銃声、銃声、銃声、銃声、銃声――

 

 怪物の全身の急所へ弾丸を叩き込む。

 

 銃口閃光(マズル・フラッシュ)の明滅と共に、怪物の身体が後方へ吹き飛ぶ。

 

 空になった弾倉を取り出し、新たな弾倉を入れて装填し、再び全弾を倒れた怪物にぶち込む。

 

 ――殺った。

 

 いくら怪物でも、合計十四発も――しかも七発は急所に――撃ち込まれて生きているやつなどいない。そうジョセフは確信するが――

 

 むくりとその本の怪物は起き上がった。

 

 起き上がったその怪物は――無傷。あれだけ銃弾を撃ち込んだにもかかわらず、傷一つ負っていない。

 

「嘘だろ……ッ!?」

 

 まったく傷ついていないという信じがたい現象に、ジョセフは目を剥く。

 

 そして、本の怪物は、前にいたジョセフを獲物と定めたのか、ゆっくりとにじり寄ってくる――

 

「クソが……ッ!」

 

 ジョセフは舌打ちする。

 

「ジョセフ……ッ!」

 

 悍ましい姿でにじり寄ってくる本の怪物を見て、顔を真っ青にさせたウェンディがジョセフにしがみつく。

 

「クソったれがッ!」

 

 ジョセフが悪態をついた、その時だった。

 

「――≪吹っ飛べ≫ッ!」

 

 不意に、一人の少女がジョセフ達の前に飛び込んで、呪文を放ち、辺りを猛烈なる突風となって吹き抜けた。

 

 殴りつける風の戦鎚が、ジョセフ達の前にいた本の怪物を吹き飛ばし――廊下の奥へ押し流す。

 

「三人とも、無事ッ!?」

 

 前に飛び込んだのは――アリッサだった。

 

「あー、ヤバいとこだった」

 

 ジョセフはひとまず安堵したかのように息を吐き、再び身構える。

 

「アリッサ。あの化け物について、何かわかったことは――」

 

「わからない…突然、私の前に現れて…二組の皆も、模範クラスの連中も見境なく襲って、本に変えていってる」

 

「人を本に変える…ッ!?なんじゃ、そりゃ!?どんな仕掛けやねん!?」

 

「それに、あの化け物…攻性呪文を撃とうが、銃で撃とうが、まったく死なない」

 

「ああ、だろうな。俺も十四発、四十五口径を撃ち込んだが、傷一つ付きやしない。……ああ、クソ、なんなんだ、この化け物」

 

 と、その時であった。

 

 キン、キン、キン!けたたましい金属音が、四人の間に響き渡る。

 

 四人――というより生徒達全員に持たされていた宝石形の通信魔導器に入電したのだ。

 

『ジョセフ、ウェンディ、テレサ、アリッサッ!聞こえるかッ!?』

 

 どこか切羽詰まったようなグレンの叫びが、耳に飛び込んでくる。

 

「先生、問題発生や!妙な化け物があちこちに突然――」

 

『わかってるッ!こっちも把握しているッ!今、『裏学院』の校舎のあちこちで、その妙な化け物が突然、どこからともなく出現し、もう何人もやられているッ!』

 

「マジかよ……」

 

 二度目の舌打ちをするジョセフ。

 

『こんなやべぇ場所には一分一秒たりともいられんっ!生存戦は中止だ!お前ら第二階層の中央にある大講義室を目指せ!そこで生き残った連中全員で落ち合って、ここからおさらばする予定だッ!いいか、その位置からのルートは――……』

 

 グレンが手短に、ジョセフ達へルートを告げる。

 

「オーケイ、オーケイ……ッ!」

 

『気をつけろ!あの怪物は大した相手じゃねえが…やつの手に触られたら、なぜか本にされちまう!後…もう、わかってると思うが、絶対に火は使うなよ!?この『裏学院』には、何か妙な”ルール”がある!』

 

「了解、了解」

 

 すると、グレンは次の生徒達に指示を出すためか、そこで一方的に通信を切った。

 

「よし、お前ら、聞いたな?さっさと行くぞ」

 

「わかりましたわ」

 

「ええ」

 

「了解」

 

 顔を見合わせて頷き合う四人。

 

 と、そんな彼らをあざ笑うかのように。

 

 するり、ずるり…新たな本の怪物達が、暗闇の向こうから迫ってくる……

 

「……な ん で、増えているのかなぁ…ッ!?ド畜生めッ!」

 

 ジョセフが頭を掻きながら、そう言い。

 

「アリッサ、お前は殿だ。俺が先導する。ウェンディは俺の後衛に、テレサはアリッサの後衛につけ。いいか、くれぐれもはぐれるなよ!?あと、何度も言うが、火は間違っても絶対に使うなよ!?」

 

 ジョセフはそう言い――

 

「じゃあ、突っ込みましょうかねぇ…ロックンロールッ!」

 

 ジョセフはそう叫び両手を構えて、本の怪物に向けて風の戦鎚を出しまくるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!一体、何がどうなっているんだ、こりゃ!?」

 

 生徒達に緊急用回線で通達を行い終えたグレンが、苛立ち交じりに吐き捨てる。

 

 そして、ホールの隅では。

 

「違う、私じゃない…私はこんなの聞いていないッ!私の責任じゃない……ッ!」

 

 マキシムが頭を抱えて、真っ青になって震えながら、弁明をしていた。

 

「どあほっ!言ってる場合かっつーの!?」

 

 ブン殴ってやりたい衝動を必死に抑えて、グレンが頭上の空間を見れば。

 

 そこには、未だ阿鼻叫喚の光景が、無数に映し出されていた。

 

 どの投射映像にも、本の怪物と慌てふためいて逃げ惑う生徒達の姿があった。

 

 グレンは先ほどから、なるべく近くの生徒達と合流できるように脱出ルートを指示し、被害を最小限に抑えていた。

 

 幸い、化け物の戦闘能力は高くないらしく、攻撃が効かないというだけで、左程の脅威ではないが――もう何人かの生徒達は、怪物によって本にされてしまっている。

 

 もちろん、グレンの生徒達もだ。

 

 ちくしょう、ふざけやがって……ッ!

 

 グレンの頭が沸騰しかけた――その瞬間。

 

「落ち着きなさい、グレン」

 

 グレンの心中を察したイブが、腕組みしながら冷ややかに言った。

 

「なぜか”本にする”という点に、何らかの意図が感じられるわ。恐らく、殺すのが目的じゃない。十中八九、彼らはまだ死んでない。救う手立ては――必ずあるわ」

 

「……ああ、わかってるよ!」

 

 ならば、今は――無事な生徒を一人でも多くこの『裏学院』から退避させることだ。

 

 本にされた生徒達を救うには、自分が取り乱して突っ走っては敵わない。

 

 今すぐこの部屋を飛び出して駆けつけたい衝動を必死に堪える。

 

 そして、グレンが再び避難誘導の指示を出そうと、投射映像を見上げ、宝石形の通信魔導器を取り出した――その時だった。

 

 ぷつん、ぷつん、ぷつん…頭上に浮かぶ投射映像が次々と消滅していく。

 

 これでは、避難誘導ができない。

 

「おいっ!?何、ふざけてんだッ!?いい加減にしろよ、テメェ!?」

 

 グレンがホールの隅で蹲るマキシムへ、食い殺さんばかりに吠えかかるが――

 

「ち、違うッ!私じゃない!私じゃないんだよぉおおおお――ッ!?」

 

 マキシムが恐怖に醜く歪んだ表情で、ぶんぶんと頭を振る。

 

「い、一体、何なんだ!?何が起こってる!?こんな異常なこと――この手記には、どこにも書いてなかっ――」

 

 震える手つきで、マキシムが『アリシア三世の手記』をぱらぱらめくると。

 

 そこには、ついさっきまで几帳面な文字で記載されていた、裏学院の建築日誌や日々の雑感、裏学院制御の魔術式に関する記述など――どこにもなかった。

 

 ただ、べったりとした血文字で――

 

 

 

 

 

 ――私を殺して私を殺して私を殺して私を殺して私を殺して私を殺して私を殺して私を殺して私を殺して私を殺して私ヲ殺シテ私ヲ殺シテ私ヲ殺シテ私ヲ殺シテワタシヲコロシテワタシヲコロシテワタシヲコロシテコロシテコロシテコロシテコロシテ――

 

 

 

 

 

「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!?」

 

 全身を舐め上げる怖気に、マキシムが思わず手記を取り落とす。

 

 すると、床に落ちた手記が、一瞬でパラパラの頁に解け…ばっ!と宙を舞った。

 

「な…なんだこりゃ?何が起きたんだ?」

 

 呆気に取られるグレン達の前で、漂う頁達はやがて生き物のようにうねって動いて、寄り集まり…頁が人型を形成していく。

 

 その紙の質感は、魔法のように変貌していき――

 

 やがて、一人の女性が、グレン達の前に姿を現していた。

 

 長い金髪をアップにした、中年女性だ。

 

 まるで王族か着るかのような豪奢なドレスを身に纏っている。

 

 女としてはとうが立って久しいが、不気味な美しさと魅力に溢れている。

 

 その蒼眼だけが、この暗闇の中でぎょろりと動き、爛々と光っていた。

 

 謎の女性の唐突な出現に、マキシムは悲鳴を上げ、腰を抜かしてへたり込む。

 

 百戦錬磨のイブですら、言葉を失って唖然と硬直するしかない。

 

「な…何者だ、てめぇ……?」

 

 思わず喉をついて出たグレンの問いに、その女は、にこりと嗤って答えた。

 

『アリシアです。……アルザーノ帝国第十三代女王にて、この学院の初代学院長…アリシア三世ですわ、くふっ、くふふふふ……ッ!』

 

 がくがくと身体を打ち震わせ、不気味に低く嗤うその姿、その壊れた笑顔。

 

 完全に正気を逸していることが、一目で理解できた。

 

『さて、マキシム様。私を使って、この学院にお越し頂き、まことにありがとうございます。貴方のおかげで、私は使命を果たすことができますわ』

 

「ひ、ひぃいいぃぃぃ……ッ!?」

 

 女の優雅な一礼に応じる余裕は、失神寸前のマキシムにはない。

 

『そして、ようこそいらっしゃいました、我が真なる学院へ。貴方も、私の”本”にしてさしあげましょう…永遠にこの私の力となるのです…さぁ――』

 

 ぞるり…女の両手が本の頁のように、ぱらぱらと解ける。

 

 その見るも悍ましい腕手が、マキシムへとざわざわと伸ばされる。

 

「や、や…やめぇ…ッ!?く、くる、来るなぁ……ッ!?」

 

 恐怖に硬直してしまったマキシムは、まったく動くことができず。

 

 女の腕手が、今、まさにマキシムを抱擁しようとしていた――

 

 ――その瞬間。

 

 銃声、銃声、銃声、銃声、銃声、銃声――

 

 銃口閃光の明滅と共に、女の身体が後方へ吹き飛ぶ。

 

 一呼吸で弾倉内の弾丸全てを撃ち尽くす、グレンの拳銃全弾掃射だ。

 

 こいつはヤバい――そう確信をもって直感したグレンは、その一瞬、迷わず、その女の全身の急所へ弾丸を叩き込んだのだ。

 

 ――殺った。

 

 歴戦の魔導士であるがゆえに、何をどうしたら人間が死ぬのか知り尽くしているグレンとイブは、反射的にそう確信するが――

 

『――くふっ。ひひひ……』

 

 むくりと起き上がるその女は――無傷。

 

 何一つ傷を負っていない。

 

「なん…だと……ッ!?」

 

「この人…あの本の化け物と同じ……ッ!?」

 

『あは、あははははははははははははははははははははははははは――ッ!』

 

 女は爛々と輝く目を剥き、今度はグレンへ猛速度で飛びかかってくる。

 

「グレン!?」

 

「ちぃ――ッ!?」

 

 間違いなく仕留めたと錯覚していたがゆえに、グレンとイブの反応が遅れて。

 

 その女の腕手が、グレンの目と鼻の先まで肉薄しつつあった――その時。

 

 ぱんっ!乾いた銃声一発。

 

 ばしゃっ!突然、女の胴に、インクのような黒いしみが放射状に出現する。

 

 否、そのシミは実際に、インクなのだろう。

 

 インクの饐えた匂いが、ぷん、と周囲に広がった。

 

 そして。

 

「……間に合いました」

 

 ホールに続く通路付近に、一人の少女が火打ち石式拳銃を構えている姿があった。

 

 その銃口からは、真新しい硝煙が上がっている。

 

「お前は――メイベル!?」

 

 グレンが、その少女を認識した瞬間。

 

 インクに染まった女が布を引き裂くような悲鳴を上げて、もだえ苦しみ始めた。

 

 そして、その女は手足からつま先から、無数の本の頁と解けて崩れていく。

 

 周囲に散っていく頁には、文字が読めないくらい、べったりとインクがついていた。

 

「ど、どうなってんだ?倒した…のか?なんで……?」

 

「”本”としての体裁が保てなくなったのです」

 

 唖然とその様を眺めるグレンへ、メイベルが告げる。

 

「は?”本”?」

 

「説明は後です。早くここを離れましょう。……彼女達が来ていますよ」

 

 ずるり、ずるり、ずるり……

 

 音が…このホールに繋がる廊下の奥から聞こえてくる。

 

 その何かが這いずるかのような音は、あの本の怪物の這いずる音だ。

 

「ええい、くそ!何がなんだかわかんねーが……」

 

「今は、あの子の言う通りにするしかなさそうね」

 

 先導するメイベルの背中を見送って。

 

 グレンとイブは、失神したマキシムを左右から支え、ホールを後にするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







切りがいいのでここまで

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