未だに見えぬ朝を乞う   作:明科

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ご無沙汰しております。
···不定期更新が常なんです。
それでも読んで下さることに感謝しています。






24:千夜も一夜も君の中

「さあ、お次は燃えるような赤髪の少女!

目の色は茶色と平凡ですが、髪の色をより一層鮮やかに魅せる白磁の肌は絹の様な触り心地!

それでは100万ジェニーから!」

迫っ苦しい地下の闇オークション会場の舞台の上。

殆どレースで出来ている防御力ゼロな黒のミニワンピースの少女が、その白い細い肩を揺らしている。

怯えた様に縄で縛られた両手首を胸の前に持っていき、少しでも舐め回す様な視線から自分の身を守ろうとするが、その行為に意味は無い。

泣き出したいのを必死にこらえているのか、その目元を桃色に染めている健気な姿が、余計に客の下卑た欲を昂らせている。

 

「150万!」

「200万!」

「225万出そう!」

オークショニアに呼応する様に、暗闇から幾つも手が上がる。

その手の多さにオークショニアが満面の笑みを浮かべるのとは対照的に、少女はとうとう耐えきれずに自分の掌に顔を埋めてしまう。

 

汚らしい熱気がこもるその暗闇に上手く紛れているのは、黒基調の給仕服を身にまとった金髪の少年。

客の1人にワインを差し出し、その仕事を終えてからおもむろに胸ポケットからペンライトを取り出す。

カチカチ。

ムーディな光が覆う舞台に向けて、小さな青い光を2回点滅させる。

これがあらかじめ決めてあった、2人の合図だった。

 

 

「さあさあ、もういらっしゃいませんか?

それならば500万ジェニーで落札ということになりますが、皆様いかがでございましょう。

焔の様なこの鮮やかな赤い髪。

なかなかお目にかかれるものではありませんよ!」

オークショニアが客を焚きつける様に腕を大きく広げる。

だから気が付かなかった。

客は皆、存在感のあるオークショニアの方に一瞬目をやったから。

そして彼女には、その一瞬で充分だったから。

 

気付いた時にはもう、笑顔のままのオークショニアの体がぐらりと(かし)ぎ、舞台から転がり落ちていた。

その場にいた誰もが目の前で起きたことを上手く認識出来ず、一瞬の静寂が会場を支配する。

しかしすぐ次に彼等の鼻を襲ったのは、紛れもない鮮血の香り。

最前列にいたご婦人が、床に倒れ伏したオークショニアの体から赤いものがゆっくり広がっているのを目にし、甲高い悲鳴を上げる。

それがよーいドンの合図になったのか、パニック状態に陥った客が一目散に出口を目指す。

 

しかし出口は開かない。

大人の男が何人かで突進したとしても、観音開きの扉はビクともしない。

それもその筈だ。

あらかじめ給仕に身を扮した金髪の少年が、外から何重にも鎖を巻き付けて鍵をかけておいたのだから。

 

そしてその金髪の少年は懐からスプレー缶を引き出して、開かない扉付近に密集した客に向かって噴射する。

自分の口元はしっかり袖で覆い隠し、体の大きい男を中心に煙を振りかけていく。

そうすれば昏倒した体格の良い彼等に押し潰されて、連鎖的に気絶する人間が出るからである。

暗闇に、人死にに、煙。

パニックは悪化の一途を辿り、狭い地下室は地獄絵図へと変貌を遂げた。

 

その中を流星の様に駆け、跳んで行く人影が1つ。

足元が良く見えない暗闇も、視界を阻む煙をも物ともせず、赤い髪を靡かせて人混みに紛れ込む。

それから小さく呟いて、その掌に黒い刀を顕現させて、正確無比に幾人かの命を刈り取っていく。

流血が増えたことで悲鳴と怒号は更に大きくなるかと思いきや、今度は体が倒れ伏すバタリバタリという音が会場を支配する。

そうして数秒もすれば、殆どの音は消えた。

血溜まりの上を裸足で歩く少女の、ピチャリピチャリという足音だけが響いている。

 

 

「あーあ、ちょっと汚れちゃった。」

黒い刀を空気に融かし、空いた手で赤く染まったワンピースの裾をえーいと呟きながら引っ張る。

「早く着ろ。風邪を引くぞ。」

空になったスプレー缶を再び懐にしまう金髪の少年は、身につけていた黒いジャケットを少女に投げ与える。

「はいはーい。ほんと、クラピカってばお母さんみたい。」

透けてばかりの黒いミニワンピースの上からジャケットを羽織りながら、少女は舞台の方へ歩いていく。

 

「どう?」

舞台の下に転がるオークショニアの懐を調べる少年に近寄り、上から覗き込む。

「外れだ。連絡機器の類は持っていない。」

「残念。折角変装までして潜入したのに。」

つまんない、と唇を曲げながら、少女は自身の赤い髪を下に引きずる。

引きずって、床に落とす。

 

「にしても案外似合ってたと思わない?赤い髪。」

ふわりと広がるのは、夜闇に浮かぶ星の様な輝き。

セイレーンの歌の様に人々を魅了し離さない、妖しい色合い。

いつものラベンダーグレーの髪。

それを無造作に背に流した少女────ミメイは赤髪のカツラを拾い上げる。

床に放置していきたかったが、几帳面で潔癖症な少年────クラピカがそれを許さない。

ポイ捨てするとは何事か、と冷たい目を向けてくるのだ。

 

「私はそれよりもお前の演技に驚いた。

あそこまでやる必要があったのか?」

「怯えてるふりでもしないと笑っちゃいそうで。

最前列の人見た?カツラだったのよ。

見事な金髪サラサラのカツラ。

それがちょっとズレてて、ツルツルの頭皮が見えてたの。

王子様か貴公子かを気取ってる雰囲気だったし、顔は悪くなかった分残念よね。」

「···。」

いくら仕事とはいえ、囚われオークションにかけられていることに対しなんの焦りも危機感も抱かない、余裕のよっちゃん状態のミメイに呆れてものも言えなくなる。

 

「ま、そんな可哀想な似非王子様もめでたく天使に連れて行かれましたとさ。

自分の体を捧げた末に倒れ伏した幸福の王子様みたいにね。

めでたしめでたし。」

はい、と赤いカツラをクラピカの頭に被せて、足の裏にぺったり張り付いた血をオークショニアの死体で綺麗に落とそうとする。

が、クラピカからの非難の目に肩を竦め、血で汚れた足は仕方なくそのままにすることに決めるミメイだった。

 

「ターゲットだったのか。その男も。」

「ええ。死人は私の標的だった3人と、必要経費だった不幸なオークショニア。

合計4人ね。文句無いでしょう。」

もうこの場所に用は無いと言う様にミメイはステージ上に上がって、そのまま裏口を目指す。

「オークショニアを殺す必要はあったのか?」

そんな彼女の後を追いながら、クラピカは押し付けられたカツラをポケットにしまった。

「さっきオークショニアの懐を探ってた貴方が言うこと?」

「気絶させるだけでも十分だっただろう。」

 

 

薄暗いステージ裏で、ピタリとミメイが足を止める。

それから真後ろにいたクラピカの細い首を、片手だけで正確に捉える。

「あんまり勘違いしないで欲しいわね。

ここにいた人間全員殺しても良かったの。

どうせ碌でもない奴等よ。

今回怖い思いをしたからって、闇オークションに出るのを止めたりなんかしない。

人身売買の買い手になり続ける屑のまま。

貴方だって本当はそう思ってるんでしょう?」

こくりと鳴る彼の喉元に人差し指を当て、それから華奢な鎖骨の上までつーっと動かしていく。

とくんとくんと規則正しい彼の鼓動に、不思議と胸が高鳴る。

指越しに伝わる命の音。

たったそれだけで、ミメイの体の中心は熱くなる。

 

「ああ、反吐が出そうな屑の集まりだ。」

「でも貴方はその死を望まない。

無駄な殺しは必要ないと私に言うばかり。

どうして?

わざわざ高い催眠ガスを買い込んで、眠らせたのはどうして?」

クラピカの鼓動が頭を揺らす。

痺れさせる。

血が熱くなる。

「私だって理由があるなら戦うだろうし、理由があるなら殺すこともあるだろう。

だがお前の殺しに理由はあるのか?」

「依頼だもの、仕方ないじゃない。」

「だがオークショニアは」

 

尚も食ってかかるクラピカの左胸に手を当てて、掌の真下にある心臓を掴む様な、潰す様な、そんな殺気を彼に浴びせる。

ヒュッと声にならない声が漏れ、その可愛らしさにミメイは笑い、すぐに殺気を掻き消した。

「ああクラピカ、貴方のその潔癖さは嫌いじゃないわ。

でもね、貴方がやろうとしているのはこういうことよ。

復讐ってこういうことよ。

人を殺めるってこういうことよ。」

「···ぁ」

鬼に喉を潰された金糸雀は、弱い吐息を唇から溢れさせる。

そのこぼれた息を拾う様に金糸雀の唇に親指を当てて圧迫し、その赤みが白くなるのを見つめた。

鬼は嗤いながら見つめた。

 

「分かったならもう文句を言わないわよね。

貴方は聞き分けの良い可愛い子だもの。」

するりとクラピカの頬を掌で包み、生々しい拍動を刻む白い肌に、血管に、首に、ミメイは顔を寄せる。

何をするでもないが、あーん、と当たり前の様に口を開く。

胸の奥底から湧き上がる熱にのぼせ上がりそうになるのを、ペロリと舌で唇を舐める行為に変えて。

融かして。

誤魔化して。

今自分は何をしようとしていたのだろうか、とはたと動きを止めるミメイ。

あら?と首を傾げたり、んん?と困った様に笑ったり、そんな風にしていれば当然のことだが、クラピカは彼女の手を強引に引き剥がす。

 

「ああ、逃げられちゃった。」

ざぁんねん、と赤い口内を見せて笑みを作る。

「···誰のせいだと。」

そんなミメイを一睨みし、それから彼女を追い抜いていく。

細い背中だ。

それを後ろからこうやって見ているのも何度目だろう。

ミメイは黙って、体の中心に渦巻く己の欲望を抑える様に胸を掻き毟る。

 

 

苦しい、苦しい、苦しい。

これは何だろう。

何もかも滅茶苦茶にしてしまいたいと願うこれは何だろう。

殺して、犯して、壊して、潰して、泣かせて。

 

白い頬に己の爪を立てたい。

怒りを浮かべた赤い目に己を映して欲しい。

噛み締めた唇に己の吐息を重ねたい。

白い細い首に己の牙を穿ちたい。

熱い、甘い、血が欲しい。

 

喉が渇いた。

酷く、渇いた。

だから血が欲しい。

 

······おかしいことは何も無い?

いいやそんな筈はない。

 

 

思わずミメイは掌で口を覆う。

どうしようもなく気持ちが悪かった。

甘い欲望に酔ってしまっていた。

酷い衝動が今にも体の中心から溢れ出てしまいそうだった。

そして嘔吐きそうになる胸に手をやって、ふと思い返す。

 

······私、さっき何を思った?

 

───血が欲しい、君はそう思ったよ。

 

鬼宿の甲高い笑い声と彼の答えが脳を揺らす。

これ以上考えるべきではないと警鐘が鳴る。

 

────我慢する必要はないよ。ほら、好きなようにやりなよ。

丁度美味しそうなのが目の前にいるし。

 

「違う。」

思わず声になって溢れ出す。

乾いた唇が水分を求めるように、乾きを癒すように、はくりと動く。

少し前を歩くクラピカの白い首を、その皮の下を流れる血潮を······違う、違う、違う。

違わなければ。

違う筈なんだ。

 

────何が違うのさ。

 

「私じゃない。私は血なんか要らない。

欲しがってるのは貴方でしょ、タマ。」

 

────僕は君、君は僕。何度言ったら分かるのかなぁ。

 

「違う。」

今度は少し大きな声で。

否定するように、拒絶するように吐き捨てる。

それに気付いたらしいクラピカが、不思議そうな顔をして振り返る。

「ミメイ?」

暗闇の中で金糸のような髪が揺れた。

その一本一本が、ミメイの目には酷く輝いて見えた。

地獄に差し伸べられた、救いの糸のように。

何か尊いもののように、煌めいていた。

 

「ねえクラピカ、」

ペタペタと、裸足の足が赤い足跡を残しながら進む。

名を呼んだ少年の元へ真っ直ぐと。

ミメイはその歩を進めた。

 

「私は、人間に見えるかしら。

私はちゃんと、人間かしら。」

さっきクラピカに貰ったジャケットの端を握りしめながら、いつも通りの自然な笑みを浮かべる。

そんな彼女を見て少しばかり怪訝な表情をするが、クラピカは溜め息混じりに返答する。

「何を馬鹿なことを。当たり前だろう。」

またこれか、と最近増えてきたこの問いに決まった答えを返しながらミメイに背を向けて足を早めた。

「急ぐぞ。外が騒がしくなってきた。」

「ええ。」

すっかり普段の微笑に戻ったミメイは、クラピカの隣に並んで歩き出す。

 

 

彼女の後ろに伸びる黒い影は、足の裏に付着した血のせいで所々赤く染まっている。

その影がニヤリと赤い目を光らせて笑うように動いたことには誰も気付かないままだった。

 

 

 

 

──────────

「めぼしい収穫が無いわね。」

マフィアからの依頼をこなしながら闇オークション荒らしを繰り返すミメイは、隣のベッドの上に座り込むクラピカを見やった。

ずん、と闇を孕んだ雰囲気を漂わせる彼は無言のままだ。

ベッド脇の灯り以外点っていないこの部屋は薄暗い。

その暗さとクラピカの雰囲気が混ざり合って、更なる闇を生み出している。

そして、彼の顔には深い疲労。

何日も何日も、手を替え品を替え闇オークションに潜入していればそうなるのも仕方ない。

人間の醜さに、深い闇に、素手で触れているのだから。

そんな精神も肉体もすり減るようなことをしても、緋の眼や幻影旅団に関する情報は手に入らない。

やっと落ち着ける場所───宿に辿り着き、食事と風呂にありついた後もその瞳は暗い。

 

「クラピカ。」

ミメイは自分のベッドから立ち上がり、隣のベッドに膝を乗せる。

そして端の方で蹲る彼に、じりじりと近付いていく。

すぐに、ミメイの吐息がクラピカの頬に当たりそうなまでになる。

普段ならば、少し不機嫌になったクラピカがミメイを遠ざけるのだが、今日ばかりは何の反応も示さない。

 

「クラピカ。」

再度彼の名を呼ぶ。

しかしミメイの方を見ることなく、ただじっと膝を抱えて黙っている。

今ならば何をしても抵抗しないのではないか、と悪戯心が湧いたミメイは、セーラー服のリボンを胸元から引き抜く。

それを使ってクラピカの髪を高めに結い上げてみる。

予想通り、何の抵抗もないお陰で完璧なポニーテールが出来上がる。

自分で作り上げた最高傑作に満足げに頷き、サラサラの髪からそっと手を離した。

髪が揺れて、クラピカのうなじにさらりと落ちる。

その僅かな風により、ふわりと彼から立ち上るのは甘い薫り。

同じ宿で同じ風呂に入ったのだから、ミメイと同じ匂いの筈なのだ。

同じ柑橘系の石鹸の薫りがする筈なのだ。

それなのに。

 

何故だか酷く、ミメイの理性を揺らす甘い薫りがする。

扇情的な赤い唇からチラチラ覗く白い歯。

最近やけに長くなってきた気がする尖った歯を親指の腹で押しながら、ミメイはパリパリと乾いてくる喉にゴクリと唾液を送る。

ついついうなじに目が向かい、じっとその白さを見ていればくうくうと腹が鳴いたような感覚を覚える。

夕食は十分にとった筈だというのに。

これ以上何を求めるというのだろう。

 

 

セーラー服のスカートが皺になるのも気にせずに、クラピカの首に後ろから手を回す。

体育座りで蹲る彼の背中にピタリと張り付いて、彼の体を包むように抱きしめる。

途端に濃くなる甘い薫りに自然に鼻が鳴る。

何も考えず、ポニーテールにしたお陰であらわになっている首筋に口を寄せる。

肩と首の境界に顔をうずめる。

ミメイの髪が顔や首に当たって擽ったかったせいか、やっとクラピカが反応を示す。

だがもう遅い。

ミメイの腕の中に閉じ込められたようになった彼は、それ以上身動きが取れなくなっていた。

 

「ミメイ?」

甘えた様に自分の首筋に額をグリグリ押し付けるミメイに驚き、戸惑いながらクラピカは彼女の名を口にした。

「······。」

返答がない。

ただクラピカを抱きしめる腕に力がこもっただけである。

こんなミメイは初めてで、甘えてくるミメイは初めてで、その衝撃のせいで徐々にクラピカの目に光が戻ってくる。

 

「···盲目の女の子。」

クラピカの肩に顔をうずめたまま、ミメイがポツリと呟いた。

その言葉にクラピカの肩が小さく跳ねる。

今日潜入した闇オークションで競売にかけられていた少女のことだと、すぐに思い当たった彼はゆっくり瞼を閉じる。

瞼の裏に映るのは、共に競売にかけられている友人を守ろうと矢面に立っていた小さな体。

何も見えなくても、後ろにいる友人の存在だけは認識していようと、縄で縛られた友人の指を掴んでいた掌。

 

「あの子を見た時貴方が狼狽しているのが手に取る様に分かったわ。」

「そうか。」

「顔を見られたから盲目じゃない方だけを殺そうと思ったのに、盲目の子が庇ったから。

仕方ないからどちらも殺そうと思ったのに、貴方が盲目の子を庇ったから。」

そうだ、ミメイは2人まとめて斬ろうとした。

闇オークションで標的を殺し、情報を吐かせる為に何人かを拷問した末に絶命させたミメイの顔を見てしまった哀れな少女と、少女を庇った子も殺そうとした。

他に目撃者はいなかった。

今日の標的は、闇オークションにいた全ての客と全てのオークショニアだったから。

仕方なく、口封じをしようとしたのだ。

けれどもクラピカに止められた。

盲目の少女を庇うようにしてミメイと少女の間に割り込んできた彼に、止められた。

 

「どうして?」

その問いは、クラピカとミメイ自身のどちらにも向けられていた。

どうしてクラピカは、盲目の少女を庇ったのか。

どうしてミメイは、そんなクラピカごと少女達を斬ってしまえなかったのか。

顔をクラピカの肩に乗せたまま、呻くように呟いた。

 

 

「······私には友人がいた。」

「そう。」

初めてかもしれない、とミメイはクラピカの胸元で組み合わせた掌に力を込める。

彼自身のことを詳しく聞くのは初めてかもしれない、と。

ミメイはクラピカに過去を語った。

話せるだけの全てを吐き出した。

けれどクラピカの過去を聞いたことはない。

彼は話そうとしなかった、だからミメイも聞き出そうとはしなかった。

そうやって、微妙な距離感を保っていた。

どんな関係性かと問われれば、困ってしまう2人は。

ずるずると、そうやって今までやってきたのだ。

 

「目が見えない友人がいたんだ。名をパイロという。」

「過去形なのね。クルタ族なの?」

「ああ。」

「そう。どんな子?」

思わず、という風にミメイは自然に問いを口にしていた。

そんな自分がおかしくて、クラピカの肩の上で自嘲的な笑みを浮かべた。

 

一方クラピカの方も少しばかり驚いていた。

ミメイは今まで、クラピカのことを訊いてはこなかった。

興味がないのか、気を使っていたのか、どちらかは分からないが踏み込んでこようとはしなかった。

わざとクラピカの地雷の上で踊る癖に。

クラピカはミメイの過去を知っている。

しかしミメイはクラピカの過去を知らない。

不公平と言えばそれまでだが、それでどうにか距離を置いていたような気がする。

そして今クラピカがミメイの問いに答えなければ、拒絶してしまえば、その距離はそのままだ。

そのままでいられる。

何も変わらない2人でいられる。

 

けれど。

 

 

「とても優しくて、とても強い。

温厚で物静かで、いつも落ち着いていた。

私には出来ないことを自然にやってしまう、そんな友人だった。

同じ夢を見ていた、大切な友人だった。」

「そう。」

きっと素敵な子なのね、とクラピカの首の方から声がこぼれた。

「ミメイの友人は、どんな人だったんだ。

前に少し聞いたが···。」

「友人というより、仲間と言う方が正解かしら。

ええと、老け顔で幻術が得意な五士でしょう?

赤い髪で怪力な美十に、ツンデレ暗器使いの雪見と、爆乳で小動物みたいな花依。

あと、深夜とグレンと。」

「···。」

ミメイの紹介に思う所はあったが、クラピカは黙って聞くことにした。

 

「深夜は私の双子の姉の許嫁で義理の兄、グレンはその姉の恋人。

胡散臭い笑顔の白髪頭に、夢見る少年のままだったお馬鹿さん。

それでも、大切な人達だったの。

それでも、愛してしまったの。」

泣いているんじゃないかと思う程、弱く震える声だった。

「ミメイ···。」

ミメイは大切だとか好きだとか愛だとか、そういう類の言葉を滅多に口にしない。

出会ってすぐの頃、妹への想いも否定していた。

それが本心でないことなど、クラピカはとうの昔に気付いていた。

ミメイの過去を聞く前からずっと。

嘘と微笑と、そんなもので巧妙に隠されていたとしても、短くはない同居生活の中で気が付いていた。

ミメイはちゃんと、生きている。

冷たくなどない。

人間らしい温かみを持って生きている。

だからいつも、クラピカはミメイを人間だと肯定するのだ。

 

自分の胸元の前で組まれたミメイの手を包む。

そうするとミメイの手同士が解け、代わりにクラピカの指に彼女の指が絡んだ。

ミメイの顔は見えない。

どんな表情かも分からない。

けれど重なった掌の熱と頼りなげに震える指先から、ミメイの言葉が紛れもない真実で、彼女の素顔があらわになっているのだと気付いた。

 

 

「私、恋をしていたの。」

そのミメイの言葉に息が止まった。

ついでに時が止まった。

ような気がした。

実際はクラピカの気の所為だったのだが、確かにそれくらいの衝撃だった。

「恋、か。」

そんな可愛らしい言葉がミメイから発せられるとは。

ただただ彼女の言葉を反復し、得体のしれないその言葉を理解しようとした。

クラピカには分からない、本を通してか、他人の話でしか知らないその概念を。

 

「グレンも深夜も、真昼の───双子の姉のものだった。

だから駄目だって。意味が無いって。

欲しがった所で手に入らないって分かってた。

でもね、私、恋をしていたんだわ。」

「今は?」

勝手に口が動いていた。

ミメイの掌に指を這わせながら、クラピカの唇は独りでに動いていた。

 

「好きよ、深夜もグレンも好き。

仲間と同じように大切で、好きよ。

でも恋する時間は終わったの。

とっくの昔に終わっていたの。

私、失恋していたんだわ。」

「そう、か。」

その言葉のお陰で、なんとなく感じていた息苦しさが少しずつ薄くなる。

一体何だったのだろう、と早まっていた拍動を全身でドクンドクンと感じながら、クラピカはゆっくり目を閉じる。

 

「クラピカ、眠いの?」

「···ああ。」

何故か安心したからか、全身の力がゆったりと抜けていく。

「酷い。私は傷ついてるのに。こんな私を放って寝ようとするなんて。」

普段のふざけた口調が戻ってきたミメイと指を絡めたまま、襲い来る睡魔に身を委ねる。

ねえねえ、とまとわりついてくるミメイの声を無視して、ずるりと彼女を引きずり込むようにして体を横たえる。

「傷心中の私を慰めっ、あ、クラピカ······ぇえ嘘でしょう······。」

呆れたような困ったような、けれどどこか喜色が混じったような声が近くでしたと認識したのを最後に、クラピカの意識は闇にずぷりと飲み込まれる。

そうして温かで、安らかな、睡眠の波に攫われていく。

 

 

 

 

──────────

「······生殺し?」

目の前でスヤスヤと眠るクラピカの顔を見つめて、ミメイはそんなことを呟いた。

指は絡み合ったまま、掌は重なったまま、距離は近いまま。

鮮血の脈動を感じられる白い首筋があらわになっている。

 

「普通、逆なんじゃないかしら。」

おかしいわ、とクラピカと繋いでいない自由な方の手で彼の頬をつつく。

反応はない。

呻きもしない。

起きそうにもない。

 

「今の私の目の前でこんなに無防備に寝るなんて。

警戒心が足りないんじゃないかしら。」

食べちゃいそう。

と、その言葉は必死に飲み込む。

二重の意味でね、という鬼宿の笑い声は黙殺し、牢獄にぶち込むイメージをする。

そうすればうるさいペットの声は聞こえなくなる。

今度こそ2人きりだ。

夜、密室、同じベッド。

世の男子諸君がドキドキワクワクする筈のシチュエーション。

なのに、

「どうしてかしら。どうして私が悶々とする羽目になっているの?」

やるせなさに、クラピカの頬をつつく。

ツンツンとつついてから、その頬を包み込むように掌をそっと広げる。

傷つけないように、壊さないように。

 

「ねえクラピカ。」

返事は無い。

「どうして私がグレンと深夜に恋をしていたって気付けたか分かる?」

親指の腹で、閉じられたクラピカの唇を軽く押してみる。

「どうして私が失恋していたことに気付けたか分かる?」

つぅっと、口紅を塗るように親指の腹を滑らせる。

「女の子が失恋を認めるのはね、次の恋に向かう為なのよ。

失恋してその恋を終わらせないと、次の恋を始められないから。

次の恋をする時には、これが初恋なんだって、そんな顔をして恋をしたいから。」

 

分かっている。

痛いほど分かっている。

この想いは間違いではない。けれど正しくもない。

真昼が溺れて壊れたように、ミメイも人間をやめてしまう原因になる。

鬼は欲望が好きだ。

人間のドロドロとした欲望が好きだ。

食欲、睡眠欲、そんなありきたりの欲も好きだ。

けれど、結局の所1番好きなのは性欲なのだろう。

誰かを想い、好きになり、恋をし、愛して、その先にある欲望が大好物だ。

人間の根源的なものだから。

その欲望がなければ、人間は産まれてくることさえできないのだから。

 

 

「···っぐ、ぁあ······。」

艶かしい吐息がミメイの口から漏れる。

欲望が膨れ上がる。

欲しい、欲しい。

全てが欲しい。

思うままにめちゃくちゃにしたい。

壊したい。

潰したい。

犯したい。

血が欲しい。

牙を突き立てたい。

死なない程度に殺したい。

 

そんな支離滅裂な欲望が熱となって全身を駆け巡る。

必死にその熱を抑えようと、クラピカの唇に押し付けていた指を離して、その手を胸にやる。

心拍数が上昇している。

拍動が自分のものでは無いかのように遠くに聞こえる。

 

 

どうして恋なんてものがあるのだろう。

どうして恋なんてするのだろう。

どうしてこんな恋なのだろう。

もっときっと、綺麗な恋が出来る筈なのに。

少なくとも、血が欲しいとか、壊したいとか、そんな酷い欲望は抱かなくて良い筈なのに。

好きな人は、恋心を抱く相手は、大切にしないといけないのに。

鬼と混ざって産まれてきてしまったから。

ミメイはこんな恋しか出来ない。

 

今はまだ我慢出来る。

鬼宿のせいにして、自分自身から逃げ続けて。

ミメイの体が変わってきていることも無視して。

鬼と人間と、鬼宿とミメイと、その境界が消えていっていることなんか気付かない振りで。

そうしていれば、きっと大丈夫。

 

けれどそれはいつまでなのだろう。

いつまでミメイは、こうやっていられるのだろう。

 

 

「ねえ真昼、貴方はずっと、こんな気持ちだったのね。

ずっとこうやって、恋をしていたのね。

自分が自分でなくなっていく恐怖と、狂気と恋情と、殺意と愛情と。

そんなものの板挟みになって、壊れていくの。

······真昼、私、今なら分かる。

私じゃ貴方を救えなかった。

だって今の私を誰も救えない。

救え、ないもの······!」

救えるのは1人だけなのだ。

その1人が救ってくれるかは別にして。

 

「······どうして私は私なの?」

シェイクスピアの悲劇に出てくるヒロインのセリフになぞらえて、陳腐な言葉を吐いてみる。

答えなんて出やしない。

馬鹿げた問いだった。

 

 

重ねたままの掌を引き寄せる。

皺になるシーツは気にせずに、クラピカの手を自分の顔近くまで持ってくる。

静かな寝息を立てたまま起きる気配がない彼に安心して、その手首をじっと見つめた。

細くて白くて、何より薄らと血管が見える。

さっき顔をうずめていた首のような、生命力を感じるその部位に、ミメイは静かに唇を寄せた。

痛みを与えたいという欲望を、牙を突き立てたいという衝動を、必死に押さえつけて。

ミメイは我慢が得意だから。

だから······でも、それでも······だからこそ、溢れ出してしまう欲望があって。

 

そうしてそっと、手首に口づけを落とした。

 

 

 

 




ちゅーはする場所によって意味が違うみたいなの、前流行りましたよね。
え、今も流行ってる?
そんなー。
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