未だに見えぬ朝を乞う 作:明科
···1話ずつの字数を統一出来なくてすみません。
十二月二十三日。
ここ数週間と同じ様に、この日も未明はシノアのマンションに入り浸っていた。
ここ数週間と言っても、未明が吸血鬼化した真昼に吸血されて気絶し、目覚め、また真昼と会った時からなのだが。
その間には色々あった。
まずは吸血鬼について調べ──結局収穫は余りなかったのだが──次に真昼の隠れ家を徹底的に洗い出し、彼女が残した断片を拾い集めた。
時折暮人から百夜教潰しの前線に出てくるようにとの要請があったが全て無視した。
代わりに鬼呪について新しく分かったことをまとめて送り、暮人からの追っ手は適当に撒いた。
まあ暮人が本気で未明を手元に置いておく気があるのなら、とっくに未明は実験室に拘束されているだろう。
しかしそうはなっていないということは、未明はある程度自由を許されていて。
百夜教が柊家の手によってあっさり滅びたお陰だろう。
百夜教様々である。嘘である。
何はともあれ色々奇妙な点もあったらしいが“終わりのセラフ”計画は頓挫、世界滅亡は阻止された。
世界は救われた。大団円。
今更未明がちょこまかした所で何の意味もない。
そう暮人は思っていたのだろう。
が、
まあそう簡単にハッピーエンドが来てくれる筈もなく。
「あ、グレンだ。ほらシノア、やっぱり来たでしょう?」
インターフォンを押さずに扉を開いて部屋の中に入ってくるグレン。
そんな彼を見て、ソファに座った未明は軽く手を振る。
「それより勝手に入らないでくれます?」
その未明の膝の上に乗るシノアは、大して嫌そうではないのだが定型文的に呟いた。
しかしそれらを無視して、グレンはソファの前のテーブルに小さなスティック────四鎌童子を置く。
シノアは訝しげだが、未明はこれが何だかよく知っている。
元々シノアの中にいた鬼、真昼が引き取った鬼だ。
「未明姉さん、これは。」
「悪いものじゃないわ。貰えるものは貰っておいたら?」
えー、と顔をしかめながら四鎌童子を眺めるシノアを抱きしめたまま、未明は全身に鬼呪を回す。
向かいのグレンを見れば、彼はもう刀を抜いていた。
次の瞬間、玄関と窓、両方から帝ノ鬼の戦闘服を着た敵が襲いかかってくる。
グレンが刀を振りかぶり、その一振りで3人の胴体を斬り飛ばす。
部屋中が赤黒く染まる。
シノアと未明もそれを頭から被る。
「シノア、それを取って。」
「これですか?」
躊躇いがちにテーブルの上の四鎌童子を指さすシノア。
そんな可愛い妹を抱きしめて、優しく言いきかせる。
「それの名前は“四鎌童子”。
変なあだ名でも付けてあげてね。
自分は鬼より優位だと見せつけなさい。」
「はあ。」
困った顔のまま、シノアは四鎌童子を手にする。
瞬間、未明の腕に女児一人分の重みがかかる。
シノアが気絶したのだ。
意識を失った彼女の体を左腕に抱えて、未明は右手に刀を顕現する。
グレンが玄関から入ってきた男の首を刎ねる。
未明はそんな彼の後ろに迫る男の脳幹に刀を貫通させる。
それからグレンのポケットの携帯から響く仲間達の声を聞きながら、未明とグレンは僅かな目配せの後、シノアの部屋の窓から勢いよく飛び出した。
体がマンションの外へと投げ出され、ビュンビュンと下に落ちていく。
未明はシノアを強く抱きしめ、刀を壁に突き立てて落下速度を殺して地面に着地する。
大通りに出る。
全身血まみれで日本刀を持っているグレンと未明(withシノア)を見て、通行人は驚いた顔をする。
が、それを無視して2人は車道を走る。
先行するグレンが信号の1番前にいたバイクの運転手を引きずり下ろし、バイクに跨る。
アクセルを吹かし始めたそれの後ろに未明が飛び乗った瞬間、バイクが一気に加速する。
車と車の間を縫う様にして、赤信号を無視して、仲間達がいる筈のグレンの家へと向かう。
しかし横に追いついてきたミニバンが急に幅寄せしてきた。
ミニバンの側面がグレンにぶつかり、途端バイクはバランスを崩して倒れてしまう。
宙を舞うグレンの胴体を両足で挟み、左手でシノアを抱き、1度鬼呪を仕舞ったことで空いた右手のみで地面に着地する。
これでグレンとシノアを庇えた筈だ。
凄まじい衝撃を受け止めた右手から、骨と筋肉がギリギリ軋む音がするが折れはしない。
鬼呪を回して保護しきる。
「グレン、無事?」
「ああ。」
未明の足の間から這い出たグレンはすぐに立ち上がり、刀を構える。
それと相対するのは、力が弱い一般鬼呪ではなく個別に鬼と契約した強い鬼呪を持つ、帝ノ鬼の兵隊達。
気絶したシノアを庇ったままどれだけ戦えるのかと、未明が目算しながら鬼呪を再び引っ張り出した瞬間、更に兵隊達の乗っているミニバンの遠く背後から、巨大な虎の様な形の弾丸が数発飛んできた。
それが兵隊達ごとミニバンを呑み込んで、強烈な爆発とともに一瞬で塵になる。
そしてそれから数秒かけて、虎の弾丸を吐き出す銃を手にした深夜が、乗ってきたバイクを2人の横に止める。
その後すぐに、五士達がミニバンに乗ってやってくる。
それに飛び乗れば、グレンを心配する美十、花依、雪見がいて。
急いで車が走り出す。
「どこへ向かったら良いですかね?」
と、車を運転する五士が助手席に座った深夜に言う。
だが彼は答えられず、こちらに振り返ってくる。
だがグレンは答えられない。
未明も答えられない。
真昼のいる所、と言いたいけれど彼女がいるのがどこなのか分からない。
世界滅亡前のパニックが始まる前に、“終わりのセラフ”発動に目を向けさせない為の囮である反乱が起きる前に、何とかして真昼の居場所を探り当てようとしたのだが、全て失敗に終わった。
シノアと一緒にいれば、真昼からの連絡が来るのではないかと期待したが無駄だった。
いや、シノアと一緒にいられる最後の時間を穏やかに過ごせたのは無駄では無かったのだが。
車が赤信号で止まる。
すると道沿いにコンビニがあった。
そこにはクリスマスケーキ、なんて書かれたのぼりが立てられている。
「······今年のクリスマスは、ケーキが喰いたいな。」
そんな場違いなことを、グレンは言った。
グレンとケーキ、それから真昼。
ずっと幼い頃に森の中で、2人でケーキを食べたという、真昼から聞いた遠い思い出。
幸せな頃の優しい思い出。
未明は思わず微笑んだ。
「チョコケーキだろ?」
五士が笑う。
それに美十が、
「ショートケーキに決まってます。イチゴが沢山のってるやつ。」
花依が言う、
「あ、わたくし、両方作りますね!」
深夜が笑って、
「で、プレゼントでも交換するわけ?」
「プレゼント······そうね。この子、誕生日だから。
ちなみに私はレアチーズケーキが好きよ。」
腕の中で目を閉じたままのシノアの頭を撫でながら、未明は言った。
するとそこで、雪見が遠慮がちに、
「あの······もしもそれが、人生最後のケーキということなら、私は、マロンケーキが良いのですが。」
なんて珍しく主張をしてきて、それに皆で笑った。
だがもしも2日後に迫ったクリスマスに世界が滅びるのであれば、そんなケーキの話は、夢のまた夢だ。
未明は夢で構わなかった。
けれどグレンには、シノアには、仲間達には、夢で終わって欲しくないと心から思った。
だから未明は足掻くと決めた。
京都で吸血鬼になった真昼に血を吸われて気絶し、次に目を覚ました時に決めたのだ。
真昼を生贄になどしない。
世界を滅ぼす“終わりのセラフ”の生贄になどしない。
真昼がそうせざるを得ない状況に陥らせた黒幕が誰かは分からない。
斉藤なのか、百夜教なのか、それとも柊の王たる父上様なのか。
誰であっても強大な黒幕だ。
全てを掌で転がしていた真昼でさえ、その黒幕の駒でしかなかったのではないかと、その非情な運命に絶望した。
信じていたもの全てに裏切られるかの様な、足場が崩れ落ちていくかの様な悲壮感を味わった。
皆運命に犯されてしまう。
けれども未明は、まだ足掻く。
感情も欲望も死んだ。殺した。
鬼もきつく縛り付けた。
それでもまだここには、願いがあるから。
だから未明は足掻くのだ。
世界が終わるまで、あと残り2日。
タイムリミットはもう、殆どなかった。
終わりの世界へ。
血脈の世界へ。
これはその、人類滅亡に抗う人間の物語。
最後の最期まで必死に足掻いた、人間達の物語だ。
───────────
待っている。
ずっと待っている。
真昼からの連絡を。
クリスマスまであと数時間になった所で、未明達は待っていた。
世界を救う為に真昼と連絡を取り、協力を申し出たのが数十時間前。
柊家を裏切ったと判断され抹殺命令が下り、その追手を殺しながら逃げ込んだのはここ、渋谷のラブホテルの一室。
仲間達は皆、身も心も疲れ果てて眠っている。
グレンと未明を除いて。
無理もない。
同じ高校で過ごしたクラスメイト達顔見知りを斬り殺し、家族も敵に回し、幾つもの屍を乗り越えて、血を被って、今ここにいるのだ。
世界を救う為に。
それを望む、グレンについていく為に。
仲間の為に。
ベッドには女子が倒れ込む様にして眠っているが、未明はベッドの端にちょこんと座ってボイスレコーダーを握りしめていた。
実験室の端に落ちていた、娯楽を与えられなかった未明の玩具。
だが今は玩具ではなく、ちゃんとしたプレゼントになりそうである。
いや、こんなのがプレゼントというのも有り難迷惑以外の何物でもあるまい。
少し前に別れた妹のシノアのことを思う。
あの子には何も言えなかった。
世界滅亡の日とか、クリスマスとか、そんな些事以前に、十二月二十五日はシノアの誕生日だ。
だから素敵なプレゼントをあげて、目一杯祝ってあげたかったのだが、どうもそれは無理らしい。
この数週間、今までの疎遠振りをリセットするかの様にシノアにべったりしたが、嫌がられてはいなかっただろうか。
後になって、思い出してくれるだろうか。
未明だけでなく、真昼のことも思い出してくれたら良いのだが。
そんなことを思いながらボイスレコーダーのスイッチを入れる。
「シノア、25日になったら言えないだろうから先に言っておくね。
お誕生日おめでとう。何歳になったんだっけ。7?8?
···うん、ごめんね、頭が働いてないの。
とにかくお誕生日おめでとう。
きっと次の誕生日か、そのまた次の誕生日くらいには私達の背を抜いてるんじゃない?
で、胸はばいんばいんなの。
走ると痛いぐらいのメロンが育ってる筈よ。
······それは言い過ぎかしら。
期待させたらごめんね。
貴方のお姉ちゃん達────真昼と未明より。」
と、そこで録音を終了しようとボタンに伸びていた指を止めた。
「グレンも何か言ってみる?」
向かいのソファにぎゅうぎゅうに押し込まれている男3人。
その中の1人であるグレンにボイスレコーダーを差し出してみる。
「いや、いい。」
「そう。じゃあ深夜は?義兄でしょう。」
グレンの隣で寝たふりを続けていた深夜にも差し出す。
「んー、僕はシノアちゃんとそんなに話したことないし。」
パチリと目を開けて、小さく笑う。
「まあこういうのは気持ちよ。そう、気持ちで良いの。」
「五士のいびきでも入れとけ。」
だらしなく口を開けて、ぐーぐーと眠る五士を見ながらグレンが言った。
「グレン······私達の可愛い妹になんてことしようとしてるの。
ごめんねシノア、センスの欠片もない男達で。
こんなのが兄達とか信じられる?
まだ暮人兄さんの方がマシね。」
「兄?」
溜息混じりの未明の言葉に、グレンが首を傾げる。
「深夜は真昼の許嫁で、グレンは真昼の恋人じゃない。
シノアにとってはどっちも兄よ、深夜お義兄ちゃん、グレンお義兄ちゃん。」
「えー、グレンは間男でしょ。
人の許嫁寝取ったんだからさ。」
「······。」
「シノアにそういうこと聞かせないでよ。」
プツン。
ボイスレコーダーのボタンを押して、録音を停止する。
その小さな機械をスカートのポケットに突っ込んだ拍子に、短めのスカートが上がって未明の白い太ももがあらわになる。
と同時にベッドで爆睡している雪見が寝返りをうち、彼女の細い太もももあらわになった。
「···このスケベ。」
「むっつり。」
グレンの視線が2人の乙女の太ももを行き来したことを感じ取った深夜と未明は、素早くグレンを囃し立てる。
「散々だな、お前らは。」
呆れた様にグレンが息を吐き出した。
「太もも見る暇があるなら寝たら?」
「そうだよグレン。」
「俺は太ももを見るのに忙しい。お前らは寝てろ。」
「なんだよ、開き直って見るのか。
じゃあまあ、僕も仲良く一緒に見ようかな。
未明は寝なよ。」
けだるい顔で薄く目を開いた深夜が、目だけを未明の方に向ける。
酷く疲れた顔をしている彼の方が寝るべきだと思うのだが、雪見がまた寝返りを打った拍子に上手い具合に彼女の手が花依の大きな胸に乗っかったのを見て、確かにこれは目を覚ました価値がある光景だというのには同意できる。
花依の柔らかなメロンがいやらしい感じに変形しているのだから。
「私の太ももには興味ないの?」
ほらほら、と際どいラインでスカートをパタパタする。
「いや〜未明は一応義妹だし。」
「いいから寝ろ。まだもう少し、戦闘は続く。」
しかし深夜もグレンも興味が無さそうだ。
いやそんな気力が無いからかもしれないが。
「なあ深夜、お前はなんで俺と一緒にいる?」
ふと思い立った様にグレンが尋ねた。
それに対し少し考え込むような素振りをしてから、お決まりの軽薄な笑みを浮かべて深夜は答える。
「ついていってるつもりは無いよ。
僕の横に、たまたま君がいるだけだ。」
「真昼を追いかけて?」
「······ああ、う〜ん。」
今度は視線を下げて本気で考えているのか少しうめいてから、
「真昼はもう、追いかけてないなぁ。」
そう返した。
「婚約者だろ。」
「だってあいつ、他の男と寝たんだぜ?」
「それくらいで諦めるなよ。」
「······未明、僕は不思議だよ。
真昼もなんでこんな男と寝たんだか。」
「ほんとね。当事者が何言ってるのよ、真昼を寝取ったグレン君?」
「真昼も趣味が悪いよな。」
「え、趣味は悪くないと思うんだけど。」
「え。」
「だって、」
真昼の趣味は私と同じだから。
そう言いかけた言葉を、未明はこくんと呑み込んだ。
だがその先の言葉を、男2人は大体察したらしい。
「······」
奇妙な沈黙がこの場を支配する。
そして少ししてから、同時に溜め息をついて笑う。
クリスマスイブに、ラブホテルで、愛憎渦巻く関係性の男2人と女1人で、自分を振り回す困った女について話し合って溜め息をついて。
「疲れたなぁ。」
「確かに。でもまぁ、ラスト25時間の辛抱だ。」
「世界の破滅を食い止めて、か?」
「出来たら僕ら、ヒーローだね。」
「出来ると思うか?」
茶化すように笑う深夜に聞き返しながら、視線を未明の方に向けるグレン。
それに微笑んで、
「相手は真昼だから。」
と答えにならない様で、その実明確な答えになる言葉を返す。
「それなのにお前はどうして俺達についてくる、未明。」
「叶えたい願いがあるの。
その為にはグレンが必要なのよ。
···ああ、グレンだけじゃないわ。
仲間の力が、必要なの。」
グレンの視線を受け止めて、未明は自然な笑みを浮かべた。
「そうか。」
「うん。まだ足掻きたいの。まだ頑張りたいの。
今ここにいる仲間達と、頑張りたいのよ。
グレン、貴方は前言ったでしょ?
黙って守られてろって。
だから私、貴方についていく。」
「ああ。」
「仲間って楽しいから、素敵だから、私はここで頑張りたい。」
本心だった、全て。
未明は真昼を救いたい。世界滅亡の生贄になりゆく彼女を救いたい。
それはきっと、世界を救うのと同義であって。
世界を救う為に足掻くグレンのそばにいるのは悪くない判断だ。
しかしそれ以上に、最期までこの仲間達と一緒にいてみたいと思っていた。
彼等も救いたいと、この先世界がどうなろうとも彼等には生きていて欲しいと、願っていた。
“それ以上”は望まない。
真昼とグレンの未来、シノアの未来、仲間達の未来───それらしか望まない。
未明自身の未来なんか、望まない。
最期の最期、残された時間を仲間達と過ごしたい。
出来ればまたゲームをしたかったし、ケーキも食べたかった。
でも、もう良い。
“それ以上”は望まない。
「そうだね、先のことは分からない。
でもさ、今一緒に頑張ってる仲間は、少なくともその先の世界にいるんじゃないの?」
未明の言う通りだよ、と深夜は手を前に差し出す。
ベッドの方、未明の後ろの方。
そこにいる美十も雪見も花依も、深夜の隣にいる五士も、いつの間にか目を覚ましていた。
全員が、こちらを見ている。
未明と深夜が、仲間と呼んだ連中がこちらを見ている。
後悔はするかもしれない。
いや、するだろう。
他の仲間達はしないようだが、未明は恐らくするだろう。
人間のままで足掻いたことを、鬼を暴走させなかったことを、真昼の様にならなかったことを。
でも良いのだ。
その選択肢は既に捨てた。
仲間を見つけてしまった時点で、そんな選択肢は無くなってしまった。
未明は人間のままでいたい。
仲間と共に歩む、弱っちい人間のままでいたい。
その結果は散々かもしれないし、あの時鬼を暴走させていればと後悔するだろう。
でも良いのだ。
後悔は後にするものだから。
未明にはもう後が無いから。
グレンの携帯が鳴る。
十中八九真昼からだ。
やっとかかってきた。
破滅は明日。最大でも残り25時間。
グレンが通話ボタンを押せば、その最期の歯車が回り始める。
このラブホテルに、未明達が隠れているのがバレる。
そして、真昼と繋がったことがバレる。
柊家はずっとグレンの携帯を盗聴している為、誤魔化しようがない。
だから静かで穏やかな時間はこれで終わりだ。
最期だ。
「おい皆、心の準備は出来てるか?」
そんなもの出来ている者はいない。
訊いてきたグレンもそんなこと分かっているし、彼自身も出来ていない。
けれど皆、黙ってグレンを見つめた。
「馬鹿だなお前ら。
やり方は知らない、でも俺達で世界を救う。
だからいいか、残り25時間だけ、お前らの命を貰う。」
夢物語でしかない、寝ぼけた様な、馬鹿みたいなグレンの言葉に誰も異を唱えない。
「お前らに俺の命を預ける。」
それにも誰も抗弁しなかった。
「だから頼む。それまで全員死ぬな。
全員で、1人も欠けずに世界の破滅を止めて、26日を迎えよう。
で、売れ残りの割引になったクリスマスケーキを皆で喰う。
それでいいか?」
皆頷いた。
未明も頷いた。
未明の分のクリスマスケーキは、きっと真昼とシノアが分け合って食べてくれることだろう。
仲間達と真昼とシノアと───未明の大切な人達が幸せに生きる未来を、掴みに行こう。
そこに未明がいなくても、それで構わない。
始まるのだ。その為の最期の戦いが。
グレンが通話ボタンを押す。
瞬間、爆発音がホテルの1階から響く。
一般客の悲鳴。
もうバレたのだ。
敵が侵入してくる足音と、彼等にとりついている鬼の気配。
それを全身で感じながら、未明は入り口前に1人で立つ。
敵の入り口の突破チームが強かった場合、他の仲間達では即死する可能性がある。
黒鬼持ちのグレンと深夜ならばどうにかなるだろうが、グレンは真昼と大切なお電話中で、深夜は遠距離が得意なタイプ。
だから未明が立つ。
近接戦闘能力が1番高い未明が立つのだ。
鬼宿の拘束を緩めないまま鬼呪を全身に回し、禍々しい刀を顕現して構える。
入り口付近に貼り付けていた足止めの呪符が爆発し、敵が雪崩込む。
1人2人3人······途中で数えるのをやめた。
今はとにかく、この敵が部屋の中に入ってくるのを防がなければ。
その一心で刀を振るう。
一気に何人もの胴体が吹き飛んで、その後ろから姿を現した新たな敵を虎の形の弾丸が薙ぎ払う。
「援護するよ!」
未明の後ろで深夜が銃を構えていた。
遠距離の援護は有難い。
「ありがとう、深夜お義兄ちゃん!」
そう笑いながら、近付く敵を蹴り飛ばしてからその体を踏みつける。
それを足掛かりに前へ飛び出し、また刀を振るう。
今度は首が飛んだ。
鮮血がぱあっと舞い散る。案外綺麗だ。
「それやめてってば。」
ズドン。
死体ごとドアが吹き飛んで、ついでに新たな敵の姿も煙まみれにする。
後ろは見ない。
分かりきっているからだ。
部屋の真ん中ではグレンが電話をしていて、そこに敵が向かわないように他の仲間達も全身全霊戦っている。
窓の方も敵だらけ。
悲鳴と怒号と体が斬れる音、それから血飛沫が上がる軽やかな音。
全てが血まみれだ。
仲間達も、部屋も、全て。
「深夜、1人······」
始末しそこねた!
そう言う前に敵の1人が未明の横を走り去り、そのままグレンに向かって刀を振りかぶる。
駄目だ、間に合わない。
未明は今目の前にいる敵を斬り殺すのに手一杯だ。
彼等から目を離せば、すぐにこのギリギリな戦線は崩壊するだろう。
深夜が弾を放つ音が響くが、それも間に合わない。
真っ直ぐグレンに向かって刀が振り下ろされて─────
グシャリと、嫌な音がした。
深夜の肩が砕けた音。
グレンを狙った敵の刀が、深夜の肩を貫通した音。
深夜はグレンを守る様にして敵の攻撃を受けたのだ。
だがそれでは終わらない。
深夜を刺した敵に引き続き、新たな敵がグレン達に襲いかかる。
「···っあああああぁあっ······!」
更に鬼呪を全身に回して。
体中の血が沸騰したかの様に熱い。
熱くて、そして痛い。
心も痛い。
鬼の力を引き出し過ぎて、動けないくらいにきつく拘束していた筈の鬼宿が暴れだしたのだ。
拘束が緩み始めたのだ。
今ここでこの拘束を解き、鬼の力を暴走させてしまえば一瞬で敵を一掃出来るだろう。
だがそれは許されない。
人間と化け物の境界線を、その一線を越える訳にはいかない!
「······死ねぇえええええ······!」
恨み言の様な何かを吐き出しながら、無理矢理鬼の力を引きずりだして刀を振りかぶる。
グレン達を狙っていた敵の首が吹っ飛ぶ。
続いて襲いかかる敵も、勢いに任せて斬り殺して。
暴れる鬼を抑える鎖が未明の心さえも縛っているのだろうか。
痛い。
とても痛い。
溢れてしまいそうな何かを必死に押さえつけながら、それを無視して動けば動く程痛みは酷くなる。
「出るぞ!」
真昼との通話を一旦終えたグレンが、どうにか確保された退路である窓から飛び出した。
仲間達が続く。
未明は殿だ。
窓の外に体を出した瞬間、起爆の呪符を部屋に投げ込んで一気に敵を吹き飛ばす。
その衝撃で未明の体もホテルの外壁から離れそうになるが、咄嗟に雪見と花依が未明の手を掴んでくれる。
下には降りない。
窓枠を上り、屋上へとあがる。
上から見ればよく分かる。
ホテルの周りはもう帝ノ鬼の軍用車に取り囲まれ、周辺は閉鎖されている。
上空には6機のヘリ。
地上も空も、どちらも塞がれている。
退路なんて見当たらない。
けれども未明は走り出す。
足に鬼呪を回した状態での短い助走の後、ぐっと足に力を入れて跳ねる。
いや、飛ぶ。
飛べない人間の癖に、化け物の力を引き出して飛んでしまう。
そしてヘリを蹴り飛ばす。
ガツン。
鈍い音が響くが、最早痛みは感じない。
空中で傾いた機体に刀を突き刺して、そのまま機体をすっぱり真っ二つ。
爆発四散。
未明の体も簡単に空中を舞う。
だが鬼呪で守られた体では、その程度致命傷になりはしない。
その勢いのまま新たなヘリの上に乗り移り、好き勝手に刀を振り回す。
炎と煙が耳をつんざくような音と共に弾けて、またもや酷い爆発が巻き起こる。
粉々になったヘリの欠片が地上へと落ち、下にいた敵をべちゃりと潰す。
足場を失って自由落下する未明が、そこに爆破の呪符を投げ込めば更に事態は悪化して。
地上は地獄絵図と変わった。
幾つものヘリが2次、3次の爆発を起こす。
恐らくグレン達も同じ様なことをしているのだろう。
息絶えた敵が転がる地上に未明が着地した瞬間、グレンも爆発の煤を被ったまま隣に着地した。
花依と雪見が合流する。
弾丸を放ちながら派手に宙を舞っていた深夜も、地面に転がる様にして落ちてくる。
五士が幻術を使いながら走ってくる。
美十がそんな彼に近付く敵を殴り飛ばしつつ駆けてくる。
仲間達が揃った。
真昼との待ち合わせ場所はどうやら池袋らしい。
ここ渋谷から池袋までのルートを瞬時に弾き出した未明は、仲間達の顔を見る。
皆血まみれで、疲れた顔をしていた。
しかしここで止まる訳にはいかない。
ここまでしておいて、これだけ殺しておいて、止まる訳にはいかない。
だから走り出す。
未明は仲間達と共に走り出す。
世界の破滅に追いつこうと、先ばかり往く姉に追いつこうと、必死に走り始めた。
─────────
十二月二十五日。
クリスマス。
シノアの誕生日。
19時20分。
夕方から降り始めた雪が積もり始めている。
渋谷から池袋への道のり。
車で移動すれば30分、電車を使えば15分程度の距離が今日は遥か遠く感じられた。
戦い始めてから既に21時間。
未だ、未明達は池袋どころか中間地点の新宿にいた。
追っ手と戦い、逃げ、隠れ、見つかり、隠れ、見つかり───なんとか辿り着いた新宿のとある交差点。
一体ここに来るまでで、何人殺しただろうか。
自分達は何故、まだ生き残れているのだろうか。
血まみれの仲間達は皆、自らが犯した殺人に苛まれているらしい。
未明とは違って。
未明は遥か昔に真昼と鬼呪の実験を始めた時点で、人の命は尊くて、それ以上に軽いのだと知ってしまった。
進む為ならば、大切な人間以外ならば、殺すしかないのだと分かってしまった。
そんな訳で精神的疲労は仲間達よりは薄い。心象世界でずっと鬼宿が暴れているのを除けば。
しかし未明の身体的疲労は積み重なっていた。
誰より速く、風より速く、音より速く、未明は刀を振るう必要がある。
このチームの中で1番強いのは未明だ。
もう1番壊れてしまっているから。
1番鬼呪の力を使いこなせているのは未明だ。
だから誰より戦闘に立って、敵陣を斬り裂いていく役目を担わなければならない。
交差点の真ん中で、未明は1度足を止めた。
息が苦しい。肺が痛い。
今や鬼呪を全身に回して、無理に体を動かしている。
未明が立ち止まれば深夜も足を止め、それに倣う様に仲間達が立ちつくして、敵が待ち伏せしている交差点の向こう側を見つめる。
数が多い。
恐らく全員揃っての突破は難しいだろう。
あの敵陣を抜けきる時には何人かが脱落している。
ならば迂回するかと問われれば、それも不可能。
もう時間が無い。
クリスマスが終わるまで、残り5時間を切った。
この状況を打開するには─────
「······もう仕方ないよ。囮作戦にしよう。」
「誰が囮だ?俺か?」
深夜の提案に、肩を上下させながらグレンが問う。
「いや僕だよ。五士に仲間がいるように幻術を使ってもらって、僕はグレン役をやって逃げる。
その間に君らは新宿を突っ切る。」
そんなことをすれば深夜と五士はすぐに殺されるだろう。
何より基本後衛タイプの2人では近距離接近された時に、為す術がない。
「···私が、」
「俺がやる。」
囮をやると、そう未明が絞り出した言葉を消す様にグレンが重ねてくる。
「囮の方が死にやすい。俺がやる。」
「死ぬにしたってどうせ1時間ぐらいの差でしょ。
でもやらなきゃ誰も池袋に辿り着けない。
そして世界は破滅する。違う?」
深夜が言っていることは正論だ。
しかしグレンは納得しない。いや、出来ない。
「ならお前が真昼の所に、」
今度は未明がグレンの言葉を止めた。
彼の肩を強く引いて、無理矢理彼と目を合わせる。
「駄目。貴方は必ず真昼の所へ行って。
真昼は貴方を待ってるのよ、グレン。」
お姫様は王子様を待っている。
だからまだ、世界は滅亡していない。
この物語は、まだENDを迎えていない。
「お前は」
「私なら大丈夫。1人でもやれるわ。
後で追いつける。」
鬼呪を回す。回して回して回して。
暴れる鬼宿を抑える為の鎖が心象世界を突き破り、とうとう実感を持った肉体的な痛みに変わる。
体の奥から針山が突き破ろうとしているような、そんな痛み。
冷や汗が出てきた。
視界が暗い上にチカチカする。
しかしそれを押し退けて、刀を握る掌から手首にかけて現れた鬼呪の紋章をさする。
金色のぐにゃぐにゃとした幾何学模様。
よく見れば鎖らしき形を描いている。
なるほど、鬼が精神体から手を伸ばし、その結果肉体を突き破ろうとしてきた場合、鬼がこれ以上出てこない様直接肉体に防御壁───鎖が現れるようだ。
逆に言えば、鬼の力が増しているということ。
未明の体の主導権を完全に奪おうと牙を剥いているということだ。
まあこれだけ好き勝手に鬼の力を引き出していれば、鬼が暴走するのは仕方ないだろう。
力は奪う癖に、鎖で雁字搦めの上に糧である欲望はあまり与えられない。
だから怒っているのだ。
「未明、真昼は君も待ってるよ。
今日の主役はグレンだけじゃない、未明もだ。」
深夜が未明の肩を軽く押す。
いつもの様にへらへら笑いながら。
「深夜。」
「君が、君らが行くんだ。
世界を救えよ。」
「私には世界なんて救う気は無いの。
正直世界なんてどうでも良い。
私は真昼を救いたい。」
「未明はグレンについて行くんだろ?
それなら世界を救えるよ。
僕らのヒーローグレン君は、世界を救える。それについていく未明も世界を救ったことになる。
君らならそれが出来るって信じて、ここで死ぬから。」
ヒラヒラ手を振って、囮役を始める深夜。
五士もあっさり幻術を使い始めてしまう。
「そんな信頼要らない!
私は、私は······!」
咄嗟に深夜の腕を掴む。
何なんだこれは、まるで未練がましい女の様だ。
こんな風に誰かを引き留めたことがあっただろうか。
真昼はいつだって引き留める前に飛んでいってしまうし、他の人間にはそもそも積極的に関わっていなかった。
だからこれは初めてだ。
仲間なんか作ってしまったせいで、せざるを得なくなった初めてだ。
「未明、」
「私は真昼が1番よ。真昼の為なら死ぬわ。いくらでも死んでやる。
前まではそうだった。
ううん、今も勿論そうなんだけど。
でもそれだけじゃない。
責任取ってよ。仲間とか友達とか、そういうものを教えたのは貴方でしょ、深夜。」
一瞬虚をつかれた様な顔をする深夜に畳み掛ける。
「私達は似た者同士だった。
同じ日陰者で、諦めた敗者で、真昼の影。
でも貴方は足掻くことを決めた。
仲間や友達と一緒に走ることを決めた。
同じ柊家の癖に、同じ影の癖に、貴方は諦めることを諦めた。
だから私も、足掻こうと思った。
仲間や友達と足掻こうと思った。
グレンについて行こうと思った。」
「···うん。」
「京都にいる真昼を追うって決めた時、私の手を引いたのは貴方でしょ。
その責任を取って。
仲間に死んで欲しくないと、私がそう願ってしまう様になった責任を取ってよ!」
大切なのが本当に真昼だけならば、そしてグレンだけならば、きっとこれより前の時点で、未明はグレンだけを連れて真昼のいそうな場所を虱潰しに探し始めただろう。
仲間を捨てて、友達を捨てて。
今まで殺してきた敵と同じように斬り捨てた筈だ。
けれどそうしなかった。出来なかった。
仲間や友達、そういうものを知ってしまったから。
楽しさを、幸せを、知ってしまったから。
だから死なせない。大切な仲間は死なせない。
グレン、深夜、美十、五士、花依、雪見。
皆死なせない。
勿論真昼も、そしてシノアも。
犠牲になるのは、死ぬのは、未明だけで充分だ。
彼等と共に笑う未来なんて望まない。
“それ以上”は望まない。
「皆、死なせない。ここにいる仲間も、家族も。」
誓うように呟く。
「世界が滅びても?」
「滅びても。」
刀を握る手に更に力をこめて。
「それ、矛盾してるって気付いてる?
世界が滅んだら僕ら多分、死ぬんだよ。
それでも?」
泣きそうな顔で、深夜は未明の肩を掴む。
「大丈夫、死なせない。」
「その自信はどこから来るのさ?」
目の端に涙を溜めているせいで、へらりと笑おうとするも失敗してしまう深夜。
珍しいものを見た。
珍しい上に面白くて、未明は自然に口角を上げていた。
「仲間が、いるから。
グレンが、深夜が、美十が、五士が、花依が、雪見が───仲間がいるから。」
未明本人は知らずとも、その笑顔は暴力的だった。
長年の付き合いがある深夜でも見たことがない笑顔。
しがらみの少なかった幼少期を知るグレンならば、なんとなく覚えがある懐かしい笑顔。
作り物ではない、冷たくもない、心からの笑顔。
静謐でありながら輝く様な魅力を放つ美貌によって紡がれる、花のような笑顔。
「···それは、卑怯だろ。
ああもう、仕方ないな。分かったよ、皆で行こう。
馴れ合って、弱い人間同士馴れ合って······分かったよ。」
くそ、と深夜が吐き捨てるように髪を搔き上げる。
「素直で可愛い未明はどこに行ったんだか。
恨むぞグレン、君の影響だ。」
「俺は悪くない。俺達は多分、弱かったから出会った。
なら仲間を見捨てられない弱さを捨てたら、もう何も残らないだろう。
だから俺は仲間を捨てたくない。未明と同じだ。」
「でも悪いよ。僕の義妹を誑かして、熱血漢にしちゃったんだからさ。
友達は選ぶべきだった、僕も未明も。」
馬鹿みたいだ、と笑って深夜は未明の頭に手を置く。
義兄らしいその行為に、未明は思わず目を細めた。
「はっ。それならお前も俺の友達になった責任を取れよ、深夜。」
「意味が分からないんだけど。」
「いやいや良い感じじゃないですか、これ。
今日世界がこれで終わったって、ラストでこんなにクサイ台詞が飛び出すなんて······こんな熱い高校生活、好きですよ俺!
青春じゃないですか。」
五士が笑う。
「悪くは、ないです。」
「百歩譲って、許して良いですよ。」
花依と雪見が笑う。
「こんな風に言うのは恥ずかしいですが、私もこういうの憧れてましたから。
こんな人間関係に。地位や名誉や、そんなものが関係ない仲間と出逢うことに。」
美十が笑う。
「貴方達に出逢えて良かった。
教えてくれてありがとう。
仲間とか友達とか、そういうものを教えてくれてありがとう。」
未明が笑う。
そんな彼女の頭を深夜が再び撫でて、美十が掌を握る。
その温かみにまた笑みがこぼれ、未明は目尻をゆるりと下げた。
─────────
12月25日。
クリスマス。
シノアの誕生日。
20時10分。
柊の兵隊の波を切り抜けてやっと辿り着いた、かつて百夜教の研究所があった地下。
今は誰もいない筈なのだが、研究所全体に明かりが煌々とついていた。
明るい、不気味なほどに静かな廊下を未明達は走る。
聞こえるのは自分達の足音と、何か巨大なモーターの様なものの稼動音のみ。
幾つかロックがかかっている分厚い封鎖扉があったが、その全てを刀で斬り開いた。
腕全体に広がった金色の鬼呪の模様がジリジリ痛む。
しかしそんなこと気にしてはいられない。
階段を降りる。
一番下の階は儀式階になっている筈だった。
長い廊下と、その先に大きな儀式場だけがある階。
その階に足を下ろした所で、未明達は立ち止まる。
動きを止めるとそれぞれが肩で息をしているのが分かる。
だが全員で生きて、ここまで辿り着くことが出来た。
「私が、前に出る。
真昼の速さについていけるのは私とギリギリでグレンだけだから。」
グレンと軽く目を合わせ、2人揃って先にある扉を見据える。
「いや未明とグレンを除けば、近接能力も黒鬼の僕が強い。
だから前が3人、後ろが4人だ。」
深夜がそう言って、一歩前に出る。
「ってことでよろしく。最後の戦いだ。」
「最後にしない為の戦いだ。」
「いちいち格好良いなぁ、グレンは。」
「生まれつきだ。」
「ダサ格好良い方ね。」
そんな馬鹿な話を3人でしていれば、後衛の並びが決まったようだった。
「よし、行こう。」
グレンが走り出すのと同時に未明も飛び出す。
その長く真っ直ぐ伸びた廊下を駆け抜けて、閉ざされた扉の前で未明とグレンは刀を大きく振りかぶる。
2人ならば恐らく分厚い扉も一瞬で斬れる。
その2人の隙を補う為に深夜が呪詛を膨らませ、雪見がクナイを投げて扉を室内の方へ吹き飛ばす。
そうして扉は開かれた。
予想していたより広い儀式場。体育館が2つばかり入りそうだ。
白い壁に白い床。
その儀式場の中央に7つの棺。
そしてその更に向こう側には、未明と同じ制服を着た酷く美しい女。
紫の長い髪を靡かせ、赤い瞳を光らせ、白い牙を尖らせ、真昼は誰かの首に喰らいついて、その血を吸っている。
真昼の周りだけ白い床が真っ赤に染まり、バラバラの死体が幾つも転がっていた。
未明達は走る。
真昼を隙を突けるとは思えないが、彼女はもうこちらに気付いてうっとり笑っているが、背後を狙って未明は刀を振り上げる。
「来たぞ真昼!お前の救い方を教えろ!」
グレンが吠える。
「貴方に私は救えない。」
しかし真昼は緩く笑いながら、グレンと未明の刀をするりと躱すだけ。
「救う!」
「観念してよ真昼、グレンは頑張ったんだから。」
口々に言いながら2人は再び刀を振りかぶり、その横から深夜が銃剣で真昼を狙う。
真昼はそれら全てをかわす。
美十と花依が呪符を飛ばすが、今度は彼女はそれを避けない。
代わりに、雪見が無数に張った罠の糸を1つ引っ張り、雪見の体を軽々引きずり出す。
そして急に未明達の前に、真昼に髪を掴まれた雪見が現れる。
丁度グレンが振り下ろそうとしている刀に向かって、雪見の首が押し出される。
しかしもうグレンの刀は加速していて。
「止まれ!」
「止まって!」
深夜と未明が叫ぶ。
2つの刃先でグレンの刀をどうにか逸らし、なんとか雪見が斬られるのを回避する。
だがこれで前衛は動けない。
雪見という盾を取られてしまっては真昼に攻撃をしかけられない。
それを嘲笑うかの様に真昼はゆっくり雪見の体を振り上げて、そして投げつけてくる。
未明は咄嗟に足に鬼呪を回し、体を逸らしたことでそれを避けることが出来たが、雪見の体はグレンと深夜にぶつかってしまう。
そして団子状になった3人は後衛の3人にも追突し、全員後方へ吹っ飛ばされる。
そちらをじっくり見ることは出来ないが、恐らく全員ダメージを受けた。
回復に時間が要るだろう。
「真昼。」
「未明。」
鏡合わせの様な瓜二つの姉妹は向かい合う。
片方は刀を持ち、片方は手ぶらで。
「私じゃ、駄目かな。」
刀を握り直す。
「駄目よ。」
クスリと笑う。
「私じゃ、生贄にはなれない?」
「駄目、未明じゃ役不足。」
「私の命なら幾らでもあげるのに?」
「貴方の命は要らないわ。私だけで良い。」
「私はね、真昼、貴方の命があれば良いの。
私は死んでも良いんだよ、だからね、吸血鬼にしてよ。」
「だぁめ。」
しかし真昼は赤い唇を緩く上げるだけ。
「残念だなぁ。貴方を捕まえて言うことを聞かせるしかなくなっちゃった。」
「貴方に出来るの?」
赤い目をキラキラと妖しく光らせて、真昼は無垢な子供の様に尋ねる。
「出来るよ。」
それに未明は強く返した。
背後でグレンと深夜が立ち上がる気配を感じる。
彼等が回復する分の時間は稼げた。
あとは他の仲間達の分の時間も稼がなければ。
「未明、時間稼ぎなんてしなくて良いよ。
貴方のだーいすきな仲間が回復できるだけの時間は待ってあげるよ?」
全てを見透かして真昼は笑う。
「でも回復したところで意味があるの?
弱い仲間とお手々をつないで私に追いつける?
貴方1人なら私に追いつけたかもしれないのに。」
「そうだね、真昼。
仲間とか家族とか、全てを捨てて、貴方みたいに化け物になることを決めたなら、私は貴方に追いつけた。
貴方の居る場所に立っていられた。」
そして今真昼の隣に立って、グレン達に刀を向けていただろう。
「今からでも遅くないのよ?
皆殺したら?」
「駄目だよ。私は化け物になれないし、なっちゃいけないの。
私には人間でいて欲しいって言ったのは貴方でしょ、真昼。」
刀を掴む腕が熱い。
鬼呪の鎖が今にも肌を突き破りそうな感覚。
痛い痛い痛い、痛くてたまらない。
すぐそこまで鬼が迫ってきている。
少し意識を飛ばせば、鬼に喰われてしまいそうになる。
だが駄目だ。
鬼に身を任せればきっと楽だろう。
きっと幾らか楽に真昼を救えるだろう。
だがそれでは駄目なのだ。
誰かの為に誰かを犠牲にはしたくない。
犠牲にするのは未明だけで良いのだから。
「仲間を殺さなきゃ私を救えなくても?
私の為に仲間を殺してはくれないの?」
「殺さないよ。」
「酷いなぁ、未明は。私が1番じゃなかったの?」
「1番よ。
貴方のことを死んだ後も愛してるわ。」
「なにそれ?」
意味が分からないと笑う真昼。
「言葉通り。これが私の覚悟なの。
これが私の生きる意味。
貴方を愛してる、仲間を愛してる、家族を愛してる。
死んだ後も、ずっと。」
もうどうせ終わりだ。
どうせ死ぬのだ。
それならば最期くらい、本心を吐いても良いだろう。
そう、未明は笑った。
困った様に笑った。
鬼が活性化するのを防ぐ為、本心は口にすまいと心がけてきた。
想いなんて口にしなかった。
言葉になんかしなかった。
でももう、今更そんなことを心がけても何の意味もない。
鬼は活性化どころの話ではない。
暴走だ。心象世界を突き破り、肉体を乗っ取ろうと暴れている。
だがそれでもまだ未明は鬼に喰われない。
あと少し、あと少しで良いから。
「生きる意味ってなに?ねえ、なにそれ。
グレンなら分かる?生きる意味ってなんなの?」
「······。」
グレンは答えない。
回復した仲間達の手を引いて立ち上がらせているらしい音が聞こえるのみ。
代わりに深夜が閃光の陣────火力の強い1人を残して、全員捨て身で攻撃する陣形を提案する。
勝つにはそれしかない。いやそれでも足りないかもしれない。
だがこの真昼をどうにかするには、それしかないことも事実。
「あは、それ、凄く正しい選択。
深夜はいつも正しい道を選べる。
じゃあそれでもう一度やってみて?」
しかしそれに深夜はへらへら笑った。
いつもみたいに笑って、
「っていう提案が正しいのは僕も分かってるんだけど、グレンは馬鹿だから全然それ採用してくれないんだよねぇ。
したらしたで、駄々っ子の未明が嫌がるし。」
「誰が駄々っ子よ。」
すかさずつっこむのだが、深夜は気にもとめずに言葉を続ける。
「で、僕らは戸惑う。明らかに正しくない道へ進もうとする馬鹿過ぎる彼の選択に戸惑い、狼狽えて、どうしようもなく惹かれる。
僕らも、未明も、そして真昼···君もだろ?
グレンを好きな理由は、彼が正しくないからだろう?」
「······。」
真昼は黙る。
艶かしい微笑を浮かべたまま、黙り込む。
「君が選択してないんだ。
どっちも取ろうとするなよ、正しい道しか走ってない君がそんなことするな。
正しい道か、グレンか、先にちゃんと選べよ。」
「で、偉そうに言う貴方は選んだの?深夜。」
小首を傾げて真昼は問う。
「ああ、グレンを選んだ。馬鹿だろ?笑えよ。
でも、それが君は羨ましい。違う?」
それに深夜が答えた時、ほんの少しだけ真昼の眉が動く。
緩やかな曲線を描いていた眉がぐにゃりと顰められた。
「···そうね。」
そして小さく笑った。
もう良いでしょ、とそんな囁きが聞こえてきそうな雰囲気で。
その違和感に本能的危機感を覚え、気付いた時には足を動かしていた。
今多分、真昼は怒っている。
深夜の言葉に少なからず心が動いた。
本当のことを言われたから。
貼り付けた微笑の仮面のお陰で周りは皆気付かないのだろうが、未明だけは分かる。
長年運命を共に生きてきた、片割れだからこそ分かる。
真昼の殺意が静かに膨らんでいることに。
「まだ間に合う。まだクリスマスは終わってない。
正しい道を外れて、君も弱さを受け入れることが───」
深夜の言葉が続き、未明が駆けている途中、やはりそこで真昼が動いた。
瞬きのうちに真昼は動いていた。
そんな一瞬の風になった真昼を、未明は正面から受け止めた。
「もう黙って、深ゃ──────え?」
囁くような小さな声。
いくら鬼の力で強化された聴覚と言えどはっきり聞こえはしないくらいの、小さな声。
なのにそれが、すぐそばで聞こえる。
未明の前に真昼がいる。
真昼の腕が、未明の胸の真ん中に突き刺さっている。
胸の方を見なくても分かった。
ずくりずくりと胸の真ん中から力が抜けていく。
全てが溢れ出ていく。
「み、めい?」
真昼の赤い瞳が揺れている。
自分の腕が貫通したのが何故深夜の体では無いのかと、未明の後ろに無傷で立ち尽くしたままの深夜と血を吐き出す未明を見比べて。
ゆらりゆらりと揺れている。
「捕まえた。」
そんな真昼にニタリと笑い、呆然としているせいか未明の体に突き刺さったままの彼女の腕をがしりと両手で掴む。
刀を持っていた方の腕も既に空いていた。
真昼の腕を体で受け止めた衝撃で、刀は未明の手を離れて悠々空中を舞っていた。
丁度、未明の正面────真昼を間に挟んだ状態での未明の正面、つまり真昼の背後を飛んでいた。
つまり、この上ない絶好の機会。
つまり、最期。
これから始まる終わりに、自分の手で選び取った終わりに、未明の頬はひとりでに笑みを描く。
その笑顔に警戒したらしい真昼が、離れる為に腕を未明の胸から引き抜こうとするが、それ以上の力で未明は彼女の腕を掴む。
掴んで、捕まえる。
捕まえて、逃がさない。
「鬼宿。」
何度も呼んだその忌々しい名前を口にする。
ヌメリと赤く染まった唇を開いて、血と一緒に吐き出す様に。
「おいで。」
何度も下したその慣れ親しんだ命令を口にする。
真昼は未明が何をしようとしているか分かったらしく酷く抵抗するが、暴れる彼女の腕を金色の鬼呪が表面に出てきた腕で押さえつける。
吸血鬼の真昼には、鬼呪がよく効くのだろう。
してやったり、と微笑む。
そしてその微笑みのまま、主人の元に帰ろうと飛んできた刀に貫かれて、未明の華奢な体は地面に縫い付けられる。
紙を画鋲でコルクボードに留める様に軽い音を立てて、胸の真ん中を留められた十字架刑状態の未明が完成する。
白いセーラー服、紫の髪、そしてそこから溢れ出す赤い血。
鮮やかな赤が未明の体を真ん中に、じわじわ白い床に広がっていく。
まるで赤い大輪の花の様。
地面に落ちた赤い花。
木から離れた赤い花。
残された時間は残り少ない。
血と一緒に命が溢れ出していくのを、未明は自分の鼓動を遠くに聞きながら感じていた。
そんな未明を見下ろすのは、左腕1本と左側の髪をばっさり持っていかれた真昼。
真昼が肩を外してでも未明の腕から逃げたせいで、刀が奪えたのは左腕だけだったが、まあ及第点だろう。
これで彼女を殺せるとは思っていなかったし、それが目的ではない。
左腕から出た血で真昼は顔を赤く染めているが、その中でも1番目を引くのはやはり赤い目だ。
同じ赤の筈なのだが、目が1番目立つのは何故だろうか。
「まひる。」
その赤い目を見つめて、未明はふらりと手を伸ばす。
「なんで、貴方が···」
斬り落とされて地面に転がる左腕を拾い上げて、傷口にそれを当てる真昼。
だが対吸血鬼属性を持つ武器である鬼呪で斬られた傷口は中々治らないのだ。
その腕を庇いながら、真昼は僅かに顔を歪める。
「深夜を、庇ったこと?
それと、も、私諸共、鬼呪で貫いたこと?」
自分が原因で真昼が表情を変えてくれた。
その事実が嬉しくて、未明は血と笑いをコポリとこぼす。
「どっちもよ!なんで、どうして、貴方が?
そんなつもりじゃなかったのに······!」
どうしてどうして、と取り乱している。
グレンの腕が落ちた時の様に取り乱している。
「あは、は、そんなつもりじゃ、ないって、言ってくれるの?」
「当たり前よ!計画は、こんなんじゃなかった。
貴方だけは必ず、必ず···」
「私だけは、何?」
何だろう。その先は何だろう。
未明だけというのは何だろう。
グレンだけでもシノアだけでもなく、未明だけ。
ついつい期待してしまう。
「貴方だけは······」
しかし、その後に続く言葉は聞けなかった。
一瞬のうちに、真昼が深夜の胸に腕を通してしまったからだ。
取り乱す真昼の、その隙を狙った仲間達は力を振り絞って真昼に攻撃をしかけたのだ。
しかし結果は目に見えていた。
そして今、目の前でよく見えている。
止めてと言う前に、未明がそう叫ぶ前に、あっさり真昼の腕に貫かれた深夜の体はドサリと地面に崩れ落ちた。
次は美十、次は雪見、次は花依。
皆、おもちゃの人形の首かの様に、簡単に刎ねられた。
コロンコロンと転がる彼女達の頭の、その目と目が合って、その現実を頭が受け入れる前に、そこに五士の頭も加わった。
心が凍る。
頭が凍る。
全身が凍る。
凍りついているのに、胸の真ん中からは熱い血とめどなく溢れていく。
今にも死にそうな、いや既に死んでいてもおかしくないその傷口に鬼呪が回り、表面だけは修復していく気配がある。
だが何の意味もない。
血は止まらない。
真昼に貫かれた分と、刀に貫かれた分と2つ合わせて、内臓は間違いなく致命傷だ。
それでも鬼宿は未明の傷を治そうと躍起になっている。
さっきまで今にも未明を喰ってやろうと暴れていた癖に、今は慌てて泣き叫んでいる。
落差の激しい奴、やはり見た目通りの幼児か。
そんな戯れが思考の海に浮かび、どうにか今目の前で起こっている悲劇からの逃避を図ろうとする未明の脳。
しかしそんな未明の意識を現実に引き戻すのはグレンの吠える声。
真昼の手によって次々仲間が死んだことに耐えられず、彼は怒りを、憎しみを、悲しみを、殺意を吐き出している。
だがそれでは駄目なのだ。
それではきっと、鬼に喰われてしまう。
弱っちい人間をやめてしまう。
弱い自分達は弱いから出会って、仲間になったのに、グレンがそれをやめてしまったら──────
「がはっ、がはっ、がぁあああ?!」
未明のすぐそばで、声がした。
仲間の声。
まだ生き残っている、仲間の声。
深夜の声。
「······深夜っ!」
予想通りグレンは深夜の方に駆けて来る。
転びそうになりながら、顔を白くしながら、彼は倒れている深夜の所へ全力で走る。
「いま、いま助ける!お前もだ、未明!」
深夜の体を抱き寄せながら、まだ目を開けている未明にも気付いたらしいグレンは未明の胸に刺さったままの刀を抜いて投げ捨てる。
それから未明のことも抱き寄せてくれる。
未明と深夜は2人共揃って胸に穴を開け、血を溢れさせていた。
その穴を塞ごうと必死に手で押さえてくれるのだが、如何せん血が止まらない。
「止まれ、止まれ、止まれ、止まってくれ!頼む!」
グレンが叫ぶ。血を吐くように叫ぶ。
実際に血を吐いているのは未明と深夜だというのに。
「······これで、ゲーム、オーバーか。」
「喋るな!」
深夜がポツリと呟いた言葉を、涙を流しながらグレンが遮る。
「···グレン、聞いてくれ。」
「黙れって!」
「······僕は死ぬ。でも、楽し、かった。
グレン、君と、君たちと会えて」
とそこで、深夜が未明の方を見る。
にへらと笑って。
心から今が1番楽しいと、そう思っている様な良い笑顔を向けて。
「···生きる意味が、あっただろ?僕ら、あっただろ?」
「あったね、深夜。·····私達でも、あったよ。」
先の方から感覚が無くなっていく手を深夜の方に伸ばす。
すると深夜も未明の方に手を伸ばしてきて。
手が薄ら触れ合って。
「グレンに会えて、逃げずに、甘ちゃんのまま、弱いまま、死ぬ。
これ、一周回って僕らの勝ちだ。」
「ごめん、ね、深夜······私、やっぱり力が足りなくて。」
やはり真昼に敵わず、仲間は皆殺されてしまった。
未明の本来の目的を達成する前に、仲間は皆死んでしまった。
真昼とグレンと仲間達と、皆が生きていける未来を求めたが、それは過ぎた願いだったのだろうか。
「良いよ、未明。さっき、庇ってくれた、だろ?
まあ、君が自分を犠牲に、して······真昼を倒そうとしたことは、怒ってるけど。」
皆で生き残るって決めただろ、と深夜は笑う。
「そうだね、ごめっ···あがっ·····はぁ·····。」
クスクス笑おうとすれば、胸と口から血がこぼれてしまう。
苦しい。
「なあグレン、泣くなよ。」
未明と触れ合っていない方の手を深夜がグレンに伸ばす。
それから指をグレンの涙で濡れた頬に当てて、また笑う。
「で、怒るな。
僕が死んだとしても、僕ら甘ちゃんのまま···弱虫のまま一緒に死のう。
それが出来れば僕らの勝ちだ。そう決めた。
だから人間をやめるな、鬼に取り込まれる、な·····」
そこで、深夜の声が、止まった。
未明の掌に触れて僅かに動いていた指先が、止まった。
「深夜!
深夜?!なあ、深夜······!」
グレンの体が震える。
その震えが未明に伝わる。
深夜の名を呼ぶ力さえ無くなりつつある、未明に伝わる。
しかし最期の力を振り絞って、未明は真昼の方を見上げる。
涙の跡が残る頬と凪いだ赤い瞳。
それに笑いかけ、未明は血の味がする唇を開く。
「···真昼、私は死ぬよ。」
「······。」
「だから吸血鬼にして。
私を、吸血鬼にして。
真昼の血────吸血鬼の貴族の血は、刀を通じて、わたし、の体に入ったから。」
未明自身ごと真昼を刀で貫いたのは、刀を通じて真昼の血を未明に取り込む為だった。
吸血鬼の血があれば、人間は吸血鬼になれるのではないか。
そんな仮説を立てた未明は、真昼の血を手に入れる為に丸ごと串刺し作戦を実行したのだが、真昼が未明の動きを警戒し、それを何とか防ごうとした事から考えても、仮説は事実だと証明された様なものだ。
つまり、今未明は吸血鬼になれる。
真昼の代わりに、生贄になれる。
「駄目。私がならなきゃ。私がやらなきゃ。」
ふるりと首を横に振り、真昼は断ってしまう。
「ええー、駄々こねないでよ。
······最後の手段、取るしかないじゃない。」
力なんてもうどこにも残っていない。
けれど必死に、言葉通り必死に、未明は真昼に手を伸ばす。
鬼宿によってつけられた傷で、血で、確かに繋がった唯一の片割れに手を伸ばす。
そして、引き寄せる。
「未明、やめ、未明······!」
絹を裂く様な悲鳴。いや怒号なのだろうか。
真昼はすぐに、自分に何が起きつつあるのか分かったらしい。
「生贄は私がなる、よ。だから真昼は、グレンと生きて。
未来を、生きて。滅びた世界の向こう側を、生きて。
私の願いを、叶えて。」
頭が揺れる。視界が揺れる。
それでも真昼との繋がりは切らさない。
無理矢理、真昼の中にいる吸血鬼性を引き抜いてしまうまでは離さない。
真昼が素直に未明を吸血鬼にしてくれないのなら、未明が勝手になるだけだ。
真昼を人間に、未明を吸血鬼に。
ただそれだけで良い。
くるんと黒を白に引っくり返すだけで。
それだけで事足りる。
未明が真昼の吸血鬼性だけを取り込んでしまえば事足りるのだ。
鬼宿に密かに刻んでいた呪いが生み出した繋がりを頼りに、未明は真昼の吸血鬼性を引き寄せる。
ドロドロとした、嫌なもの。
綺麗な真昼には、要らないもの。
幸せな未来には、無くて良いもの。
そんな汚いものは全部、未明が食べてしまうから。
飲み込んでしまうから。
だからね────
グレンの声が遠い。
しっかりしろ、死ぬな、とそうグレンが言ってくれているのに。
「駄目よ。貴方だけは駄目なのに。
未明、離して!」
「いや、だよ。」
息も絶え絶え、唇を動かす。
もう真昼の姿が見えない。
暗い。ぼんやりとしてくる。
ああ、繋がりを離しては駄目なのに。
まだ全部、真昼の吸血鬼性を食べてはいないのに。
もう、何も見えなくなってしまいそうだ。
「未明、貴方だけは───────」
プツン。
どこかで糸が切れる音がした。
何も見えず、何も聞こえない。
ゆらりゆらり、何か波の中に揺蕩っている様な優しい感覚を最後に、未明の意識は完全に途絶えた。
次に自分というものを未明が確認出来たのは、知らない空の下───流星になって真っ逆さまに落ちていく時だったのだが、その先は割愛だ。
そこから始まるのは世界滅亡の中足掻く人間達の物語ではなく、真っ直ぐに歪んでいくミメイ=ヒイラギの物語なのだから。
*********
「───────そして、流星街にマジモンの流星になって落ちたのでした。おしまい。めでたしめでたし。」
パタンと絵本を閉じる様に、ミメイは両の掌を互いに打ちつけた。
「どうだった?」
ベッドに横たわるクラピカを見て、ミメイは微笑みながら尋ねる。
「······いや正直どこから何を言えば良いのか分からないのだが。」
そう言う彼はやはり微妙な顔をしている。
「あー、まあそうよね。」
鬼呪とか世界滅亡とか、そもそも世界観が全く違うから。
そんな言葉は口の中で転がすのみに留め、ミメイは苦笑を浮かべた。
「いや、そういう意味ではない。
お前の思っていることと、私の思っていることは恐らく違う。」
緩く頭を振るクラピカにミメイは首を傾げる。
「どういうこと?」
「正直に言おう。お前の話はよく分からない。
お前の故郷の常識やその他何もかもは、私の常識と違うのだろう。
1つの物語の様にしか思えない。」
「ああ······。」
まあ分からなくもない。
ミメイだって世界滅亡なんて馬鹿みたいなこと、夢物語だと思いたかった。
しかし鬼宿が言うには、ミメイが意識を失った後しっかり世界は滅亡したらしい。
予定通り真昼が生贄になり、死んだ仲間を蘇らせる為にグレンが“終わりのセラフ”を発動し、神からの天罰は下って世界は滅んだ。
グレンは独りで罪人になり、独りで十字架を背負う選択をした。
「だが、」
そうクラピカは言葉を続ける。
必死さを感じさせる顔で、ミメイの方を見てくる。
そしてミメイの手を引き寄せ、そっと躊躇いがちに握る。
「前言っていたな、好きとか愛とか、そんなものは抱いていないと。
妹のことも、別に何とも思わないと。」
「···それが?」
この世界に落ちた時、鬼宿はなりを顰めていた。
ミメイの体を突き破ろうと暴走していた片鱗は無く、大人しく鎖に雁字搦めになっていた。
勿論鬼呪の鎖が、ミメイの体の表面に現れていることもなかった。
理由は知らない。
だが不幸中の幸いだった。
鬼宿があのまま暴走状態にあれば、ミメイはこの世界ですぐに喰われていただろう。
だから今度こそは決して鬼を暴走させまいと、始めから鎖で押さえ込んだ。
真昼の影として生きるだけの、仲間を知る前までの様に。
関わる人間も少なく、感情も生まれにくく、欲望も湧きにくかった。
だが結局の所、人間というものは人間と出会い、そして感情を取り戻してしまう。
1度覚えてしまっているからこそ、すぐに蘇らせてしまう。
そうしてとうとう、今度は後悔しない為に鬼に喰われて力を得ることを選んだのだ。
誰かを救う為に人間をやめることを選んだのだ。
今度こそは、死なせない為に。守る為に。救う為に。
「だがそれは嘘だ。
お前はちゃんと、愛を知っている。
だからお前は人間だ。
家族や仲間や、そんな大切な誰かを想うお前は、間違いなく人間だ。」
心臓が止まった様な気がした。
普通の人間にそんなことを言われたのは初めてだったから、つい息を呑み込んでしまった。
クラピカが言った言葉の意味をゆっくり噛み砕いて、それが体に染み渡る頃には、彼が握ってくれる手の温かさがツンと鼻にきた。
真昼に貫かれて薄ら残った古傷が、ちくんと傷んだ気がした。
しかし胸が痛いのは恐らく古傷のせいではないのだと、なんとなくミメイは分かっていた。
「お前は人間だ。
誰かを愛すべく、また誰かに愛されるべくして生まれた人間だ。
お前の想いや愛は、間違いなんかではないと私は思う。」
きっとずっと、待っていた。
人間だと言われるのを。
誰かを愛して良い人間だと、誰かに愛されて良い人間だと。
半端者である自分の想いや愛は、間違いなんかではないと。
それは胸に抱いて良いものなのだと。
人間らしく自由に想い自由に愛し、自由に振舞って良いのだと。
“それ以上”を求めても良いのだと。
真昼を、シノアを、グレンを、仲間を愛している。
それだけで良い。
それだけで充分だ。
それだけの為にミメイは死ねる。
“それ以上”が無くとも────彼等に愛されなくとも、何も返ってこなくとも。
けれど。
“それ以上”を求めても良いのだ。
そして既に、きっとミメイは“それ以上”に愛されていた。
いや実際は分からない。
分からないのだが、そうであったらと求めることは間違いではない。
誰かを愛し、愛されることを望むのは決して間違いなんかではない。
「ああ······そっか。
私は求めても良いのね。」
目の奥が熱い。
こんなに熱くなったのは何年ぶりだろう。
生理的なもの以外で、この目から涙がこぼれるなんて何年ぶりだろう。
感情を爆発させる為の手段として、泣くなんて何年ぶりだろう。
前に泣いたのはいつだったか、もう覚えていない。
枯れ果てていた涙腺の筈だった。
けれど。
「ありがとう。」
他でもない貴方に言われて私は救われた。
目尻からこぼれる涙が床に落ちるより早く、ミメイは目の前の少年に抱きついた。
本当はいつか誰かにしてみたかったことを、今度は後悔の無いように。
「貴方に出逢えて良かった、クラピカ。」
雪の降りしきるクリスマスに仲間達に言った言葉を繰り返しつつ、あの時よりも鮮やかな感情を溢れさせて、ミメイはクラピカの体を抱きしめる。
彼の背に手を回し、彼の肩に顔を埋め、彼のサラサラの髪が頬に当たる擽ったさに少し笑い。
ミメイはまた、涙をひとしずくこぼした。
「私もお前に出逢えて良かったと思っている。」
おずおずと躊躇いながらも、しっかりとした手つきでクラピカもミメイの背に手を回す。
初めて見るミメイの涙に驚いていたが、それ以上にこの温かさに身を委ねたいと彼自身も思っていた。
けれど、夜は未だ明けない。
─────これは、真っ直ぐに歪みながら破滅へと向かう物語だ。