永嶋と理沙は夜の繁華街を歩いていた。廃棄区画にも、繁華街が存在する。路地にばら撒かれたテーブルで、アジア系の男たちが飯を食っている。大陸から来た不法難民や犯罪者たちだろう。臓物と香辛料、野菜の匂いが充満し、鼻腔を衝いてくる。金属の食器が響き合い、空気を弾かせて外国語が飛び交う。〈シビュラ〉が機能する外の社会では有り得ないことばかりだ。
どこかの飲食店からテレビの音声が聞こえてくる。2人の顔写真が新聞やテレビを賑わすのもそう遠くないと気づいている。それでも永嶋は不安を感じていなかった。ここの連中は自分が生きることだけに精一杯で、他人のことなど何ひとつ気にしていない。
「子どもの頃、友だちと浜で遊ぶのが楽しかったなあ」
「友だち?」理沙が訊き返した。
「学校にいただろ、友だちぐらい」
「いないわ。ほとんど行ってなかったから。永ちゃんは?」
永嶋は神戸の市営住宅で、母子家庭の子どもとして育った。同じ市営住宅に、似たような境遇の少年がいた。永嶋は毎日のようにその少年と浜辺で遊んだ。
10歳だった永嶋が初めて犯罪に手を染めたのは、その少年のためだった。一片の罪悪感も無かった。子どもながらに世の中の不条理をすでに思い知らされたこともあったが、それよりも少年の苦境を助けたい気持ちに突き動かされていた。
秋のある日、永嶋は少年と一緒に、自宅の隣の部屋に侵入した。ベランダに面した窓ガラスを金槌で割って中に入り、食器棚の抽斗から財布を盗んだ。少年が食べるに困って現金を必要としたからだ。目撃者がいたため、2人はすぐに補導された。永嶋が保護施設を短期間で出所した頃には、少年とその母親は団地から姿を消していた。
永嶋がその少年に再会したのは、3年前に見た新聞の三面記事だった。女子高生を誘拐した2人組の犯人が、玉川署の制服警官に拳銃で撃たれて死亡したという内容だった。誘拐犯2名の顔写真が掲載されていた。1枚の写真に、少年の面影が微かにあった。
「もう金、ないな」
永嶋は当面の心配を口にした。理沙のわずかな所持金が底を尽きそうになり、3日前に犯行に使った鑿を廃棄区画に棲みついているロシア人の故買屋に売ろうとした。鑿は刃と柄に付着した血をすでに洗い流したが、故買屋はその鑿に胡散臭いものを感じたのか、小金で買い叩こうとした。キレた永嶋は故買屋を殴り倒して、店にあったわずかな売上金を奪ってその場を逃げた。その金は今日にも無くなりそうだった。
金のアテを考えていた永嶋はふと、刑務所で出会った詐欺師のことを思い出した。覚醒剤の所持で捕まっていたその男の名前は横河謙。年齢は永嶋とさほど変わらなかった。横河の父親が板橋の実家で塗装業を営んでいたが、息子が入所中に脳梗塞で死亡した。「住む家に困らねえな」と永嶋に住所まで話していた。
永嶋は理沙を連れて廃棄区画を出た。板橋に向かうつもりだった。横河が現在、板橋の実家に住んでいるかどうか分からないが、とにかく行ってみることにした。
次回から新しい部に入ります。