――息が乱れる感覚はやはり苦しい。
殆ど誰も居ない道を進み、一つの廃屋の中で休憩がてら壊れかけた椅子に座り込んだ。
外から様子を確認されないように窓の下に居るが、当然ながら安心出来る訳ではない。何せ相手は探知系の機器を装備しているのだから、視界から外れた程度では回避は出来ないだろう。
一番はやはり戦域から離れる事。しかし現状、どうしても彼の足では戦域を離れきることは難しい。
今も彼の耳には爆発音が聞こえ、これまで歩いてきた道には敵や味方の残骸が見えた。
人の姿に酷似したパーツの数々。それら全ての傍には銃か銃だったのだろう塊がある。ネゲヴも銃を装備していたことから、やはりこの戦域に居る者の中に人間は居ないのだろうと彼は覚った。
少なくとも、この戦場に人間の気配は無い。
ならば人間は指揮役でもしているのだろうか。ますますゲームの中のようだと苦笑をするも、それで不安が晴れる気配は微塵もなかった。
手元にあるのは、人形が持っていた銃。機能が完全に停止した人形が多く居た為に武器の類には困らなかったが、彼自身は完全に素人だ。故に持っている銃はHGであり、ARやRFを持つ事は無かった。
弾も同じ武器から多数引き抜いてあるので少ないということは無い。道の端に捨てられていたボロのバックパックに弾薬や予備の銃を入れているが、その重量は中々のものだ。
やはり戦場で活動する武器の重さは、エアガンの比ではない。HGですらも素人が使えば肩が外れる可能性がある以上、なるべく彼は使いたくなかった。
「一先ず、こっちの方向で良いんだよな」
結局彼は地図を発見する事は出来なかった。
人形が当たり前のように闊歩している世界だ。地図もデータとしてのみ存在していたとしても不思議ではない。
それ故に今はネゲヴの歩いていた方角を遠回りをしながら進んでいる。それで安全圏に辿り着ける保証は無いが、最も可能性の高い道はそれしかない。
五分程度の休憩の後、移動を再開する。早い内に何か食料も手にしなければならない。
武器を売れるような場所があればさっさと売り払うのだが、それも難しいだろう。重いバックパックに破れないでくれと願いながらも、瓦礫を壁にして進み続けた。
その間に彼が考えるのは、やはりこの世界についてだ。
現状は元の場所に戻れる手掛かりは皆無。仮にあったとしても、その方法は並ではないだろう。
かといって殊更帰りたいかといえば、彼にとっては微妙だ。それはこの世界が彼にとって過ごしやすいからという訳ではなく、どちらにしても地獄であるのは変わらないから。
ただベクトルが違うだけだ。精神的な苦痛か、肉体的な苦痛か。その違いに過ぎない。
もしも此処で過ごし易い場所があれば彼は定住も考えるだろう。尤も、この世界の死が軽いのであれば安心出来る要素は何一つも無いのだが。
「――……」
そこまで考えて、誰かの咳払いに先程の思考を切った。
相手の位置は彼が行きたかった方向だ。これを回避しようと思えば更なる遠回りが必要であり、一歩一歩音を殺しながら相手の様子を伺う。
相手は此方に気が付いた様子は無い。頻繁に何処かへと通信を繋げているようで、喋り声が僅かに耳に届いている。
これだけ近ければ探知される筈なのだが、そうなっていないとはどういうことか。
戦場故に機器が破損しているのか。それならば有難い事この上無いが、そんな都合が良い状況を望むのは止めておくべきだ。
最悪を想定しよう。走って逃げるでなく、蛇の如く隠れ進むのが得策だ。
草の音すら背筋が冷える。相手の進む方向が彼が歩いて行った道だけにグリフィンと呼ばれる組織の人形かもしれない。
ネゲヴという少女の所為で彼には多少なりとて偏見がある。
というよりも、戦場に立つ兵士について彼には偏見がある。決して全ての兵士が粗暴であるとは彼は思わないが、しかして鉄火場は容易に人格を歪めるもの。特に人形であれば最初の時点で戦場で戦えるよう設定されているだろう。
その思考が決して普通である訳がない。だから発見されたくないのだ。――――その言葉を内心で呟いた直後、相手の足が停止した。
それまでゆっくりと歩いていた足が確かに停止したのだ。彼との距離は決して短い訳ではないが、しかし探知圏内であるのは確かだろう。
もしやバレたかと恐怖が走り始め、されど足は再度動いた。その方向は、やはり敵の居る場所だ。
良かったと、安堵の息を吐きそうになるのを何とか抑える。
取り敢えずは未だバレていない。このまま時間を掛けて移動すればお互いに出会う事も無いだろう。
「――あなた、どなたですか?」
そう思って、そして彼は油断した。
どうして一体だけだと考えたのか。注意を向けていた相手は、果たして何故止まったのか。
壁を背にしていた彼は足音のする左方向に顔を向けていた。右には注意を向けておらず、故にほぼ目の前で掛けられた声に心臓が飛び出るような驚愕を覚える。
慌ててそちらに向けば、そこに居るのは先程会っていたネゲヴよりも幼い印象を覚える少女だった。
赤のベレー帽を被った白に近い髪。透明感のある蒼の瞳は純真さを覚える。
しかし手に持っている装備が、その純真さを大きく損なっていた。それがどのような銃種かは断定出来なかったものの、恐らくはSMGではないかと彼は構える。
「この地帯は居住区ではありません。あなたは、何者ですか?」
銃口は既に彼に向いていた。不用意な真似をすれば殺すという意思を示され、その事実に怖気が走る。
ネゲヴとは違い、目の前の少女には感情らしい感情が見えた。瞳に込められたモノは困惑と警戒。敵意のようなものは少なく、殺意に関しては言わずもがなだ。
つまり、余計な真似をしなければ彼女は撃たない。ならばこの場はネゲヴと同様の手段で突破すべきだろう。
彼の作り上げた、誘拐された一般人の嘘を構築する。
この世界が如何様なものであれ、誘拐という事件は何処でも起きる。大概の場合は身代金目的だが、それ以外の場合も当然あるだろう。
彼が選択した嘘は意味不明。何故攫われたのかをぼかし、相手に想像させる嘘だ。
自身で考えさせ、納得させればそれを否定するのは難しい。人形相手ではそれは通用しないかもしれないが、少なくとも目の前の少女はその言葉に暫し頭を悩ませていた。
「一先ず連絡をさせていただきます。あなたのお名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「……ケンと言います。カツラギ・ケン」
「ケンさんですね。ちょっと特殊な名前ですので調べれば直ぐに情報が出てくるかもしれません。私達は現在、周辺状況の確認の為に出ていただけですので、私達の誰かがグリフィンの支部に送ると思います」
専用の端末を持った少女は、他の人形同様に連絡を取り始める。
彼女の言葉とネゲヴの言葉により、グリフィンという組織は軍隊なのではないかという予測が強くなった。
世の中には民間軍事会社というものもある。まだその線も残っているが、やはり彼の目には人形という存在は大企業や国が協力して完成させる最先端な存在という認識が強かった。
目の前の少女もまた、彼が通った道に打ち捨てられていた残骸と同様の物で作られた存在だ。
その感情表現も全てが全てプログラムされたものであって、限りなく人間に近い姿を模倣しているに過ぎない。
それでも、こうして彼女達が人間じみた真似をしている事実は安心感を齎すのだろう。何も感じていない表情を浮かべるよりも、喜怒哀楽を浮かべる相手の方が人類も安心するのだから。
だから、そう
「――想定していたルートに行ってくれてありがとうございます。お陰で無事友軍に出会えましたね」
少女も、彼も振り返る。
ゆっくりと歩む姿はベテランの風格を漂わせ、少女ことMP5もまた彼女のリラックスした姿に只者ではないと銃のグリップを強く掴んだ。
反対に彼の唇は無意識に震えている。恐ろしいモノを見たというように。
彼女――ネゲヴは身体のどの箇所も負傷せず、戦場に居るとは思えない綺麗な姿のまま彼に追い付いた。
実は拙者、まだ初めて一月も経っていないのでござる。