彼方の声   作:伊藤 薫

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 地下鉄駅に向かう途中、成瀬川は携帯端末が震えていることに気付いた。電話の相手は今朝、署の受付にいた老人だった。成瀬川が電話に出ると、呂律の回らない口調で孫娘が連れ去られたと言う。

《ワシはな、警察に何回も行ったんや。行った日にはカレンダーに印をつけてある。今日入れて32回だ》

「お孫さんは、何日前から帰ってないんですか?」

《2週間ぐらい、前かのぉ》

「どちらにお勤めですか?」

《今すぐ、ワシの家に来い。来るまで、電話を掛け続けるぞ》

 成瀬川は住所と名前を確認した。村田誠吉、住所は台東区三筋×‐×‐×。携帯端末で現在地から老人の家までの距離を調べる。歩いて7、8分の距離だった。

 車がすれ違うのも難しいほど狭い道に、自転車や植木鉢などが軒先に置かれている。もたれ合うようにして、家々が建っている一角に入った。成瀬川は老人の苗字である「村田」という表札を頼りに、家の玄関を探した。

 村田の家は二階屋の一戸建てだった。築五十年は経っていそうな外観で薄暗くてはっきり見えないが、外壁にひびが走っているようだ。

「遅いんじゃ」

 村田が三和土で待ち構えていた。玄関はドアが開いており、路地に明かりが漏れている。垢じみた古着を着て、まだ酔っているように見えた。だが意識はしっかりしている。

「どうかしましたか?」

 成瀬川は近寄った。村田の顔に苦悶の色が見える。今朝と比べて、老いた感じがする。家の中に入る。間仕切りの襖が倒され、居間の中は家財道具が散乱している。

「お孫さんの名前と年齢は?」

 名前はリサ。歳は23。村田はそう答えた。

「リサさんは連れ去られたとおっしゃいましたが?」

「永嶋がさらってったんじゃ」村田は語気を強めた。「あのクソガキ」

「リサさんの部屋はどこです?」

 村田は黙って階段を指し、居間の真ん中に座り込んだ。

 成瀬川は2階に上がり、無意識に手袋をはめた。リサと永嶋の痕跡を見つけるためだ。

 女性の部屋としては、殺風景な室内に思われた。洋服タンスを開けた。統一感のない色柄の洋服が数枚ぶら下がっている。小さな鏡台は化粧品が並んだままだ。

 押し入れの中を調べる。革製のバックが1つ。バッグの中身を広げると、リサの名刺を見つけた。源氏名と浅草六区にあるクラブの名前が書かれていた。成瀬川はその名刺を手帳に挟んで、スーツの懐に入れた。押し入れの中は他に、汚れたシーツが掛かった布団が1組、小物、古着しか入っていなかった。顔写真はおろか家族写真が1枚もない。

 成瀬川が階下に降りると、居間で村田が座ったまま眠っていた。肩を揺らして村田を起こし、成瀬川は質問した。

「永嶋とリサさんの関係は?」

「リサとは遠縁になる。去年の秋口に来て、否応なしに居ついてしまった。乱暴者で、リサを平気で殴る。45にもなって独り者、定職もないという体たらくでな」

「家に来たのはいつからです?」

「3か月前くらい前かのお。金に困ると、リサをつけ回すようになった。ひどい時は勤めてる店まで押しかけるようになったらしい。リサが寝込んでしまうこともあって・・・ワシも蹴飛ばされた。突かれた跡がまだある」

 村田はシャツの胸元を広げて見せた。痩せた胸のほぼ真ん中が、丸く内出血している。

「そんな状態が続いたから、警察に助けてくれるよう頼んだんじゃ」

「警察で言いましたか?」

「言ったわ。その度に親戚同士のいさかいだから、警察が介入することは出来ない。自分たちで何とかしろと言われた。それで追い出してやったら、怒鳴り込んできた。家の中をこんなした挙句に、リサを連れて行ったんや」

「2人がどこへ行ったか見当がつきますか?」

「知るか。永嶋はワシの靴を履いて、大工だった頃に大事にしてた鑿を持って逃げた。あいつはリサを売る気か、殺す気じゃ。今ごろ、理沙はホトケだ」

 成瀬川は身元確認を含めてあと少し質問した後、調査することを約束した。

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