楯無は今目の前の少年が発した言葉が理解できなかった。
――キミ、誰?
それからすぐに我に返って、思考を動かして、動かした気になって、一つの答えに辿り着く。
(ああ、そっか。颯斗くんのいつもの冗談ね。きっとそうだわ)
心配している時に、こんな笑えない冗談を言うんだからと一人納得して、楯無は叱ることにした。
「全くもう、人が心配してたというのに、起きて最初に口から出すのがそんな冗談だなんてやられたわ」
「……いや、その、すいません。ホント、誰ですか?」
「そういうのいいから。無人機の襲撃から三日経っても起きなかった颯斗くんのこと、どれだけの人が心配したと思ってるの?」
「いや、だから本当にわからないんですって。無人機?」
「はーやーとーくーん? そろそろおねーさん怒るわよ?」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待ってください。第一ここどこなんですか」
「どこって……IS学園の医療室よ」
場所を教えると、未だにしらを切り続ける颯斗の様子に変化が起きた。
「アイ……エス……?」
こちらを見つめたまま颯斗は固まって、それから窓の方を向いた。しかし寝ている状態で見える景色など青空くらいとたかが知れている。再びこちらに視線を戻し、しばらくして彼は、例えるなら漫画や小説などでたまにある『笑うしかない』とでも言うような引きつった笑みを浮かべた。
その様子にようやく楯無もおかしいと思い始めた。
否、本当はもうすでにわかっている。少なくとも楯無としてはすでにもっと前からこの異常を受け入れていた。受け入れなければならないとわかっていた。
しかし実際にはその異常を拒んでいる。それは楯無ではなく『刀奈』としての彼女がその現実を受け入れまいとしているからだ。
「あの……颯斗くん?」
「えっと……すいません。状況整理したいんで、一人にしてもらってもいいですか?」
「う、うん」
そのためか、楯無は颯斗の出した頼みをあっさりと受け入れてしまっていた。
◇
俺は混乱していた。凄い混乱していた。
俺がハヤトって名前になってるとか、IS学園とか、無人機とかなんかどっかの小説で見たような人とか。
(落ち着け、落ち着け。まずは情報だ。情報収集だ……!)
ここが何なのかを理解し始めて興奮気味になっているのだが、まずは情報を集めるべきということは辛うじて頭に残っていた。裏を取るとかそういうことではなく、とにかく情報が欲しいという一心である。
情報収集っつったら、パソコン――は、ない。俺が持ってるとは思えないし、ここは医療室ってさっきのおねーさん(仮)が言ってたから、そういった物がここにあるとも思えない。
携帯だ。自分の携帯ならあるはずだ。メールとか電話の履歴とか調べればわかるかもしれない。
首を動かして携帯を探す。すぐに見つけた。机の上だった。患者がベッドに寝たまま食事とかができるあの机である。位置的に、ベッドの冊に乗りかかって手を伸ばせば届きそうだ。
冊に手をかけ、体を起こそうと力をかける。
「ふおおおお痛ええええ!!」
二度あることは三度であった。つーか、学習しろよ俺。
「颯斗くん? 大丈夫!?」
「あぁ、大丈夫です! 大丈夫ですから!」
ドンドンと扉を叩く音に対してとっさにそう返す。
……あ。
つい大丈夫って言っちゃったけど、これ入ってもらって携帯取ってもらった方が良かったんじゃね? 痛い思いしなくて済むんじゃね?
今からそうしてもらうか? いや、でもなー。取ってもらったはいいけど、その後すぐにまた部屋から出てけとは言いづらいしなー。出てってくれないかもしれないし。……うん。頑張ろう。
再び力をかける。痛い。背中がすごく痛い。一体何をどうしたらこんな大怪我したんだ俺。
ようやく冊にもたれかかることができた。が、前のめりになってるせいでメチャクチャ痛い。さっさと回収しないと痛みで変になりそう。
手を伸ばす。何とか机に指がかかった。机の足はローラーだから、手繰り寄せればいい。
やっとのことで携帯が手中に納まった。ベッドに横たわって、ここまでの痛みに顔を歪めつつも、取りあえず一歩全身したことに喜ばしく思いながら携帯を開く。
――暗証番号を入力してください。
「わかるかっ!!」
即刻キレた。ブン投げたりしないだけマシだ。
なんで暗証番号設定してんだよ。記憶ないってのに暗証番号なんか覚えてる訳ねーだろバーカ!!
「颯斗くん!? どうしたの?」
「あーもう、大丈夫ですから! まだ入って来ないでください!」
……とにかく、暗証番号だ。当然ながら心当たりは一切ない。携帯の暗証番号って回数制限あったっけ?
「……………俺の誕生日っと」
まあ、まさかこんなので当たる訳が、
(当たった――――!?)
無事起動できました。
とにかく良しとしよう。これで情報が手に入る。
えーと、取りあえず電話帳は……。
アトラス・テイタン
織斑一夏
五反田弾
更識簪
更識楯無
シエル・アランソン
IS学園教務課
etc...
あ、うん。
アトラスとか、シエルって誰だというのはひとまず置いといてだ。これでもう確定した。
(ここ、ISの世界だ……)
おねーさん(仮)の正体は恐らく更識楯無だろう。
しかし、なんで俺はISの世界にいるんだ? しかもIS学園にいるってことは、ほぼ間違いなく生徒としてここにいるってことだよな。身体確認してみたけど俺男だったし。加えて、先ほどの更識……さん付けた方がいいのかな。……の様子や、電話帳を見る限り何人か面識があるようだが、俺には全く覚えがない。
俺の頭で考えられるのは現時点で二つ。
一、この世界に転生したが、とあるきっかけで記憶喪失に陥って転生後の記憶だけを失った。
二、この世界のもう一人の男性IS操縦者(転生者とか)に憑依した。意識は俺であるため、この世界での記憶がない。
まず一についてだが、携帯の暗証番号が俺の誕生日で開いたことが根拠としてそれなりに信頼性がある。逆にそれだけであり、記憶喪失で転生前の記憶が丸々残っているというのが不自然だ。
次に二について。こちらは一とは逆に記憶については納得しやすい。しかし暗証番号が俺の誕生日で通った理由が不明だ。全く同じ誕生日だったとか、そもそも誕生日とは関係ない番号だったという可能性はゼロではないが、そんな偶然が通るのだろうか。
現状では、どちらとも言えそうにない。そもそも情報が少なすぎる。俺がどんな人で、誰とどういう付き合いがあるのか。俺が一体何をしていたのか。一切わからないまま判断はできない。
「入るぞ」
「へ?」
ガラッと勢い良く開け放たれた扉。その奥から、黒髪に黒いスーツ姿の女性が入ってきた。続いて、若干申し訳なさそうに更識さんも入ってくる。
誰かと思って十数秒、やっとのことで織斑千冬じゃね? という答えに辿り着いて反応しかけて、それを何とか踏みとどまった。下手に反応したら余計面倒なことになりかねん。
「何やら状況整理だとかしていたそうだが……その整理はついたのか?」
「えっと……た、多分。……誰ですか?」
相手は答えなかった。いや、答えてよ。一応、違う人だったら恥ずかしいなとか思って確認とってるんだよ?
「なら、自分の名前を言ってみろ」
代わりに質問が返ってきた。
俺の名前は……あ、まだ調べてねえや。
「……ハヤト……らしいです。苗字は、まだ調べてなくて」
「……ふむ。ではこれから精密検査を行う。傘霧はその場で待機していろ」
むしろこの身体でどう動けと。そんな心の呟きは届かぬまま、あれよあれよと流されていくことになった。
◇
結論、記憶喪失と認定されました。
キツかった。何がキツかったって、傘霧颯斗(やっと漢字も知ることができた)とは全く別物の記憶と知識があるため、どう答えていけばいいのかほぼ手探りだったことだ。基本的には知らぬ存ぜぬ、たまに携帯で情報を得たという一文を添えて話すくらいだった。
で、これからの俺についての流れだが。
一、とにかく怪我の回復をさせる。まあ当然の話だろう。ちなみに怪我の原因だが、学園内で大きな事故が起きて、それに巻き込まれたらしい。詳しいことは話してくれなかったが。後、大怪我をしたのだが傷は最新の医療技術によってあと一週間もかからずに普段動く分には問題ない程度には回復するそうだ。すげぇ。
二、怪我が治ってからISを動かせるか試してみる。俺が世界に二人しかいない男性IS操縦者であると聞かされたのち、大怪我や記憶喪失によってISの操縦に支障がないか試すと言われた。記憶がないんだから動かし方もわかんないんじゃねと思って訊いてみたが、そこはISの補助があるから大丈夫だろうとのこと。本当に大丈夫かそれで。ちなみに俺用の専用機があるそうだ。ギリシャ製だって。なんでも俺、ギリシャ代表候補としてすでに国籍も変わってるそうな。初めて聞いてビビった。
三、無事ISを動かせるのであればIS学園に復学。記憶喪失であろうがIS学園に在籍していてIS動かせるならさっさと学業に戻れという織斑先生からのありがたいお言葉。一応、記憶喪失から回復するには記憶喪失以前の生活をするのがいいという話もあるから断れなかった。あと、やはりというか一組所属らしい。ふと思ったんだけど、クラスってABCじゃなくて一二三なのね。多国籍だからアルファベットよりも数字の方がよかったのだろうか。
ああ、ちなみに俺が復学(予定)するまでは教職員とか一部を除いて面会禁止になった。無用な混乱を避け、回復に専念させるためだとか。聞いて納得したが、おかげで現在超絶暇である。時たま山田先生がやってきて話をするぐらいで、それ以外は身体を動かせないため何もできない。充電器がないので携帯を弄る訳にもいかない。
教職員以外に面会可能な人物としては更識さん(姉)がいるのだが、俺の方針が決まって以降なぜか全く来なくなった。暇である以前に、俺についての情報が聞き出せない。山田先生や織斑先生に訊いてもみたが、どちらも「生徒としては真面目な方で、日々の鍛錬を怠る様子はなかった」ぐらいの回答しか得られなかった。まあ、先生に訊けばそれくらいの回答しか得られないものだよね。逆にプライベートとか答えられたら怖いわ。
「ああ、暇だ」
療養三日目。もう暇で暇でしょうがなかった。
◇
簪らIS学園の生徒は、再び日常へと戻りつつあった。戻っているのではなく戻されていると感じる者もいるのだが、それは個人の判断だろう。
ゴーレムⅢ襲撃によるアリーナの半壊と各専用機持ちのISの損傷から、ISを使った訓練は行えてはいないものの、そこは座学に回されることでここ数日は進んでいる。
「はぁ……」
放課後になって真っ直ぐ自分の部屋へと戻った簪が深いため息をついた。
放課後になってすぐ寮に戻る生徒はほとんどいない。部活動だったり、クラスメイトと時間を過ごしたり、他にも自習に自主訓練など、校内でやることは多くある。簪も例外ではなく、ISの整備や訓練などで校内にいることは多く、趣味のアニメは部屋で鑑賞しているとは言え、そのために真っ直ぐ部屋へ行くことはない。最近は放課後になってすぐ行かなければならない場所もあった。
そう、あった。すでに過去の話である。
「颯斗くん……」
ベッドの上で体育座りのようにしてうずくまった簪が譫言のように呟いた。
ゴーレムⅢ襲撃事件以降、意識不明のままでいた颯斗の元に簪は放課後になると真っ先に立ち寄っていた。命に別状はないとは聞かされていたので、今日こそは目覚めているかもしれないという希望を持ちながら。少しでも早く颯斗が目を覚ませるようにと、ネットで調べた祈りを本気で実践したこともあった。
その祈りが届いたのかは不明だが、颯斗の意識が回復した。昨日の朝、SHRでその話を聞いた時には本当に安堵し、同時に今すぐにでも会いに行きたいという思いでいっぱいになった。
しかし、次に担任の口から出たのは、颯斗が復学するまでの間、颯斗との面会を一切禁止にするという話だった。混乱を避け、颯斗を怪我の回復に集中させるためとのことで、織斑先生の指示だと聞かされた。
意識が回復しただけで、怪我までも回復した訳ではないため回復に集中させるべきなのはわかる。また、颯斗が学園内に二人しかいない男子の一人であり、親密でない女子も少なからず医療室もしくはその前に来ていたのは簪も知っているので、混乱を防ぐ処置がとられるのも理解できる。
しかし、その処置が面会禁止と出た。医療室へは一部の教職員を除いて入ることが許されない。並大抵の怪我なら保健室で済まされるため、そういった理由で潜り込むこともできない。
回復に専念させるためや混乱を避けるためなら、面会時間や面会人数の制限など、やりようはあったはずだ。それなのに誰一人会うことをできなくするのはどういうことだろうと簪は思った。
姉なら何か知っているかもと思い、楯無の元を尋ねてもみたが、曖昧にはぐらかされるだけだった。しかし、楯無が目に見えて落ち込んだ様子だったことから、何かがあったのは間違いない。
一体、颯斗に何があったのか。
わからない。とにかく真相を知るためにも、何より会いたいという簪自身の欲求のためにも、颯斗に会いたい。
会いたい。
会いたい……。
「会いたいよ……颯斗くん……」
すすり泣く小さな声が、部屋に溶けていった。