78話
「なぁ…ウェンディ……」
「……何でしょうか?」
アルザーノ帝国魔術学院、掲示板前にて。
今、ジョセフとウェンディは掲示板前にて、何か信じられないモノを見たような目で眺めている。
「……これは何の冗談なんでしょうか?」
「むしろ、わたくしが聞きたいですわ……」
他にも……
「これって…本当ですの……?」
「この時期に…なんて…嘘、だよね……?」
テレサとリンが、困惑したような表情で通知を見つめ――
「ははは…セシル。どうやら俺は、幻覚を見ているようだぜ……」
「うーん、これは幻覚なのかなぁ?幻覚だといいな~…あはは……」
カッシュもセシルも信じられないばかりに、幻覚だと言い始める始末だ。
なんで、こんな状態になっているのか?
答えは、掲示板の張り紙にあった。
その内容は――まさに、晴天の霹靂であった。
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~緊急通知~ アルザーノ帝国魔術学院 学院教育委員会
以下、一に該当する者を、二つの通りの処分とすることを決定し、ここに通知する。
一、対象者:リィエル=レイフォード
ニ、処分内容:落第退学(今年度前期の終了時点で上記の処分とす)
三、処分理由:生徒に要求する一定水準の学力非保持、故の在籍資格失効
以上
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「「「「――なんじゃこりゃぁああああああああああああああああ――ッ!?」」」」
掲示板の前で絶叫が響き渡った。
「ど、ど、ど、どぉいうことっすか、学院長ぉおおおおおお――ッ!?」
掲示板でそんな通達を発見するや否や、グレンは猛烈な勢いで学院長室に駆け込み、執務室のリック学院長へ、机越しに身を乗り出すように詰め寄っていた。
「まぁ、そろそろ君が来る頃じゃとは思っていたよ……」
慌てふためくグレンを、学院長は落ち着いた物腰で迎える。
「確かに、こいつはマジモンのバカですよ!?今の所、成績、ボロクソですし!」
グレンはリィエルの後ろ襟首を掴んでぶら下げ、学院長の前に突き出す。
「むぅ…バカって言うほうがバカ」
対するリィエルの表情は眠そうで、いかにも何が起こっているのかわかっていない風だ。
落第退学。それは、成績不振者に対して下される処分の一つだ。
富国強兵政策を推進する帝国政府によって公的に運営される魔術学院は、基本、完全室力主義だ。能力と意欲ある者は優遇するが、無能者、意欲なき者には厳しい。
よって、学業成績が著しく悪い生徒に対しては、学院教育委員会が『落第退学』という強制的に学院在籍資格を剥奪し、退学させる処分が下すことがあるのだが……
「一番成績に響く前期末試験がまだなんっすよ!?その結果すら待たず、指導も補習も追試も留年も全部すっ飛ばして、いきなり落第退学なんて、絶対おかしいっすよ!?」
そう、グレンの主張する通り、本来、落第退学など余程のことなのだ。
このタイミングでリィエルが落第退学させられるなんて、ありえないことなのである。
「そうですよっ!絶対に何かの間違いに決まってますっ!」
「お願いします、学院長…どうか、もう一度よく確認してください」
グレンについてきたシスティーナとルミアも、必死に学院長へと嘆願する。
「まぁ、何かの間違い…確かにそうなのじゃろうな…普通なら。だが、今回のリィエルちゃんの一件は、少々特殊でのう……」
学院長が気の毒そうに、疲れたように、ため息を吐いた。
その時。
「リィエルの場合は、教導省、魔導省が排除に動いたんですよね?」
扉が開くと、そこにはジョセフが立っており、執務机に向かって、扉が閉じると同時にそう言った。
「君は母親と同じ、勘が良いのう……」
リック学院長はそう言いながら、ちらりと執務室内を一瞥し、自分の他には、グレン、ジョセフ、リィエル、システィーナ、ルミア…丁度、この場に関係者しかいないことを確認する。
「おい、ジョセフ。それは、どういうことだ!?」
「教導省と魔導省が排除に動いったって、どういうことなのよ!?」
それを聞いた、グレンとシスティーナがジョセフに詰め寄る。
「まぁまぁ、確かにジョセフ君の言う通りじゃよ。リィエルちゃんは、元・王女のルミアちゃんの護衛として、帝国宮廷魔導士団の特務分室から派遣された執行官…そうじゃったな?」
そんなグレンとシスティーナを宥めるように、学院長が説明を始める。
実はリック学院長も、ルミアの裏事情を知る数少ない人間の一人なのだ。
「そのために、帝国軍…国軍省総合参謀本部が、リィエルちゃんをこの学院へ生徒として、強引にねじ込んだわけじゃが…知っておろう?この魔術学院は、様々な帝国政府各機関の思惑や利権、縄張り争いが複雑に絡み合う混沌の魔窟だということを……」
「そうっすね。ざっと指折るだけで、国軍省、魔導省、行政省、教導省…学院の最高決定機関たる学院理事会は、水面下で各閥の息がかかった連中が、利権の塊のような魔術学院内における主導権争いに日々、しのぎを削ってる……」
そう、アルザーノ帝国は女王陛下の下での盤石な国家のようで、決して一枚岩ではないのだ。王室という絶対的なカリスマを誇る忠誠の対象が存在しなければ、たちどころに内部から瓦解してしまう…そんな危険性も孕む危うい国家なのである。
まぁ、どこも一枚岩ではないし、アメリカ連邦も近年は南北の経済構造の違いによる格差などが拡大し、北部諸州と南部諸州で対立しているなど、帝国と同等の危険を孕んでいるが。
「まさか……?」
「そのまさか、じゃよ」
ジョセフが先ほど言ったリィエルの排除に動いた理由をやっと気付いたようなグレンに、リックがため息を吐いた。
「あとはジョセフ君の言う通り、リィエルちゃんがこの学院で王女の護衛につく際、国軍省の強引な横槍を面白く思わない連中がいたんじゃよ。恐らくはこれも彼の言う通り、教導省と魔導省…彼等は一時的に手を組み、学院内から国軍省の息がかかるリィエルちゃんの排除に動いたんじゃ」
「そ、そんな……」
ルミアが悲しそうに表情を歪め、自分の口を両の掌で塞いだ。
「おまけに、リィエルは様々な要因から、まだ精神的にウチらよりも子供なせいで、破壊行動とか、問題行動も多いからなー…それに加えての成績不良…攻撃の口実を探していた反国軍省派から見たら、こんなにいいカモはおらんて……」
「くそ…そういうことか……」
自分がついていながら、なんて様だ…グレンは悔しげに歯噛みするしかない。
「……学院長…なんとかならないんですか?」
執務机に両手をついて真摯な表情で、学院長へと迫るグレン。
(まぁ…俺もできればリィエルのままがいいんだけどな……)
今さらリィエルを変えられても、調子が狂うと思っているジョセフ。
そんなグレンのただならない様子を、ぼ~っと見つめていたリィエルが、ようやく自分が何かとんでもないことに巻き込まれた…ということに薄々気付き始める。
「……ねぇ、ルミア。システィーナ。ジョセフ。ラクダイタイガクって何?…おいしいの?」
「それは…その……」
言いにくそうに、顔を見合わせるジョセフとルミアとシスティーナ。
(いくらこいつにも非があるとはいえ、これは言いにくい……)
「……落ち着いて聞いてね?リィエル。落第退学っていうのは…強制的に学院を辞めさせられることなの……」
「……え?」
ルミアの言葉に、リィエルは眠たげな無表情を、はっきりと動揺の色に染める。
「それって…グレンやジョセフやルミアやシスティーナ…クラスのみんなと…わたし、もう一緒にいられないってこと…?なんで…?そんなのやだ……」
あの感情の起伏に乏しいリィエルが、この時ばかりは…今にも泣き出しそうであった。
「学院長…俺からもなんとかしてもらえないでしょうか?」
ジョセフはグレンの隣に立ち、真摯な表情で嘆願する。
「ジョセフ?」
「外部の連中が言ったところでどうにかなるものではないというのは重々承知しています。しかし、これまでの騒動ではあいつと一緒にやってこられたんで、今さら退学されてはこちらも調子が狂いますしねー。なんとかならないですか?」
ジョセフはリィエルのことを「思い立ったら、まずは突貫」なんて思っているが、これまでの事件では何やかんやあっても、それを乗り越えてきているのである。今さら退学なんて困る。
「……お願いします、学院長ッ!」
動揺して今にも泣き出しそうな、そんなリィエルの姿に、居ても立ってもいられないグレンが、さらに頭を下げる。
だが、学院長はそんな鬼気迫るグレンを前に…にやりと笑っていた。
「しかし、毎回つくづく思うのじゃが…君は本当に悪運が強いのう、グレン君」
「えっ!?」
「実はな…ちょうど、リィエルちゃんに、名指しで短期留学のオファーが来ているのじゃよ…聖リリィ魔術女学院からのう」
「聖リリィ魔術女学院だって!?」
聖リリィ魔術女学院。アルザーノ帝国が首都、帝都オルランドより北西へ進んだ湖水地方リリタニアにある私立の魔術学院。いわゆる、女子のみが通える女子校であり、上流階級層の子女御用達の全寮制お嬢様学校であった。
(なんでだ……?)
ジョセフはそれを聞いた瞬間、怪訝な表情になる。
「なんでンなとこから、いきなり短期留学のオファーが…?いや!今はンなことどうでもいい!リィエルに短期留学のオファーが来たってのは間違いないんすか!?」
グレンの問いに、学院長が力強く頷く。
「うむ。今回、反国軍省派のリィエルちゃんに対する攻撃点は、成績不振による学院在籍資格への疑問、その一点じゃ。つまり、それを覆してやればいい」
「そうっすね!他校への留学ってのは、総合成績評価に大きく加点される立派な『実績』だ!リィエルが短期留学を無事に成功させれば…誰も文句は言えねえ!」
そして、グレンは顔を綻ばせて、リィエルに振り返る。
「よかったな、リィエル!希望が見えて来たぜ!?お前、聖リリィ魔術女学院に、短期留学しろっ!いいなっ!?」
「ちょ、先生、そんなに迫ったら――」
ジョセフが何か言いかける途中、リィエルはきょとんとした表情で……
「……ねぇ、ルミア。システィーナ。ジョセフ。タンキリューガクって何?…おいしいの?」
「それは…その……」
言いにくそうに、顔を見合わせるジョセフとルミアとシスティーナ。
「……落ち着いて聞いてね?リィエル。短期留学っていうのは…簡単に言うと、一時的に余所の学校に通うことなの……」
「……え?」
ルミアの言葉に、リィエルは眠たげな無表情を、はっきりと動揺の色に染める。
「……別の…学校…?この学院じゃなくて……」
「あっ!でも大丈夫よ、リィエル!ずっと余所の学校に行きっぱなしっていうわけじゃないわ!多分…二週間から三週間ぐらい?ちゃんと帰ってこれるから!リィエルが留学先で、きちんと勉強すれば……」
狼狽えの色を見せるリィエルに、システィーナが慌てて弁解するが……
「やだ」
リィエルの口を突いて出た言葉は、強い拒絶であった。
「……わたし、リューガク?…したくない」
そうぼそぼそと呟くリィエルは、いつもの通りの眠たげな無表情だが…その眉間には微かにしわが寄っている。常に能面な彼女から察するに、相当、嫌なようだ。
(あーあ、やっぱり……)
「あ、あのなぁ、リィエル…お前、状況わかってんのか!?」
グレンが呆れたように頭をかきながら、リィエルを問い詰める。
「このままじゃ、お前、この学院を辞めさせられるんだぞ!?ルミア達と一緒にいられなくなるんだぞ!?そんなの嫌だろ?」
「ん。やだ」
「だったら、ここは大人しく、短期留学をだな……」
「………それも、やだ……」
リィエルは拳を握り固め、微かに震わせながら、暗く俯いてしまう。
「おい、お前、いい加減にしろよ?あれもやだ、これもやだは通らねえんだよ!」
「せ、先生――」
駄々っ子なリィエルの様子に、グレンが微かに苛立ったように叱責し、ジョセフがリィエルの心情を代弁しようとするが……
「……うるさい…いやだ…いや…いや……ッ!」
リィエルが俯いたまま、全身をぶるぶると震わせていって……
「お、おい…リィエル……?」
「タイガク?も…リューガク?も…わたし、どっちもいやだ…いやなの……」
そして――
「絶対、やだ!グレンのバカ!大嫌い!」
だっ!
癇癪を起したリィエルが、そう叫んで、学院長室を飛び出していってしまう。
流石は≪戦車≫のリィエル。止める暇もない、圧倒的な素早さであった。
「お、おい!?リィエル!待て!ええい、世話が焼けるッ!」
そして、グレンはリィエルの跡を追って駆け出す。
「学院長!短期留学の件は前向きに検討させていただきますっ!白猫!ルミア!ジョセフ!リィエルを追うぞッ!もう許さんっ!あいつはとっ捕まえて、お尻ぺんぺんの刑じゃあああああああああああああああああああああああ――ッ!」
そう叫びながら。
「……はぁ、まったく……」
ジョセフは盛大にため息を吐き、後を追うのであった。
今回はノースダコタ州です。
人口は76万人。州都はビスマーク。主な都市にファーゴ、ビスマークです。
愛称は平和な庭の州です。39番目に加入しました。
ノースダコタの「ダコタ」はインディアンのダコタ族(「仲間」の意味)に由来します。
パタリロにもネタにされたほどの、ど田舎州として有名で、ひたすら十勝のような農場が地平線レベルで続きます。寒波と洪水にしょっちゅう見舞われ、最も開拓が遅れた州でもあります。