彼方の声   作:伊藤 薫

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 成瀬川は昼休みに、上野のハローワークに出向いた。

 窓口の担当者は永嶋を覚えていた。長年の勘で、犯罪歴のある者は一目で分かるそうだ。パソコンのマウスをクリックしながら答えた。

「落ち着きがなくて、眼をキョロキョロさせるんです」

 永嶋は殺害された岩本岳夫の清掃会社を紹介されていた。面接を受けた結果、不採用になっている。

 被害者と永嶋の接点が見つかった。

 成瀬川は思わず小躍りしたくなるほど、気分が高揚した。筋読みとしては「永嶋が不採用になったことに立腹して社長を殺害した」というところだろうか。しかし永嶋がつい最近まで、現場に近い村田の家にうろついていたことが気がかりな点ではあった。普通なら犯行直後にどこかへ逃亡するはずだ。なぜ永嶋はすぐ逃亡しなかったのか。

 蔵前署に帰ると、橋爪が刑事課の席に着いていた。

「聞き込みしてきたのか?」

 成瀬川は軽く一礼し、橋爪のデスクに向かった。腋の下が汗ばんでいる。

「話があるのですが」

 切羽詰まった言い方になっていたのか、橋爪は立ち上がった。

「どこか別のところへ行こうか」

橋爪はそう言いながら、空いている取調室に向かった。成瀬川は早足でついて行った。

「刑事が嫌になったと言うんじゃないだろうな」

 パイプ椅子に腰を下ろすなり、橋爪が言った。真面目なのか冗談なのか分からない言い方だった。

「いえ」成瀬川は即座に答えた。「まだ2週間と2日ですから、自分が意見を述べるのはおこまがしいと分かってます」

「早く言え」

 成瀬川は村田の証言を、要旨をかいつまんで話した。

「永嶋の足取りは分かるか?」

 眼鏡の奥で橋爪の眼が鷹のように光っている。成瀬川は危惧していたことを言った。

「3月13日の夜から、永嶋が付け回してた吉崎理沙は村田宅に帰っていないそうです。永嶋は理沙を連れて逃走した模様です」

「2人の写真は?」

「永嶋については、逮捕時の写真があります」成瀬川は言った。

 成瀬川はコピーした顔写真を出した。2枚目の顔立ちだが、首は太く、肩の線もがっしりしている。口許はすねたように歪み、表情はあいまいだ。

「吉崎理沙の写真は見当たりませんでした」

 橋爪は「よく調べたな」と労ってくれたが、「あともう一歩だ」と立ち上がった。

 その後、成瀬川と橋爪は吉崎理沙の勤め先である浅草六区のクラブに行った。クラブのオーナーから理沙が客と写った写真を貰う。年齢の割に幼い顔立ちをしている。また、理沙が13日の夜から無断欠勤していることを確認した。

 橋爪はその日の夜、署長に公安局刑事課の応援を要請した。


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