未だに見えぬ朝を乞う   作:明科

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お久しぶりです。






17:柊未明、16歳の破滅(二)

「やっぱり駄目。未明みたいには上手く出来ない。」

薄暗い地下研究室で、実験器具を前にして溜め息をつく少女。

そんな少女を慰める様に紅茶を差し出す、その少女と瓜二つの少女。

 

遠くから見ればどちらがどちらだか分からないのだが、近くから見れば親しい人間ならばなんとなく見分けがつく。

幼い頃はコピーした様にそっくりだった。

しかし今や異なる性格が顔に出る様になり、2人の纏う雰囲気は微妙に違うのだ。

何しろ2人────真昼と未明はもう15歳。

帝の鬼の信者の中でも選りすぐりの実力者達が集められる第一渋谷高校への入学を、次の春に控えているのである。

 

 

 

第二次性徴が目立つ様になった頃、真昼と未明は自分達姉妹の心に棲む鬼の存在を、また自分達が実験体だと認識した。

人間として生き続ける為には、柊家にバレる前に鬼の力を制御する必要があった。

初潮を迎えると同時に、真昼も未明も鬼からの接触が急激に増え、鬼に乗っ取られかけることがあった。

 

未明は元々鬼を鎖で縛る方法を編み出していた為、欲望や感情を殺す術を覚えていた為、我を失うことはあまりなかった。

しかし真昼は違う。

先に色々失い、色々諦めた未明よりも、欲望は熱く感情は豊かである。

しかも未明に相談することなくシノアの鬼を回収し、真昼自身を実験体にして勝手に研究を始めてしまっていた。

孤独な戦いを始めてしまっていた。

 

未明はキレた。

真昼が独りでしたことにキレた。

恐らく真昼に対して初めて怒りを覚えた。

どうして自分に相談しなかったのかと本気で怒った。

実は未明の鬼も回収しようとしていたことも聞いて、更に怒り狂った。

怒り心頭の未明は、真昼に対しもっと自分を大事にしろとの盛大なブーメランである説教をし、それから押し掛け女房の様にして研究に加わった。

 

真昼は初め未明が研究に加わるのを嫌がっていたが、シノアを守る為にも、自分達が人間として生き続ける為にも、実験体は多い方が良いと思い当たってからは、研究の全てを共有するようになっていった。

柊家にバレないよう細心の注意を払って、2人は実験を繰り返した。

未明の方は感情と欲望を殺しきることによって鬼の暴走を止めたが、真昼の方はそうもいかない。

しかしその真昼は鬼の力を多く引き出すことが出来る。

未明の鬼の力などみそっかすに思える程の。

 

強大な力を得るには犠牲───自分の心を鬼に喰わせるしかない。

力を積極的に得ようとしなくとも、完全に鬼を制御下に置くのは不可能に近い。

どうしても人間は欲望を抱くのだから。

 

 

厳しい実験を繰り返す中、真昼は徐々に壊れていった。

2匹の鬼にぐちゃぐちゃに心を喰われながらも、グレンへの想いを胸に必死に足掻いた。

人間の真昼の時間は少なくなり、鬼の真昼が真昼の体を支配する時が多くなる。

人間なのか鬼なのか、どちらでもない化け物か。

 

こんな体じゃ、グレンには会えない。もう私人間じゃないもの。

と嘆く真昼の背中を何度も未明はさすった。

大丈夫、大丈夫だよ。グレンなら大丈夫。

だから一緒に少し、頑張ってみようと励ました。

そうやって真昼に鬼の制御の術を伝えたのだが、中々上手くいかないらしい。

今日も真昼は悲しげに笑う。

そんな真昼の隣で、未明も哀惜を滲ませて笑う。

 

 

 

「百夜教との会合は?」

未明が淹れた紅茶を啜りながら、机に無造作に置かれた卓上カレンダーを見やる真昼。

「明後日。」

斎藤と名乗る胡散臭い男と情報交換をする約束の日だ。

 

鬼呪を完成させるのに必要な研究資金や知識を得る為に、柊家と敵対する百夜教に柊の情報を2人は売り渡している。

言うまでもなく裏切り行為だ。

当主候補である真昼がそんなことをしているとは誰も思わないだろうが、立派な裏切り者である。

バレればただでは済まない。

しかし柊家と組むことだけは出来なかった。

すぐに妹のシノアが研究に巻き込まれてしまうから。

まだ幼いシノアに、悲惨な人体実験の犠牲にはなって欲しくはなかったから。

 

 

「暮人兄さんとはどう?何か良い話聞けた?」

「ぼちぼちって所。そこまで信頼されてる訳じゃないもの。」

真昼の問いに肩をすくめる。

この前も、事前報告なしで強制的に手合わせをさせられた。

正直死ぬかと思った。

単純な筋力や腕力の類は暮人が少しばかり上である。

鬼の力を引き出さなければ未明が勝つのは難しい。

 

未明が真昼の身代わりになって誘拐された事件の際、偶然誘拐犯の潜伏場所の近くにいた兄暮人が未明を保護しに来たのは3年程前のこと。

酷い凌辱を受けながらも誘拐犯を自力で始末した未明を気に入ったらしい暮人は、その後から時折未明に話しかける様になった。

未明は、暮人が次の当主の座を争う真昼の双子の妹である。

しかも未明は真昼の影となり、隠れる様にして生きていた。

それまで全く関わりが無かったのも当たり前であるし、周りの思惑的にもあまり関わるべきではない者同士である。

 

しかしそんなことお構い無しの暮人は彼なりに未明を妹として可愛がっているらしい。

暮人の従者である三宮葵もそんなことを言っていたが、未明としては勘弁して欲しいというのが正直な気持ちだ。

関わりが深いもう1人の義兄である深夜───義兄と呼ぶことは少ないが───に泣き言を言った所でどうしようもない。

深夜はあくまで養子なのだから。

 

けれど暮人にちょっかいを出されて良かったことも1つだけある。

あまりに暮人が未明に関わるものだから、未明が真昼の影としての役割をまともに果たせなくなったのである。

それに伴い未明の地位が上昇したような気がしなくもなかったが、まあそんなことはどうでも良い。

シノアが誘拐されかけた時に、暮人の威を存分に借りた未明の指示を柊家に仕える人間があっさり聞いてくれたのは良かったけれども。

前だったらそうもいかなかったかもしれない。

真昼という強大過ぎる太陽の影である未明は、外ではそこまでではなくとも柊家の中では微妙な立ち位置だったのだ。

 

 

「それより真昼、本当にやらなきゃいけないの?」

かちゃんと乾いた音を立てるカップ。

陶器越しに感じる紅茶の熱を指でなぞりながら、真昼の方に顔を向ける。

「うん。やらなきゃ駄目。」

いつもの微笑みを浮かべる真昼に直接拒絶された訳でもないのに、心がつきんと痛む。

 

「仕方ないわ。私と未明が過度な接触をしてると後々面倒だもの。

ほら私、柊家に宣戦布告するから。」

「でも、」

私は真昼の敵になんかなりたくない。

そう続けようとした唇をそっと指先で押さえられる。

「未明は私についてこないで。そのまま柊家にいて。

あわよくば暮人兄さんの近くにいて。

それで色々と撹乱して欲しいの。」

「スパイをしろってことでしょう?私そんなに器用じゃないのに。」

「暮人兄さんは未明を気に入ってるわ、きっと大丈夫。」

未明のボヤきを真昼は優しくあしらう。

 

 

世界は滅びる。

来年のクリスマス、世界は滅びる。

百夜教が秘密裏に進めていたという実験「終わりのセラフ」によって。

鬼呪の研究の為に百夜教と技術提携をしている未明達は、その実験にも関わるようになっていた。

「終わりのセラフ」関係のことを担っているのは真昼であるが故に、未明はあまり実験内容を詳しくは知らない。

しかし世界が滅びるというのは本当らしい。定められた運命らしい。

その運命に少しでも抗う為に、鬼呪の実用化を急ぐのだとか。

 

未明は全容を知らない。

真昼が未明を関わらせようとしないからである。

知りたくない訳ではない。

けれどまだ知りたくないという気持ちの方が勝る。

嫌な予感がするのだ。

世界滅亡がかかっているのだから嫌な予感がするのは当たり前なのだろうが、それ以上に本能的な回避行動をとってしまうのだ。

知ってしまったら、全てを知ってしまったら、自分の生きている意味さえ分からなくなりそうな、そんな予感がして仕方ない。

「終わりのセラフ」実験を進める百夜教だけでなく、いやそれよりもっと圧倒的な何か。

その強大な存在の良からぬ思惑が働いているような気がしてならないのだ。

 

その直感が当たらずも遠からずだったと未明が知り、唐突に足場が崩れ落ちてしまったかの様な絶望を味わうのはまだ先である。

 

 

まあそんな残酷な未来はさておき。

これから先、百夜教や柊家率いる帝ノ鬼を巻き込んだ派手な戦争が繰り広げられることだろう。

真昼が百夜教と組んで柊家に反旗を翻すからである。

後々その百夜教さえも裏切るつもりなのだが。

それら全ても、「終わりのセラフ」と関わっているとか何とか。

そしてそれら全ても、何者かの掌の上で転がされているが故に引き起こされる予定調和なのであって。

 

未明は何も分からない。

自分の立ち位置も、未来も、今やよく分からない。

それでも血を分けた片割れである真昼の望むことならば、出来うる限り叶えたいと思っている。

真昼がグレンとずっと一緒にいられる場所を望むなら叶えてやりたい。

真昼とグレンが結ばれる未来を、シノアが人間のまま大人になれる未来を、この穏やかなモラトリアムが続いている未来を。

そんなもの来ないと分かっていても、必死に真昼に手を伸ばしている。

鬼に飲み込まれ、壊れていく彼女の手を離してはいけないと思っている。

 

だから未明は真昼のそばにいる。

真昼の全てを理解出来なくても、全てを教えて貰えなくても、未明は真昼のそばにいる。

それだけが未明に出来ることだから。

 

なのに真昼は、自分と仲違いした振りをするようにと言うのだ。

表向きは決裂したかの様に見せかけて距離を取り、未明は暮人に接近しろと。

勿論今までの様に研究の為にこっそり会うのは続ける。

しかし表立っての接触はやめなければならなくなる。

 

確かにこの先、柊家から離反する真昼は柊家の情報を掴みにくくなる。

だから柊家の情報を真昼に流す信用のおける人間が必要なのだ。

今現在柊家の中で真昼と秘密を共有するのは、シノアを除けば未明のみ。

自然とスパイの役目は未明に回ってくるのだ。

しかしその情報提供者は、決して真昼に与している訳では無いと明らかである人間でなければならない。

よって真昼が柊家から離れる前から、真昼は未明と袂を分かっていたと柊家に示す必要がある。

 

 

「···何重にもスパイをやることになりそうだし、振りでも真昼と仲違いなんて私は嫌。」

「そう言わないで。未明は私以上にポーカーフェイスが得意じゃない。」

未明の頬をツンツンつつく真昼。

「···真昼がそう言うならするしかないけど。でも嫌だわ。

全部欺かなくちゃいけないなんて。」

 

柊家も百夜教も、暮人や深夜やシノアといった関係の深い兄弟も、来年から始まる学校生活で関わるであろうグレンさえも。

自分が何なのか分からなくなりそうだ。

元から鬼に蝕まれたこの体では、ただでさえ自分を失いやすいのに。

 

「でも真昼が言うなら。真昼がそう言うなら、私は貴方に従う。」

座っていた椅子を寄せて、真昼の肩に軽く持たれかかる。

「あらあら、従順過ぎる妹も可愛い。」

「妹は姉に逆らえないの。知ってるでしょ?」

「そうね。」

楽しそうに笑いながら、真昼は未明の頭を撫でる。

 

お互いがお互いに秘めている感情や事実があるのも知っていて、その上で絶対的な信頼関係をこの双子は築いている。

生まれた時からずっと運命共同体なのだ。

ただしそれは、どちらも人間であった場合の話だ。

鬼の真昼の方も未明のことをある程度は想ってくれている様だが、やはり感情が希薄である。

どちらの真昼に対しても未明は深い想いを抱いているのだが。

 

 

「ねえ真昼。」

「なあに未明。」

寒空の下温め合う鳥の番の様に、体を寄せ合う2人。

「真昼はね、どんな姿になったって、たとえ人間をやめたって、グレンと結ばれなくちゃいけないんだよ。」

「うん。」

「だからね、諦めないで。私はずっと真昼のことを想ってる。」

未明の胸に顔をうずめている真昼から、細い啜り泣きが聞こえてくる。

 

「大丈夫、グレンだもの。グレンは強いもの。

強くなって、真昼を迎えにきてくれる。

この世界がこれからどうなったって、その事実は変わらない。」

「うん。」

「私は2人が結ばれて、幸せそうに笑う姿を見たいの。」

「うん。」

「お姫様と王子様は結ばれるのが決まりなんだから。」

でないと、同時に諦めざるを得なかった未明の初恋が報われない。

お姫様にも王子様にもなれなかった未明の思いが報われない。

 

「未明。」

「なあに?」

「なら未明は、最期まで見ていてね。

人間のまま、ちゃんと人間のまま、私を見ていてね。」

薄ら寒い地下実験室で、星空なんか見えない夜の中、真昼は未明の指に自分の指を絡ませる。

こんな穏やかな時間も、もう残り少ないと分かっていたから。

「うん、約束する。真昼がそれを望むなら。」

未明は首を縦に緩く動かし、ひんやりとした真昼の手を握りしめる。

 

 

得体の知れない終わりの足音が、少しずつ近付いてきていると分かっていた。

この優しい時間が、嵐の前の静けさが、ずっと続けば良いのにと未明は切に願う。

そして力が無ければどうしようもなくなる地獄が訪れるにも関わらず、未明はまだ鬼に喰われていなかった(力を得ていなかった)

 

 

 

 

 

──────────

柊家率いる巨大呪術団体帝ノ鬼、その敬虔なる信徒達の中でも選りすぐりのエリート達が通う第一渋谷高校。

一般的には普通の学校と認識されているが、その実態は帝ノ鬼の為の呪術師養成学校だ。

そのとっても素敵な学校の上空はピンク色に染まっている。

入学式日和の青空を覆い尽くすように、沢山の花びらが舞っている。

 

未明はそれを興味無さげに睨み上げて、胸の下まで垂らした髪を自分の指に巻きつける。

くるくるくるくると何回か巻きつけて、またしゅるんと解いて。

そんな意味のない行為を何度も繰り返していれば、ふと目を向けた遠くに見慣れた後ろ姿を発見する。

 

珍しい白い髪に仕立てたばかりの詰め襟の制服。

間違いなく義兄の深夜である。

彼は校門近くに1人で立っていた。

見事な桜並木のうちの1本、その幹に腰掛けている未明が言うことでないが、何をしているのだろうと不思議に思う。

だが首を傾げたすぐ後で、通学路の向こうから歩いてくる人物が視界に入ったことで未明は合点がいった。

 

 

可愛らしいくせっ毛の黒髪は昔と変わっていない。

ツンと澄ました顔と少しの冷たさを孕む瞳は、思春期男子特有の成長の印なのだろうか。

何にせよ10年前、未明の初恋を二重の意味でぶちこわしてくれた一瀬グレン君がそこにいた。

今でも瞼の裏側でキラキラと輝いて見える幼き日の彼を、そのまま大きくさせたような姿でそこにいた。

 

真昼真昼、グレンだよ。ほらグレンだよ。

可愛いグレンがそこにいるよ。

最近は表立って接触することがゼロに等しい真昼に対し、心の中で話しかける。

相変わらず可愛いなぁ。

あらあら、一丁前に女の子2人も連れちゃって。

グレンも立派な男の子だね、真昼。

 

なんてことをイマジナリー真昼に愚痴っていれば、グレンが深夜の呪符によって吹っ飛んでいた。

簡単に避けれた癖にわざと避けなかったのだろう。

深夜もそんなこと見抜いていたに違いない、薄い笑みを浮かべたまま踵を返し校舎に入っていく。

今のはちょっとした小手調べに過ぎない。

深夜はグレンに対し色々思う所があるらしい為、これから先もグレンにちょっかいをかけることだろう。

 

それはさておき。

グレンを含む生徒達はみんな校舎に吸い込まれてしまい、人気のない桜並木に未明は1人残された。

これからホームルームで長ったらしい入学式の説明、その後は面倒臭い入学式がある。

腐っても柊様の未明は有象無象共に媚びられることだろう。

真昼と未明が絶縁状態にあるというガセネタを信じている彼等は、真昼が入学式の代表挨拶をすることもあり、より一層腫れ物に触るように未明に媚びるに違いない。

 

ああ、鬱陶しい。

何も知らないくせに未明のご機嫌取りの為に真昼の悪口まがいのことを言う奴も、馬鹿の一つ覚えの様に真昼を崇拝する奴も、みんなみんな黙れば良い。

その汚い口で真昼の名を呼ぶな、真昼のことを語るな。

その汚い目で真昼の姿を見るな。

その汚い耳で真昼の声を聞くな。

真昼が穢れる。

真昼が誰より可愛いくて美しいのは私がよく知っている。

 

ぶっちゃけてしまえば、未明は強烈な真昼至上主義(シスコン)である。

それなのに人目があるこの状況下───敵味方入り交じる学園生活───では、その迸る衝動のままに行動出来ないのが早くも酷いストレスになっている。

察しの良いグレンにも、真昼と未明の仲の悪さを演技だとバレる訳にはいかない。

ストレスは蓄積されるばかりだ。

 

だから未明は、入学初日を丸々サボることにした。

柊様の1人である未明は、教師に怒られるということもない。

真新しいセーラー服を身につけ、高校の敷地内に足を踏み入れていながらも、心置きなくサボることにした。

 

 

ちなみにその晩、百夜教の木島真と名乗ることもある得体の知れない斎藤という協力者(未満)に、

『貴方達の言った通り一瀬グレンは強いですねぇ』

という一言だけの悪戯電話の様な嫌がらせをされて、未明のストレスは高層ビルレベルにまで積み上がった。

 

 

 

入学式の次の日からは未明もちゃんと登校した。

グレンと深夜、兄暮人の従者である三宮葵、なんとなく顔は知っている十条と五士の子女。

ここまで固まったクラスで良いものかと思いながら、1年九組のドアの敷居を跨ぐ。

未明が教室に入った瞬間、学校らしく賑わっていたのが水を打った様に静かになる。

失礼にならないようにと配慮しながらも、チラチラ向けてくる媚びた視線が鬱陶しくて仕方ない。

 

「おはよう、未明。」

ヒラヒラと手を振る深夜。

その隣には窓の向こうをぼうっと見ているグレン。

どうやらそのグレンの前が未明の席らしい。

親切なことに深夜が示してくれている。

「おはよう、深夜。」

そう返しながらストンと椅子に座り、そのまま体を後ろに反転させてグレンの机に頬杖をつく。

昨日は遠目からだったが、近くで見るとより楽しい。

ニコニコ笑ってグレンの観察をしていれば、かしこまった声と態度で

「···どうか致しましたか未明様。」

そうグレンは未明に尋ねたのだった。

 

「あは、10年振りの再会がそれ?」

「他に言える言葉を持っておりませんので。」

グレンは相変わらず無表情である。

この馬鹿みたいな環境で頑張って居るんだなぁと未明はくすくす笑いを漏らす。

「私になら別に良いけどね。

真昼に対してはもう少し考えてあげて。」

「······申し訳ありません。お気に障られましたでしょうか。」

「ううん、お気に召しました。何にせよグレンは可愛いもの。」

そろそろクラス中からの視線が痛い。

特に深夜の笑顔の胡散臭さが増している。

だから嫌なのだ。

このふざけた世界が。

 

 

未明の思っていた通り柊様である深夜と未明に対する媚は激しく、それとは対照的にグレンへの仕打ちは目に余る。

しかし全ての教科で負け続け、暴行に抵抗はせず、無表情かヘラヘラ笑うだけの“一瀬のクズ”を見事に演じているグレンの邪魔をする気はない。

未明1人がグレンを庇った所でどうしようもないし、能ある鷹は爪を隠すという言葉もあることだ。

グレンにちょっかいを出す深夜や十条や五士の声を遠くに聞きながら、未明はやけに興奮して騒ぎ立てる鬼宿の拘束に勤しんでいた。

 

 

父たる柊天利がどこぞの女に産ませた異母兄弟の柊征志郎が廊下で騒ぐなんて日もあったが、その征志郎に深夜とグレンが暴行を受けていたが、未明は目を向けることさえしなかった。

それよりも約束の日は近い。

実戦トーナメント形式で行われる選抜術式試験2日目、予定通り百夜教はこの学校を襲撃する。

そして真昼は百夜教に連れ去られる演技をすることになっている。

とうとう戦争が始まるのだ。

からからからと、軽い音を立てて運命の歯車は回りだす。

 

ふと、2人の従者に甲斐甲斐しく世話を焼かれるグレンが目に入った。

征志郎に蹴られた頬は赤くなっている。

視線を感じたのか、グレンも未明の方を見る。

周りにはグレンと彼の従者、それと未明以外誰もいない。

深夜も既に去ってしまったらしい。

未明はぱちくりと瞬きをして、それから小首を傾げてにこりと笑った。

一瞬グレンの動きが止まるが、その後すぐ何事も無かったかの様に彼は未明に背を向けた。

 

 

 

そしてその背中を、百夜教の襲撃により煙で覆い尽くされた校庭でも、ただじっと見ていた。

斎藤と接触し、鬼に乗っとられた真昼に抱きしめられ、彼等が去った後に深夜達と話すグレンの背中を、校舎の屋上から未明は見ていた。

それから盗聴の可能性がない携帯電話を2つ取り出し、まず片方の電話帳を開いて“真昼”を選ぶ。

1コールの後、

『ごめんね未明、クリスマスのことグレンに喋っちゃった。』

と陽気な声が電話の向こうから聞こえてくる。

「クリスマスデートの約束はとれた?」

『ふられちゃった。でも良いの。

グレンはきっと、私を欲しがってくれるもの。』

茶化す様に言ってやれば、悲しそうに真昼は返してきた。

「さて、私は予定通りで良いのね?」

『うん。後は暮人兄さんの言う通りになってれば大丈夫。

そうすれば柊家も程々に情報を得られるだろうから。』

「分かったわ。また後でね真昼。」

『ばいばい。』

プツンと通話が切れる。

 

 

使っていた携帯をポケットに忍び込ませた丁度その時、もう片方の電話が鳴り響く。

少し時間を置いた後通話ボタンをポチリと押した。

「はい。」

『愚妹、裏切り者はお前か?』

未明が応答するや否や冷淡な声がスピーカーから飛び出してくる。

「まさか。なんのことですか、暮人兄さん。」

言ってる意味が分からない、という感情を本当らしく全面に押し出しながらくすくす笑う。

 

『この学校のことを、柊の情報を売った裏切り者はお前か?』

「私じゃありません。少なくとも今の私じゃない。」

暮人相手に完全な嘘は通用しない。

真実と嘘を織り交ぜて、それらしく装わなければならない。

「にしてもこの襲撃の全容も分かってないでしょうに、すぐに私に電話してきたのはどうしてですか?

初めから私を疑っていた?」

『お前は真昼の妹だ。理由はそれだけで足りるだろう?』

「あら酷い。私は暮人兄さんについたのに。

私と真昼が随分長いこと会ってないのは、暮人兄さんも知ってるでしょう?」

『どうだかな。

まあいい。今すぐ俺の所に来い。』

いつも通り一方的な命令。

暮人は未明を駒として見ているから当たり前なのだが。

「尋問されるって分かってて行く馬鹿がどこにいるっていうの······切られた。」

 

ツーツーと無機質な音を吐き出す携帯をポケットにしまい、代わりにさっき真昼と通話していた携帯を取り出す。

そしてそれに起爆の呪符を貼り付けて、証拠隠滅の為念入りに粉々にする。

力を使い果たして塵になって散る呪符と、折れたチョークの破片の様になった元携帯。

風に飛ばされきらずに少しだけ床に落ちたそれらの残骸を足で払ってから、未明は暮人がいそうな場所を考える。

 

ここで素直に暮人の元に向かい、尋問を受けて、嫌々という演技をしながら少しばかり情報を吐けば、ひとまず未明は裏切り者ではないと判断されるだろう。

真昼と繋がっていないという証明は出来ないだろうが、そこは暮人もさらりと流すに決まっている。

今後真昼と接触する可能性のある未明を泳がせておきたい筈だ。

ああ、面倒な化かし合いが始まる。

冷酷非情で刀より切れ味の良い暮人相手にどこまで戦えるだろうか。

 

未明は最後にうんと背伸びをし、一陣の風だけを残して屋上から姿を消した。

 

 

 

 

──────────

結論から言えば尋問で済まなかった。

あれは普通に拷問だった。

ビタミン剤を服用するかの様な気安さで、自白剤などを口に突っ込まれるのは想定内だったが、何日にも渡って拘束され続けるのは体にこたえる。

暮人は氷の様な無表情のまま未明を見下ろし、何度も同じ問いを重ねてきた。

薬の耐性が無駄にある為意識を失って逃げることも出来ず、ニコニコ笑いながら同じ言葉を返すしかなかった。

 

1年程前から真昼とは疎遠である。

真昼が何者かと手を組んで何かしていたのは知っていたが、詳しくは知らない。

真昼と袂を分かった理由?痴情のもつれとでも考えて貰って結構。

あああと、鬼呪ってご存知?真昼が研究してたらしいけど。

 

そんな内容を延々繰り返していれば、暮人の側も独自に情報を集めていたのだろう。

ひとまずは未明が黒に近いグレーであるという裏付けが取れたらしく、拷問からは解放された。

正しい情報も幾つか吐いたのが役立ったらしい。

しかし拷問が終わっても未明は自由放免とはいかない。

監視をされながら暮人の駒として使われている。

中々真昼に接触するのは難しい。

だがここまでは想定内だ。予定通りである。

未明はこのまま柊家───暮人の側につき、裏切り者である真昼を始末する為に動くことになる。

と同時に柊家の動向を探り、真昼にそれを伝える。

が、きっとそんなこと暮人には薄々分かっているのだろうし。

 

あくまで未明は誰の味方なのか分からない、何を考えているのかも分からない、そういうトリッキーな存在としているつもりである。

実際は真昼の為に、彼女の幸せな未来の為に、そしてシノアを守る為に動いているのだが。

未明が1番大切なのは、自分とおなじように鬼と混ざって生まれてきた姉と妹である。

それは変わらない。

だがこれは······

 

 

「ちょっと予定外かな。」

なんでこうなるかな、と愚痴る未明の前には見覚えのある面々。

ご立派な生徒会長である暮人に朝っぱらから学校の生徒会室に呼びつけられて、遅刻気味だとは思いながらも悪びれずにドアを開けてみれば、予定外でそこにいたのはグレンとその従者2人、深夜、十条と五士の子女であった。

突然未明が入ってきたことに驚いている様子はあまりない。

まあ世間様は、数年前から未明と真昼が断絶状態であり、未明は後継者争いで暮人側についたと考えられているのだから、それもそうだろう。

 

だが未明としては彼等に会いたくなかった。

他はさておき、特にグレンには会いたくなかった。

暮人の軍門に下った状態でグレンを前にすると、何だか彼に責められているような気分になる。

真昼はどうした、そう言われている気がして仕方ない。

ただの被害妄想に過ぎないのだが。

 

「暮人兄さん、次は私に何をさせたいの?

百夜教の上野の実験場?まさか私にも潜入しろとでも?彼等と一緒に?」

冗談でしょう、とグレン達の後ろから暮人に問う。

「そのまさかだ。

俺からの話はもう済んだ。後はグレン達に聞け。」

ヒラヒラと手を振る暮人には気遣いの欠片もない。

「拒否権を発動したいですねぇ。」

「あるわけないだろう、そんなもの。

お前がいれば作戦成功率が上がる。

少なくともお前が死なせたくない思っている奴は死なないだろうな。」

「あら、別に私は誰が死のうとどうでも良いんですが。」

暮人からの任務を承ったらしい面子をチラリと見、心底興味なさそうに肩をすくめる。

 

「そんな態度が許されると思っているのか?」

「暮人兄さんだって別に気にしない癖に。

使えそうな駒が減った程度にしか思わないでしょう?」

「俺だって残念には思うだろう。そのくらいの心はある。

問題はお前の本当の飼い主の方だろう?」

冷淡な笑みを浮かべる暮人。

その重い圧が部屋全体を押し潰すまでに膨らむが、未明は動じない。

「なんのことですか?」

ただにこやかな笑顔を返す。

そう簡単に尻尾を出してやるものか。

だがここは大人しく従うのが得策だろう。

暮人の視線を振り払う様にして、先に出ていくグレン達の後を未明も追った。

 

 

暮人に提供されたという302会議室にて。

飲み物などを買い揃え、実家への電話をする人間はそれを済ませて、一心地ついた所で、グレン達の目線が未明に突き刺さる。

暫くの重い沈黙の後、口火を切ったのは深夜だった。

「ねえ未明、君も僕達と一緒に任務にあたるってことで良いのかな。」

「そうね。暮人兄さんがそう命じたもの。

そうするしか私に道はないわ。」

会議室の机に半ば腰かけて、未明は素っ気なく返す。

 

「未明ってそんなに暮人兄さんと仲良かったっけ。

君は真昼にべったりだっただろ?」

「いつの話?······ああ、グレンが真昼と付き合ってた頃?

それとも深夜が真昼に一目惚れした頃?

そうね、確かにそのくらいまでなら私は真昼にべったりだった。」

途端視線が厳しくなる。

特にグレンの従者からは殺気が飛ばされる。

わざわざ彼女達の癇に障るように言ったつもりだ。

グレンと深夜の表情があまり動かなかったのは残念だったが。

 

「で、今は暮人の狗か。」

吐き捨てるように、とまではいかないがつまらなそうにグレンが口を開く。

「それを貴方が言うの、グレン?

好きな子1人守れなかった貴方が。そして今だって守れない貴方が。

そんな弱くて弱くて、可愛い貴方が。」

奥に炎が宿るグレンの瞳。

未明と正面から向き合ってはいるが、彼がその向こう側に見ているのは真昼だろう。

真昼だけなのだろう。

それが悲しくて、悔しくて、口惜しくて、それなのにとても嬉しい。

グレンがまだ真昼を想っていると分かるから。

「あは、やっぱりグレンは相変わらず可愛いなぁ。」

「お前は······変わったな。」

感慨も何も感じられない声で、淡々と事実を述べる。

「そう?」

恐らく真昼よりも冷たさを人に与えるのであろう微笑みを貼り付ける。

 

ああ、グレン。ねえ、グレン。

本当はね、昔みたいに話したいんだよ。色々聞きたいんだよ。

好きなものはなぁに?嫌いなものはなぁに?

趣味は?特技は?

好きな女の子のタイプは?

まさか誰かと付き合ったりしてないよね?

真昼のこと好き?大好き?愛してる?

深夜とは友達なの?

従者の子達はもう抱いた?ああでも、そんなことしてたって真昼が知ったら泣いちゃうかな。

 

「ちょっと未明、少しはその喧嘩腰どうにかする気ない?」

「喧嘩腰?どこが?」

深夜がたしなめてくるのを適当にあしらい、未明は優雅に足を組む。

感情を読み取られてはならない。

本心を嗅ぎ取られてはならない。

真昼とシノアと練習した完璧な笑顔を今こそ存分に使わなければ。

本当は今にでも抱きついてしまいたいなんて、昔みたいに接したいなんて、絶対に悟られる訳にはいかない。

けれどそんな未明の自己中心的な葛藤とストレスに巻き込まれて、はけ口にされるグレン達に同情している。少し。

 

「ま、私のことなんてどうでも良いじゃない。

チームとして任務にあたる限りは、私も勝手な行動をする気はないわ。

出来ることなら死者は出したくないもの。

折角暮人兄さんの駒が増えたのに、また減るなんて残念だし。」

全てそちら側に従うわ、と降参した様に手を上げる。

そんな未明の様子を見て、これ以上は時間の無駄だと判断したらしいグレンは任務の内容を話し始めた。

 

百夜教の実験場があるとされる上野動物園。

キメラを研究していると聞いていたが、何か事故でも起きたのだろうか。

それなりに研究に関わっていながらも、事故とされる一連の出来事の大体の内容を知っていながらも、未明は他人事の様に欠伸をした。

 

 

 

───────

上野。

東京の北の玄関口という役割を請け負っているこの場所は、普段ならば多くの人間で賑わっている場所である。

しかし柊家による情報統制並びに操作により一般人は立ち入り禁止状態だ。

「未明は着替えないの?」

十条の娘とグレンの従者たちが木陰で柊家支給の軍服に着替えているらしいが、深夜の問いに対して未明は首を静かに振るのみ。

「私、この制服が好きなの。それにね、帝の鬼の軍服なんて着たくないもの。」

嘘しか吐けないこの口からでも、絞り出せた真実の言葉。

帝の鬼支給の軍服よりも未明が魔改造した制服の方が高機能なのは事実なのだ。

それに真昼も未明と同じ魔改造制服を着続けている筈だ。

だから未明はこの制服を脱がない。

「暮人兄さんに怒られるんじゃない?」

「あは、だからどうしたっていうのよ。」

服装一つで暮人が怒るとは考えにくいし、暮人の怒り程度どうということはない。

建物の一つや二つ破壊しながら殺し合いをすれば済む話だ。

 

「ねえ未明、君は本当に暮人兄さんについたの?」

着替えを終えてグレンと戯れている少女たちをぼんやり観察している未明の顔を覗き込みながらヘラヘラ笑う深夜。

いつも通りの笑顔だ。

真昼の影武者としてだけ生きていた頃の未明と同じ虚ろな笑顔。

その癖して目が笑っていないのは相変わらずだ。

「あら貴方だって暮人兄さんについたんじゃない、真昼の許嫁の深夜義兄さん?」

「ついたも何も、真昼が柊家を裏切ったんだろ?別に僕がどうこうしたわけじゃない。」

「そうね。」

真昼と同じ紫がかった灰色の髪が微かな風で揺れる。

そうして頬に貼りついた髪を払い、小さい笑いを漏らす。

怪訝な顔の深夜に背を向けて、未明ははくりと唇を開く。

「私が大切だと思うものはね、昔から何も変わらないの。

変わっていくのは周りと私自身だけよ。」

「どういう意味?」

「教えない。」

これ以上情報を漏らすわけにはいかない。

だから未明は口を真一文字に引き結ぶ。

 

ザワザワと木の葉が揺れる音だけが妖しく響くこの大都会のど真ん中。

霧でも出ればより一層人気の無い魔都の雰囲気が出るだろうにと、そんなくだらないことを考えながらキャンキャンと馴れ合っている同行者達を見やる。

もう全員の準備が済んだ。

それに対し、やんごとない姫君が箱入りの我が身を哀れむかの様に嘆息した未明は、そういえば真昼は今日この近くにいるのではないかとふと思い出した。

もし真昼と遭遇したならば面倒なことになりそうである。

グレンを前にした真昼は前もっての段取りも計画も、全て吹っ飛ばして欲望のままに動いてしまうのだから。

何重にもスパイをやっている可哀想な妹の未明のことなんて、それこそ忘れてしまうに違いない。

「ほんと、グレンって罪な男よね。」

 

 

 

 

そう、ほんとグレンって罪な男だ。

ほんの少し前───任務開始前にひとりでに呟いていた言葉を、再び脳内で反芻する未明。

彼女は今、硬くて冷たいコンクリート地面の上にだらりと横たわっていた。

視線を少し横に動かせば生気を感じさせない銀髪が見える。

まあ真昼に首をしめられて地面に落ちた時の様子からして死んではいないだろう。

深夜だけではない。

今回の任務の同行者達は皆揃って突然現れた真昼によって気絶させられ、未明と同じ様に地面をベッドにしている。

未明も、真昼との数秒の目配せの後真昼の攻撃をちゃんと食らって気絶させられた振りをした。

真昼が何をしに来たのかは未明には分かりきっていたし、真昼とグレンの逢瀬を邪魔する気は無かった為何の抵抗もせずに弱々しく地面に転がった。

そして今に至る。

 

目の前にはボロボロと涙をこぼす真昼と、仲間を殺そうとした自分を止める為己の腕を斬り落としたグレン。

真昼がグレンに渡した鬼呪により、彼の心は食われたに違いない。

全てを殺し、全てを犯し、全てを殺せと、欲望のままに振舞えと言われたに違いない。

しがらみも常識も全て関係ない。

あるのはただ、力と欲望と快楽のみ。

そんな自分自身に飲み込まれたに違いない。

事実グレンは未明達を殺そうとした。

真昼の誘いに乗って、一線を越えようとした。

だがそうはしなかった。

そんな自分を止めようと、彼は鬼呪を持った腕をもう片方の手の刀で斬り落としたのだった。

 

真昼は泣く。

斬り落とされたグレンの腕を掴んで、それを切断面に押し付けて、ボロボロボロボロ昔の様に泣く。

最近はもうこんな風に人間らしい表情を未明の前でも見せることはないというのに。

やはりグレンは特別なんだと分かりきっていた事実に、未明の指はピクリと動く。

ピクリ。

ピクリ、ピクリ。

不規則に指がはねる。

ひとりでに指がはねる。

 

『ねえ未明、なんだかすっごく、僕とおんなじ匂いがするんだ。

近くからプンプンするよ。あ、また近付いて来た。』

誰かな誰かなー、とわざとらしさたっぷりの嬉色を添えて、鬼宿が囁く。

そのせいか、体が勝手に動くのは。

興奮した鬼宿が未明の支配下から抜け出そうと、一時的に部分的に未明の体の支配権を奪い取ることがある。

まあ微々たるものなのだが、それが気に食わない未明はちっと舌打ちをしたくなる。

しかし今は真昼とグレンの逢瀬を邪魔する訳にはいかない。

静かに気絶した振りを続けながら、鬼宿の力を使いながら辺りの気配を探る。

きっと同族だと手を叩く鬼宿から察するに、どうやらこちらに近付いてくる招かれざる客は吸血鬼らしい。

 

これはまた面倒なことに、といつでも動ける様体を準備したのだが少し遅かったようだ。

真昼が気付き、グレンが気付き、そしてその吸血鬼はいとも簡単に真昼を蹴りそれからグレンを真昼に向かって投げつけた。

2人揃って吹っ飛んでいくのを横目に、未明はゆらりと立ち上がる。

砂埃の中、たった今顕現させた刀をその手に握りしめて未明は1人立ち上がる。

静かに見据え、禍々しい刀の切っ先を向けるのはただ銀髪の吸血鬼のみ。

そんな彼女に気付いたらしい吸血鬼───フェリド・バートリーは僅かに首を傾げる。

「あれ、まだいたんだ。」

「人間にはもう飽きちゃった?」

虚勢を貼り付けて茶化す様に笑う。

 

「うーん、まあ······って言いたい所だけど、君人間じゃないよね。

僕の剣を喰らって生きてるさっきの2人もどうかと思うけど。

まあ、それはどうでも良いかな。

でも君は違う。元々君は僕ら側だろ?」

フェリドが未明を見て機嫌良さそうに、わざとらしく人間の様ににっこり笑う。

「なんのこと?」

「しらばっくれなくても良いよ。

鬼を扱う技術は人間が発展させたみたいだけど、その中でも君は異質だ。

人間の匂いがする癖に、僕らと同じ様な匂いもする。」

「さあ、なんのこと?」

「まあいいや。人間やめたら地下においでよ。

君なら上手くやっていけるだろうし。」

よいしょとキメラの死体を担ぎ上げて、ヒラヒラ未明に手を振りながら背を向ける。

あっさりと背を向けて去っていく。

未明はその背から刀の切っ先を外し、それを空気に融かす様に体の中にしまった。

背後から斬りかかっても勝てる可能性は薄い。

それが分かっているのであろう真昼も動かないのだ。

未明1人が特攻を掛けても無駄死ににしかならないだろう。

 

ヘリの音がする。

未明達が研究施設を荒らしたのが百夜教に知られたらしい。

グレンに今度こそ撤退の指示を仰ごうとそちらを向けば、彼の背後で身を起こすのは深夜。

「あら、いつから目を覚ましていたの?深夜。」

「いやぁ、婚約者が元彼と仲良くしてるのに眠ったり出来ないよ。

未明もそうだろ?」

真昼の問いにヘラヘラした笑いを返しながら、未明の方を見る。

それには答えずグレンと深夜を黙って見てから、真昼に視線を走らせる。

真昼が小さく頷く。

なるほど、演技は続行か。

未明と真昼のことをバラしてはいけないとのお達しだ。

 

心底嫌そうな顔を作り、ため息交じりの声を真昼に向かって吐き捨てる。

「うん最初から起きてたよ、真昼。」

「気絶は演技?」

「貴方とグレンの逢瀬を1番良いところで邪魔してあげようと思って。」

心にも無いことを言ってみれば、楽しそうに笑う真昼。

可愛いなぁ、ああ可愛い。

グレンに恋をする真昼が1番可愛い。

とろけそうになる顔を必死に筋肉でしめつけて、未明は真昼を憎々しげに睨む振りをする。

 

「あら横恋慕?見苦しいわよ、未明。」

「そう見える?」

「うん、見える。」

くすくすくすくす、鏡合わせの様にそっくりな2人の美少女が笑い合うその光景はとても可愛らしい。

世の男子諸君にとっては眼福に違いない。

だがそんなものが通用しない朴念仁が1人。

「ねえ未明、君そんなにグレンのことが好きなの?」

真昼と2人だけの世界を構築しようとしていたのを深夜にぶち壊され、不機嫌さを顔に出しそうになるがまたもや未明は必死に耐える。

「うん好きよ、大好き。」

嘘ではない。

未明はグレンのことが大好きだ。

真昼と同じくらい大好きだ。

けれども真昼のものである彼を奪い取りたいとは露ほどにも思っていない。

 

「なら深夜、貴方はそんなに真昼のことが好き?

真昼を放っておけないくらいに、好きなの?」

「さあ、ねぇ。どうなのかな。

僕はその為だけに育てられた人形だから······グレンは?」

そこで何故グレンに聞くのよと未明は憤慨するが、今この場にいる4人は、間に様々な矢印が行き交う様な関係だったことを思い出す。

複雑怪奇な四角関係。

解けることのない関係の絡み合った糸。

 

「とっくに忘れた女だ。」

そんなグレンの冷たい言葉1つに、真昼は不満そうに口を尖らせる。

「ねえ聞いた、未明?」

「聞いたよ、真昼。」

「ほんと、グレンって可愛いんだから。」

「うんほんと、グレンって罪な男。」

くすくすくすくす。

くすくす。

ガキン。

くすくすくすくす。

ガギリ。

くすくす。

ギリギリギリ。

 

少女達の可愛らしい囁く様な笑い声の合間に響くのは、2本の刀が鍔迫り合う鈍い音。

真昼は鬼呪装備として完成に近い、先程グレンに押し付けた“ノ夜”を。

未明は鬼を無理に刀の形に落としこんだ鬼呪装備としては未完成な“鬼宿”を。

辺りを片っ端から汚染する様な禍々しさを発する2本の刀は、互いに纏った闇を喰い合う様に戦っていた。

その隙を縫う様にして、グレンが真昼の背後に迫る。

一瞬彼に気を取られた真昼の動きが止まり、丁度その時深夜の呪符が真昼の足に絡みつく。

だが真昼は呪符なんて気にせずに、容易く体を宙に舞わせて後ろに下がろうとする。

だがグレンが狙っていたのは初めから真昼ではなかった。

彼は真昼と斬り合っても勝てないことなど分かっていた。

未明を上手く使えば可能性はあったが、真昼と本気で殺り合う気が未明には無いことも見抜いていたのかもしれない。

だからグレンの刀は、真昼が手に持ったままだったキメラの半身を捉えた。

一部分がすっぱりと切断されて、その勢いでひゅんと吹っ飛んでいくキメラの欠片。

 

「ああ、そっちが欲しかったの。」

未明から離れた場所で刀を鞘にしまい、残念そうに笑う真昼。

そんな彼女に演技ではない溜め息を向け、未明も刀を霧散させた。

「姉妹喧嘩はまた今度ね、未明。」

「今度があるの?もう遠慮したいところなんだけど。」

ついつい本心を口にしてしまうが、もう知ったことではない。

真昼と戦うなんてやはり気持ちの良いものではない。

そんな未明とは対照的に真昼は上機嫌なのだが。

「あは、それは駄目。

貴方もそう思わない、グレン?」

「良い気になるなよ。そんなのは今だけだ。

すぐにお前に追いつくぞ。」

真昼をじっと見据えてグレンが言う。

すると真昼は酷く嬉しそうに笑って答える。

「うん、待ってるね。」

それからスキップをする様な軽さで未明達の前から走り去る。

 

「おい未明。」

残されたグレンは霧の中に消えていく真昼の背中から視線を外し、隣にたたずんでいる未明を見つめる。

「なに、グレン。」

正面から彼と目が合ったことに甘い喜びを感じながら、未明はにっこり笑う。

「お前は、変わったか?」

「うーん、変わったのは周りの方。

私は昔からずっと、大好きだもの。」

誰とは言わない。

グレンとも真昼とも言わない。

口には出せないから。

グレンには、未明と真昼の関係が凡そ露見している様な気もするが彼に確信を与える訳にはいかないから。

「···そうか。」

「うん。」

素っ気ない返事を返せば、グレンは自分が斬り飛ばしたキメラの欠片を回収しようと、そちらに足を向けてしまう。

その段々小さくなっていく背中を見つめて、戦闘の余波で抉れてしまったアスファルトを靴の端でつつく。

 

 

口に出せない願いがあるの。

言葉に出来ない願いがあるの。

伝えられない願いがあるの。

 

真昼が望むなら、未明は何だってするつもりだ。

真昼の為なら、未明は何だってするつもりだ。

けれども······やはり、真昼と刀を交えるのだけはどうしても嫌な気持ちになる。

一太刀一太刀、刀身同士をを当てる度に心がざわめいてしまう。

鬼が、ざわめいてしまう。

 

「なんでかなぁ。」

『なんでだろうねぇ。』

1人と1匹は曇天の下で、その向こう側にあるであろう太陽をそっと見上げる。

空は厚い雲に覆われており太陽は見えないはずなのに、何故だか空は酷く眩しかった。

 

 

 

 

 

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