未だに見えぬ朝を乞う   作:明科

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不定期更新にも程がある作者です。ごめんなさい。

ネタバレ捏造自己解釈等、大量発生ですので皆様ご自身で回避をお願い致します。






20:柊未明、16歳の破滅(五)

十月二日。

抵抗の余地なくあっさりと、グレンの父親が処刑された。

 

未明達と共に、グレンは吸血鬼を捕らえた。

未知の能力を持った真昼の鬼呪、阿朱羅丸も手に入れた。

真昼を殺すことは出来なくても、十分過ぎる成果だった筈だ。

そして現に暮人はそれを評価した。

だが柊の当主である王、柊天利の赦しは下らない。

グレンの出した成果をそのまま認めてしまうと、一瀬家率いる帝ノ月の人間が増長する可能性があるから。

立場の違いを知らしめ、バランスを取らなければならないから。

 

未明には出来ることが無かった。

グレンの父親の処刑に異を唱えることなど出来ない。

暮人でさえ無理だったのだ。

偉大なる“父上様”に認識されていない未明の言葉など、蝿の羽音よりも矮小なものだろう。

 

帝ノ鬼の重鎮から下っ端まで、そして今から主君を失うことになる帝ノ月の人間。

そんな観客達がぐるりと取り囲む処刑場に引き摺り出されたグレンの父親。

その首が柊家お抱えの処刑人に刎ね飛ばされ、暗い目をしたグレンがたった今息絶えた実父を抱きかかえて運んでいくのを、ただ見ていた。

見ていることしか出来なかった。

 

 

処刑という名の見せしめのショーが終われば、すぐさま未明は実験室に放り込まれ、グレンはおろか深夜達に会うことも許されなかった。

今回グレン達と行動を共にしたお陰で、今や未明が真昼と繋がっていないことは知らしめられたらしい。

まあ前々から仲違い設定を演じていたせいか、疑われることの方が少なかったのだが。

 

監禁された地下室にて孤独を抱きしめて眠る日々。

真昼の元協力者として、元共同研究者として、双子の妹として、知っていることを洗いざらい吐くように強要される。

だが、未明が吐けることはもう無い。

百夜教が研究している“終わりのセラフ”によって世界が滅亡するということ、それに真昼が協力していることは、柊家も別筋で情報を得ていたらしい。

未明の供述はただの裏付けにしかならなかった。

 

阿朱羅丸のことだって、未明の鬼宿と同じ様に生まれた時から真昼の心に棲みついている鬼だということくらいで。

何かしら特別らしいが、それは鬼宿も同じようなものだ。

そのお陰か、名実ともに鬼呪開発の第一人者である未明が阿朱羅丸の解析をしつつ、と同時に研究者達に鬼宿の宿る体を弄られている。

 

毎日が灰色だ。

実験、研究、睡眠を繰り返し、単調に毎日が終わっていく。

グレン達と、仲間達と、遊んでいたのが懐かしい。

ほんの数週間前の筈なのに最早遠過ぎて、思い出になって霞んでしまう。

 

真昼はいない。

そばに真昼はいない。

未明を、鬼呪開発の為のモルモットとして柊家に売り飛ばした真昼はいない。

いや売り飛ばすつもりは無かったのかもしれない。

真昼の真意は分からない。

だが未明が今、独りだという事実は紛れもない真実だった。

真昼からの連絡はない。音沙汰無しだ。

時折未明の元へ訪れる暮人によれば、シノアにも連絡はないそうだ。

まあシノアが未明の様に実験体にならず、いつも通りの生活を送れていることは不幸中の幸いなのだろう。

 

 

カチリ。

迫っ苦しい閉鎖的な実験室の中で無機質な白いベッドに座り込んだ未明は、小さなボイスレコーダーのスイッチを入れた。

 

「元気ですか。」

 

誰かに宛てたメッセージではない。

ただなんとなく実験室の隅に落ちていたものを拾い上げ、気紛れに言ってみただけだ。

仲間達とやっていた様なゲームを手にする機会もない未明には、今娯楽の類が存在しない。

鬼を制御するにはある程度の娯楽が有効なのだが、それ無しでどの位未明が耐えられるのかという楽しい実験の途中なのだ。

結果は最初から分かり切っている。

他の鬼呪を装備した人間ならいざ知らず、鎖による完全な制御法を物にしている未明は幾らでも耐えられるだろう。

だが研究者達は、無知な子供の様な好奇心を発揮して未明にこの実験を強いた。

 

「元気、ですか。私は元気。」

何を馬鹿なことを言っているのだろうと、乾いた笑いが漏れる。

駄目だ。上手く笑えない。

いや上手くは笑えている筈だ。

けれど、何も感じないのだ。

長い間地下室に監禁されている上に、狂気的な実験ばかりしているせいか、徐々に感情が薄くなっている。

昔の様に、真昼の影武者として生きていた時の様に。

我慢して我慢して我慢して、“私”を無くしていた時の様に。

 

喜ばしいことだ。

感情の死は欲望の死。

つまり鬼宿に与える糧が無くなるということ。

なんて素晴らしい。

素晴らしいのに、素晴らしい筈なのに、

 

「······どうして。」

どうしてこんなに、胸が痛いのだろう。

鬼宿が何かしている?いやそんな筈が無い。

強く強く、心象世界にさえ上って来れないほど強く、鎖で縛りつけているのだから。

ならば未明自身?

人体実験の影響だろうか。

しかしそれは考えにくい。

柊家はピュアでクリーンでエコな実験を行っている。

有用な実験体である未明を害することはあるまい。

 

「······分からないよ。分からない。」

誰も答えない。

この狭い灰色の実験室には未明しかいない。

監視カメラはあるが、研究者に届けられるのは映像のみだ。

音声が───未明の訴えが届く事は無い。

「誰かが教えてくれたら、楽なのに。」

だって未明には分からない。

考えたって分からない。

分かってはいけない。

 

「どうしてこんなに、苦しいんだろう。

どうしてこんなに、胸が痛いんだろう。

真昼がそばにいないこと。

シノアがそばにいないこと。

グレンも深夜も、皆がそばにいないこと。

私が独りなこと。

どうしてそれが、苦しいんだろう。」

 

今泣けてしまったら少しは楽なんだろうか?

いや駄目だ。

泣くなんて、そんなことは出来ない。

感情を溢れさせてはいけない。

 

 

ボイスレコーダーのスイッチを押した。

カチンと乾いた音がして、録音が終わる。

何を言ったのかよく覚えていない。

何も意識していなかったから、それもそうだろう。

 

用無しになったボイスレコーダーを制服のポケットに忍び込ませ、ベッドの上で体育座り。

今度こそやることがなくなった。

阿朱羅丸に関する実験データも暮人率いる研究者の手に渡ってしまった。

今や見るものさえ無い。

未明はただのモルモット。

鬼呪を制御する装置───鎖の雛形を生み出す材料。

今日だって、血液パック4つ分の血が奪われた。

きっと明日も。

 

 

 

だがその明日は来ないのかもしれない。

ふとそんな予感がした。

ガチャリとドアを開けて、当たり前の様な顔をして入って来た男の顔を見た瞬間、ぼんやりとそう思った。

 

「やあ。」

ヒラヒラと男は胡散臭い笑顔を浮かべたまま手を振る。

未明はそれに対し、何も答えない。

ただ黙って、実験室の天井に貼り付いている監視カメラを指さした。

「壊したよ、当たり前だろ。」

未明の前に立ち、ご親切に手を差し伸べてくれる。

一体全体どういうつもりなのか。

「······で、だから何。

今更何の用、斉藤。」

呼ばれてもいない侵入者────斉藤は肩をすくめる。

残念だなぁ、なんて心にもないことを言いながら。

 

正直斉藤のことはすっかり忘れていた。

柊家にも言っていない気がする。

わざとではない。ただ勘定に入れていなかったのだ。

つまり忘れていたのだ。

百夜教側の協力者───ただし斉藤は百夜教を裏切っている───とはいえ、斉藤は真昼と話すことが多かった。

“終わりのセラフ”関係のことで。

今思えば真昼は、未明と斉藤があまり話さない様に誘導していた様な気もする。

未明は胡散臭い斉藤と必要以上に話す気は無かったのだが、よく斉藤がちょっかいを出してきた。

まあそれはさておき。

 

「雪見時雨、だっけ。」

「雪見?」

グレンの従者の片方。

冷静沈着な暗器使い。

なんだかんだツンデレ。

そんな彼女の名前だ。

どうしてその名前が、斉藤の口から出る?

俯いていた顔をむくりと上げて、目の前に立つ斉藤を見据える。

 

「興味出た?」

斉藤の笑う顔が、少し鬼宿に似ていた。

そして少し、恐ろしい。

「···少し。」

色んな意味を込めて、そう小さく呟いた。

「未明さんは素直じゃないなぁ。」

「黙って。」

「その雪見時雨───グレン君の従者の子、グレン君に腕を斬り落とされてねぇ。」

「貴方が仕組んだんでしょう?」

どうせ従者を人質に取られながらの戦闘の中で、グレンが雪見時雨を斬るしかない状況に追い込んだのだろう。

 

「まあそんなことはどうでも良くて。

未明さん、真昼さんに会いたいだろう?」

「···別に。」

心臓がばくんと高鳴った。

だが表情には出なかった筈だ。

平静を装って、偽りの笑顔を貼り付ける。

「会わせてあげるよ。丁度私も真昼さんに会う用があるんだ。」

「真昼は吸血鬼の女王の所にいるんでしょう?

吸血鬼の巣に行くなんて真っ平御免だわ。」

「真昼さんは欲しいものを手にしたからね、出てくるよ。」

「吸血鬼の貴族の命?」

「そう。」

斉藤は否定しない。

未明が“終わりのセラフ”のことを知った所で焦ることはない。

未明経由で柊家が知ったとしても、特に影響は無いのだろう。

つまりもう、どうしようもなく手遅れで。

やっぱりね、と世界滅亡という予定調和を、何の感慨もなく頭の中でリピートする。

 

「吸血鬼の女王は案外太っ腹ね。

吸血鬼の貴族、自分の部下の命を人間にくれるんだから。」

皮肉っぽく笑ってから、未明は斉藤の手を振り払い自力で立ち上がる。

「なるほど、未明さんは1つ勘違いをしてるよ。」

「勘違い?」

何が違うのか。

真昼が何を代償にしたかは知らないが、吸血鬼の貴族の命を手にしたのは事実の筈だ。

「真昼さんに会えば分かるよ。」

怪訝な顔をする未明に斉藤は笑うだけ。

チェシャ猫の様にいやらしく笑うだけ。

 

たった今入ってきたドアの敷居を乗り越えて、斉藤は廊下に出る。

それに続いて未明も実験室を出ると、薄暗い廊下の真ん中に何かが落ちていた。

目を凝らさずともそれが何か分かった。

廊下の警備をしていた帝ノ鬼の人間だ。

事切れた、斉藤によって殺された哀れな兵士。

残念なことに、その死を見ても未明は何も思わなかった。

柊家に生まれた人間は、そうなるように育てられるから。

 

 

未明は歩く。

冷たい廊下に足音を響かせて、紫がかった灰色の髪を靡かせて、未明は進む。

感情が死のうとも、欲望が死のうとも、真昼のことを聞けば未明の体には血が巡る。

血が巡っているのだと実感出来る。

 

それに腕を斬り落とされたという雪見時雨やグレン───仲間達のことも気になる。

彼等はどうしているのだろうか。

世界滅亡が目の前の今、彼等はどうしているのだろうか。

暮人の話によれば“終わりのセラフ”を進める百夜教を滅ぼす為に日々鬼呪の訓練をしているらしいが、最早そんなものは無駄なのだと彼等は知っているのだろうか。

 

百夜教が無くなっても、“終わりのセラフ”は発動する。

世界は滅亡する。

これは予定調和だ。定められた終わりだ。運命だ。黙示録だ。

 

グレンと結ばれないこの世界を憎んだ真昼が、世界を滅ぼすというならそれも良い。きっと悪くない。

諸共に消えてしまえば、それは幸せな終わり方かもしれない。

無欲な子供達と、強い大人達だけが生き残る新しい世界。

案外きっと、悪くない。

真昼とグレンは強いから、きっと新しい世界で生きていけるに違いない。

もしかしたら2人の仲を引き裂く帝ノ鬼の弱っちい人間は、皆死ぬかもしれない。

そうすれば2人は幸せな未来を掴めるだろう。

どっちつかずで弱い未明は死んでしまうだろうが、それも悪くない。

傷一つ無い美しい世界で2人には幸せになって欲しかったのだが、荒廃してしまった新世界を立て直すアダムとイヴというのもロマンチックだ。

 

世界を滅すこと、それが真昼の目的だと分かり1度は思考が停止した。

真昼はこの世界を憎み、要らないと叫んだ。

そしてそれは、未明のことも要らないのだと真昼に突き放された様に思ってしまった。

真昼に必要とされていない。

世界を滅ぼすという大きな目的がありながら、それについてあまり語ってくれなかった、頼ってくれなかった。

それが辛かった。

だがそれは間違いだ。

未明が悪いのだ。

弱い未明が悪いのだ。

真昼の全てを受け入れて抱きしめてあげられる強さを持たない未明が悪い。

未明が真昼を愛する様に無償の愛を捧げる様に、真昼も未明を愛してくれたらなんて、そんな“それ以上”を望んだ未明が悪いのだ。

未明自身の幸せなんかを望んでしまった、未明が悪いのだ。

望みは弱さだ、夢は弱さだ。

その弱さを捨てきれない未明が悪い。

未明は所詮影に過ぎないのだ。

 

 

だからもう、世界が滅びるというのなら、真昼がそれを望むというのなら、甘んじて受け入れようとしていたのに。

父親を処刑されたグレンにはもう真昼を殺す理由は無いから、2人は新世界で未来を掴めると思っていたのに。

 

 

 

 

「どうして貴方が吸血鬼になってるの、真昼。」

 

 

 

 

斉藤に連れて行かれた京都にて、吸血鬼の王国から解放された真昼は赤い目をしていた。

上野で遭遇したフェリド=バートリー、京都のラブホテルで捕獲した吸血鬼と同じ赤い目をしていた。

血の様に赤い目をしていた。

夕焼けの様に赤い目をしていた。

 

まさかそんな、と自分の目を疑った。

けれども斉藤と戯れに戦い、つまらなそうに首を傾げる真昼は、元々人間離れしていたのを遥かに上回る、大きく加速した身体能力を有していた。

ああこれは、見間違いでも幻覚でもない。

真実で現実だ。

未明がそれを静かに受け入れる頃には、既に斉藤は去り、真昼は斉藤から受け取った紫外線中和リングを引きちぎっていた。

 

真昼、と声をかける前に真昼は動いた。

1人で歩いている女を捕まえ、路地の暗闇に引き込んで、その首に牙を突き立てた。

そして、血を、吸った。

ギュル、ギュルルと、血を吸った。

そしてどさりと、女だったモノが地面に打ち捨てられた。

 

夕焼け色に染まった京都の街の喧騒が遠い。

今目の前で起きている事態をちゃんと理解しているのに、認識しているのに、齟齬が発生している。

あれ?おかしいな。

 

 

「真昼。」

薄暗い路地裏から空を見上げる彼女に声をかける。

何を言ったら良いのかなど分からない。

けれど完全に人間ではない化け物───吸血鬼になってしまった真昼を引き止めたくて。

こちら側にいて欲しくて。

行かないでと伝えたくて、未明は真昼に近付いた。

 

「未明、」

名を呼ばれた。

自分と全く同じ声色で、それでいて自分より甘さを感じさせる声で、名を紡がれた。

それを脳が認識した時にはもう遅かった。

 

かぷり。

牙が刺さった、とても可愛い音で。

それからすぐ、ず、ず、ずずっと、自分の中の命の様な何かが首から吸い出されていく。

微かな痛みを感じているのに、自分の体を無理矢理征服されて嫌なのに、血を啜る音が鼓膜を揺らす度に甘い痺れが首から全身へと伝わっていく。

徐々に快感の波が押し寄せてきて、そのことに奇妙な屈辱を感じてしまう。

立って、いられない。

腰から力が抜けていく。

がくんと腰が落ちる。

けれど真昼に強く肩を掴まれたままのせいで、蹲ることも出来ない。

動けない。

抵抗出来ない。

 

「ぷはぁ。」

真昼が顔を上げた。

赤い唇から、これまた真っ赤な血が垂れている。

その唇の奥には鋭い牙。

獲物である人間を捕食する為の、牙。

 

「真昼、ど、うして?」

体が熱い。

血を奪われて重度の貧血だ、つまり体は冷えていく筈だ。

それなのに熱い。

欲情している?快感にのぼせている?

ああ、舌が上手く回らない。

そんな未明を優しく見下ろして、真昼は唇の端についた血を舐めとって言った。

「力が必要なの。」

「世界を滅ぼすんで、しょう?

その為に吸血鬼の、貴族のいの、ちが、」

真昼の両腕を掴む。

お揃いのセーラー服越しに、真昼の体温を感じる。

 

「うん。」

真昼は笑った。

「真昼は、その命に、なるの?」

「···うん。」

真昼は笑った。

「どうして。どうして、真昼が死ななきゃいけないの?

私がなるから、私が吸血鬼になる。

私を使って。私の命を、使って。

そしたら真昼は生きていける。

終わった世界の後で、グレンと2人幸せな未来を生きていけるでしょ?」

引っ張る。

真昼の腕を引っ張る。

この提案を受け入れて欲しくて。必死に。

 

「未明、」

「私なら、私の命なら、好きにして。

だから真昼は、グレンと生きてよ。

未来を生きてよ。

その為なら私は死んでも構わないの。」

「未明、」

「私は貴方に、貴方達に幸せになって貰いたい。

その為なら私の命だって世界だって、何だって、捧げるの。」

ねえお願い、と真昼の肩に額をぶつける。

 

けれど真昼は笑った。

「ありがとう。」

そう言って、笑った。

ひどく優しく、ひどく儚く、ひどく残酷に笑った。

「でもね未明、こうすれば私はずっとグレンと生きていけるの。

世界が滅びた後も、グレンと2人でいられるの。」

「······ほんとうに?」

「うん。」

真昼は笑った。

 

嘘だと言いたかった。

今度こそ頼ってと言いたかった。

死なないでと言いたかった。

行かないでと言いたかった。

でも真昼は、行ってしまう。

 

 

地面を蹴り、飛び上がり、更に1度壁を蹴ってビルの屋上へと上がる。

その真昼の姿が霞む。

貧血のせいで路地裏に倒れ伏す未明から、屋上に立つ真昼までの距離は数十メートル。

物理的にそれなりに遠い。

しかしそれ以上に、地を這う弱い人間と天を往く強い化け物という違いが大きいのかもしれない。

 

視界が揺らめいて、その中から独特な紫色が姿を消したのを見て、真昼が行ってしまったのだと未明は悟った。

行ってしまった、手の届かない場所へ。

世界滅亡という死地へ。

 

途端プツンと何かが切れる音がしたと同時に、未明の視界が赤黒く染まる。

それから意識は、甘く優しく奈落の底に突き落とされた。

 

 

 

 

 

────────────

瞼を上げた。

見えるのは知っている天井だ。

見慣れた実験室の灰色の天井。

いつも見上げていた、懐かしさも何も感じない、ただの天井。

 

「起きたか、愚妹。」

左斜め上から降ってくる低い声。

そちらに首を動かそうとすると、グイッと何かに引っ張られて思うように動かすことが出来ない。

恐らく首からチューブが伸びているのだろう。

首の皮膚に何か針の様なものが突き刺さっている感覚がある。

少しずつ全身の感覚が戻ってくれば分かる。

首だけではない。

両腕にも針が刺さっている。点滴か何かだろうか。

パック詰めになった栄養液らしき透明な液体が、ポタンポタンと未明に繋がるチューブの方に垂れていく音。

 

「暮人、兄さん。」

声は少しだけ掠れていた。

喉が痛い。

「今、何日ですか?」

だがその痛みを我慢して強ばった唇を動かす。

クリスマスまであと何日なのだろう。

真昼を救う為に使える時間は、あとどのくらい残っているのだろう。

その強い使命感により、意識が覚醒させられる。

「12月10日だ。」

「10······」

斎藤に連れられて、真昼に会いに京都まで行ったのが2日。

未明はかれこれ1週間も寝ていたらしい。

だがその実感は無い。

真昼に血を吸われて地に伏してから今目覚めるまで、その間の記憶は何も無いからだ。

珍しいことに鬼宿とも話していない。

 

「何があった。」

暮人が未明を静かに見下ろしている。

静かに、鬼呪の切っ先を未明に向けて、見下ろしている。

「······。」

「斎藤とやらがお前を連れて行ったことは分かっている。

あの男はどこの所属だ。」

監視カメラ、全部壊しきれてないじゃないかと未明は心の中で斎藤をなじる。

意識が戻って即これだと頭が痛くて仕方がない。

 

「私も知りませんよ。真昼と組んでたのは知ってますけど。

ただ真昼とも···協力というよりは利害関係が一致してたってだけでしょう。」

「所属は?」

「百夜教の人間、の筈ですよ。

まあ百夜教も裏切ってるみたいでしたから、結局の所何なんでしょうね。」

私も知りたいです、と苦笑いを浮かべてみる。

「グレンからの情報によると吸血鬼らしい。

今の鬼呪の力では太刀打ち出来ない、強い吸血鬼。」

「うわ、暮人兄さんの方が物知りじゃないですか。

それで?私に聞いて新しいこと分かりました?」

はは道理で、と吸血鬼になった真昼とじゃれあっていた斎藤の姿を思い出して、笑いを舌で転がした。

吸血鬼と遊べるのは吸血鬼だけ。

人間程度が太刀打ち出来る筈もない。

 

「いいや。」

「なら刀退けて下さい。」

「良いだろう。」

緩慢な動作で暮人が鬼呪を鞘にしまう。

「お前の疑いは取り敢えず晴れたが尋問の続きだ。

未明、京都で何があった。」

「何を疑ってたんですか?今更私に何を期待して?」

鋭い視線を、自分自身に向けた嘲笑を交えた苦笑で躱す。

「真昼との繋がりだ。」

「······ほんと、暮人兄さんって用心深いですね。

私は真昼に捨てられた。

暮人兄さんの様に事情を知る人間からすれば、それが真実でしょう。

それなのに何故。

私と真昼の間にまだ何かあるとでも?」

真昼と未明が仲違いしていたのは虚構であったとしても、その後未明が真昼に見放されて柊家に売られたのは真実だ。

それなのに。

未明だってそう思って、絶望の淵を彷徨いかけたのに。

 

「実際にあっただろう。

京都で会ったのは真昼だな?」

監視カメラか式神か。

どちらかは知らないが、未明と真昼の邂逅の様子はバッチリ見られていたらしい。

「京都は吸血鬼の縄張りです。監視の目を広げ過ぎるのもどうかと思いますよ。」

やれやれ、と未明は困った顔をしてみるが暮人は更に問う。

「真昼は何だ。いや、何になった?」

「大体分かっているんでしょう?

頭の良い暮人兄さんなら、もう答えは出ている筈です。」

「······。」

赤い目をした圧倒的な化け物。

さてそんなもの、吸血鬼以外にいただろうか?

 

「暮人兄さん、ごめんなさい。

私には全てを話す気なんて、毛頭無いんです。

暮人兄さんにも、グレンにも、仲間達にも、シノアにも。

誰にも話す気はありません。

遅かれ早かれ、あと2週間もすれば皆知る。」

栄養剤を未明の体に入れてくれるチューブを引き抜く。

だいぶ体の感覚が戻ってきた。もう動けそうだ。

グーパーグーパー、軽く掌の動きを確認して、真っ白な天井を見上げる。

 

「クリスマスの世界滅亡の話か。」

「ええ。百夜教が進める実験である、忌々しい“終わりのセラフ”。

世界を滅ぼしうる最終兵器。

神が怒り、天使がラッパを吹いて、ウイルスがばらまかれる。」

「······。」

暮人は黙っている。

拘束から無理矢理に体を引き抜く未明の動向を注意深く見ているようだ。

未明には変な事をする気は毛頭ない為、ただの徒労でしかない。

 

「私にはやらなくちゃいけないことがあるの。

だから暮人兄さんの話を聞いてる暇は無い。」

「そうか、なら真昼のことはもう良いんだな。」

「良くなんてありませんよ。

私は真昼のことが気になって気になって仕方ないんですから。

今までもこれからも。」

何を馬鹿なことをと未明は笑った。

そうくすくす可愛らしく笑いながら、ベッドから立ち上がる。

 

「そんなお前に朗報だ。

真昼が来たぞ。」

「···どこに?」

「第一渋谷高校だ。

恐らくグレンとも────」

 

その後は聞こえなかった。

聞かなかった。

暮人の言葉が終わるより早く、未明は実験室のドアを蹴破り、薄暗い廊下を駆け抜けていた。

真昼が何故今更高校に現れたのか。

そんなことはどうでも良い。

今はただ、真昼に会わなければならない。

そして何か、何でも良いから、真昼を救う方法を思いつく材料を引き出さなければ。

 

世界なんてどうでも良い。

今更未明が何をしようと、恐らく世界は滅んでしまう。

あの真昼を掌の上で転がしていた何者かの計画なのだ。

失敗する筈もない。

予定外も予想外も、恐らくその何者かにとっては予想の範疇に過ぎないのだろう。

ならばせめて、真昼を救わなければ。

そうでなければ、今まで未明が生きてきた意味はどこにある?

真昼を世界滅亡の為の生贄などにさせはしない。

たとえ真昼がそれを望んでいたとしても、未明はそんな未来望まない。

グレンと真昼が結ばれて、ささやかな幸せが溢れる未来しか欲しくない。

たとえそこに未明がいなかったとしても、もうそれで構わない。

 

 

 

校門を抜ける。

鬼を取り込んだこの体は聴覚も強化されていて、校舎のあちこちで上がる悲鳴や怒号も正確に聞き分けてくれる。

そしてその中に、誰より澄んだ笑い声があるのもすぐに分かる。

未明は更に加速する。

とっくのとうに人間から乖離してしまった力で、大きく跳ねる。

それでもまだ真昼には追いつけない。

いくら跳んでも、遥か先を飛ぶ兎には追いつけない。

 

でも、まだこの手が届くならば、まだこの刀が届くならば。

「おいで、鬼宿······!」

黒い鬼呪を右手に顕現させ、真昼の声がした教室の窓を斬り裂く。

柔らかいガラスだけでなく、結界の様なものも一緒に斬り捨てた様な感覚が刀越しに伝わるが、未明は気にせずガラスが砕け散った後の窓枠を乗り越えて、教室に転がり込んだ。

 

そこにいたのは真昼とグレン、それから未明の仲間達。

グレンは地面に転がされ、その上に真昼が覆いかぶさっていて。

状況把握をする前に、濃厚なグレンの血の香りが未明の鼻を擽り、即座に何が起きているのかを理解した。

 

「ぷはぁっ。」

真昼が顔を上げた。

妖しく輝くその目と同じ色をした、唇から垂れるグレンの血。

そして唇の奥に見える、鋭い牙。

未明の血を吸った様に、真昼はグレンの血も吸ったのだ。

生々しくも甘い血の香りが、未明の頭を揺らす。

未明は別に、吸血鬼ではない筈なのに。

変な欲望が胸の中で濁って、ぐるぐるぐちゃぐちゃ渦巻いている。

 

「あ、未明。」

「真昼。」

「わあ未明、凄い顔。

どうしてそんなに、欲望にまみれた顔してるの?

欲情したの?まさかグレンの血に?」

「···違う、と思うんだけど。」

否定しきれない。

五士の幻覚に守られながら撤退していくグレン達の背中を守る様に、真昼の前に立ちながらも未明は体を蝕む何かに苦しんでいた。

 

「私よりも未明の方が吸血鬼みたいね。」

「まさか···。」

笑ってはみるものの、この教室に充満する血臭の中で、どれがグレンのものかだけは分かってしまう自分には笑えない。

「まあ鬼と吸血鬼は似て非なるものだけど、そうね、未明の(それ)は特殊だから。

吸血鬼に寄っちゃうのも仕方ないのかな。」

「真昼、貴方は鬼宿のことを知ってるの?

私が知らない何かを知ってるの?」

「さあ?

私の用事はもう終わっちゃったから、ばいばい未明。」

踵を返す真昼に手を伸ばそうと、未明は鬼呪を消して彼女の背を追う。

 

「シノアのこと、大切でしょ?」

しかし、その一言に足はいとも簡単に床に縫い付けられる。

「守りたいんでしょ?なら、私を追うのはやめておいたら?」

「真昼、」

「素直で分かりやすいそんな貴方が好きよ、未明。」

激しい風が未明の前を通り抜け、それに思わず目を瞑り、次に目を開けた時にはやはり、真昼の姿はもう無かった。

 

 

「···無駄足、かな。」

そう小さく呟いてしまう自分を内心で未明は叱咤する。

いや悲観するな。

真昼が今ここで、態々シノアの名前を口にしたのは何か意味がある筈だ。

それに真昼が言うには、未明は吸血鬼に寄っているらしい。

恐らく鬼宿が原因なのだろうが、詳しいことは分からない。

だが少し、希望が見えた。

未明は吸血鬼に近い。

人間だったかつての真昼よりも。

 

「近いってことは、なれるのかしら。」

────私も、吸血鬼に。

 

 

 

 

 

それからふわりと一陣の風が吹き、血まみれの教室は只のがらんどうへと変わった。

 

 

 

 




やはり1万字が丁度良いのかもしれませんね。
ついつい書きすぎて2万を超える時があるのは、大変申し訳なく思っております。




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