未だに見えぬ朝を乞う 作:明科
ミメイは怒っていた。
何にかは分からない。
楽しい殺し合いを邪魔されたから?
足を撃たれたから?
お腹が空いたから?
分からない。
けれど、クラピカが地に倒れ伏し力なく血を吐く姿を見た瞬間に、それが昔のグレンに重なった。
真昼とミメイとグレン、3人での密会が白昼の元に晒され、柊家の人間に殴られるグレン。
真昼とミメイは何も出来ず、ごめんなさいと謝るしか出来ず、暗い瞳をしたグレンの前から連れ去られた。
ただ、力が欲しいと思った。
グレンが殴られず、真昼が泣かない為の力が。
真昼とグレンと自分が自由に生きていける場所を手にする力が。
そのミメイの欲望を見逃さない鬼宿に喰われかけたのは良い思い出である。
そう、ミメイは力を簡単に手にする手段を目の前にぶら下げられながらも、鬼に自分が喰われて殺されてしまうという恐怖から、その手段を拒絶し鬼の制御を始めたのだ。
最低限の欲望のみを与えて鬼を飼い殺し、その範囲内で得られる力のみを行使していた。
だから、欲望を抑えず鬼を暴走させた真昼には最後まで力及ばなかった。
全てを救いたいという夢物語を本気で叶えようとしたグレンも、その巨大過ぎる欲望故に鬼の力だけで見ればミメイの上をいってしまった。
昔、鬼呪の研究に協力していた時に兄の暮人と話したことがある。
鬼を完全に制御し、その力全てを行使することは可能なのだろうかと。
ミメイはやんわりそれを否定した。
長年鬼と付き合ってきた自分であっても、いくら鎖で縛ろうとも、少し気を抜けば鬼に喰われてしまうから。
しかし暮人は可能だと断言した。いや、してみせると宣言した。
それに対して優柔不断で怖がりな私と違って、暮人兄さんは雷の様な強さを持っているからそんなことを言えるのね、と笑った記憶がある。
ミメイは真昼やグレンの様に鬼を暴走させるという
かといって暮人の様に圧倒的な力で鬼を制御しきるという
優柔不断で怖がりだから、どちらも選べず誰も選べず何も選べない。
だから誰も救えない。
そんな虚しさが、少しずつ安らいでいたのは何故だろう。
最近少し、この世界が楽しいと思えるのは何故だろう。
吸血鬼になって感覚が鋭敏になった訳でもないのに、世界を鮮やかで賑やかに感じるのは何故だろう。
自身の心を映し出す白い世界の中、ミメイは地面を踏みつけて波紋を描き出す。
その波紋の間からゆらゆらと現れるのは忌々しい鬼の姿。
ミメイの心が乱れているこの時を、激しい怒りを感じているこの時を鬼宿が見逃す筈がない。
『ねえ未明、人間はそれを××と呼ぶんだ。』
ジャラジャラと鎖を引き摺る音を引き連れて、鬼宿がミメイの背後から抱きついてくる。
しかし鬼宿が言っていることがよく聞こえない。
こんなに近くにいるのに。
鬼の制御に差し障りが出る鬼からの誘惑には、鎖の効果で自動的に消音されることがある。
実際にそうされたのは初めてに近い気がするのだけれど。
『君がそう思うのはどうして?
世界が色鮮やかに見えるのはどうして?』
分からない。
私には分からない。
いや、分かりたくない。
分かってはいけないのだと警報が鳴り響いている。
けれど、もう限界なのだとなんとなく分かった。
『思い出して。君が忘れてしまったことを。
君は誰が××だった?君は誰に××していた?君は誰を××していた?』
私は、真昼とグレンと、深夜と、シノアと、仲間達と、それから暮人兄さんが大切だった。
皆を守りたかった、皆を救いたかった、皆を助けたかった。
真昼の王子様になりたかった。
グレンのお姫様になりたかった。
深夜が義兄なんてポジションにいるのは嫌だった。
シノアの良いお姉ちゃんでいたかった。
仲間達とゲームして、ご飯食べて、そんなのをもっとしたかった。
暮人兄さんとはもっと話してみたかった。
『ごめんね未明、多分もうそれは叶わないんだ。』
知っている。
真昼は鬼に喰われて死んだ。
グレンもきっと、世界を滅ぼした罪の重さに消えていく。
深夜や仲間達は1度ちゃんと死んでしまったし。
シノアはどうしたって柊家の檻からは逃げきれない。
暮人兄さんはまあ、頑張り続けるんだろう。
そして何より、私は彼等の生きる世界から1人放り出されてしまったから。
『じゃあ未明、君は今どうしたい?正直に言ってごらん?
今言わないと後悔するよ。後からじゃもう遅いんだ。
嫌という程分かっただろう?』
······クラピカを助けたい。
『その為には?』
······力が要る。
『そっかぁ。なら分かるでしょ?』
きゃはははははははっと甲高い声を響かせて、鬼宿はミメイの首筋に舌を這わす。
どこにしようかと品定めしているのだ。
どこから血を啜ろうかと、どこからミメイを喰おうかと思案しているのだ。
『抵抗しないんだね。』
貴方から力を奪ってから抵抗してあげる。
貴方に喰われたとしても、鬼に喰われたとしても、一度に全てをくれてやるつもりなんか更々ない。
真昼やグレンの様に鬼の力を最大限に行使して、暮人兄さんの様に制御下に置いてみせる。きっと。
せめてそう意気込んでおきたい。
『あはは、出来るのかなぁ。
でも未明、僕はそんな馬鹿な君が大好きだよ。
真昼っていう前例を嫌という程知ってるのに、それでも力を求めた君が。
ま、真昼ほど早く僕に喰われきりはしないだろうけどさ。』
かぷり。
じゅるじゅる。
痛みはあまり無い。
可愛らしくも生々しい音が頭に響くのみ。
真昼に直接吸われたのとは違う。
鬼の吸血行為は宿主である人間の欲望を喰い、心を蝕むものである。
痛みは無い。
ただ、自分が遠くなる。
一瞬で視界が真っ暗に染まっていき、変な浮遊感に襲われる。
昼から夜へ。
二度とあけない夜へと世界がくるんと回転する。
今の今まで必死に拒んでいたというのに呆気ないものだ。
自分の中に鬼を自覚して十数年。
喰われかけても、暴走させかけても、鎖で押さえつけてきた。
それはこれからも変わらない。
変わらないけれど、1度開けてしまったパンドラの箱を再び閉じることは出来ない。
いくら鎖で鬼を縛ろうとも、じわりじわりと心を侵食されて、きっといつかは私という存在は消えゆくのだろう。
鬼と混ざり合い鬼となった私は、私なんだろうか。
それは私なんだろうか。
ああ、ああ、私が消えていく。
白は黒に犯されて、殺されていく。
ああ、でも。
鬼宿が深く穿っていた牙を抜き取る。
今や純粋な白さを誇っていた世界はどこにもない。
あるのは黒よりも深い黒のみ。
それが嫌だったのに。
何よりも嫌だったのに。
何が何でも白を保たなければならなかったのに。
でもきっと、今力を求めなければ後でずっと後悔する。
それだけは分かるのだ。
シノアを見捨てないのと同じ様に、クラピカを見捨てられないと前言った。
けれど結局、私はシノアを見捨てたのだ。
あの可愛い妹を柊家から守りきれずに、私は1人あの子の前から消えたのだ。
力が無いばかりに。
柊家に抵抗する力が無いばかりに。
真昼でさえ抗えなかった強大な柊家を、私がどうこう出来たとは思えない。
運命には抗えないと分かりきっていた。
けれども、私はどうもしなかった。
どうもしようとしなかった。
それが今になって、痛みを孕む後悔になっている。
だから私は、今度こそは本当の意味で見捨てたくない。
クラピカを見捨てたくない。
誰の為でもなく、シノアへの償いでもクラピカへの義務でもなく、ただ私は助けたい。
そして私は、どうしてこんなにも貴方を助けたいと望むのか、そんな貴方は私にとって何なのか、知りたいのよクラピカ。
『うわあ熱烈。
ま、クラピカの為なら僕に喰われるくらいだもんね。
ね、これが××だと思うんだけどなぁ。』
鬼宿の言葉にノイズが混じる。
いや混じっていなければならない。
このノイズが消えた時、この感情の名前が分かった時、きっと私は鬼になる。
真昼と同じ道を辿るのみになる。
だから必死に欲望が渦巻く自分自身を押さえつけ、鬼宿を鎖で縛りつける。
殺せ殺せ殺せ殺せ!
全て殺せ!皆殺せ!
犯せ、全てを犯しつくせ!
蹂躙して斬って、侵食して斬って。
壊せ壊せ壊せ壊せ!
目に入ったもの全て、壊してしまえ!
純粋な破壊衝動を、脳髄に甘い痺れ薬を散布したらしい欲望を捻じ曲げて。
表面に出てこようとする鬼を押し込めて。
新しく得た鬼の力を憑依させて、瞬きをする。
何度も何度も。
頭を割る激流の様な欲望は無視して、真っ黒になってしまった心象世界を剥がしていく。
少しずつ現実へと引き戻される慣れきった感覚を覚えながら、力を顕現する為の魔法の言葉を口にする。
「おいで、“鬼宿”。」
その言葉を鍵に、右掌に禍々しい黒を集めた刀が現れる。
そしてそれを空気を薙ぎ払うに横に振る。
たったのその一動作だけで、歪んだ空気をぶつけられた床が割れる。
ひぃと声にならない声が、視線の向こう側にいる男達から聞こえる。
それに対してミメイはニッコリと心から笑い、今度は雷を落とす様に刀を床に突き刺した。
途端刀を中心にパキパキと子気味良い音が発生し、もう一押し刀を押し込めば床に大きな亀裂が入る。
鬼の力は強大だ。
普通の人間の何倍もの力を発揮出来る様になる。
勢いよく床に刀を突き刺しただけでビル1つ程度簡単に壊せそうだ。
そうして人工的に地割れを起こしてやれば、足元に亀裂が入ったことに気付いた男達は這う這うの体でこの部屋から出て行く。
その中でもヤケクソの様に飛びかかってきた何人かを邪魔だと言わんばかりに斬り捨てて。
勢い余って首以外も色々斬り離してしまったらしく、ベチャベチャと嫌な音が床を汚す。
殺せ殺せと叫ぶ欲望に従えば逃げだした男達を追って始末するのが先だがその欲望を抑え、既に崩れ始めている床に転がったままのクラピカの体を小脇に抱える。
痛い所を掴まないようにとの配慮は出来なかった為呻き声が聞こえるが、ひとまず階下へと落ちていく床の残りを蹴ってこの部屋から脱出する。
非常階段を駆け下りていれば、ガラガラガシャンと派手な音がビルの中から聞こえてくる。
元々廃ビルだったのだ。
それ以上壊しても問題あるまい。
投げ捨てた刀と鞘のことをふと思い出したが、今更取りに行く必要もないだろう。
今のミメイの手には、それ以上の名刀であり妖刀である“鬼宿”があるのだから。
階段の途中で腰を抜かしている男を発見した為、刀をひと振りしてその首をはねる。
ゴロンゴロンとその生首が階段を転がり落ちていくのを乗り越えて四段飛ばしで駆け下りる。
偽幻影旅団には、クラピカがされたことを倍にして返してやりたいくらいだ。
酷い破壊衝動もそうしろと訴えかけてくる。
だが今はそんな暇はない。
力加減を色々と間違ったせいか、ミメイが地割れを作った階だけではなくこのビル自体が崩れていっている。
ミメイだけならばビル崩壊に巻き込まれても痛くはあっても痒くはない。
カサブタを作る暇もなく全て治るのだ。
しかしただでさえ満身創痍のクラピカはそうもいかない。
折角助けたというのに、ミメイのせいで死に追いやってはなんの意味も無い。
無事ビルから脱出してそこから少し距離を取れば、まとまって逃げている偽幻影旅団の残党を遠くに見つける。
ミメイの足ならばすぐに追いついて、瞬きの間に彼等の命を奪えるだろう。
たとえその姿が見えなくなったとしても、驚異的な聴力のお陰で即発見は可能だ。
小脇に抱えたままのクラピカの体を、崩壊しているビルから離れた安全な場所に横たえさせる。
どうやら意識は辛うじてあるらしい。
ミメイが覗き込むと、顔を歪めながらも薄く笑った。
その笑みが何の笑みかは分からない。
どうして彼が笑ったのかも分からない。
それでもその笑顔を見て、何故か鼻の奥がつんとする。
と同時に、目の前で横たわるこの少年を殺してしまいたいという激しい欲望が湧き上がる。
酷いものだ、鬼のせいで犯された心というのは。
誰彼構わず壊して、殺して、犯して、潰して······そんな風にしてしまいたくなる。
そんな自分が嫌で嫌で、でもその衝動は甘美な誘いで。
迷わず舌で舐め取り味わいたくなる上等な砂糖菓子の様な誘惑なのだ。
「···ミメイ、」
「クラピカ。」
掠れた声で名前を呼ばれたからそれに返して。
その瞬間心を埋め尽くし、頭の中でグルグルと渦巻く欲望に見ないふりをして、右掌に握りしめた刀を更に強く縛るように引っ掴む。
「目が、赤いな。私と同じだ···。」
そう言ってミメイの方に手を伸ばすクラピカの目も赤い。
激しく燃えながらも、今にも絶えてしまいそうな炎。
その消える直前の苛烈さを滲ませた色だ。
世界七大美色として求められ、狩り尽くされるのも分かる儚くも強く、どこまでも美しい輝きだ。
虚空を掴むクラピカの手をミメイの空の左手が受け止める。
掌越しに伝わるクラピカの鼓動は、止まる気配がないと判断出来るくらいに規則正しい。
「私の目、赤くなっちゃったのね。」
恐らく赤くなっているのは、赤い目を持つ鬼宿を身に憑依させているからだろう。
憑依を解けば元の茶色に戻るのだろうが、それでは余計にクルタ族の特徴と似通ることになる。
いっそのこと、クルタ族の生き残りが紫の髪を持つ女だという噂を流してやろうか。
そうすればきっと、クラピカを狙う馬鹿の数もグッと減る筈だ。
ああでもそうする前に取り敢えず、命知らずの馬鹿を始末しなければ。
耳をすませば荒々しい足音が後ろから迫ってきているのが分かる。
1度ミメイから離れたせいか、鬼から離れたせいか、本能的に感じた恐怖がどこかへ行ってしまい、代わりにやらかしてくれたミメイに対する怒りが湧いてきたのだろう。
怯えて逃げ続ける程弱い人間ではなかったらしい。
やはり念を覚えている人間はそれなりに骨がある。
ミメイが追わずとも自分達から来てくれて手間が省けたというものだ。
「クラピカ、私は今から私の為に殺すから。
誰の為でもなく貴方の為でもなく、私は私の為に彼等を殺す。」
彼等を殺しさえすれば、この酷い欲望も少しは収まる筈だ。
そしてそれをクラピカに向ける危険を回避出来る筈だ。
「偽幻影旅団は貴方の仇じゃないもの。
だから私が好きに殺しても良いでしょう?」
「···ああ。」
苦悩を滲ませた色を見せ、前回緋の目を狙うならず者をミメイが始末した後の様に唇を噛みしめる。
ついついそんな彼の左手に軽く爪を立て、薄ら滲み出る赤に欲望が湧き上がる。
「私が殺したいから殺すのよ。
貴方を殺したくないから殺すのよ。
私の意思で奴等を殺す。
だから貴方は何も気に病むことは無い。」
クラピカの左掌に食い込ませた人差し指で、たった今彼の皮膚に付けた傷を優しくなぞる。
彼の目と同じ美しい血の赤が、ミメイの視覚を、嗅覚を、全ての感覚をグラグラと揺らす。
自分は吸血鬼ではない筈だが、彼等が抱くのであろう興奮と同種のそれが腹の底から体全体を痺れさせる。
「うふふふ、あは、あはははは······!」
興奮が嬌声として口から吐き出される。
どうしたら良いのか分からない破壊衝動が体を支配して。
目の前で横たわる無防備なクラピカを今にもぐちゃぐちゃにしてやりたくなる。
しかしそれは駄目だと叫ぶ無けなしの理性に従い、ミメイは彼の手を離して立ち上がる。
「“鬼宿”。」
右手の黒い刀を構え直し、四方八方から飛びかかってくる男達を見据える。
『みんな殺しちゃえ。早く殺しちゃえ。
みんなみんな、ぜんぶぜんぶ、君の好きなようにするんだ。』
甘い声がミメイの全身を纏い、血が燃え上がる様な感覚を覚えた瞬間力が溢れ出す。
呪詛が全身に回っているのだろう。
そして小さく深呼吸して。
さっきまでクラピカの手を握っていた左手で胸を押さえ、1度、2度、3度、呼吸を整えて。
「みんなみんな、ぐちゃぐちゃにしてあげる。」
おもむろに刀を振り下ろし、それにより生まれた風圧のみで宙を飛んでいた矢を払い落とす。
それから勇敢にも素手でミメイに殴りかかってくる男に視線を向けた瞬間、独りでに体が動き刀が男の心臓を貫いていた。
どくん、と生命の音を紡ぐその振動が刀からミメイに届く。
男は既に絶命しているようだが、持ち主とは違って心臓はまだ少し動いている。
その命の音色が心地好く、ついつい男の体を刀で貫いたままその刀を振り回す。
男の巨体で飛び道具や飛びかかる男達を払い除け、砲丸投げの様に遠距離攻撃をしかけている敵目掛けて巨大な死体を吹っ飛ばす。
遠くから悲鳴と蛙が潰れた時の様な可愛らしい音が聞こえた。
「あはは、ほら。ほらほらほら、もう2人死んじゃった!」
情欲を誘うような赤い唇から笑いを漏らしながら、一方的な蹂躙を続ける。
途中再度クラピカを人質にしようとした男もいたが、クラピカに伸ばしたその手を斬り落としてやってから脳天に刀を貫通させた。
クラピカが汚い血を浴びないようにした代わりに、ミメイの白基調のセーラー服は赤に染まる。
すっかり日は沈んでしまった。
ぼんやりちかちか光る街灯の下では、瑞々しく艶々した赤色が目立つ。
血。臓物。血。臓物。
そしてミメイの両の目。
陶器の様にしっとりとした白さを誇るミメイの肌が、余計にそれらの赤を引き立てる。
「あとは貴方だけね。」
ほんの数分の虐殺の後、たった1人残された偽幻影旅団のリーダーの首を掴み上げる。
流石はリーダー、巧妙に逃げ回りながらメンバーに指示を飛ばしていたが、ミメイの前ではただの捕食される側である。
その怯えきった目を、恐怖で筋肉が麻痺した顔を、微笑みを浮かべて見つめるミメイ。
ともすれば愛しいものを見る時の慈愛のこもった表情の様にも見えることだろう。
いや、事実ミメイは今自分に生殺与奪権を握られているこの男が愛しい。
自分の破壊衝動をぶつけられる為に生きていてくれてありがとう。
そんな優しい愛情を抱いている。
「あはは、ばいばい。」
首を掴んでいた手をその上にずらし、頭を鷲掴みにする。
時には意識的にオーラを操作しておくかと思い立ち、頭を掴んでいる手にオーラを集める。
鬼呪で強化された身体能力をオーラで底上げすれば、ストレス解消になるあのプチプチを潰すよりも簡単に男の頭は潰れるだろう。
それこそプチッと。
そしてオーラを集めた手にキュッと力を込め、掌の中がぐちゃっとしたのを存分に味わってから、そのぐちゃぐちゃを地面に叩き捨てる。
頭が潰れたその体を乗り越えて、血と臓物と人間の残骸を踏みつけて、ミメイはクラピカの元へ向かう。
一歩一歩足を進めれば、少しずつ破壊衝動が収まってくる。
これだけ派手にやったのだ、少しは満足出来ただろう。
刀を霧散させ、ほぼ解いていた鬼宿の鎖を再びきつくする。
全身を巡る呪詛が心の中に巻き戻り、すっと体が冷えていく。
「終わったわ。」
すっかり落ち着いたミメイはクラピカの顔を覗き込むが、彼の瞼は閉じている。
安らかではないにしろ呼吸が聞こえることから、いつからかは分からないが気絶してしまったのだろう。
ホラーもスプラッタも真っ青な衝撃映像は、重傷者には酷だったのかもしれない。
ミメイはぐったりした彼の体を易々持ち上げ、血濡れの紫の髪を靡かせながら暗い廃墟を歩きだした。
鼻腔を擽るのは芳醇な血臭。
さわさわと前髪を揺らす風に乗って運ばれてくるのだ。
ミメイがぐちゃぐちゃにした偽幻影旅団のものに混ざる、甘く瑞々しい血の香り。
誰のかは分かっていた。
だが敢えて気付かないふりをする。
「前もこうやって運んだわね。」
腕の中の少年は答えない。
ミメイに横抱きにされ、僅かな振動に呻き声を漏らすものの目は閉じたままである。
「あの時とは色々違うけど。」
クラピカは女の子ではなく男の子だった。
ミメイは人間ではなく化け物だった。
初めから人間ではなかった。
鬼と混ぜられて生まれてきたミメイは純粋な人間ではなかった。
だがそれと同様鬼でもなかった。
化け物にもなりきれていなかった。
しかし今日、ミメイは人間をやめた。
鬼にならずとも、確実に人間をやめたのだ。
鬼でも人間でもない化け物。
それにミメイはなったのだ。
犠牲なくして得られる力はない。
そんな簡単で残酷な最低限のルールを、契約を呪詛を呪縛を、ミメイは知っている。
だから仕方がないことなのだ。
誰かの命を救うことを欲し、その為の力を求めたならば、人間くらいやめるのは必要経費未満だろう。
それでも決して、鬼にだけはならないとミメイは心に刻み込む。
鬼に取り憑かれ、乗っ取られようとも完全な鬼にはなるまいと誓うのだった。
だって鬼になったら、