それでは、どうぞ。
「……いやぁ、本当に冷や冷やしましたよ……」
枢機卿会の終了後、ファイスは教皇の執務室にて、安堵の息を吐いていた。
「帝国と連邦とここまで話が進んでおいて、当日、首脳会談に参加できませんでした……なんて洒落にもなりません」
「お疲れ様でしたな、ファイス=カーディス司教枢機卿殿」
そんなファイスを労うように、フューネラルが言った。
「これというのも、全て、フューネラル様のお陰です」
「いえいえ、私はほんの少し後押しをしただけに過ぎません。僅差とはいえ、最終投票で融和派が勝ち得たのは、貴方の尽力の賜物。平和を願う貴方の思いが勝ったのです」
「それでも、貴方がいなければ、到底ここまでは来られなかった。貴方が強硬派を抑えてくれたお陰で、王国と帝国は今日まで戦争を起こさずに済んだのです。連邦とは残念ながら、戦果を交え、両国に大勢の犠牲者を出しましたが、それも、貴方がいなければ王国はとうの昔に滅んでいたことでしょう。四年前の教皇選挙で勝ったのが、アーチボルト卿ではなく貴方で、本当に良かった」
「ははは、懐かしいですな。枢機卿としては新参者の私が勝ったあの時は、奇跡だなんだと、周囲からよく揶揄されたものです」
当時を思い出し、フューネラルは穏やかに笑った。
「だが……油断は禁物ですよ?ファイス司教枢機卿殿」
「……ええ、重々承知しています」
不意に声のトーンが変わったフューネラルに、ファイスが静かに頷く。
そんなファイスへ、フューネラルは改めて確認するように言った。
「アーチボルト枢機卿……帝国の武力併合を目指す強硬派の最右翼にて、もっとも力を持っている傑物であり、強硬派きっての切れ者。和平反対派の筆頭です。
これまで宗教浄化政策を強力に推進して成功を収め続け、彼を支持する者は教皇庁内に多い。おまけに、未だ虎視眈々と教皇の座を狙う野心家であり、黒い噂も多い。四年前の前教皇の急な崩御も、彼が裏で関わっている……とも」
「証拠はありませんけどね。でも、状況があまりにも出来過ぎてはいました」
「首脳会談当日に何が起きるかわかりませぬ。ファイス殿、くれぐれも気をつけるようにお願いします。貴方の双肩に、我等がレザリア王国の未来がかかっているのですから」
「はい、重々承知しております」
「それと……気になる件がもう一つあるのです」
すると、フューネラルは、ファイスへ一枚の報告書を差し出した。
「これは?」
「帝国と連邦、クスコ帝国の首脳会談と並行して行われる魔術祭典……帝国側の代表選手団のリストです」
「代表選手団の?これが一体、どういう……?」
訝しむファイスがリストに載っている名前を、流し見て行くと。
とある名前が目に入ると同時に、ファイスは信じられないという表情で硬直し、その名前を凝視した。
「馬鹿な!?なぜ、
「ええ、密かに調査を入れました。間違いなく、貴方の想像通りの子です」
「……ッ!?」
「偶然、普通に考えれば偶然ですが、これを偶然と片付けて良いものでしょうか?この時期、このタイミングで、この子が、かの地に立つことが果たして……?」
「偶然と……信じたいですね……ですが……」
「そう、”偶然”は少し根回しすれば、容易に”必然”に出来ます。ましてや、魔導の業を振るうならば……特に」
「そうですね……警戒は必要でしょう」
深刻な表情で、フューネラルとファイスが言った。
「フューネラル様。これからは、常に最悪の状況を想定して動きましょう。これがもし、偶然ではなかったら……そこに何者かの何らかの意思が介在し、動いていたとしたら……下手をすれば、王国と帝国・連邦の決裂程度では済みません」
「……
「…………」
押し黙る二人。緊迫した二人の表情に、嘘や冗談の色は欠片もなかった。
「……フューネラル様」
「ええ、わかっています。
「我等が教会の切り札……この時期にあまり、帝国・連邦側を刺激したくありませんが……致し方ありませんね。事は密かに、穏便に、そして、迅速に……」
そして、これからの動きを模索し、ファイスとフューネラルの話し合いは、深夜を過ぎて続くのであった――
――同時刻。
「ふん。まったく話にならないな」
豪奢な司祭服に身を包んだ男が、己の執務机で苛立たしげに吐き捨てていた。
ファイスに負けず劣らずの美貌を持つ男だ。
ファイスと同じく、四十過ぎとは思えない若々しい容姿だが、穏やかなファイスとは違い、目は鋭く、表情は常に険しく、他者を拒絶するような攻撃的な相貌だ。ほんの少し悪い顔色が、病的な雰囲気を演出している。
アーチボルト枢機卿。
聖エリサレス教会教皇庁、強硬派の筆頭である。
「あの下劣な異端者どもと手を組もうなど、ファイス司教枢機卿も、フューネラル教皇聖下もどうかしている。やはり四年前の教皇選挙で、僕が勝てなかったのが痛い……」
思い返せばほろ苦いでは済まされない屈辱の記憶だ。
四年前の教皇選挙……アーチボルトがあれだけ裏で手を回して、邪魔者は密かに”排除”して、揺るぎない勝利……しかも圧勝を確信した戦いだった。
だが、僅差で負けた。枢機卿としては新参者に過ぎないフューネラルに。
なぜ負けたのか、今考えても理解できない。まるで、大いなる神の意思が裏で糸を引いていたかのような……あまりにも奇妙で理解不能な負け方であったのだ。
「まぁいい。過去の話など、どうでもいい……おい、エレノア。居るか?」
すると。
「はい、御前に」
いつの間か、部屋の隅に、まるで闇を纏っているかのような女が佇んでいた。
黒の喪服を纏った二十代の女だ。どこまでも昏い瞳に渦巻く闇。
その場に在るだけで、周囲の闇がより一層深くなるようなその女の名は、エレノア=シャーレット。天の智慧研究会内陣・第二団≪地位≫である。
「首尾は?」
「……予定通り、
すると、アーチボルトは凄絶な微笑みを浮かべた。
「ククク、恐ろしいな。君達の魔導の業は。まさか、本当にこうなるとは」
「ええ、私も驚いているところでございます」
エレノアが感服したように、言った。
「
そして、エレノアは皮肉げに、それでいて楽しそうに微笑む。
「万が一、彼女が選手団漏れをした時に備え、私は彼女をかの地へ誘致する裏回しを、幾つも用意していたのですが……あの方が仰る通り、全て無駄になってしまいましたわ」
「成る程、これが天の智慧研究会の力か。君が言う、
アーチボルトは、肩を震わせて含むように笑った。
そんなアーチボルトへ、エレノアが警告するように進言する。
「しかし……ここまでは重畳ですが、楽観はしていられません。フューネラル教皇聖下がついに、
「ふん……切り札共が」
エレノアの言葉に、アーチボルトがぴくりと眉根を上げる。
「恐らく、彼女の件を偶然とは考えず、最悪の事態を想定して手を打ったのでしょう。あの二人を正面切って止められる者など、セリカ=アルフォネアくらいのものです。さしもの私も……あの二人と正面切って戦うのはご免被りたいですね」
「ふん……ファイスとフューネラルの裏切り者め。教会に仇為す異端者共め……どこまでも……」
アーチボルトは忌々しそうに吐き捨てるが。
「……だが、この僕が連中のそんな動きを予想できなかったと思うか?」
「と、いうことは?」
「当然、対策済みだ。切り札共は僕らにとって何ら脅威になり得ない。それどころか――あの二人は、こちら側の切り札となる」
「……頼もしい限りですわ、アーチボルト枢機卿猊下」
自信に満ちたアーチボルトの言葉に、エレノアは薄っすらと笑った。
「貴方の悲願が成ることをお祈りしております。大導師様の御意思に従い、天の智慧研究会は全面的に、聖エリサレス教会強硬派を支援致します」
「ふん……」
そんなエレノアを冷ややかに流し見て、アーチボルトは胸中で舌を鳴らす。
(何が支援致します、だ。この邪悪な異端者め。神の敵め。火炙りにされたいか?)
だが、天の智慧研究会の協力がなければ、失われたはずの
アーチボルトの野望を達成するには、
(どうせ、貴様らのことだ……僕が
そう、そのために、アーチボルトは人生を捧げてきた。
すでに、腑抜けたレザリア王家や諸侯共は手中にあり、アーチボルトの意のままだ。
後、邪魔なのは、ファイスとフューネラル。だが、それも近日中にカタがつく。
最大の問題点である戦力も、
(この世界は、本当に堕落しきっている。真の信仰、真の神をまるで理解していない。この僕がそんな世界を啓蒙してやる。かの≪信仰兵器≫の威によってね……)
にぃ……と。アーチボルトが口元を禍々しい笑みの形に歪めた。
(まずは、帝国の腐れた異端者共を殲滅し、帝国を武力併合、分かたれた二つの教会を統一し、僕はエリサレス統一教皇の座につく。そして、それによって得た国力を基盤に、≪信仰兵器≫によって、世界の全ての信仰を浄化していき、この世界の国家全てを、我々聖エリサレス教皇庁が支配し、正しき信仰によって管理・運営するのだ。ああ、あの忌々しい、世界最大で最悪の癌である連邦はこの世界から消えてもらおう。
そう、この僕が、この世界の人間の全てを正しく教え導く救世主となる――)
そんな野望を胸に。
アーチボルトは恭しく退室していくエレノアの背を見送るのであった。
「それを、世間では”傲慢で無知”というのだよ、アーチボルト卿」
どこかの質素な部屋で、男は誰へともなくそう呟く。
「この世界は正しいものは一つとは限らないんだ。神も然り、正しい、間違っているというのは厳密には……ない」
この男はアーチボルトの思惑を読んでいたのか、それとも、偶然なのか。
「それに、露骨に世界を支配できた国なぞ、いままでの歴史の中で達成できた国はないんだ。帝国を武力併合しようとしても、成功するとは限らない。併合ができたとしても、その後は自分達の思い通りにはならない。そこを理解できているかいないかで、上手くいくのか、悲惨な結末になるのか、結果は違ってくるのさ」
だが、彼が呟いている内容は、アーチボルトの野望を読んでいるかのようであった。それも遥か遠くにいるにもかかわらず、だ。
「まぁ、要するに、君は救世主になれないんだ、アーチボルト卿。いいや、私がさせない。せっかく面白くなってきた劇を、彼の野望で台無しになってしまうのは流石に我慢ならないからね」
そう、誰へともなく。
男はそう呟き、立ち上がる。
外は辺り一面大海原。
その大海原に、船が間隔を開けて浮かんでいる。航行している。
大きな船もあれば、小さな船もある。その数、十六隻。
十六隻の船は、大海原の波を切り裂くように航海している。
目的地は、北セルフォード大陸の南東部にある連合国家『セリア同盟』。
そこから男も含めた要人一行は、船を降り、魔術祭典があり、首脳会談が行われる自由都市ミラーノへ向かう。
「まぁ、彼の野望を阻止したい者は帝国にもいるだろうしね。どうしようもなくなった時まで、”見”ておこうかね」
部屋の小さな窓から外を眺めながら。
連邦海軍第二艦隊に同乗していた、連邦中央情報局長官アレン=べデル=ヴァンデンバーグは誰へともなくそう呟くのであった。
今回は、ここまでで。