サイネリア島波止場周辺にある観光客向けの観光街の一角に、今回の魔術学院の生徒達が寝泊まりするその旅籠がある。
帝国暦の中でも『ワルトリア朝』と呼ばれる古き良き時代に流行した古式建築様式で建造されたその旅籠は、本館と別館の二つの邸宅からなっており、領地持ちの地方貴族が所領に建てるカントリー・ハウスのような壮麗さと、旧時代の懐かしさとを同時に兼ね備えていた。
その趣は、鋭角の屋根が特徴的な『サーサン朝』式――フェジテの建造物に主に用いられる新式の建築様式――とは異なり、アーチ型の各種意匠と尖塔、石柱などが特徴的となっている。因みに魔術学院校舎もこの『ワルトリア朝』式だ。
エントランス・ホールの高い天井から釣り下がる豪奢なシャンデリア、オーク材の螺旋階段の手すりに施された花や果物などの彫刻、廊下の壁に飾られた絵画に、金の燭台、敷かれた絨毯……
魔術学院校舎とはまた違った華麗なる内装に浮き足立ちながら、割り当てられた宿泊部屋に入った瞬間、カッシュは激しくベッドの上に自分の身を躍らせていた。
「ひゃほーいッ!おわっ!?すっげぇ!?なんだよ、このベッド、滅茶苦茶柔らけぇッ!?俺がフェジテ学生街で借りてる安下宿のベッドとは雲泥の差だッ!」
「ったく…うるさいやつだな、君は。はしゃがないでくれよ」
「あはは、あんまり暴れると怒られるよ、カッシュ」
「そんなカッシュに荷物が飛んできまーす」
呆れたような表情のギイブルと、苦笑いのセシルと、カッシュに旅行鞄を放り投げようとするジョセフが部屋に入ってくる。
この三人はカッシュと同じ部屋で寝泊まりすることになっている。学院の生徒達はこのように大体、三、四人のグループごとに部屋を割り当てられていた。
「なぁ、ギイブル。これからの予定ってどうなってるんだっけ?」
ベッドの上でごろごろ転がりながらカッシュが問う。
「……事前に配布された日程帳を見ればいいだろう?」
眼鏡を押し上げながら、面倒臭そうにギイブルがぼやく。
「いや、家に忘れた」
「君ってやつは……」
諦めたようにギイブルはため息をついた。
「今日はもう何もない。後は大広間で食事して、風呂に入って終わりだ」
「ほう?」
「実を言うと明日も何もない。出発の初日を含めた三日間は、天候などによる旅程の遅れを考慮して余裕を持たせてあるからね。名目上は、島内散策による島の生態系と霊脈の調査――ということになっているけど、事実上、明日は自由時間だと思っていい」
「ほうほう?」
「本格的に遠征学修が始まるのは四日目からだ。今回の遠征学修の目玉たる研究所見学が入っている。五日目は終日講義を受講、六日目は自由行動、島内散策や観光名所巡りはこの時、やればいい。そして、七日目には再び海路と陸路を使ってフェジテへ帰還だ」
以上がグレンのクラス達が受講する『遠征学修』講座の主な日程である。この十日前後の旅程は『遠征学修』として比較的短い部類に入る。研究所の立地場所によっては、移動に時間を取られ、半月以上かかる大旅行となる場合もあるからだ。
「なるほどなるほど…あいわかった」
すると、カッシュが不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
「研究所への往復は凄ぇ大変らしいから、明日の夜は余裕がない…同様に五日目の講義を受けた後も同じ…かと言って、六日目までは流石に待ちきれない…やはり、仕掛けるとなると今日しかないか……」
「仕掛ける?カッシュ、君は一体、何をするつもりなんだい?」
女顔の小柄な少年セシルが口を挟み、不思議そうに首をかしげる。
「決まってるだろう?夜、うちのクラスの女の子がとまっている部屋へ、お忍びで遊びに行くんだよ!これぞ、魔術学院遠征学修の伝統行事じゃないか!」
ぐっ、と拳を握り固めるカッシュに、ギイブルとセシルとジョセフがかくんと首を傾けた。
「で、伝統行事だったんだ……」
「なんだろう…リィエルにぶった切られる未来しか見えへん……」
「……ふん、下らないことを」
「下らないとはなんだ、下らないとは!?これぞ男の浪漫じゃないか!俺はこの日のために生活費を切り詰めて、カードゲームやボードゲームを買っておいたんだぞ!?」
「でも、見つかったらまずいんじゃ?先生はそんなに厳しくはないと思うけど……」
「ふっ…心配は無用だ、セシル。見つかったら見つかったらで…それはそれで本望さ。やらずに後悔するより、俺はやって後悔することを選ぶぜ……」
カッシュはすでに死地へと向かう決意を固めた男の表情だ。
「どうだ?お前らもこの話、乗らないか?」
「ふん、冗談じゃない。馬鹿馬鹿しい」
「ぼ、僕も止めとくよ…なんか嫌な予感するし……」
「ウチもパス。もう疲れたでござる」
「ちっ、しゃーない。そもそも、お前らそーゆーキャラじゃねーしな。まぁ、後でロッドとかカイとか誘ってみるか……」
そして。
大広間で生徒一同が集まった食事を終え、交代で浴場を使用した――ジョセフはあることが理由で入らず、部屋にあるシャワーを使った――後。
時分ではすっかり夜――就寝時間。
「それでは作戦を開始する」
旅籠本館と別館を挟む中庭の茂みの中でカッシュが宣言した。
「我々、男子生徒が泊まる別館と、女子生徒が泊まっている本館を直接結ぶ中庭の回廊…これは流石に使えない。誰かに目撃される危険性が高すぎる」
カッシュの後ろに控えたロッドやカイなど、計七人の男子生徒がコクコクと頷いた。
「よって、我々は裏手の雑木林に回り込み、木をよじ登って窓から部屋内に侵入しなければならない。安心しろ。ルートやどの部屋が誰の部屋なのかは、すでに調査済みだ」
「い、いつの間に……」
「さ、流石、カッシュ…抜かりないぜ」
カッシュに感嘆の表情が集まる。
「で、でも、グレン先生が巡回している可能性は……?」
「それも大丈夫だ。一部、協力的な女子生徒にそれとなく探りを入れてもらった。これから三十分の間、先生が裏手の雑木林を巡回する可能性は限りなくゼロだ」
「スゲェ…か、完璧すぎる……ッ!?」
「あ、兄貴と呼ばせてくれ……」
「ふっ、まだだ。感謝には早すぎるぜ、皆……」
カッシュが不敵に笑う。
「全ては女の子の部屋に忍び込み、夢の一夜を過ごしてからだ…そうだろう?」
「そ、そうだった…俺…リィエルちゃんと徹夜で双六するんだ……」
「な!?ずるいぞ、カイ!俺も交ぜてくれ!」
「シーサー、俺はルミアちゃんとトランプで遊ぶぞッ!」
「ああ、ビックス。僕はこの機会にリンちゃんと、たくさんお話するんだッ!」
「ウェンディ様に『この無礼者!』って罵倒されたい…王様ゲームで奴隷のごとくパシられたい……」
「システィーナは…別にいいや。多分、説教うっさいし」
「「「「うんうん」」」」
「さぁ、行くぞ!心の準備はいいか、皆!?楽園は目の前にあるぞッ!」
「「「「おうッ!」」」」
息巻きながら、カッシュを先頭に男子生徒達は行動を開始するのであった。
………。
「いや、マジで決行するのね…行動力スゲェな~」
割り当てられた部屋で、ジョセフは窓からカッシュの様子を見ていた。
実は、ジョセフはシャワーを使った後、カッシュが戻ってくる前に盗聴器をつけたり、ある人物の依頼で、大急ぎで雑木林に罠を仕掛けたりしていたのだ。
「すまんな、カッシュ。お前達は辿り着くことはないでしょう」
話は、大広間で夕食を取った後まで遡る。
「ジョセフ」
ジョセフは部屋に戻る途中、誰かに呼び止められた。
「ん?どしたん、システィーナ?」
呼び止めたのは、システィーナだった。
「ちょっと話があるんだけど、いいかしら?」
「俺、なにかしたか?まぁ、いい。場所を変えるか」
流石に人が多い所で話すのもアレだと思い、ジョセフとシスティーナは大広間から、エントランス・ホールに移動する。あそこは今なら人は多くないはずだ。
そして。
「カッシュを見張ってほしい?」
「ええ、カッシュ達、今日絶対、女子の部屋に押しかけるとか、そういうの仕掛けてくると思うの」
「おお、ご名答だな。飯食う前にそういう話してたで。ウチと、セシル、ギイブルを誘おうとしてたけどな。まぁ、三人共断ったけど。何人か誘うとか言ってたしな」
「やっぱり…」
ジョセフがカッシュが企んでいることを話し、システィーナはため息をつく。
「で、そのカッシュ達の企みを阻止してほしいと?」
「そう。頼めるかしら?」
「まぁ、いいけど。せやなー…ウチは浴場使わずに部屋のシャワー使うから何とかなるかな」
「……?お風呂入らないの?」
「いや、その…あんまり見せたくないねん。ほら、ウチ従軍経験者やから…傷痕とかがあるねん」
「そ、そうだったわね……」
「まあ、後はこちらでなんとかするやさかい、任せとき」
「ええ、頼むわ。あと…それと……」
システィーナの依頼を了承したジョセフに対し、システィーナはまだ何か言いたそうにしている。
「どしたん?」
「話が変わるんだけど、貴方、その…連邦から帝国へ戻ろうという考えはないの?」
「どういうこと?」
「つまり…連邦軍を辞めてこちらに戻って、魔術学院の生徒になるつもりはないの?」
「………」
ジョセフは黙る。
「だって、そんなに傷だらけで、戦争で多くの人の命を奪って…正直、かなり心配なの。かなり精神的にもグレン先生以上に参っているはずよ?」
「………」
「それに、貴方にもし何かあったら…それこそ命を落とすようなことがあったら、ウェンディは……」
「……気持ちはわかるで、でもな」
ジョセフは沈黙を破り、システィーナを真剣な表情で見る。
「今はできんねん。今は…状況がそれを許さない。ましてや人手が足らない状態なんや。簡単に辞めることはできへん」
「でも……」
「正直言うとな、今、迷っとんねん。ていうか、自分でもどうすればいいかわからんくなってる」
「……え?」
「実はな、魔術競技祭の打ち上げあったろ?お前とウェンディがべろんべろんに酔ったやつ」
「う…確かにあったわね」
黒歴史だったのか、システィーナが顔をしかめる。
「あれの帰りにウェンディを背負って、ていうかそういう羽目になったんやけど、あいつが寝言で言うてたんや。『どこにも行かないでくれ』って」
「!」
「今まで、俺はアメリカ人だーって思ってたのに、最近揺らいできちゃってな……」
「………」
曖昧に笑うジョセフにシスティーナは押し黙る。恐らく、彼は自分の状態をわかっている。もう精神的に持ちそうにないことを。かなり無理していると。
そもそも、システィーナと同じ齢十五の少年がここまで正気を保ってること自体、奇跡に近いことである。並みの少年だったら、今頃狂っていただろう。
しかし、システィーナはやはり彼を心配していた。いつか彼が狂うときが来るんじゃないかと。そうなったら最後、自分は止められない。グレンも、恐らくリィエルも厳しいと思う。でも状況がそれを許さない。
「ジョセフ……」
システィーナは言葉を選んでいくように紡いでいく。
「その…もし、辛かったら、相談に乗るわ。事情を知っている人の方が話しやすいでしょ?ルミアでもいいし。だから、一人で抱え込むのはやめて」
「うん、わかった。なんか心配かけてすまんね」
ジョセフは曖昧に笑ったまま、そう返す。
「んじゃ、そろそろ仕掛けとか用意しときますかね」
ジョセフはそう言って、自分の部屋に向かった。
そして、今に至る。
雑木林ではグレンがカッシュ達の企みを察知していたらしく、待ち受けており、今、カッシュ達とグレンは片や給料を、片や『楽園』を求めて死闘を繰り広げていた。
ジョセフはそれを高見の見物とばかりに見下ろし、そろそろ頃合いかと、罠を起動する。
「ぎゃぁあああ――ッ!?地面から【ショック・ボルト】が何発もでできたぁあああ――ッ!」
「くっそぉおおおッ!先生めッ!こんな罠を張っていたとはッ!?」
「いや、これは俺のじゃないぞッ!?」
「何だとッ!?まさか、これをやってのける奴なんて、一人しか……ッ!」
「ジョセフぅうううッ!貴様ぁあああッ!謀ったなぁあああ――ッ!?」
カッシュにとってまさに地獄絵図になった雑木林を見ながら。
「コーラうまいなぁ」
きんきんに冷やしたコーラを飲みながらその光景を眺めていた。
今回は短いけどここまででよかろう