梅花、百鬼を魁る   作:色付きカルテ

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集い始める者達

 

 

 それは寒い日の夕暮れのこと。

 家に帰ってもひとりぼっちなのがただ寂しくて、その日も喧噪を聞くためだけに近くの公園へ足を伸ばした。

 

 少しだけ広い公園には小さな子供を連れた母親達の姿や、同年代くらいの友人でボール遊びをする子供達。

 うるさいそれらの声を普段は邪魔に思うだけの癖に、少しでも誰かと一緒にいると言う感覚が欲しかったその時の私にとっては何より欲しかったもので。

 私はただぼんやりとベンチに座って、持ってきた何かの図鑑を読むわけでも無く眺めていた。

 

 かじかんだ指先に、口から漏れる白い吐息。

 冬の寒さが本格的となり、時折吹く冷たい風が確実に体温を奪っていく。

 井戸端会議をしている親達が、私を見て何か言っているのも聞こえてくるが気にしていない風を装って、私はただそこにいた。

 

 段々と暗さを増していく周囲。

 釣られるように去って行く子供達。

 まばらになっていく公園には家と同じ寂しさが包み始めたが、どうせ家に帰っても誰もいないのだと諦めて、私はその場を動かないでいた。

 

 

『――――もう暗くなってきたから家に帰った方が良いと思うよ』

 

 

 そんな私に対して声を掛けてきた人がいた。

 

 最後まで名前も聞くことが出来なかった人。

 優しさと気遣いに溢れ、温かさを持っていた人。

 その時の私は何一つ、この人から素直に受け取ることが出来なくて。

 それでも優しげに笑うこの人の顔が日だまりのようだったのを、ついこの前のことのように思い出す。

 

 

 

 

 ずっと前のことを思い出していた私は、診察結果をまとめた紙が目の前に差し出されてようやく意識を今に戻す。

 長い沈黙の時間に油断して、最近はあまり思い出さなくなっていたお兄さんのことを思い出していた。

 油断するべき時では無いだろうと気を引き締め直して、受け取った診察結果に視線を落とした。

 

 

「想像通り君の感染状態は深刻では無い。今後は激しい運動を控えて、処方する薬品の定期的な摂取を心掛けるんだ」

「……なんだか病気の診断をされているみたいですね」

「一種の病気さ、間違いでは無いよ。どれだけ超常的な現象で有り得ないような変化をしたとしても、これはあくまで生物が発症する不調であることは変わらない。原因があり、過程があり、結果がある。であれば、そこに手を加えて方向性を固めるのが僕達医者のやることだ」

 

 

 診断結果を書いた紙を私に渡すと梅利さんが医者と呼んでいた人はもうこちらには視線もやらず、分厚いファイルを付箋を頼りに開いて何かを書き込んでいる。

 医者と呼ばれていたこの方は、どうにも梅利さん以外には優しくするつもりは無いらしく冷淡な態度を隠そうともしない。

 水野さんが言っていた通り、無愛想で取っ付きにくい感じの雰囲気をまとった人だ。

 

 

「貴方以外にそんなことを言う医者に会ったことがありませんが……」

「諦めの早い奴らばかりだったか、若しくは何かをする前に命を落としたのだろうね。僕は優秀だが、特別秀でているなんてことは思っていない。……ここまで来るのに10年も経ってしまったのだからね」

「いえ……立派だと、思います。少なくとも、私はそう言ってくれる医師がいてくれて安心します」

「そうかい。そう言って貰えると嬉しいね」

 

 

 欠片もそんな態度を見せること無くそう言った医者に、どうしたものかと頭を痛める。

 私としては梅利さんを通じて知り合った人なのでそれなりの友好を築きたいのだが、この人はどうも私と必要以上にコミュニケーションを取るのが嫌なようなのだ。

 不満そうな視線を向けていてもそれに気付いた様子すら見せようとしなかった医者は、手に取っていたファイルを閉じてまだいたのかとでも言う様な目を私に向けてくる。

 ……本当にこの人とは仲良くなれそうに無い。

 

 梅利さんがここを出て行った後、この人に身体の診察を行うと言われ、私は血液や眼球の検査を受けることとなった。

 大型の機材を扱わない簡略的なものであると思うのだが、全ての診察が終わったころにはもう日が暮れてしまっている。

 そろそろ梅利さんが帰ってくる頃合いだろうかと、席を立つと同時に何かを思い出したように医者が声を掛けてきた。

 

 

「そうだ、先ほどの話だが……死鬼が梅利君に執着していると言う話は確かなんだね?」

「……はい、アイツはかなり強く執着しています。私に対して面と向かって言った初めての言葉が梅利さんに手を出すなでしたから」

「それはどんな状況での言葉だい? 君が梅利君を襲おうとしていると言う風に聞こえるのだが」

「ち、ちがっ、ただ私は一緒に寝ようとしただけでっ……!」

「……はあ。梅利君はモテモテで羨ましいよ。言っておくけど彼の精神はまだ未成年だからね」

「だから違います!!!」

 

 

 私の否定を溜息交じりの言葉で済まそうとする目の前の医者は絶対に勘違いを正そうとしていない。

 実際に同じ部屋で眠ろうとしていただけの話で、梅利さんだって寝ることは了承していたから何の問題もありはしないのに。

 

 

「ちょっとちゃんとこっちを見て下さい! その誤解は凄く不満です!!」

「分かった分かった、それより聞きたいことがあってね。僕の知っている梅利くんならば、南部の拠点へと連れて行った泉北さんの戦力に負けることは無いと思うのだが、戦闘に際して不調などはあったのかい?」

「本当ですかね……梅利さんの戦闘に関しての影響は正直分かりません。でも、普通の巨人程度であれば無理なく倒せる程度だと思いますけど」

「……いやまさか梅利くんが負けることはないだろう。だが、いざとなったら死鬼が出て来る可能性もあるのか……?」

 

 

 そう呟くと、医者は机上の隅に大切そうに置かれた試験管に手を伸ばして、中の具合を確かめる様に覗き込む。

 薄く白色に濁ったその中の液体が見たことの無い薬品で、私は怪訝な顔をしていたのだろう、私の表情に気が付いた医者が初めて笑った。

 

 

「薬に興味があるのかい、それとも医学に進むつもりだった?」

「いえ、どんな道に行くかなんて考える歳では無かったですし、こんな状態になってからは職業に就こうなんて考えはありませんでしたから」

「なるほどね」

 

 

 液体の入った試験管を厳重そうなケースに入れて懐にしまう医者の姿を見ていれば、彼は扉の方向を一瞥する。

 

 

「そろそろ帰ってくる頃合いかもしれない。愛しの梅利くんをお迎えに行った方が良いんじゃ無いか?」

「……私は結構根に持つタイプですからね。今さら後悔したって遅いですからね!」

 

 

 捨て台詞のようだと理解しながらもそう口にして、この部屋から飛び出して行く。

 あの強さを誇る梅利さんならば、まず間違いなく無事であるだろうと分かっていても、今は何故だか少しでも早く顔が見たかった。

 

 ふと笑うお兄さんの顔を思い出しながら、そんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

「……視線が不快だ。何とかならないのか?」

「我慢しなさい。貴方だって注目されることくらいは予想できたでしょう」

「ふん、不躾な奴らだな、礼儀も弁えん愚か者どもめ……まあ、今日は機嫌が良い、これくらいならば見逃してやろう」

「はいはい、御寛大なお言葉ありがとう」

 

 

 死鬼が生き残った者達を見て、苛立ちを隠そうともせず眉間に皺を寄せる。

 彼らの怯える様は死鬼が最も嫌いそうな状態だと、この異形とそれなりに関わってきた私は何となく分かった。

 ぶすくれる死鬼を取り敢えずは落ち着けようと反応を返してみるが、それもいつまで持つか。

 以前のこいつなら不快だと判断した瞬間なぎ払い始めるのだから、今はまだ大丈夫なのだろう……多分。

 

 あの拠点での戦いで、見境無く暴れ始めた巨人達を難なく鎮圧した頃には、死鬼に蹴り飛ばされた泉北の姿は無く、残ったのは共に襲いに来ていた“泉北”コミュニティの者と“南部”の生き残りの者だけだった。

 もはや拠点としての体を為さないほどに崩壊してしまったこの場所にいつまでも留まるのは危険だという結論に落ち着き、生きている者達を連れての大移動を開始することになったのだ。

 

 向かう先は“東城”……では無く、“泉北”の拠点。

 これは死鬼の提案であり、逃げた泉北の爺が拠点に戻る事は無いと言う確信を持っての案らしい。

 ……よく分からない、こう言う思考の読み合いは昔から苦手だった。

 ジャンケンでさえ勝とうと思ったときは、出される手の予想をするのではなく動きを見ながら対応していた私では、こういった盤上を見た動きを取るのは不可能なのだ。

 一時的とは言え今は味方側である死鬼が裏切るとは思えず諾々と従っているが、少しでも不審な動きを見せたら対応できるようにしなくてはと思っている。

 

 

(……もっとも勝てる可能性はほんの少しだって無いのだけどね)

 

 

 妙な気分だった。

 隣を歩く頭二つ分ほど小さな少女は、私が今まで嫌ってきた異形であり、ずっと求めていた幼馴染でもある。

 背反するこの感情を整理することなんて出来ないが、悪くないと思ってしまっている自分は間違っているのだろうか。

 

 まあ、ともあれ死鬼が味方にいる以上安全は保証されているようなものだ、生き残った者達がこれ以上命を落とすことは無いだろう。

 そこは心配していない、問題があるとすれば私個人的なものだ。

 

 

「しかしアレだな。やっぱりこの格好は無いと思わないか? もう少し優美な服装がしたいのだが……主様は幼い頃から服装には頓着していなかったのか?」

「……梅利はそうね、お洒落にはこだわってなかったわね。せいぜい寝癖を直す程度で他は特に」

「そうか! 服装には頓着しないと……なるほどなぁ」

 

 

 この人間嫌いの筈の異形が、何故か私について回って、梅利について聞き出そうとしてくることだ。

 私の回答を聞いて満足そうに頷いていた死鬼が、ペースを上げた私の歩幅に慌てて着いてくる。

 懐かれたみたいで悪くない気分になってしまう、本当に私はどうしてしまったのだろう。

 

 

「か、顔写真とかはないのか? もっと言えば全身像が写っているようなものが良いな」

「無いわね。異形の奴らに襲われたときに、全部捨てることになったから」

「……おのれ、異形め……」

「貴方も異形だからね?」

 

 

 歯軋りをしている死鬼にそう言えば、彼女は数回瞬いた後に不機嫌そうな顔で見上げてきた。

 

 

「あんな奴らと同列に語られるのは不快だぞ。能力でも知能でも在り方さえも、私はあいつらとは一線を画す。最初こそ言葉も話せなかったが、今の私はこうして貴様らと会話できるほどになった。これは私の努力が実った結果だ」

「え? 言葉を勉強したの?」

「ああ、貴様らに興味がわいて、あんな脆い奴らが普段何を話しているのか聞きたくなった」

 

 

 下らないとでも言う様にそう言い捨てる死鬼に対して、私は何となく納得がいった。

 今のこいつならともかく、昔のこいつが何の見返りも無く人を救うとは考えづらかった。

 “泉北”の者達が言う、死鬼に救われたと言う言葉が彼らにとって真実ならば、少なくともそれなりに人と接する機会があるはずなのだ。

 そしてそんな者達をまとめる泉北の爺との会話からも、それは窺えた。

 

 

「……分かってきたわ。それで貴方に言葉を教える役になったのが泉北の爺なのね」

「まあ、そうだな。手頃な奴を救えばこちらの要求を呑んでくれると思ったからな。だからアイツは二人目の私の従僕だった」

「……二人目?」

「そんなことはどうでも良い。それよりも主様についてもう少し詳しく」

「待ちなさい、泉北の爺がその一人目に頼る可能性もあるのだから、今はそっちを」

「アイツは頼られても決別のために自分の手で爺を処断するだろうよ。そんなのはどうでも良いんだ。いいから、主様についての情報を寄越せ」

「……聞き分けの無い子供を相手にしている気分になってきたわ」

 

 

 不満の声を上げている死鬼を置いておいて、後ろの様子を見る。

 

 “泉北”の者達は縛り上げられているにも関わらず、死鬼の姿を見て感激したように打ち震えている。

 “南部”で生き残った者達は自分たちをまとめていた私の父親の死を悼み、多くの者が涙を流して俯いている。

 勝者と敗者が逆にさえ思える現状にモヤモヤとしたものを感じると同時に、何故自分は実の肉親が亡くなったのに悲しく思わないのだろうと不安を覚えた。

 

 これまでの長い期間異形を殺すためだけに戦い続けてきた。

 それだけしか求めてこなかったから、戦いの技術は上がり続けたのだろう。

 だがそれと同時に私は、人として大切なものを無くしてしまったのではないかと、そんなことを思うのだ。

 

 

「感情が追い付いていないだけだ」

「――――え?」

 

 

 だから、隣から掛けられた思いもしなかった言葉に動揺した。

 

 

「長い間会えなかった大切な者とようやく会えた嬉しさ、感情を表に出すよりも先に現実の対処をしなければならないという義務感。そんなものに押しやられて、今はなにも感じる暇が無いだけだ。その内こらえきれなくなるだろうよ」

 

 

 死鬼が視線を前に向けたままそんなことを口にする。

 思わぬ者から伝えられる言葉に声を失う。

 何故こいつがそんなことを言うのだろう。

 それを嬉しく思ってしまう私はなんなのだろう。

 

 

「貴様は人だ、間違いなくな。それを疑う必要は無い」

「死鬼、貴方……」

「下らない事で悩むな。そんなに色んなものを抱えられるほど、貴様らは強くなんてないだろう」

 

 

 力強く、自信に満ちたそんな言葉はやけに胸に響いた。

 私が顔を俯ければ、死鬼は片方の口角だけを上げて笑い楽しそうにしている。

 

 ……駄目だ、こいつのことが嫌いでは無くなってしまいそうだ。

 

 

「さあ悩みは無いな? ならば主様について――――」

 

 

 気が付いたら頭を撫でてしまっていた。

 柔らかな髪質を指先に感じ、ふんわりとした香りが鼻腔をくすぐる。

 

 だがそんな心安らぐ感覚は一瞬で、次の瞬間空気が凍った。

 後ろから感じる唖然とした気配と、泉北の者達であろう怒号のような声。

 呆然とこちらを見上げる死鬼が視線を、頭の上にのせられた手と私とで往復させていたがそれも直ぐに終わり、私に固定された死鬼の顔が徐々に歪み始めたのを見て、背中に冷や汗を掻き始めた。

 

 

「ご、ごめんなさい。なんだか妹みたいに感じて」

「ほぉう? 私が妹と、随分舐めてくれたじゃ無いか」

 

 

 怒っている。

 まず間違いなく、気に入らないと思っている。

 死鬼の足下に罅が入り、遠くから異形と思わしき何かの恐怖の悲鳴が聞こえてきた。

 これは不味いと何とか口を回そうとして出てくるのは、自分でもよく分かっていない感情の説明ばかり。

 

 

「ば、梅利に妹がいたらこんな感じかなって、思って」

「む……」

 

 

 自分の口から出た言葉に終わったと思ったものの、それを聞いた死鬼は予想を裏切り威圧感を引っ込めた。

 

 煌々と光っていた赤い目の力が弱まる。

 少しだけ落ち着いた彼女の様子に追い打ちを掛けるべく、同じワードで攻めることにした。

 

 

「どこか小さい頃の梅利に似てて思わず手が出たの。不快にさせたらごめん」

「……むふふ、そうかそうか! まあそういう時もあるかもしれんな、次は気を付けるがいい!」

 

 

 チョロい。

 機嫌がジェットコースターのような勢いで飛び上がっていったのを確認して、思わずそう確信してしまう。

 梅利というワードを使うだけで、どうやらこいつは機嫌が良くなるらしい。

 歪んでいた表情を戻し……いや、先ほどよりも機嫌よさげな笑みを振りまいて隣を並んで歩いてくる。

 梅利は何をしたんだろう、こいつ貴方にベタ惚れじゃない。

 

 猛獣使いを見るような視線が背中に突き刺さるのを感じつつ上機嫌な死鬼を眺めていれば、死鬼は鼻歌でも歌い出しそうな様子で口を開いた。

 

 

「さて、そろそろ日も暮れる。拠点まであと少しだ」

 

 

 死鬼は何気なく数歩前に歩み出て、地中から出てきた異形を踏み潰すとこちらに振り返って笑みを浮かべる。

 

 

「早く帰るぞ、知子の奴がいらぬ心配をしているだろうからな」

 

 

 昔よく見た梅利の笑顔に重なって、私は困ったような笑みしか返すことが出来なかった。

 

 


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