22話
「あれ、先生?」
学院に向かう途中、ジョセフは十字路に、見慣れた人物がいた。
グレンである。
「おう、ジョセフか。おはようさん」
グレンはいかにも「俺、スゲェ眠いです」と言わんばかりの仏頂面で挨拶を投げかける。
「どうしたんです?ここで、誰かと待ち合わせですか?」
「……別に。俺、朝の散歩が好きで休んでただけだし」
「あ、先生!おはようございます!」
「……むむ。今日も連続遅刻しない記録が更新されるわね」
いつも見慣れた二人組が見えてきて、こちらに近づいてくる。
「おー、フィーベルとティンジェル。おはよう」
「おはよう、ジョセフ」
「あ、ジョセフ君。おはよう」
「……おはようさん、お二方」
それぞれが挨拶するなか、グレンは相変わらず、仏頂面で挨拶をする。
「あはは、もう、先生ったら…私のことなんか気にしないで、朝はもっとゆっくりしててもいいんですよ?」
「……別に。俺。朝の散歩が好きなだけだし。たまたま、お前らと通学に使う道が一緒な上に、偶然、お前らの通学時間帯と被るだけだし」
グレンとジョセフは並んで歩くルミアとシスティーナの二人の数歩後ろについて、二人と共に歩き始めた。
「そういうことか」
「どういうことだろうな?」
ジョセフは納得した。
ルミアが『天の智慧研究会』に本格的狙われていると判明して以来、グレンは極力、ルミアの登下校に護衛としてついてくるようになった。
だが、グレンは講師で、ルミアは生徒である。学院内では事情を知らない講師、生徒達から、ルミアに対してやたら必要以上に干渉しているように見えるグレンへ、ストーカーだの、生徒に色目を使うクズ講師だの、様々な心ない中傷が飛び交うようになった。元々、グレンは好く人には好かれるが、嫌う人には嫌われるタイプの人間だ。グレンを疎ましく思う者達にとっては、絶好の攻撃ポイントだった。
それにルミアは飛びきりの器量好しであり、美人だがやや尖っている(根は優しいが)システィーナとは異なり、物腰柔らかく、誰に対しても分け隔てなく優しく接する少女だ。そのためルミアは学院内の男子生徒達からの人気も非常に高い。そんなルミアがグレンの過干渉に満更でない様子も、グレンに対するやっかみに、さらに拍車をかける。
グレンが担当する二組のクラスの生徒達こそ、グレンに助けられ(ジョセフも助けてるが)、グレンのことをよく知っているため、そういうことはないが、グレンは図らずとも学院内の男子生徒の多くを敵に回してしまっているのである。
だが、そんな誹謗中傷や悪意など、なんのその。
グレンは何一つ弁解も反論もせず、こうして淡々と、己が為すべきことだと判断したことを行い続ける。その図太さ、ある種、信仰に殉ずる聖者にも似たその一途さには、ルミアも、傍から見ているシスティーナとジョセフも素直に敬意を払わざるを得ない。
自分のせいでグレンに非難が集まってしまうのを心苦しく思うが、その行為を止めてくださいとは、ルミアにはとても言えない。それはグレンの信念を蔑ろにする行為だ。
「じゃあ、今日もよろしくお願いしますね。いつもありがとうございます、先生」
だから、ルミアはいつもどおり、きちんと感謝を表明するだけだ。
「へー、いつもティンジェルを護衛しているんやな」
「あっはっは。なーんのことだか、俺にはサッパリ」
ジョセフはグレンを見、グレンはおどけて応じる。
「それはそうと、ジョセフ君?」
「ん?どした?」
ジョセフは、ルミアの方に振り向くと。
「もうそろそろ、呼んでもいいんじゃないかな?」
「へ?何を?」
何を呼べばいいんだ?っとジョセフは何のことなのかわからず、ルミアを見る。
「女の子の名前呼び」
「へぇ?」
ルミアの突然の言葉にジョセフは間抜けな声をだす。
「いや、そりゃ、確かに女子の方はウェンディ以外は苗字で呼んでいるけど…どうしたん?急に」
「えっと、何か苗字で呼ばれるとなんか他人行儀みたいな感じだし、もう仲間だからいいんじゃないかなって。私は名前で呼ばれたいな」
何か意外とぐいぐい来るよな、彼女って。
ジョセフは頭を掻き。
「……わかったよ。ルミア」
「ふふっ、はい」
ルミアが微笑む。なんとなく男子生徒から人気がある理由がわかった。まぁそのルミアはグレンのほうに好意を寄せているんだが。
「あ、そういえば、先生。今日、編入生が来るんですよね?」
「ああ、そうだ。仲良くしてやってくれよ?」
「でも珍しいですよね?こんな時期にやってくるなんて……」
他愛のない会話を交えながら登校する、見慣れた光景。
だが。
その日は、そんな光景に異物が紛れ込んでいた。
「……あれ?」
ふと、システィーナが気付く。
学院正門へと続く上り坂の麓に、学院の制服に身を包んだ小柄な少女が背を向けて佇んでいた。
「あれは?」
その少女は遠目にもわかるその鮮やかな淡青色の髪は帝国では非常に珍しい色合いの髪だ。
(あいつ…もしかして)
ジョセフは見覚えがあった。
(まさか…何で学院の制服を?編入性って、特務分室の連中が?)
ジョセフが推測を立てた…その時だった。
こちらの気配を感じたらしく、その青い髪の少女がくるりとこちらを振り向くや否や。
少女は、何事か呟きながら石畳に手をつき、引き上げた。
(……は?)
ジョセフは、硬直する。
引き上げられた少女の手には、いきなり武骨な大剣が出現していた。
大剣を手に取った少女の視線は間違いなく、こちらをしっかり捉えていて――
次の瞬間、剣を振りかざし、地を蹴り、少女が駆け出す。
こちらに向かって一直線、空間をすっ飛ばすような物凄い速度で駆け寄ってくる――
この突然の事態に、システィーナとルミアは真っ青になって硬直していた。
(あの馬鹿、どういうつもりや!?)
ジョセフは大剣で彼女が特務分室所属執行官ナンバー7『戦車』リィエルだと確信した。
その彼女がどういうわけか大剣を振りかざし、こちらに向かってくる。
システィーナは恐怖に飲み込まれ、完全に動けないでいる。
「まずい。お前ら!」
システィーナとルミアを庇うように前に出てM1911を取り出そうとした――その瞬間。
向かって来るリィエルが、だんっと一際強く地面を蹴って、空高く跳躍した。
「……え!?」
そのままリィエルはジョセフとルミアとシスティーナの頭上を大きく飛び越えて、後方へ。
そして。
「どぉおわぁああああああああああ――ッ!?」
素っ頓狂なその悲鳴で、ジョセフとルミア、そして我に返ったシスティーナが背後を振り返ると。
そこには、躊躇いなく振り下ろされたリィエルの大剣を、辛うじて頭上で白刃取りすることに成功したグレンの姿があった。
「な、な、何しやがんだテメェえええええ――ッ!?殺す気か!?」
グレンは顔色を真っ青にし、涙目でガクブル震えながら、自分に剣を振り下ろしてきたリィエルに吠えかかっている。
「……会いたかった。グレン」
ぼそりと。
剣を振り下ろしたリィエルは、眠たげに細められた目で、無表情にそんなことを告げる。
「いや、言ってることと、やってることちゃうやろ……」
会いたかったと言いながら、殺すやつがどこにいる。
「やかましい!質問に答えやがれ、リィエル!こりゃ一体、何のつもりだ!?」
吠えながら、グレンは大剣から手を離し、その場から素早く飛び下がる。
「挨拶」
「どこが!?」
思わず、突っ込みを入れるジョセフ。
「挨拶だとぉ!?てめぇ、挨拶という言葉を辞書で百万回くらい調べてきやがれ!?」
すると、リィエルがほんの少しだけ、不思議そうに表情を揺らす。
「……違うの?」
「違うに決まってる!」
死人出るわ。
「でも、アルベルトがそうって言った。久々に会う戦友に対する挨拶はこうだって」
「連邦軍も真っ青になる挨拶だな!」
一体、普段どういう挨拶してるんだ特務分室の連中は。
「んなわけあるかッ!?てか、アイツの仕業かッ!?くっそぉアルベルトのやつ、そんなに俺が嫌いか!?覚えていやがれ!ちっくしょーッ!」
ぜったいこの子が適当に言っているようにしか見えないんですが。
「……痛い。やめて」
グレンは喚きながらリィエルの頭にヘッドロックをめりめりと極めている。
「なにこれ……」
「あの…先生?その子は……?」
ルミアが曖昧な笑みを浮かべながら、グレンに問いかける。
「あれ?そう言えば、その子、この間の魔術競技祭の時の……」
ルミアはふと、今グレンに埋まっている少女に見覚えがあることに気付いた。
「あぁ、そうだ、覚えていてくれたか。ところで、お前ら。俺が昔、帝国軍の宮廷魔導士団に所属していた時期があったってのは話したっけな?」
「いえ、私は…でも、なんとなくそうなんだろうな…とは思ってましたけど……」
「まぁ、先生のことはデルタでも有名ですからねぇ」
システィーナはぼそぼそと応じ、ジョセフは最初から知っていたという風に応じる。
「そうか。まぁ、いい。それで、リィエル…こいつはその俺の魔導士時代の同僚だ。ルミアは直接会ったし、ジョセフは、まぁ、会う前から知っていたようだし、白猫も顔くらいは知っているよな?まぁ、お前が会ったのは、ルミアが変身していたやつだが」
システィーナはリィエルをじっくりと見て。
「な…なんだぁ…刺客じゃなかったのね…よ、よかった……」
気が抜けたのか、システィーナはがっくりとその場に膝をついて、安堵の息を吐いた。
「で、だ。…もう薄々感ずいていると思うが、こいつが噂の編入生だ。表向きはな」
「……表向き、ですか?」
ルミアが首をかしげる。
「なるほどな。つまりルミアの護衛っというわけか」
「ああ、ご名答だ。なんでも帝国政府がルミアを正式に警護することを決定したらしくてな。で、一応、帝国宮廷魔導士団に所属する魔導士のこいつが派遣されたらしい」
「そ、そうだったんですか…それにしてもこの子が魔導士…凄いなぁ……」
システィーナは目を丸くしてリィエルを見つめていた。帝国宮廷魔導士団といえば帝国最高クラスの魔導士が集まる精鋭集団だ。見た目が自分達と同い年ながら、その一員になっているのだから無理もないことだろう。
そしてシスティーナはこちらを見つめる。
「何や?」
「そう思ってみると、貴方も凄いわよね」
「……最初はすごい青ざめて先生の後ろに隠れられたがな」
「う…あれは、その…ごめんなさい」
「いや、別に謝らんくてもええで。システィーナの反応が当然やと思うから」
三百人も殺した相手が目の前にいるなら、まともな人ならあんな反応するのが当然である。ていうか、むしろこうしていられるところが、彼女のお人好しが現れているような気がする。ルミアもだが。
「ところで先生、でもこれはちょっと人選ミスのような気が……」
「ああ、かなりの人選ミスだ」
ジョセフの言葉に返答し、グレンは頭を抱えて言葉を続ける。
「なんてたって、暴走脳筋イノシシ娘、ナチュラルボーン破壊神、がっかり斬殺天使、一緒に任務に就きたくない同僚ランキング万年ぶっちぎりナンバーワン、連携作戦を台無しにすることに定評があり、作戦なんて立てる意味ないだろう、だってリィエルがいるから、と各軍閥から太鼓判のリィエルだぜ?どう考えても人選ミスだろうが。ったく、特務分室の連中何考えてんだ?頭おかしくなったか?」
「物凄い評判やな……」
不安になってきた。護衛というのはかなりデリケートな任務で、高度な状況判断能力を求められる任務だ。
そんな高度な任務をたった今、大剣を振り回していた彼女には全然向いているわけがない。
(こりゃ、いるな。本命の護衛が)
いなかったら、グレンの言うとおり、頭がおかしくなっていることになる。
「リィエル…だよね?久しぶり…になるのかな?」
早速、ルミアが挨拶しようと、リィエルに向き合った。
「ん」
「改めて自己紹介しますね?私がルミア、ルミア=ティンジェルです。で、この子が私の友達のシスティ…システィーナ。あと、確か魔術競技祭で会ったと思うけど、彼が最近この学院に編入してきたジョセフ君。帝国宮廷魔導士団の方が来てくれるなんてとても心強いです。これからよろしくお願いしますね?」
「……ん。任せて」
すると、リィエルはほんの少しだけ胸を張って、やっぱり無表情にこう言った。
「大丈夫。グレンは私が守るから」
「え?」
「……は?」
「……おい」
あまりにも意味不明なことを、さも当然のように言うリィエルを前に、ルミアとシスティーナが目を点にして硬直し、ジョセフは呆れかえる。
「俺じゃねぇええええええええ――ッ!?俺を守ってどうすんだ、このアホ!?」
ぐりぐりぐりっと、グレンはリィエルのこめかみを両手の拳で挟んで抉った。
「痛い。やめて」
「あのなぁ――ッ!?リィエル、お前、任務を理解してるか!?お前が守るのはこいつだ、こいつ!この金髪の可愛い可愛いルミアちゃんな!?オーケイ!?」
「……?なんで?」
「なんで?じゃねえよッ!?お前、作戦説明、受けなかったのか!?」
「……よくわからないけど。わたしはルミアより、グレンを守りたい」
「黙れ!やっかましい!そんなわけわからん要望通るか、アホ!?」
グレンが頭をがりがり掻き毟りながら嘆き叫ぶ。
「つーか、本当に、なんでよりにもよってリィエルなんだよ!?はいはい、どこをどう考えても人選ミスですッ!本当にありがとうございましたッ!特務分室の連中、マジで何考えてやがんだ、狂ってんのか!?」
ぽかんとした表情のルミアとシスティーナ、頭を抱えるジョセフの目の前で、眠たげな無表情のリィエルに対し、グレンが一方的にぎゃんぎゃんと騒ぎ立てる光景が延々と展開されていく。
(……めちゃくちゃ不安だ……)
最初から不安だったが、さらに不安になってきた。
「……大丈夫…なのかなぁ……?」
「まったく大丈夫じゃないような気がします。はい」
「……私も同感だわ……」
三人はその光景を前に、一抹の不安を覚えざるをえなかった。
今回はアメリカの首都、ワシントンD.Cです。
人口60万人。連邦政府の下の地方自治体であり州に属さない自治体です。アメリカ合衆国の首都であり、連邦政府の本部が置かれています。アメリカは都市を政経分離しており、最大都市のニューヨーク市と比較すると、非常に小規模な街です。
しかし、ここは超大国アメリカの首都。国際的な政治的影響力を持つ世界都市であり、また金融センターとしても高い重要性を持つ都市です。
因みに治安はあまりよろしくなく、特に1990年代初頭はあまりのひどさに「殺人の都」と呼ばれていました。