ロクでなし魔術講師ととある特殊部隊員   作:藤氏

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朝、寒すぎる。


36話

「はぁ…はぁ…はぁ……」

 

 呪文の余韻による酷い脱力感と疲労感を堪えながら、グレンは荒い息を吐いていた。

 

「く……」

 

 手先が震える。全身が凍えるように寒い。気持ち悪い汗が滝のように流れる。

 

 当然のように魔力の過剰消費から来るマナ欠乏症だ。

 

 グレンは黒魔改【イクスティンクション・レイ】を完璧に制御できるわけではない。ただ、セリカに教わったちょっとした裏技を使って、その片鱗――鞘に収まった剣から微かに漏れる光のようなものを、使っているに過ぎない。

 

 グレンが必死に、呪文行使後の魂が抜けるような虚脱感に耐えていると。

 

「ご苦労だったな、グレン」

 

 アルベルトが何かを無愛想に投げ寄越す。

 

「……これは」

 

 それを受け取って、まじまじと見つめたグレンが目を見開いた。

 

 魔晶石――予備魔力が詰まった、宝石だ。

 

「使え。俺の魔力は、お前の魔力とは相性が良くないが…暫く休めばマシになる」

 

 戦闘に生きる魔導士にとって、自身の予備魔力が詰まった魔晶石は命綱も同然だ。そもそも魔晶石に魔力を溜めるのは、一流の魔術師でもとにかく時間と手間がかかるのだ。

 

 それをあっさり他人に投げ寄越すアルベルトに、グレンは驚きと――

 

(――隠せなくもねーや。そういや、コイツはそういうやつだ)

 

 グレンは、受け取った魔晶石をぐっと握り締めた。

 

(効率と数字を信奉する冷血漢のようで…どこか義理堅い…変なやつだ……)

 

 魔晶石に込められた魔力が流れ込んできて、マナ欠乏症の苦痛が徐々に和らいでいく。

 

「……ありがたく使わせてもらうぜ」

 

「使ってから言うな」

 

 相変わらすのやりとりをしながら、グレンがよろよろと立ち上がる。

 

「……はぁ…はぁ…とりあえず、お敵さん、これで品切れか?」

 

『そのようですね、バークス百貨店のバーゲンセールは終了したようです』

 

「そのようだな」

 

 アルベルトは周囲に油断なく注意を払いながら、グレンの呼気が整うのをしばし待つ。

 

 そして。

 

「……急ぐぞ」

 

「ああ」

 

 三人は奥の扉から部屋を抜け、暗く狭い通路を進んで行く。

 

 しばらく歩くと、不意に開けた空間に出た。

 

「ここは……?」

 

 何かの保管庫のようだった。

 

 大広間のような室内は薄暗い。床や壁、高い天井の所々に設置された結晶型の光源――魔術の照明装置の光はかなり絞られており、足元がよく見えない。そして、辺りには謎の液体で満たされたガラス円筒が、無数に、延々と規則正しく立ち並んでいた。

 

 それらガラス円筒の一つ一つが、部屋のあちこちに設置されたガラクタの塊のような魔導装置にコードで繋がれ、その装置は現在進行形で低い音を立てて稼働している。

 

『……これは?』

 

 ふと、ジョセフはガラス円筒の中に、球状の何にかが浮いていることに気付く。

 

 周囲が薄暗いため、そのガラス円筒の中身がよく見えない。

 

 ジョセフは何気なくガラス円筒に近づいて、中を覗き込んで――

 

『ジーザス……』

 

 その正体を見て、表情を険しくし、呟いた。

 

「これは……ッ!?」

 

 グレンも中を見て、吐き気を堪えるように口元を押さえている。

 

「……ッ!」

 

 アルベルトも、その表情をいつも以上に硬く険しくする。

 

 ガラス円筒の謎の液体の中に浮いていたのは…人間の脳髄だったのだ。

 

「な、な、なんなんだ、これは!?」

 

 よく見れば、隣の円筒もそうだ。その隣もそう。その隣の隣もそうだ。

 

 取り出された人間の脳髄が、延々と標本のように並んでいる――

 

 ――否、実際にこれは標本なのだろう。

 

 人間の標本。見るも聞くもおぞましい、背徳と冒涜の所業。

 

 それらを前に、呆然と絶句するグレンを他所に。

 

「……『感応増幅者』…『生体発電能力者』…『発火能力者』……」

 

 アルベルトは足音を低く響かせながら、立ち並ぶ円筒の傍らを次々と過っていき、ガラス円筒につけられているラベルの文字を淡々と読み上げていく。

 

『……全ての円筒に異能能力名がラベルされている。後は被検体ナンバーと各種基礎能力値データが少々…つまり、これは「異能者」達の成れの果てか』

 

 ジョセフはアルベルトの言葉とラベルを見て、推測し、アルベルトは足を止め、立ち並ぶガラス円筒達へ鋭い眼差しを送った。

 

「どうやら此処では想像以上に、悍ましい実験が繰り返されていたようだ」

 

「なんてことを――バークスの野郎、真っ黒クロスケじゃねえかッ!?これが人間のやることか!?」

 

 腸が煮えくり返るような怒りに、グレンが握り固めた拳を震わせていると。

 

「恐らく、奴は異能者を人間と思っていないのだろう」

 

「なんだと!?」

 

 冷静冷淡なアルベルトの言葉に、グレンは驚愕の表情で振り返る。

 

「公の場では、そのような素振りは微塵も見せなかったようだが…内定調査によると、バークス=ブラウモンは相当の『異能嫌い』…典型的な異能差別主義者だった筈だ」

 

『なるほど、だからルミアを見る目があんなに冷たかったのか』

 

 異能。

 

 ごく稀に、人が先天的に持って生まれる特殊な超能力を指す言葉。

 

 基本、学べば誰でも扱えるようになる魔術と異なり、異能は生まれついての異能者でなければ使うことができず、現代の魔術では再現不可能な効果を持つ強力な異能も多い。

 

 その自分が決して持ちえぬ卓越した力に対する羨望か、あるいは嫉妬か、異能嫌いの魔術師は少なくない。その無知さゆえに異能を忌避する人間も多い。

 

「ふざけんな……ッ!魔術も異能も似たようなもんだろうが!」

 

「……今更吠えるな。伝統的にこの国では、何故か魔術は『畏怖』の対象であり――異能は『嫌悪』の対象だ。この二つは似ているようで、まるで意味が違う。前者は強固な社会的地位を確立する後ろ盾と成り得るが、後者は常に差別と迫害の対象と成り得る」

 

 帝国から異能に寛容な連邦に亡命同然の移住をするくらいだ。それゆえ、連邦が帝国民には、特にこの面はあまり好ましく思われていない。

 

 帝国で、差別・迫害されている最も代表的なのがルミアだろう。

 

 ルミアは『感応増幅者』と呼ばれる能力者だったが、たったそれだけでヒステリックなまでに、王室から排除されている。

 

「女王陛下の意識改善政策によって、最近の若者の間ではその意識も変わりつつあるが…基本的には、それが帝国民に広く根強く浸透した共通意識だ。尤も――非常に歪で不自然、そして不愉快極まりない事だがな」

 

 常に氷のように冷静なアルベルトが、珍しく不機嫌そうに言葉を連ねていく。

 

「お前の言う通り、見た目は魔術も異能も然程変わらない。素人には見分けなど、つかん。だが、この国では何故かそういう事になっている。地方の精霊信仰や土着宗教に於いては、時に『異能者』は信仰の対象とすらなる事もなるのにな。それに、帝国とは正反対に異能に寛容な連邦に、まるでそうさせているかのように移住させている感じもある。何か理由があるのか――それとも、誰かがそうなるように仕向けたか――」

 

「ちっ…ンなこと、今はどうでもいい!」

 

 グレンが周囲を見渡す。何かに縋るような、神に祈るような、そんな表情だ。

 

 すると。

 

 グレンは、ふと『それ』に気付いた。

 

 立ち並ぶガラス円筒群の一番奥にあった『それ』。

 

 液体に満たされた円の中に吊るされている『それ』はまだ、人の形をしていて――

 

 グレンは衝動的に、『それ』に向かって駆け出していた。

 

「アルベルト、ジョセフ、見ろ!あいつ、まだ生きてるぞ!早く助け――」

 

 だが、不意にグレンは駆け寄る足を止め、言いかけた言葉を飲み込んだ。

 

 ジョセフとアルベルトも追いつき、『それ』を見る。

 

 ガラス円筒の中に浮かぶ『それ』の正体はまだ、年端もいかない少女だ。歳はジョセフやグレンのクラスの生徒達とそう変わらないだろう。

 

 だが、その少女は手足が切断され、全身を無数のチューブに繋がれて、魔術的に『生かされている』状態であった。すでに一個の生命として、独立して生存する機能を完全に奪われている。この装置から解き放たれたら、この少女は数分と生きられないだろう。

 

 この少女はもう、あらゆる意味で『終わって』いる。生物としての体を成していない。肉体が微かに生命反応を示すというだけで…もうとっくに『死んで』いたのだ。

 

(あぁ…なんてことだ…神よ……)

 

 その『生かされている』、まさに苦痛の極みであるその姿に、ジョセフは呆然と立ち尽くす。

 

 グレンもやりきれない悲しみと怒りに、手の骨が砕けんばかりに拳を握り固める。

 

 魔術は時にこんな残酷で残虐なことを、平気でやってのけるモノである。それを本来使う者は、それを操らなきゃいけない。魔術だけではない、軍人になって銃を持ち始めた時、力などに操られてはいけないと、老いてもなお『狂犬』と呼ばれる師匠に教えられた。

 

 だが、やはり力に飲み込まれる者もいる。そして、残酷で残虐なことを平気でやってのける。

 

 ジョセフもわかっていたが、魔術学院で過ごす毎日があまりにも優しい日々だったから、いつの間にかすっかり失念していたのだ。

 

(もうこの状態から解放できるとしたら、できることはただ一つ……)

 

 楽にさせるしかない。

 

 こんな状態でも、微かに意識はあったらしく、少女が身じろきする。

 

 少女の虚ろな目が、茫然自失のグレンと目が合う。

 

 そして、何を言っているのかわかりにくいが、少女の口が弱々しく動く。

 

 恐らく言いたいことはわかる。ジョセフはM1903を構え、少女の心臓に狙いを定める。

 

 どんなに努力しても、どんなに強くなっても、どんなに必死に手を伸ばしても…手からこぼれ落ちていく、救えない者達がいる。そんなの、北部戦線で嫌というほど思い知らされてきた。

 

 そして――

 

 引き金を引き銃声が部屋に響く。

 

 銃弾はガラスの円筒ごしに少女の心臓を正確無比に貫いて――

 

 苦痛すら感じさせる暇もなく、哀れな少女の命を瞬時に刈り取っていた。

 

『…………』

 

 そして黙ってボルトを引き、空薬莢が飛び出し、床に金属音を立てる。

 

「……理不尽なもんやな」

 

 ジョセフは制服姿に戻り、グレンの隣に立つとぽつりと呟く。

 

 アルベルトは、空いた穴から液体が漏れる円筒の前で、静かに黙祷を捧げる。

 

「……嫌な役、任せちまったな…すまねえ…その…俺じゃ絶対、無理だからよ……」

 

「…………」

 

 どうしようもない感傷が三人の間を漂っていた…その時だ。

 

「貴様らぁ!?私の貴重な実験材料になんてことをしてくれた!?」

 

 場違いで筋違いな罵声が、その部屋に響き渡った。

 

「バークス=ブラウモンッ!」

 

 見れば、バークスが円筒の群れの向こう側にある出入り口に姿を現していた。

 

「おのれぇッ!今、貴様らが壊したサンプルがいかに魔術的に貴重なものか、それすらも理解できんのか!?この愚鈍な駄犬共ッ!絶対に許さんぞッ!」

 

「なぁ、お前……」

 

 グレンが幽鬼のような表情で、バークスを一瞥する。

 

「聞くだけ無駄だろうが…お前が切り刻んで標本にした人達のこと…どう思ってるんだ?少しは罪の意識とかねーのかよ?」

 

「はぁ?罪だと?何を戯けたことを」

 

 完全に馬鹿を見るような眼で、バークスがグレンを見やる。

 

「偉大なる魔術師たる私のために身を捧げることができたのだぞ?寧ろありがたく思って欲しいくらいだ。大体、どいつもこいつもまったく役に立たん…だが!」

 

 バークスはぬけぬけとそんな事を言ってのけ、そして今度は怒り心頭とばかりにわなわなと震え始める。

 

「たまたま、少しは役に立ちそうな実験材料が見つかったと思えば、たった今、貴様らが台無しにしてくれた…いい加減にしろッ!魔術の崇高さを欠片も理解できぬ愚者共が…ッ!地獄に堕ちろッ!」

 

「あー、うん、もうね、なんつーか、あれだ。お前、本物だよ。本物の、クズだ――」

 

 冷静に怒り狂ったグレンは衝動的に、背中に隠してある銃へと手を伸ばし――

 

「まて、グレン。この男の相手は俺が務める」

 

 アルベルトが、グレンの肩を掴み、その動きを制した。普段と変わらず氷のように落ち着き払っているが…そのグレンの肩を掴む手には、妙に力が籠っている。

 

「……アルベルト」

 

 見れば、アルベルトのバークスを睨む瞳は普段より数段鋭さを増しており、グレンですら見ていてぞっとするほどだ。

 

「先生はリィエルの説得をするんでしょう?これから先は、何かあるかわからんですし、銃もウチみたいにホイホイ再装填できんでしょうから。銃と固有魔術は温存しといて、先に進んでくださいな。コイツは俺と『星』さんが相手するんで」

 

「ジョセフ……」

 

 見ればジョセフの瞳はバークスを確実に殺すという目つきになっている。

 

「それに、エレノア=シャーレットが居る以上、先生の固有魔術の存在は既に割れているでしょう。その上で、こうしてたった一人でウチらんとこに現れる以上、勝算があるのでしょう。バークスとの戦いは長引くと思います」

 

「だったら、なおさら――」

 

「時間が惜しい。可能性としては低いだろうが、今、この瞬間に王女があのような姿にされつつある可能性は否定出来ん」

 

「っ!」

 

 標本にされてしまった異能者達の無残な姿が、グレンの脳裏を過ぎる。

 

「俺達の命以上に王女の命が最優先だ。それに、恐らくお前ならエレノアを相手に有利に戦える。ここにリィエルが姿を見せていない以上、この布陣が鉄壁だ。異論は認めん」

 

「というわけです」

 

「援護任せた」

 

 ジョセフの言葉に応じた途端、グレンが駆け出した。

 

 目指すはバークスの背後にある、この部屋の出入り口。

 

 何の迷いも躊躇もなく、まっすぐ駆ける――

 

「馬鹿が!良い的だ!≪猛き雷帝――」

 

「≪気高く・吠えよ炎獅子≫!」

 

 グレンを迎え撃とうと呪文を唱え始めたバークスに先駆けて、アルベルトはすでに、黒魔【ブレイズ・バースト】の呪文を二節のルーンで唱えていた。

 

「――ッ!?馬鹿な!?その位置から【ブレイズ・バースト】だと!?貴様、仲間を巻き込む気か――ッ!?」

 

 飛来してくる火球に、バークスは泡を食って、黒魔【フォース・シールド】を唱える。

 

 グレンは背後から迫る火球をいにも介さず、そのまま駆ける足を緩めず――

 

 火球が床に着弾、炸裂。

 

 刹那、爆炎が嵐のように渦巻き、バークスとグレンを飲み込んだ。

 

「――ぉおおおおッ!?」

 

 否。拡散する爆炎が飲み込んだのはバークスだけだ。

 

 猛き荒ぶる炎嵐は、なぜか計ったようにグレンだけを避けて流れ、荒れ狂う。

 

 グレンは魔力障壁の向こうで身動きの取れないバークスを他所に、ゆうゆうと部屋の出入り口へと辿り着き、そのままあっという間に走り去っていった。

 

 やがて、天井を焼き焦がす炎柱は嘘のように鎮まり――

 

「ほう…無差別威力呪文をまさか、たった一節の追加節句による即興改変で、これほどまで完璧に制御してのけるとは…駄犬にしてはなかなか高尚なことをするのう……」

 

 黒魔【フォース・エッジ】を解除したバークスが不敵に頬を吊り上げる。

 

「…………」

 

「…………」

 

 アルベルトが獲物を狙い定めた鷹のような目でバークスを睨み据え、ジョセフは、氷点下に達するような、冷たい目でバークスを見る。

 

 戦況はバークスとアルベルト、ジョセフの一対二で対峙する盤面へと変わっていた。

 

「しかしな、貴様はさぞかし己の力を過大評価しているだろうが…しょせん、戦争犬の浅知恵、真の魔術師が振るう本物の神秘の前には児戯に等しいものなのだよ」

 

「――≪雷槍よ≫」

 

 御託はいらない、とばかりにアルベルトはバークスを指さし、黒魔【ライトニング・ピアス】を唱える。

 

「ふん、無粋な…≪霧散せり≫!」

 

 即応し、バークスが黒魔【トライ・パニッシュ】を唱える。

 

 高速で飛来する一条の雷閃が虚空で打ち消され、魔力の残滓が散華する。

 

 同時に。

 

 どす、と。バークスはいつの間にか手に持っていた金属製の注射器を、自分の首筋へと打ち込んでいた。止める暇もなく、押し子がぐっと押し込まれていく。

 

「……なにしとるん?」

 

 バークスの妙な行動を警戒して身構えるアルベルトとジョセフへ、バークスが告げる。

 

「気になるか?ふっ、これはな…魔術を破壊にしか利用できぬ、下らない犬の分際に過ぎん貴様らには想像もつかぬ神秘の産物よ」

 

 その時、バークスの身体に異変が起きた。

 

 バークスの全身の筋肉が突然、隆起し始めたのだ。初老にしては体格の良いバークスの身体が、めきめきと、さらに不自然に膨れ上がっていく――その全身に視覚的にわかるほどの圧倒的な力が漲っていく――

 

「……ッ!」

 

「神秘的って…ドラッグかよ……」

 

 微かに目を見開いて硬直するアルベルト、呆れるジョセフを見て、バークスが酔ったように高笑いした。

 

「ふははは!お前らにこれの凄さがわかるか!?今、この私に何が起こっているか理解出来るか?この発見を魔術学会で報告すれば――」

 

「馬鹿にされるな」

 

 ジョセフはボルトを引き素早く弾倉に銃弾四発装填し、バークスに狙いを定める。

 

 そして銃口から空気を切り裂くように、銃弾がバークスの脳天に飛んでいく。

 

 刹那、狙い過たず、バークスの脳天を撃ち貫く。

 

 ――が。

 

「効かん、効かんなぁ……」

 

 バークスはほんの少しだけ、仰け反っただけだった。

 

 穴の空いた脳天が、めきめきと音を立てて、塞がっていく。

 

「≪吠えよ炎獅子≫!」

 

 その様子を目にしたアルベルトは、後方に跳躍しながら、さらに呪文を唱える。ジョセフも合わせて後方に跳躍する。

 

 上がる爆炎。渦巻く爆風。吹き荒れる熱波。

 

 今度は、バークスの左腕が吹き飛ぶが――

 

「はて…?何かしたかの?」

 

 それもまた信じられない速度で骨が生え、肉が成長し、めきめきと再生していく。

 

 そして、バークスが呪文も唱えずに、ぬん、気合を込めると。

 

「――ッ!」

 

 バークスの右腕が激しい勢いで燃え上がり始めた。

 

「――詠唱済みの炎熱系攻性呪文なん?」

 

 だが、その呪文起動には何の布石も無い。

 

 即座に打ち消してやろうとアルベルトは黒魔【トライ・パニッシュ】を唱えかけて――

 

「あの熱量は、あかん、『星』!あれは攻性呪文ちゃう――」

 

 刹那、バークスの腕から炎の帯がうねり上げて、アルベルトとジョセフに襲い掛かり――

 

(予唱呪文を作成可能なC級を遥かに超えている。恐らくB級呪文クラス――)

 

 アルベルトは舌打ちしながら、起動しかけていた黒魔【トライ・パニッシュ】を中断した。

 

 アルベルトの読みが正しければ、この炎は打ち消しができない。

 

(間に合うか――)

 

 そして、アルベルトが矢継ぎ早に呪文を唱え――

 

 ジョセフはアルベルトの背後に回り――

 

 同時に、二人を荒れ狂う灼熱炎が飲み込んだ。

 

 上がる火柱。周囲のガラス円筒が燃え上がって溶けるほどの暴力的な熱量の咆哮。

 

 バークスの放った超火力によって、辺り一面があっという間に火の海と化す――

 

「ほほう?耐えたか?」

 

 激しく滾る灼熱地獄の中にその影を見つけたバークスは、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「やれやれ…小癪な小細工だけは上手いのう…貴様ら戦争犬は」

 

「………」

 

「うひゃあ…エグいな」

 

 光の六角形模様が半球状に並ぶ魔力障壁の向こう側に、アルベルト、ジョセフの姿があった。

 

 黒魔【フォース・シールド】。この魔力障壁は外界からのあらゆる攻撃を遮断する。

 

「だが、こういうこともできるぞ?」

 

 バークスがアルベルト、ジョセフを睨みながら、手をかざす。

 

 すると。

 

 アルベルトらの周辺があれだけ激しく燃え滾っていた炎が、さっと消えて……

 

 それを見て取ったアルベルト、ジョセフは、咄嗟に呪文を叫んだ。

 

「≪荒ぶる風よ≫!」

 

「≪あらよっと≫!」

 

 局所的に収束する突風を放つ呪文、黒魔【ゲイル・ブロウ】を二人は床に叩きつける。

 

 その荒れ暴風の威力で、二人の身体が後方に吹っ飛ぶ。

 

 次の瞬間。

 

 ぱきり、と。二人がほんの半瞬前まで居た空間が、ガラスが砕けるような音を立てて、一瞬で氷点下を極限まで振り切っていた。

 

 霜の降りた床、完全に凍りついた溶けかけのガラス円筒。

 

 その空間の周囲は未だ、炎が煉獄のように燃え盛っているのに、その空間だけは氷結地獄のように凍てついている。アルベルトとジョセフがあのまま魔力障壁の内側に留まっていれば、全身の血液が凍りついていただろう。

 

「ち――」

 

 一方、自ら吹き飛んだアルベルトとジョセフはそれぞれ身を捻って着地し、勢いでそのまま数メトラほど滑り下がりながら、バークスを睨む。

 

「ホンマえげつないな…『再生能力』、『発火能力』、そして『冷凍能力』…お宅…まさか……」

 

「ほう、流石に堕落した連邦風情でも理解したか」

 

 得意げにバークスが言う。

 

「私はな…生命の神秘を解き明かすため、無数の異能者を調査・研究する過程でな…その異能力を異能者から抽出し、己の能力として意図的に引き起こせる魔薬の合成に成功したのだよ…ふははははははっ!」

 

「……ッ!」

 

 アルベルトの鋭い瞳がさらに鋭くなる。

 

「しょせん、異能といってもこんなものよ!異能は先天的にしか持ちえぬもので、魔術師には扱えないもの?異能は魔術を超えた神秘?馬鹿を言ってはいかん!異能ごとき、真の魔術師にとってはやはり使われる道具の一つに過ぎぬ!そして見たか、この超威力!貴様ら戦争犬がせせこましく鍛え練り上げたものを簡単に凌駕する、完璧で最強の力、これが魔術師だ!魔術師の真の力だ!」

 

「…………」 

 

「ほう?つまりあれか?異能者が羨ましくて、ボクちゃんもなりたいって、異能者を攫い、脳を取り出して魔薬を作り、やったー、これでボクちゃんも異能者になりましたってか?それがアンタの言う『真の魔術師』ってやつか?」

 

「黙れ!今は使える異能もまだまだ少ないが、いずれ研究が進めば、全ての異能を我がものにしてくれよう!この力さえあれば、私はすぐにでも第三団≪天位≫にのしあがれるだろうなッ!その暁には、この世界で一番最悪のガンである連邦なぞ、焼き払ってくれよう!うわははははははははっ!私って凄い!」

 

 そんな興奮の絶頂にあるバークスとは裏腹に、アルベルトは無言。ひたすら無言。

 

 可燃性の溶液だったのか、破壊されて炎上している周囲のガラス円筒達。

 

 それらを一つ一つ、虚ろな眼で見つめていく。

 

 その中には、先ほどの少女だったモノもあって――

 

 ジョセフもそれを見つめる。

 

 もし、あれが――

 

「どうした、戦争犬?怖気づいたか?くっくっく、そろそろこの生ゴミ共の処分も必要だったことだ。生ゴミの処分ついでに貴様らも処分してやる……」

 

 と、その時だった。

 

「屑が」

 

 突然、アルベルトがバークスへ唾棄するかのように、鋭く冷たく吐き捨てた。

 

「……は?」

 

「屑の上に、取るに足らない雑魚ときたのでは救いが無い。エレノア=シャーレットの不死性や真なる異能の使い手達と比べれば、貴様のそれなど、まるで児戯――」

 

「な…ッ!?ざ、雑魚…ッ!?児戯…だとぉ……ッ!?」

 

「はっ、サルみたいにはしゃいでいるが、そんな下らない手品で殺されたんじゃ、異能者達も浮かばれへんな」

 

「さ、サル…ッ!?く、だらない…手品だとぉ……ッ!?」

 

 アルベルトとジョセフの容赦ない言葉はバークスの逆鱗に触れたらしい。

 

「わ、わた、私のこのこの、この力がッ!てじ、てじ、手品だとぉ――ッ!?」

 

 みるみる顔を真っ赤に染めるバークスに、アルベルトが冷ややかに言い捨て、ジョセフが挑発するように言う。

 

「いいだろう、掛かって来い、外道。――戦闘というものを教えてやる」

 

「ほら、来なはれ、ド素人。プロが教えてやんよ」

 

 只ひたすら刃のように鋭いその瞳で、ジョセフは嘲笑じみた瞳で、バークスを射貫いて――

 

 ジョセフはM1903を、アルベルトは左手の指を、バークスに向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




こんなもんでよかろう

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