梅花、百鬼を魁る   作:色付きカルテ

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明けない冬を終わらせるもの

 乱れた髪を掻き上げる。

 空を覆い尽くす厚い雲が作る影にある、巨大な怪物の姿から視線を外さない。

 近くで爆発と銃撃の音がする。

 まだこの場所にいる生存者達も諦めること無く戦い続けているようだ。

 耳を澄ませば聞こえてくる死者や異形の咆哮と生存者達の怒声に、早めに終わらせなくてはいけないなと自分自身に言い聞かせた。

 

 

「し、死鬼様っ! 私も傷口を塞ぎ次第直ぐに加勢させていただきます!」

「要らん。怪我が悪化しないように大人しくしていろ」

「はっ……え?」

「この程度のウスノロ一匹、私一人で充分だ。彩乃を連れて離れていろ」

 

 

 膝から崩れ落ちてしまった彩乃を一瞥してから、水野に彼女の事を頼んでおく。

 いつもの彩乃が纏っている堂々とした雰囲気が今は無く、深い喪失感に晒された弱い女がそこにいる。

 ともすれば、今すぐにでも銃口を自身の額に押しつけて撃ってしまうのでは無いかとさえ感じる彩乃の様子に不安を覚えるが、彼女に裂いている時間は作れない。

 水野を信じておくしか、今の私には選択しようがないのだ。

 

 “破國”はただ建物の上からこちらを警戒していただけでは無い。

 蜘蛛の様に進化し得た能力なのか、肉眼では確認することすら難しい無数の糸を作り出し、そこら中に張り巡らしている。

 現に足の一本を既に張り巡らせていた糸に乗せているが、あのデカブツの自重を支えられるだけの強靱なものであるらしく、その糸は張り詰めてこそいるものの切れる様子は無い。

 足場にもなり、武器にもなり得るだろうあの糸は、確かに警戒するだけの脅威を秘めているが、逆に言えばこちらの足場にも使えそうだ。

 

 

「さて、悪いが手心一つ加える心の余裕が今の私には無い。全力でお前を殺すぞ」

「■■■■――――――――!!!」

 

 

 引き絞られた糸から、矢のように撃ち出された巨体が一直線に突っ込んでくる。

 大型のトラック数台分はあるのでは無いかと思えるその巨体が、恐るべき速度で墜落してくる光景は、それだけで人が死を直感させるには充分すぎる。

 実際、私の後ろにいる水野の息を呑むような悲鳴が小さく聞こえたのも仕方が無いと思えるくらいに悍ましい光景だ。

 

 腕に力を込める。

 人間でいう力の込め方とは違う、自身の筋組織を破壊するように意識した自傷行為にも似たやり方だ。

 そうすると私の腕は、おとぎ話の中で語られる鬼の腕のような真っ赤なものへと変化を遂げる。

 

 

「――――だからお前はウスノロだと言うんだ」

「ゴッ…オォオオオォォ■■!!!???」

 

 

 カウンター。

 馬鹿正直に飛び込んできた巨体に合わせて、拳を顔面に叩き込んだ。

 乗っていた重量全てが私と“破國”の衝突に注がれる。

 その反動で私は足を膝まで地面に埋め、デカブツは叩き飛ばされた羽虫のようにビル数棟を巻き添えにしながら吹き飛んでいく。

 

 かなり深く埋まってしまった足を地面から引き抜きながら、アイツにぶつけた腕の調子を見るが損傷等はない。

 どうやら身体の調子はかなり良いようだ、あの巨体をあれだけ吹き飛ばしても痛み一つ無い。

 同化により二つの記憶や経験を得ただけでなく、この身体の完成度が高まっている気がする。

 今までは別々の意識が混在していた弊害で、この身体の完全な力を出し切れていなかったのかもしれない。

 今はそれが無い、十全な力を振るえているという感覚がある。

 

 

「……だが、楽観視はするべきではないな。じっくりと万全を期して、奴を追い詰めていくとしよう」

 

 

 そう言いながら腕以外に視線を向ければ、そこには予想通り、強化していなかった肩から足の至る箇所からは大きな亀裂が走り、血液に似た体液が流れ出している。

 再生が容易とは言え少し無理をした、もっと慎重にやらなければならないだろう。

 

 

「あ……あの、“破國”が一撃……――――流石死鬼様ですぅ!!」

「うるさい、良いから彩乃を連れて離れていろ」

「了解いたしました!! 誠に申し訳御座いませんでしたぁ!!」

「……やかましいわ!! 自分が怪我をしている事を自覚して、もう少し小さな声で返事しろこのボケナス!!」

「……申し訳ありませんでしたぁ……」

 

 

 キマり始めた水野に思わず大声を返してしまったが、それを契機として彼女はしずしずと自分の止血を進めたので良しとする。

 思わず怒鳴ってしまったことに対して、ガリガリと角を掻いて自戒して、そこでようやく自身の頭に禍々しく並んだ双角が生え揃った事にようやく気が付いた。

 何時頃から完全に生え揃ったのか分からないが、試しに叩いてみてもあまりの硬度に傷一つ付きそうにない。もう自分自身の手で壊すことも難しそうだ。

 

 

「まったく……ほら、傷口を見せろ。私も手伝ってやる」

「はわわっ、だ、大丈夫ですっ! そんなお手数をお掛けするなんてっ……」

「お前らだけに任せていたら進まないからだ。とっとと処置して私の迷惑にならない場所まで行っていろ……それにまあ、彩乃のことを守ってくれたみたいだからな。それについては感謝している」

 

 

 吹き飛んでいった“破國”が未だ復帰できていないのを確認してから、しょんぼりと止血をしていた水野の治療を手伝う。

 “破國”の細胞を僅かとは言え取り込んでいるためか、水野の潰れた肩口は既に再生を始めており、命に関わるまで悪化する様には見えないことが不幸中の幸いだろう。

 彩乃を救ってくれたことを感謝するものの、言い淀んだ水野に、この二人の間にも複雑なものがあるのだろうと納得する。

 気にはなるが、それをどうにかする程の時間は私には無いだろう。

 

 

「彩乃、立てるな?」

「……梅利、私は……」

「私はもはや梅利とは言えないだろう、己の異形と同化して、主導権はほとんどそちらに奪われた。私にお前との記憶や経験もあるが、それを私が実際に経験したかと言えば首を傾げることとなるだろう。……昔交わした約束のほとんどを、どうやら私は守る事は出来ないみたいだが……だがな彩乃、それでも私はこの命が尽きるまで、お前を守る約束だけは違えない」

 

 

 水野の処置を終わらせて、座り込んでいる彩乃の手を掴み無理矢理立ち上がらせながら、彼女の目前まで顔を近付ける。

 初めて見る、力の無い彩乃の目を至近距離から見詰めて、彼女の背中を蹴り飛ばすようなことを言う。

 

 

「ならばお前はどうだ。私がお前に尽くすだけか? 花宮梅利が死してなお守ろうとした人間が、挫け下を向き続けるようで本当に良いと思っているのか? 私はどちらでも良いが……どうでも……? ……いや、やっぱりそれは嫌だな。ほら直ぐ立て、馬鹿者らしく諦めず歩き出せ」

「……え? え?」

「お前が諦めたような顔をしている事が、この上なく腹立たしく感じるんだ。良いからもう早く復帰しろ馬鹿彩乃」

「――――……本当、いつだって……貴方は私に優しくしてくれないんだから」

 

 

 そう言って、足に力を入れて一人で立つのを見届けてから彩乃の手を離す。

 未だに精神的な支柱を取り戻したわけでは無いが、それでも立ち上がった彩乃はもう、次にどうするべきかを考えているようだった。

 

 

「私達は拠点に戻る、“破國”は貴方に任せる」

「任せておけ、もう少し歯応えが欲しいくらいだ」

「そう。……あと、私達からの支援は期待しないで頂戴、こちらも他の異形の処理で恐らく手が一杯になってしまうから」

「お前らの支援など邪魔なだけだ。要らん気は回すな、自分達が生き残る事だけを考えていろ」

「……それから、出来るなら無事に帰ってきなさい。貴方が梅利で無くなったとしていても、貴方だけでも、帰ってきなさい」

「私が無事で済まないと? 戯れ言を吐くのはほどほどにしろ。ああ、あと帰り道に知子の奴を見付けたら回収していってくれ。アイツも一発食らった程度で死ぬほど柔ではないからな。どうせそこらに転がっているだろう」

「……うん。少し、安心した……」

 

 

 少しだけ顔を綻ばせた彩乃が踵を返して拠点へ向けて動き出したのを目で追い、ふとある事を思い出す。

 

 

「彩乃!」

 

 

 足を止めて間の抜けた顔を向けて来た彩乃に、懐から取り出した指輪を放る。

 慌てて受け取ったそれに向けて、不思議そうに視線を落としている彩乃に笑い、彼女が付けている小さな指輪の首飾りを指さした。

 

 

「お前に昔渡したそれはもう合わなくなっているものな。昔私はアルバイトしていただろう? 実はあれ、お前の誕生日にそれを渡そうと思って頑張っていたんだ。本当はもう少し早くお前に渡したかったんだが、大分遅くなってしまったな。……錆とかは無い、取っておいてくれ」

「――――」

「……彩乃、約束守れなくてごめん」

 

 

 音も無く、高速で飛来した“破國”の顎を一瞥もせずに蹴り上げる。

 グルリと宙で一回転した“破國”の身体に指をめり込ませ、骨を掴んだ私は、その巨大な重量を振り回し、建物や異形どもに叩き付けながら走り出した。

 

 

「梅利!!」

 

 

 彩乃の悲鳴にも似た呼び声には耳を貸さず、一際異形どもが密集している地まで“破國”を引き摺り回すと、トドメとばかりにその場所に化け物を叩き付ける。

 私の膂力と“破國”の重量が加わり、叩き潰された異形は跡形も無くなり、その場所は隕石が落ちたかのような巨大なクレーターが形作られた。

 地面で藻掻く“破國”の頑丈さに感嘆の溜息を一息吐いて、さらに力を込めて押しつければ、クレーターはさらに広がり、巨大な蜘蛛の巣状の罅が地割れとなって周囲に生まれていった。

 

 “破國”を抑え込む左手をそのままに、異形化させた右腕を振り上げる。

 振り下ろした右腕が“破國”の眉間に突き刺さり、顔を潰し、鼻を折り曲げ、角を砕いた。

 ビクリと一際大きく痙攣した“破國”に、片足を乗せ突き刺さった腕を引き抜くと、さらに拳を振り下ろし完全に息の根を止めに掛かる。

 まともに突き刺さる。

 だが、今度の反応は先ほどとは違った。

 ゾグリと、“破國”の身体中が膨れ上がり、無数の鋭利な骨が蛇の様な動きで私目掛けて襲い掛かってきた。

 

 進化した。

 そんな言葉が脳裏を過ぎり、攻撃直後の体勢を襲われた私は骨の槍の攻撃をまともに身体に受けることとなった。

 

 

「――――チッ、ウスノロ貴様。そろそろ身体の形を定めたらどうなんだ」

 

 

 骨が私の皮膚を突き抜けることは無い。

 急な変貌で作り上げた骨の武器などでは傷一つ付くことは無い私の身体だが、全方位から押し潰すようにぶつけられた骨の数々に身動きを取れないよう縫い止められ、行動を阻害されることとなった。

 そしてそのまま、最適な肉体へと“破國”は進化していく。

 押さえつけていた頭をそのままに、私が足場にしていた場所に大きな切れ込みが入り巨大な口へと変わっていく。

 体中を無数の骨で押さえつけられた私を包み込むように開いた口に飲み込むと、身体を押さえていた骨ごと咀嚼を行ってくる。

 

 

「……ああまったく、既にボロボロだったとは言え私の着物が……。ベタベタするし、臭いし……おい、いい加減にしろ」

 

 

 砕け散った周囲の骨の上から、噛み潰そうとしてくる硬質な牙の感覚に既視感を感じつつも、迫ってきた牙の壁に蹴りを叩き込み風穴を開ける。

 開いた穴から外に飛び出し、手頃にいた異形を一体掴み建物を駆け上がって周囲を見回す。

 

 

「ふん、まだまだ“破國”の周りに異形がうじゃうじゃしているな。それに、共食い……なるほど、身体の急な進化に燃料が追い付かず、補うために異形どもを餌にしているということか」

 

 

いつぞやの球根の様な異形と似た状態だ。

 複数の口を作り上げ、周囲にいる異形どもを必死に取り込んでいる姿は滑稽だが、餌がある限り回復と変貌し続けるアレは確かに有効だろう。

 ……まあ、間違っても私はあんなことはしないが。

 

 

「となれば、纏めて焼き払うか」

 

 

 手の中でバタバタ暴れる異形に視線をやって、握力だけでそれを押し潰すと漏れだした体液を握り込む。

 そして、もう片方の手で自分の手を切り、体液を混ぜ合わせて、それらを握力で限界まで圧縮する。

 そしてそのまま“破國”目掛けて飛び降りて、圧縮したそれを異形どもに向けて投下した。

 

――――黒い爆炎が連なる。

 

 遠目に見れば、液体が降り注ぐようにも見える業火の柱は、実際液体に似た性質を持っており、粘度が高く、付着した異形があまりの熱さにどれだけ暴れて、地面に身体を擦り付けようが、決して取れること無くその身を燃やし続ける。

 異形の悲鳴が、暴走が、まるで焦熱地獄を体現したかのような光景が眼下で舞い踊る。

 高熱に全身を焼け爛れるのに、死者も異形も“破國”も関係ない。

 全てが地獄。絶叫を上げ、救いを叫ぶかのような異形に私は笑う。

 

 

「あはははははは!! なんだ、そんな滑稽な様相も見せられるのか! そら、もう一撃加えてやろう! ナパーム弾のようだろう!? あははっはははっははははははっ!!!! ――――…………いや、あんまりこういう笑いをすると奴らに引かれてしまうな。自重せねば……」

 

 

 やけに高揚する気分に任せて笑ってみるが、あまりに凶悪な姿を自分が晒している事に気が付いて、直ぐに笑いを引っ込める。

 昔はこうやって哄笑することもあったのだが、やはり人間としての感性が出来たのか、こういう笑いをするのに抵抗が生まれてきていた。

 

 転げ回る異形どもの間に着地して、観光名所の散歩でもするように周りを見渡しながら歩いていく。

 目的の“破國”の下まで辿り着けば、流石に燃え盛る異形を餌として食べることは出来ないのか、自分が纏っている業火に焼かれ、“破國”はただ悶えていた。

 

 

「さて、触れるのも嫌だしどう処理するか。このまま放置してもキリが無さそうな再生力をして……まったく面倒な。取り敢えずもう少し燃料を投下してやろう。ほら、新しい餌だぞー」

 

 

 手に付着して残っていた体液を飛ばし、さらに“破國”が纏っている業火の火力を上げれば、さらに絶叫を響かせた“破國”が私を潰そうと体当たりしてくる。

 だが、そんな破れかぶれの体当たりなど当たるはずも無く、難なくそれを避けてさらに燃料を飛ばせば、業火はさらに巨大になり、“破國”の身体を炎の舌で舐める。

 もはや“破國”の全身は焼き焦げ、内部からは熱さに耐えかねたのか体液が吹き出し始めている。

 体内は何処まで火が通ったのだろう。

 

 このまま焼き続ければ、流石にこいつも力尽きるかと考え始めた頃、突然暴れ回るのを止めた“破國”が憎悪の籠もった眼孔で私を睨み、バキバキと大きく口を開き始めた。

 

 

「最後の力を振り絞るか? 有終の美を飾るには悪くないな、このまま雑魚と同じように燃やされるのは貴様にとっても耐えがたいものだろう。良いだろう、私も全力で相手してやろう」

「グゥッ、ゴオオオッ……!」

「貴様から来なくとも私は待たんぞ。無様に死に様を晒せ」

 

 

 深く腰を落とし、全力で踏み込む。

 真っ赤に染まった腕や足で“破國”との距離を一瞬で潰すと、開いていた大口を閉じさせるかのように上から拳を叩き込んだ。

 

 しっかりとした溜めをして、力を込めた一撃は、弱った“破國”が耐えられるようなもので無く、巨大な体躯の半分以上を消し飛ばす致命打を“破國”に与える。

 反動で吹き飛んだ異形どもに視線もやらず、吹き飛ばした部分が塵になっていく“破國”の様子を油断なく見詰めていた。

 

 だが、動きがあったのは視界の外だ。

 

 

「……なんだと?」

 

 

 襲い掛かってくる訳ではない。

 隙を突いてなんて動作では無い。

 幾つか出来ていた口の一つが、空に向けて大きく口を開いているだけだ。

 脅威も何も無い筈のその行為を止めようと、直ぐに駆け出すも、残った力を振り絞ったのか他の口が襲い掛かってきて、即座に破壊することが出来なかった一瞬。

 

 

 咆哮が轟いた。

 

 

「■負■■■殺■■許■■■■■■!!!!!!!!!!!!」

「やかましいっ……!! くそ、一手遅れたぞ馬鹿め!!」

 

 

 焼け爛れ、藻掻き苦しんでいた異形どもがピタリとその動きを止め、“破國”の咆哮に連なるように次々に雄叫びを上げていく。

 その咆哮は瞬く間にこの地域全体に広がっていき、最後にはこの地域の外からさえ幾つもの異形らしき咆哮が返ってくる。

 響き続ける大合唱に、何とかそれらを止めようと、最初に咆哮を上げた“破國”の口を消し飛ばす。

 

 そうすれば、最初に咆哮を上げだした時と同様に、ピタリと鳴り響いていた咆哮が鳴り止んだ。

 一瞬の静寂に、一瞬の停止。

 時が止まったのでは無いかと思う程の、異形どもの静止に動揺するのも束の間。

 そのどれもが一斉に燃えるような真っ赤な目をして私を睨み、その後、じわりと彩乃達が向かっているであろう拠点へと視線を変える。

 

 

「……おい、待て。ふざけるなよ」

 

 

 焦りが確信に変わる前に、異形どもはただ視線の先だけを見て走り出した。

 

 

「止まれ! 私と戦え!!」

 

 

 張り上げた筈の私の声は異形どもの足音に掻き消えた。

 

 

 

 

 

 

 この地域に散らばっていた異形達が一カ所を目掛けて走り出す。

 それだけでは無い、この地域だけでは無く、“破國”に付き従っていなかった外の異形までもが、この地の一つの建物目掛けて走り出したのだ。

 大地を揺らし、障害をなぎ倒し、一つの意思を持つ生き物のようになった異形の群れは津波のように押し寄せる。

 鼠一匹通さぬような異形達の濁流は、壁となり、檻となって、この地域に生き残った生存者達の最後の拠点を攻め滅ぼしに動き出した。

 

 だが、それを理解しているのは一部の者達のみ。

 建物の中で震えているだけの者達には、つい先ほどの咆哮が何のものかも分からなければ、自分達に危険が迫っているなど想像もしていない。

 戦闘を行うために外に出ている者達だけが、周囲の異形達の異変に気が付き、その目的が拠点なのだと理解している。

 自分に迫っていた危険は消えた、だが、守ろうとしたものが標的となっていることに気が付き、安心できるような者はこの地にいなかった。

 

 

「どうなっている!? おい、医者!! お前の知識にこの状況を説明できる何かはあるのか!?」

「……いや、これは……分からない。命令? 共鳴? 何を持って目的を一つに統一している? 僕は、これを説明できない」

「だろうな!! 俺もこんなものを見たのは初めてだ!」

「一つだけ言えるのは、今の僕達に危険は無いという事だ。それで、どうするつもりだい明石君」

「そんなもの聞くまでも無いだろう! 拠点に戻り、中の人達を救出する! どれだけの非戦闘員がっ、どれだけの子供達あの場所にいると思っている!!」

「ふっ、まあそうだね。仕方ない、力にはなれないだろうが僕も付いていこう。異形の特性や弱点は、もしかすると説明出来るかもしれないからね」

「……お前が死ぬと、俺らにとって想像も出来ないくらいの損失となる。くれぐれも俺の傍から離れるなよ」

 

 

 武器を持った明石達が異形達を追うために走り出す。

 人よりも異形の方が圧倒的に早い。

 拠点に辿り着くのは多くの犠牲が出てからになるだろう、と言う事を明石は頭に留めるだけにして、部下達に指示を飛ばす。

 

 状況だけで絶望は充分だ。

 精神を守るためにも不都合は時に隠す必要がある筈だ、そんな風に明石は自分に言い聞かせる。

 もはやこの場は負け戦だ、ならば可能な限り犠牲を少なくしなくては、本当の意味で自分たちは壊滅してしまう。

 そんな状況だった。

 

 

 そんな時だった。

 明石達は視界の端で、異形達を追う影を見付けたのは。

 

 

「――――明石さん! アイツが!」

「死鬼!? アイツやられたんじゃ!?」

「……梅利君がそうやすやすとやられるわけが無いだろう……だがそうか、向こうでも同じ現象が起きているのか」

「アイツも俺らの拠点を攻撃しようとしてやがるのか……?」

 

 

 ざわつく部下達の指さす先を見詰め、状況を確認した明石は彼らの疑問に答えるように首を横に振る。

 

 

「……いや、アイツは誰かに指図されて動くような奴じゃ無いだろう。恐らく俺らにとっては、この最悪な事態を好転させてくれる唯一の事柄かもしれないな」

「明石さんはあの怪物を信用するって言うんですか!?」

「馬鹿が。言葉を交わせ、意思を伝えてきている時点で、そこらの異形よりも信用に足る奴だとは判断するべきだろうが。良いから俺らも戻るぞ、俺らのやるべき事は何一つ変わりない」

 

 

 それだけ言うと、明石は先陣を切って走り出し、慌ててそれに追従した者達はそれ以上の会話をすることが出来なかった。

 悪夢の様な現状に、じわりと浮かぶ汗を拭うことも出来ず、明石達は拠点に向けて動き出す。

 

 

 

 

 

 

「――――……っぅ。こ、ここは……?」

 

 

 崩れた瓦礫の中で、知子は目を覚ました。

 額から流れる血液と全身を襲う鈍い痛みに、ぼやけていた意識が覚醒を始め、意識を失う直前の光景をありありと思い出した。

 

 

「私、“破國”にやられて……」

 

 

 痛みはこれまで感じたことの無いほどに激しく、全身の筋肉が断裂でもしているのでは無いか、なんて考えてしまうほどに身体の自由が利かない。

 フラフラと、軋む腕を動かして、懐に感じる異物を取り出せば、以前梅利に貰った小さな拳銃が、砕け散った状態でそこにあった。

 “破國”の一撃を受けたとき、知子は辛うじてライフル銃を盾にしたが、同時にこの小さな拳銃も盾となって自分の命を救ったのだと彼女は気が付いた。

 

 ライフル銃はどうなったのかと見渡せば、完全に真っ二つに裂けている黒く長い銃身が地面に落ちており、これも梅利さんに借りたものだったのになんて考えて、知子の目には悔しさで涙が浮かぶ。

 

 救われてばかりだ。

 どうしてこんなにも上手く出来ないのだろう。

 この身体も、豊富な武器や食料も、全部救われた結果自分はここに生きている。

 恵まれた環境にいることはこれ以上無いくらい自覚している筈なのに、自分は何一つ変われていない。

 

 

「っっ……駄目だ私、泣いている暇なんて無い」

 

 

 悲鳴を上げる身体を無理矢理動かして、状況を確認しようとのし掛かっていた瓦礫の山をどかす。

 壊れたライフル銃を捨てて、小さな拳銃は少しだけ躊躇して懐に戻す。

 顔を拭い、片足を引きずり、何とか周りの状況が分かる場所まで辿り着けば、異形達の異常な行動が眼下に写り込んでくる。

 

 

「これは――――東城さん達の拠点へ、怪物達が……」

 

 

 どれほど意識を失っていたか分からないが、そう時間は経っていないはずだ。

 だと言うのに、目の前のこの光景は何事だろう。

 混乱する頭に手を当てて少しだけ熱を取り、自分がこの後どう動くべきかと考える。

 

 あの、あまりに多くの異形が群れを為している場に駆け付けて一人でも多くの者を救助するのが先決か、若しくは――――。

 

 

「……東城さん?」

 

 

 ボロボロの東城が工具を片手に、壊れた散布機に手を加えている姿を目にする。

 近くに護衛をしている者は見当たらない。

 脇目も振らずに拠点へと攻め込んでいる異形達を思えば、普段よりも危険は少ないのかもしれないが、それでも一つのコミュニティを率いている者が冒すような危険では無い筈だ。

 何かに取り憑かれたように手元の作業に没頭する東城さんの行動を観察していれば、彼女の背後に近寄る人影を見付けた。

 

 

「なるほど。異形はあの場所に向かっても、変異していない死者はそこらを徘徊しているんですね」

「――――笹原さん?」

 

 

 パキリと、忍び寄っていた死者の首をへし折って東城に声を掛ければ、そこでようやく自分の背後にいた存在に気が付いた様で彼女は目を少しだけ見開いた。

 

 

「武器も無い、護衛も無い。貴方の立場を考えれば有り得ない状況ですが、何をしようとしているんですか?」

「……私は」

「……ああ、頭が痛い。私も怪我が中々酷いですし、あまり荒事を行いたくは無いのですが……貴方、それを直してどうするつもりなんですか?」

 

 

 薬品を散布する機械を、もう一度直す理由。

 そんなものは一つしかなくて、一度は失敗に終わっている薬の散布をもう一度行うならば、そのやり方は確実である方を選ぶはずだ。

 例えそれが交わした約束を破ることになっても、東城という女ならばその選択をすることを知子は知っていた。

 だからこそ、自身にとって最も守りたい者を脅かそうとしている東城を、知子は許そうとは思わない。

 

 

「……私は私がやるべきことをやる。私は死鬼と言う一体の異形の命よりも、自分の同種である生存者達が生きる道を選ぶ」

「それでは……その手に持っている最後の特効薬を、死鬼を含めたあの場所へ散布すると言うんですね?」

「ええ、そうでもしなければどれだけの人が命を落とすか。この地の、人類の生死を掛けたこの戦いで、必ず“破國”は討ち取る必要がある。だからこそ私はもう、手段は選ばない」

「よくもそれを私の前で言えましたね。ええ、覚悟は出来ているんですね?」

「そうよ。貴方が死鬼を第一に考えるなら、しっかりと私の息の根を止めなさい。僅かでも身体が動くのなら、私は目の前のこれを成し遂げてみせる」

「――――そうですか」

 

 

 死鬼の血液を身体に摂取し、適合させた知子の身体は容易く人を殺し得る。

 彼女が持つ武器のほとんどが壊れていようが、銃を持つ一人の人間程度であれば赤子の手を捻るようにねじ伏せることが出来るだろう。

 だから、出来る、出来ないは問題にならない。

 殺めると言う覚悟が出来ていないと言う事も無い。

 だが、東城に伸ばしかけた知子に迷いが生じたのは、あの人だったら、ここで東城に手を掛けることが正しいというのだろうかと言う想いがあったからだ。

 

 誰かの悲鳴が遠くから聞こえてくる。

 梅利と出会い前、あの地下の暗闇の中で震えていた自分自身を思い出す。

 誰かに救いを求めていた自分に手を伸ばしたあの人は、どうしたいと言うのだろう。

 

 そんなこと、考えるまでも無い筈だった。

 

 

「…………貴方が特効薬を使用したら、私は直ぐに死鬼を連れてこの街を離れます。ここにどれだけの異形が残っていようが関係ありません。誰であろうと見捨てます、誰であろうと見捨てさせます。それで良いですね?」

「貴方の……その判断に、感謝するわ」

 

 

 結局知子が選んだのは、単なる妥協案。

 薬の効果が出てしまう前に、死鬼を連れてこの町を離れる事だった。

 

 あの医者の話であれば、死者や程度の低い異形ならば、気化した特効薬を浴びるだけで身体が溶け出すと言うが、主クラスである“死鬼”や“破國”と言った強力な個体に対し、同様の効果が望めるかは分からないと言うことであった。

 つまり、多少なりとも薬品の効果に抵抗できるであろうと見越した上での、見通しとしては甘いと言わざる終えないものだ。

 東城の選んだこの選択が、生存者達の最後の切り札になり得ると理解しているからこそ、知子はそれの邪魔をすると選びきることが出来なかった。

 

 

(……梅利さん、いや、死鬼の身にどれだけの負担が掛かるか分からない。出来るなら、アイツが薬を吸い込む前に連れ出したいところではあるんだけど……)

 

 

 知子の選択に、何処か顔を暗くした東城が修繕作業に戻るのを視界の片隅に収めつつ、異形の群れが砂地獄の中心に集っていくように拠点に向かっていくのを確認する。

 

 あの場所に死鬼はいる。

 遠目からでも分かる程に、ここからでは黒い墨のようにも見える異形の群れを、修正液でも流し込むかのように瞬く間に消し飛ばしていく光景を眺め、彼女の場所をしっかりと把握する。

 

 

「特効薬の残りはもう無いんですよね? なら、それの修繕が終わるまで私が貴方の護衛を受け持ちます。周囲は気にせず、直すことだけに集中して下さい」

「ええ、ありがとう。……ただ、私は技師では無いから少し時間が掛かると思う。可能な限り急ぐわ、その間はお願い」

 

 

 戦力を考えれば、死鬼が有象無象の異形に負けるなど考えられない。

 “破國”との戦闘がどうなったのか分からないが、同じ轍を踏むような失態を繰り返さないのがあの怪物だ。

 全てを同時に相手取っても、互角以上に戦えるだろうことを知子は疑っていない。

 だが、もしもがあるとするならば……。

 

 

(この異形達の異常行動、この場所だけのものなのか、それとも……もしもこの場所以外……他の地域を支配している“主”クラスの怪物が来るとするのなら)

 

 

 未だに収まる様子の無い、拠点に向けた異形達の進撃を眺め、脳裏を過ぎった嫌な想像を少しでも掻き消せるように、懐に仕舞った壊れた拳銃を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

「コイツら……なんだ、知能が消えたのか? いや、知性が無いのは元々だろうが、なんでこんなにも碌な反応をしない……」

 

 

 “破國”の咆哮を皮切りに拠点に一直線に向かいだした異形どもを潰しながら、コイツらに対する疑問を口に出す。

 脅威である筈の私に背を向け動き出した奴らを追い掛け、幾ら息の根を止めようと、コイツらは一向に私に注意を向けようとしない。

 まるで操り人形だ。

 そう思ってしまうほどに、今のコイツらに自分の意思というものが存在していない。

 将棋の駒にでもなってしまったようなコイツらはもう、生存に対する危機も、恐怖も感じていないのだ。

 

 

「……こうなってしまえば、もはや全て壊してしまう以外に方法は無いか」

 

 

 分析し、判断を下した。ならばもう即座に次の行動へと移る。

 右手側にあったビルを全力で蹴り上げ、拠点を挟んだ反対側へと巨大な瓦礫の山を撃ち出した。

 流星群のように降り注ぐ瓦礫の山が、自分とは逆側の異形どもの侵攻を止めたのを確認して、今度は私がいる側の異形どもの侵攻を止めるために地面を殴った。

 大地が割れる。

 巨大な亀裂が異形の群れを呑み込む。

 地下街という、この地における最も危険な場所へ纏めて異形の群れを送り、その末路を見届けること無く、今の攻撃で漏れた化け物どもの始末に走る。

 

 相手にならない、それはそうだろう。

 この群れの主である“破國”を圧倒できたのだ、その他の有象無象など問題にならないことは理解していた。

 問題があるのはあくまで弱小な人間どもの生存だ。

 出来れば無駄に奴らが命を落とすようなことは避けたいし、自分が“破國”の始末を誤った事に起因するこの事態が許せない。

 だからこそこんな、雑魚の露払いなどやっているし、何とか生存者どもの拠点が壊されないように尽力している。

 あくまで自身の脅威などでは無く、プライドの問題でこうして動いていた。

 少なくとも、自分ではそう思っていた。

 

 

「……そのはずだったんだがな。全く、やはり人の価値観というものは分からないな」

 

 

 自分に生まれた感情が分からない。

 平時であれば、この感情を解明しようと色々自問自答を繰り返すのだが、残念ながら今そんな余裕は無い。

 もしもこれが終わったときに話す機会があるのなら、彩乃や東城、知子に聞いてみるのも悪くないのかもしれない。

 一つ気になることが出来たなと、笑いを溢し、ようやく辺り一面を更地に変えた時に、奇妙なものが視界に入った。

 

 異形なのかは即断出来なかった。

 生き物なのかも断定出来なかった。

 ただ、それが自分にとって倒すべきものだと言う事だけは、即座に理解した。

 

 黒い、液体のような人型が毛細血管のように広がった腕を使い、上空からこちらに接近してくる。

 生存者がいる拠点ではなく、私目掛けてまっすぐに。

 

 

「……見掛けない奴だな。別の街の異形か?」

 

 

 顔の無い、のっぺらぼうのようなソイツは、私から少しだけ離れたところに音も無く着地して、液体のように身体の形を変えながら歩み寄ってくる。

 着地の時の衝撃をバネのようにしならせた足で吸収し、これから行う戦闘に適したものへと大柄な成人男性程度の身体に変化した。

 自由自在に身体を変化させることの出来る怪物。

 少なくとも私達どちらも知り得ていないこの奇妙な怪物は、他の有象無象とは一線を画していると理解した。

 

 一瞬だけ、もしかすると“破國”が次はこの姿に変化したのかとも考えたが、どうもそうでも無いらしい。

 その化け物のたたずまいに、気味の悪い不気味なものを感じながら、もう間もなく接触できるだけ近寄ってくるそれの為に戦闘準備を整えた。

 

――――通告する。

 

 

「お前があのウスノロの何に釣られてここまで来たのか知らんが、他の雑魚どもとは違って自分の意思が残っているようだな? ならば私の前に立つな、元いた場所に戻れば見逃してやる。即決しろ、それ以外ならば排除する」

「愚レツ堕Na? 悲Si-喪ァ」

「……貴様。随分とまあ、薄汚い話し方をするものだ。目障りだ消えろ」

 

 

 私の言葉に従う様子を見せないことを確認して、警戒から攻撃へと意識を切り替える。

 苛立ち混じりに高速で肉薄し、微動だにしなかった不気味な黒い人型を蹴り抜けば、何の抵抗もせずに身体を吹き飛ばし建物を突き破っていった。

 

 時間が無い、ならば様子見などする必要は無いだろう。

 吹き飛んだソイツを即座に追い掛け、錐揉みになりながら吹き飛んでいる黒い人型に追い付き、地面に平行に飛んでいたソイツを下から掬い上げるように蹴り上げる。

 ソイツの蹴り心地は到底生き物を蹴り飛ばした感覚とはほど遠く、ゲル状の何かを触れている感覚と言う方がずっと近いだろう。

 衝撃の多くを、その特殊な身体に吸収されたような感覚があったが、同時に、複数の風船を潰したときのような何かを破裂させた様な感覚も足の先から感じられ、何も損傷がない訳ではないのかと安心することが出来る。

 為す術もなく上空に吹き飛ぼうとしたソイツの首下を掴み、地面に叩き付ければ、黒い人型はその身体を海老反りにして、悲鳴を上げるかのように地面を転げ回った。

 

 身体能力は私に到底及ばない、それは確信できた。

 ならばこいつの脅威は別の所にある。

 特にこういった不気味に感じる奴は大概知性が高く、卑劣な事が多いのだ。

 

 

「――――ああ、読めていたぞそれは」

 

 

 攻撃の意思を見せず、のたうち回っていた黒い人型の身体が突如膨れ上がり、風船のように破裂した。

 身体の中から飛び出したのは、毒々しい紫色の煙と刺突のように飛び出した幾本もの黒い液体の槍。

 そしてそれらが目前の私に届く前に、生まれた黒い爆炎が全てを焼き尽くした。

 熱した鉄骨に数滴の水を落とした時のような、蒸発する音と醜い絶叫が周囲に鳴り響く。

 

 基本的に異形や死者と言った化け物どもは火に弱い。

 程度に差こそあれ、私だって超高熱に晒され続ければ力尽きるだろう。

 当然自分のそんな弱点など誰にも言ったことは無いが、その手を私が使わない筈が無い。

 特にこんな気味の悪い液状の奴などと、仲良くじゃれ合う趣味は無いのだから。

 

 

「愚リa亜ァ悪吾――――!!!???」

「ふふふ、隙だらけだとでも思ったか? さて、次は――――」

 

 

 そしてトドメを誘うとした私に邪魔が入る。

 一つは再生を終えた“破國”が乱入してきたこと、もう一つは複数の首を持つ狼のような怪物が拠点を強襲したことだ。

 

 

「――――どいつもこいつも、目障りだ」

 

 

 突進してきた“破國”の角を掴み取り、地面を大きく削りながら巨体を受け止める。

 さらに隙間を縫うようにして液状の槍が襲い掛かってきたのを、肌に触れる箇所を直前で硬めて防ぎ、強力な個体であろう狼に襲われている拠点の状況を視認する。

 やはり、通常の異形よりも強力な個体が一体いるだけで、あの拠点の守りは崩壊する様だった。

 

 

「面倒だっ、纏めて捻ろうか!!」

 

 

 絡み付いた状態の“破國”と黒い人型を振り回し、拠点を襲う狼目掛けて飛ぶ。

 “破國”の巨体、何とか逃れようとする黒い人型、暴れ回ると言う難点はあるものの、そのどちらも武器としては申し分ない。

 

 メシャリ、なんて言う冗談みたいな音が潰れた狼から漏れる。

 砕けた地面の欠片が舞い上がり、どの異形の絶叫なのか、どの異形の体液なのか分からない、凄惨な光景を作り上げた。

 潰れた狼が痙攣して動かない状態となっており、それを踏み潰すことで狼はトドメとするが、武器としていた“破國”どもは損傷こそあれど未だ健在である。

 

 そして、拠点を背にする形になって初めて分かってしまう。

 果ての見えない異形の数々が、この場所の終わりを告げている事を。

 視界を埋め尽くす蠢く漆黒が、どうあってもこの場所の生存者どもを全滅すると告げている事を理解する。

 

 

「……これは……」

 

 

 あの中には、どれだけの数の強力な異形が含まれているのだろう。

 この場所にいる生存者どもでは太刀打ちできない異形が、どれだけの数控えているのだろう。

 少なくとも、目の前にいる二体で終わるなんて考えられなかった。

 

 ふと背後にある拠点へと目を向ける。

 先ほどの狼に壊されたであろう拠点の壁から、隅で震えて竦んでいるだけの戦えない者達が見える。

 顔も言葉も、碌に交わしたことの無い彼らの命など、人と異形の二つの価値観が混ぜ合わさった今になっても、さほど気にするようなものでは無い。

 本当はここで、彩乃や知子だけを連れ去って、残りの奴らは見捨ててしまえばこれほど楽なものは無いだろうと言うことも本当は分かっている。

 

 だってそうだろう。

 私に対して、恐怖を含んだ視線しか送らないような奴らの為に決めなければならない覚悟など無い筈だ。

 私に対して、負傷した隙を狙って命を取りに来た、奴らのような為に使う労力など無い筈だ。

 守らなければならないものは他にある。

 彼らのような者を無理に守るなんて、本当は馬鹿げている。

 そう思った。

 

 

「し、死鬼様ぁ!!」

 

 

 そんな私の葛藤に気が付いたのか、泉北にいた一人の男が声を上げた。

 引き留めるような、命乞いをするような、そんなことを言われるのだろうという私の予想は裏切られる。

 

 

「私達のことなど見捨てて下さい! 遠くへ、何処か遠くへ、きっと貴方様が幸せになれる場所が何処かにある筈です! 私達は貴方様に充分救われました! どれだけ返そうとも返しきれない恩を頂きました! 私達は何一つ貴方様に返すことが出来ませんでしたが、この恩はこの身に刻んでいるんです! 貴方様はもうこれ以上……頑張らなくて良いんです……」

 

 

 何を言っているんだ、叫んだ男の近くにいた者にはそう言って掴み掛かる者もいた。

 死にたくないと叫び、なんとか私を留まらせようと絶叫する者もいた。

 それでもその場所にいる大半の者は、叫んだ男に追従する。

 

 

「死鬼様ぁ! 今までありがとうございました! 迷惑ばかり掛けて、本当に申し訳御座いませんでした! 来世はきっと貴方様のお役に立たせていただきます!」

「しきさまー! しきさまー!」

「死鬼!! 前は悪かったなぁ! お前をただの異形だとずっと言ってて悪かった! もう良いから、お前は良くやったから、お前が必死になる必要なんて何処にも無いんだから!」

「――――……なんだ、貴様ら。馬鹿なのか……?」

 

 

 顔に皺の刻まれた老人が、私の半分以下の背丈しか無いような幼子が、片足を失った中年の男性が、腹の膨れた妙齢の女性が、私に対して必死に叫ぶ。

 その内容は酷く聞き慣れないものだ。

 自分の命だけが大切なはずのコイツらが、なぜ私を助けようとするのか分からない。

 

 

「死鬼様ぁ!!」

「――――梅利!!」

 

 

 ようやく戻ってきたのか、彩乃と水野の二人が拠点の影から現われた。

 ボロボロの、悲痛なような表情をした彼女達の顔を見て、そんな二人にも心配されるような声を上げられた私は、自分がいったいどんな表情をしているのかと自分の顔をつまんでみた。

 触ってみたその肌は濡れていて、それが汗なのか返り血なのか分からないまま拭い取る。

 

 この戦いはあまりに不毛で、私にとってはあまりに意味の無いものだと理解している。

 きっとこのまま戦わず、自分の楽な方へ走ったとしても、その先にはきっと正しいと思えるものがあるのだと理解している。

 だからこれは、理論的でも、感情的でも無い。

 ただ彼女達の前で、これ以上格好の悪いところは見せたく無くないなんて、下らない虚栄心でしかなかった。

 

 

「――――無様な声を上げるな馬鹿どもめ」

 

 

 カチリと頭の中で何かがはまり込んだ。

 身体が燃えているのでは無いかと思う程に熱を持ち、頭は氷でも詰め込んだように冷え切っている。

 

 

「私が命を捨てるだと、私がこの場から逃げるだと。的外れで筋違いで聞くに堪えん、貴様らなど、ただその場で震えていれば良いんだ」

 

 

 目前には地平線の彼方にまで続く異形の群れと、強力な個体である黒い人型に“破國”がいる。

 全てを私一人で処理するのはどう考えても無理であり、きっと昔の私ではどうしようも無かっただろう。

 それは分かる。これまで戦ってきて得た経験や直感がそう言っている。

 

 だが、それは昔の話だ。今の私は昔とは違う。

少なくとも下らないプライドなど、放り捨てることが出来るくらいには。

 

 

「ああ“破國”、貴様は確かに巧かったよ。この状況は私にとって敗北も同義、貴様の策は正しく機能しており、愚かな私はそれを許した。この場においてお前に勝ちは譲ってやろう。――――だがな、ここからは私が勝つぞ。我が因縁の異形よ」

 

 

 そっと手のひらを地面に付ける。

 じっくりと膨大な力で、この大地を砕くことに意識して、あとはゆったりと目を閉じる。

 

 この地域に侵入する異形どもの存在は、何も私一人の問題では無い。

 この地域の怪物どもは、この侵攻を不快に思っており、特にある人物よって生存圏を極端に狭められていたある化け物どもにとっては邪魔なことこの上なかったのだ。

 

 だがそれでも、この地の“主”が一人で迎え撃っていた。

 いつものように、“主”が一人で目の前の物全てを破壊していた。

 だから、なんとか矛を収めていた。

 

 

「――――ゆくぞ貴様ら、私に手を貸せ。この地が誰の者か思い知らせ、我が物顔でのさばるものどもに鉄槌を下せ!」

 

 

 地が砕ける。

 アスファルトがまくれ、蓋が開く。

 その下にあるのは巨大な空洞。巨大な地下街。

 そして、この地における最大の異形の住処。

 パキリと、先ほど下に落ちた、外から侵攻してきた異形どもが肉塊になった状態で見えた。

 

――――最初に出たのは二体の猿だった。

 

 すばしっこい動きで近くにいた異形の足を掴むと、地下街の中へと引き摺り込んだ。

 絶叫と幾度も重なる咀嚼音が響いて、底から覗く幾重もの真っ赤な眼光が外から来た異形どもを捉えた。

 

――――流出する。

 

 様々な形をした怪物達がその姿を現わし、外から来た異形どもに食らい付く。

 私が壊した部分だけで無い、私の声を号令として、様々な場所から巨大な異形から姿を現わし、我が物顔でのさばっていた異形の群れを磨り潰しに掛かる。

 慌てて応戦する外の異形どもだが、その力の差は歴然で、迫っていた異形の群れが鎧袖一触の様相で押し返され始めた。

 

 ドンッ、と私の足下が崩れ、そこから這い出た怪物、“破國”すら越える巨大な白蛇が私を頭に乗せて、天高く舞い上がる。

 巨大な白蛇、“島喰”は眼下に広がる異形の群れを見下ろした。

 

 

「――――私は梅花。この地における王であり、この地における裁定を下すもの」

 

 

 地上から私を見上げる“破國”と視線を交わせる。

 今度こそ、真の総力戦だ。

 

 

「去ね、潰えろ、絶望を刻め。私が貴様らに終焉を与えよう」

 

 


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