梅花、百鬼を魁る   作:色付きカルテ

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最初の言葉

 

 

 抱き留めた彼女の体は熱した金属のように熱い。

 隆起した血管は異常なほどに大きく脈動し、弱々しく震える彼女の体とは正反対だ。

 

 何一つ状況を理解しないで倒れ込みそうな彼女を思わず抱き留めたが、破れた服の隙間から除く肩の怪我を見て息を飲んだ。

 

 

「――――肩の怪我から感染してっ……!? そんなっ!!」

 

 

 破けた服から除く怪我を治療した肩口が、毒々しい紫色に化膿している。

 自分の治療に問題があったのかと自責するが、今はそんなことよりも対処方法を考えるのが先だと必死に自分に言い聞かせた。

 

 

「っ……! 知子ちゃんっ、意識をしっかり保って!」

 

 

 短く荒い呼吸を繰り返す彼女に必死に呼びかける。

 当然、こんな対応が正しいのかなんて分からない、感染状態の人間など、助けようとする方がどうかしているのだから。

 

 ふらふらと焦点の合わない瞳がこちらの顔の輪郭をなぞるように行き来して、自分を抱き締める俺の腕を弱々しく触れた。

 

 

「……ああ、梅利さん……。ごめんなさい……、こんな……迷惑、掛けて……」

「謝らないでっ……大丈夫っ、抗体薬はすこしだけど持っているんだっ……! これを使えば……!!」

 

 

 鞄から厳重に保管した筒状の薬品を取り出して、一瞬逡巡の後にそれを知子ちゃんの首元に注射する。

 青い液体が彼女の首元に注入されて、心無しか息遣いが落ち着いたような気がするが……こんなものではこの感染状態の人に効果が無いことは、十分理解していた。

 ほんの気休め、時間稼ぎにもならないような無駄な使い道でしかない。

 

 

「知子ちゃん、ごめんっ…!」

 

 

 一言言って、彼女の服を剥げば、わずかに見えていた肩口の化膿は上半身全体まで大きく広がっていて、死者と化す直前の状態なのだと一目で分かってしまう。

 愕然とした表情の俺を見ていたのだろう、彼女は自分の行く末を知って。

 

――――ゆっくりと納得したように、微笑みを見せた。

 

 

「……梅利さん、お願いです……私を殺してください」

「っ!? 嫌だっ、助かる道はある、諦めるなっ……!」

「……助からない、です。私の、事は……私が一番分かります……」

 

 

 そんなっ、なんて否定しようとした俺の言葉を遮って彼女は話し続ける。

 

 

「……迷惑だって、分かっていたのに……貴方の傍で最後を迎えたかった……。いつも置いて行かれるばかりだったから……誰かが最後に傍に居て欲しかった」

「迷惑なんて……」

「私……、貴方が別人だって、分かっているのに……大切な人に重ねて見ていたんです……最低ですよね……」

「――――……そんな、こと……」

 

 

 真っ青な顔色で、泡の様に膨れ上がった肌で、今にも意識を失いそうな状態で彼女は、懺悔でもするかのように語り続ける。

 

 

「だから……私の勝手な我が儘で、最後は貴方に傍に居て欲しかったんです……。どうか、どうかお願いです、私が私でなくなる前に……どうか貴方の手で私を終わらせてください……」

「……そんなの……無理だよ……」

「お願い、します……。私は、満足しているんです……本当はあの暗闇の中で、ひとりぼっちで終わるところだったから……。こうして、貴方の手の中で眠れるなら……私は本当に、幸せなんです……」

「……」

 

 

 腕の中で力無く笑う少女は、昔の寂しそうな頃と変わらない。

 

 

「あ、あはは……、あの暗闇で一人終わると思っていたらあんなに怖かったのに……私、今は怖くないんです……。貴方に重荷を背負わせると分かっているのに、私の心はやけにすっきりとしているんです……」

「知子ちゃん……俺は……」

「お兄さんと会えなくなって、お父さんとお母さんが戻らなくなって、また私はひとりぼっち……。死ぬのは怖くて、痛みも怖くて、……でもひとりぼっちはもっと怖かった……」

 

 

 何を勘違いしていたのだろう。

 立派に成長した彼女はもう一人で立てるから?

 ふざけたことを言うなよ、ならこの目の前でぐしゃぐしゃに表情を崩す少女の姿は、一体何なんだ。

 よく見ろよ俺、目を見開いて彼女の全てをよく見ろよ。

 

――――公園で一人座り込んでいた時と、何一つ変わっていないのだろう?

 

 

「だから、どうかお願いします。私の最後に、私の傍に居てください……私はもう、……ひとりは嫌なんです……」

 

 

 伸ばされた震える手を躊躇することなく掴み取れば、彼女は泣き腫らした顔を嬉しそうに微笑ませてお礼を口にする。

 ゆっくりと眠るように目を閉じてゆく。

 そして彼女は掴んだ手を離さないまま、安らかに小さく口を動かした。

 

 

「――――お兄さん……私は貴方が、……大好きでした……」

 

 

――――それっきり彼女は動かなくなった。

 

 

「……聞こえないよ。……そんな小さな声じゃ聞こえない」

 

 

 彼女の姿を見詰めたまま、止めていた息を大きく吐き出す。

 彼女の気持ちも、考えも、そしてこの終わり方に納得したのも充分に理解した。

 こんな悲しいだけの世界で、ある種納得した終わり方を迎えられるのは幸運なのだろうとも思う。

 

 

 ……だから、俺がこれからすることは勝手な我が儘に過ぎない。

 

 彼女の首元に手持ちにある最後の一本を注射する。

 

 

「君には生き続けてもらう。こんな願ったものさえ腐り落ちたような残酷な世界で、それでも君には生き続けてもらう。ねえ、知子ちゃん――――」

 

 

 いつも通り、頭にしっかりと固定されていたヘルメットを脱ぎ捨てる。

 

 風が肩まで伸びる黒曜石のような黒髪を薙いだ。

 

 

「――――そんな台詞を吐いたのが、君の運の尽きなのさ」

 

 

 側頭部から生える片角が外気に晒された。

 普段なら外でこれを晒すなどあり得ないけれど、今はそんなことよりもやるべき事がある。

 

 自分の口に手を突っ込んで、指先を少しだけ噛んで出た血を口に含む。

 舌で口中に血を付着させて、動かない彼女の体をじっと凝視する。

 そうして意識して目を凝らせば、動き回る『赤』があるのが確認出来る。

 化膿した肩口に滞留するそれが、彼女の全身に『赤』を行き渡らせる核であるのをしっかりと見届けて。

 

――――大きく開いた口で彼女の肩を噛み千切った。

 

 

 

 

 

 

 ある藪医者曰く、この感染菌は細胞の増殖を促進させるものらしい。

 

 なにかしら専門的な事を多く言っていた気もするが、こちらをビクビクと伺いながら説明するその医者にあまり多くの説明を求めるのも気が引けて、深く理解をしないまま続きを促したから、俺からあまり詳しい説明をすることは出来ない。

 だからおおよそ要約するならば、細胞の変異や増殖を、普段であればあり得ない方向性に持って行くのがこの菌の特性で、それに対する抗体を発見する前に爆発的な感染をしてしまったから、国家の崩壊までいってしまったのだと彼は言った。

 

 ようやく見つけた抗体も、発症前ならば効果を見込めても変異した細胞を戻すことは出来ない欠落品であり、それでも多くの人間を死に至らしめる小さな虫や鼠と言った感染源を死滅させることに成功した、この感染菌の真理に最も近付いている医者は、初めて見る人間としての意識を持つ異形を見て驚愕に体を震わせた。

 

『君の体は異形として、人間に近い形に進化した』

 

 動物であったり昆虫であったり、そんなどこかで見たことがある形へと変異するのが異形であるものの、これまで俺と同様の、全くの人型を保った異形は見たことがなかった。

 その理由がどうであれ、人間としての意識を保つ奇跡的な要因が自分にはあるのだと説明された。

 

 興味深くて、頭が痛くなるような説明を長々と続けていたその医者は、その中で一つの仮説を立てた。

 

『君の異形としての細胞は他に類を見ないほど強靱だ。だが、同時に今は人体に無害と言って良いほど安定している。あり得ないような状態だ。これまで死者や異形を研究してきて近いものすら見たことのない程に希有な奇跡。……だから確信を持って言えるわけではないが、感染している状態の人間に対し君の細胞を埋め込むことで、感染した細胞を従え、侵食する事無く安定する可能性も出てくるかもしれない……いや、流石にその実験はあれだし、……き、君に迷惑を掛けたくないしな……ははは……』

 

 

 最後の一言はいらない。

 つまり、この藪で、マッドで、どうしようもないダメダメ野郎が立てたこの仮説を、俺はこの土壇場で縋ることにしたのだ。

 それしか助けることの出来る方法が思いつかなかった、と言えるのだが……。

 

 だが、結果的にそれは全て――――望む方向へ転がった。

 

 

 

 

 

 

「……あ……れ? 私……生きて……?」

 

 

 目を覚ませばそこはあの教会の地下室。

 寂れた壁と天井が彼女を迎え、柔らかい布団が肩まで掛けられている。

 クラクラと揺れる頭を押さえて上半身を起こし、感染状態であったことを思い出して化膿していた肩に視線をやれば、ピンクと赤が混じり合った状態の、怪我が治った後のような肌がある。

 

 

「……え? 化膿して……腫れ上がって、いました……よね?」

 

 

 あやふやな記憶を辿ってそう呟いてみても、彼女の疑問に答える者は居ない。

 代わりにあるのは、足下から聞こえる静かな寝息だ。

 

 

「梅利さん?」

 

 

 身を起こして覗き込めば、いつも通り迷彩服を身にまとった小さな姿が目に入る。

 そんな少女の姿に安心してため息を吐けば、小さな寝言が聞こえてきた。

 

 

「……知子ちゃん……」

「……普通、私のことを初対面でそんな風に呼ぶわけ無いですよね」

 

 

 貴方は一体誰なんですかと囁いてみても、静かに寝入っている少女はなにも答えない。

 ふと視線を落とせば、床に転がった薬品と少女の手にある包帯が目に入る。

 自分がどうして生きているのか、そんな疑問がほどけたような気がした。

 

 

「貴方が、助けてくれたんですね……」

 

 

 どうして自分が生きているのかは分かっても、どうやって自分を生き残らせたのかは全く分からなかった。

 全身に痛みはなく、不調な箇所だって何処にもない程の全快具合、それどころか体がいつもよりも軽い気がする程だ。

 

 気になって寝入る少女へ近寄っていく。

 近付いてくる人陰に少しだけ身じろぎしたが、目も覚ます様子のない少女は隙だらけだ。

 室内でもずっとヘルメットを外さなかったせいで、碌に見れなかった少女の顔を下から覗き、息を飲む。

 

 完成された造形、作り物めいた美しさがそこにはあった。

 

 

「……今なら、ばれないですよね?」

 

 

 思わず、好奇心に引っ張られて、少女の被るヘルメットへと手を伸ばした。

 この子は自分の知っている誰かなんだろうか、どんな姿形をしているのだろうか、そんなことを思って、深く被るボロボロのヘルメットを取ろうとして。

 

 少女の涙に手を止めた。

 

 

「……ごめん……知子ちゃん……、俺……」

「……なんで貴方が謝るんですか」

 

 

 意識がない少女の秘密を暴こうとした自分自身に嫌気が差して、ごめんなさいと呟けば、眠っている彼女もまた、ごめんなさいと口を動かした。

 

 居たたまれなくなって、少女の隣に移動して並ぶように壁を背にすれば、体温を感じたのか小さく寄りかかってくる。

 襲ってきた微睡みに身を任せつつ、ふと肩に頭を乗せてきた少女を見て、彼女が起きたらまずなんて言おうかなんてことを考える。

 

 ありがとう、だろうか?

 ごめんなさい、だろうか?

 それとも、貴方は誰なんですか、なんて言う疑問だろうか?

 

 色々考えながら、息苦しさのないこの密封された部屋で、もう遠い昔にしか味わったことのなかった安らぎに包まれて、ゆったりと意識を闇に落としていく。

 

そして、少女に向ける言葉を最後の最後で決めて練習するように呟いた。

 

 

「――――どうか、一緒にいさせてください」

 

 

 我が儘なそんな台詞を口に出せば、目が覚めるのが少し楽しみになった。

 

 

 

 

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