ジニーは可愛い。以上。
聖リリィ魔術女学院。
カーテンを締めきった、薄暗い部屋にて。
「……うん、まぁ、そんな感じでマリアンヌの素性を調査してくれたら助かるわ。…ほいほい、そんじゃ、頼むで」
ジョセフは、ガルシアにここの学院長であるマリアンヌの素性調査を依頼していた。
やはり、今回の短期留学はおかしい。
なぜ、リィエルなのか。短期留学のオファーを出す際の、素行調査からしてもリィエルは短期留学に招くほどの学力はない。
それに、あの時のマリアンヌの視線。
明らかにリィエルに向けたその視線は、かつて『遠征学修』の時の白金魔導研究所所長、バークス=ブラウモンがルミアに対して見せた視線とかなり似ていた。
まるで、人として見ていない冷たい視線。
(今回の件は、マリアンヌはリィエルに関心があるのは明白や。逆にルミアにはこれっぽっちも関心がない)
ジョセフは部屋に設置されている机に座り、物思う。
(彼女はリィエルの何を狙っているんだ?まさかとは思うが……)
もしマリアンヌがクロだった場合、リィエルを短期留学させた本当の狙いは何なのだろうか?
まだ、確かな証拠が残っていないし、マリアンヌの素性がガルシアの調査までわからない以上、推測しても仕方がない。
「……この短期留学…やはり何かあるな」
机から一歩も動かず、ジョセフは一人でそう呟くのであった。
一方、同じくカーテンを締めきった、薄暗い学院長室にて。
「……どうです?今日で五日目ですが…見極められましたか?彼女は」
学院長マリアンヌは、手を組んで執務室につきながら、その女子生徒に問いかける。
「……まだですね」
その少女は、まるで銀鈴が鳴るような、凛と覇気に満ちた声で答えた。
「先日、魔導戦教練の授業がありましたが…彼女は攻撃を封じられていた上に、本気すら出していませんでした。あれで彼女の底を見ることは、到底できない……」
少女が左手を静かに眼前に掲げると、今の今まで何も持っていなかったのに、まるで手品のように、その左手には一振りの刀剣が握られていた。
鉄線華の紋入りの丸い鍔、黒漆塗りの鞘に納まった、緩やかに湾曲した刀剣だ。
菱状の目貫が、綺麗に一列に並ぶような柄巻きがなされた柄。
それを少女は右手で掴み……
きちり。そっと、その鯉口を切る。するりと鞘から四寸ほどまろび出る刀身。
剣材は玉鋼。その鎬造りの鍛え肌は板目状。燃え上がる炎のような刃文。
磨き抜かれた鏡のような刀身に、少女の鋭き双眸が映る。
それはただただ美しい。実用性と芸術性。相反する属性を高次元で融和させた業物。
帝国では滅多に見られない拵えのその刀剣は――『打刀』。東方の剣だ。
「……自信はあります。父が倒されて以来、私は彼女の打倒を目指し、地獄のような鍛錬をずっと続けてきました。けれど万全を期すため、もう少し彼女を見ていたい」
「……そう。まぁ、精々、慎重になさいな…なにせ……」
くすり、とマリアンヌが笑う。
「貴女には、致命的な弱点があるのだから」
その一言に、鏡の如き刃に映る少女の瞳…その眉間の間が、微かに曇った。
「……あら?気を悪くしちゃったかしら?ごめんなさいね…私はただ、貴女のことが心配だっただけなのよ…だって、貴女は私の大切な……」
「……どの口が言いますか」
そう返す少女の表情は、感情こそ殺していたが、言葉の端が苛立っている。
そんな心の乱れから目を背けるように……
「黙って見てなさい、マリアンヌ。私は必ず彼女を…斬る」
ちん…少女は澄んだ金属音と共に刀を鞘に納め、鯉口を鳴らすのであった。
ぽきり。
「おや?」
その頃――アルザーノ帝国魔術学院、二年次二組の授業中にて。
板書していたセリカは突然、折れてしまったチョークに、目をぱちくりさせる。
「やれやれ、ちょいと張り切り過ぎちゃったかなー?」
苦笑いしながら、床に落ちたチョークの欠片を拾うセリカ。
「きっと、お疲れなのですわ、アルフォネア教授…少し休まれては?」
ウェンディが引きつった表情で、気遣うように言う。
この時、ウェンディは自分の幼馴染がこの場にいなかったことにある意味で感謝していた。もしいたら、黒板がさらにカオスになっていたことだろう。
「そうだな…ちょっと肩が凝っちゃったかな。慣れないことはするもんじゃない」
すると、セリカは、ん~~っと伸びをして、首をコキコキと鳴らした。
「しかし…授業を行うってのは、結構しんどいもんなんだな。グレンのやつは毎日、これをやっていたのか…ちょっと感心したよ」
「そ、そうだぜ!グレン先生は、こんな俺達でも完璧に理解できるような授業を、いつもやってくれていたんだぜ!?」
「せ、先生って…ああ見えて、いつも僕達のこと考えて授業してくれていたんです」
「先生、今頃、何やってるんだろうな~っ!?早く帰ってこないかな~っ!」
カッシュ、セシルが妙に、グレンを持ち上げる。
よくよく見渡せば、ギイブルにテレサ、カイにロッド、リン…二年次二組の生徒達は皆一様に、どこか引きつったような困惑の表情を浮かべ、脂汗を垂らしてた。
だが、そんなおかしなクラスの様子に気付かず、グレンを褒められたことが嬉しくて嬉しくて仕方ないセリカは、満面の笑みを浮かべて、腕まくりの仕草をする。
「ほほう!こりゃ、あれだな!少しでもアイツ不在の穴を埋められるよう、私ももっともっと頑張らないとなっ!」
「「「「いえっ!教授はあまり頑張らなくてもいいですからっ!」」」」
涙目で首をぶんぶん振りながら、ハモった悲鳴を上げる一同。
黒板には、これまでのセリカの授業の軌跡――高度過ぎて、もうどんな機能を持つのかすら読み取れない、超複雑怪奇な巨大魔術式が、びっしりと書き連ねてあった。
無論、これを理解できている生徒など、この教室には一人としていない。
「ははは、遠慮するなよ、諸君。こんな簡単なことしか教えられなくて申し訳ないが…私は立派にアイツの代役を果たしてみせるぞ」
「い、いえ、そうではなくてですね、教授……」(青ざめるウェンディ)
「教授には、多次元連立並行世界からエネルギーを主観的視座の第一世界へ収束させる増幅次元式も、1+1も、同じレベルの話なのかもしれませんがね……」(脂汗のギイブル)
「わ、私達はその1+1の方を教えてほしいんです……」(涙目のリン)
だが、そんな生徒達の呟きは、嬉々としてグレンの代役を務めようと浮かばれるセリカには、まったく届かない。
「これをこうするとだな!出力が256%アップする上に、概念破壊属性がつくぞ!」
黒板上の式は、最早考えるのを止めた生徒達の前で、さらに魔変貌を遂げていく。
(アレ…最初は、初等攻性呪文【ゲイル・ブロウ】の魔術式だったよな……?)
(なんだよ、あの変態魔術式…もう【ゲイル・ブロウ】じゃねえよ……)
(うう…なんでこんなことに…生徒のレベルにちゃんと合わせた授業ができるグレン先生って、やっぱ凄かったんだな……)
さめざめと泣くしかない生徒達の前で。
黒板上で式の魔改造を終えたセリカが笑顔で振り返り、ふんす、と胸を張って言った。
「……とまぁ、以上だ。これで諸君らは――神 を 殺 せ る」
「「「「できるかぁああああああああああああああああ――ッ!?」」」」
「「「「グレン先生、早く帰ってきてぇえええええええええええええええ――ッ!?」」」」
「なーに、この光景……」
その頃――アルザーノ帝国魔術学院から遠く離れた、聖リリィ魔術女学院にて。
ジョセフはある光景を、呆然としながら眺めていた。
それは――
「もう嫌だぁあああああああああ――ッ!早く帰りたぁあああああいっ!」
グレンが、校舎内の廊下を、脱兎の如く猛然と駆け抜けていた。
「人気者の先生は大変だねー。なあ、ジニー?」
「ですねー。人気者は大変ですねー」(棒)
そんな様子を、棒読みで答えるジニーと一緒に、グレンを追いかけているある集団に、視線を移す。
その後ろには。
「ああん、お待ちになってぇえええええええ――ッ!レーン先生ぇえええ――ッ!」
ずどどどどどどどどどどどどどどどどどどどど――っ!
そんなグレンを、フランシーヌを先頭にした女子生徒達が大挙して追いかけていく。
「ねぇ、先生っ!お昼はわたくし達と一緒に昼食会しましょうよっ!」
「い、嫌だっ!来るなぁあああああああ――ッ!?お前らと一緒に居ると――」
と、その時である。
「くおらっ!フランシーヌぅううううううッ!てめぇ、アタシ達のレーン先生に何してんじゃ、こらぁあああああああああああ――ッ!?」
前方に、コレットを先頭とした集団が現れる。
「先生はアタシ達と昼飯食うんだよッ!邪魔すんじゃね――ッ!?」
「ギャ――――――――ッ!?やっぱ出たぁあああああああ――ッ!?」
グレンは思わず足を止めてしまい……
「先生――――――ッ!」
「うぉわぁああああああああああ――ッ!?」
追いついたフランシーヌ達が、グレンにタックルかますように抱きついていく。
「てめぇ、何しやがる!?レーン先生から離れやがれッ!」
「どぎゃあああああああああああああ――ッ!?」
そこに突撃してきた、コレット達も加わり、もみくちゃになるグレン。
「にしても、ホントにチョロすぎやろ。いくら箱入りお嬢様とはいえ、まちっと慎重になるもんやで」
「まぁ、今は多少、レーン先生のおかげでバカお嬢となんちゃって不良も、以前よりマシになってきてはいますが」
「そういや、初日みたいな派閥争いはすっかり鳴りを静めたな~」
一方、廊下では、フランシーヌ達とコレット達でグレンを賭けて、派手な魔術戦が繰り広げられていた。
今は派閥争い、というよりも、グレン争奪戦みたいな展開になっている。
廊下の一角を、稲妻や爆風が飛び交い始めたかと思えば……
「≪大いなる風よ≫――ッ!」
「「「「「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!」」」」」
不意に廊下を駆け流れた造絶な突風が、フランシーヌとコレットの取り巻き達を、廊下の彼方へと押し流していった。
「な!?」
グレンの左右に組み付くフランシーヌとコレットが振り返れば。
「まったく…貴女達って人は……ッ!」
左手を携えて、いかにも不機嫌そうに荒い息を吐くシスティーナと……
「……あはは、フランシーヌさんとコレットさん…ちょっと、先生にくっつき過ぎじゃないかな?いくら優しい先生でも迷惑しちゃうよ?ね?ね?」
言葉は丁寧で優しげだが、目がまったく笑ってないルミア。
「ほら、先生!そんな人達、放っておいて!早く、私達と食事に行きましょう!?」
「ふふ、リィエルもジョセフィーヌもお腹を空かせて待ってますよ?」
ぐい、ぐい…と、グレンの背中に取りすがるシスティーナとルミア。
「うーん、これは……」
「あー、これは始まりますね……」
「せやな。嫉妬に狂った白猫と大天使様が来ちゃったからな~」
やがて、グレンの間に険悪な空気が支配し、解放したグレンを真ん中に両者はにらみ合う。
その展開を遠巻きに眺めるジョセフとジニー。
ずごごごごごごごごごご…そんな重低音の空耳はさらに重圧を増していき……
「いやー、これが高貴に洗練された雰囲気ですか……」
ジョセフはシスティーナの呪文に倒された無数のモブお嬢様達が四方八方に死屍累々としているほどに高貴に洗練された雰囲気を感じている。
「フランシーヌッ!援護しろッ!あいつらをぶっ潰してやるぜッ!」
「ルミアッ!私の背中を守ってッ!自分勝手なあの人達にお仕置きよッ!」
「ふーん、なるほど、なるほど……」
電撃やら、突風やらで応酬されるほどに仲良く、無邪気に戯れる、美しき妖精のような少女達の姿を眺めるジョセフ。
「先生は貴女達のものじゃないんですよ!いい加減にしてください!」
「うるさいですわね!だったら、力づくで奪うまでですッ!」
「うん、なるほどね…これは……」
それを眺めていたジョセフの表情は。
「……先生、人気者は辛いですね」
これまでにない穏やかな笑みで眺めていた。
……生温かい目でグレンの幸運を祈りながら……
「って、違ぁああああああああうッ!俺が望んだ光景はコレジャナーイッ!」
やがて、恐らく今まで現実逃避していたであろうグレンは、我に返り、頭を抱えて天に向かって叫んでいた。
そして、グレンは教え子達の暴走と死闘を止めようと駆け出す。
「ええい、お前らッ!やめてぇえええええ――ッ!?俺のために争わないでぇええええええ――ッ!?って、コレもう色々、台詞がおかし――」
「ああっ!?先生の方に、流れ呪文が――ッ!?」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!?」
結局、いつものように圧縮空気弾の炸裂に巻き込まれたグレンが、その衝撃で、もみくちゃにされながら、廊下の果てに吹き飛んでいくのであった。
「……平和だなー」(棒)
「そうですねー。平和過ぎて新たなバカ騒ぎが始まりましたねー」(棒)
ジョセフとジニーは、その光景を半眼で、感情が籠っていない他人事のように言いながら、遠巻きに眺めていた。
今回はここいらでよかろう。