ロクでなし魔術講師ととある特殊部隊員   作:藤氏

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それでは、どうぞ


147話

 

 ――まるで、いきなり自分の演舞を全て忘れてしまったかのように。

 

 ざわり。ざわり。ざわ、ざわ……

 

 唐突なセリカの停止に、会場中に動揺が走る。

 

 楽曲が止まり、セリカの動きに合わせて動く魔王役のダンサーや、リィエル、ジニーも舞踊を中断せざるを得なくなってしまう。

 

「お、おい……?セリカ、どうした?」

 

 グレンも動揺を隠せず、楽屋裏からセリカの背中を覗き見ながら、問いかける。

 

「…………」

 

 だが、セリカは動かなかった。

 

 石像のように、まったく動かなくなってしまったのだ――

 

 

 

 

「な、なにがあったん?」

 

 ざわめく観客席の中で、突然動かなくなったセリカを見て、ジョセフが動揺を隠せないでいる。

 

 舞台上では、楽屋裏からグレン達が駆け寄りセリカに呼びかけている。

 

 だが、どんなに呼びかけようが、肩を叩こうが反応しない。

 

「――セリカッ!?おい、どうした!?しっかりしろ!?セリカッ!」

 

 グレンが、膝をついて呆然と呆けているセリカを激しく揺さぶると。

 

「――はっ!?」

 

 幾度かの呼びかけの果てに、ようやくセリカの目に光が戻った。

 

 どうやら、正気がもどったらしい。

 

 が。

 

(これは――)

 

 ジョセフは周りを見て、苦々しい顔をした。

 

 見れば、観客席は、しん、と静まり返っている。

 

 そして、舞台上に集まったスタッフ達が、心配そうな表情でセリカを囲んでいた。

 

 なによりも、会場は完全に白けてしまっている。

 

 どうなってしまったのか、もう言葉にする必要はなかった。

 

 奉納舞踊は――失敗してしまったのだ。……セリカのせいで。

 

「一体、なにが――」

 

 アリッサがセリカのことを心配そうにそう呟いた、その時だった。

 

 

 

 

 ――天を裂き地をどよもすような恐ろしき咆哮が、不意に辺りへ響き渡ったのだ。

 

 

 

 

 それは、遥か彼方上空からホワイトタウンを叩き付けるように降り注いできた。

 

 まるで街一つが平らに押し潰されてしまいそうな――そんな吠え声であった。

 

 途端、観光客達はざわざわと恐慌に陥ってしまう。

 

「…………」

 

 なにかが、圧倒的ななにかが、こっちに来る。 

 

 ジョセフとアリッサは、本能でそう感じとる。

 

「アリッサ………とりあえず、先生達の所に行くぞ」

 

「ん………」

 

 警戒態勢になったジョセフとアリッサがグレン達のところへ向かおうと席を立った、その時。

 

 変化は――気付かぬうちに起こっていた。

 

 寒い。この瞬間にも、気温がみるみる下がっていっている。

 

 元々、氷点下ではあったが、その寒気のステージの気温がさらに下がっていく。

 

 空気中の水分が一瞬で結晶化して、キラキラと輝くそれはダイヤモンドダスト現象だ。

 

 珍しく雲一つなかった、満天の星。

 

 それが急に発生した厚い雲でみるみるうちに覆われ、陰鬱な圧迫感を演出する。

 

 そして――不意に、吹雪き始めた。

 

 気温の際限なき低下に伴い、身を切るような凍風が吹き始め――吹き荒び――どんどんと強さを増していく。それに棘のような雪が混じり、その雪量も単位時間ごとに勢いを増し、世界をたちまち白く染め上げていく。

 

「ちょ、ちょっと待て――なんだこりゃ!?どうして急に!?寒ッ!?」

 

 明らかに異常気象であった。

 

 極寒と表現するには温すぎるこの極低音、数メトラ先も見えない猛吹雪。

 

 そして――空から迫ってくる何者かの、圧倒的存在感。

 

 再び、壮絶な獣の咆哮がホワイトタウンに叩き付けられ……大気がびりびりと震えて、悲鳴を上げた。

 

「先生!先生!なにか来る!ヤバいやつが来る!」

 

 ジョセフ達がグレン達のところへ向かい、空を見上げる。

 

「グレン……なにか、来る」

 

 見れば、リィエルが大剣を錬成し、空を見上げて身構えている。

 

「なんなの!?一体、どういうことなの!?」

 

 圧倒的質量を持つ巨大な怪物の接近……それを肌で感じとったグレンも、慌てて空に向かって身構える。

 

「≪照らせ灯火・我が指先に・光在れ≫ッ!」

 

 せめて、夜と吹雪が生み出す闇を照らそうと、システィーナが、黒魔【トーチ・ライト】の呪文を唱え、魔術の照明を撃ち上げた。

 

 そして、空に放たれた心細い光球の閃光に照らされて。

 

 ()()()は――荒れ狂う吹雪を真っ二つに割り裂いて、グレン達の前に舞い降りた。

 

「な――」

 

 目の当たりにしたその異形に、グレンは絶句するしかない。

 

 姿を現した()()()――その山の如き巨体は、白銀に光っていた。

 

 その巨木のように太い手足には、得もしれぬ暴力が漲っているのがわかる。

 

 大空に広がる翼は鋭く、天蓋を覆い隠さんほど大きく。

 

 この闇の中、この凍てつく冷気よりも尚も冷たく鋭く輝くは、蒼眼。

 

 生まれながらに人間の上位に君臨する絶対的強者。食物連鎖の頂点を極めし暴君。

 

 白銀に鈍く光る魔獣の帝王。白銀の竜。このスノリアで。

 

 そんな符号に、誰もが、とある単語を頭に思い浮かべた。即ち――

 

「「「「白銀竜!?」」」」

 

 そうとしか考えられなかった。

 

 あの伝説の白銀竜が、今、グレン達の前に降臨したのだ。

 

「え!?マジで!?アレ、マジで白銀竜なのか!?うっそだろ!?」

 

「そそそ、そもそも、なんでいきなり白銀竜が現れるんですか!?」

 

 狼狽える一同をなどまるで無視して、白銀竜はその巨体で奉納劇舞台上へ降り立った。

 

 当然、舞台がその莫大な体重を支えられるはずもなく、ばきばきと音を立てて、その四肢が舞台を突き破っていく。

 

 呆然と見上げるグレン達の前で。

 

 その山のような白銀竜が、その鎌首をもだげ、空に向かって大顎を開き――

 

「やっば――ッ!?」

 

「やべぇ!?お前ら、精神防御構えろぉ――ッ!?」

 

 ジョセフが危険を察し、グレンが、周囲の生徒達に警告した――その瞬間。

 

 竜の咆哮が、再度、辺りに響き渡った。

 

 その喉笛は大弓、叫ぶ言葉は流れ星。大気が震え上がらんばかりのそれは、人間の魂や精神を直接撃ち貫く凄まじい衝撃だった。

 

 途端、その超絶的な咆哮に晒された観客達の過半数が瞬時に失神し、残りが思考を真っ白に吹き飛ばされた白痴と化す。純然たる恐怖という名の鎖で縛られた身体は、完全麻痺し、恐慌が一時的に視力・聴力・触覚……あらゆる五感を失わせてしまう。

 

 竜の咆哮(ドラゴンズ・シャウト)打ちのめす叫び(スタン・スローター)】――それは竜言語(ドラグイッシュ)の一種であった。

 

「ぁああああああああ――ッ!くっそがぁあああああ――ッ!?」

 

「う、ぁあああああああああああ――ッ!」

 

 グレン、リィエルが、意地と気迫で竜の咆哮への精神的抵抗に、ぎりぎり成功する。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、は――」

 

 白魔【マインド・アップ】を咄嗟に唱え、魔術的に精神防御を構えたシスティーナも真っ青になり、過呼吸で今にも倒れそうになりながら、辛うじて意識を保っている。

 

「うひゃぁ……これ、マジもんだぞ……」

 

「……どうしろと……?」

 

「こ、これは……ッ!?どういうことなんですか……ッ!?」

 

 一方で、ジョセフとアリッサとルミアは平然としていたが――

 

「「「「…………」」」」

 

 フランシーヌ、コレット、ジニーの三人は、精神的抵抗に失敗。失神は免れたが完全に茫然自失してしまっていた。

 

 そして、ただの咆哮一つで、場の九割以上が行動不能となってしまった、この惨憺たる状態の中で。

 

 竜がグレンとセリカを――特に、セリカを真っ直ぐ見下ろし、その蒼眼で射貫く。

 

 そして、竜言語で、言ったのだ。

 

『久しいな、(セリカ)よ……』

 

「――ッ!?」

 

「……は?」

 

 その意味を取ることができるセリカが愕然と目を剥き、グレンがぽかんと口を開ける。

 

「ちょっと、待て……お前、なんで、セリカの名前を知って……?」

 

 だが、そんなグレンの独り言のような問いに答えず、白銀に輝く竜は続ける。

 

『さぁ、貴様が、私に刻んだ罪を清算する時が来たのだッ!貴様によりて、魔の者に貶められた我が身、我が積年の憎悪を、無念を、今、此処に晴らす時が来たのだッ!』

 

「ふ、ふざけんな!?私は、お前みたいな竜なんか、知らんぞ!?」

 

『知らぬなら――忘れたというならば、今一度、その身魂に刻め』

 

 そして、その竜は、その背の翼を、天を覆わんばかりに広げ――告げた。

 

『我が名は、ル=シルバ!――白銀竜将ル=シルバ!』

 

「白銀竜将……だと!?」

 

 白銀竜将ル=シルバ。

 

 竜がそう名乗った途端、竜の全身から暗黒のオーラが溢れ、漲っていく。

 

『決着を付けよう、空ッ!私は貴女との約束の地にて、貴女を待つ!』

 

 すると、竜はその広げた翼を、ばさりと羽ばたかせる。

 

 巻き起こる嵐のような爆風が、その場の人間達を木の葉のように四方八方へ吹き飛ばしながら、竜は空へと飛び立った。

 

「待て!お前はなんなんだ!?お前は一体、私の何を知っている!?」

 

 セリカの問いかけにも応じず。

 

 巨大な竜は、闇と吹雪の大空の向こう側に消えていってしまうのであった。

 

「くそっ……なんなんだ……ッ!?」

 

 セリカが屈み込み、雪を殴りつける。

 

「あの竜はなんなんだ……ッ!?私は一体、なんなんだ……ッ!?」

 

 雪舞い、荒れ狂う極寒の暴風の中――

 

「なんなんだぁあああああああああああああああああああああああああ――ッ!?」

 

 ――セリカの空しい自問自答が、霧散していくのであった。

 

 

 

 

 

 

 あれから眠れぬ一夜が過ぎ――事態は、限りなく深刻で最悪なままであった。

 

 謎の竜が姿を現わしたと同時に、明らかな異常気象がスノリアを襲ったのである。

 

 ただの自然気象としては、こんな北の高地でも決してあり得ぬ程の極寒の寒気と猛吹雪。

 

 過去の記録的寒波の気温と圧倒的に下方へぶっちぎる氷結地獄。

 

 ホワイトタウンの空は分厚い雪雲と、全てを白く塗り潰さんばかりの吹雪に覆われ、もう夜明けだというのに、まるで夜中のように冷えきった暗闇が支配している。

 

 下手をすれば、街中で遭難者・凍死者が出かねない、絶望的で逼迫した状況。

 

 ホワイトタウンの住民と観光客達は、家屋の中に引きこもり、寒さに震え、この異常気象が、いち早く終わってくれることを祈ることしか出来ない。

 

 そんな人々の祈りを嘲笑うかのように。

 

 寒気と吹雪は、時が経つほどにその強さを際限なく増していく。

 

 天候回復の兆しなど、微塵もない。

 

 今、スノリアに、滅亡の危機が訪れていたのだ――

 

 

 

 

 

「……今、状況は限りなく最悪と言えるでしょう」

 

 ホワイトタウン行政庁舎の大会議室に、急遽作られた災害対策本部にて。

 

 職員や市議会員、警邏庁関係者各位の前で、ジョン市長は痛ましそうに総括した。

 

「この史上類を見ない記録的な大寒波によって、今、スノリアの住民達の命は風前の灯火と言えます。何よりも不味いのが、この前代未聞の寒気。……ミリア」

 

「はい」

 

 ジョンに促され、秘書ミリアがその場に集う一同へ報告をする。

 

「この未曽有の寒気に、市議会は特A級緊急自然災害対策措置法を発令しました。戒厳令の下、市が備蓄している燃料を市民に全開放し、寒気を凌ぐというものです。通常、この備蓄燃料は中央の支援救助が期待できる一週間を、全市民が余裕をもって過ごすに十分な量があったのですが……その、寒気があまりにも強過ぎます。このペースで備蓄燃料を消費すれば……後一日も持たないでしょう。中央の支援は到底、間に合いません」

 

「な、なんてことだ……ッ!」

 

 ホワイトタウン警邏署の上層部や、市の行政庁職員、市議会員達が頭を抱える。

 

「脱出しましょう、市長!全市民、全観光客を逐次的に鉄道列車に乗せ、このホワイトタウンを脱出するしか、最早、道はありません!」

 

「残念ながら、それも不可能な状況です」

 

 警邏署署長の意見に、痛ましそうにミリアが続けた。

 

「通常、この寒冷地の鉄道線路には、熱石と呼ばれる素材が用いられており、線路の凍結を防いでいるのですが――この常識外れの寒気に、その熱石すら凍り付いたのです。今、線路は雪と氷で完全に覆われ、使用不可能。おまけに蒸気機関も凍り付いて完全停止したとの報告を受けました」

 

「そ、そんな……つまり……?」

 

「はい。我々は四方をシルヴァスノ山脈に囲まれたここスノリアに、完全に閉じ込められてしまったのです。この猛吹雪の中、人の足であの極寒のシルヴァスノ山脈を越えるなど、最早、人間に為せる業ではありません。我々は燃料切れによる凍死を待つのみ……そんな状況なのです」

 

 誰もが絶望に頭を抱える中、ジョン市長は必死に一同を叱咤する。

 

「この街の行政を司る我々が諦めてはいけません!必要なのは時間です!時間さえ稼げば、中央からの救援は必ずあります!それまで、何としても我々はこの寒気を凌がなければなりません!」

 

 そして、ジョンは考えられる限りの対策を、各関係者に指示していった。

 

「行政庁の皆さんは、備蓄燃料の総量と配分ペースをもう一度再計算してください。一日でも一時間でも長く保つように。それと警邏署の皆さん、ホワイトタウンの南西は、確か旧市街の廃棄区画だったはず。そこには、まだ処分されていない旧燃料庫や薪小屋が幾つか残っているはずです。急いでそれをかき集めて下さい。それに燃やせる廃屋は倒して燃料にしてしまいましょう。皆さん、ここが正念場です。どうか頑張ってください!」

 

「「「「はいっ!」」」」

 

 市長の力強いリーダーシップの下、職員達が一斉に動き始めた――

 

 

 

 

 

 

「……寒い……私達、どうなっちゃうの……?」

 

 椅子に座ったシスティーナが、不安げに白い息を吐いた。

 

 ここは市長邸の談話室だ。暖炉には赤々と炎が燃え、石炭ストーブもカンカンに焚かれているというのに……本当に燃えているのかと疑わしくなるほど室内は寒かった。

 

 せめて魔術を使えば、もう少しこの部屋の寒さもマシにはなるだろうが……この先、何が起きるかわからない。今は、魔力を温存するしかなかった。

 

「……今回も、問題発生とはな……最近、なにかありすぎやしないですかね?」

 

 ジョセフが壁に身を預け、そうぼやきながら、周囲を見渡す。

 

「くそ……とんでもねえことになってきたな……」

 

 グレンが防寒具の胸元を合わせながら、ジョセフと同じようにぼやき、周囲を見渡していた。

 

 不安げな顔なのは、システィーナだけではなかった。

 

 ここに集うルミア、リィエル、フランシーヌにコレット、ジニーすら、不安げな表情を浮かべて押し黙り、白い吐息を吐いている。

 

 アリッサはうんざりとした表情で、白い息を吐いていた。

 

 そして、今、誰もが気にしているが特にグレンが気になっているのは……

 

(教授……)

 

 気分が悪いと言っていたセリカは、この市長邸で借りた上の自室で休んでいる。

 

(にしても、あの竜……竜言語で確かに、空の名を呼んでいた。そして、自分のことを白銀竜将ル=シルバ、と)

 

 白銀竜将ル=シルバ。その名はジョセフも覚えていた。

 

 童話『メルガリウスの魔法使い』の第七章。とある地方を守護していた白銀竜が、魔王との戦いの末に敗北し、≪竜の鍵≫を刺されて、魔王の配下へと堕した時の名前だ。

 

 そう、やつは竜でありながら、魔王配下の魔将星の一柱だったのである。

 

(今さら、魔将星がなんで現実に?とは思わない。現に、魔煌刃将アール=カーン、これは先生から後に聞いたが、マリアンヌが持っていた炎魔帝将ヴィ―ア=ドゥルの≪炎の剣≫、ラザールが化けた鉄騎剛将アセロ=イエロと≪炎の船≫、そして今回の、白銀竜将ル=シルバ……)

 

 これだけの状況証拠が厳然と示している。

 

(……恐らく、『メルガリウスの魔法使い』はただの童話じゃない。超魔法文明と謳われた古代文明に関する、一定の真実を描いた”記録”。魔将星は実在し……連中を従え、あるいは支配していた魔王も、やはり実在の人物だったんや……)

 

 だが、そこで浮かぶ、一つの疑問――

 

(連中は……いや、ラザールことアセロ=イエロはまだわかるが、アール=カーンやル=シルバはなぜ、教授のことを知っているんだ?)

 

 これだけは、絶対的におかしいのだ。

 

(仮に魔王が実在の人物で、その配下の魔将星も実在したとして……連中は今からおよそ4000年から6000年前の時代の連中やで?どうして、そんな連中が現代を生きる教授のことを知っているんだ?)

 

 確かに、セリカは出自不明の永遠者で、400年前以降の記憶がない。

 

 だが、それでも僅か400年前の話なのだ。

 

(いくらなんでも、時代が違い過ぎる。記憶がなくても、永遠者でも、教授は近世の人間には違いないんや。連中が教授のことを知っているはずがないんや!アセロ=イエロに化けたラザール以外は)

 

 あるいは、永遠者だから、セリカは6000年前の古代からずっと生き続けてきた?

 

 ……それもあり得ない。

 

 なぜなら、セリカは400年前、目覚めてから自分の縁や痕跡を探して、国中をくまなく旅したらしいのだ。だというのに、その目覚めの400年前より以前、セリカがどこかで生きていた痕跡や形跡、セリカを知る者は、まったく見つからなかったという。

 

 6000年前も長々と生き続けていれば、何かしらの自分の縁の人間や痕跡が、帝国内のどこかに間違いなく残ったはずだ。ゆえに、6000年前から、セリカがこの世界にずっと生き続けた……というのだけはあり得ないのである。

 

 ……ん?待てよ?

 

(……それだったら、ラザールは一体、なんなんだ?)

 

 ラザールは200年前の魔導大戦でセリカと共に六英雄の名を連ねていた。

 

 しかし大戦後、妻子を失ってからは天の智慧研究会に外道魔術師として属し、一年前のニューヨークの同時多発テロ、フェジテ最悪の三日間を引き起こした。

 

 フェジテ最悪の三日間の時、ラザールは鉄騎剛将アセロ=イエロに化けたのだが。

 

(もし、ラザールがアセロ=イエロとイコールならば、ラザールは6000年前から生きていたというのか?)

 

 いや、そもそも。

 

(なんで、ラザールはアセロ=イエロに化けた?)

 

 くそ、これならあの男を捕縛して聞き出せばよかった。

 

 母親を殺された恨みであの男を殺してやる。結局、始末する直前にはそういった恨みはなくなっていったが、捕縛することを考えず、真っ先に始末した自分を恨んだ。

 

 ジョセフが苦々しそうな顔をしていた、その時だった。

 

「……失礼します」

 

 室内に、雪に塗れたジョン市長が、ミリアを伴って入ってくる。

 

「市長。……帰ったのか」

 

「ええ。一旦、資料を取りに。グレンさん………セリカさんのご様子はどうですか?」

 

「……上で寝てるよ。大分、まいってたからな」

 

「そうですか……」

 

 ジョンは痛ましそうに沈思し、そして、ストレートにグレンへと切り出した。

 

「一つ問います。先の奉納舞踊の際、私達の前に白銀竜が現れた。それは事実ですね?」

 

「……あんたは覚えているのか?市長」

 

 グレンは驚く。

 

 先ほど、一同の前に白銀竜が現れたという事実は、ここに居る連中以外は、ほとんどが覚えていないのだ。それに前後する奉納舞踊のことすら忘れている者が大半だ。

 

 あの竜の咆哮で、一時的に精神を破壊されたせいである。

 

 自分達の前に白銀竜が現れたということを、多くの人間が、朦朧とした意識の中で、白昼夢か何かだと認識してしまっている。

 

 なんとか意識だけは保っていたフランシーヌ達ですら、グレン達が事実だと伝えなければ、夢だったと片付けてしまいそうなほど、竜の咆哮の精神破壊は強烈だったのだ。

 

 今はただ、白銀竜が降臨したという噂だけが、市内をまことしやかに流れるだけだ。

 

「私もはっきりと覚えているわけではありません。ただ、おぼろげな記憶の中、白銀竜の姿を見たような気がして……気付けば、この異常気象でした」

 

「そうか……」

 

「そして、この異常気象……原因は、恐らくその白銀竜ですね?」

 

 すると、鋭いジョン市長の指摘に、グレンが嘆息した。

 

「ああ。数千年の時を経て、自我と智慧を獲得した古き竜はな……その支配領域一帯の自然現象と天変地異をも支配するんだ。白銀竜ともあろう竜が実在するなら、そりゃ間違いなく古き竜だろうよ。だったら、この異常気象は、間違いなく白銀竜の仕業だ……じゃなきゃ、こんな不自然は自然現象、ありえねえよ」

 

「……そうですか」

 

 ジョン市長が無念そうに目を瞑る。

 

 そう、あの場の誰もが薄々わかっているのだ……この事態の唯一の解決方法を。

 

「なぜ、あの白銀竜が突然、俺達の前に現れたのかはわからん。ここんところ、妙にきな臭かった≪銀竜教団≫が何かしたのか……それとも、もっと別の邪悪な思惑が密かに動いていたのか……今となってはわからんし、どうでもいい。ただ一つ確実なのは……」

 

 わかってて誰もが口にするのを避けていることを、グレンが敢えて代弁する。

 

「あの白銀竜を討伐しない限り――俺達、いや、スノリアに住まう全ての人間、生物が全滅だということだ」

 

 重苦しい沈黙が……一同の頭上にのし掛かる。

 

 竜退治。そんなものは、本来、軍が入念な準備の下に行う超大規模軍事行動だ。

 

 だが、こんな状況では、帝都からの救援など望むべくもない。

 

 今、ここスノリアにいる者達だけで、竜退治を成し遂げるしかないのだ――

 

「……先生」

 

 そんなグレンの心中を察し、システィーナがそっと進言する。

 

「童話『メルガリウスの魔法使い』において、正義の魔法使いは、”無数に連なる峰の、もっとも天近き頂”にて、魔王に支配された白銀竜……白銀竜将ル=シルバと対決しています」

 

「そこまで符号が一致してんのか。怖ぇな、何者だよロラン=エルトリア。……まぁいいや。……市長、この辺りで一番、標高の高い山はどこだ?」

 

 システィーナの意図を即座に察したグレンが、市長に問う。

 

「……?それは一体、どういうことなのでしょうか?」

 

「シルヴァスノ山脈第八峰――アヴェスタですわ」

 

 戸惑う市長に代わってミリアが答え、グレンは断言した。

 

「そうか。白銀竜のやつは、そこに居る」

 

「なぜそう断言できるのか、わかりませんが……でも、貴方達には何らかの根拠があるのですね?」

 

 すると、ジョン市長はミリアに頷き、指示を飛ばす。

 

「ミリア。すぐに、自警団と警備官に通達して、討伐隊の編成を――」

 

「それは、やめといたほうがええ」

 

 ジョセフの声に、一同の視線が集まった。

 

「竜相手に、”量”でぶつかっても犠牲が増えるだけやさかい。必要なのは、ひたすら”質”。もっと言うなら、この大寒波の中、まともに生存して山の頂上に辿り着き、戦闘行動を行えるのは、魔術師だけだ。ちゅうわけで――」

 

 ジョセフがグレンに振り返り、やるべきことはわかるでしょう?と視線を送った。

 

「――俺達がやる。他に魔術師がいねえなら、それしかねえだろ」

 

 ジョセフと同じ事を考えていたグレンの決意に満ちた声に、システィーナやルミアがはっとしてグレンを見る。

 

「毎度毎度のことで、本っ当に申し訳ねえんだが……白猫、ルミア、リィエル、ジョセフ、アリッサ。力を貸してくれ。お前らの力が必要だ。……わかるだろ?」

 

 すると。

 

「ええ、任せて下さい!」

 

「はい!頑張ります!」

 

「ん。わたしはグレンの剣」

 

 頼られたシスティーナやルミアが、嬉しそうに頷いた。

 

「さぁて、アリッサ。仕事だ」

 

「はぁ……これ、時間外とかでないのかしら……」

 

 ここに来ての、突然の大仕事にぼやくジョセフとアリッサ。

 

「待ってくださいな、グレン先生!」

 

「そうだそうだ!私達だってやれるぜ!?」

 

「はぁ……面倒臭い」

 

 すると、フランシーヌやコレット、ジニーも立ち上がった。

 

「ちょ……待ってください、グレンさん!いくらなんでも、そんな子供達に――」

 

 すると、ジョン市長が泡を喰って止めに入る。

 

「大丈夫だ、市長さんよ」

 

 だが、そんな市長へ、グレンは不敵に笑いかけた。

 

「こいつらは魔術師だ。ぶっちゃけ魔術師のレベルだけを見るなら、もうとっくに、俺を超えてるよ。それに竜退治の矢面に立つのは、こいつらじゃない。当然、俺と――」

 

「!」

 

「――いるだろう?世界最強の魔術師様がよ」

 

 グレンの言葉に、ジョン市長やミリアが、はっと息を呑む。

 

 そう、今、このスノリアにはいるのだ。世界最強の魔術師が。

 

 セリカ=アルフォネア。彼女ならば、あるいは伝説の白銀竜すらも――

 

「なんという僥倖……」

 

「そうか、セリカさん……ッ!彼女ならあるいは……ッ!」

 

「せっかくの奉納舞踊を台無しにしちまったんだ。……その分の返済はさせてもらうさ」

 

 そう言い残して。

 

 グレンはセリカに話を通そうと、その部屋を後にするのであった。

 

 

 

 

 








今回は、ここまでで

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