ジョセフがイヴから特務分室の単独作戦を聞かされた――その次の日。
「お?あれは、先生と大天使ルミア様ではありませんか」
放課後、ジョセフはグレンがルミアの手を引っ張りながら学院の校舎の中庭に姿を現しているのを見つけた。
「へぇ、先生がルミアとダンス・コンペのパートナーを組むことになったっちゅう話は本当なんやな」
となると、グレン達が中庭に来たということは、社交舞踏会のコンペのダンスの練習なのだろう。
いつになく強引で積極的(普段は面倒臭がりな先生とは似つかないほど)グレンに対し、ルミアは顔を赤らめながら完全にグレンにペースを握られ、翻弄されていた。
中庭では、グレン達と同じく社交舞踏会のコンペに参加する予定のカップル達が仲睦まじげにダンスの練習をしていたり、コンペには参加したいが、まだパートナーの見つかっていない可哀想な男子生徒達が、パートナーを探してたむろしたりしている。
「お…おい、見ろよ…あれ……」
「あ、ああ…あのルミアちゃんが、とうとうダンス・コンペのカップルを組んだっていう話…本当だったんだな……ッ!?」
「あの俺達の聖天使が…うわぁあああっ!羨ましいぃいいいいッ!」
「ていうか、まーたあのアホ講師かよ……ッ!?」
「講師、死すべし。慈悲はない」
中庭に手を繋いで姿を現したグレンとルミアの姿に、一斉に注目が集まった。
今まで頑なまでに、パートナーを断り続けていた評判の美少女の、突然のコンペ参加表明は、それほどまでに衝撃的なニュースだったのである。
因みに、ジョセフの方には――
「な、なぁ…確かジョセフって社交舞踏会に参加しないんじゃなかったのか……?」
「あ、ああ。確かそう聞いたはずなんだが……」
「でも、昨日の放課後からウェンディと一緒にいるんだけど……」
「なんで、ウェンディと一緒にいるんだ?今まではそうじゃなかったのに……」
「さ、さあ?わからねえ……」
羨望どころか困惑の視線が集まっていた。
「こ、これはどっちが本当なんだ?ジョセフは参加するのか?しないのか?」
「おかげで、ウェンディ様を誘うことが出来ねえ……ッ!」
「こ、こうなったら…ジョセフを打ち負かすしか……ッ!(錯乱)」
「や、やめとけ…木の上を走る化物だぞ…勝てるわけがない……ッ!」
「く、くそぉ…強すぎる…ッ!強すぎるだろッ!あのボディガードォおおおお――ッ!?」
困惑の他にもジョセフに対する怨嗟にも似た声が聞こえてくる。
「騒がしいですわね」
「そうですねー騒がしいですねー(棒)」
そんな周りの声に辟易しながら、再びグレンのほうを見る。
すると、グレン達の後ろにはシスティーナがぴったりとついてきていた。
しかも、むっすぅーと、かつてないほど不機嫌そうな顔で腕を組みながら、ジト目でグレンを睨み付けている。
「……ドンマイ、システィーナ……」
システィーナは気付いていないかもしれないが、彼女はグレンの事を想っている。しかし、見栄やらなんやらで素直になれないのだ。おそらく、グレンをダンス・コンペに誘おうとしたら、グレンがルミアを誘ったのだろう、それで不機嫌になっているのだろうとジョセフは思っていた。
システィーナの隣には、いつものように眠たげに目を細めたリィエル。これから一体、何が始まるの…?と言わんばかりに、ほんの少しだけ不思議そうに首を傾げ、まるで親鳥の後を追う雛鳥のようにトコトコと後をついてきている。
「どれ、先生の所に行きましょうかね……」
「先生のところにですか?」
「ん。ちと用があるから」
ジョセフはグレンに昨日のことを伝えといた方がいいと思い、グレン達の方に向かう。もちろん、ウェンディもついてくる。
そして、ジョセフはグレンに近づき。
「よ、先生」
「お、おお、ジョセフか。それと…ウェンディも」
ジョセフ達の姿に気付いたグレンがこちらをなぜか安堵したかのように振り向く。
なんで、そんな安堵したような表情しているんですかね?
「お前、確か社交舞踏会には参加しないはずじゃなかったのか?」
「はい、そうなんですよ。ウェンディのほうは誘いに辟易してて、それでついているだけなんですかね」
「ああ、なるほどね……」
グレンは納得したかのようにそう呟く。
「それはそうと…先生、ちょっといいですか?」
ジョセフはシスティーナやルミア、リィエル、ウェンディに聞こえないように、グレンに近付き、耳元で囁く。
「……手短にな」
グレンは頭をぼりぼり掻いてそう呟く。
「……と、いうわけで、ルミア、システィーナ。ちょーっと先生と話したいことがあるから待ってもらっていいかな?」
ジョセフは手を合わせながら、ルミア、システィーナに言う。
「え…?うん、いいけど……」
「別にいいけど……」
「ごめんねー、ウェンディ、お前もシスティーナと一緒に待っとってくれん?」
ウェンディが頷き、システィーナやルミアから了承を、もらったのを確認してジョセフは、グレンと一緒に中庭の隅に移動する。
「……で?話というのは?」
「昨日、特務分室の室長に会いました?」
面倒臭そうに応じるグレンに、ジョセフがイヴに会ったのかと問うと、グレンは昨日のことを思い出したのか、忌々しそうな表情になる。
「ああ、あのクソ女に会ったよ…特務分室単独で学院の行事真っ最中に迎え討つと言ってな…ったく、あの女、一体何考えてやがるんだ?正気じゃねえ。おまけにデルタを蚊帳の外に追い出しやがるし、お前はそれで参加できなくなったんだよな?」
「はい。となると、ルミアをダンス・コンペに誘ったのも……」
「ああ、ルミアの護衛をするためだ。リィエルと組むなんて流石にできないからな」
なるほどね、ジョセフはそう思った。
ルミアが狙われている以上、誰かが護衛をしなければいけない。社交舞踏会では、ダンス・コンペが開催されるため、男女のペアのほうが何かと都合がいいのである。
もちろん、だからといってリィエルは勝手に離れていいわけではないのだが。
「やっぱり中止というわけにはいかないんですかね?」
「あいつが、中止をするわけねえ。くそ、確かにあいつの言う事もわからねえわけじゃねえが……」
グレンは昨日のことを思い出し、苛ついたような表情でそう言う。
「正直言うと、俺は中止にしたほうがいいと思います。昨日から嫌な予感しかしません。それにあの曲…聴いていたらとても気味悪いというか何か操られそうな感じでしたし、この期に外部の指揮者を招くなんて、何か起きそうな気がしてならないんです」
「マジかよ…なぁ、デルタは本当に動かないのか?」
「まさか、まんま聞くわけないじゃないですか。とは言え、学院の中には入ることはできない。そこでです、先生。ウチらと、通信できるようにしてほしいんです」
「俺とお前らでか?」
「はい、こちらは外部で連中の動きを分析して先生に伝えようと思います。ていうか今思いつく段階ではこれしか方法がありません」
「そうか…いや、助かる。だが、それだったら、イヴに――」
「デルタは関わるなっていう人に伝えたって無駄に決まってるでしょう。それに≪星≫さんに伝えようにしても、恐らく≪魔術師≫さんは通信回線を管理・統制しようとするでしょうし」
「確かに…わかった」
「ありがとうございます。それと……」
ジョセフはこの時、かなり心配そうな表情をしながら、システィーナ達を見て。
「あいつを、ウェンディを頼みます。本当はウチが傍にいた方がええんやと思いますけど」
今回、何かあった時は必ず、学院関係者たちは巻き込まれるだろう。
その時に、彼女の身に何かあった時がジョセフはかなり恐れていた。
「……まぁ、お前の幼馴染だし俺の教え子でもあるからな。言われずとも守ってやるさ」
グレンがそう言うと、ジョセフは心底安心したような表情になっていく。
「ありがとうございます」
「まぁ、やる以上、こいつらに被害がでないうちにやるしかねえ。あいつに踊らされてるのが気に入らねえが、やるしかねえんだ……」
グレンは自分に言い聞かせるように、呟く。
「そうですね…与えられた条件で最高の結果を出すのが兵士の務めですから」
ジョセフはそう言い、システィーナ達の方へ向かっていく。
「やれやれ、俺は軍を退役しているっつーの」
グレンもぼやきながらシスティーナ達の元へ戻る。
「っていうか、本当になんでお前までついてきているんだ、白猫?」
「……別に?ただ、私が見てあげようってそう思っただけ」
「はぁ?見ててあげるって…なんでだ……?」
「どうせ、先生は社交ダンスの『しゃ』の字も知らないんでしょ?このままじゃ、コンペ当日にパートナーのルミアが、皆の前で恥をかかされるだろうことは目に見えてるから…最低限、私が教えてあげるって言ってるのよ。感謝しなさい」
「そ、その割には不機嫌そうで…なんだか監視されてるみたいなんだが……」
「ふん」
腕組したまま、ぷいっと、そっぽを向いてしまうシスティーナ。
「……拗ねてるな」
「……拗ねてますわね」
その様子を見て、ジョセフとウェンディは遠巻きに眺めながら、お互い呟く。
グレンはシスティーナの機嫌を取ろうと、適当に魔導考古学の話をするが、まったく連れず、気まずそうに嘆息する。
(あ~、先生も不機嫌になった女子の対処には困るよなー)
その様子を見て、ジョセフは昨日、ウェンディがなぜか不機嫌になったのを思い出し、同情していた。
「その…本当にごめんね、システィ…色々と…私のせいで…まさか、システィにあんなこと言った矢先に、こうなるなんて……」
「べっ、別にルミアは悪くないわ!わ、悪いのは、ルミアを利用してお小遣い稼ぎしようとしてる先生だし!」
ひたすら恐縮して申し訳なさそうなルミアを、システィーナが慌てて宥める。
(ああ、やっぱり、本当の事情は説明していないのね)
そりゃ、『明後日、天の智慧研究会が社交舞踏会に乗じてルミアを暗殺する』なんて言ったら、大騒ぎになってしまう。そうなったら、色々と面倒なことになってしまう。
「と、とにかく!先生っ!貴方の邪な目的なんかどうでもいいですけどっ!皆の前でルミアに恥をかかせたら、ただじゃ済まないんだからねっ!?いい!?」
(そりゃ、システィーナも怒るわ…親友をダシに使われてるんだから…先生も損な役回りだなぁ)
ふかーっ!と猫のように威嚇してくるシスティーナを、グレンはため息を吐きながらジョセフを見る。ジョセフは苦笑いするしかない。
にしても、もうちょっとまともな理由はなかったのか、先生よ……?
「いい?先生。今回の『社交舞踏会』のダンスはシルフ・ワルツの一番から七番よ?一番難しい八番は、使用される曲の都合で無いから安心して。これは、とある遊牧民族の伝統的な戦舞踊を元に、宮廷用に優雅な改変を加えて完成させたもので――」
早速、左手を腰にあて、右手の人差し指をつきたて、解説を始めるシスティーナ。
それを聞き流しながら、ジョセフはふと、物思う――
(八番を抜かすのが、かなり気になるのだが…しかし、シルフ・ワルツか…母さんがよく説明してたな……)
ふと、ジョセフはボストンにいた時の記憶に意識を彷徨わせる――
「――ねぇ、ジョセフ。音楽には不思議な力があるのよ?」
ジョセフの脳裏に蘇るのはそんな声。
今は亡きジョセフの母――かつては帝国でスペンサー家の政治的な台頭を導き、そして突然、爵位を返上して連邦に移住した張本人であるエヴァ=スペンサーは、いつもピアノを弾きながらそんなことを言っていたような気がした。
因みに、ジョセフも母から教えられたため、ピアノを弾くことができる。
「いきなりどしたん?」
ソファで母が弾く心地良い音を聴きながら、ジョセフは母の方を振り向く。
「音楽もそれと舞も心を動かす力で、そして心は身体を支える力なの。音楽はね、気づかないうちに人の心の奥底に、そっと忍び込むの。だから音楽の道を究めれば、心を動かすこともできるし、舞踏の道も究めれば心と身体を自由に支配できるくらい、凄いものなのよ?」
ガチガチでやたら堅苦しい貴族社会の中では、スペンサー伯爵家はかなり自由な家風というのは帝国では知られている。そのせいか、エヴァは歌や音楽、踊りが好きで、しかも連邦の、帝国でやったら絶対眉を顰めそうな新しいジャンルも気に入れば取り入れたり、とにかく大好きで――特に音楽は何かと熱く語ることが多くて――
「世の中にはそれ専門の魔術があることがあるくらい、音楽と舞で人の心に訴えかける術は歴史がとても古くて、南原の遊牧民族はもちろん、古代文明の頃からあった伝統的な魔術なわけで…要するに凄いのよ?」
「とにかく凄いって…まぁ、わからんわけじゃないけど…例えばどんなのがあるん?南原の舞踊とかさ」
ジョセフはピアノの音色を聴きながら、問う。
「そうね~…例えば『
「ほんほん」
「『
「ああ、あれね」
ジョセフはアナポリスに行った時のことを思い出す。
南原の遊牧民族はレザリア王国の浄化政策により故郷を追われた彼らは聖堂騎士団に殺され、難を逃れた者も各地に散逸してしまった。連邦にも少なからずの亡命しており、一部は奪われた故郷を取り戻すため、連邦軍に入隊したりしていた。
「しかし、戦巫女もそう簡単に踊っちゃいけないなんてな……」
「うん。これはね、『
「ほーん、なるほどね」
「あ、そうだ!せっかくだし、シルフ・ワルツと『
「はい?あの…母上?一体、何を仰ってるんですか?」
「ふふっ…だってそういう話してたら踊りたくなっちゃって…どちらもパートナーがいるんですもの。将来ジョセフが互いに身と魂を預け、心を溶かし合える無二のパートナーと出会ってもいいように……」
「ちょちょちょちょ!?母上!?ご乱心なさってますよ!?とりあえず落ち着き――」
「ほらほら、立って、ジョセフ!ふふ…まずは私の腕をこう取って、それから足捌きは…うんうん、そう、それで、こう回るように……」
「ぎゃ――っ!?お、俺を振り回さんといてぇ――っ!?ぶ、ぶつかるぅ――っ!?目が回るぅ――っ!?ちょ、速い!速いって!?母さん、もっとゆっくり――」
「聞 い て る の!?」
懐かしい思い出に浸っていたジョセフは、システィーナの怒声により現実へと引き戻される。
おそらくグレンが聞いていなかったからそれでなのだろう。
「――っと、えーと?なんだっけ?」
「だから…シルフ・ワルツがいかに難しいダンスかっていうこと!それで、基本のステップの踏み方を今、私が言ったとおりに――」
「あー、はいはい、そこまでいったのね」
どこまでも投げやりでおざなりな態度に、システィーナがさらにむくれる。
「むむむ…わかってるの?シルフ・ワルツよ?あのノーブル・ワルツやファスト・ステップよりも、ずっと難しいダンスなんだからね?」
「へーいへい、知ってますよ」
「ルミアのために、この私が、ド素人の先生に手取り足取り教えてあげるんだから、少しは真面目に――って…な、何がおかしいのよ?」
突然、くっくとふくむように笑い始めたグレンに、システィーナが訝しむ。
「いや、なに…今回ばかりは、小生意気なお前の鼻を明かせてやれそうだなってな」
「はぁ?」
妙な事を言い始めるグレンに、システィーナがきょとんとする。
「大丈夫だっつーの。心配すんない。シルフ・ワルツだろ?だったら、本格的な舞踏競技会ならまだしも、学生レベルのお遊戯コンペで俺が負けるわけねーよ」
妙に自信満々なグレンに、システィーナは少々カチンときたらしい。
「い、言ってくれるじゃない?じゃあ、その実力のほどを見せてもらおうかしら?」
そう言って、グレンへと手を差し出すシスティーナ。
それは、社交界で相手にダンスのパートナーを求める合図の所作だ。
「試しに私をエスコートしてもらおうじゃない」
「ちっ…面倒臭ぇなぁ……」
どうにも引っ込みつかなくなって、仕方なく、グレンは自分の実力を証明するために、システィーナと一踊りすることになるのであった。
一方、ジョセフは。
(シルフ・ワルツ…『
グレンがなぜあんなに自信満々なのか、それを考え、そして納得していた。
久々ですが、今回はケンタッキー州です。
人口445万人。州都はフランクフォート。主な都市にルイビル、レキシントン、オーウェンズボロです。
愛称はブルーグラスの州です。
15番目に加入しました。
元々はヴァージニア州の一部でしたが、1792年にヴァージニア州から分離、同年6月にアメリカ合衆国15番目の州に昇格しました。
州名の由来は定かではありませんが、同州に先住するチェロキー族インディアンの「暗い血まみれの大地」、またはイロコイ族のイロコイ諸語で「平原」を指す言葉であるという説があります。同州ではもっぱ後者の解釈が支持されています。
因みに、前者はチェロキー族の若き酋長ドラッギングカヌーが、先祖伝来の猟場を白人に売却することに反対し、白人に対して「暗く血塗られた土地」を買おうとしていると警告したのが由来かもしれません。
ブルーグラスの州とは、土壌が肥沃だったので牧草地の多くにブルーグラスが見られたことに基づいています。
ケンタッキーってケンタッキーフライドチキンやケンタッキーバーボン、ケンタッキーダービーがある州でしょ?という偏ったイメージアはあながち間違ってはいません。
実際ブルーグラスの州の異名を持つなど競走馬生産、そしてバーボン生産が盛んであり、KFCを運営する企業本社もあります。
州内にはルイビルとレキシントンという二つの中心都市があり、かつては人口がレキシントン>ルイビルでしたが、都市圏と経済規模は圧倒的にルイビル>レキシントンだったため、ルイビル市が沽券を賭けて周囲を合併しまくって格の違いを見せつけることになりました(こういう例はアメリカではレアケースです)。一方、レキシントンも自動車工業の発展が著しく、近郊でトヨタがレクサスの製造拠点を置いているなどこっちも負けておりません(日本で例えるならば、対他県では共闘し、県内ではいがみ合う岡山と倉敷のような関係)。更に、GMとフォードまでが、ケンタッキーを自動車の生産拠点としているなど今日では自動車産業が同州の経済を牽引しています。
……ミシガンは……?デトロイトは……?