成瀬川は聖パトリック大学総合病院にいた。検診を受けた後、ふと眼に入った美術室の中をのぞいた。精神病棟で治療を受けている子どもたちが思い思いに絵を描いていた。
白いキャンバスの前に座る女の子は絵の具に指を浸す。赤い絵の具で覆われた指が白いキャンバスに触れ、大きな真紅の円を描いた。そして、円の真ん中に眼ができ、次いでもう一方の眼が完成した。その後、三角形の鼻ができ、最後に口が仕上がった。悲しげに口元を下げた顔だった。
神城が成瀬川の背後から声をかけた。
「アンタの拳銃が無くなったのは、白崎麻美さんのせいだったのね」
成瀬川はうなづいた。
刑事課四係の係長である武藤は「簡単な推理だった」と言った。成瀬川が提出した報告書を読む限り、本人の過失ではない。現場に居合わせた谷野に制式拳銃を盗む理由もなく、対象外となる。残るは被害者のみ。制式拳銃は白崎麻美の病室に置かれた棚の引き出しに隠されていたという。
「どうしてそんなもの、盗んだのかしら?撃てないのはすぐに分かったはずよ」
「本人に聞いても、答えやしないさ」
成瀬川は神城と別れ、公用車で蔵前署に向かった。最近は自分でハンドルを操作するようにしていた。首都高を走りながら、事件の苦い顛末に思いをはせた。
昨日、刑事課四係は村田誠吉を逮捕した。村田の家の床下から遺体が2体、地中に埋められているのが発見された。速水が村田の家を訪れた時に嗅いだ異臭が気になり、武藤に進言したという。遺体には拳銃で頭を撃ち抜かれたような痕跡があり、DNA鑑定の結果待ちだが、理沙の両親だろうという話だった。本件の重要参考人である理沙は首の傷こそ癒えたが、情緒不安定で聴取できない状態になってしまった。
自分はこのまま刑事として警察人生を続けることが出来るだろうか。いつかは怪物と見なされ、社会から隔離されてしまうのではないか。そうした成瀬川の思考は急に断ち切られてしまった。耳に差していた受令機のイヤホンから怒鳴り声が響いたからだった。
《本所三丁目で発砲事件発生!》
成瀬川は無意識に耳を澄ませた。現場が蔵前署に近い。隅田川を挟んですぐそばだ。
警視庁指揮台は十数秒、近隣の警邏ドローンとパトカーに緊急配備の指令を飛ばす。
《本所三丁目×の×!雑居ビル!犯人と見られる若い男が春日通りへ走って逃走した!年齢20歳代。身長170から180センチ。青い野球帽。黒っぽいジャンパー。黒のデイバックのようなものを所持。春日通り方向へ走って逃走した!拳銃所持の模様。全車、近辺を探索して下さい》
成瀬川はアクセルを踏み込んだ。
眼の前をどんよりと天を覆っていた雲が流れ去っていった。
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