それから――一週間。
通常授業をいつも通り進める傍ら、遺跡調査計画の立案、スケジュールの調整、必要物資の手配、参加生徒達を集めてのミーティング(因みにこの時にジョセフも参加するということを伝えた)、生徒達の野外活動時における生存術の指導…出発前にやるべきことは山のようにあった。
そして、慌ただしく日は過ぎ――いよいよ、遺跡調査出発前日の夜。
フェジテ南地区の繁華街、入り組んだ路地裏の奥にひっそりと隠れるように据えられた場末のバー。その薄暗い店内の奥のカウンター席にて。
「……まぁ、これでなんとかなるだろ……」
カウンターの上に、グレンがぐったりと頭を突っ伏していた。
今日まで様々な準備に忙殺されていたグレンが、ようやく息をついていたのである。
「あいつらがまーだ、どこかピクニック気分なのが気になるが…まぁ、しゃーねえ、いざとなりゃ、俺がフォローしてやるか……」
そもそも、グレンは彼らに対してあまり強く言える立場ではない。
自分が身体を張ってやるくらいは、するべきだろう。
「さて……」
本日、グレンがこんな場末にわざわざやってきたのは、別に飲みたいからではない。
とある人物と会うためだ。
だが、待ち人の姿はまだない。待ち合わせ予定の一時間も前ならば当然だ。
「……ちと、早く来すぎたか……」
いつもなら、グレンが遅刻ぎりぎりで駆け込むのだが、本日は南地区に野暮用があり、たまたま近くまで来ていたのでこうなったのである。
「暇だな…なんか暇を潰せるもんは……」
手持ち無沙汰なグレンは、足下に置いた自分の鞄をごそごそと漁り始めた。
すると、その手が分厚い紙束を探り当てる。
「……ん?これは……」
荷物がごちゃごちゃと詰まった鞄の中から、それを無理矢理引きずり出す。
それは一束の魔術論文であった。
表題は『考察:タウムの天文神殿の時空間転移魔術について』。
「あ、これが学院長の言ってたやつか…この論文のせいで、タウムの天文神殿を再調査せざるを得なくなったていう……」
何日か前、学院の付属図書館から講師の閲覧権限を行使して、その肝心要の論文の写本を借りていたのを、自分はすっかり忘れていたらしい。
「そいえば、準備で忙しくて、まだ本腰入れては読んでなかったな……」
真面目で口やかましい白髪の誰かさんがここにいたら、なってない!と、たちまち説教が始まっていたことだろう。
「……まぁ、暇潰しにはなるか」
欠伸を零しながら、グレンは紙の束をめくり始めた。
その論文の冒頭は、何の変哲もない凡庸な内容であった。過去、様々な調査隊が何度も行ってきた『タウムの天文神殿』の調査結果と、遺跡に纏わる過去の諸処の文献調査の結果や各種碑文の翻訳などが、簡潔に纏められているだけだ。
(しっかし、本当に何もねーんだな、この遺跡……)
グレンはジト目で論文を流し読みしていく。
遺跡内に数多くある碑文から、古代史に関する貴重な情報こそ色々とあるようだが、魔導考古学の肝となる『古代魔術の研究』に役立つ魔法遺産の類は出土されていないようである。遺跡内のマッピングも完璧だ。隠し部屋の類も全て暴かれている。この遺跡に改めて探索・調査する余地なんてどこにもない。
(ここまで何もないと、なんだかヤバい気がしてくるな…論文執筆的な意味で)
こりゃ書くことに困るだろうな…と、思わず欠伸が漏れるが。
著者独自の研究・見解に話が移ったとき、その論調の毛色が劇的に変わった。
誰もが無意味で無価値な遺跡と断じ続けてきた『タウムの天文神殿』は、その施設自体が、古代の時空間転移魔術の儀式場であり、巨大な魔導装置だったのだ――と。
(しっかし、一体、なんで、そんな突拍子もない結論が出てきたんだ……?)
小馬鹿にするように口の端を吊り上げながらも、指は独りでに頁をめくり続ける。
時間と空間を操る時空間系の魔術は、黒魔術最高の奥義と言っても過言ではない。
当然、そのあまりの高度さに、時空間転移魔術でやれることは理論的な限界がある。
だが、この論文では、この遺跡の力を使えば、かなり時間と空間を自由自在にできる可能性が示唆されている。特に、時間旅行…なんとも夢のある話だ。
(ったく、夢見過ぎだ…この筆者が提唱する仕様どおりの時空間転移魔術が実在しちまったら、なんつーか…世界がヤバイだろ)
つい、苦笑いをこぼしてしまうが。
「……っ!…ほぅ……?」
文面に目を通していくうちに、グレンはどんどんと論文へ引き込まれていく。
各地に残された碑文や壁画や伝承から、古代では時空間転移魔術に関する研究と実践が盛んに行われていたことの裏付け。今までとは異なる切り口からの遺跡調査。長距離空間転移に必要な霊脈と、遺跡に通う霊脈の隠された類似点からの理論考察、思考実験…等々。
一体、何がこの筆者をここまで駆り立てたのか。
まるで広大な砂漠から砂粒を一つ一つ丁寧に拾い集めるような作業の果てに構築された理論と仮説に、グレンはいつしか引き込まれ、圧倒されていた。
確かに、あの何の変哲もない『タウムの天文神殿』がいかにも重大な魔導施設のように思えてくる。予めそのような意図の元に建築された建造物のように思えてくる。
が…しかし、著者の組み上げた推論上、遺跡内に存在して然るべきはずの魔術は…結局、最後まで発見されなかったという。
一体、なぜ?どうして?何が足りないのか?何を見落としているのか?
そんな筆者のもどかしさが、文面からにじみ出てくるようだった。
「……っと、思わず読みふけっちまった……」
ふぅ、と息をついて文章から目を離す。
時計を見れば、ほんの暇潰しだったはずなのに、結構な時間が経っていた。
「でもまぁ、こんな報告があるんじゃ確かに無視はできないし…同時に、見栄っ張りな教授どもは、誰も『タウムの天文神殿』を再調査したがらなくなるだろ…どう頑張って論文を書いても、これの劣化レプリカになるしな……」
成果は何一つないが、魔術師ならば一度は目に通すべき傑作だ。その柔軟な発想法に思考法、精緻な理論構築技術に情報整理能力は、誰しもが見習うべきものだろう。
「……一体、誰がこれほどの論文を書いたんだ?」
ふと興味が湧いて、グレンは表紙に記載されている筆者名をちらりと見た。
レドルフ=フィーベル、とあった。
「ん?フィーベル?…あれ?これ、どっかで聞いたような……」
グレンの脳裏に、銀髪の口うるさい誰かさんの顔が思い浮かびかけると……
「珍しいな。お前の方が早く来るとは」
「うおわぁ――っ!?」
すぐ後ろから、なんの気配も前触れもなく響いた冷淡な声に、グレンが肩を震わせる。
取り落としそうになる論文の束を咄嗟に手で押さえ、いつの間にか背後に立っていた青年を、グレンは非難がましく睨み付ける。
「お、お、脅かすなっつーのッ!?アルベルトッ!」
「気を抜き過ぎだ。俺が暗殺者なら、今、お前を三度殺せたぞ」
愛想の欠片もなく、青年――アルベルト淡々と言い放っていた。
今日は、アルベルトとの定期的な情報交換の日であったのだ。
「しかし…また、何やら厄介事を抱え込んでいるようだな、グレン」
「あー、それはだな……」
「ふん。己の不始末の後処理に生徒達、挙句には深手を負った『黒い悪魔』を巻き込むとは。最早、呆れて物も言えん」
アルベルトは突き放すように言い、グレンの隣に腰かける。
当然、アルベルトはグレンは明日から何をするつもりなのか、とうにお見通しのようであった。その冷徹な鉄面皮の端々に、呆れと怒りが滲んでいる。
「う、ぐ…い、いやぁ…その、こちらにも色々と事情がございましてねぇ……」
「…………」
言い訳がましい言葉に応じず、アルベルトは無言でマスターに指で合図し、カウンター上に滑らせるように送られてきたブランデーのグラスを受け取った。
「ったく、相変わらず無愛想なやつめ……」
グレンもそれに倣い、ブランデーを注文する。
……それから。
しばらくの間、二人は互いの身辺や帝国政府や軍の動向、学院の様子などの情報を交換し、事務的に確認し合う作業を続けた。
「……ところで、アルベルト。最近、件の組織の動きはどうなってる?」
やがて、グレンはその話題を最も気になる点へと移した。
「連中…最近、妙に大人しいとは思うんだが……」
件の組織――とは、無論、廃嫡された元・王女であり禁忌の異能者でもあるルミアを、生死問わず執拗に付け狙う謎の魔術結社――天の智慧研究会のことである。
「先日、王女を狙って仕掛けてきた」
「なんだと!?マジか――ッ!?」
予想だにしなかった返答に、思わずグレンが声を荒げて立ち上がった。
グレンの剣幕が、誰もいない貸し切りの店内に寒々しく反響する。
「……落ち着け。お前が取り乱してどうする?」
「ぐ……」
アルベルトはいつもの冷静さのまま、グラスのブランデーを淡々と傾けている。
「……で、どうなった?」
一呼吸おいて、グレンはアルベルトに問いかける。
「事前に察知。密かに始末した」
「あっそ。なんつーか、スゲー安定感だな、おい」
こともなげに、あっさりそう答えたアルベルトに、グレンは呆れ交じりに呟く。
ブランデーのグラスを口へと運ぶ。なんだか味がしなかった。
「恐らく手柄を焦った末端の者の暴走だったのだろう。デルタがそいつらの隠れ家を襲撃したことによって仕掛けざるを得なかったが、大した位階の者ではなかった。練度も低い。捨て駒にもならん、稚拙で杜撰な攻めだ」
「そりゃ、お前が守る場所に攻め入るなら、どんな戦力でも杜撰な攻めになるだろうよ」
やれやれ、とグレンは肩を竦める。
グレンとて、元・帝国宮廷魔導士団の一員だ。魔術の腕前そのものは三流だが、生死をかけた戦闘に関しては、その限りではない。そのグレンに何も気付かせず、密かに事を収めてしまうアルベルトの手腕には、頼もしさ反面、戦慄すら覚えてしまう。
「その仕掛け以来、連中の機会を窺うような気配は完全に失せた。王女に関しては暫くの間、安全だと判断出来るだろう」
「そ、そうか!」
それは朗報だと表情を明るくするグレンに、アルベルトが淡々と告げる。
「だが、上からの情報に依れば、件の組織に今迄とは異なる動きが在るらしい。一時的にとはいえ、連中が王女から手を引いたのは、寧ろ此方が原因だとされている」
「別の動き……?」
「ああ。どうも組織は活動方針を変更し、新たな目的の下に動き始めている。その目的はまだ判明していないが、この件に関しては≪隠者≫の翁と≪法皇≫がデルタの≪ペンシルヴァニア≫、≪メリーランド≫、≪ロードアイランド≫と共同で当たっている」
「…………」
「加えて、近頃はジャティスの動きも気になる」
ジャティス=ロウファン。先月、グレンとシスティーナを巻き込んで、凄惨な大事件を引き起こした元・帝国宮廷魔導士団の凄腕…正真正銘の狂人だ。
「生死を偽り、約一年の雌伏の時を経て活動を再開したジャティスだが…先の事件の後、奴はフェジテ各地を単独で渡り歩き、天の智慧研究会に末端組織や、組織と通じている者を片端から潰して回っているようだ…時に無関係の市民を巻き込みながらな」
早速、胸糞が悪くなるような話が出てきてしまった。
ジャティスは、自身が唯一無二の無謬の天秤であると信じ切っている危険な男だ。それが必要だと判断した場合、ジャティスは何の罪のない他者を犠牲にすることに微塵も躊躇がない。良心の呵責すらない…それが自分にとっての『正義』だからである。
「そして先日未明、宮廷魔導士団の追跡討伐隊が西部でジャティスを捕捉、交戦。が、悉く返り討ちに遭い、全滅…完全にジャティスの掌に踊らされた形だ」
「くそっ…あいつは帝国も組織も敵に回して、一体、何がやりたいんだッ!?」
グレンの拳がカウンター上を叩く音が、虚しく店内に響いた。
「不明だ。だが、何かを探しているように見える。敢えて姿を晒して活動する事で、自分の存在を周囲に誇示し、わざと狙わせているとも取れる」
「あの野郎……」
グレンに対する執着といい、意味不明の示威行動といい、ジャティスという男が心底わからない。狂人の思考など、わからなくて当然なのかもしれないが。
「隣国のレザリアとの統治正統性を巡る国際緊張も近年、再び高まっている。それにつれて連邦も海軍が帝国西海岸に艦隊を派遣して演習することで、レザリアを牽制している。ごく最近、突如、活性化した極右の過激派――聖キャロル修道会の動向に、保安局も神経を尖らせる日々だ。兎に角、今の軍には懸念すべき案件が非常に多い」
そして、アルベルトは淡々と切り出した。
「帝国軍は現状を鑑み「、王女の護衛を≪戦車≫に一任し、俺を一時的に中央の軍務へ回す事を決定した。当面の案件が片付いたら、すぐに戻って来る心算だが…すまないな」
「お前、フェジテから離れるのか…ったく、相変わらず人手不足なのな……」
グレンが軍に在籍していた頃から、そうだった。
帝国宮廷魔導士団最強クラスの魔導士であり、あらゆる任務をオールラウンドにこなせるアルベルトは、軍の各方面から引っ張りだこだった。常人ならば、とうに過労死してもおかしくない数の任務を、アルベルトは淡々と完璧に遂行するのである。
「仕方の無い事だ。味方も敵も戦力は無限ではない。『餌』に食いつく魚影が無ければ、釣り人に竿を握らせる意味は無い…胸糞の悪い話だがな」
餌。アルベルトは皮肉を込めて自嘲的に言っているが、それが軍と政府の認識だ。
ルミアは、敵対組織の尻尾を掴むための『餌』なのだ。
それゆえに、今や、彼女の意思で勝手に学院を退学することも不可能となっている。
結界が存在する魔術学院に在籍し、捕捉に容易い場所にいてくれた方が、政府や軍にとって、『餌』や『監視対象』、万が一の時のための『処分対象』として、色々と都合がいいからだ。異能者という素性も魔術師の中には隠しやすい。
なんとも反吐が出る話だし、密かに娘を想う女王アリシアの心労は計り知れないが……
(それよりも、天の智慧研究会…なぜ、突然の方針変換を……?)
今まで、天の智慧研究会は形振り構わず、ルミアの身柄を確保しようと躍起だった。
それこそ、生死を問わないほどに。
それは恐らく、天の智慧研究会には何らかの目的があり、異能者であるルミアが、何らかの形でどうしても必要だから…そう考えるのが自然だ。
なのに、ここに来て組織のこの動きは…どうも引っかかる。
(ルミアの存在はもう、早急に押さえなければならないものではなくなった?)
グレンはどうにも胸騒ぎを隠せない。
(……この間の遠征学修…『Project:Revive Life』の一件…何か取り返しのつかないことを、見落としていないか……?)
気になることは、山のようにある。
だが、考えても、考えても…答えはまったく出そうになかった。
まだ日が青い空の真上にある頃――その遺跡は、ついにジョセフの前に姿を現した。
見渡せば、遥か遠くに美しい連峰、その麓に広がる美しき湖の乱反射。
見下ろせば、透き通った青空に明るい緑の大地が馴染む広大な草原。
そんな絶景を仰望できる切り立った崖の縁…この一帯でもっとも空に近き高台に。
その神殿は…静かに鎮座していた。
「あれが…『タウムの天文神殿』か…うひゃあ、デッカ……」
石で造られた、巨大な半球状の本殿。周囲に並び立つ無数の柱。渦を巻くような不思議な幾何学紋様が、石で構成されたその壁面にびっしりと刻まれている。
独特な建築様式で造られた――ニューヨークの建築デザイナーとか芸術家が見れば絶対作るであろう――その神殿は、背後に背負う圧倒的な勝景に負けることなく、その確かな存在感を誇示しながら、そこに在った。
「……一見、何かがありそうな感じやけどなぁ…でも、結局は何も見つからなかった…変な神殿やな」
今、ジョセフはグレンとの合流地点におり、ちょうど軍用ジープが駐車できそうな所に駐車し、降り立った。
ジョセフの格好は学院の制服ではなく、連邦陸軍の制服であり、黒を基調とした背広型の軍服に、グレーのトレンチコートを羽織っており、短靴を履いており、軍帽を被っていた。
一昨日、帝国に到着した後、一旦、港の近くにある宿に泊まり、その後、強行軍でこの場所にジープを途中で燃料を入れながら『タウムの天文神殿』を目指していた。
時間は昼。グレン達が着くのは日が傾く頃だろう。
ジョセフはまだ装着して間もない、黒でコーティングされている義手の状態をチェックする。
「うん、大丈夫やな」
手首を回したり、手を握ったり開いたり、ちゃんと肘の関節が曲がったりするかなど両腕の義手の状態をチェックし、異常がないことを確認する。
「さて、っと」
ジョセフはあたりを見回し、魔獣がいないかを確認する。今のところは少なくとも自分の周辺には魔獣は確認されていない。
「ここは先に露払いしておくか、それとも皆が来るのを待つか、はてさて……」
正直、何もやることがない。
まぁ、このまま待っていてるのもアレだからと、ジョセフは、ひとまずコーヒーを飲んでから、周囲を哨戒することにした。
――あれから、数時間後。
周囲を哨戒して、魔獣では珍しくないシャドウ・ウルフがチラホラ現れたが、非常に小規模な数匹の集団だったため、久々の実戦を兼ねて出てくるもの全て始末していた。暫くは出てくることわないだろう。
空を見ると、日が傾いていたためそろそろグレン達もここに到着するだろう。
「……しかし、いざあいつらと久しぶりに会うとなると、こんな緊張するもんなんか?なんか、来ないと言った方がよかったような気がしてきたんやけど……」
なんせ、あの事件で連中を守るためだったとはいえ、自ら正体をバラシてしまっていたのだから、どう接すればいいのかわからない。
いや、普段通りに接した方がいいのかもしれないが、それが簡単にできれば苦労なんてしない。
「はぁ~~~~~……」
ボンネットに頭を突っ伏し、盛大なため息を吐いた、その時だった。
「なんだ、もう着いていたのか。ってか、盛大なため息を吐いてどうした?」
「……いつ着いてたんですか?先生」
ジョセフは、突っ伏した顔をそのままの状態でグレンの方に向けた。
グレンの他にも今回の遺跡調査に参加する生徒達や、あとなぜかセリカまでいた。
(気まずい……)
なんだか、気まずくて生徒達に顔を合わせにくかったため、とにかくグレンとの会話に集中する。
「一応、昼頃に着いて、その後は周囲を哨戒して露払いはしておきました。といっても、かなり小規模なシャドウ・ウルフがチラホラといただけですが。神殿の中は調べてはいません」
「おお、そこまでしてくれたのか。サンキューな」
「それと…なんで教授が来ているんです?」
一通り報告をグレンにしたジョセフは、なぜセリカが参加しているのかを問う。今回は探索危険度F級という最下位の難易度だからセリカほどの魔術師が来るのは珍しいことなのだが。
「あぁ、アイツか…俺もさっぱりわかんねぇ……」
グレンは頭をガリガリ掻きながら、そう呟く。
「アイツ、いつの間にか馬車の御者に化けていたからな、それで参加させてもらうだからな。やっぱりアイツ、絶っ対ぇロクでもないこと企んでいやがる……」
グレンは戦々恐々しながら、背中を震えさせる。
「まぁ、それよりも、義手の方はどうだ?」
「ごらんのとおり」
ジョセフは、両腕をグレンに見せるように前に出した。両手には黒い薄い手袋をはめていたがそれを取ると黒の無機質な義手が姿を現した。
「これは、まぁ、まるで手の骨がそのままむき出しになっている感じなんだな。これはウーツ鋼で出来ているのか?」
「そうですよ」
「しっかし、これでは無機質だな。よし、ここはこのグレン大先生様の光輝くセンスでお前の義手をお洒落にしてやる!」
「そうですか、それでしたら一発殴らせてください」
グレンがふざけたことをぬかし始めたので、ジョセフはニッコリと笑ってそう言う。
「い、いやぁ…冗談ですよ、冗談…うん、頼むからその構えはやめて。そんなのくらったら、ボクちゃんの顔が粉砕するから。ね?ね?」
「何を言っているんですか、そのロクでもない表情を爽やかな表情に変えて差し上げようとしているのですよ?」
「いやいやいやいやいやいやッ!そんなので殴られたらまじで粉砕するからねッ!?原型留めてないと思うよッ!?って、お前、近付くなッ!頼むからやめてくださいッ!お願いしますッ!ヒィイイイイイイ――ッ!寄るなぁーッ!ごめんなさいっ!ごめんなさいぃいいいいいい――ッ!」
ジョセフがニッコリと笑いながら、手袋をはめ、殴る構えをとってグレンに近付き、グレンは必死になって土下座する。
「……なんか、元気そうだな」
「うん…元気そうだね……」
「グレン、ジョセフに顔面粉砕されるって言ってる。なんで?」
「うーん、なんでなんだろう?」
なぜ、グレンがジョセフに粉砕されるのか、ジョセフが両腕を失っていて、義手を装着していることを知らない生徒達は皆首を傾げ、そしていつものことだと考えるのをやめた。
「そ、そんなことよりもですねぇ、お前ら。ぼぉ~っとしてる場合じゃないぜ?」
土下座した後、グレンが話を逸らすように手を打ち鳴らし、さっそく指示を飛ばす。
「本格的な調査は明日から、今日はここで野営だ。野郎共は天幕を張れ。リンとテレサは夕飯の準備を。セリカ、念のため野営場周辺に守護結界の敷設を頼む。白猫、ウェンディはその補佐だ。ルミアは馬の世話を。リィエル、お前は周囲を哨戒し、危険な魔獣がいないかどうか探れ、ジョセフが一通りやったとはいえ、残っているやつが戻ってきてるかもしれん。いたら遠慮なくやっつけていいからな?そして、俺は――」
てきぱきと卓越したリーダーシップを発揮し、指示を終えたグレンは、唐突に、ごろりとその場に横になる。
「……疲れたから、寝るわ…夕飯できたら起こしてね~、ふぁ…お休みぃ……」
「≪アンタも・何か・働きなさいよ≫――っ!」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ――っ!?」
システィーナが即興改変で唱えた黒魔【ゲイル・ブロウ】が、グレンを吹き飛ばす。
「≪皆にばっか・働かせて・貴方っていう人は≫――ッ!?」
「ギブ!ギブ!ごめんなさいっ!すみませんっ!ちょっと調子に乗りました、ひぃいいいいいいい――っ!?電撃は止めてぇええええええ――っ!?」
その場は、たちまち大騒ぎとなる。
「……アホやな……」
ジョセフはそんなグレンの無様すぎる光景を一瞥し、苦笑いする。
「さて、んじゃ、さっさと天幕張るやさかい」
「うわ、ジョセフ、天幕張るの速過ぎだろ」
第八大隊にいた頃、それは当たり前のように天幕を張っていたから、カッシュやセシル、ギイブルが一つの天幕を張る頃にはジョセフは、三つぐらい張り終えていた。
「ていうか、ジョセフ、その制服格好良すぎだろ。連邦は皆それを着てるのか?」
「ん?これは陸軍しか着てないよ海軍や海兵隊は別の制服やからなあ」
天幕を張り終えた男子生徒達でカッシュがジョセフが着ている軍服を褒める。
その他にも、カッシュがジープに興味があるらしく、整備したあとだから、あとで動作確認ついでに乗るかと誘ったら喜んで乗ると言った。あと、暇そうなグレンも乗せることにした。
その後、カッシュとグレンが魂が抜けたように放心状態になっていたのはそれから数十分後の話である。
「……なんか、先生とカッシュが放心状態になってるけど、大丈夫なの?」
「生きてるから、大丈夫」
その状態を見たシスティーナがジョセフに頬を引きつらせながらグレンとカッシュの状態を心配していた。
「相変わらず雑なのね…でも、元気そうで良かったわ」
「まぁ、心配かけてすんません」
ジョセフがシスティーナに頭を下げる。
他の連中も心配していたらしいし、尚更申し訳ない気持ちになる。
「はぁ、後でウェンディとかにも話してあげて。彼女が一番心配していたんだから」
「……あぁ、そうするわ」
途中、ジョセフの顔が暗くなるのをシスティーナが見逃さなかった。
「なんか急に暗くなったけど、大丈夫?」
「……大丈夫よ、ただ、なんて話せばいいのかわからないだけ」
「………」
あんな光景を間近で見たんだ、一体、何を話せばいいのかジョセフにはわからなかった。
それに、義手のこともある。
大丈夫と言いながらも、ジョセフの表情はどこか暗かった。