彼方の声   作:伊藤 薫

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 成瀬川は眼を開ける。立て続けに響いた銃声で耳の奥がしびれていた。眼の前に理沙が倒れている。永嶋の姿は無い。部屋の奥の窓が開き、カーテンが風に揺れている。

 窓から外に向かって飛び降りる人影が眼に入った。永嶋が逃げた。そう思った成瀬川はとっさに起き上がり、窓に駆け寄った。路地に立った人影に向かって怒鳴った。

「待て!」

 路地に立っていたのは速水だった。血走った眼を向けてくる。

「何だ!」

「永嶋は?」

「その窓から飛んで逃げたぞ!」

 速水は左右に眼を向けた刹那、左へ路地を走り出した。成瀬川は速水の背中に向かって叫んだ。

「応援は?」

「馬鹿野郎!俺の獲物だ!」

 成瀬川は窓から顔を突き出した。表より幅員のある道が眼の前を通っていた。右手は20メートルほど先で廃車置き場に突き当っている。何台も車が重ねて積み上げられ、その向こうに高い塀が見える。高階から声をかけられ、成瀬川の思考は途切れる。背後では、高階が倒れている理沙の首の傷口を確認していた。

「本省には連絡済みだ。この周辺はまもなく警邏ドローンで封鎖されると思うが、まだ時間はかかる。ここは大丈夫だから、速水さんの後を追え」

 成瀬川は「頼みます」と告げ、窓から路地に下りた。廃車置き場を一瞥し、左を見る。路地は隣接するマンションの先で左へ折れている。確かに逃げるならこの方向だ。速水を追って駆け出そうとして、すぐに脚を止めた。永嶋がいま手に入れたいものは何だ。逃走用の金と理沙ではないのか。まだこの近くにいる。暗がりからこちらの様子をうかがうつもりなら、廃車置き場はうってつけだ。

 廃車置き場の方から物音がした。

 成瀬川は廃車置き場に向かって歩き出した。ドミネーターの銃把を両手で握りしめ、両腕をまっすぐ前方に突き出す。銃把の冷たい感触が脳にまで伝わった。

 廃車置き場に足を踏み入る。暗い。遠くの水銀灯の灯りが辛うじて届いている。

 不意に、黒い人影が正面に現れる。永嶋だ。すでに拳銃をこちらに向けていた。その距離およそ8メートル。

 成瀬川は上体を屈め、近くの廃車の山の陰に飛び込んだ。銃声の代わりに、カチンと金属音が響いた。その音が1回、2回と続いた。銃弾は発射されていない。永嶋の銃に何か起きたようだ。

 廃車の陰から、成瀬川は身を乗り出す。ドミネーターを構えたが、永嶋の姿はすでに無かった。成瀬川はゆっくりと歩み出す。暗がりに目を凝らす。広さはあまりない。廃車の山は十余りだが、その山が作り出す死角は多い。

 ガラン。

 成瀬川は物音にドミネーターを向けた。奥だ。一番奥の死角。

 永嶋は積み上げられた廃車から眼の前に飛び降りてきた。故障した拳銃をハンマーのように振り下ろし、その一撃が成瀬川の右手首に炸裂した。成瀬川は衝撃でドミネーターを手離してしまった。永嶋はすかさず2発目を振り下ろした。

 成瀬川はその一撃をかわし、永嶋の顔に力任せに右の拳を叩き込んだ。永嶋が悲鳴を上げる。成瀬川は左手で永嶋のジャンパーを掴み、顔に2発目を放とうとした。同時に、永嶋の3発目がこめかみに命中した。刹那、成瀬川は眼が眩んだ。永嶋が左脚で、よろめいた成瀬川に前蹴りを繰り出した。胸元に衝撃を受け、成瀬川は仰向けに地面に倒れた。

「ブッ殺してやる!」

 永嶋が成瀬川の懐を探り、ホルスターから制式拳銃を抜き取った。拳銃を構え、数センチの近さで額を狙う。成瀬川は思わず顔をそむけた。

「クソッ、何でだよ!銃弾が出ないぞ、こんチクショウ!」

 永嶋が怒鳴り散らす。トリガーがカチカチと虚しい音を立てている。ベレッタの銃把に備えつけられた指紋認証システムが作動して永嶋が撃てないことに気づいた。

 成瀬川は飛び起き、握り締めた右の拳でフックを繰り出した。永嶋がその場でダッキングしてフックを避ける。その動きを予想していた成瀬川は銃を持つ永嶋の手首を掴み、そのままねじり上げて地面にうつ伏せに抑え込んだ。上腕部を踏みつけると、永嶋が悲鳴を上げて拳銃を放した。

 成瀬川は銃口を永嶋のこめかみに当てた。

「撃てよ・・・」

 永嶋が低い声で笑った。

「いくら警官のアンタでも、色相が悪くなりゃ矯正施設で一生暮らすことになるぜ」

 もしくは執行官―シビュラシステムの番犬として生きるか。

 成瀬川は冴え冴えとした心奥で覚悟をきめ、トリガーに人差し指をかける。

 突然、永嶋が成瀬川の脇腹を蹴った。成瀬川は痛みに腰を曲げて呻き声を漏らす。成瀬川が手首を離した隙に、永嶋は背を向けて走り出した。成瀬川は拳銃を構え直す。

「待て、永嶋!撃つぞ!」

 その時、成瀬川の眼の前で永嶋の身体が爆発した。

 速水がエリミネーター・モードのドミネーターを躊躇なく発砲したのだ。

 ドミネーターから放たれた集中電磁波が、永嶋の体液を瞬時に沸騰させる。皮膚が水風船のように膨れ上がった次の瞬間、永嶋の上半身が内臓から破裂する。肉片が周囲に飛び散り、半分に折れた脊柱が露出する。血飛沫が成瀬川の顔にかかる。

 速水が駆け寄った。廃車置き場の汚泥にまみれた成瀬川の姿を一瞥して口を開いた。

「だいぶ手こずったようだな」

「いえ・・・」成瀬川は茫然とした口調で答えた。「これが仕事ですから」

 速水が苦笑を浮かべる。

 遠くから救急車と警邏ドローンのサイレンが聞こえてきた。




次回、最終回になります。
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