COLORLESS   作:AASC-LEVEL:0

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 二十二時三十分。

 

 遠藤アラトは、妹のユカに説教をしていた。料理を作っている間に、気付いたら材料が消え失せてしまっていた。

 

 「お前バカなの? つまみ食いってレベルじゃないだろ」

 

 遠藤家には、彼ら二人しかいない。母親は彼が小さいときに他界し、父親は仕事が忙しく滅多に帰ってこない。

 妹が寂しくないように、アラトは幼少期から必死に妹の世話を焼いてきた。結果、とんでもない甘えッ子が出来上がってしまった。

 

 「お兄ちゃんがご飯を作ってるとき何を考えてたか、言ってみなさい」

 

 「ひゃっはー、肉だー」

 

 「野性的だな、おい」

 

 酢豚の豚肉が消え失せたいま、彼らに取れる方針はふたつだ。

 酸っぱい味付けの野菜をおかずに、ご飯を食べる。

 あるいは、買い物に行くには少々遅い時間ではあるが、材料を調達しに行くか。

 

 「ご飯が遅すぎるんだよー」

 

 悪びれずに言ったユカが、テレビのチャンネルを替える。

 

 「うわ、すご。爆発した」

 

 テロップには、『第二埋め立て島群で爆発事故』とだけあった。オレンジ色の炎が画面越しに瞬き、アラトは顔を背けた。

 

 「第二埋め立て島群ってさー、近いようで遠いよねー」

 

 「アホか、近いよ?」

 

 直線距離にして10キロくらいか。自然事故なら気にすることもないが、最近は何かと物騒だ。数年前には、"標本事件"なんて呼ばれる連続殺人事件もあったくらいだ。

 

 「今日は焼きうどんにするか」

 

 アラトは、それを妙案だと思った。豚なし酢豚を有効活用でき、そこまで不自然な料理にもならない。

 

 「二日連続で焼きうどんはヤダ」

 

 不評だった。

 

 「お兄ちゃんご飯買ってきてよー、あと、ついでにアイスも」

 

 「どんな"ついで"だよ、それは」

 

 言いつつ、アラトはハンガーに吊るされていたダウンジャケットを羽織った。

 

 「行くんだ?」

 

 「仕方ないだろ。言っとくけど、普通はお前が買いに行くべきなんだからな」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 「ちょっと甘やかし過ぎたな···って、それでアイスまで買っちゃう僕も僕なんだけど」

 

 アラトは、二十四時間営業のスーパーで、食材と"ついで"のアイスも買っていた。レジ袋を片手に来た道を戻っていると、見慣れた後ろ姿を発見した。

 

 「マリエさんも買い物ですか」

 「あら、アラトくん。そうなのよ、うちも切らしちゃってて」

 

 マリエさんというのは、この辺り一帯の地主が所有するhIEだ。幼い頃から変わらない中年女性の姿に、アラトは特に疑問をもつこともなく"そういうモノ"として付き合ってきた。hIEが普及し始めた頃から稼働しているらしいが、ミームフレーム社の《ヒギンズ》が常時更新するAASCのお陰で、ハードウェアの古さを感じさせない。

 

 「そうなんですね、うちもユカが···あれ?」

 

 アラトが足を止める。突如として視界いっぱいに、色鮮やかな花弁が舞い散ってきたからだ。

 

 「あらあら、綺麗ね···」

 

 マリエさんが──超高度AIが適宜行動を管理している"道具"は、そんな感想を漏らして、ずんずんと舞い散り降り積もる花弁の雨の中を歩いていく。アラトもそれをみて、ビル林の中でいきなり降り出した花の雨に打たれる。

 

 「ん?」

 

 痒みに近いくすぐったさ。アラトがそれを覚えたのは、花びらの付いた手の甲だった。

 

 「···!?」

 

 手にくっついたそれを、何とはなしに見つめていると、『それ』が急に動き出した。花弁に、百足やダンゴムシに似た無数の節足が生え、蠢き、アラトの手を伝い、袖口へと侵入しようとしていた。

 

 「うわぁぁぁぁ!?」

 

 半狂乱で腕を振り、レジ袋を振り回して、群がる花弁を吹き散らす。だが、そうしている間にも、花弁は空から降ってきている。

 

 「マリエさん、この花、なにか変ですよ!」

 

 アラトが視線を向けた先で、女性型hIEが花に集られていた。

 

 「マリエさ──え?」

 

 呼んだ声に反応して、それはゆっくりと振り向いた。人間であれば不可能な動きで、首だけが180°回転する。モーターか関節か、どこかに異常な負荷が掛かっているのだろう。樹脂がみしみしと軋む嫌な音を立てながら、人外の動きでhIEが向かってくる。身体を前に、首だけをこちらに向けて走ってくるその姿は、過去の悪魔払い系ホラー映画を彷彿とさせた。

 

 「マリエさん···?」

 

 ゾンビか、悪魔憑きか、あるいはもっと別なクリーチャーか。何にせよ人間に対して害を為すことがお約束の怪物じみたヴィジュアルのそれ。

 だが、それは紛れもなくアラトの知る、昔から良くしてくれた近所のおばさんの姿をしている。

 

 「···ッ!?」

 

 後退りすると、何かにぶつかった。

 

 車だ。

 

 旧世代の、エンジン音が全くしない車が、その性能通り無音で背後に停まっていた。

 

 「す、すいません。あの···!?」

 

 謝ってから、運転席に座る人の顔を伺う。

 無人だった。無人ではあるのだが、それが『操るものがいない』ということではないと、アラトは直感的に理解する。

 運転席に、無数の花弁で構成された花の塊が鎮座していた。気付いた瞬間に、車が微かに振動する。

 

 「うわっ!?」

 

 運転席に花を載せた車が、アラトをボンネットに押し付けて発車する。咄嗟にボンネットに全身を乗せたアラトを振り落とそうとするかのように、車は加速し──女性型のhIEを撥ね飛ばし、ビルの外壁に突っ込んで停止した。

 衝撃でアラトは天井を転がり、車の後ろへと落下する。バックすれば即座に轢き潰される位置から、アラトは這うようにして退いた。

 

 追撃は、無かった。

 

 「なんなんだ──うっ!?」

 

 いや。()()()()()()()無かった。

 撥ね飛ばされた女性型hIEが、裂けた人工皮膚とその下を這うチューブや導線からオイルを滴らせ、まさにゾンビといった風情になりながら、アラトの首を締め上げた。

 AASCの軛から解き放たれているのか、あり得ない力で、片手だけでアラトの身体を浮かせた。

 

 「あ···け···」

 

 これ程の異常時だというのに、何故か、ドローンの一体も現れない。アラトの色相は、未だにクリアだとでも言うのだろうか。これだけの暴力に晒されても、なお。

 アラトの背後で、ボンネットをひしゃげさせた車が爆発した。ガソリンが溢れていたのか、それとも燃性の高い素材なのか、造花の虫が一斉に炎を上げる。辺りが紅蓮に染まる光景を見るのは、もう二度目だった。夢もカウントするなら、何十では利かない。

 

 「助けて···」

 

 誰もいない、花だけが降り注ぐ、狂った機械が跋扈する路地で、アラトは乾いて痛む喉に鞭打って、焼けた空気を吸い込んで叫んだ。

 

 「誰か、助けて!」

 

 みし、と、叫び声に反応してか、アラトの首を締め上げるhIEの腕に力が籠り、骨が軋む。ギャリギャリギャリ、と、不快な擦過音がして、二台の車が狙い済ますように、路地の両側から挟みこむ形で進んできた。

 エンジンが爆発的に回転数を上げ、正面から車はバックファイアすら吹かしながら、同時に殺到する。

 

 「───ッ!!」

 

 金属の擦れ合う、甲高い音。鈍い衝突音。タイヤの擦過音。解放された喉を全開に、焼けて乾いた空気を貪る荒れた呼吸音。幾つもの不快な音が、無数の花の虫が立てるサワサワという音と共に、夜の路地に満ちる。

 

 「あなたは、助けてと求めました」

 

 その路地には似つかわしくない、涼しげな声が、跪いて肩で息をするアラトの頭上から投げ掛けられた。

 顔を上げると、アイスブルーの瞳と視線が合った。

 

 「わたしは、レイシアです」

 「僕は、遠藤アラト」

 

 土下座にも似た姿勢のまま、アラトは名乗りを受け、返した。ごく普通のことなのに、状況と状態が、異常に過ぎる。

 目の前でアラトに手を差し出した、レイシアと名乗る少女。彼女は化粧っ気がないのに、目鼻立ちと肌の艶だけで目を惹き付ける、凄味のある美貌を備えていた。

 

 「立てますか」

 「···ごめん、ちょっと待って」

 

 右足が鈍痛を放っていた。どのタイミングか思い当たる節が多すぎて推測できないが、どうやら痛めたらしい。

 

 「肩を貸しましょうか」

 「い、いや、大丈夫だって」

 

 初対面の女性にそこまでしてもらうのは、と、アラトは意地の力で立ち上がった。意志の力で、ではない。外れかかった骨が、それでもなんとか所定の位置に返ってきた状態の足首は、少し体重をかけるだけで、それを支えることを放棄する。

 

 「それより、ここから逃げないと。この花に触れると不味い」

 「わたしは──」

 「待って、えっと、レイシア···さん」

 

 アラトが左足だけでなんとかレイシアに近付き、その身体を這い上がり、花冠を作り上げていた花の虫を、彼女の頭から払いのけた。

 

 「逃げよう、この花は危険なんだ」

 「···いえ、遠藤アラト。私には、この状態を打開する力があります」

 

 はぁ? と、そう言いたげな表情になるアラト。辛うじて口に出さなかっただけマシだが。

 

 「ですが、実行にはオーナーによるデバイスロック認可が必要です」

 「なら、オーナーに連絡してくれ···って、hIEにそんな機能あったっけ」

 

 大抵のhIEに、自己の機体だけで通信ができる能力はない。ごく一部の高級機や軍用レベルは知らないが。

 

 「機能的には可能です。ですが、私には現在、オーナーが存在しません。そこで、あなたに要請します」

 「何をすればいい。僕に出来ることなら、なんでも言ってくれ」

 

 そこで、レイシアはちょっと首を傾げた。

 

 「どうして、簡単にわたしを信用できるのですか」

 

 一部のhIEには、サイマティック·スキャンを可能にするセンサーや権限が与えられている。レイシアがそうだとしたら、アラトの色相が明るくなった──つまり、安堵した、心底からレイシアの言葉を信じた──ということが分かるだろう。

 

 「え? あ、いや、なんでだろう。初対面なのに、可笑しいよね。ははは···って、言ってる場合じゃない! 出来ないなら逃げよう」

 「···では、遠藤アラト。貴方に要請します。わたしのオーナーになってください」

 

 


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