COLORLESS 作:AASC-LEVEL:0
「
「わたしにとって、あなたが最初のオーナーに適切であると判断しました」
前にも後ろにも、燃え盛る造花の虫と暴走した車。みしみしと音を立てながら、歪なフォームで歩み寄るゾンビもどきのhIE。この場に彼女が居なければ、アラトは少なくとも3パターンの死因で死んでいただろう。その恩を返すという意味でも、この場から逃れるという即物的な意味でも、首を横に振るという選択肢はない。だが。
「そんなこと簡単に決めちゃ駄目だろ。僕のことも君のことも、お互いに何も知らないのに」
そんな彼女を、保心と保身を理由に利用することが許されるはずがない。
「知らなくても、あなたはわたしを信じると言いました」
炎を背に立つレイシアが、アラトへ一歩近付く。詰められた距離ぶんだけ、彼女の存在しない体温を感じたような気がして、アラトは一歩退がる。
彼女は、アラトを助けてくれた。その彼女が、アラトの助けを必要としている。けれど、それは彼女を自分のものにしていい免罪符ではない。他の方法があるのなら、その方がいいに決まっている。hIEである彼女は、あくまで現状打破の最適解としてアラトを選択した。ならば、アラトはその先を見た最適解を選ぶべきではないのか。
「遠藤アラト、再度要請します。わたしのオーナーになってください。」
だが、そんなものはアラトの頭では考え付かなかった。前にも後ろにも、過去の記憶を掘り起こし抉る炎が舞うこの場では、スペック通りに脳が回っていても答えが出せない計算など、出来るわけがなかった。
「わかった!」
「意思決定であると判断しました。許諾契約事項を確認します。あなたに直接の負担はかかりません。あなたの目的を、わたしが遂行します。あなたに求めることは一つです。わたしは道具で、責任を取ることができません。」
「その責任を取ればいいのか」
「はい」
レイシアの背後から突っ込んできた車が、地面に無造作に立てられていた黒い棺桶に衝突して動きを止める。デバイスの底部が、地面に杭を突き立てて盾になっていた。
「オーナーの生体情報を取得します。わたしが確認を取ったら、二度、了承しますと答えてください」
レイシアがアラトの手を取って、自分の胸元へと誘う。アラトは咄嗟に身体を硬直させたが、レイシアが一歩近寄ることでカバーする。彼女は、アラトの人差し指を自分の首もとに付いたデバイスへと挿入した。鍵穴のような金属パーツは、彼女の身体を覆うボディースーツのデザインとして自然に馴染んでいた。
デバイスがセルリアンブルーに発光し、アラトの手首ほどまでを幾何学模様の
「登録市民遠藤アラトを、
「り、了承する」
答えると、レイシアの髪飾りも似たような輝きを放ち始めた。
「オーナーのライフログを取得開始します。この記録は、手続きに則った法的請求を受けたとき開示され、訴訟を受けたとき裁判所に提示されます。デバイスのロックを解除するにはこれを了承する必要があります」
「了承する!」
勢いを増す炎に急き立てられて、アラトが吼える。
レイシアのスーツの腰部に固定された、四枚の小さな羽を組み合わせたような金属の枷が、レバーを上げるように捻られた。そのパーツと、髪飾り、そして漆黒の棺桶がひときわ大きく輝きを漏らす。
セルリアンブルーの光を浴びながら、レイシアは背を焦がそうとしていた炎から離れるように動く。その一歩で、アラトとの距離がまた縮まる。残り一歩ほど。パーソナルスペースを無視した振る舞いを、彼女をこの場において最適な行動を取る装置たらしめるAIは、どうして選択したのだろうか。
その答えは直ぐに明らかになる。
巨大なデバイスを持って踏み出したレイシアが、ほんの数秒前までいた場所。そこに、燃え上がる炎が産み出した上昇気流に乗って、造花の虫がひと束、落ちてきた。
「現在、我々を攻撃している子ユニット群を無力化するため、光通信を遮断することを提案します。社会的·物理的な損害を出すリスクが最も小さいと判断しました」
何を言っているのか、アラトには全く分からなかった。だが、この場を打開する策であることは察せられた。
「やってくれ」
「光通信をメタマテリアルの三次元
人を殺すかもしれない。それもきっと、無関係な人を。
その葛藤は、炎を潜り抜けて現れた、全身に花を纏わりつかせた奇怪なオブジェ──hIEと車と街灯をくっ付けたと思しき、機械の
「責任を取るのは、僕なんだな」
「わたしには、その能力がありません」
アラトが、アラトが助かるために、アラト以外の人間を殺す。──
所詮は可能性の話であり、アラトの記憶と土地勘が正しければ、この周囲に病院はなかったはずだ。その計算の結果か、目の前の恐怖から逃れるためか、アラトはその分析を放棄して叫んだ。
「わかった、やれ!」
命令の了承を、レイシアは頷いて示す。
彼女が掲げた棺桶が、分厚い外殻を開く。傘が開くのに近い動きで変形したそれは、金属の木が枝を開いたようにも見えた。
それをアラトが見た次の瞬間に、世界は変わっていた。
「消えた···?」
「説明はあとでします。スキャナーが再起動する前に離れましょう」
これだけのものを見て、これだけの体験をして、色相が濁らない訳がない。レイシアはそう判断したのだろう。だが、その懸念は杞憂といえる。
「···驚きました。色相が好転しています。犯罪係数の悪化は見込まれません」
レイシアは本当に驚いたように表情を変え、次いでアラトを安心させるように微笑みかけた。
「ですが、《シビュラ》は自分の目が一時期に潰されたことに気付くでしょう。すぐに公安局がやってきます」
「警察が来るなら話が早い。この惨状を説明しなきゃ」
アラトが言うと、レイシアはその微笑を困惑混じりのものに変えた。何か不味いことを言ったかと、アラトは慌てる。
「とにかく、一度離れましょう。説明はそのあとでします」
「わ、わかった」