梅花、百鬼を魁る   作:色付きカルテ

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潜伏する”主”

 

――――私は自分が何でも出来ると信じていた。

 

 私は間違いなく天才と言うもので。

 家柄も、才覚も、容姿も何もかもが優れ、他の者よりも圧倒的に勝っている自分を人という大きな括りの中でも、勝者である事を信じて疑わなかった。

 

 勝利がほとんどの人生、されど敗北が皆無と言う訳ではなく、数少ない敗北を狂おしい程に後悔し、見つめ直し、改善を徹底してきた。

 確かに敗北は得るものがあるだろうと理解している。

 けれど何であれ完璧を求める私にそんな誤魔化しが通用するわけもなく、そんな日の夜は涙に濡れて羞恥に震えるばかりであった。

 数少ない敗北で、数多くの得るものがあるように、こんな苦い経験は二度としたくないと。

 何度も何度も何度も、歯を食いしばり、血を噛み締めて、歩みを止めることはなかった。

 

 だからこそ、信頼する自身の才と裏打ちされた努力、そして歩んできた苦難の数を思えば、私は誰であろうと負けるつもりなど微塵もなく、どんな苦難も乗り越えてみせるという自信があったのだ。

 

 

 それはたとえ、この世が終末と化しても。

 人が死者に、権力者が自死し、これまでの根本が引っ繰り返ろうとも。

 町が、都市が、国が、形骸化したとしてもそれは変わることはなく。

 

 自分ならばどうにでも出来ると信じて疑っていなかった。

 

 

 国を再興させて、その国を運営し、世界を救うのだと年頃の少女の様に信じきっていたのだ……そう、あの化け物と出会うまでは。

 

 

――――その時初めて私は絶望と言うものを味わった。

 

 

 片手でビルを倒壊させ、綿菓子を丸めるように車両を潰し、四方八方から放たれる弾丸の嵐をその身に浴びてなお、笑っているような化け物の存在。

 

 黒き鬼。

 異形の王。

 または、死を運ぶ鬼“死鬼”。

 

 無垢な少女のような風貌で、側頭部から生える羊のような渦巻き状の双角は闇のような漆黒、陶器を連想させる白い肌と蛇の様に縦に裂けた瞳孔を持ち、そしてその真紅の双眸は暗闇の中でも爛々と輝く――――美しき鬼。

 

 それは、その方との邂逅は私を――――

 

 

 

 

 

 

「そんな知らない名前で呼ばれても困りますっ!!!」

 

 

 妄信的な、若しくは異常な色眼鏡を通すような目で俺を見て、詰め寄ってきた女性から弾かれたように距離を取った。

 反射的に銃器を構えなかったのは、単に相手がこちらに害意を一切持っていないと肌で感じていたからと、流石に生きた人間を傷付ける程の覚悟を俺が持っていなかったからだ。

 

 俺の言葉に女性は一瞬怯んだように身を竦ませたものの、それでも煌々と瞳を輝かせながら口を閉ざす様子はない。

 

 

「そんな筈無いわ。貴方の事はよく知っているもの。傲慢で尊大で、誰よりも残酷を愛していた貴方の事を」

「お、俺はそんな人でなしじゃないっ……!」

「人でないものに人としての常識など求めないわ。その陶器のような肌、漆のような色合いの髪、寒気を感じるほどに整った顔の造形、……間違いない、間違いなく貴方は異形の王。お戯れは程々にして欲しいものね」

「ち、違うっ……! 俺はっ……!」

「――――なら、その後生大事に被って離さない鉄帽を外して貰いたいわね。その下にはまず間違いなく、身の丈に合わぬ巨大な双角がある筈だわ」

 

 

 女性のその言葉にふらふらと伸びた手がヘルメットを上から触れた。

 当然、これを外すことなんて出来ない。

 これの下には自分が人外だと証明するものがあるから。

 動けなくなった俺の様子を見て、目を細めた女性に何も言えないままグシャグシャに混乱し始めた頭を抱え込む。

 

 なぜ、そんな言葉が頭を過ぎる。

 “死鬼”とは何だ、そう思う。

 俺は俺でしかなくて、別の自我など無い筈だと背筋が寒くなる。

 傲慢、尊大、残酷を愛していた?

 そんな事は有り得ないと声を大にして叫びたい。

 だって、だって俺は何でも無い、何処にでも居るような男でしか無くて。

 ただ……大切な人達の幸せを願っていただけの人間だったのに。

 

 

「さあ、こんな問答なんて意味ないわ。貴方が何を思ってこんな事をしているのか、口を出すつもりなんてない。けれど“死鬼”、私から少し相談が――――」

 

 

 窺うような色合いを含んだ聞き慣れない自分を指す単語に、一瞬で頭が冷めた。

 

 代わりに吹き出したのは、氷のように冷たい苛立ち。

 

 

「ひ、ひぃ……ぁ……!!?」

 

 

 我を忘れて前傾姿勢になっていた女性を睨み付ければ、彼女は蒼白だった顔色をさらに悪くして喉元が干上がった様な悲鳴を上げ、身を竦ませる。

 しまったと自分の行動を後悔するが、女性の姿を見て自分がやらかした事の大きさを再認識せざる得なくなる。

 

 最初に見えた恐怖の感情など微塵も晒すことなく俺を追い詰めていた筈の女性が、たった一瞥睨み付けただけにも関わらず、口を噤み体を小さくしてガタガタと震え始めたのを見て慌てた。

 

 

「ごっ、ごめんなさいっ!! い、今のは思わずと言うかっ、と、ともかく本心じゃないんですっ!!」

「お、怒らないで……、違うの、私は貴方様を怒らせるつもりは……」

「ああもうっ、こっち見て下さいっ!」

 

 

 俯いて震える女性の両肩を掴んで、無理矢理彼女と目を合わせる。

 恐慌状態の人間をどうすれば正常に戻せるかなんて知らないが、その前に自分たちはやるべき事がある筈である。

 俺と彼女は初対面の筈だ、少なくとも俺は彼女が言う“死鬼”とやらではないし、俺は彼女の名前を知りはしないのだ。

 ならばするべき事は簡単だ、お互いに自己紹介をしなければ話し合いなんてそもそも出来る訳がない。

 

 至近距離で目が合って、女性は恐怖で焦点がズレていた目を大きく見開いた。

 

 

「俺の名前はそんな変な名前じゃなくて、花宮梅利って言うれっきとした名前があるんですっ! 貴方の名前は何ですか!?」

「目が、黒い……? 私……、私は……東城皐月(とうじょうさつき)と言います」

 

 

 ようやく知ることの出来た女性の名前に顔を綻ばせれば、顔を真っ青にしていた女性の表情から少しだけ恐怖が薄まった。

 焦点の合った目で、まじまじとこちらの瞳を覗き込んでくる東城さんから顔を離した。

 その状態で数秒お互いの顔を見つめ合い、気が付いた事がある。

 ここって確か、“東城”コミュニティだった気がするのだが?

 

 

「東城……? え、あれ、東城って、このコミュニティのトップなんじゃ?」

「……ええ、その通りよ。このコミュニティを作り上げ、纏め、率いているのはこの私」

 

 

 肯定された俺の疑問に今度は俺の顔から血の気が引いた。

 顔を至近距離で突き合わせているだけでなく、肩を掴んで礼儀も何も成っていない今の自分の現状に、慌てて東城さんの肩から手を離した。

 

 

「ご、ごめっ! すいませんでしたー!! 失礼なことをしでかしましたー!!」

「あ……謝った? あの、あの方が私に……?」

 

 

 深々と頭を下げて許しを請う俺に、このコミュニティで最も力を持つであろう東城さんは目を白黒とさせる。

 動揺している東城さんを見て、俺はここぞとばかりに責め立てる。

 

 

「違うんです! 対人能力が俺には無いんです! 大人と同じ要領の良さを求めないで下さいっ! と、ともかく、すいませんでしたー!!」

「…………くっ……ふふ…あははははっ!」

 

 

 少しして吹き出すように笑い始めた東城さんは、何がツボに入ったのか、お腹を押さえてソファーに髪が着くのも構わず、それまでの雰囲気を放り捨てるかの様に笑い続けた。

 バンバンとソファーの角を叩いて、顔を真っ赤にしながら破顔する東城さんについて行けず呆然とその様子を眺めていたが、とりあえず彼女が落ち着くまで待つ事にする。

 ヒーヒーと息も絶え絶えになってようやく、東城さんは目尻に涙まで溜めた状態で俺に顔を向けた。

 

 

「分かった、分かったわっ……! 貴方は彼女ではないって事が、本当によく分かった……! あの傲慢を形にしたような鬼が、下等生物だと馬鹿にする人間に対して謝罪を口にする筈ないものねっ……!」

「え、ええと、そう、何ですか?」

「そうよっ! あいつ、本当に酷かったんだからっ! 性格の悪さをそのまま形にしたような奴で、他の異形とは違って悪戯に人を救ったりするから、より一層性質が悪かったものっ……! 色んな奴に希望を持たせたりして、本当に迷惑してっ……!!」

 

 

 なんだか一気にフレンドリーになったな、なんて思いながらも相槌を打つ。

 彼女からマシンガンのように繰り出される、その鬼への不満の発露は止まる様子が無い。

 それにしても何故だろう、自分とは関係ない人の事を話している筈なのにこんなにも胸元がムカムカとするのは。

 

 

「――――中でも最悪なのはあれよっ! 少女の形をしていて、知性があって、会話による意思疎通が一応は可能なのが本当に最悪だったんだから!! 前に話し合いが通じるんじゃないかって思った私が馬鹿だったわ!!」

「ま、まあまあまあ……。話を聞く限りその人の消息はもう掴めてないんですよね? ならあんまり居ない人の事を悪く言うのは……」

「……そ、そうね。思わず口が滑ってしまったわ」

 

 

 おほんと咳払いをして姿勢を整えた東城さんは、真剣な表情を作る。

 

 

「まあ、貴方がどんな存在かは棚に上げておくとして。まず悪い奴ではないって事が分かったから、それで良しとしておくわ。……あーあ、あの冷血な鬼が戻ってきたのならなんとかなるかもと思ったけど違ったか……、これは分の悪い賭けを続けないといけなそうね……」

「分の悪い賭けですか?」

「……んん、まあ良いか。貴方には無様な姿を晒しすぎたし、ここまで来たらお友達になりたい気持ちが強いし……。貴方、ここ最近動物たちが異常に暴れているのをご存じかしら?」

「そりゃあ……まあ、そうですね。知ってます」

 

 

 腰を下ろし直して、東城さんの質問にコクコクと頷けば、彼女は嬉しそうに口を付けていなかった飲み物で唇を濡らした。

 

 

「世界が終わったあの日から数年を経てようやく、人々の多くを死者へ追いやった空気感染若しくは蚊や小動物といったもの達からの感染を終息させる事が出来た。その時を境に、私たち生存者への感染経路は死者、異形からの受傷のみに限られるようになったの。ここまでは良いわね?」

「……はい」

 

 

 表情を変えず相槌を打つが、勿論初耳である。

 

 

「それの前であれば可能性は低いといっても、死骸が感染し動き出すことだって確かにあった。けれど今の状況ではそれは有り得ない。なら、今のこの状態の理由は? 結論を言えば、そう言う異形がいるって言うこと。感染を拡大させ、それらを従え、自分の糧にするような化け物がこの近くに」

「……俺もそれを薄々予想はしていました……けど、本当にそんな奴が?」

「居るわ、絶対に居る。その場所もおおよそ掴めている。だから、後は誘き寄せて討伐するだけなのだけど……恐らく戦力が足りない。姿形は掴めないけれど、それは恐らく南から北上してきた化け物よ、南にあった全てを食らい尽くして新しい餌場を探す、別の地域で“主”を司っていた異形」

 

 

 深刻そうな顔で重大機密の様なことを話されるが、こんなことを自分が聞いて良いのだろうかと心配になってくる。

 ここの“主”だったあの鬼が居れば、問答無用で縄張り争いが起こっていたんでしょうけど……、なんて憂鬱そうな顔で呟いた東城さんは溜息を吐いた。

 

 

「……とまあ、今の状況はこんなところね、時間が経てば経つほどその異形の戦力は大きくなっていくとは思うけれど、今はこちら側が整っていない。幸い“南部”との協力は築けた、あちらのハンターさんもわざわざ足を運んでこの近くの現場を見てくれるようだし、重火器の融通もしてくれる可能性が高いけど…何故だか私は勝てる想像が出来ないのよね……」

 

 

 話を聞く限りかなり切羽詰まった状況の様である。

 協力しても良いというよりも、するべきではないかと思うが…どうなのだろう?

 

 俺の力はごく一般的な視点から言って相当特異だと理解している。

 人知を越えた怪力など、普通の人が持っているわけはないのだから。

 だが、だからと言ってそれを人前でおいそれと晒せる訳ではない。

 余りに人知を越えた力を振るえば、俺が人間でないとバレてしまうからだ。

 

 だが、俺の所有している銃器を提供する等しても、戦力としての効果は薄いような気もする。

 以前知子ちゃんから聞いた話に寄れば、南部と言うコミュニティは崩壊を起こした自衛隊の生き残りの大半がそこに組み込まれたらしくかなりの武闘派。

 所有する銃器の類も一個人である俺に比べてかなり多いと予想出来るから、そこからの協力を取り付けたのであれば俺からの提供など無いようなものと思えるからだ。

 

 

(俺の持っている銃器で最大威力と言えば……あれか……)

 

 

 自分の所有する銃器を思い出して、一番ゴツくて危なそうなのを思い浮かべれば、それは引っ越し予定先に運んでしまっている事に気が付いた。

 一度取りに向かわないといけないのか……、と脳内に予定として追加して東城さんを見れば腕を組んで難しい顔のまま、まだ何かブツブツ愚痴を言っている。

 ……どうやら相当ストレスを溜めていたらしい。

 それも、初対面の俺に愚痴をぶつけてくる程にだ、……こんな人が組織のトップで大丈夫なんだろうか?

 

 

「まああの……出来ることならお手伝いしますよ。作戦の決行などはいつ頃を考えられてますか?」

「あっ、ごめんなさいね、愚痴に付き合わせちゃう形になって。そうね……はっきりとしたことは言えないけれど、一週間以内には動くと思うわ。少しでも人手があればそれに越した事は無いわ、どうか宜しくね」

「あ、はい! 宜しくお願いします!!」

 

 

 頭を下げて、どちらからとも無く腰を上げる。

 最初こそ行き違いがあったが、こうして和解出来たのは本当に何よりだと思う。

 これから取りかかるべき事を考えながら、部屋から出て行く東城さんの後を追う。

 ……まあ、何よりもいの一番に考えなくちゃいけないのは、知子ちゃんになんて言って謝るかなのだが。

 

 部屋から出ようとして本当に何気なく窓の外を見ると、遠くで旋回する鳥の群れがこちらを覗いているように見えた。

 

 

 


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