「……っく…ぁ…ぅあああ…あッ!?」
研究室にルミアの熱を帯びた苦悶の声が上がる。
鎖付きの手枷で吊られたルミアの身体を、描かれたルーンの術式に沿って膨大な魔力が疾走しているのだ。それは激しい苦痛となって、ルミアを責め立てる。
ルミアは今、『Project:Revive Life』の儀式の一部に組み込まれ、その意思とは関係なく強制的に能力を行使させられているのである。
「ふは、ふはははッ!いいぞ…いいぞぉ……ッ!?」
だが、そんなルミアの苦痛などまるで意に介さず、バークスはモノリス型魔導演算器に霊脈を通して送られてくる大量のデータの解析に夢中だった。
「成る!成るぞぉッ!『Project:Revive Life』は今日、ここに成る!このバークス=ブラウモンの手によってだ…ふははははははははは――ッ!」
ルミアの足元に展開された法陣に直結した、別の巨大な法陣。
その中には、氷晶石柱中に封じられた三つの素体が正三角形の頂点を位置取るような配置で据えられている。現在、その氷晶石柱の表面上を光のルーン文字が無数に疾走しており、中身がよく見えない状態ではあるが…辛うじて見える影から察するに、封じられてる素体は、どうやら少女の姿をしているようであった。
今、素体と『アルター・エーテル』、そして『アストラル・コード』。理論上合成不可能だった三つの統合が終了し、後は素体の各種細かな調整と意識覚醒を待つばかりだ。
「流石はバークスさん、お見事な腕前ですね」
青髪の青年は表向きバークスを褒めちぎりながら、内心冷め切っていた。
(ふん。かつて俺が作った術式を丸々譲渡したんだ…このくらいできて当然だというのに、何を偉そうに浮かれているんだ、この男は……)
青年は周囲の設備を見渡しながら、さらに物思う。
(まぁ、いい…『Project:Revive Life』を行えるだけの儀式設備は、確かにこの男のもだしね、精々利用させて貰うさ…どうせ、この男は俺の踏み台なんだ。今だけは勝利の美酒に酔えばいい……)
そして、青年はリィエルに眼を向ける。
リィエルは部屋の隅でルミアに背を向けていた。固く握り締めたその小さな手や肩が、かたかたと震えている。ルミアが苦悶の声を上げるつど、その弱々しい背中がびくりと震える。儀式の様子など見向きもしていなかった。
「リィエル…大丈夫かい?」
青年は気遣うような言葉を、リィエルにかける。
「………」
だが、リィエルは青年の言葉に応じず、無言。
(はぁ、やれやれ…今は、これはこれで好都合なんだが…こんな調子じゃ、この先どこまで使い物になるかわからないな…我が『妹』ながら情けない……)
軽く嘆息しながら、青年は儀式の中央に向きなおる。
その先にあるのは、先刻、儀式の完了した三体の氷晶石柱漬けの素体だ。
その三体の素体を、青年は慈しむような目で細めた。
(でも、それもじきに解決だ。あと少しで俺だけの『力』が手に入る…バークスごときに手柄を取られてたまるか……ッ!)
青年が歪んだ笑みをうっすらと口元に浮かべた…その時だ。
遠くで、地鳴りのような音が突然、響き渡った。
「何事だ!?」
作業を止め、バークスが怒声を上げる。
すると、この儀式部屋の入り口にエレノアの姿が現れた。
「今、遠見の魔術で確認しました…侵入者ですわ」
「何だと!?馬鹿な!どうしてここが割れた!?そんなはずは――」
「……はて?」
すると何を思ったか、エレノアはなぜか自分の身体のあちこちに指を這わせ始める。
そして、頬に触れた時、その指を止めて。
「あらあらまぁ…近接格闘で殴られたあの時ですか…油断しましたわ」
くすり、と。エレノアは嫣然と微笑んだ。
「流石は帝国宮廷魔導士団特務分室≪星≫のアルベルト様…一杯食わせたと思っていましたが、一杯食わされたのはどうやら私の方だったみたいですわね。御見事」
苦々しく、それでもどこか愉悦の表情で、エレノアが呟いていた。
「そ、それは一体、そういうことだ!?エレノア殿ッ!」
「さぁ、どういうことでしょうか?とにかく敵戦力は三名。帝国宮廷魔導士団、特務分室のエース、アルベルト様と、連邦陸軍、第一特殊部隊デルタ作戦分遣隊、ジョセフ様、そして、帝国魔術学院講師、グレン様ですわ」
「……ッ!?」
「……先、生……?」
「グレン…だと?まさか、生きていたのか……?」
グレンという名前に、リィエルとルミア、そして青髪の青年が反応する。
「……先生……ッ!よかった!やっぱり――」
どこか重暗い影が差していたルミアの表情が、みるみるうちに明るくなっていく。希望に輝いていく。未だ自分は絶体絶命の身のままだというのに、もう何もかも救われ、満ち足りてしまったような顔だった。
「まだ、儀式の完遂まで時間がかかりますわ。それまでにこの部屋に至られると、儀式を台無しにされる恐れがあります。いかがいたしましょうか?」
「くぅ…おのれぇ、政府の犬共と、ハゲワシめ……ッ!」
バークスがわなわなと震えながら、傍らのモノリス型魔導演算器に取り縋り、呪文を唱えながら指を動かし、操作を始める。
石板状のモノリスの表面を、次々とルーン文字が走っていく……
「いいだろう!情報によると、奴らがいるのは、まだこの中央制御室からは程遠い第四区画――あそこならば、対処は容易い!私の作品で蹴散らしてくれるわ!」
バークスは、矢次ぎ早に、モノリスの表面上にルーンを描いていく。
光の文字となって刻まれたルーンを切っ掛けに、表面に様々なルーンが一気に羅列し、モノリス表面上を上から下へ、左から右へとせわしなく流れていった。
「作品、とは?」
「ふふふ、あの区画には私が作った無数の合成魔獣が封印されているのだよ。その合成魔獣どもの封印を解き、連中にけしかけてくれるわ」
歪んだ嘲笑を浮かべ、バークスが最後の操作をする。
「これでいい…さぁ、行け…私の最高傑作達……ッ!」
己の勝利を何一つ疑っていないそんなバークスに、流石にエレノアも小さく嘆息する。
「僭越ながら、そんなもので彼ら三人…特にアルベルト様が止まるとは、とても思えませんが」
「そんなもの、だと……?」
バークスの顔がみるみるうちに怒気に染まっていく。
「エレノア殿…貴様、私の合成魔獣作製の腕を疑っておるのか?」
「いえ、そうではありませんが…アルベルト様は帝国宮廷魔導士団のエース。帝国軍において最高クラスの魔導士ですわ。一方、ジョセフ様は先の連邦とレザリア王国の戦争で三百人の敵を抹殺した、『黒い悪魔』の異名を持つデルタのエース。それに、グレン様とて元・魔導士……」
「ふん。何が魔導士だ。魔導士など所詮、魔術を戦にしか使えぬ低能共ではないか。それに、それよりも劣り、魔術の矜持を捨て、金に溺れ、堕落した連邦風情なぞ、真の賢者たる魔術師の敵ではないわ」
「………」
「まぁ、そこで見ているがいい」
「はぁ…それでは、ゆるりと拝見させていただきますわ」
にっこりと。
エレノアはまるで見世物を見物するかのように、無邪気に微笑んだ。
迫る。
――迫ってくる。
「ォオオオオオオオオオオオオンッ!」
前方に延々と続く、幅広く天井の高い通路。
その先から、蝙蝠の翼を持つ巨大な獅子が、野生の殺気を漲らせ、もの凄い勢いで三人めがけて迫ってくる。
溢れんばかりの力が漲るそのしなやかな筋肉。身体能力も、動体視力も、反射速度も、生物として根本的に人間をゆうに超えた、規格外の存在を前に――
それでも、グレン、アルベルト、ジョセフの三人は猛然と駆ける速度を緩めない。
互いが互いを目指して駆け寄り、彼我の距離は指数関数的に消し飛んでいく。
後、数秒で接敵――
その時、アルベルトが呪文を唱えた。
「≪雷槍よ≫!」
刺し穿つ稲妻の閃槍――黒魔【ライトニング・ピアス】。
二反響唱で放たれた二条の雷閃が空気を切り裂いて、獅子の怪物へ真っ直ぐ飛ぶ。
だが、敵もさるもの。
獅子の怪物は、足元を狙った第一の雷閃を跳躍してかわし、その跳躍を狙った第二の雷閃を、壁を蹴って、さらに跳躍してかわし――
そのまま、中空から一気にアルベルトへと躍りかかる。
それでも尚、駆ける足を止めないアルベルトへ、鋭い爪が、牙が、肉薄し――
『≪邪魔だ≫』
それを見計らうかのように、一節詠唱で完成させたジョセフの【レクイエム】。
爆発音と共に、宙にいる怪物の頭部が白い光に包まれた。
直後――
どぅん、と。
頭部を失くした獅子の怪物は、凄まじい質量を感じさせる音と共に、床に叩き付けられ、バウンドする。
三人は派手に転がってくる怪物の体を、ひらひらと跳んで避け、さらに駆け抜ける。
その速度は微塵も落ちない。振り返りもしない。
「しっかし、さっきから大盤振る舞いだな…何匹倒せばいいんだよ……」
『ホンマに、在庫一掃セールに付き合っている暇無いんですけどね……』
「無駄口叩くな。距離前方三十、後方三十。それぞれ数四。来るぞ」
アルベルトが鋭く警告の声を上げた瞬間。
通路を駆ける三人の前方と後方――その壁の一部が突如、扉のように開き、そこから何者かがぞろぞろと現れる。
それは人間の姿を模った、葉と蔦――植物の化け物だった。
宣告の通り、その数、前方に四体。後方に四体。挟み撃ちの形だ。
「………」
アルベルトは無言で、後方へ振り返り――
「それじゃ、行ってきますかね――」
グレンは、そんなアルベルトを置き去りに前方へ向かい、呪文を唱えた。
『さて、後方の方を片付けるか』
ジョセフは、後方を振り返り、M1903を構え、アルベルトを援護する。
そして、一匹の蔦の化け物の頭部を狙い――
引き金を引いた。
M1903から放たれた30-06弾は蔦の化け物の頭部に吸い込まれるように飛び――
頭に命中した蔦の化け物は吹っ飛び、床に叩き付けられる。
そして、ボルトを引いて次弾装填した、その時。
轟、と。
圧倒的熱量を持つ炎の壁が蔦人間に猛速度で向かい。
天井を焼き焦がすような、猛烈な火勢で残っていた三匹、そして倒れて活動を停止していたのも含めて焼き尽くされ、灰と化した。
黒魔【フレア・クリフ】。
自在に操作可能な炎の壁を展開する、軍用の攻性防御呪文。
当然、アルベルトの魔術である。
後方が一掃したことを確認したジョセフは、前方に振り返る。
黒魔【タイム・アクセラレイト】の効果が切れ、マナ・バイオリズムがカオスに傾いているため魔術を行使できないグレンに襲い掛かる蔦人間に、頭部に狙いを定め、引き金を引く。
直後、頭部に直撃した蔦人間は先の蔦人間と同様、吹き飛ばされ、間を置かずにアルベルトが【フレア・クリフ】を発動し、灰と化す。
「行くぞ」
背後から駆けつけてきたアルベルトとジョセフが、グレンを追い越して先に行く。
ちょうど時間の帳尻合わせが終わったグレンは、アルベルト達の後を追って駆け出す。
「バカ野郎!お前ら、フォロー遅ぇぞ!?殺す気か!?」
前方を駆けるアルベルト達に追いついて並んだ、グレンの第一声がそれだった。
「お前こそ前に出過ぎだ。死にたいなら勝手に死ね」
対するアルベルトの対応も実に冷ややかだ。
通路が尽き、丁字路が見える。
アルベルトが迷わず右へと突き進み、グレンとジョセフは何も言わずそれに従う。
「そもそも【タイム・アクセラレイト】などという自殺魔術、好んで使う阿呆は帝国軍の中でもお前くらいならものだ。付き合わされる俺の身にもなって欲しいものだがな」
「別にいーじゃねーか。使いどころ選べば、結構、便利で強いじゃねーか、これ」
『……何故、先生はそんな無駄に癖の強い術とばかり相性が良いのですか?』
「わ、悪いかよ……」
「まともに扱える軍用の攻性呪文は、基本三属くらいしかない癖にな。理解に苦しむ」
険しい表情のまま、アルベルトが呆れたように嘆息する。
昔のことを思い出しているのかもしれない。
「俺が知るかよ!俺だって、こんな変則的な呪文じゃなくて、もっと扱いやすいマトモな呪文を習得したかったよ!」
そうこう言い合っているうちに、今度は通路を埋め尽くすほど巨大なゲル状の無機生物が、その体で壁を作ってグレン達に迫ってくる。
その半透明な体の中には、恐らく犠牲者か、あるいは餌だったモノの成れの果てか、人間の骸骨が何体分も埋まっていた。
「お前がそういう異端児だから、俺が何時も苦労するのだ」
アルベルトがグレンを罵りながら、予め詠唱済みにしてあった黒魔【アイス・ブリザード】の呪文を起動する。
凍てつく吹雪が通路を猛然と吹き抜け、瞬時にゲル状生物を凍てつかせる。
そして――
「ああ、そうかい。そりゃ悪うござんした――」
同時に、グレンが毒突きながら無造作に銃を抜き、構え、引き金を引く。
銃声と共に、過ぎる火線。
びしり、と凍てついたゲル状生物にめり込む銃弾。
次の瞬間、凍り付いたゲル状生物が硝子のように割れて、砕け散った。
ゲル状生物の破片の上を、やはりまったく速度を落とさず、グレン、アルベルト、ジョセフが飛び越えて、駆け抜けていく。まるで眼中にない、そう言わんばかりに。
そんな三人に、さらなる魔獣達の気配が迫る。
だが――
「……止まりませんね」
その時、からかうようなエレノアの言葉に、バークスは拳を震わせていた。
「くそ…あいつら……ッ!」
モノリスがた魔導演算器の表面上に次から次へと送られてくる、自慢の合成魔獣の惨憺たる戦闘結果。
それを目の当たりにしたバークスは、忌々しげにモノリスを拳で叩いた。
「い、いいだろう…これまではタダの小手調べだ!あの程度でくたばられてしまっては、こちらも面白くないッ!こちらも最高傑作で出迎わせてもらおう……ッ!」
血走った目で、バークスがモノリス型魔導演算器を操作していく――
「ふ、ふははははッ!今度のこいつは凄いぞぉ!?かき集めた魔鉱石から作り上げた宝石獣だッ!三属攻性呪文など効かんし、いかなる武器でもこの獣を傷つけることはできん!真銀か日緋色金の武器でもない限りなぁ!?ふはははははは――ッ!」
エレノアは、そんなバークスを実に楽しげに見守っている。
「こ、こいつは…ちょっとヘヴィかなー?」
思わずグレンは頬を引きつらせながら、呟いていた。
通路を踏破し、大部屋に侵入したグレン達を待ち構えていたのは――
「ゥォオオオオオオオオン……」
見上げる巨大な、大亀の怪物だった。
その大部分が透き通る宝石のようなもので構成されている。
「宝石獣か。過去、帝国が密かに行っていた合成魔獣研究の最高傑作として、理論上の設計だけは為されていたとは聞いていたが……」
『こいつの性質は?』
「殆どの攻性呪文が効かん。それに恐ろしく硬い」
「……厄介の極みじゃねーか」
『十二インチ砲じゃないと厳しいか……』
と、その時。
「ゥォオオオオオオオオオオン……」
大亀が後ろ足で立ち――グレンとアルベルト、ジョセフめがけて、倒れこむように、その豪腕を叩き付ける。
「どわぁああああ――ッ!?」
「……ち」
『……おっと』
咄嗟にグレンとアルベルト、ジョセフが左右に散開。
半瞬前、三人が居た場所を大亀の腕が叩き付けられ、施設全体が震えた。
「ゥォオオオオオオオ――ッ!」
そして、大亀が雄叫びを上げると――その体に埋め込まれた宝石のあちこちが、激しく帯電し始める。
目前でバチバチと稲妻を爆ぜさせる大亀の姿に、グレンが青ざめる。
「や、ヤベェ――」
慌てて、アルベルトとジョセフの方に向かって駆けだすグレン。
「――≪光の障壁よ≫」
落ち着き払った声色でアルベルトは、黒魔【フォース・シールド】の呪文えお唱える。
アルベルトの眼前へ瞬時に展開される、光の六角形模様が並ぶ魔力障壁。
次の瞬間。
雷音が弾け、凄まじい光量の稲妻が幾条も部屋内を乱舞し、視界を埋め尽くす。
だが、アルベルトの障壁は難なくその稲妻を受け止め――
「ひゃあああああ――ッ!危ッ!?ま、間に合ったぁ――ッ!」
ぎりぎりで、ずさーっと、アルベルトの背後に滑り込んだグレンが、額の冷や汗を拭った。
「ゥォオオオオオオオ――ッ!」
再び、大亀が稲妻を落とす。
「ち――」
アルベルトは小さく舌打ちしながら、そのまま障壁を維持し、稲妻を受け止める。
「ゥォオオオオオオオオオオォオオオオォオ――ッ!」
爆ぜる極光。荒れ狂う極光。
さらに大亀が稲妻を落とす。落とす。執拗に落とし続ける。
対し、アルベルトはさらに魔力を解放し、障壁を強化していく。
『大丈夫ですか?「星」さん?』
「存外、強い。そう何度も受けられんな。【フォース・シールド】は魔力を食う術故、このままだと何れ押し切られるだろう。かと言って【トライ・レジスト】で耐えられる威力でもない――さて」
一見、防戦一方の絶対絶命の危機だが、ジョセフ、アルベルトの声色は落ち着き払っている。まるで勝ち筋が分かっている詰め戦戯盤でもやっているような雰囲気だ。ジョセフに至っては余裕で笑っている。
「やれ、グレン」
「いや…わかっちゃいるが……」
グレンは苦い顔で応じる。
「でも、アレやると、後が続かねぇ……」
「心配は無用だ。やれ」
アルベルトが淡々と言う。
「!」
グレンは一瞬、きょとんとして。
「……了解」
そして、にやりと笑って応じた。
アルベルトが一体、何を考えているかはグレンにはわからない。
だが、アルベルトが心配無用と言った。
ならば、そうなのだろう。
(いけ好かねぇ野郎だが、昔からコイツの言う事に間違いはねえしな……)
グレンは覚悟を決めて、懐に手を入れ、とあるものを取り出す――
一方、室内の水晶壁に映像として映し出された部屋の様子に、バークスのテンションは最高潮だった。
「ふははははははッ!見ろッ!あの防戦一方の無様な姿をッ!」
バークスの言うとおり、魔獣の存在感は圧倒的だった。
まるで制限など皆無だと言わんばかりの稲妻の嵐――グレン、アルベルト、ジョセフの三人が消し炭と化すのは最早、時間の問題のように思えた。
「せ、先生……」
「グレン……」
そんなグレン、アルベルト、ジョセフの様子をルミアとリィエルが食い入るように見守っている。
「見たか!エレノア!これが我が魔術の威力だ!」
自慢げに、エレノアを振り返るバークス。
エレノアは、どこまでもにこやかに笑う――
「≪我は神を斬獲せし者・――≫……」
グレンは弾いた小さな結晶を左手で掴み取り、ぱん、と左拳に右掌を合わせる。
「≪我は始原の祖と終を知る者・――≫……」
そして、ゆっくりと、殊更にゆっくりと。
グレンは魔力を高めながら、意識を集中させ、一句一句呪文を紡いでいく。
唱えた呪文に応じ、グレンの左拳を中心に、リング状の円法陣が三つ、縦、横、水平に噛み合うように形成され、それぞれが徐々に速度を上げながら回転を始める――
「≪其は摂理の円環へと帰還せよ・――≫……」
と、その時。
「――ォオオオオオ……」
本能的に自身の生命の危機を感じたのか。
大亀の宝石獣は、今までの無闇やたらに稲妻を乱舞させるだけだった行動パターンを止め、ずしんずしんと地響きを上げて、グレンに向かっていく。
そこに――
「≪鋭く・吠えよ炎獅子≫――≪吠えよ≫、≪吠えよ≫!」
即興の呪文改変。
爆発方向に指向性を持たせた黒魔【ブレイズ・バースト】をアルベルトが唱え、しかもそれをさらに連唱する。
三つの火球が大亀の足元に飛来し、炸裂。
ダメージはほぼ皆無だが、その爆発方向を一方向に纏め定められた物理的衝撃に、超重量級のはずの亀が、徐々に後方へと押し下げられる――
「寄るな、化け物。貴様は其処で大人しく聖句でも唱えていろ」
「ゥォオオオオオオオオオォオオオオォオ――ッ!」
邪魔されて苛立ったのか、再び、大亀が吠え、稲妻を落とす。
だが――
『うるさい、≪黙っていろ≫』
ジョセフが大亀の目先に【レクイエム】を炸裂させる。
視界が遮られたせいか、稲妻は一発しか落ちず、それも明後日の方向に外す。
そうしている間にも。
「≪五素より成りし物は五素に・象と理を紡ぐ縁は乖離すべし・――≫」
グレンの呪文はどんどん紡がれていく。
「≪いざ森羅の万象は須く散滅せよ・――≫」
そして――
「≪――遥かな虚無の果てに≫――ッ!」
とうとう呪文は完成した。
その瞬間、グレンが前方に突き出した左掌を中心に、高速回転していた三つのリング状円法陣が、前方へ拡大しながら展開。
同時に――
「……ふん」
『よっと』
ふわり、と。
アルベルトとジョセフいつの間にかグレンの背後へと、降り立っており――
「ゥォオオオオオオオオオォオオオオォオ――ッ!」
亀の宝石獣がグレンに向かって突進しながら、稲妻を落とそうと、その体を一際激しく帯電させ――
「ぶっ飛べ。有象無象」
次の瞬間、その前方に三つ並んだリング状の円法陣の中央を貫くように、巨大な光の衝撃波が放たれる。
光の衝撃波は、狙い過たず、宝石獣を飲み込み――
圧倒的な光の奔流の中で、宝石獣は徐々にその輪郭をぼやけさせ――
川のせせらぎに流される砂の山のように、後方へ崩れていき――
――殲滅。静寂。
やがて、視界を白熱させていた眩い光が、ゆっくりと収まっていった時。
宝石獣だったものは、その巨大な体の大半を丸く抉り取られたかのように失っており、その活動の停止を余儀なくされていた――
「……突破されてしまったようですね」
エレノアが唖然とするバークスに、くすりと笑いかけた。
「……ば、…馬鹿なッ!」
目の前の信じられない光景に、バークスは顔を真っ赤にして震えていた。
「黒魔改【イクスティンクション・レイ】だと――ッ!?アレは、一昔前、セリカ=アルフォネアとかいう阿婆擦れが作った、限りなく固有魔術に近い術――ッ!他にも使い手がいるなぞ聞いてないぞッ!?あの男は一体、何者なんだ!?」
「落ち着いてくださいませ、バークス様。魔術師にとって、相手が思いもよらない切り札を隠し持っておくことなど実に基本的なこと。むしろ、グレン様にあのような恐るべき術をあの場で使わせたこと、勝利と呼んで差し支えございませんわ」
落ち着き払った声色で、それでもどこか楽しそうにエレノアが言う。
「それよりもバークス様。いかが致しましょう。あの区画を突破されてしまいましたら、この中央制御室まではもう、目と鼻の先――早急に対処する必要が御座います」
「そんなことは、わかっておる!」
苛々と、バークスは青髪の青年へと振り返った。
「おい、そこの貴様!」
「……はい、僕に何か御用でしょうか?」
「後に残った儀式の細かい調整は任せる!お前でもそのくらいはできるだろう?」
「できますけど…バークスさんはどうするのですか?」
「ふん!私自ら政府の戦争犬どもと連邦のハゲワシを駆逐してやろうというのだ。魔術を戦争にしか使えぬ能無し共に、真の魔術師の威力を教育してやるのだ!エレノア、お前も来い!」
「畏まりましたわ、バークス様」
そしてエレノアを伴い、バークスは肩を怒らせて部屋を出て行く。
残されたのは青髪の青年とリィエル、そしてルミアだ。
「さて…そういうことなら、気合を入れないとね……」
青年の口元には不気味な笑みが浮かんでいた。
……。
…………。
「まったく、帝国政府と連邦政府の犬共め…私の城へ土足で踏み入りよってからに…ええい、忌々しい!」
薄暗い通路を、見るに不機嫌そうにズカズカ突き進むバークス。
その後ろで。
(……さて、いかがいたしましょうか)
エレノアはその氷のような微笑の裏で静かに物思う。
このままいけば自分は、アルベルト、グレン、ジョセフ、三人の魔導士を相手にすることになる。
帝国宮廷魔導士団のエース、≪星≫のアルベルト。
連邦陸軍最強の特殊部隊、デルタのエースで、『黒い悪魔』の異名を持つ、≪マサチューセッツ≫のジョセフ。
そして、元・帝国宮廷魔導士、≪愚者≫のグレン。
……正直、嫌な組み合わせだ。
個々の能力もさることながら、この三人の連携があまりにも完璧に過ぎる。
(対してこちらの戦力は、私と――)
ちらりと、前方を流し見る。
「大体、グレン=レーダスという男はなんだ!?たかが第三階梯の三流魔術師のくせに…ッ!?そもそも、崇高なる智慧者たる魔術師が、銃などという愚劣で卑しい玩具を使うだと!?魔術師の面汚しめ、生かしておけんッ!何が【愚者の世界】だ!?何が【イクスティンクション・レイ】だッ!?そのようなクズのごとき術式で調子に乗りおってからに……ッ!」
(ふぅ…正直、お話になりませんわね……)
もう苦笑いするしかない。
アルベルトは強い。
ジョセフもいずれ相手する時が来るだろう。その時は、アルベルトとは違う形で苦戦するかもしれない。それに、まだ何か隠し持っている力がある。
だが、それ以上にグレンが厄介だと、エレノアは感じている。
(以前、私が女王に仕掛けた罠…それを無効化してみせたあの固有魔術…【愚者の世界】…その術の性質はまだ完全に見切れていませんが……)
恐らく、自分とグレンの魔術戦の相性は最悪だ。
魔術師としては、グレンは遥かに自分の格下のようだが――万が一が、確実にある。
(……困りますわね、その万が一は)
組織のため…そして、大導師のためなら何も惜しくないこの命。大導師に死ねと命じられれば、喜んで死んでみせる。それがエレノアの誇り。
(……くすくす、だって、私はもう、あの時に死んでいるのですから……)
だが、エレノアはまだ、ここでの目的を果たしていない。
ゆえに、もうしばらく、この研究所内に留まる必要がある。
今は、その万が一にも死ぬわけにはいかない…敬愛する大導師様のために。
ならば、どうするか?
(仕方ありませんわ…少々、時期尚早かもしれませんが……)
すっと。
エレノアは前方をいくバークスの背中を指さして――
小声で呪文を唱えた。
今回はここいらでよかろう。