ロクでなし魔術講師ととある特殊部隊員   作:藤氏

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寒すぎる


56話

 どれくらい歩いただろうか。どれだけ階層を下に降っただろうか。

 

 時間の感覚があやふやになるくらいに歩いた頃。

 

 不意に、前方へ真っ直ぐ延びる通路の奥から、低い地鳴りのような轟音が響いた。

 

「!」

 

 その奥にはアーチ型の出入り口が、無限の闇色を湛えている。

 

「先生!?今のは……ッ!?」

 

「……ああ、多分、セリカの魔術だ…戦っているのか?」

 

「急ぎましょう、先生!」

 

 セリカの足跡を見る限り、あの通路の奥にセリカがいるのは間違いない。

 

 一斉に駆け出すグレン達。

 

 そして、奥のアーチ型をくぐり抜け――

 

「な――ッ!?」

 

 グレンの眼下に広がったのは、まるで闘技場のような大広場であった。

 

 円形フィールドのあちこちで、炎が激しく燃え上がっている。

 

 グレン達から向かってフィールドの遥か向こう側には、黒光りする石で封じられた巨大な門が、高くそびえ立っている。

 

 そして、その門の前で――

 

「はぁあああああああああああ――ッ!」

 

 セリカが、無数の亡霊・亡者達を相手に戦っていた。

 

 その場所には、どれほどの怨念と妄執が眠っていたのか。

 

 この闘技場に淀み漂う穢れは、今までグレン達が歩いてきた場所の比ではない。

 

 ミイラと化した亡者共が、悪霊と化した亡霊共が、後から後から無限と湧いては、セリカに襲いかかっている。そこはまるで死霊のるつぼだった。

 

 だが――その押し寄せる津波のような死霊達を、セリカはまったく寄せ付けない。

 

 右手で剣を、左手で魔術を振るうセリカ。

 

「ふ――ッ!」

 

 ほんの刹那に放たれた数十閃の剣撃が、セリカに掴みかかってくるミイラの群れをバラバラに吹き散らし――

 

「――≪≪≪失せろ≫≫≫ッ!」

 

 たった一言の呪文で起動された、黒魔【プラズマ・カノン】、【インフェルノ・フレア】、【フリージング・ヘル】――上位のB級軍用攻性呪文が、その猛威を振るう。

 

 極太の収束稲妻砲撃が、滾る灼熱業火の津波が、絶対零度の凍気結界が、セリカに襲いかかる死霊の群れを、物理的に力尽くで破壊して、破壊して、破壊し尽くす。

 

 三重唱。

 

 セリカ=アルフォネアを、セリカ=アルフォネアたらしめる絶技の一つ。

 

 あらゆるものを破壊し尽くし、あらゆる者がひれ伏すその渦中にただ一人、孤高に佇むその絶対的な姿は――まるで、魔王のようであった。

 

「す、凄い……」

 

「こ、…これが、アルフォネア教授の…戦い……?」

 

「…………ッ!」

 

「確かに凄い…せやけど……」

 

 その人外の戦いぶりに、ルミアも、システィーナも、リィエルすらも、息を呑んで、呆然とする。

 

 ジョセフも目を見張るが、なんかセリカの戦い方に違和感を感じていた。

 

(スゲェ…やっぱ、セリカはスゲェ…俺なんかじゃ一生…いや、人生を五、六回やり直しても、あの域にゃ届かねぇよ…だが……)

 

 グレンは唾を呑みながらも、不意に覚えたその違和感をに眉を顰める。

 

(……あいつ、何をそんなに焦ってやがるんだ……?)

 

 確かに、セリカは超威力の破壊呪文を大得意としている。

 

 だが、破壊は破壊でも、セリカの魔術行使には、ある種の美しさ――華があったのだ。

 

 まるで見事な職人芸の花火を鑑賞しているような…極まった破壊に一本、見る者の心を奪うような芸術性が通っていたのだ。

 

 だが、今のセリカの魔術に華はない。

 

 ただ、力任せに、闘神のように暴れるその姿は、ひたすら恐ろしいだけ。

 

 今のセリカはまさに、忌むべき噂や逸話通りの彼女――≪灰燼の魔女≫であった。

 

 

 

 セリカが眼前に迫り来る亡霊達を、半眼で睥睨する。

 

『憎ィイイイ――ッ!貴様ガ、憎ィゾオオオオ――ッ!』

 

『貴様ノセイデ――ッ!貴様ノセイデェエエエエエエエ――ッ!』

 

『貴様ガ全テヲ奪ッタッ!全テヲ壊シタッ!我等ノ輝カシイ栄光モ、繁栄モ、安寧モ、全テ、全テ、全テ、全テッ!貴様ガァアアアアアアアア――ッ!』

 

『許スマジ、裏切リ者メ――ッ!呪イアレッ!汝ニ呪イアレェエエエエ――ッ!』

 

 そんなセリカに浴びせかけられるのは、常人ならば当てられただけで正気を完全破壊されるほどの、凄まじい憎悪と怨嗟であった。

 

 だが、今にも視覚化し、セリカを握り潰さんばかりの大量の呪詛を前に――

 

「≪五月蠅い≫ッ!≪黙れ≫ッ!≪知るか≫ァアアアアアアアア――ッ!?」

 

『『『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!』』』

 

 それすらはね除け、寄せ付けない。セリカの破壊呪文が荒れ狂う。

 

 炸裂した爆炎が天井まで焦がす火柱を上げ、亡者達を怨嗟ごと悉く焼き捨てる。

 

「何度も言ってるだろッ!私はお前達など知らんッ!いい加減、道を空けろッ!」

 

 だが、決して届かずとも、その憎悪だけは尽きぬらしい。

 

 亡者や亡霊達は、後から後から無窮に湧いて、セリカの行き先を塞ぐ。

 

 まるで、貴様にはこの先、一歩たりとも進ませぬ…と言わんばかりに。

 

「ったく、いつまでも未練ったらしく現世にしがみつきやがって…いいだろう、地獄に落ちろ、雑魚共」

 

 もうお前らに付き合うのはうんざりだ、と。

 

 セリカは蔑むような眼で、ぱちんと指を一つ打ち鳴らした。

 

 すると。

 

 いつの間に、それを構築したのか。

 

 フィールドのあちこちに作られた無数の霊点を繋ぐように、黒く輝く魔力線が縦横無尽に奔り――

 

 すると、フィールド全体が深淵色に染まり――霊的な奈落が形成されていく――

 

「フン…虚無への片道切符だ。受け取れ、有象無象」

 

 その術の名は、召喚儀【ゲベナ・ゲート】。

 

 現世に縁なき霊的存在を、問答無用で虚無の奈落へ引きずり落とす外法。

 

 元々は、白魔【セイント・ファイア】などの浄化呪文と同じく、不死者への対抗手段として考案された術だが…そのコンセプトのあまりの外道さに禁呪指定された術だ。

 

 摂理の輪へと回帰させ、現世を彷徨う魂を救済する浄化呪文とは、ワケが違う。

 

 この術が死者に与えるのは――永劫の『無』だ。

 

『嫌ダッ!嫌ダァアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!?』

 

『助ケテッ!堕チタクナイッ!ソコニハ、堕チタクナィイイイイイイ――ッ!?』

 

『『『ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!』』』

 

 もう、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 

 汲めども尽きぬ怨嗟と憎悪は、今や恐怖と絶望へ瞬時に塗り潰された。

 

 出現した虚無の奈落に、亡者達が為す術もなく一方的に、吸引され、落ちていく。

 

 場に残った恨みも、現世の執着も、染みついた怨嗟も…最早、関係ない。

 

 それも一切合切、何もかもを、その奈良結界は呑み込み、吸い込んでいく。

 

 まさに死者に鞭打つ、無慈悲の制裁……

 

 やがて。

 

 嘘のように訪れた静寂の中で。

 

「ふん…私の邪魔をするからだ……」

 

 セリカは一人、苛立ったように舌打ちをしていた。

 

 最早、その場には塗り潰すような憎悪も、狂おしいまでの怨嗟も執念も…なにもない。

 

 ただ、色なき虚無が、その場を支配していた。

 

 

 

 死霊達を根こそぎ滅殺し、その場に呆然と立ち尽くすセリカの下へ。

 

「セリカ!」

 

 グレン達が駆け寄っていく。

 

「……グレン、か……?」

 

 のろのろと緩慢な動作で、セリカが振り返る。

 

 その暗鬱な顔には、どうもいつもの覇気が感じられない。

 

「……どうしてここに……?」

 

「そりゃこっちの台詞だ!お前、なんでこんな所に一人でのこのこ来てんだよ!?」

 

 ぐい、とセリカの胸倉を掴み上げ、怒りと共にグレンが捲し立てる。

 

「俺は別にお前のことなんか心配してねーが、皆、お前のこと、心配してたんだぞ!?別に俺は心配してねーけど!」

 

「せ、先生…二回も言わなくなって……」

 

 いきり立つグレンを、苦笑いで宥めるルミア。

 

「とにかく、とっとと帰るぞ?…ったく、余計な手間かけさせやがって……」

 

 すこぶる不機嫌そうだが、どこか安堵している表情のグレンに。

 

「なぁ、グレン!聞いてくれ!やっと…やっと、見つけたんだ!」

 

 突然、セリカが明るい顔で、嬉しそうに言った。

 

(教授?)

 

 ……いかにも、取り繕ったかのような、無機質な表情だった。

 

「はぁ…?見つけたって…何をだよ?」

 

 一刻も早く、この『塔』から離れたいグレンは、いかにも面倒臭そうに応じるが……

 

「私の、失われた過去の手がかりだ!」

 

「……何?」

 

 予想外のセリカの言葉に、グレンは硬直せざるを得ない。

 

「思い出したんだよ…あの『タウムの天文神殿』最深部…大天象儀場で、あの光の扉が出現した時…ほんの少しだけ思い出した……」

 

 セリカは、グレンに詰め寄り、頬を上気させて言った。

 

「私は…その昔、あの扉を…あの≪星の回廊≫を行き来したことがあるんだ!間違いない!なんとなく覚えてるんだ!」

 

「な……」

 

「今の今まで、何一つ思い出せなかったのに、こんなこと…この四百年の間で初めてのことだ!」

 

 そして、いかにもご機嫌といった様子で両手を広げ、くるりと回ってみせる。

 

(もしかして、教授がこの遺跡探索の同行を急に申し出たのって、自分の過去のことだったのか)

 

 ジョセフはその様子を見て、セリカが急に同行した理由を悟る。

 

 同時に、セリカは自分の過去を知らないほうがいいと、思っていた。

 

 なぜなら、今までの亡霊・亡者達の言い分から察するに、あの呪詛にも似た恨み言は……

 

「それにな、グレン!ここがどこだかわかるか!?」

 

「どこって…どっかの『塔』みたいだったが……?」

 

「ふふん、ここはな…実は、アルザーノ帝国魔術学院の地下迷宮なんだよ!」

 

「……は?」

 

 地下迷宮…地下?

 

 セリカの矢継ぎ早の捲し立てに、グレンの脳内演算処理が追いつかない。

 

「しかも、ここは地下迷宮89階…黒魔【コーディネイト・デイテクション】で位置と座標を確認したから間違いない!」

 

 そんなグレンを置き去りに、セリカは興奮気味に捲し立てる。

 

「わかるか!?今まで私が決して超えられなかった、地下10階から地下49階――≪愚者への試練≫と名付けられている階層を――余裕で越えているんだ!」

 

 セリカの高揚も無理はなかった。

 

 これまで、地下迷宮に挑み続けていたセリカ。

 

 だが、絶望的に長い道程、無限に湧いて出る強力無比な守護者、迷宮内に張り巡らされた致命的な罠の数々が、セリカの行く手を阻み続けてきた。

 

 しかも、その迷宮内の構造も罠の位置も、なぜか定期的に変化し、その度、これまで成した迷宮内の地図とテレポーターが全て無駄になるという始末。進入者を阻むことだけを目的とした意図が、否応なしに伝わってくる階層…それが≪愚者への試練≫。

 

 そんな厄介極まりない特性に阻まれ、これまでセリカは何度探索に挑んでも、地下49階をどうしても超えることができなかったのである。

 

 下手をすると、地下15階あたりで引き返さなければならない時もあったほどだ。

 

「地下49階…あの忌々しい≪愚者への試練≫さえ突破すればこっちのもんだ!喜べ、グレン!私は…ついに、この地下迷宮の謎を解けるぞ!」

 

 グレンにセリカの言葉は届かない。今のグレンは考えるべきことが多すぎた。

 

 ここが地下迷宮?地下?

 

 先ほど、外周部のテラスからは、確かに空が見えたんだぞ?なのに、地下?

 

 そもそも、タウムの天文神殿と学院の地下迷宮が、どうして繋がっているんだ?

 

 あの天象儀装置の正体とは、一体――?

 

 セリカが、かつて通ったことがあるという≪星の回廊≫とは――?

 

 セリカがここまで、地下迷宮に執着する理由とは――?

 

 いや。

 

 そもそも――セリカって、なんなんだ?

 

(……だが、今はそんなこと、どーでもいい)

 

 グレンはそんなことより、最優先でやらねばならないことがある。

 

 それは――

 

「……やっぱり…私の過去は…失われた使命は…そして不老の謎は…この地下迷宮にあったんだ…『声』のとおりだ……」

 

 そんな意味不明なことを譫言のように呟きながら……

 

「そうだ…なんとなく…覚えてる…あれだ…あの『門』だ……」

 

 吸い寄せられるように、闘技場奥にある巨大な門へと歩み寄るセリカの手を……

 

「駄目だ」

 

 手を伸ばして掴み、引き留めることだった。

 

「……グレン……?」

 

 グレンに手を掴まれたセリカが、グレンへ不思議そうな表情を向ける。

 

「……帰るぞ、セリカ」

 

「な、なんでだよ…?やっと…私が何者なのか、わかるかもしれないんだぞ?」

 

 狼狽えるセリカに。

 

「なんで、あの『門』の向こう側に、お前の過去があるって思うのか、俺にはさっぱりわからんが……」

 

 一瞬、言おうか言うまいが、グレンは迷いを見せ……

 

「はっきり言ってやる。セリカ…お前の失われた過去って…多分、本当にロクでもないもんだと思う」

 

 グレンは真っ直ぐとセリカを見つめ、真摯な顔でそう告げた。

 

「ここに来たとき、ここの連中は、誰かを酷く恨んでいた。誰を恨んでいるんだと思っていたんだが…さっきのお前の戦いを見て確信した。連中はお前を恨んでいたんだ」

 

「…………ッ!?」

 

「お前も連中の声は聞いただろう?一体、何をうっちゃらかしたら、こんなに恨まれるんだよ…?俺には想像もつかないぞ……」

 

「ぐ、グレン……」

 

「だが、んなこたぁどうでもいい。ここのクソ亡霊どもが、いっくらお前を憎もうが、恨もうが、俺の知ったこっちゃない。お前は俺の…師匠だ。それ以外の何者でもねえ」

 

「で、でも…でも、グレン!わ、私は…ッ!私…は……」

 

 そのまま、俯いて黙り込んでしまうセリカ。

 

「なぁ、セリカ。帰ろうぜ?もう、いいじゃねえか。お前の過去なんて。もう、忘れちまえよ。たとえ、お前が何者でも、俺は……」

 

 そんなグレンの言葉を上から塞ぐように。

 

「嫌…だ……」

 

 セリカが身をわななかせ、子供のように拒絶した。

 

「嫌だ…ッ!だって…だって、それじゃあ、私はいつまでも…一人……」

 

 何かを言いかけて…それをかみ殺して……

 

 突如、セリカはグレンの手を振りほどき、門へと向かって駆けだしていた。

 

「あっ!おいッ!?セリカッ!?」

 

 グレンの叫びを背中で受けながら、セリカは真っ直ぐと門を目指す――

 

(あの門だ……ッ!あの門の先に、きっと、私が求める全てが……ッ!)

 

 駆けながら、セリカは物思う。

 

「≪其は摂理の円環へと帰還せよ・――」

 

 この四百年の日々を。

 

 長く、辛く、苦しかった日々を。

 

 何度、死んでやろうと思ったかわからない苦悩の足跡を。

 

「≪五素は五素に・――」

 

 この四百年、セリカを突き動かし続けてきた『内なる声』。

 

 ある時…今まで、使命を果たせ、役目を果たせ、為すべきことを為せとしか言わなかった『内なる声』が…突然、変化したのだ。

 

 ……忘れもしない。それは、今から十年ほど前。気まぐれで拾ったグレンを養うため、アルザーノ帝国魔術学院で教授を務め始めた頃。

 

 とある仕事で、この学院の地下迷宮に足を踏み入れた、その瞬間。

 

 ――この地下迷宮の最深部を目指しなさい――と。

 

 ――この地下迷宮の最深部に、貴女の使命がある――と。

 

 以来、セリカは、病的なまでに魔術学院の地下迷宮探索に熱を入れることになる。

 

 この四百年間、セリカを苛んだ謎の使命感の正体を求めて――

 

 それが、セリカ=アルフォネアが地下迷宮に執着した、その原初の理由。

 

「――・象と理を紡ぐ縁は乖離せよ≫――ッ!」

 

 だけど。

 

 本音を言えば。

 

 ……今のセリカは、己の正体や過去、使命など、もうどうでもよくなっていたのだ。

 

 記憶がなくても。過去がなくても。使命が思い出せなくても。

 

 今のセリカは一人じゃない。グレンがいる。

 

 誰かと共に、歩いてゆける。

 

 別に自分の存在理由や拠り所を、過去や使命に求める必要はない。

 

 それがわからないことを、不安に思う必要も苛立つ必要もない。

 

 だから。

 

 彼女が求めたのは――もっと、呆れるほど単純なこと。

 

「これで――ッ!」

 

 そして、セリカの黒魔改【イクスティンクション・レイ】が起動する。

 

 セリカが突き出した左手から、全てを崩壊消失する巨大な光の衝撃波が放たれ―― 

 

 荒れ狂う光の奔流は、セリカの前方に立ちはだかる門を直撃し――

 

 世界が、白熱して――

 

 視界が白く、白く、染め上がり――

 

 ………。

 

 やがて、全ての光が消え――

 

 

 

 ――静寂。

 

「……な、なんで…だ、よ……」

 

 セリカは愕然とそれを見つめていた。

 

 そんな滑稽なセリカを拒んでいるように…あざ笑うように…その門は傷一つ負うことなく、セリカの前に厳然と立ちはだかっていた。

 

「なんでだよッ!?なんで壊れないんだッ!?くそッ!これじゃあ、この門の向こうに行けないじゃないかッ!」

 

 セリカが門に近づき、その門を拳で悔しげに叩いた。

 

「……無駄だ。らしくねぇ、お前ともあろうやつが霊素被膜処理を忘れたか?…古代人の建造物は、物理的にも魔術的にも破壊は不可能だ」

 

 追いついたグレンが、拳を門へ打ちつけ続けるセリカの手を、背後から掴み取る。

 

 そして、グレンは眼前に聳える門を見上げた。

 

 真っ黒な石で造られた、壁のように立ちはだかる門だ。

 

 その表面には古代文字や、謎の紋章、意匠、図形がびっしりと彫り込まれており…一体、何をどうすればこの門が開くのか、グレンには想像もつかない。

 

 だが――それでいいとも思った。

 

「離せ!離せよ、グレンッ!私は――」

 

 血の滲む拳を振り回し、子供のように駄々をこねて暴れるセリカを、グレンは門に押しつけ、押さえつける。魔術さえなければ――セリカはただの女性だ。男であるグレンの腕力に勝てるわけもなく、セリカは容易に身動きを封じられる。

 

「……諦めろ。…諦めるんだ」

 

 お互いの吐息が感じられるほどの距離で、グレンは諭すように告げる。

 

「……一体、何がそんなに不満なんだよ…ッ!?セリカ……ッ!」

 

「……ッ!」

 

 責めるようなグレンの問い詰めに、普段の超然とした様子からは想像もつかないほど弱々しい表情で、セリカが俯いた…その時だった。

 

『その尊き門に触れるな、下郎共』

 

 地獄の底から響くような声が、朗々と辺りに響き渡り……

 

『愚者や門番がこの門、潜る事、能わず。地の民と天人のみが能う――汝等に資格無し』

 

「な……?」

 

 一同が、思わず目を剥いた。

 

 突如、暗闇からしみ出るように、そいつは闘技場の中央に現れたのだ。

 

 緋色のローブで全身を包んでいる謎の存在だ。そのローブは丈長で、フードの奥は無限の深淵を湛え、その表情は窺えない。眼光一つ差さない。

 

 その全身から立ち上がる、闇の霊気。

 

 まるで、闇そのものがローブを纏い、人を形作った――そう思わせる魔人だった。

 

(こ、コイツは……ッ!)

 

(や…やべぇ……ッ!?)

 

 その魔人を目の当たりにした瞬間、ジョセフとグレンは己が心臓が悲鳴を上げるのを感じた。

 

「ひ……ッ!?」

 

「先生…ッ!あの人……ッ!」

 

 システィーナとルミアも、魔人の異質性を感じ取ったらしい。

 

 リィエルも警戒心を剥き出しに深く低く身構え…その剣先を震わせていた。

 

(拙い、コイツは、拙過ぎる!)

 

(く、くそ…くそ、くそ、くそ…ッ!あいつは――拙い!)

 

 見るだけで、肌に感じられる。

 

 自分達とその魔人は、根本的な存在としての規格が違いすぎる。

 

 例えるならば、魔術を全く知らない一般市民が、強大な力を持つ魔術師に悪意を向けられているような…そんな状況にも似た絶望感を、あの魔人に感じる。

 

 グレンの元・魔導士として常に格上相手に戦い続け、生き残った直感が。

 

 ジョセフの軍人として、かつての戦争で格上や一般兵士、将校問わず三百人を抹殺してきた北部戦線で培った直感が、それぞれグレンとジョセフに告げる。

 

 あの魔人を前に、自分達の振るう魔術など…ぞれはセリカすら含めて…きっと児戯なのだろうと。

 

 恐らく、自分達とあの魔人では――前提としているルールが違うのだ。

 

「……はっ!誰だ、お前……?」

 

 だが、皮肉なことにセリカは違った。

 

 自分達の前に現れた魔人がいかに難物か、よくわからないようだ。

 

 執着している門を前に…セリカは明らかに普段の冷静さを失っていた。

 

「まぁいい。話がわかりそうなやつで、ちょうどいい。おい、お前。この門の開け方を知ってるか?知ってるなら教えろ。じゃないと消し飛ばすぞ」

 

『……貴女は……』

 

 セリカを認識したらしい魔人が、不意にその威圧的な雰囲気を緩める。

 

『……ついに戻られたか、空よ。我が主に相応しき者よ』

 

(この魔人…教授の事を知ってる?それに我が主に相応しき者とは……?)

 

 ジョセフは心臓の暴れる鼓動を押さえながら、魔人の言葉を思考する。

 

 どうやら、この魔人はセリカの事を知っているらしい。恐らく過去のことも。

 

 我が主に相応しい者、ということは、セリカが記憶を失くす前の記憶でのかつての部下だったのだろうか?

 

 どちらしろ、この魔人はセリカの過去を知っているのは間違いないようだ。

 

「……は?」

 

 だが、当のセリカは知らないらしい。

 

 突然、名前を呼ばれ、呆気に取られるセリカ。

 

『だが…かつての貴女からは想像も付かないほどのその凋落ぶり…今の貴女に、その門を潜る資格無し…故に、お引き取り願おう……』

 

「何を…何を言ってる…ッ!?お前は私のことを知っているのか!?」

 

『去れ。今の汝に、用無し』

 

 そして、そんなセリカを完全無視し、魔人は戸惑うグレン達に向き直る。

 

(なぜ、あの魔人は教授の事を知っているのか、この門は何なのか、聞きたいことは山ほどあるのだが……)

 

 どうやら、そういう訳にはいかないらしい。

 

 いつの間に、手にしたいたのか――魔人はその両手に二振りの刀を構えていた。

 

 左手に紅の魔刀。右手に漆黒の魔刀。

 

 その二振りとも、見るからに禍々しい呪詛と魔力が漲っている。

 

『愚者の民よ。この聖域に足を踏み入れて、生きて帰れると思わぬ事だ…汝等は只、我が双刀の錆と為れ。亡者と化し、この≪嘆きの塔≫を永久に彷徨うがいい――』

 

 明確な敵意と殺意が、グレン達へと叩き付けられてくる。

 

 洪水のように迫るその圧倒的な存在感は、瞬く間にグレン達を呑み込み――

 

「ひ……ッ!?」

 

 怯えきったシスティーナが、グレンにしがみついてくる。

 

「……う、ぅ…あ……ッ!?」

 

 気丈なルミアも顔を真っ青に青ざめさせ、肩を震わせて呆然と立ち尽くす。

 

「はぁ――…ッ!はぁ――…ッ!はぁ――……」

 

 あの常に能面のリィエルすら顔色を失い、過呼吸気味だ。

 

「ちぃ――ッ!突然、なんやねん……ッ!?」

 

 ジョセフは、悪態をつきながら姿勢を低くし、大鎌を構える。

 

(は、ははっ…冗談じゃねえ、つきあってられるか!?)

 

 撤退だ。グレンは即断した。

 

(セリカッ!俺とお前で――)

 

 なんとか生徒達が逃げる隙を作り出そうと、グレンがセリカへ目配せするが――

 

「聞けよ…人の話をなッ!」

 

 それに気付かず、セリカが据わった目で魔人へと突進していた。

 

「もういい!話す気がないなら、強引に聞き出すまでだっ!」

 

「ばっ――ッ!?よせッ!?セリカ――ッ!」

 

 グレンの制止も聞かず、セリカが声高に呪文を叫ぶ。

 

「≪くたばれ≫ッ!」

 

 起動される黒魔【プロミネンス・ピラー】。

 

 真紅に輝く超高熱の紅炎が、天を灼く火柱となって瞬時に魔人を呑みこみ――

 

『……まるで、児戯』

 

 魔人がゆるりと振るった左手の魔刀が、セリカの魔術を斬り裂き――かき消した。

 

『そのような愚者の牙に頼むとは――なんという惰弱。汝が誇る王者の剣はどうした?かつての汝はすでに死んだか?』

 

(あれを児戯とか、愚者の牙って…それに、王者の剣って何や!?いや、それよりも――)

 

(何――ッ!?今、あいつ、何をやった!?)

 

 その様子に、ジョセフとグレンが目を剥いた。

 

 現象だけ見れば、セリカの攻性呪文を打ち消した…それだけだ。

 

 だが、常に格上を相手に生き残ったグレンと、北部戦線という両軍合わせて数十万人が命を落とした地獄を生き残ったジョセフの、魔導士と軍人としての勘が、あの現象をそれだけで片付けるなと叫んでいる。

 

 そんなグレンとジョセフを他所に、セリカは神速の挙動で魔人へと迫る――

 

「――はっ!対抗呪文の腕は中々だなッ!?」

 

「違うぞ、セリカッ!わからないのか!?」

 

 そう。黒魔【プロミネンス・ピラー】はB級軍用魔術。

 

 近代の軍用魔術においては、B級は打ち消しができない――防ぐしかない――

 

 とある一定の威力規格を超えた攻性呪文は、打ち消し不可能なのだ。

 

 ならば――

 

「あれは対抗呪文とかそんなんじゃない!もっと異質で別の――」

 

 だが、頭に血が昇り、冷静な判断ができないセリカには届かず――

 

「はぁああああああああああああああああああああああああ――ッ!」

 

 セリカは真銀の剣を振りかざし、魔人の懐へと、一気に跳び込んでいた。

 

 すでにセリカは【ロード・エクスペリエンス】によって、かつて≪剣の姫≫と謳われた英雄の剣技を自身に降ろし、無双の剣士と化している。

 

 今の彼女に近接戦闘で敵う者など、この世にいるわけが――ない。

 

「そのクソ生意気な首を刎ね飛ばす!知りたいことはその首に直接聞いてやるッ!」

 

 セリカは疾風の如く、魔人へと肉薄し――

 

『借り物の技と剣で粋がるか――恥を知れ』

 

 魔人も左手の魔刀を振り抜きつつ、セリカへと鋭く踏み込み――

 

 キィイイイイイイインッ!

 

 甲高い音と共に、セリカの剣と魔人の刀が喰らい合い、両者がすれ違う――

 

「な――」

 

 途端、セリカが狼狽えた。

 

「な、なんだ…これ…どうなって……?」

 

 狼狽えながらも、セリカが振り返り、魔人に剣を構える。

 

 その構えには、先ほどまでの最強剣士の風格がまったく感じられなかった。

 

「な…なんで、私の術が解呪されて…?い、今、何を……?」

 

『……我が左の赤き魔刀・魔術師殺し…そのような小賢しき児戯は我に通じぬ……』

 

 魔人はセリカを振り返ると、朗々と告げる。

 

『我は、その剣の真なる主に敬意を表する。今の一合で理解した。その剣の主…今は亡き、見知らぬ愚者の子よ…人の身で、よくぞこの領域まで練り上げた……』

 

 ここに居ない誰かへの祈りを捧げるように、魔人が刀で円を描く。

 

『天位の御座にある我といえど、その剣に宿る技には畏敬を抱かずには居られぬ……』

 

 そして…魔人が、狼狽えるセリカへゆっくりと、双刀を構え――

 

『……其が故に、その冒涜が許せぬ、空よ…ッ!汝は何処まで堕ちた?我は汝に対する失望と憤怒を押さえきれぬ……ッ!』

 

「くそ…ッ!≪雷光神の戦鎚よ≫――ッ!」

 

 咄嗟に跳び下がるセリカが魔人へ左手を向け、黒魔【プラズマ・カノン】を唱え――

 

『やはり、児戯』

 

 魔人が左手の魔刀を振るうと、魔人に迫る集束雷撃が虚しく霧散し――

 

 その刹那、ぷん、と残像する魔人の姿。

 

 瞬時にセリカの背後へ回り込んだ魔人が、右の魔刀を稲妻の如く打ち下ろす。

 

「ちぃ――ッ!?」

 

 間一髪。辛うじて反応したセリカが、跳び転がって、その斬撃を避けるが――

 

 マシンの刀は、セリカの背中に微かな掠り傷を刻んでいた。

 

「……あ……ッ!?」

 

 次の瞬間、セリカの全身を魂が抜け落ちるような感覚が襲った。

 

 転がる勢いのまま、体勢を立て直そうとするも――体に力が入らない。

 

 セリカはそのまま四肢を投げ出すように、無様に倒れ伏してしまった。

 

「な…?なんだ…?ち、力が……?」

 

『……我が右の魔刀・魂喰らい…我が刃に触れた貴様はもう終わりだ……』

 

 無防備に倒れるセリカへ歩み寄り、魔人は右手の魔刀をその首筋に当てた。

 

 力を失ってしまったセリカとは裏腹に、魔人が纏う闇色の霊気は先ほどと比べて明らかに勢いを増しており、見るからに力が漲っていた。

 

 

 

 

 





キリがいいから、ここで。

今回はオハイオ州です。

人口1168万人。州とはコロンバス。主な都市にクリーブランド、コロンバス、シンシナティ、デイトン、アクロン、トレド、ヤングスタウン、カントン、スプリングフィールドです。

愛称はトチノキの州で、17番目に加入しました。

オハイオとは、インディアンのイロコイ族の言葉で、「美しい川」ないし「偉大な川」という意味であるohi-yo'から派生しました。

五大湖沿岸にクリーブランド、トレド、内陸にシンシナティ、アクロン、デイトンといった歴史的な中心都市が多い州で、それゆえメジャースポーツのフランチャイズも非常に多い州でもあります。

五大湖で最も工業化が進んだエリー湖に面しているため、1960年代からクリーブランドを中心に工業が盛んになったが、その反動で環境汚染が深刻化し、今のアジアの某国みたいな状況になりました(エリー湖は、いきなり湖面が発火したとか)。

近年は環境こそ改善の兆しがあるが、裏返せば産業が斜陽化しただけであり、ラストベルト(ラストとは最後ではなく錆のこと。2016年の大統領選でメディアが報道して以降、日本でも知られていると思います)なんてネーミングも。

クリーブランドやシンシナティは空洞化が酷いですが、州都コロンバスはホンダのアメリカ拠点であるお陰で人口が増え続けており、治安も極めて良いです。

とはいえ、アメリカの重工業経済を支えてきた州であり、現在も商工業は盛んです。

シンシナティは企業本社が多く、P&G本社、メイシーズ本社などがあります。

クリーブランドは医療、航空宇宙産業、新素材産業で再生しつつあり、ロックンロールの殿堂、世界に名だたるクリーブランド管弦楽団、石油王ロックフェラーの生誕地として有名です。

有名人も多く、発明王エジソンはクリーブランド近郊で生まれており、デイトンはライト兄弟が生まれた地として知られています。


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