ロクでなし魔術講師ととある特殊部隊員   作:藤氏

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四巻に突入だにゃあ!


第4章
32話


 完全に日が落ちた観光街には、あちこちに設置されたオイル式の街路灯やランプが煌々と灯を灯し、無数の屋台や酒場が開店している。集まった観光客達は、今夜も賑やかな夜を楽しもうと、続々と表通りに集まり、街は活気に満ち溢れていく。

 

 昼間とはまた違った賑わいの顔を見せる、サイネリア島、夜の観光街。

 

 そんな観光街の一角を、二組の生徒の何人かが集団で練り歩いていた。

 

「……なぁ、システィーナ。本当にいいのか?」

 

 夜の観光街を練り歩く生徒の一人、カッシュが隣を歩くシスティーナに声をかけた。

 

「今から、俺達が行く予定の店…なんつーの?南原風?よくわからんけど、とにかく、すげー美味い魚介料理が出てくるトコで有名らしいんだぜ?」

 

「パエージャな、パエージャ」

 

 カッシュの言葉に、ジョセフが捕捉する。

 

「新鮮な魚介類と、コメと野菜をスープで炊き込んだ料理…だったよね?」

 

「あー、うん、そう、それ。コメの料理とか、珍しいよな!」

 

「東方や南原では主食らしいですけど、北原地方では単なるサラダの材料ですから」

 

 実家が大手交易商であるテレサは、流石にその手の話には詳しいらしく、カッシュとジョセフ、セシルの話に自然と割って入っていた。

 

「まぁ、とにかくだ。せっかく滅多にない機会なんだし、俺達と一緒にその店に行かないか?その…今からでもルミアを呼んでさ」

 

「ありがとう、カッシュ」

 

 そんなカッシュの気遣いに、システィーナは笑って応じた。

 

 因みにルミアには、ジョセフが一回誘ってみたものの、リィエルの帰りを待つと言って断ったのだ。

 

 本当はリィエルが落ち着くまで、代わりの護衛として傍にいたほうがいいと判断してのことだったのだが、正式ではない故、無理矢理連れて行くわけにもいかない。

 

「だったら、これ、預かってもらえへん?」

 

「時計?」

 

「そう、腕時計というやつや。懐中時計よりも小さいから、失くしたら大変なんねん」

 

「うん、わかった。なら、預かっておくね」

 

 実はルミアに渡したのは腕時計であるが、位置情報が発信されている物だった。これでいざ、不審な動きがあった場合、ドローンを追跡に回すことができるし、先回りして阻止することができる。

 

 ルミアがさらわれる前提で考えての対策。しかし、こうするしか方法がないのが現状だった。

 

 アルベルトがいるとはいえ不測の事態もある。

 

 閑話休題。

 

「でも、今日はいいわ。ルミアが旅籠でリィエルの帰りを待つって言っているし…私だけ行ってもルミアに悪いしね。だから、皆、私達に構わず楽しんできてよ」

 

 そう言うシスティーナの腕には、そこいらの適当な屋台で購入した簡単な軽食――数人分のローストビーフサンドの紙包み――が抱えられていた。

 

「私はルミアと一緒に旅籠で食事を摂るから」

 

「まぁ、お前ならそう言うとは思ってたけどよ……」

 

 気まずそうに頬を掻くカッシュ。システィーナとルミア、そしてリィエルを置いて、自分達だけで食事を楽しみに行くのも、どこか微妙に気が引けるのだろう。

 

 と、その時である。

 

「いいじゃありませんか」

 

 つん、と。

 

 ウェンディが自分のツインテールをくるくる弄りながら言う。

 

「残りたいと仰るのでしたら、好きにさせればいいんですわ」

 

「お前な…いくら腹減って早く食いに行きたいからって、ンな言い方ねーだろ」

 

「あ、貴方と一緒にしないでくださいまし!」

 

 呆れたように肩を竦めるカッシュに、ウェンディが顔を真っ赤にして、きぃーっ!と捲し立てる。

 

「と、とにかく!残りたいなら好きにすればよろしいですわ!大体、皆で食事する機会は今日で最後、というわけではありませんし!」

 

「う、うん…そうだよね…明日もあるし……」

 

 カッシュにいわれなき侮辱を受けて不機嫌そうなウェンディを宥めるように、リンがおろおろとウェンディの言葉に首肯する。

 

「その代わり!貴女達、なるべく早く仲直りしなさいな!その…いつもべったり仲良し三人組な貴女達がそんな調子だと…こっちも調子が狂ってしまいますわ!」

 

「……うん、そうね…ありがと、ウェンディ」

 

「……ふん!」

 

 システィーナの素直なお礼に、ウェンディは少し頬を赤らめて、腕を組みながら、つんとそっぽを向いた。

 

「まったく、素直じゃいな~お前は」

 

 ジョセフはそんなウェンディを苦笑いで見、システィーナに近寄り周りが聞こえないように囁く。

 

「まぁ、俺からもお願いするわ。リィエルが落ち着くまで、ルミアの方はドローンを使った周辺の監視とか、俺もできる限りのことはする。が、やっぱりリィエルがいた方が色々安心するだろ?…時たま暴走するのがアレだけど……」

 

「……うん、ごめんね…いろいろと負担をかけてしまって。リィエルの方は先生や私達に任せて」

 

 システィーナが申し訳なさそうにそう言うと、ジョセフはシスティーナの肩を2回ほど軽く叩いた。

 

「まぁ、そういうことだ。俺達は、道こっちやから」

 

 丁度、一行は十字路にさしかかっていた。

 

 システィーナが旅籠へ戻るなら、ここで皆とはお別れということになる。

 

「じゃあな、システィーナ。頑張れよ?」

 

「うん、皆、ごめんね!」

 

 しばしの別れを告げて。

 

 システィーナは、一人、旅籠への帰路についた。

 

「さて…一人、腹を空かせているお嬢様がいらっしゃるから、行きましょうかね」

 

「そうだな。じゃ、行くか」

 

 ジョセフ達も食事を取りに店の方へ歩いていく。

 

 途中、ジョセフはウェンディに無言のシェイクを食らいながら。

 

 

 

 

 

「――そうか。周辺におかしいところはなかったか」

 

 観光街の人気がない路地裏で。

 

 ジョセフは、通信機を耳にあて、そう言った。

 

 パエージャをはじめ、海鮮物の食堂に着いた時、通信機から呼び出しのバイブがかかり、カッシュ達には先に行くように言い、今に至る。

 

『一応範囲を広げて調べてはみたんだけど…なんさん鬱蒼と樹海が広がっているせいか、何も見つからなかったのよ。研究所近くに秘密の扉っぽい所はなかったし……』

 

「そこまで甘くはないよな……唯一、気になることとかあるとしたら、バークスは研究所見学の時、ルミアを何回も見ていたことや」

 

『それ、ただのロリコンじゃ――』

 

「見ていた時、かなり冷たい目を、まるで、人間じゃない目をしていてもか?」

 

『それは…確かにそうじゃないかも』

 

「どちらにしろ、バークスはなにかあると思っていた方がいい。まぁ、明日もあるから、そこでどう探りをいれるかなんだが……はぁ」

 

 思わずため息をつくジョセフ。

 

『どうしたの?ため息なんかついて』

 

「『戦車』が情緒不安定だ」

 

『は?どういうこと?』

 

「『戦車』と『星』がルミアの護衛をしているという話は聞いただろう?昨日まではそれなりにやっていけたんだが、今日になって突然、護衛対象を拒絶してしまったんだ」

 

『ちょっと、それって、護衛を放棄したってこと!?』

 

「わからん。『あなた達なんか大嫌い』と敵意むき出しだ。正直、なんでこんなことになったのか見当もつかん。『愚者』は何か知ってそうだが」

 

『大丈夫なのそれ?』

 

「『星』がいるとはいえ、遠距離の監視がメインだから、何かあった時がマズい。護衛対象と同性である『戦車』がここはしっかりすべきなんだが…一応ドローンで周辺を監視したり、護衛対象に位置情報付きの腕時計を持たせてはいるが…今はそれが精一杯だ」

 

『信じられないわ!特務分室にそんな奴がいたなんて…どういう神経してるのよ『戦車』は!』

 

 リィエルのあまりにも身勝手な行動にガルシアは憤慨する。

 

「落ち着け、ガルシア。今は『愚者』に任せるしかない。あとは最悪の事態が来ないことを――」

 

 ジョセフが何か言いかけた、その時である。

 

 通信機に添え付けられたモニターに旅籠に点いていた点が、動き出したのだ。

 

 それもかなり早いスピードで。

 

「待て。護衛対象が動いた?いや、それにしても早すぎる。しかもこれは……」

 

 方向は明らかに観光街ではない。島の中央部に向かって物凄い勢いで向かっている。明らかに不審だ。

 

 ドローンもそれを察知したのか、その点を追跡する。

 

「……!まさか……」

 

『え?何?どうしたの?』

 

「ガルシア、モニターをそちらの方に映す。それで護衛対象を追跡してくれ!問題発生だ」

 

『了解…って、これって……ッ!?』

 

 ガルシアもジョセフから送られたモニターを見て驚愕する。

 

「恐らく、連れ去られた…クソったれ!俺は旅籠に戻って確認してみる」

 

 ジョセフは路地裏から出て、猛ダッシュで旅籠の方へ向かう。

 

「ジョセフ、まだ時間かかりそう……」

 

 路地裏から出たところ、出くわしたウェンディを無視して、とにかく駆ける。

 

「……どうしたんですの?ジョセフ……」

 

 すでに遠くへ行ってしまった幼馴染を、ウェンディは呆然と眺めるしかなかった。

 

 

 

 旅籠に着いたジョセフは、黒い外套を纏った、目つきの鋭い男――アルベルトの姿があった。

 

 なぜかその全身はずぶ濡れ、そして背中には誰かを担いでいるようだった。

 

「マジかよ……」

 

 担がれていたのはグレンだった。

 

 かなり血色を失っており、死人のようにぐったりしている。アルベルト同様、全身濡れ鼠であり、背のほうは真っ赤に染まっている。

 

 ジョセフはそれを見て、誰がルミアを連れ去ったのか、確信した。

 

「リィエルは裏切ったのか?」

 

「リィエルはグレンを斬った後、そのまま、王女の元へ行き、連れ去った。恐らく、件の組織――天の智慧研究会に言いくるめられてな……」

 

「……理由は先生のみぞ知るってことか……」

 

「『黒い悪魔』、お前に協力を要請する」

 

「言われなくても協力してやるさ」

 

 そう言うと、二人はある部屋に到達する。

 

 システィーナ、ルミア、リィエルが宿泊している部屋だ。

 

 ばぁんっ!と。

 

 アルベルトは扉を乱暴に蹴り開けた。

 

「――ひッ!?」

 

 中に入ると、頭を抱えて蹲っていたシスティーナがこちらを怯えながら振り向く。

 

 中は、ひどい有様だった。

 

 ランプの光が淡く照らす室内。手狭なバルコニーへと続く正面奥の扉は、外から蹴破られたのか、その残骸と破片が室内に散らかっている。

 

 そして、部屋の隅に飾ってあった壺が床に落ち、割れ砕けている。そして床は血で赤く染まっていた。恐らくグレンの血が。

 

「ひでえな……」

 

「システィーナ=フィーベルだな?俺は帝国宮廷魔導士団のアルベルト=フレイザーという者だ。以前、直接会ったわけではないが、俺の名前と顔くらいは知っている筈だ」

 

 返答を待たず、アルベルトはずかずかと部屋の中へ入っていく。

 

「帝国軍法第六章、緊急特例四号条項、第三十二条に従い十騎長権限を発動、お前に協力を要請する」

 

 システィーナはただ怯えて後ずさりするだけだ。

 

「……な、なに!?なんなの…ッ!?ジ、ジョセフ、一体、これは――」

 

 と、その時だ。

 

 背負っていたグレンに淡いランプの光が照らし出される。

 

「きゃああああああ――っ!?先生!?」

 

 システィーナはグレンの姿を見て、悲鳴を上げる。

 

「狼狽えるな。まだ息はある。…虫の息だがな」

 

 アルベルトはそんなグレンを部屋の隅のベッドの上に、どさりと放った。

 

 途端、システィーナが涙を浮かべてグレンに駆け寄り、その身体に取り縋った。

 

「せ、先生ッ!?しっかりして、先生――ッ!な、なに、この酷い怪我――は、早く治癒の魔術を……」

 

「止めろ、無駄だ。既に治癒魔術の効果を受け付けん。古典的法医術的に言えば、『死神の鎌に捕まった』状態だ」

 

 死神の鎌に捕まった。

 

 それはつまり非常に危険な状態、ということである。

 

「そんな…嫌よ…嫌…し、死なないで…死なないでよ、先生……ッ!」

 

「力を貸せ、フィーベル」

 

 半狂乱のシスティーナに、アルベルトが淡々と言葉を並べる。

 

「出血を抑える処置はした。だが、焼け石に水だ」

 

 動揺したシスティーナは気付く余裕も無かったが、グレンの傷口は、細胞の凍傷による壊死と仮死状態を際どく秤にかけた恐るべき精度で凍っていた。

 

「なぁ、システィーナ。今は被術者本人の自己治癒能力を増幅させて傷を癒す法医呪文――白魔【ライフ・アップ】ではもうダメなんや。自身を癒すだけの生命力が、今の先生には残されてへんからや。このままでは…間違いなく先生は死ぬ」

 

「そ、そんな…そんなぁ……」

 

 死。

 

 治癒魔術が効かないくらいに生命力が衰弱している。つまり、もうすでに墓場に片足が突っ込んでいる状態である。

 

「だから、力を貸せ、システィーナ=フィーベル。この男を救うには何十年に一人という類希な潜在魔力容量を誇る、お前の力が必要だ。お前以外には不可能な事だ」

 

 そんな状態でもアルベルトがグレンをここに連れて来たのは、システィーナの力を借りなければ助かる方法はないからだ。

 

「システィ――」

 

 ジョセフが言葉をかけようとした、その時。

 

「な、何よ!?もう何なのよッ!?次から次へとわけがわからないわ!」

 

 だが、すでにパニック寸前のシスティーナは頭を左右に振りながら蹲ってしまう。

 

 まるで、認めたくない現実を直視したくないばかりに、思考放棄の錯乱へと逃げるように。

 

「一体、私に何ができるっていうの!?無理よッ!治癒魔術が効かないんじゃ、もうどうしようにもないじゃない!?」

 

「落ち着け、フィーベル」

 

「何!?何なの!?さっきからこんなことばっかり!もう嫌よ!嫌、嫌、嫌!誰か助けて…ッ!?誰か助けてよ――ッ!?」

 

 次から次へと襲いかかる過酷な状況と現実に、齢十五の少女の心が耐えられるはずがなかった。

 

「うぅ…お父様ぁ…お母様ぁ…ッ!ルミア…助けて…ぁあああ――」

 

 耐えきれなかったシスティーナが、とうとう捨て鉢に泣き叫ぼうとした――

 

 その時。

 

「泣いて喚く事が、今、お前が為すべき事なのか?」

 

「――ッ!?」

 

 咎めるでもなく、叱咤するでもなく。

 

 ただ、揺るがない事実を冷ややかにアルベルトの言葉が部屋に響く。

 

「此処で思考を放棄すれば、恐らくお前は一生後悔する事になる。それでもこの男を殺したいなら幾らでも泣き叫べ、俺はそれでも一向に構わん。後は葬儀屋の仕事だ」

 

「……………」

 

「恥じる必要は無い、フィーベル。温室育ちのお嬢としては、お前のその無様な狼狽ぶりは至極真っ当…残念だな、この男が居れば王女の救出が少しは捗ると踏んだのだが…当てが外れたようだ。まぁ、いい」

 

 押し黙ったシスティーナなどもう知らぬとばかりに、アルベルトはシスティーナに背を向けた。

 

 グレンを救える見込みがないなら、ここに留まる必要も時間も意味もない。そう冷徹に判断を下し、アルベルトは次なる行動のために部屋の外へ向かって歩き始める。

 

「俺は行く。お前の友人は俺と『黒い悪魔』が連れ戻す。葬儀屋の手配はお前に任せた」

 

「……ま、待って…ください……」

 

 システィーナは手の甲でごしごしと涙を拭い、鼻声でぼそぼそと呟いた。

 

「……わ、私は…ひっく…一体、何を…すれば…いいんですか……?」

 

「ふん……」

 

 アルベルトは足を止め、システィーナを値踏みするように一瞥した。

 

 ジョセフもシスティーナを見る。彼女の顔には、まだ心理的な動揺と衝撃が色濃く残っているが、瞳に弱々しくも力が戻りつつある。

 

「……成る程、少しは骨があるようだ。グレンが目をかけるだけの事はある」

 

 アルベルトは、ほんの少しだけ口の端を吊り上げた。

 

「んで、どうするんです?」

 

 ジョセフがグレンをどう救うのかアルベルトに問う。

 

「時間が無いから手短に説明する。通常の治癒魔術――白魔【ライフ・アップ】ではこの男を救えないのは先刻、言った通りだ。可能性があるとしたら、施術者の生命力を被術者へ増幅移植する白魔儀【リヴァイヴァー】だが、この儀式魔術には行使に大量の魔力が必要だ。俺と『黒い悪魔』の二人では足りん」

 

 当然だ。グレンを救った後、ルミアを救出しなければならない。しかも敵戦力が不明な上に、リィエルとも戦わなければいけない。魔力を全部使うわけにはいかないのだ。

 

 そこでだ、とアルベルトが言葉を続ける。

 

「フィーベル、お前の魔力を使わせろ。略式の仮サーヴァント契約で霊絡のみを繋いでマナ・バイオリズムを俺に合わせろ。後の細かい術式設定は俺がやる」

 

「わ、わかり…ました」

 

「俺は今から儀式の準備をする。その間、お前はその乱れた精神状態とマナ・バイオリズムを少しでも……」

 

「話してるところ悪いが、急いだほうがええで。先生の呼吸が完全に止まりやがった」

 

 ジョセフはグレンの呼吸が停止したと告げる。

 

「ちっ…惰弱な」

 

「そ、そんな…先生……ッ!」

 

 ジョセフの言葉に、システィーナの心が再び狂乱に襲われそうになる。

 

「落ち着け、たがが呼吸が止まっただけや、すぐに死ぬことはない。霊的な視覚を研ぎ澄ましてみ。魂はまだ肉体と繋がっているはずや。せやけど……」

 

「拙いな…まだ儀式の準備が出来ていない」

 

「どっ…どうすれば……ッ!?」

 

 うろたえきったシスティーナを他所に、アルベルトはグレンの首を掴む。

 

「弱いが脈はある。必要なのは呼吸補助か…フィーベル、儀式開始まで人工呼吸で保たせろ」

 

 あっさりとそんな事を言い捨てて、アルベルトは懐からナイフを取り出す。

 

「≪原初の力よ・我が血潮に通いて・道を為せ≫」

 

 そして、黒魔【ブラッド・キャタライズ】の呪文を唱え、自分の両の手首を切り裂き、滴る血で床に法陣を物凄い速度で描き始めた。

 

「えっ!?人工呼吸……?」

 

「もし脈まで止まったら、それに加えて胸骨圧迫も三十対二の割合で加えろ。それで駄目なら【ショック・ボルト】の呪文を調節して直接心臓を刺激。魔術学院の生徒なら基礎法医術の授業でそのくらい習っている筈だ。やれ」

 

 血で法陣で描く作業を微塵も緩めず、アルベルトが淡々と言う。

 

「で、でも…私、実際にやったことなくて…もし、上手くできなかったら……」

 

 人の命を預かる自信のなさと責任の重さが、システィーナを躊躇わせるが――

 

「急げ、フィーベル!恐れている暇は無いッ!」

 

 今までの無味冷徹な口調から一転、突然上がったアルベルトの怒鳴り声に、システィーナはびくりと震えた。

 

 見れば、アルベルトの儀式法陣を構築するその手捌きは凄まじいものだ。その手つきからは言葉や態度とは裏腹の、並々ならぬ焦燥と逼迫さが感じられた。

 

(この人…本当は先生を救おうと必死なんだ……)

 

 救うために全てを押し殺す。それが必要だから。

 

 ジョセフも誰かと連絡を取っているらしい。ルミアを救うのに必死な表情をしている。

 

(そうだ、迷っている場合じゃない!やらなきゃ!)

 

 それが必要ならば。

 

 システィーナは覚悟を決めてベッドにぐったり寝そべるグレンび近寄ると、身を屈め、グレンの顔へ自分の顔を近付けた。

 

 基礎法医術の授業で習った手順を思い出しながら、それをなぞる。

 

 まずは、あごを上げて気道確保。目線は傷病者の胸元に合わせる。

 

 それから口と口を合わせて……

 

 ……口と口。…唇。

 

「……ぅ」

 

 グレンに口を合わせる寸前、ほんの一瞬だけ、硬直する。

 

 こんな切羽詰まった状況だというのに、なぜか頬が熱い。

 

 そのわけのわからない動揺を、システィーナはぶんぶんと頭を振るって追い払った。

 

(先生、どうかお願い!帰ってきて……ッ!)

 

 意を決して、システィーナはグレンの口に自分の口を合わせた。

 

 そして、それからはアルベルトの白魔術儀式の準備が終わるまでの数分間、システィーナは無我夢中で教科書どおりに、グレンへ息を吹き込み続けた。

 

 

 

 

 

 

 




今日はここいらでよかろう

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