競技場の外周に等間隔にポールが立っており、その外側を飛行魔術で起動させた選手たちが風を切って飛び翔けている。
二人で一チームを作り、広大な学院敷地内に設定されたコースを、一週毎にバトンタッチしながら何十週も回る『飛行競争』の競技。
そして、今はそのラストスパート。観客席の生徒達は、競技場の外側を大きく回るように飛翔する選手達の、予想外な勝負展開に歓声を上げていた。
『そして、さしかかった最終コーナーッ!二組のロッド君がぁ、ロッド君がぁあああ――ぬ、抜いた――ッ!?どういうことだッ!?まさかの二組が、まさかの二組が――これは一体、どういうことだぁあああ――ッ!?』
魔術の拡声音響術式による実況担当者、魔術競技祭実行委員会のアースが実況席で興奮気味の奇声を張り上げている。一位、二位確定の先頭集団はそっちのけで、グレンの担当クラスである二組チームにご執心のようであった。
『そのまま、ゴォオオオル――ッ!?なんとぉおおお!?「飛行競争」は二組が三位!あの二組が三位だぁ――ッ!誰が、誰がこの結果を予想したァアアアアア――ッ!?』
洪水のような拍手と大歓声が上がった。
その拍手の発生源は主に、競技祭に参加できなかった生徒達からだった。グレン率いる二組とは別のクラスだが、何か共感できるものがあったのかもしれない。
『トップ争いの一角だった四組が最後の最後で抜かれる、大どんでん返し――ッ!』
一位は当然のようにハーレイ率いる一組だったが、前評判で勝って当たり前のハーレイの一組より、負けて当然だったグレンの二組の奮闘ぶりの方が会場の注目の的だった。
一方、競技祭参加クラス用の待機観客席にて。
「おー、やったなー」
ジョセフはロッドとカイの二人組が笑顔でこちらを見て手を振っているのを見て感心した。
(って、先生、目が点になってるで。まさかここまでやれるとは思わへんかった顔やな。でも、当然の結果かもな)
冷静に考えればこの結果は確かに当然の帰結とも言えた。
空を飛ぶ飛行魔術は、専用の飛行補助魔導器――昔は箒型の気流操作魔導器がよく用いられていたらしいが、今は指輪型の反重力操作魔導器が主流――を身につけ、黒魔【レビテート・フライ】の呪文を唱えることで発動する魔術である。
因みに連邦ではこの魔術は、人を乗せて空を飛ぶ機械――飛行機が実用化されて以降、急速に廃れていっている。
そんな飛行魔術の腕前を競うのが『飛行競争』であり、今回の『飛行競争』は学院敷地内に設定された一周五キロスのコースを二人で交代しながら計二十週するというルールであった。一周だけ見るなら瞬発的な飛行速度が重要だろうが、二十週ともなれば相当の魔力消費と疲労が予想される持久戦となる。元々、維持や制御が難しい飛行魔術には鋭敏な集中力も必要とされる。この条件下で好成績を残すには、事前に何度もコースを完走して、綿密なペース配分を確立しておくことが必須だ。
この一週間、この競技にだけを練習してきた者と、複数の競技の練習の片手間にしか練習してこなかった者や練習する暇がまったくなかった者とでは、ペース配分に関する練度と精度に必然的に差が出てくる。
実際、ロッドとカイは地力では他クラスの選手に劣っており、前半は最下位を低迷していた。だが後半、練習不足の他クラスの選手は皆、前半の激しい首位争いの結果、ペース配分を誤って失速、自滅。中には魔力切れで途中脱落してしまう選手すら出る始末。去年の『飛行競争』がごく短距離の速度比べだったことも災いしたのだろう。
色んな要因が重なり、その漁夫の利を得る形で二組が好成績をさらうことになった。
「幸先良いですね、先生!」
システィーナが顔を上気させ、興奮気味にグレンに話しかけた。
「飛行速度の向上は無視してペース配分だけ練習しろって、どういうことかと思っていましたけど…ひょっとして、この展開、先生の計算済みですか?」
「…と、当然だな」
(いや、計算してないだろ……)
いくら相手が、あの普段生意気で小姑のようにうるさいシスティーナとはいえ、そこまで感服されたような表情を向けられれば、もう、そう答えるしかなかった。
「俺はこうなることを、この学院全体に蔓延する『飛行競争』に対する認識からすでに読み切っていた…なにしろ今回の『飛行競争』は【レビテート・フライ】の呪文を使って、一周五キロスのコースを二人で交代しながら二十周する競技だ。一周だけ見るなら瞬発的な飛行速度が重要だろうが――」
(格好悪い後付け講釈やな…)
「――後は連中がペース配分間違って自滅するのを待つだけさ。だから、俺が指示したことは実に簡単だ。ペース配分は死んでも守れってな…ふっ、楽な采配だぜ」
席に深く背を預けて足を組み、余裕綽々な表情を掌で隠し、指の隙間から不敵にほくそ笑むその様は、いかにも大策略家な雰囲気を(見た目だけは)かもし出している。
そして、そんなグレンの後付け講釈をかたわらで聞いていた生徒達はすっかり勘違いして、グレンに畏怖と尊敬の目を向け始めた。
「ひょ、ひょっとして俺達……」
「あぁ…まさか…とは思ったが、先生についていけば、ひょっとしたら……」
グレンの顔から、魂が抜けていく。
また、観客席通路の向こう側から、土壇場で負けてしまった四組の生徒と二組の生徒達が言い争いをしているのが聞こえてくる。
「…ちっ!たまたま勝ったからっていい気になりやがって……ッ!」
「たまたまじゃない!これは全部、グレン先生の策略なんだ!」
「そうだそうだ!お前らはしょせん、先生の掌の上で踊っているに過ぎないんだよ!」
「な、なんだと!?くっ…おのれ二組、いきがりやがって!俺達四組はこれから、お前達二組を率先して潰しにいくからな!覚悟しろよッ!?」
「返り討ちにしてやるぜ!なんてったって俺達にはグレン先生がついているんだ!」
「ああ、先生がいる限り、俺達は負けない!」
(…ホンマに一位取れなかったらどないしよ……)
グレンの口から魂が抜けていくと同時に、ジョセフは顔を真っ青に内心冷や汗を流していた。
「あの…ジョセフさん?大丈夫ですか?なんか顔色悪そうですけど?」
「ハイ、イキテイルノデ、ダイジョウブデスヨ」
「?」
なぜか片言で返してくるジョセフに、テレサは不思議そうに首をかしげた。
それからもグレンのクラスの快進撃は、奇跡的に続いた。
成績的には平凡な生徒が初っぱな三位という好成績を収めたことが特に効いたのだ。
自分たちもやればできる。戦える。勝負においては士気の高さが何よりも重要であることを体現するかのような二組生徒達の奮闘ぶりだった。
さらに、使い回される他クラスの成績上位者が後に残された競技のために、魔力を温存しなければならないのに対し、グレンのクラスの生徒達はその競技だけに全魔力を尽くせるという構造的有利。
ジョセフを除けば、グレン本人すら気付いていなかったが、精神論を否定していたはずの他クラスの講師達が、実は魔術師としての体裁や格式に拘った非合理的な戦術を指導してしまっていたことに対し、過去に生きるか死ぬかの軍生活が長かったグレンは、表向き精神論を掲げていたが、勝つという一点に関してはどこまでもシビアで合理的な戦術を指導していたこと。――因みに数ヶ月前までレザリア王国・北部戦線で地獄を生き抜いてきたジョセフも、勝つことに関してはかなりシビアに見ていたため、ギイブルの提案を論外だと認識していた――
様々な要因が、グレンのクラスと他のクラスの地力の差を埋めていた。
『あ、当てた――ッ!?二組選手セシル君、三百メトラ先の空飛ぶ円盤を見事、【ショック・ボルト】の呪文で撃ち抜いた――ッ!?「魔術狙撃」のセシル君、これで四位以内は確定!?またまた盛大な番狂わせだぁあああああ――ッ!?』
「や、やった…動く的に狙いをつけるんじゃなくて、動く的が狙いをつけている空間にやってくるのを待ってろっていうグレン先生の言うとおりだ…これなら……ッ!」
成績が平凡な生徒達は、予想外の奮戦をして……
『さぁ、最後の問題が魔術によって空に光の文字で投射されていく――これは…ちょっと、おいおい、まさかこれは――な、なんとぉ!?竜言語だぁあああ――ッ!?竜言語が来ましたぁあああ――ッ!?これはえげつない!さっきの第二級神話性言語や前期古代語も大概だったが、これはそれ以上ッ!?出題者、解答者達に正解させる気がまったくないぞぉ!?さぁ、各クラス代表選手、【リード・ランゲージ】の呪文を唱えて解読にかかるが、ちょっと流石にこれは無理――』
「わかりましたわッ!」
『おおっと!?最初に解答のベルを鳴らしたのは二組のウェンディ選手!先ほどから絶好調でしたが、いくのかッ!?まさか、これすら解いてしまうのか――ッ!?』
「『騎士は勇気を宗とし、真実のみを語る』ですわ!メイロスの詩の一節ですわね!」
『いった――ッ!?正解のファンファーレが盛大に咲いたぁ――ッ!?ウェンディ選手、「暗号解読」圧勝――ッ!文句なしの一位だぁあああ――ッ!』
「ふふん、この分野で負けるわけにはいきませんわ。とはいえ…もし、神話級の言語が出たら、いきなり共通語に翻訳するのではなく、いったん新古代語あたりに読み替えろっていう先生のアドバイスには感謝しないといけませんわね……」
成績上位者は安定して好成績を収め続ける。
観客席も二組が参加する競技が始まる時は特に盛り上がった。
住む世界の違う成績上位者のみで構成されるクラスより、より住む世界の近いグレンのクラスの方が見ていて熱が入るのだろう。
そのクラスを率いるのが、良くも悪くも色々と話題の尽きない噂の新人講師ということもある。いずれにせよ、二組は今回の魔術競技祭の注目の中心にあった。
「ウェンディ、流石やな~」
ウェンディが『暗号早解き』で一位になると、ジョセフは心から賞賛していた。
特に最後のは竜言語を新古代語に読み替え、そして答えを出すところは落ち着いていた。普段このぐらい落ち着いていれば、成績は恐らくシスティーナに匹敵するのに。まぁ、そのドジが彼女らしいのだが。
「とはいえ…先生、やっぱり地力の差は……」
「ああ、大きいな」
グレンの方に話しかけると、グレンも冷静に戦況を見つめていた。
グレンとジョセフは競技場の端に据えられた得点板を見据える。
現在、グレンのクラスは十クラス中の三位。ハーレイのクラスは一位である。
一位から三位までは、それほど大きな得点差はない。だが、じりじりとハーレイのクラスに離されている感は否めない。
(ハーレイ=アストレイ。ちとお堅いが、伊達に天才というわけではないな。講師としての腕前は本物だ)
「ていうか、まぁ、よくここまで食い下がったもんだ」
「まぁ、本来ならば、ぶっちきりの最下位になってもおかしくないですもんね」
「お前ら、えらい。本当に俺の言うことを信じて、この一週間、皆、本気で一生懸命頑張って来たんだな……」
「本当は、金のためにやる気出してましたもんね」
「…お前みたいな勘のいい奴は嫌いだ……」
「でも、こうして見てみると……」
ジョセフとグレンは、ハイテンションで盛り上がりに盛り上がる生徒達を見た。
グレンの本当の動機が知らないとはいえ、皆、一丸となって、楽しそうに、一生懸命に勝負に挑み、皆で応援し合っているクラスメイトの熱い姿を見ていると――
「……ったく、勝たせてやりたくなっちまうだろが…あぁ、面倒臭ぇ」
「まったくです」
誰にも気付かれることなく、二人はそう言った。
「だが、どうする?ここまで健闘できていること自体、まぐれっつーか、奇跡の賜物なわけで、地力の差は歴然としているぞ……」
「ですよね、今は勢いで誤魔化していますけど、競技が進行すれば進行するほど、突き放されていきそうですしね」
個人競技の多かった午前と比べ、午後は配点の大きな集団競技が多い。ハーレイ率いる一組もここで本腰を入れてくるだろう。逆転が狙えるとしたらここだ。そして、逆転するには、依然、最高レベルの士気が必要だ。
グレンのクラスは三位。午前中に後、一つ順位を上げておきたい。
それが成せれば――午後にまさかの可能性が、ある。
「確か、次が『殲滅戦』がだったよな?」
「そうですね、正直不安ですよ。あいつらめっちゃ頼んできますもん」
「断ればよかっただろ……」
「あんな熱意見せられたら流石に断れませんって。まぁ……」
ジョセフは一呼吸置き。
「皆、一生懸命に勝負してるさかい、やるしかあらへんな」
そう言って、ジョセフは控室に向かう。
「まぁ、ちょいっと遊んできます」
「あぁ、頼む」
グレンがそう言うと、ジョセフはそのまま振り返らず控室に向かった。
「そして、確か、『殲滅戦』の次が午前の部で最後の競技だよな……」
グレンが手元のプログラム表を開いた。
それをしばらくの間、じっと見つめて……
「…なるほど。ひょっとしたら、いけるかもな」
グレンはにやりと笑った。
ジョセフは控室に向かう途中のこと。
「ジョセフ」
不意に、誰かに呼び止められた。
「ん~?」
システィーナだった。
「どしたん?」
「貴方、大丈夫なの?」
システィーナは見るからに不安そうに声をかけていた。
その後ろには、ウェンディやカッシュらが心配そうにジョセフを見ている。
「大丈夫って…大丈夫もなんも、やるしかないやろ?」
「でも、貴方ロクに練習とかできてなかったじゃない!?」
システィーナの指摘通り、ジョセフは他の生徒達の手伝いとかで、練習とかできていなかったのだ。
「はぁ……」
ジョセフは頭を掻きながら、ため息を吐く。
「それでも何とかしないといけないからな~。与えられた条件で最高の結果を残すのが、兵士の務めやで?」
ジョセフはシスティーナにしか聞こえないようにそう呟いた。
システィーナはそれでも心配そうな顔をしている。
「まぁ、見てみればええ。一位は取っちゃるけん」
ジョセフは悪戯っぽい笑みでそう言うと、きょとんとするクラスメート達を他所に、控室に向かった。
(とはいってもなー……)
心の中では、頭を抱えていた。
(例えば、森とかフィールドがそれになってくれればいいんだけどな……)
そしたら、まだなんとかなる。
ため息を吐きながら、内心では頭を抱えながら、控室で待機すること数分後。
遂に『殲滅戦』が始まるため、選手達は係の者の誘導でフィールドに入場した。
それぞれ所定の位置に移動する。
「さて、と……」
ジョセフは外見は余裕そうに、内心では――
(頼んます!森でお願いします!森!森!森!)
神に縋るようにそう願っていた。
ちらっと二組の観客席を見る。
(うへぇ…皆、大丈夫かって目で見てるよ。そんな目で見るならもうちょっと考えてほしかったな!ド畜生ッ!)
ジョセフは内心、悪態をついていた。
(うっは、これ森じゃなかったらどうしよ!?やっべ、どうしよ!?)
ジョセフは内心そう思いながら、皆を安心させるように右手の親指を立てた。
やがて、管理室からの制御呪文が起動する。
なんもない平坦なフィールドが姿を変えていき――
「――キタァアアアアアアアアアアア――ッ!」
フィールドは樹木が鬱蒼と生い茂っている森だった。
ジョセフはあまりの好条件に思わず叫ぶ。
(よっしゃ、よっしゃ、よっしゃっ!これでなんとかなる!)
もう小躍りしたくなる気分だった。
そして、審判からの合図を皮切りに――
午前の部での大一番の競技、『殲滅戦』が始まった。
実況者アースノーマット~