未だに見えぬ朝を乞う   作:明科

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······お久しぶりです|ω・)

ネタバレだらけです。
もうどこが、とかは言いません。
全てが「終わりのセラフ」のネタバレです。
また今回少々BのL的表現がありますが、そこは原作通りなので悪しからず。









19:柊未明、16歳の破滅(四)

明滅するテレビ画面。

ピコピコという間抜けな電子音。

爆弾を持ったひょうきんなキャラクターが2体。

それを画面上で動かす男2人。

グレンのマンションの居間で丑三つ時さえ越えた夜中に、不毛なことをやっているなと、未明はぼんやり思った。

ゲーム外の現実世界で姑息なことをしてまで勝とうとする男2人───グレンと深夜がいるが、彼等の後ろで小さく体育座りをしている未明は別段ゲームに興味は無い。

ゲームの達人である十条美十にも、ズルばかりする深夜にも再三誘われはした。

しかし未明がコントローラーを取ることはない。

ただじっと後ろから見ているだけ。

 

「引き分け?」

だがどうにも勝敗は気になってしまう質である。

騙し合いに騙し合いを重ねた結果相討ちになった2人に小さく尋ねた。

「未明ー、グレンがズルするんだけど、どう思う?」

「別に。」

グレンだけじゃないでしょう、と立ち上がった深夜を睨む。

「次は未明もやってみる?」

「やらない。」

「そう言わずにさ。」

「興味ない。」

キッチンの方へ歩く深夜から視線を外し、肘掛けでスヤスヤ寝ている十条美十の為にグレンがブランケットを持ってきている様を見つめる。

「後ろから突き刺す様な視線感じたんだけど。」

「気の所為。」

「ふーん。未明は何飲む?」

キッチンの向こうから問いが飛んでくる。

それに答えようとした瞬間グレンがブランケットを五士典人に投げつけ、ふんわり埃が舞う。

そのせいかこほりと咳き込む。

するとすぐに大丈夫かと気遣う様な視線がグレンから向けられた。

最近グレンはずっとこうだ。

暮人による鬼呪の開発実験から一時解放され、グレンのマンションに運び込まれ、真昼を殺す宣言をしてからずっとこうだ。

実験の後遺症で未明の体がかつて無いほどに弱り、熱まで出して寝込んだからかもしれないが、それだけが理由ではない気もする。

 

とにかく過保護だ、とても。

真昼の目撃情報を掴めばすぐさま飛び出していくグレン。

だがその時未明を連れて行くことはない。

寝ろ、と手刀を入れてこようとしたし、真昼がこのマンションを訪れた時もお前は出てくるなと無理矢理ベッドに押し込んできた。

 

グレンだけではない。

深夜もお義兄ちゃんに頼りなよ、と笑いながら病人状態の未明にプリンを買ってきてくれた。

やっすいコンビニのプリン。ちなみにスプーンはプラスチック製。

大して美味しくない筈なのに、美味しいでしょとベッド脇に座った深夜に問われれば、ひとりでに首が縦に動いていた。

十条美十や五士典人も、未明様未明様、と甲斐甲斐しく世話を焼く。

まあ彼女達は柊に仕える家柄だからまだ理解出来る。

だが1番不可解なのはグレンの従者達である。

食欲のない未明の為に、少しでも食べやすい様にとお粥やうどんを作ってくれた。

体も拭いてくれたし、氷枕も替えてくれた。

未明は彼女達にとって憎い女の筈なのだが、最近は態度が柔らかくなってきている。

何故かは分からない。

 

 

「ほら、未明は白湯でしょ?」

グレン達が騒いだせいか十条美十が目を覚まし、眠っていた従者達も自室から顔を出していた。

花依小百合の癖のある髪がピョコンとはねているのに気付き、同じ様なふわふわ癖毛を持つシノアのことを思っていれば、深夜が横に座ってきた。

左手に自分のコップを持っている彼が差し出してきたマグカップを受け取る。

ぬるい。だが飲むには丁度良い。

 

「ありがとう。わざわざ沸かしてくれたの?」

「可愛い義妹の為だから。」

「嘘っぽい。」

「嘘じゃないって。」

「うん、知ってる。」

陶器特有の滑らかさに指を這わせ、両手で包み込む様にしてマグカップを口元に運びながら未明は小さく笑った。

「ねえ、未明もゲームやってみない?」

目の前に転がるコントローラーを手に取り、おもむろに未明の方に投げる。

軽々半身で避ければ、呆気なく後ろのソファに墜落するコントローラー。

それに向き直ることもなく未明は淡々と答える。

「やらない。」

「なんで?」

「不毛だから。」

澄まし顔のままフローリングの上で広がっている長い髪を摘んで、くるくると白い指に巻きつける。

不満だったり不安だったりすると髪を指に巻いて遊んでしまうのが未明の癖なのだが、本人の自覚はない。

しかし付き合いの長い深夜はそんな事とうに見抜いていて。

ふうん、と興味無さそうに呟きながらも、ニヤニヤと口角を上げる。

 

「ゲームも訓練だよ。

くだらない時間を過ごせば過ごす程、鬼をコントロールしやすいらしいし。

未明の言う、不毛な事こそがね。」

「そんなことをしなくても私は鬼をコントロール出来る。

今までもこれからも、それは変わらないもの。」

感情を抑え、欲望を殺せば、鬼に喰われてしまうことはない。

欲することもない。

求めることもない。

欲望を抱いたとしても、口にはせずにすぐ捨ててしまえば良いのだから。

 

「ストイックだねー。

だから未明は暮人兄さんに可愛がられるんだろうけど。」

ソファの上に転がるコントローラーを取り、未明に押し付けてくる。

「暮人兄さんはそういうのじゃないわ。

暮人兄さんはただ、私を駒にしてるだけ。

より良い鬼呪を作る為の材料としか思ってない。

······ちょっと深夜、ねえ、」

コントローラーをセーラー服の襟と胸元の間に突っ込もうと躍起になる深夜。

いくら義妹とはいえ、これはセクハラというやつではなかろうか。

肉体的魅力を持つ女性の胸元にこう、札束を詰めていく昔ながらのそういう類のもののようだ。

楽しそうにふざけている深夜の腕を取り敢えず片手で掴んで止め、マグカップを脇に置いてから自由になった両手で彼の体を軽く放り投げる。

その拍子に彼の手からコントローラーが離れ、カランカランと乾いた音をたてて床に落ちた。

そのコントローラーを拾い上げてから、ソファにぐにゃりと身を横たえる深夜を見下ろす。

一応ソファ目掛けて優しく投げてあげたお陰か、あまりダメージは無いらしい。

ケラケラ笑っている。

 

「未明様······凄いです。」

「大丈夫ですか、深夜様。」

大の男を軽々投げ飛ばした未明に称賛の目を向ける十条美十と、あちゃぁという顔をする五士典人。

そんな彼等の方をちらりと見てから、手に持っていたコントローラーと一緒に溜め息も深夜に投げつける。

「ゲームなんかやらないわ。」

「そう言わずに未明もやろうよ。」

未明が投げつけたコントローラーをプラプラ振りつつソファから身を起こす。

「そうですよ、未明様。今なら私が手取り足取り0から100までゲームの手解きを···」

十条美十が寝起きとは思えない勢いで、いきいきと未明に迫ってくる。

その爛々と輝く目から視線を逸らして少し後退しながら、未明は胸を張って宣言する。

「やらないったらやらないの!」

「ムキになってるし。」

「なってない。」

「ほんとはやりたい癖に、ゲーム。」

はい、とコントローラーを手渡され、ついでに粘着テープの様な呪をかけられて。

流石は呪術オタクの深夜の呪だ。

即興で作ったものの筈だが、効果は抜群だ。

コントローラーが掌から剥がれない。

 

「違うから。取り敢えず深夜、これ剥がしてよ。」

「素直に言えば良いのに。」

「素直とかそういうことじゃなくて、」

呪を無理矢理解こうとしていると、十条美十がコントローラーごと未明の手を引っ掴み、そのままテレビ前に連行する。

「大丈夫ですよ未明様。私に任せて下さい!」

「だから私は······ちょ、え、十条美十さん?」

尚も深夜に文句を言おうとしていたのだが、それを途中で邪魔された未明は今までに無いほど強引な十条美十に目を白黒させる。

「美十と呼んで下さい!」

「え···え?」

「美十です。」

「美十。」

十条美十改め美十の剣幕に圧されて、こくりと頷きながら復唱する未明。

未明の周りにはここまで強引な人間───特に女はいなかった。

柊家の人間ということで皆腫れ物扱いだったのだから仕方ない。

ちなみに真昼は強引というより、振り回すタイプである。

美十の様に一緒にやりましょう!とはならず、私はそうするけど貴方は?という様にはいorYESで訊いてくるのが真昼だ。

だから未明は、まるで台風かと思ってしまう勢いで迫ってくるが中身は善意100%の美十の様な人間───特に女への対処が分からない。

男ならば半殺しにしてでも振り切れるのだが、女にはそんな無体なことをしたくない未明なのである。

 

「はい!さぁ、未明様、まずはそのボタンをですね、」

「ええと、これ?」

「そうです。流石です未明様!」

グレン達がゲームをしているのをずっと後ろから見ていたのだから簡単な操作くらいは分かる。

しかし、まだ自分は教えてもいないのに、と未明への純粋な憧れで輝く美十の瞳。

それも悪くないなぁ、と調子に乗りやすい子供らしさを残す未明は少し頬を緩ませる。

「···別に、そんなに、その···」

「流石は未明様です!」

「···あ、りがとう···。」

歯切れが悪いながらも俯きながらも、未明は頬をほんのり赤らめながら感謝の言葉を口にする。

 

 

未明は苦手だ。

不毛な時間が苦手だ。

意味があると同時に効率の良い時間を過ごすべきだという柊家での教育のせいか、未明は無意味で不毛な馬鹿騒ぎも苦手だ。

ゲームなんか、苦手だ。

やったこともなかった。

そもそも遊ぶのは苦手だ。

一緒に遊ぶ人間も、遊びに誘ってくれる人間もいなかった。

そういう友達なんかいなかった。

仲間なんかいなかった。

でもきっと今この時は、美十とゲームをする今は、深夜が茶々を入れる今は、五士典人が歓声を上げる今は、グレンが微妙に役に立たないアドバイスをする今は、花依小百合と雪見時雨がささやかな夜食を運んでくる今は、不毛だけれども楽しい時間だ。

苦手だけれど楽しい、そんな矛盾を抱えた時間だ。

 

こうやって皆で楽しく遊んで、笑って、ゲームをして、もしもそれだけで終われるなら、それだけで良かったのなら、それはとても幸せな物語だと思えるだろう。

そう思えるくらいに既に未明はこの場所に馴染んでいた。

こういうものが友達だとか仲間だとか、今まで知る機会の無かった幸せの形だと分かっていた。

 

強くなりたいなら、力を得たいなら、人間をやめて鬼になるのなら、捨てなければならないものだ。

そして真昼は友達や仲間を知らないままに、それらを得られたかもしれない可能性を切り捨てた。

だから未明もそうしなければならない筈なのに。

真昼と同じ場所にいたいなら、真昼と同じことをしなければならないのに。

それなのに。

何にもなれない弱い未明は、どっちつかずの未明は──────

 

 

 

 

──────────

日付けが変わる。

電子時計が九月二十九日という数字を光らせている。

そうだ、グレンの家に居候し始めて約1ヶ月になるのか。

そんな取り留めのないことを考えながら、未明は花依小百合と風呂に入っていた。

何故お互い天敵とも言うべき間柄の2人が仲良く風呂に入っているのか、それにはマリアナ海溝よりは浅い理由がある。

 

 

今日の人体実験で、未明は左腕が取れたのだった。

柊家お抱えの研究者によって、スパーンと勢いよく切り落とされた。

鬼の力のお陰ですぐに左腕は繋がった。

研究者もその様を観察したかったのだろう。

未明も真昼と一緒に同じ様な人体実験をしていた為、研究者の気持ちは分かる。

しかし何も言わずに切り落とすのはいただけない。

少し左腕に違和感が残ってしまった。

いくら利き腕ではないとはいえ、日常生活に支障があるような無いような···。

そう首を傾げていた時に、今日の実験室が同じだった為未明の腕が落ちる様をばっちり見てしまったらしい花依小百合が、顔を白くしながら手伝いを申し出たのだった。

食事だって風呂だってトイレだって、出来る範囲で手伝います、と。

 

未明は断った。

いくら最近は花依小百合含むグレンの従者達の態度が軟化しているとはいえ、流石に色々気が引ける。

私よりグレンの世話をしたら、と提案すれば顔をリンゴの様に真っ赤にして慌てていた。

一体何を想像したのやら。

まあともかく、そこで1度未明の世話の話は無くなった筈だった。

しかし未明が左手で持ったコップを落としかける様を見ていたせいか、花依小百合は未明の風呂の介助に押しかけたのだ。

そして今に至る。

仲良く風呂に入っている。

どことは言わないが花依小百合はデカい。

真昼と未明もそれなりの筈なのだが、彼女はそれ以上かもしれない。

湯に薄ピンクのメロンが2つ浮いて······

 

やめよう。

未明は首を振って下世話な想像を振り払い、目の前でキョトンと首を傾げる花依小百合に苦笑いを返した。

そして、既に逆上せてきている彼女に湯船から上がる様に勧める。

すると、小さく頷きながらほわぁと上気した体を湯船から引き上げて、風呂場の外へと出て行く。

温まり過ぎてぽわぽわしていた様だったが、先に上がっている雪見時雨がケアしてくれることだろう。

未明は湯が減った寂しい湯船の中で、大きく伸びをして体を湯に沈めていく。

 

「良い子なんだもん、花依も雪見も。」

真昼のものであるグレンのそばにいる女達。

ただそれだけで敵視していたのだが、こうして一緒に過ごしていれば分かる。

あの2人は良い子だ。

グレンの為に、唯一の為に、その命を捧げることを厭わない従者の鏡だ。

あれが本当の献身だ。

尊敬している、本当に。

今や唯一である筈の真昼のそばにいることも出来ない弱い未明なんかと違って、あの2人は立派に初志貫徹だ。

弱くて可愛い人間なのに。

友達とか仲間とか、そんな弱くて甘いものを信じている人間なのに。

 

深夜だって、美十だって、五士だって、友達や仲間という関係で彼女達と結ばれていて、皆揃って弱いのに。

可愛くて弱い人間なのに。

真昼が切り捨てた様な人間なのに。

けれども未明は、彼等の手を振り払えない。

真昼の双子の妹である未明に手を伸ばし、共にいることを許してくれた彼等を、未明という存在を許容してくれた彼等を切り捨てることなんて出来ない。

今更、出来ない。

今更、殺せない。

1度馴れ合ってしまえば、その温かさを捨てることなんて出来やしない。

その馴れ合いの中心にグレンがいるなら尚更だ。

 

「真昼、貴方は今どうしてるの?」

この前はグレンと一緒にマンションから落ちて、元気に心中を図っていたが、彼女の視線と未明の視線が交わることはなかった。

グレンの家に居座っているから嫉妬してしまったのだろうか。

真昼は嫉妬深いから。

それでも別に良いか、と揺らめく水面に両手を差し込んで湯を掬い上げる。

どれだけ懸命に指と指の間を閉じようとも、さらさら流れ落ちていく沢山の湯。

結局両掌に残ったのはほんの少しだけ。

ほんの、少しだけ。

この手に包んでおけるものは、ほんの少しだけ。

この手で守っていけるものは、ほんの少しだけ。

 

真昼は、そのほんの少しだけのものにグレンを選んだ。

残念なことに未明とシノア───姉妹達は落選してしまったらしい。

ある程度思ってはくれているのかもしれないが、やはり1番はグレンなのだ。

真昼は未明やシノアの為に生きてはくれない。

けれど多分、グレンの為なら死ねるのだ。

 

なら私はどうなのか。

水面に映る、情けない苦笑いを浮かべた真昼によく似た顔を覗き込む。

昔笑顔の練習をした様に意識的に口角を上げてみれば、愚かな大人に馬鹿受けした優雅で可憐な笑みが完成する。

それに疲れて一息つけば、また情けない顔に戻ってしまう。

 

真昼のそばにいたいなら、このぬるま湯から出ていかなくてはならない。

弱い人間達が馴れ合う為に結ぶ関係性────仲間や友達なんか捨てなければならない。

でも出来ない。

もう出来ない。

だから未明は決めたのだ。

この手で真昼を殺すと。

 

優しいグレンは真昼と仲間を天秤にかけて、それでも多分選びきれない。

最後まで迷って迷って、どちらも欲しがった末に自分の身を滅ぼすに違いない。

自分を犠牲にするに違いない。

そんなことは許さない。

グレンが死ぬなんて、許さない。

グレンに真昼を殺させるなんて、許さない。

もうこれ以上グレンが苦しむなんて、許さない。

真昼の大好きなグレンが苦しむなんて、許さない。

 

現実的に考えて、未明が真昼を殺せるかどうかは分からない。

未知数だ。

不可能に近いけれども、まだ未知数。

実際にやっていないのだから。

今まで1度も、真昼と喧嘩をしたことはなかったのだから。

 

でも本当に────本当に真昼を殺せるの?

そもそも刀を向けることができるの?

敵意を向けることができるの?

真昼に斬られる覚悟はある癖に、真昼を斬る覚悟は無いんじゃ本末転倒。

だって真昼は、私のたった1人の大切な姉さん。

愛や恋や、そんな陳腐な言葉を超越した想い。

それなのに、真昼を殺せるの?

 

 

······ああ駄目だ、こんなのじゃ。

ばしゃりと水面に波を立てて、愚かで弱そうな自分を掻き消して。

そのまま未明は体を湯船から引き上げた。

 

 

 

着慣れたセーラー服を見につけて居間に出れば、グレン親衛隊の皆様が顔を揃えていた。

何やら真面目で面白い話をしていた様だが、未明が姿を現した瞬間黙り込む。

いつかの様な変な緊張感が漂うものの、そんなことを一々気にする未明ではない。

どうせ真昼の悪口に近い様な話を未明の前でするのを躊躇っているのだろう。

お優しいことだ。馬鹿みたいに。

だから弱いのだ。

 

テーブルの端にもたれ掛かりながら、濡れた髪をタオルでクシャクシャ包んで乾かしているとグレンが未明の名を呼んだ。

それに生返事を返していると、今度は幾分か強い口調で再度名を呼ばれる。

「なぁに、グレン。」

「鬼を拘束している呪詛の鎖、お前は緩められるか?」

「無理よ。

きつくすることはまだ出来ても、緩めることは無理じゃないかしら。

そういう細かいことは暮人兄さんの担当だもの。」

髪の毛にへばりついていた血はちゃんととれていた。

それが嬉しくて、湿り気を帯びて艶々光っている髪に手櫛を入れる。

 

「力が欲しいのね。」

「ああ。」

タオルをグレンの隣の肘掛けにかける。

そしてその肘掛けを少し引いて、ちょこんと腰掛けて。

緩慢に足を組んでからグレンの方に向き直る。

「真昼を殺す為に?」

否定して欲しいと思いながらも、そんな奇跡は最早来ないと分かっていた。

問いを口にした瞬間グレンの喉がこくりと動き、それから残酷な答えが返ってくる。

「···ああ。時間が無い。」

「貴方のお父さんが殺されるから?」

「知っていたのか。」

「まあね。」

僅かに目を見開いて驚いてみせるグレンに苦笑を返す。

暮人から聞いてはいた。

1番真昼を殺せる可能性があるグレンに彼女を殺させる為に、グレンの父を人質にとったと。

愛しい男の為にお前も真昼を殺して良いぞと、そう暮人は笑っていた。

 

「グレン、真昼から何か預かってるものがあるでしょう。

それを見せて。何か分かるかもしれない。」

「やっぱり真昼は君だけには情報を漏らしてた訳だ。

あいつはそういう女だから。」

深夜の言葉に色々と文句を言ってやりたい気持ちはあるが、それを我慢してグレンに視線を向ける。

「お前には、お前達には?」

「私?駄目よ。真昼は多分、肝心な所は私に隠してた。

だから今真昼の所にいないで、ここにいるの。」

「なんで真昼が僕に情報を残すんだよ。」

「お前達だって妹と許嫁だろ。」

未明と深夜が口々に抗議するのに対し、グレンは肩をすくめる。

「あはは、なめんなよ。なら人の許嫁寝取るなよ。」

「こればっかりは深夜に同意。」

だから、と血は繋がっていないが本当の兄妹だと錯覚しそうになるほど揃った動きで、未明と深夜はテーブルを叩く。

「「情報、あるんでしょ?見せてよ。」」

「ぴったり···。」

美十が驚いた顔をしている。

だがそれほど珍しいことではない。

未明と深夜はそれなりに思考回路が似ている。

同族嫌悪を起こしてしまう程で無かったのが幸いだ。

 

 

グレンが黙って席を立つ。

それから自室に姿を消してすぐに戻ってくる。

手には紙束。

あれが真昼からのラブレターらしい。

テーブルに広げられたそれを、まずは深夜が手に取る。

それから未明とグレン以外の全員が回し読みをして、結局意味が分からないという顔で資料をテーブルに戻してしまう。

全てがテーブルに戻ったことを確認した未明は、それらをまとめて手に取りパラパラと捲っていく。

目を通してすぐ、見覚えのある言葉が視界に入り込んでくる。

 

クリスマス。

世界滅亡。

ヨハネの四騎士。

黙示録のラッパ吹き。

ウイルス。

終わりのセラフ。

 

やはり未明があまり関わっていなかった実験のことで間違いない。

真昼が百夜教を利用して進めていた、世界を滅ぼす実験。

そしてたった今グレンは何と言った?

京都の吸血鬼の女王?

真昼は吸血鬼達によって、その女王の元に連れて行かれた?

 

頭が痛い。

ガンガンガンガン、頭の内側から殴られている様だ。

訳が分からなくて、ショートして、想像もつかなくて、そのせいで感じる痛みではない。

何かが分かってしまうそうな、何かが繋がってしまいそうな、嫌な仮説を立ててしまいそうな、そんな予感がして頭が酷く痛む。

 

「未明?」

「どうした、何か分かったか。」

 

深夜とグレンの声さえ遠い。

全員の視線が、資料を握りしめたまま黙りこくる未明に集まっている。

その自覚はあった。

けれど未明はそれに応えてやることは出来ない。

何と言ったら良いのか分からないから。

 

 

『ねえ未明、良いことを教えてあげる。

世界を滅ぼすにはね、鍵が3つ必要なのよ。』

いつだったか忘れてしまった遠い日に、真昼が囁いていた戯言。

 

『沢山の鬼の命と沢山の人間の命、それからね、』

あともう1つは、最後の1つは何だった?

意外なものだった。確か呆れさえ覚えた。

そんなものどうやったら手に入るのかと、そう首を傾げざるを得ない代物だった。

 

さっきグレンは何と言った?

真昼は連れ去られた。

誰に?

吸血鬼に。

どうして?

真昼は吸血鬼の女王に会いに行った。

どうして?

···そう、どうして?

思い出せ思い出せ、思い出せ!

駄目だ思い出すな。

思い出したらきっと···!

 

嫌な予感が未明の思考に夜の帳を下ろそうとしてくれるがもう遅い。

もう止まらない。

1度考え始めてしまったら、必要な情報が揃ってしまったら、それこそ鍵穴に鍵がぴったりはまってドアが開いたかの様に、無駄に優秀な未明の頭は答えを弾き出してしまう。

 

 

『······そう、吸血鬼の貴族の命。

この3つがあれば、終わりのセラフは始まるの。

終わりなのに始まるなんて、変な話よね。』

戯言だったら良かったのに。

本当に、真昼の戯言だったら良かったのに。

けれどこれは全て真昼の計画だ。戯言なんかではない。

真昼が何を思ってこんなことをしているのかは分からない。

それでも真昼が何をしようとしているのかは分かってしまった。

 

資料を持つ手が震える。

かたかたかたかた。

指先から冷えていく。

かたかたかたかた。

全身を寒気が襲う。

かたかたかたかた。

震えが止まらない。

 

いつから?いつから真昼はこんなことを考えていた?

鬼呪装備の開発を始めた頃か、もしかしてそれより前のグレンと別れた頃?

何故?何故真昼はこんなことを考えた?

そんなに許せなかった?

グレンと結ばれないこの世界が憎かった?

 

 

「未明、貸せ。」

揺蕩う思考の海を切り裂く様に、グレンが資料を奪い取る。

「グレン?」

弾き出された仮説のせいでまだ茫然自失状態の未明は、ぼんやりと首を傾げる。

「誰かが来た。」

そう冷静に小声で答えるグレンは、資料をソファの下に隠す。

その様子を全員が見守る中、未明の頭に浮かぶのはこれから先真昼が取るであろう一手。

 

真昼の計画の手助けをしている胡散臭い男───斎藤が来たならば、それは真昼の計画の範囲内。

だがそれ以外なら?

いや駄目だ。

それ以外であったとしても、もう遅い。

真昼の計画は殆ど終わっている。完成している。

あとは仕上げだけ。

今更弱い人間が足掻いたところで手遅れだ。

手遅れなのだ。

 

堂々土足で乗り込んできた暮人がどれだけ理性的に頑張ったとしても、最早手遅れだ。

グレンを暮人を害した柊の裏切り者に仕立て上げて、そうして窮地に陥ったグレンを使って、真昼をおびき出そうとしているがそんなもの意味が無い。

真昼は今は来ない。

だから真昼を今は殺せない。

だからグレンの父親は絶対に死ぬ。

 

「暮人兄さん、やっぱり兄さんも真昼には勝てないよ。」

たった今グレンに斬られた癖に、放つ威圧感は変わらない暮人に押し潰されそうになっている美十と五士を庇うようにして、未明は立ち上がる。

「どうした未明。真昼は人間じゃない。化け物だ。

だから人の痛みが分からない。そんな奴は柊の長にはなれない。」

いくらグレンが手加減したとはいえ、暮人の出血は派手だ。

彼の帝ノ鬼の軍服から血が滴り落ちて、フローリングを赤く染める。

「違うのよ、暮人兄さん。

真昼は当主なんか見てない。真昼の目的はたった1つ。」

「グレンだろう?」

息も絶え絶えだというのに、顔色1つ変えずに会話をする暮人には恐れ入る。

だが彼でも役者不足なのだろう。

真昼の計画を邪魔することなんて出来ない。

ましてや壊すことなんて。

 

「そう、ね。うん、真昼はグレンしか見てない。

でも違う。真昼は、真昼は······」

「話は終わりだ。屋上へ行くぞ。」

未明の目の前から暮人が連れ去られる。

誘拐犯も真っ青な素早さで暮人の襟首を掴んだまま、玄関から飛び出ていったのはグレンだ。

それにリュックを背負った花依小百合と雪見時雨が続き、その後をさっきまで硬直していた筈の美十と五士が駆けていく。

グレンが前を走るから。

だから彼女達は皆、走っていけるのだ。

 

「未明、これ!」

深夜がさっきソファの下に隠した資料を押しつける。

具体的に言えば、前ゲームのコントローラーをねじ込もうとしていた胸元に。

丸められた紙束はぐしゃりと潰れながらも、未明の胸元にすっぽり収まっている。

未明が抗議の声を上げる前に、未明の横を走り過ぎる途中で手を掴んでいく深夜。

その力に引っ張られて未明も走るしかなくなる。

手を振りほどこうにも、きつく結ばれた片手は解けそうにない。

半ば引き摺られながらグレンの家を出て、廊下を転がる様に駆けて。

ヘリポートがある屋上に続く階段に差し掛かった時、深夜は未明の方を振り向かないまま小さく呟いた。

「真昼のことで何か分かったんでしょ。京都までの道中で話してくれるよね。」

だから行くよ、と未明の手を掴む力を強める。

 

深夜も────家族や仲間や友達や、そういう温かなものを知らなかった深夜も、今走っている。

グレンが前を走るから。

だから深夜も走っている。

そしてきっと、未明も同じだ。

真昼の計画の恐ろしさに震えていた足も、凍りついてしまった様に冷たいままだがどうにか動いている。

 

柊の兵士達が散らばる屋上を走り抜けて、先にヘリに飛び乗った深夜に手を引かれて未明も狭い機内に転がり込む。

花依小百合が運転席に座りヘリを動かし始め、途端けたたましいローターの音が屋上を支配する。

そうして少しだけ機体が浮く。

空気を割いて浮かび上がっている。

斜め下を見れば血まみれの暮人とオロオロしている柊の兵士達。

そしてヘリに向かって走ってくるグレン。

「グレン!」

開け放したままのドアの1番近くにいた未明は、思いっきり手を伸ばす。

体が半分以上機体からはみ出てしまっているが気にしない。

深夜が未明の下半身を掴んでくれると信じていたし、事実そうしてくれている。

グレンも手を伸ばす。

2人の手が重なり合って強く繋いだ瞬間ヘリのローター音が一気に大きくなり、グレンの足が屋上から離れる。

ふわり。

機体から伝わる慣れない浮遊感。

ヘリにぷらりとぶら下がった状態のグレンを繋ぎとめている手に大きな負担がかかるが、それをものともせず未明は彼の体を機内に引きずり込む。

 

そしてヘリは飛翔を始める。

向かうは京都。

真昼がいる場所の、少しでも近くへ。

そこを目指して未明達は飛んだ。

 

 

 

─────────

朝5時半。

京都の山中にヘリを無理矢理下ろして、急いで下山すること数時間。

もう少し下ればコンビニくらいありそうなものだが、コンビニには監視カメラがある為入れない。

だから未明達は山の中で用を足すことになった。

男と女で自然に分かれてから、未明達女性陣は顔を見合わせた後散り散りになる。

男の様に横に一直線に並んで用を足すのは少し、いやそれなりに気恥ずかしいものがある。

そのくらいの羞恥心は未明にも残っている。

 

各々すべきことを済ませた後で、また自然に集まり土で汚れた膝やスカートを払いながら男共がいるであろう場所に戻る。

これからのことを話し合いながら歩き出す。

今はとにかくこの場所を離れなければならない。

いくらこの地域一帯が吸血鬼のお膝元で、柊家も手出ししにくい場所とはいえ追手と鉢合わせるのは避けたい。

 

視界が開けて森から農道に出る。

その農道脇に幌付きの軽トラック。

一般市民の人影はなく、柊からの追手の姿もない。

渡りに船、いや渡りに軽トラック。

盗むしかなかった。

1番老け顔の五士が運転席に、京都の地形を頭に叩きこんできた深夜が助手席に。

それ以外は息を殺す様にして荷台に座った。

車が走り出すと、信じられない程の揺れと振動と騒音で体が酷く痛むが、未明は静かに目を閉じる。

眠ろう。

取り敢えず眠って、眠りながら考えよう。

最近やけに静かな鬼宿と1度話し合う必要もありそうだし、今は眠るべきだろう。

 

そうしてグレンと美十が何か言っていると認識したのを最後に、未明の意識は真っ黒に塗り潰された。

 

 

 

 

次に目を開ければ、目の前に広がるのは真っ白な世界。

意識は真っ黒に塗り潰された筈なのだが、未明の心象世界は今日も変わらず真っ白だ。

その中央には見飽きた金髪の幼子。

鎖で雁字搦めになって転がる、その鬼を見下ろして名を呼ぶ。

「タマ。」

『久し振り、未明。』

「そうね。ほんと、久し振り。」

ここ最近────特にグレンの家に居候してからは夢で鬼宿に会ったことはなかった。

起きている時もあまり話しかけてこなかった。

時折変な笑い声が聞こえてくる位で。

 

「真昼のこと、貴方は知ってた?」

さっき紡ぎ上げた仮説。

仮説に過ぎないと信じたいのに、真実であるという確信を持ててしまう自分の冷静さが憎い。

『何のこと?』

「知ってたんじゃないの、貴方は。

真昼の計画のことだって、全部。」

血が出そうなほど拳を握りしめて、既に鉄の味がする唇も噛みしめる。

『どうしてそう思うのさ。酷い言いがかりだなぁ。』

「嘘をつかないで。」

『嘘、ね。僕は君にだけは嘘はつかない。

未明、君が僕のことを疑うならそれは全て真実だ。

僕への疑いは、全て君に返るもの。

結局、未明は僕と同一存在なんだから。

そう、自問自答にしかならないよ。』

「っ、どうして、ならどうして?

言ってくれなかったの?」

知っていたなら何故、と憤りを隠せない。

 

『聞かれなかったから。

それに、僕が未明に言った所で何になるのさ。

未明に何が出来たっていうのさ。

馴れ合ってる弱い人間───仲間を殺して真昼の所に行ける訳でもない。

何よりもまず仲間を優先する為に真昼を殺すっていう覚悟も足りない。

だからって、真昼と仲間どっちも選びきれない愚かな君は、そのどちらともを欲しがろうとはしないよね。

僕の全てを受け入れて、僕に全てを喰われれば、君はどちらも守れるかもしれないのにさ。

君にはそのくらいの力があるんだよ。』

「···。」

反論出来ない。

理路整然と言われて、未明は何も言えない。

 

『欲しいなら欲しいってはっきり言いなよ。

グレンが欲しい、真昼が欲しい、シノアが欲しい、仲間が欲しい、友達が欲しい、家族が欲しい。

皆欲しい、だから守りたいって。

その為の、誰にも負けない力が欲しいって。』

自然と足から力が抜け、未明はぐにゃりと座り込む。

その膝の上に力なく転がる未明の手に、鬼宿が小さな掌を這わせる。

とても優しい手つきだ。縋りたくなる程に。

けれども未明は、ふるふると首を横に動かした。

 

「鬼に、喰われる訳にはいかないの。

真昼はそれを望んでない。

約束なの。最後まで人間のまま見ていてねって、言ってたの。」

『それは真昼の願いでしょ。君の願いは何?』

「鬼に、なりたくない。

でも、力も欲しい。皆を守れる力が欲しい。」

欲しいと言いながらも、心底望みながらも、鬼宿を縛る鎖を強固なものに塗り替えていく。

そうでもしなければ、きっとこの欲望が爆発してしまう。

欲望を殺し、感情を殺し、鬼宿(自分)を殺し、痛みを伴う殺人を重ねて、未明は自分の体をかき抱いた。

 

「真昼とシノア、それとグレンさえいれば私、大丈夫だと思ってた。

でも駄目だった。

仲間を知ってしまったの。友達を知ってしまったの。

ねぇ知ってた?友達ってね、一緒にゲームをして遊ぶのよ。

私は知らなかった。知る機会も無かった。

無くて良かった。必要なかった。

今だって後悔してる。知らなければ良かったって。

でも不思議よね、知りたかったのよ、私。

友達との馬鹿騒ぎってものを知りたかったの。

普通の女の子みたいに生きてみたかったのよ。」

 

痛い。体が痛い。

痛い。心が痛い。

痛い。感情が痛い。

痛い。愛が痛い。

痛い。全てが痛い。

それでも1つ2つと鎖を増やして、鬼宿の華奢な体には似つかわしくない装飾として巻き付けていく。

 

『···馬鹿だね、未明は。

君は何も悪くない。

真昼も悪くない。

悪いのは僕なのかもしれないけど、でも1番悪いのはこの世界だ。』

顔をぐちゃぐちゃに歪めながらも、感情吐露の1番の手段である涙は流すまいと努める未明の膝を優しく撫でる鬼宿。

肘まで鎖で雁字搦めになっているせいで覚束無い手つきだが、幼子の頭を撫でるように優しく撫でる。

 

「貴方もそう思う?

真昼みたいに、世界を滅ぼしてしまおうって思う?」

 

真昼から少しだけ聞いていたこと、グレンに見せてもらった資料、現在の状況。

それらから未明が構築した仮説は、“真昼による終わりのセラフを使った世界滅亡計画”。

断片的な情報をバラバラなパズルを組み合わせる様にして繋ぎ合わせれば、1枚の絵という名の仮説が出来上がってしまった。

 

今年のクリスマスに世界が滅びるとは聞いていた。

何故かは知らない。

だがどこか漠然的で、比喩的なものだと思っていた。

だが違った。

元々は百夜教が躍起になっていた研究に真昼が介入し、百夜教を利用する様にして“終わりのセラフ”計画は進められていたのだ。

そしてその“終わりのセラフ”こそが世界を滅ぼすトリガーであり、“終わりのセラフ”を発動する為に必要なものが沢山の人間の命、沢山の鬼の命、そして吸血鬼の貴族の命。

世界を滅ぼす為の代償にするにはうってつけの禍々しさを誇るラインナップである。

 

人間と鬼の命は、鬼呪開発中にいくらでも得ることは可能だ。

しかし吸血鬼の貴族の命は?

そもそも吸血鬼の情報はあまり明らかにされていない。

吸血鬼が表に出てこないからだ。

だから彼等と遭遇すること自体が難しい。

たとえ遭遇したとしても、生きて帰れる確率はとても低い。

吸血鬼は人間を家畜としか思っていない。

歯向かえば殺され、歯向かわなければ血を貪られる。

百夜教の実験場があった上野で吸血鬼に遭遇しながらも、生きて帰れたのは紛れもない奇跡だ。

あの銀髪の吸血鬼───フェリドが(未明基準で)変わり者だからかもしれないが。

未明が人間ではない?吸血鬼に近い?

そんな冗談を言う吸血鬼なんてとても珍しい、希少種だ。

吸血鬼の中ではハブられているに違いない。

まあともかく閑話休題。

 

そんな遭遇率の低い危険な化け物───吸血鬼の貴族の命の入手というミッションの難易度はトップクラス。

人間の中では1番化け物に近く、1番強いであろう真昼であっても、吸血鬼の貴族、しかも複数と戦って勝つのは不可能だろう。

だから真昼は正面から戦いを挑むのではなく、吸血鬼に交渉を持ちかけたのだ。

京都の吸血鬼の女王に。

そして彼女が治める吸血鬼の巣に連れて行かれたのだ。

一体どんな交渉を持ちかけたのかは分からない。

何を差し出したのかは分からない。

でもきっと、真昼は吸血鬼の命を手にして帰ってくる。

それを使ってクリスマスに世界を滅ぼすのだ。

 

真昼は、世界を滅ぼす為に動いていた。

全ては世界を滅ぼす最終装置“終わりのセラフ”を発動させ、計画を完成させる為。

鬼呪の開発だって、沢山の人間と鬼の命を得る為で。

人間として生きる為だとか、シノアの為だとか、そんなのはまやかしだったのだろうか?

いやもう、それでも構わない。

元々真昼は人間を駒に、この世界を盤に見立てて遊ぶタイプなのだから。

天才過ぎるが故に、人間の痛みが分からないのだから。

鬼と混ざり合ってからはその傾向が強くなっている。

 

ただ1つ真昼に聞きたいのは、世界を滅ぼすのは何の為?ということだけ。

グレンと一緒に生きる未来を認めないこの世界が憎かった?

だから滅ぼそうと決めた?

ならばその滅んだ世界の向こう側で、2人は幸せになれるのか?

もうそれしか手段が無かったのか?

世界を滅ぼすなんて、そんな神様みたいな行為を振りかざすことでしかもう、真昼は幸せになれなかった?

いやそもそも、それは幸せなのか。

真昼は何になりたいの。グレンのお嫁さん?人間?化け物?神様?

ああでもそれだって、結局の所どうだって良いのだろう。

 

 

「弱くて、ごめんね。

一緒に世界を滅ぼして、って貴方が言えるくらいの力を持てない私で、ごめんね。

強くなれなくて、ごめん、真昼。」

助けてと、一緒にやってと、1人は嫌だと、そう真昼が吐き出せる場所になれなくてごめんね。

真昼と同じものを見れる力を持てなくてごめんね。

弱くて情けなくて頼りない妹でごめんね。

 

未明が悪いのだ。

何も出来ない弱い未明が悪いのだ。

真昼に頼って貰えるほど強くない未明が。

たとえ頼られても、真昼の全てを受け入れて抱きしめて守れる力がない未明が。

 

 

『思ったことはあるよ、世界を滅ぼしちゃおうかなって。

ただの気まぐれだ。

昔は僕もそれが出来るくらいの力があったし、なんとなく滅ぼしかけたこともあった。

でもね、真昼は違うよ。

いくら真昼が人間離れした天才でも、人間をやめて化け物になっても、それでも真昼は気まぐれで世界を滅ぼさないよ。』

重い鎖をジャラジャラ鳴らして、鬼宿は首を横に振る。

「どうして?」

どうして、そんなことが言えるのか。

血の様に赤い目を光らせる鬼宿を見下ろして、未明は乾いた唇を動かした。

 

『人間は神にはなれないから。

良い神でも悪い神でも、神になったなら全てを平等に見なくちゃいけないんだ。

ある程度の贔屓はあってもね。

でも、真昼はそれが出来ない“人間”だ。

欲するままに生きる、愚かな矮小な人間だ。

人間という枠を外れても、せいぜいが化け物程度。

僕にとっては人間も化け物も同じだけどさ。』

知った様な口をきく鬼宿に対する苛立ちは湧かない。

そんな元気もない。

ただ呆れるだけ。

 

「意味が分からないわ。

貴方、神様か何か?

ただの鬼のくせにそれらしいことを言うのね。」

『今はね。僕は君に宿るしがない鬼でしかない。

ま、昔はやんちゃだったってことさ。

それよりさ、分からない?

真昼は神にはなれない。

真昼の本質はちゃんと人間だ。』

「···だから?」

だから何だ、今更それがどうだというのだ。

真昼は人間だ。化け物だ。

正直どちらでも構わない。

真昼は未明の片割れで、姉だという事実は変わらない。揺るがない。

 

『馬鹿だなぁ、まだ駄目なの?

真昼の人間としての本質を構成するのはさ、これまた人間なんだよ。

真昼が愛する、鬼に心を喰われた真昼がまだ愛していられる、人間。』

「グレンね。」

『わあ即答。』

何が面白いのかくすくす笑う。

しかしその目に滲むのは暗い色。

とても悲しい、色。

 

『勿論グレンはそうだ。

彼への想いこそが、鬼に心を喰いつくされた真昼に残った人間らしさ。

でもグレンだけじゃない。

血を分けた姉妹、生まれながらに鬼を宿した同士、唯一同じ境遇の家族。』

鬼宿が言わんとすることは分かる。

要は真昼は未明とシノアを思ってくれていると言いたいのだろう。

だがそんな慰めは必要ない。

 

「そんなの、」

『そんなのだなんて言うなよ!

未明は真昼を愛してる。同じ様に真昼も未明を愛してる!

シノアもそうだ!

形は違っても歪でも、残ったのはほんの少しでも、それでも真昼は未明を、シノアを、君達を思ってるんだ!』

鎖を引きちぎるかの様な勢いで鬼宿が吠える。

癇に障る笑い声以外で鬼宿が大声を出すのは滅多にない。

大抵は囁き声だ。

しかし今、鬼宿は叫んでいた。激昂していた。

精巧な蝋人形の様な人間離れした白を誇る、その滑らかな肌に僅かに朱をはしらせて、鬼宿は声を荒らげていた。

 

「どうして、貴方がそんなに怒ってるの?

貴方には関係ないじゃない。」

『あるんだよ!

君は僕で、僕は君。

何度も言っただろ?僕らは鏡合わせの同一存在。

だからこの感情は僕のものだけど、君のものなんだよ、未明。

君が真昼に愛されたいと願い、愛されていると信じているこの気持ちは、虚構なんかじゃない。

“それ以上”を望んでいるのは他でもない君だ。』

ちゃんと、この気持ちは君のものなんだ。

そう絞り出す様に言いながら鬼宿はべそをかく。

その姿は見た目通りの可憐な幼子の様で。

何の力もない、弱い幼子の様で。

 

「私の···私の?

そんなの、駄目でしょう。

私は感情なんて、そんな風に泣くなんて。」

白い心象世界に垂れて、ゆらりと融けていく鬼宿の涙。

とめどなく溢れる涙を手の甲で拭い、しゃくり上げるのを我慢する姿は見覚えがあった。

誰かに似ていた。

遠い昔に見た、誰かによく似ていた。

 

『君がそういう考えだから、僕がこうなるんだよ!

この僕が、涙なんて枯れ果てた筈の鬼の僕が、泣いてるんだよ!

君の代わりに、泣いてるんだ!』

「っ······!」

その言葉が弾丸の様に耳に飛び込んできた瞬間、未明は何も巻きついていないのにやけに重い腕を振り下ろした。

そしてその腕を心象世界の中にずぷりと突っ込み、震える鬼宿の体を心の奥底に閉じ込める様操作する。

反射的にそうしていた。

何かを考える前にそうしていた。

これ以上は駄目だと、警鐘が聞こえていた。

 

『未明······!』

体がずぷりずぷりと沈みながらも、鬼宿は懇願する様に未明の足に縋る。

その姿も見覚えがあった。

ついこの前、見た。

グレンのズボンの裾を掴んで、引っ張った。

お願いだから、と縋った。

でも本当はあの時、今の鬼宿の様に泣いてしまいたかったのだと、

思────────わない·······!

駄目だ、思ってはいけない。

思って良い訳がない。

そう、思うな、思うな、思うなあぁああっ······!

 

「うるさい、黙って。」

未明は噛みしめ過ぎて血を垂らし始めた唇から歯を離し、代わりにギリギリと奥歯を食いしばる。

『未明、お願いだから。もう良いでしょ。

もう十分だよ。未明は頑張った。頑張り過ぎた。

だからさ、もう素直になってよ。

欲望に身を任せて、感情を解き放って、好きな様に振る舞ってよ。

我慢なんかしないでよ。

人間らしい理性なんか捨ててよ。』

「うるさい、うるさい、うるさい。」

『未明、ねえ、未明ってば。』

じゃらりじゃらりと鈍い音を上げながら、鬼宿の下半身が水没する様に心の奥に飲み込まれていく。

 

「うるさい。」

『未明はさ、どんな大人になりたいの?

どんな夢を描いてるの?どんな未来を願ってるの?』

馬鹿らしい問いなんか無視すれば良い。

どうせ悪足掻きだ。

閉じ込められたくないからと、未明の心を惑わそうとしているのだ。

その手には乗らない。乗るものか。

しかしその覚悟を嘲笑うかの様に、鬼宿の声は心を刺す。

ブスリブスリと柔らかい所ばかりを狙って突き刺していく。

 

「違う違う違う、違う。

私はそんなもの······私はただ、真昼が笑ってグレンが笑って、シノアも笑って、そんな幸せな未来があれば······“それ以上”なんか望まない。」

『君の願いは、何?』

「そんなもの、」

『家族は、仲間は、友達は、好きな人は、』

「うるさい、うるさい······!」

最後は叫んでいた。

声にならない、変な呻き声を吐き出していた。

その勢いで鬼宿の体を心の奥底に押し込めた。

奈落の底に突き落として、その上から封印の札を貼り付けるイメージで鬼宿を縛りつけていく。

その間も鬼宿の啜り泣きと嘆き声が聞こえてきたが、無視して大きな蓋をした。

 

 

 

 

 

「······あ、未明も起きた。」

鬼宿を封印した穴にドカンと1発巨大な岩を叩きつける様なイメージをした瞬間、急速に意識が闇から引き上げられた未明が目を開けて初めに見たのは深夜の顔だった。

薄暗い軽トラックの荷台の幌の中でも、薄らと輝く銀髪がチカチカする。

「今、何時?ここはどこ?」

声が掠れていた。まるでついさっきまで泣いていたかの様に。

 

「14時。7時間以上の睡眠はどうだった?

ちなみにここは街道沿いのラブホテル。

グレンもだけど、こんな状況でよく寝れるよね。」

その言葉で斜め向かいにグレンがうずくまっていたことに気が付いた。

なるほど、グレンも寝ていたのか。

スッキリした顔をしつつもどこか憮然とした表情なのは、やはり未明と同じ様に鬼と会話していたからに違いない。

きっと何か良からぬことを言われたのだ。

 

「部屋に行こう。着替えの準備もしてある。

あ、未明は女子部屋ね。」

そう言いながら荷台から静かに飛び降りる深夜にグレンが続き、未明も幌を捲り上げて荷台から出た。

駐車場を抜け、並んで歩く男2人を先にラブホテルに入らせて、未明はその後ろからそろりそろりと続いた。

しかしエレベーターは3人で乗らなければならないようで。

狭い密室の中、未明は押し黙りながら、誰にも会わなければ良いなとぼんやり思っていたのだが、そううまくはいかないらしい。

 

到着したエレベーターのドアが開き、そこにはねっとりとキスをする恋人らしき学生2人組。

彼等は扉のすぐそばに立っていたグレンと深夜に目がいったらしく、え?え?と戸惑いの声を上げる。

グレン達の後ろにいた未明には気付かなかった。

いや気付いていたのかもしれないが、未明が男2人組の同行者だとは思わなかったのだろう。

そう思われないように、未明もわざとらしく顔を背けていたし。

そのせいでまあなんというか、グレンと深夜がそういう関係だと勘違いされたらしく。

未明達がエレベーターを降りて、学生カップルがエレベーターに乗って、チンと扉が閉まりきる直前で爆笑と「まっじかよあいつら!」という声が聞こえてきた。

 

「ひゅーひゅー。ラブラブねー。」

「···。」

棒読みで囃したてれば、グレンに半眼で睨まれた。

しかし何も言われなかった。

深夜にも無言で1つ奥の扉を示されるだけだった。

これ以上はやめておこうと賢明な判断をした未明は、深夜の指示に従い女部屋の扉を開けた。

 

「あ、未明様!もしかしてグレンも目を覚ましましたか?」

ピンクのワンピースを身につけた美十が、未明の方に寄ってくる。

「隣にいるわ。」

「ちょっと私、様子を見てきます!」

今はやめておいたら、と言う前に美十は扉を開けて飛び出していってしまう。

部屋に残されたのはグレンの従者達と未明。

一瞬緊張がはしるが、パーカーとハーフパンツに着替えた雪見時雨が無表情のまま未明に白い塊を差し出してくる。

「これは?」

「貴方の服です。」

「ありがとう。」

「選んだのは小百合です。礼なら小百合に。」

淡々としている。

雪見時雨の表情筋はグレンと花依小百合の前でしか動かない。

まあ未明の前では比較的動いている気もするが。主に怒りのせいで。

 

「ありがとう、花依。」

「いえ、あったのを適当に取っただけなので、その、」

花依小百合がモゴモゴしていると、さっき飛び出していったばかりの美十が顔を真っ赤にした状態で勢いよく扉を開けた。

それからその顔に両手を当てて、扉の内側に座り込む様にして扉を閉めた。

「ふ、ふ、不潔ですっ、不潔·······!ううう···。」

「美十?」

セーラー服を投げ捨てて、雪見時雨から受け取った服───白いワンピースを被りながら彼女に何があったのか尋ねた。

錯乱した様子の彼女から少しずつ話を聞く所に、どうやらグレン達はいかがわしいビデオを見ていたらしい。

なるほど。

まあグレン達も年頃なのだから見てもおかしくはないのだろうが。

 

恥ずかしさやら何やらが混ざって、さっきまでの勢いはどこへやらと尻込みする美十を誘導しながら、動きやすいスウェットを着た花依小百合の後に続いて男部屋の前に立つ。

「あの、男の子の時間は終わりましたでしょうか?」

控えめなノックの後、ぴょこりと顔を覗かせる花依小百合。

その姿はまるで小動物、具体的に言えばリスの様だ。

 

例のテレビ画面の方を見れば、アダルトな映像が流れたのは一瞬だけで、すぐにグレンがチャンネルを変えていた。

それに安心した様に美十が溜め息をつく。

雪見時雨が扉を閉めれば、女4人と男3人がこの狭い部屋に密集したことになる。

普通の思春期真っ盛りの男女なら、おっぱじめてしまいそうなものだがそんな場合ではない。

グレンはちらりと時計を見ていた。

彼の父親が処刑されるまであと34時間。

それを確認したグレンはバスルームに姿を消し、すぐにラフな格好に着替えて戻ってきた。

 

 

「で、これからどうする?」

だが、その深夜の問いに対する答えを誰も持っていない。

一同から僅かな期待が未明に向けられるが、未明は何も答えない。

真昼が本気で世界を滅ぼすつもりだなんて、今それを言って何になる?

その為に吸血鬼の元へ行ったのだと言って、何が変わる?

何も変わりはしないのだ。

未明も吸血鬼の王国の場所を知らないのだから、どうしたって真昼を見つけることは出来ない。

 

重い沈黙が場を支配する。

が、そこで、急にグレンの足元でゴトンッという鈍い音が響いた。

何か重いものを取り落とした様な音。

だがグレンは何も持っていない筈だ。

ラフな格好になったばかりだ。

それなのに今明らかに、何かが落ちた音がした。

 

未明はパッとグレンの足元に目を向け、そして息を呑む。

鞘に入った一振の刀が立つようにして落ちていた。

真昼の鬼呪装備、真昼の刀、真昼の鬼───未明の鬼宿と同じ様に生まれながらに真昼の心に棲んでいた阿朱羅丸。

何故それがこんな所に?

よりにもよって今?

 

阿朱羅丸の入った刀がゆっくりグレンの方へ倒れ、美十が触らないでと叫ぶが、間に合わない。

グレンの足に刀が触れようとする。

しかしそこで深夜が腰の刀を抜き、と同時に未明も刀が素肌には触れない様に靴を刀に向かって振り上げる。

深夜の刀と未明の靴の裏、それらによって弾き飛ばされた刀は、グルグル回転しながら鞘から抜けた。

抜けた瞬間、鼓膜を割くような甲高い音が狭い部屋に響く。

それから鬼宿と同じような漆黒の刀身が鈍く光り、とすんっと天井に突き刺さる。

それを皆、見上げた。

そんな不気味な光景をぽかんと見上げた。

 

混乱の中で、ピリリと未明の首筋に嫌な気配がはしる。

これは上野で感じたものと同じ。

銀髪の吸血鬼───フェリドが近付いてきた時と同じ!

誰よりも早く、何よりも早く、未明は刀をその右手に顕現させる。

鬼宿は拘束力の強い鎖で雁字搦めにしたまま、無理に鬼の力を引き出した。

その瞬間、攻撃が始まった。

ラブホテルの窓が窓枠ごと破壊される。

そこに現れたのは1人の女。

金色の長い髪に、赤い瞳に、追随を許さない人間離れした美しさ。

どこか鬼宿と似た見た目のその女────吸血鬼は軽く首を傾げる。

そんな吸血鬼に向かって叫びながら、グレンは会心の一刀を放つ。

が、足りない。

それでは足りない。

吸血鬼はいとも簡単にグレンの刀を、牙の生えた口でくわえて止めてしまう。

 

吸血鬼は、人が決して近付いてはいけない圧倒的な捕食者。

そのことを肌で感じたグレンは、1人を囮にして残りが逃げ切る為の陣形である「捨王の陣」で撤退する様に叫んだ。

未明も深夜達と同じ様に1歩下がって、鬼呪を全身に纏わせる。

しかし「捨王の陣」は帝ノ鬼───柊家系列で使われる言葉であり、帝ノ月───一瀬家系列ではまた別の呼び方がある。

そのせいで帝ノ月の言葉しか知らない花依小百合と雪見時雨は、グレンの背後から吸血鬼に向かって刀を突き出して。

その動きは速い。

鬼呪によって加速した、人間離れした動きだ。

けれども吸血鬼はあっさり剣先を摘んで止めてしまう。

そのまま吸血鬼は2人の刀をグイッと引っ張り、簡単に2人の体が引き摺られ、吸血鬼に咥えられたままの自分の鬼呪から手を離してでも、それを止めようとするグレン。

しかし遅い。

瞬きのうちに、吸血鬼は花依小百合を刀ごと壁まで投げ飛ばしてしまう。

 

花依小百合がどうなったかは分からない。

刀が心臓を貫通しているかもしれない。

今後ろを向く余裕はない。

彼女の状況を確認しているうちに、次に吹っ飛ばされるのはグレンや雪見時雨、もしかすると未明自身かもしれないのだから。

 

雪見時雨は刀を吸血鬼に奪われた。

そして雪見時雨の刀が今、グレンに向かって投げられようとしている。

しかしグレンは刀を持たない。

刀は吸血鬼の口に囚われたままなのだ。

つまりグレンは飛んでくる刀を打ち払う武器を持たない。

他の仲間達は後退しているか、満身創痍で動けないかでグレンの盾になることは出来ない。

 

だから未明は床を蹴った。

助走無しの一蹴りのせいで直前まで立っていた部分にピシリとヒビが入るが、それを気にせず上体を屈めたまま、流星の様に飛び出していく。

鬼呪の力を使った、人間を超えてしまった加速度で、未明は刀を振り上げる。

 

「グレンに、触るなぁああっ······!」

喉を大きく開いて吠え、その勢いに任せて、グレンと雪見時雨の刀の間に体を滑り込ませる。

予備動作無しで無理に腕の筋肉を動かし、矢の様に落ちてくる雪見時雨の刀を鬼呪で薙ぎ払う。

刀の刃同士が激しくぶつかり合う嫌な音が未明の目の前で弾け、その数秒後に雪見時雨の刀が壁に激突する。

と同時に、吸血鬼の口からグレンの刀が離れた。

どうやらグレンの鬼はグレンの元へ飛んでいったらしい。

 

「っ、はあっ!」

未明は刀を、振るった。

さっきより加速したグレンの刀が、吸血鬼のレイピアにぶつかるその瞬間を狙って吸血鬼の体目がけ、刀を振るった。

しかし足りない。

届かない。

二人がかりでも一太刀も入れることが出来ない。

 

何回か打ち合っていると、吸血鬼のレイピアにグレンの刀が大きく弾かれて彼が1歩引いてしまう。

それを庇う様に美十────ではない、五士によって作られた美十の幻覚が姿を見せる。

その幻覚は吸血鬼のレイピアを心臓に受け、ぐにゃりと息絶えようとしている。

悦に入ったらしい吸血鬼は、その姿を嘲笑いながら更にレイピアを心臓に刺し込んだ。

 

今だ、そう未明は思った。

吸血鬼は油断している。

今ならば虚をつける。

 

音を殺して刀を振り上げながら走り出せば、グレンも幻覚だと気付いたらしく刀を加速させる。

そのまま2人の刀は美十の胴体を斬り裂いて、吸血鬼の体が刀の軌道上に乗る様に腕を動かした。

雪見時雨の呪符のサポートもあり、グレンの刀は吸血鬼の首を、未明の刀は心臓を貫いた。

血が噴き出す。

どす黒い血が、床を染めていく。

 

吸血鬼が未明とグレンに報復しようとレイピアを上げるが、深夜がその腕を斬り飛ばす。

未明とグレンはあくまで囮。

1番の本命は吸血鬼の武器───レイピアだ。

ぐるぐる宙を舞う吸血鬼の腕を、美十が回し蹴りで後方へ吹っ飛ばし、それを受け止めた花依小百合が外へ出ていく。

これで吸血鬼から武器は剥ぎ取られ、大きく弱体化した。

 

憤怒の表情を浮かべて花依小百合を追おうとする吸血鬼の腕を、その爪を尖らせたもう一本の腕を未明は斬り落とす。

逃がすものか、とその一心で未明は逃げようとする吸血鬼の前に回り込む。

そして深夜が足を斬り飛ばし、グレンが胸に刀を突き刺し、とうとう吸血鬼の顔に恐怖の色が浮かぶ。

それを淡々と見下ろしながら、未明は拘束の呪を吸血鬼の体に纏わせて完全に無力化する。

 

両手片足が斬り落とされ、拘束の呪で雁字搦めにされた吸血鬼。

その吸血鬼から情報を聞き出すと、未明達は決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




まーだまだ続くーよ、どーこまーでっもー。
野を越え山越えー、かーわ越えてー。



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