まだ誰もいない教室。
珍しく一番乗りしたジョセフは、欠伸しながら、いつもの席に座る。
「静かやな~」
来て特に何もすることがないため、かなり暇である。
「本を読むか、本を読むか、本を読むか…よし、本を読むか」
そう言って、ジョセフは本を取り出し、本を読む。因みに読んでいるのは連邦国内の旅行記である。
アメリカ連邦は50の州が集まった連邦制の国家である。そのため、領土がとにかく広く、アルザーノ帝国の何倍も広い。
帝国と似たような気候があれば、砂漠が広がっている州もあるし、夏が暑く、冬がかなり寒い地域もあるなど、気候も様々である。
「あ、ジョセフ君、おはよう。珍しいね」
しばらく読み耽っていると、この学院では天使様と呼ばれており、人気が高いルミア=ティンジェルが声をかけてくる。
「おはよう。ティンジェル。そして、フィーベルもおはよう」
「おはよう。本当に珍しいわね」
「そういうお二方はいつもこんな時間帯で?」
「今日は、ちょっと早いほうかな。いつもよりも早く起きちゃったから」
「ふーん……」
ジョセフは読んでいたページに栞を挟んで本を閉じる。そういや、この二人と話したの何気に初めてじゃない?
「それで、ジョセフ君。どう?授業とか分からないところとかある?」
「う~ん、今のところはないかな。まあ、最初はかなり違っていたから戸惑っていたけど、慣れたらそうでもないかな~」
「ホント、最初は私もびっくりしたわ……」
実は、初日の授業に連邦と帝国の魔術がどれだけ違うのか比較してみることにしていたのだが――
「……いや~これはこれは、全然違うわ……」
グレン先生が見せた、【ショック・ボルト】を見て、ジョセフは連邦が使っている【ショック・ボルト】とは違うと言った。
「マジかよ…ここから違うのかよ…だが、三節詠唱は同じだろ?」
「いえ、連邦はすべて一節詠唱です。」
「……は?」
「独立当初は三節詠唱だったんですけど、時が経つにつれ、一節詠唱だけになったようで…確か、三節では『雷精よ・紫電の衝撃以て・打ち倒せ』だったはず」
「あ~、呪文は同じなんだな、すげー安心した。てことは、一節は『雷精よ』になるのか?」
「えっと…まあ、言うよりもやって見せたほうが早いですね。因みに…その黒板、頑丈ですか?」
「……?そりゃあ頑丈っていうか、そもそも、【ショック・ボルト】だと壊すことはできないぞ?」
ジョセフの問いにグレンはその意図が分からず、そう答える。クラスの人達も意図が掴めず、こいつ何を言っているんだ?っといった顔でこちらを見る。
帝国ではグレンが放ったのが【ショック・ボルト】なのだから…そう、帝国では。
「じゃあ行きましょうかね……」
ジョセフは力を抜き、右手を黒板に向け、呪文を唱える。
「≪打ち倒せ≫」
一瞬何が起きたのかクラス全員とグレンは分からなかった。ジョセフの右手が一瞬光った直後、ボコンッと音がして黒板の方を向くと――
そこには小さく浅くだが、穴が出来ていた。
「ですよねー。うん、こうなるとは絶対思った。やってもうたわ~」
ジョセフはその穴を見て、頭を掻く。
「……あの、ジョセフさん、もしかしてさっきのが……」
「はい、連邦の【ショック・ボルト】です」
「いやいやいやいやいやいや!?えぇええええええ!?さっき全然紫電見えなかったよ!?速さが全然違うんですけど!?しかも黒板に穴が開いてるし!?」
グレンが狼狽している。クラスメイト達も顔が引きつりながら、脂汗を流している。
「まあ、威力は低いので、当たっても死なないですよ?」
「この黒板を見て、死なないとは思えないんですけど……」
「痣はできますけど」
「連邦怖い……」
グレンの言葉は、このクラス全員の胸中を代弁していた。
「あ、因みにこれ7連発できますよ~」
「やめて~!それ以上黒板をボコボコにしないで~!俺の給料がーッ!」
……という訳で今は連邦版【ショック・ボルト】は封印している。
「でも、まさか一節詠唱が最初の部分ではなくて、最後の部分っていうのは驚いたよ」
「ええ、100年経つだけであんなに違ってくるなんて……」
「せやな~」
そう話しているうちに、ぞろぞろと生徒たちが入ってくる。
「あら、お三方ご機嫌よう」
ウェンディはテレサと小動物らしい可愛らしさを持つ少女、リン=ティティスと一緒に入って来て――
「あれ、ジョセフ、今日は早いんだね」
「お、ジョセフがこんなに早いなんて、明日は何かが起こるぞ」
「せやな~、明日はカッシュの頭上に連邦版【ショック・ボルト】が降ってくるな」
「ジョセフさん、あんなもん撃たれたら、記憶吹っ飛びそうなんだけど……」
「あれを封印すると約束したな…あれは嘘だ」
「いやぁああああああああああああ――ッ!」
早朝の教室からカッシュの悲鳴が響き渡った。もちろん、冗談です。
この時、グレンは人型全自動目覚まし時計が昨夜から帝都オルランドに出かけて不在だったため、完全な寝坊をしていた。そして、学院に全速前進している道中にある組織の掃除屋に足止めされているとはクラス全員まだ誰も知らない。
樹木と鉄柵で囲まれる魔術学院敷地の正門前に今、奇妙な二人組がいた。
一人はいかにも都会のチンピラ風な男。もう一人はダークコートに身を包む紳士然とした男だ。手ぶらなチンピラ男と異なり、ダークコートの男は巨大なアタッシュケースを手にしている。
「キャレルの奴、上手く殺ったかな?」
「上手くやったに決まっている。あの男が標的を打ち損じたことがあったか?」
「ケケケ、ねえな…ま、つーことは……」
「今、あの学院校舎内に講師格以上の魔術師は一人として存在しない」
「ケハハハ!例のクラスで可愛い可愛いヒヨコちゃん達だけがぴよぴよ言ってるワケか!はーい、よちよち、お兄サン達が可愛がってあげるよー?」
「キャレルのことは放って置けばいい。我々は我々の仕事をするぞ」
その二人は言動も装いも、まるで印象正反対な者同士の組み合わせであり、さぞかし好奇の視線を集めそうだが、なぜかこの日に限っては周囲に人が誰一人いなかった。
「うーん、レイクの兄貴。やっぱ、オレ達じゃ中に入れないみたいだぜ?」
チンピラ風の男が、一見、何も阻む物がないアーチ型の正門に張られている、見えない壁のような物を叩きながらぼやいた。これは学院側から登録されていない者や、立ち入り許可を受けていない者の進入を阻む結界だった。
「遊ぶなジン。早くあの男から送られてきた解錠呪文を試せ」
「へーいへい」
と、その時だ。
「おい、アンタ達、何者だ!?」
正門のすぐ隣に据えられている守衛所から、守衛が二人の姿を見とがめてやって来る。
その時、ジンと呼ばれたチンピラ風の男が、守衛の左胸に指を当て、一言つぶやいた。
「≪バチィ≫」
その瞬間、守衛はびくんと大きく身を震わせ、それが不運な彼がこの世界で耳にした最後の言葉となった。
「えーと、よし、これだな」
打ち捨てられた人形のように倒れ伏した守衛になど目もくれず、ジンは懐から一枚の符を取り出し、そこに書かれているルーン語の呪文を読み上げる。すると、ガラスが何かが砕けるような音が辺りに響き渡った。
「おおー、事前調査通りじゃん!さっすが!」
門を覆っていた見えない壁がなくなったことを確認し、ジンが子供のようにはしゃぐ。
「ふっ。あの男の仕事は完璧というわけだ」
「ま、時間かけただけあったもんね。じゃ、報告と行きますかい」
二人は正門を潜って学院敷地内に侵入。
ジンは懐から半割の宝石を取り出し、耳に当てた。
「はいはい、こちらオーケイ、オーケイ。もう〆ちゃっていいよーん」
数秒後。正門から金属音が響き渡る。学院を取り囲む結界が再構築されたのだ。
「恐ろしいな、あの男は」
ダークコートの男――レイクが氷の笑みを浮かべた。
「仮にも帝国公的機関の魔導セキュリティをこうまで完璧に掌握するとはな」
「執念ってヤツかな?へへ、噂の魔術要塞もこうなりゃカタナシだぜ」
「さて、行くぞ」
二人は正面を見上げる。
左右に翼を広げるように別館が立ち並ぶ、魔術学院校舎本館がそこにあった。
「標的は東館二階の二‐二教室だ」
「へ―いヘいっと」
「……!!」
何かを感じたのかジョセフは目を見開いて外の方を見る。
(今のは、殺気か?それに何かが砕けたような感じか…)
「どうしたの?」
今まで話していたセシルがこちらを見て、何かあったのかという顔で聞いてくる。今まで普通に話していた友人が急に反応したらそう聞きたくなるのは無理もないかもしれない。
「いや…ゴメン、ちょっとトイレ行ってくるわ。授業開始過ぎてるけど、まだ来とらんしな。大丈夫でしょ。まあ来たら、そん時はそん時や。というわけで、トイレに全速前進DA!」
ジョセフは、そう言い教室からでた。
「ああ、うん…先生にも一応言っとくね」
セシルは呆然としながらジョセフにそう言った。
「……遅い!」
システィーナは懐中時計を握りしめる手をぷるぷる震わせながら唸っていた。
現在10時55分。本日の授業開始予定時間は10時30分。すでに25分が経過している。
なのに、まだグレンは教室に姿を見せていない。つまりは、遅刻だ。
「あいつったら……最近は凄く良い授業をしてくれるから、少しは見直してやったのに、これなんだから、もう!」
システィーナは苛立ち交じりにぼやいた。
「でも、珍しいよね?最近、グレン先生、ずっと遅刻しないで頑張っていたのに」
その隣に座るルミアも不思議そうに首をかしげている。
「あいつ、まさか教室に今日が休校日だと勘違いしているんじゃないでしょうね?」
「そんな……流石にグレン先生でもそんなことは………ない、よね?」
グレンを全面的に信頼しているルミアも、流石にすんなりと完全否定はできなかった。
「あーあ、やっぱりダメな奴はダメなんだわ……よし、今日こそ一言言ってやるわ」
「あはは。今日こそ、じゃなくて、今日も、じゃないかな?システィ」
「細かいことはいいの!」
不機嫌そうに頬杖をついてシスティーナは周囲を見渡した。
元々、この教室には座席に余裕があったはずだ。だと言うのに今では満席御礼。立ち見で参加する生徒も教室の後方に多くいる。
因みに、ジョセフが「トイレに全速前進DA!」と言って教室を出たのもこの時である。
「あいつ…最近、ホント人気出てきたわね」
「だって、先生の授業、凄くわかりやすいから。私達みたいな学士レベルの内容はもちろん、修士生レベルの高度な内容も平易に説明してくれるし、普通の講師なら当然と割り切って流してた箇所もちゃんと理論的に説明してくれるし」
「はぁ……なんか面白くないわね」
「ふふっ」
見れば、ルミアが何やら訳知り顔でシスティーナをみて微笑んでいた。
「……何よ?ルミアったら」
「システィって、グレン先生がどんどん皆の人気者になっていくから寂しいんだよね?」
「な……何、言ってるのよ!?」
「だって、最初の頃、お小言とはいえ先生に話しかけていた人ってシスティだけだったでしょ?それが今では気軽に話しかけるようになったもの。なんだか先生が遠くに行っちゃったような気がするんだよね?」
「べ、別にあんな奴がどんな女の子に話しかけられようが私の知ったことじゃないわ!ルミア、貴方ってばなんか勘違いしてない!?」
「あれ?私、別に女の子に、なんて言ってないよ?」
「ぐ――」
一本取られたらしい。苦虫を噛みつぶしたような渋面になるシスティーナだった。
別にグレンをそういう対象として見ていたわけではないが、確かにこのクラスでグレンに構っていたのは自分だけだったわけで、そんなヤツが皆にも慕われるようになるのは、なんか面白くない。それが自分と同性ならばなおさらである。乙女の複雑な心境だった。
「あ、貴女はどうなのよ……?」
「私?」
「そうよ。貴女、最初からやけにグレン先生のこと、気に入ってたじゃない?貴女こそ面白くないんじゃないの?この状況」
「私は…嬉しい、かな?」
「…は?」
「グレン先生が本当は凄い人なんだって、皆がわかってくれて……凄く嬉しいの」
そこには表裏など欠片もない。本当に自分のことのように、周囲がグレンを理解してくれることを喜んでいるルミアの姿があった。
「……なんか格の違いを見せつけられたような気がする……女として。」
「……?」
掌で顔を押さえて嘆息するシスティーナと、不思議そうに首をかしげるルミア。
教室の扉が無造作に開かれ、新たな人の気配が現れたのは、その時だった。
「あ、先生ったら、何考えてるんですか!?また遅刻ですよ!?もう……え?」
早速、説教をくれてやろうと待ち構えていたシスティーナは、教室に入ってきた人物を見て言葉を失った。
その人物は、グレンでもジョセフでもなかった。代わりに、見覚えのないチンピラ風の男とダークコートの男がいたのだ。
ようやく秋らしくなってきましたね。
今日はロードアイランド州です。
人口105万人。州都はプロビデンス。主な都市はプロビデンスです。
愛称は、海洋の州です。
独立13州の一つで、13番目に加入しました。
全米一小さい州で、滋賀県くらいしか大きさはありません。
そのためリトル・ローディと呼ばれています。
州都プロビデンスは、そこそこ大都市で、古くから「蜜蜂の巣」という異名を持つ職人の町として知られ、宝石加工業や銀工などの装飾産業が盛んです。
また、プロビデンスは港湾都市でもあり、学術都市としても知られています。
以上!!