未だに見えぬ朝を乞う   作:明科

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26:歌わぬ戦場、踊れぬ私

黒い刀の切っ先を、殺気がやって来る方に向けて待つ。

もうすぐそこまで手練は迫っている。

逃げてしまいたい、今すぐ背を向けて走り出したい。

そうしなければ、力が必要になったミメイは更に鬼に喰われてしまう。もっと壊れてしまう。

けれどそうやって逃走すれば、逃がしたクラピカの安全は保証出来ない。

 

「···もっと、もっと力を。」

体が熱い。

体中で鬼呪に穢された血が暴れているように感じる。

世界の終わりを走り抜けた時と同じ、いやそれ以上。

すぐそこまで鬼が迫っている。

自我をしっかり保っていなければ、発狂してしまいそうな混沌が口を開けている。

 

 

「ほう。」

待ち望んでなどいなかった敵が木の陰から姿を現す。

纏う威圧感はやはりクロロと同様のもの。

間違いなく、手練の念能力者。

揺れる着流しに一振の刀と、どことなく和の雰囲気を感じさせる男だった。

侍のようなその格好は、日本生まれのミメイにとってはどこか懐かしい。

「1人か。」

男は面白そうに瞼を上げ、それからミメイが構えている刀に視線を動かす。

「ええ、何か問題が?」

「いいや、何も。

オレはタイマンの方が得意だからなァ。」

「そう。刀を使うもの同士、楽しみましょう?」

禍々しい気を放つ鬼呪を構え直し、男の目を見据える。

 

「お前、鞘はどうした。」

腰を軽く落とし、左の腰に刀を持っていく男が問う。

「ふふ、どこかに落としてきてしまったのかしら。

忘れちゃったわ。」

その動きから、男は居合術を得意としているのだろうとの見当がついた。

ミメイの鞘を気にしたことからも、恐らくそれで合っている。

 

いつどんな時でも自由に顕現させられる鬼呪装備を使うようになって長いミメイは、居合術や抜刀術に精通している訳ではない。

居合術は初太刀に重きを置く、ある種究極の技。

人間相手には高い効果を発揮し、初手決めという鮮やかさを持つ。

しかしいくら初太刀で致命傷を負わせようが、吸血鬼やキメラ相手には何の意味もない。

人間であれば致命傷でも、奴等は一瞬のうちに再生する。

だから柊家も居合術で短期決戦というよりは、様々な手を使って長期戦に持ち込み、確実に削り取りながら隙を窺うことに比重を傾けていた。

 

 

「先に言っとくが、オレの間合いに入ったら斬るぜ。」

男はそう言いつつ、腰を深く落として抜刀の構えをとる。

予想通りだったことに少し安堵しながらも、ごく自然な構えをとりながら常人離れした威圧に、ミメイのうなじの毛が逆立つ。

どこから攻めてよいものか躊躇するほど、隙のない完璧な構え。

綺麗に完成されていながらも、自由に飛びかかってきそうな猛々しさを感じる。

統制のとれ過ぎた道場剣術でも、決まった型のない剣技でもなく。

達人、と誰もが口を揃えて言う剣技に違いない。

 

やりにくい相手である。

ミメイにとっては、とてもやりにくい相手ではあるが、それでもやりようが無い訳ではない。

ミメイのアドバンテージは特別大きくもないが、小さくはない。

鬼の力を引き出して、常人離れした再生力を上手く使えば必ず勝機は見えてくる。

いくら相手がクロロと同レベルの念能力者であろうと、あの時のようにはならない。

ミメイだって念能力は充分に習得している。

あの時以上の力を得たのは確かである。

 

「なら······」

初手を迷う必要はない。

見事な居合術を披露してくれるというのなら、見せて貰おうではないか。

 

 

搦手や罠の類は使わずに、真っ直ぐ男に向かって走り出す。

後ろに回り込んで背後を取るのでもなく、頭上から斬り掛かるのでもなく、ただ愚直なまでに真っ直ぐ。

一歩、二歩、三歩。

そうして男の間合いの外から中へ。

間合いが狭いミメイの刀はまだ男の体に届かない。

しかし男の腕は滑らかに動き出し、その刀は音も無く空気を斬り裂き始める。

 

頭に、目に、血を回す。

視神経に鬼呪が集まってくるのを強く意識する。

1秒を何コマにも分けて、少しでもスローモーションに見えるように動体視力を一時的に上昇させる。

それでも、男の刀の速さには完全に追いつくことは出来ない。

鬼の力をもってしてでも、その程度しか追えない居合術にミメイは感嘆する。

感嘆しながら、その刃が自分の首を捉えたことを認識した瞬間、反射的に膝が軽く折れる。

体勢を崩すことによって、完全に刀を避ける為に体が勝手に動いている。

 

しかしながら相手も手練。

ミメイが刀の動きを見切ったことに気付き、彼女が予想していたよりも低く刃が滑ってくる。

このままでは何の問題も無かったかのように、男の初太刀はミメイの首に致命傷を与える。

ミメイは無傷で回避することを諦め、致命傷を避けることに専念し始める。

少しだけでも刀の軌道を逸らすことが出来れば、致命傷は免れる。

 

これ以上刀の動きを変えられないよう、男の刃がミメイの首筋に触れるか触れないか、その直前まで待つ。

そして、その一瞬────ミメイの首が迫り来る刃の風圧を感じた瞬間、彼女は鬼呪を振るう。

男の刀の刃に鬼呪を正面衝突させて、男の力を押し返すように刀の柄に力を込める。

流石に力を相殺しきることには失敗し、分散した力のせいで、男の刀が勢いよくミメイの首より上に跳ね上がる。

 

「···っい······。」

白刃が目の脇を通り過ぎていったと脳が認識した瞬間、ミメイの頬から耳にかけて焼けるような痛みがはしる。

どうにか初太刀での致命傷を防いで、顔を斬られるだけにとどめることが出来たらしい。

痛み程度で体が止まるということは勿論なく、ミメイは鬼呪装備を強く握り直す。

そして膝を軽く折って体を低くしていたことを利用し、その勢いで刀の切っ先を前に押し出す。

男の方へ。

抜刀直後の為、無防備になっている男の体の方へ。

 

男の目が見開かれる。

しかしその目に恐怖の色は無く。

代わりに口髭の下の唇がニヤリと引き上がる。

笑っていた。

男は愉しそうに、好戦的な目を光らせて、笑っていた。

 

そして恐らくミメイも笑っていた。

鬼が憑依し鬼呪が全身に回ったことで赤くなった目を輝かせて。

鬼の力を好きなだけ振るえることに、狂気混じりの悦びを抱いていた。

 

 

「っぉ、らぁあっ······!」

唐突に男の足が動き出す。

咆哮とともに鋭い足技が繰り出され、ミメイの胸目がけて飛んでくる。

ミメイもすぐさま男の心臓を狙っていた刀を手放し、自由になった両腕を胸の前に持っていく。

胸の前で腕を交差し、そこにオーラを凝集させた瞬間、衝撃が襲ってくる。

腕に纏わせたオーラのお陰で腕も折れず、内臓にダメージもない。

無理に力に逆らわず宙を舞ってから、ストンと地面に足を着ける。

そして数メートル離れた場所で男が刀を構えるのを見て、ミメイも鬼呪を顕現させる準備をする。

 

「はっ、たいしたもんだ。」

左胸付近が裂けた着流しを見、それから愉しそうにミメイに視線を向ける男。

ミメイもその視線を受けとめ、頬から首筋へと伝う血の量を確認する。

頬から耳と長く斬られはしたようだが、そこまで深い傷ではないらしい。

掌に付着した血は、予想よりも少なかった。

まあすぐに塞がるため、はなから心配はしていないのだが。

 

「初太刀で決めたと思ったんだがなァ。」

「それはこっちのセリフよ。

心臓、貰えると思ったのに。」

好戦的な視線がぶつかり合い、自然と両方の笑みが深くなる。

「こいつは愉しめそうだ。」

「奇遇ね、私もそう思っていた所。」

ミメイは朝霧の中から得物を取り出すように、その掌に刀を握らせる。

「それじゃあ、」

「続きといきましょう。」

 

地面を蹴り上げる音と煙が同時に2地点から上がり、その刹那風圧が真ん中で衝突し、次の瞬間には刃同士がぶつかって火花が上がろうかという時───────

 

 

「おいおい、楽しそうなことしてんじゃねェか。

オレも交ぜてくれよ!」

解き放たれた獣の咆哮が、落ちてきた。

ミメイと男の刃が衝突する筈だった場所に。

轟音を連れて。

「ウボォー!」

そう男に呼ばれた大男は、ニタァと大きな歯を見せて笑った。

 

ここで新手か、とミメイの緊張感が跳ね上がる。

すぐさま地面を蹴り上げて後退し、2人の男から充分な距離を取る。

居合の達人だけが相手ならば、長期戦に持ち込んでジワジワ追い込むつもりだったのだが、その考えは今や修正した方が賢明だった。

突然現れた大男の肉体は鍛え抜かれている。

その手が、足が、力を入れてミメイの体を殴れば、内臓へのダメージは確実。

卓越した刀の腕を持つ男に対処しながら、大男の攻撃全てを避けきることは難しいだろう。

致命傷を防ぐことを第一に、当たること自体はある程度覚悟しなければならない。

しかしいくら鬼の力ですぐに再生するとはいえ、内臓に蓄積され過ぎたダメージは徐々に体の動きを鈍くしていく。

つまりもし長期戦になれば、苦しくなるのは寧ろミメイの方になる。

 

何やら話し込んでいる2人の男への警戒を続けたまま、両手の全ての指と指の間に呪符を生み出し、そのうちの数枚を正面の男達に向かって放つ。

途端弾けるのは炎と熱線と爆風。

普通の人間ならばこれでお釈迦になってくれるのだが。

「うおっ。」

小さな子供がぶつかってきた時のような声が聞こえてくることから、大男の強靭な肉体にはこの程度どうということはないらしいと分かる。

 

素早く残りの呪符を発動させて自分自身の幻覚を作り出し、間髪置かずに絶状態に入る。

かつての仲間である五士が鬼呪で作ったものには劣るが、ミメイは腐っても柊家。

目くらましのつもりだった爆発の呪符の効果もあり、幻術は上手くいったらしい。

男達は2人とも、幻術で作られた偽物のミメイと闘い始めた。

その陰に隠れて、ミメイは音も無く黒い刀を自分の体内から引きずり出すようにして、掌に握らせる。

 

どうにか上手く避けてはいるものの、徐々に追い詰められて苦しそうな顔をする偽ミメイ。

それに更なる攻撃を加える男達の背後から走り込み、地面を蹴り上げて、彼等の頭上からその死角を狙って刀を振り下ろす──────

 

 

「ノブナガ、ウボー、上だ!」

霧がかった森林の中に、唐突に響き渡るミメイの斜め後ろからの声。

「あァ?」

すぐに男達は首をぐるりと動かし、そこにミメイの姿があることを確認すると、心底嬉しそうに口角を上げた。

視線が交差する。

交差して、それと同時に下から上へと風が走り抜け、ミメイの腹に熱が襲いかかる。

「え、」

殴られた、とミメイの頭が認識する前に、彼女の華奢な体は易々と宙を舞い、木の幹に激突する。

 

そこからずるりと体が地上に落ちる前に、今度は脳が激しい揺れを感知する。

ああ頬を殴られたのか、と乖離しそうな意識の中でミメイはぼんやりそう思う。

頭は働いていない。

不意打ちを腹に喰らい、間髪置かずに頭を揺らされた。

思考が飛んでしまうのも仕方のないことだった。

 

しかし、この程度のことは柊家での教育の範囲内である。

だから幼い頃から慣らされたミメイの体は勝手に動き、次の攻撃を避ける為に爆発の呪符を放つ。

その爆発の力を利用して体を飛ばし、強制的に敵から距離を取る。

体が覚えているお陰で、考えなくても出来ることだった。

 

 

「···ぐ、ごほっ···。」

口の中に溜まっていた血を吐き出しながら木の上に着地して、少しばかり遠くにいる男達を見下ろす。

居合の達人である男と、筋骨隆々の大男、それから可愛らしい顔をした金髪の男。

いつの間にか3人に増えていた。

恐らく最後に挙げた男が、ミメイの幻術を見破り、本物のミメイの場所を口にした人間だろう。

 

「助かったぜ、シャルナーク。」

「2人とも何も無い場所を攻撃してるから驚いたよ。」

ニコニコ人当たりの良い笑みを浮かべる男は、ミメイが幻術を使った後に現れたのだろう。

そのせいで幻術にかからなかった。

これ以上の新手は無いだろうと、どこかで決めつけていた自分の油断にミメイは歯噛みする。

そしてまた内臓の方から溢れてきて、口に溜まった血を吐き出す。

 

攻撃する時に気を抜くなとクラピカに注意しておいてこのザマか、と自嘲的な引き攣った笑みを浮かべながら、ミメイは自分の腹を見下ろす。

絶状態で無防備な所に大男の拳を食らったせいで、セーラー服は無惨に破け、皮膚は裂け、脇腹の肉が大きく抉れていた。

圧力で内臓が押し出されてこないように、掌で傷を押さえる。

ごぽり、べちゃり。

血が勢いよく溢れていることが、液体にぶつかって軽やかな音を奏でる掌からよく分かる。

ぽたりぽたりと、留めておけなかった血が指の隙間から垂れていく。

セーラー服のスカートが赤く染まる。

急激な大量失血に、くらりと視界が揺れる。

 

鬼呪を回す。

腹へ、大きく抉れた脇腹へ。

出来るだけ早く再生するように念じる。

早く早く早く、と強く念じる。

代わりに鬼宿を縛っていた鎖が徐々に解け、混沌が心を蝕んでいく。

鬼宿の鈴を転がすような笑い声が脳に響く。

体を乗っ取ろうと、その白い手を伸ばしてくる。

赤い目を血走らせて、金の髪を触手のように動かして。

ミメイに迫ってきている。

 

「あ、あ···あ、」

嫌だ嫌だ嫌だ、鬼にはなりたくない。

私は人間だ。私は人間だ。私は人間だ。

人間でいると決めた。

約束した。

だから駄目だ。駄目なんだ。

 

少しずつ塞がっていく脇腹の穴に手を突っ込む。

折角出来始めていた薄皮が破れて、ジンジンと痛む。

更に手を差し入れて、グチャグチャと軽く掻き回す。

 

痛い痛い痛い、いたい、イタイ、イたイ。

目の前で白い火花が散る。

弾ける。

思考も再び弾けていく。

 

ミメイは痛みには慣れている。訓練で慣れきっている。

けれどそれは、痛みを感じないということと同義ではない。

それでも、常人なら耐えきれない痛みで頭がおかしくなる程に、ミメイは容赦なく自傷行為を続けた。

痛みによって無理矢理に理性を引き戻し、欲望を引き離し、鬼を封じる為に。

 

 

「ふーっ、ふぅ······うっ······。」

手負いの獣が近付くもの全てを威嚇するように、ミメイは目を爛々と光らせる。

血で濡れた唇の端から涎がこぼれ出し、血と涎が混ざり合って地面に広がる。

だらしなく広がった口からチラチラと覗くのはまだ小さな白い牙。

その牙の存在を否定するかのように、ギリギリと歯軋りをする。

 

今すぐ理性を吹き飛ばして、鬼に喰われて、欲望のままに暴れ回る方が楽なのは分かりきっていた。

きっと我慢など必要ない。

痛くない。

苦しくない。

何よりも今目の前にいる敵を、始末出来るに違いない。

一線を越えて人間をやめてしまえば。

真昼のようになってしまえば。

 

「私は、人間だ。人間なんだ······!」

化け物じみた紅の目に決意の炎が灯る。

今にも消えてしまいそうな淡い炎が。

そしてとっくのとうに人間を超えてしまった力で、ミメイは空を駆ける。

実際に空を飛んでいる訳ではないが、常人離れした脚力で木の幹を蹴り上げたことにより、真っ直ぐ3人の男の方へ向かっていくミメイの体。

 

 

「おいで、鬼宿!」

鬼を拘束する鎖は緩んだままである。

今にも喰われそうな状況は何も変わらない。

それでも綱渡り状態で、限界を超えて、ミメイは鬼呪を引きずり出す。

擦り切れた理性と、ちっぽけな約束。

世界が滅びるその時まで走り続けたあの時のように、それらに縋り付いて、何よりも禍々しい気を放つ黒刀を振るう。

 

ミメイの初太刀は簡単に居合の達人に受け流される。

続いて彼女の胸目がけて襲いかかってくる刀を左手で受け止め、掌が斬れるのも気にせずに刃を掴んで、その刀ごと着流しの男を振り回す。

振り回した男を、大男から飛んでくる鋭い拳にぶつけるように投げる。

味方同士で衝突が起きそうになるが、双方の素早い判断により相打ちは防いでしまう。

しかしミメイが刀を持つ男を思いっきり振り回したお陰か、大男でも男がぶつかってきたその衝撃は殺しきれずに、2人ともミメイから少し離れた所に飛んでいく。

 

その隙を狙ってミメイの後方から飛んできた針のようなものを鬼呪で叩き落とし、お返しとばかりに刀から手を離してダーツのように放つ。

針を飛ばしてきた男はミメイの投げた刀をバク転で避けるが、体勢が崩れたその瞬間にミメイは男の目の前に移動して、その顔に蹴りを叩き込む。

が、すんでのところで地面に転がることによって男はミメイの足技を回避する。

逆に今度はミメイの足に手刀を入れ、彼女の体勢を崩そうとする。

 

地面から勢いよく立ち上がる男がかけようとする関節技を見切っていなし、急上昇している視覚により一瞬で周囲を見渡す。

さっき投げた鬼呪は木の幹に深く深く突き刺さり、敵の刀と拳が斜め後ろから恐ろしい速さで迫ってきている。

「お、いで!」

鬼呪が突き立てられた木の方に手を伸ばす。

丁度木とミメイの間には、針のような何かを飛ばしてきた男がいる。

絶好の機会だった。

 

「鬼宿!」

再度、その鬼の名を呼ぶ。

忌まわしいその名を、人間ごときが触れてはならぬ存在の名を。

 

 

木の幹を引き裂いていた闇色の刀は一瞬で空気に融けて靄に変わり、ミメイを中心にするように3人の男の周りに広がる。

突然現れた黒い禍々しい靄に男達が警戒して、1度の瞬きの間だけ動きを止めたその時、ミメイは右腕を素早く振り抜いていく。

彼女の腕が動き始め、その掌から鎖が伸びた途端、ただの靄の姿が固まっていく。

金属特有の鈍い光を放ち始める。

三日月のような鋭い刃が、その姿を靄の中から現して、男達の腹を斬り裂こうと風を起こす。

しかしこれまた上手く避けられて、致命傷を与えるには至らない。

3人ともにそこそこ深い傷を与えられたようだが、ミメイの脇腹が流した血の量には至らない。

まあそれは、ミメイが自分の傷に手を突っ込んだせいで出血量が増えたからなのだが。

 

じゃらん、と金属にしては比較的軽めな音がミメイの掌から響く。

強風に靡く枝のように腕をしならせると、手から伸びる鎖もそれに倣って動く。

そうして男達の体を斬り裂いた三日月のような刃を手元に回収する。

主人の元に帰った、赤い血でてらてらと光る黒い刃。

それを見た着流しの男は、興味深そうに眉を上げる。

「鎖鎌か?」

「そうね。ただし鎌の柄と分銅は無し、っていう適当なものよ。」

即席なの、と笑いながら鎌の刃の血を払う。

 

 

 

ミメイに宿る鬼は、黒鬼シリーズの憑依化タイプということになっている。

鬼呪装備は基本、鬼をその身に直接宿す憑依化タイプか、鬼を具現化して特殊能力を使わせる具現化タイプの2つに分けられる。

ミメイや真昼が秘密裏に研究していた時はまだまだ曖昧なものだったが、兄の暮人の元で大規模な実験が行われだしてからは、2つのタイプが明確に分けられるようになっていった。

ミメイの鬼は、元々彼女に混ぜられて生まれてきた特殊なもの。

憑依や具現化、そのような人間が勝手に作った分類に収まるものではなかった。

しかしミメイは鬼を少しでも自分の制御下におくために、鬼を先述の肩書きに落とし込んだ。

人間が作った分類に、ルールに、鎖に、鬼を縛っておくために。

 

だが今、鬼の鎖は解かれていっている。

人間が定めたルールなんてぶち壊され、本来の鬼宿の力が解放されていく。

ミメイが嵌め込んでいた、刀という形態の縛りも取り払われた。

だからもう、ミメイはどのような形ででも鬼を顕現させることが出来るのだ。

お馴染みの刀でも、深夜のような銃剣でも、槍や薙刀、弓矢、双剣────そして今手にしている鎖鎌のようなものでも、自由自在である。

武器ならばどんなものであれ、ミメイの思った通りに現れる。

その武器をどれだけ上手く使いこなせるかは別にしてだが。

いくら柊家で一通りの訓練は受けているとはいえ、刀を使ってきた年数は他のものと段違いなのだ。

 

 

 

「でも駄目ね。慣れない武器は上手く使えない。

やっぱり刀が1番。」

鎖鎌を握り潰すようにして黒い靄に戻し、そこからまた一振の刀を作り出す。

「そうは見えなかったけどな。

ほら、オレ達皆さっきの鎌にやられたし。」

金髪の男────確かシャルナークと呼ばれていた────が、斬り裂かれた幾つかの箇所を見ながら、そう言った。

「それは不意打ちだったから。

もう一度同じことをした所で、そんな風に傷を負わせることは出来ないでしょう。」

違うかしら、と不敵な笑みを浮かべる。

その瞳は熱い血潮の色のまま。

 

「確かに。

でもどうしよう。

君を殺さずに連れていかなくちゃいけないんだ。」

「そう言われて、私が貴方達にノコノコ着いて行くとでも?」

「うん、そう言うだろうとは思ったよ。」

困ったな、と全く困っていなさそうな顔で首を振る。

そんな“シャルナーク”に対し、刀を鞘にしまった状態の男────恐らくノブナガという名前───が事も無げに言い放つ。

「腕の1つや2つ斬り落とせば良いだろうが。

無傷とは言われてねェんだ。」

「そうだけど。」

「こいつをここで逃がす方が、よっぽど問題だろう。」

尚も渋る態度に、好戦的な笑顔のまま大男────ウボォーと呼ばれていた────が言葉を重ねた。

 

「団長はすごく気に入ってたからなぁ、緋の眼。

売り払うまでに結構時間かかったし。」

仕方ないか、と“シャルナーク”は肩をすくめる。

その口振りにミメイの勘が働いた。

「···まさか。」

虚を突かれたように、真っ赤に染まった目を見開く。

と同時に脳裏に映るのは、つい先程崖下に突き落とした少年の顔。

同胞の仇が憎いと吠えていた彼のこと。

必ず復讐すると叫んでいた彼のこと。

危うい輝きを放つ炎のようなその瞳────緋の眼を発現させた彼のこと。

 

「貴方達は、」

何度もクラピカから聞いたその名を紡ごうとして─────

「少し、眠っててくれ。」

とん、と首の後ろで、軽い割にやけに頭に響く音がした。

「あ」

いつの間に背後を、と沈み往く意識の中で思う。

警戒はしていた筈だというのに。

確かに一瞬、一瞬だけ思考が止まったけれど。

クラピカのことを考えてしまったけれど。

 

たったその一瞬で、と敵の力量に呆れさえ覚えながら、前のめりに倒れていく自分の体が受け止められたと感じたのを最後に、ミメイの意識は真っ黒に塗り潰された。

 

 

 

 

 

 

──────────

「······っ、くそ!」

ミメイによってデコピンで崖下に突き落とされ、運良く木の枝に引っかかってから地上に転がり落ちたクラピカは、1人拳で地面を叩いた。

大した打撲はなさそうだが、体には所々擦り傷や切り傷の類が出来ていた。

それらは時間が経つに連れてピリピリと痛み始める。

しかしそんな傷よりも、何よりも心が痛かった。

 

上を見上げる。

徐々に青くなってきた朝の空が広がっていた。

後を追ってミメイが降って来ないかと僅かな期待を抱くが、そんなことはなかった。

どこまでも続く空と、遥か高くまで伸びている崖があるだけだった。

 

ミメイが何故自分を突き落としたかは分かりきっている。

逃がすためだ、クラピカを逃がすためだ。

クラピカを崖下に逃がして、今頃ミメイは追っ手と戦っているのだろう。

あのミメイでさえ恐怖の色を滲ませていた敵と。

それが何者かは分からない。

いや、分かった所で仕方がなかった。

今の自分では戦う彼女の邪魔にしかならない、足でまといにしかならないと、クラピカは悟っていたからである。

 

「捨てるのはやはり、お前の方だった。

お前の方ではないか、ミメイ!」

やるせなさに、ミメイをなじってしまう。

彼女は今も自分を逃がすために戦っているというのに。

再三彼女に言われた、弱い、可愛い、という言葉がクラピカを蝕む。

本当にその通りだった。

クラピカは弱かった。

結局の所弱くて、また何も出来なかった。

逃がしてもらうことしか、守ってもらうことしか、出来なかった。

 

「また、私は······!」

何も言わずに、普段通りの笑みを浮かべて自分を見送ったミメイの姿が瞼の裏に映る。

そこからページを遡るようにして過去へ。

彼女の姿を思い出す。

 

 

その得体の知れなさのせいで、常に言葉に出来ない恐怖の対象だった。

微笑は完璧で、所作は洗練されており、一つ一つが絵になって。

そんな美しさが余計に、恐れを掻き立てていたのかもしれない。

それでも徐々に、彼女の性質を理解出来るようになり始めた。

共に暮らせば暮らすほど、その深い孤独に触れる機会が増えて。

気付いたら身を寄せていた。

人間を紙のように斬り裂いて、赤い血を浴びて嗤っている鬼のような女だと分かっても。

どこか壊れてしまったその姿を、見ていられなかったから。

彼女自身が1番、そんな自分を嫌がっているようだったから。

 

自分のことをミメイは掌で転がし、言葉で嬲り、時には手を出してきていた。

そうして自分が彼女の言葉に反抗したり、何も言えなくなったりすると、どこか嬉しそうにしていた。

嬉しそうに、心底嬉しそうに笑いながらも、その瞳には幸福の色が映らない。

(ほしいまま)に振舞って、愉悦を味わって、それでも尚彼女は何かを求めて彷徨っていた。

声無き声を上げていた。

 

助けて、と1人の弱々しい少女のように泣いていた。

 

 

「あ、あ、ああああ······!」

きっと、そうだった。

助けを求めていたのはミメイの方だった。

助けてあげる、と差し出された掌は誰よりも助けを欲しがっていた。

彼女にしか分からない地獄の中から、必死に手を伸ばしていたのだ。

 

ミメイは決して弱くはない。

クラピカよりも圧倒的に強くて、この世界にいる人間の中でも一握りの強者の中に入るだろう。

彼女もそれを自覚していた。

自覚して、そのこと自体には愉悦を感じて、その上で絶望していた。

1人の人間を救えるのは、その人間よりも強い人間だけ。

そもそも同じ土俵に立たなければ何も始まらない。

だからミメイを救える人間はいなかった。

 

ミメイは我慢していた。

耐え忍んでいた。

ずっとずっと、絶望したまま、生きていた。

そんな中で何故彼女がクラピカを拾ったのかは分からない。

気まぐれだったのかもしれない。

それでも彼女はあの雪の中からクラピカを拾い上げて、救いの手を差し伸べた。

「助けてあげる」と笑いながら、「助けて」と泣いていた。

 

クラピカの知らない地獄で、クラピカには分からない痛みで、ミメイは確かに泣いていた。

その涙が、外に流せなかった涙が、彼女の儚さであり、脆さであり、迷い子のように揺れる瞳に表れていた。

ミメイ本人は自覚していなかったのかもしれない。

彼女は他人の弱さを愛しながらも、自分の弱さを嫌っていたから。

気付きたくなかったのかもしれない。

目を背けていたのかもしれない。

 

でも。

クラピカはそれに気付いていたのに。

何も出来なかった。

何もしようとしなかった。

弱いから、弱くて可愛いから。

ミメイが大好きな、弱くて可愛い人間だから。

彼女に遊ばれて、蹂躙されて、振り回されるしかないから。

 

 

「待っていろ。

待っていると言ったからには待っていろ、ミメイ。」

いつかは守りきってみせるとクラピカが言った時、心から嬉しそうに安心したように笑った彼女。

「私は強くなる。1人で戦える力を手にする。

幻影旅団を捕らえられる力を。

お前を守りきることが出来る力を。

だから、待っていてくれ。

今はお前を置いて逃げる。

······逃げるしかないが、それでも、」

ミメイのいる場所まで、彼女と同じものを見られる場所まで。

彼女の地獄を、絶望の檻を、痛みを知ることが出来る場所まで、必ず追い付いてみせるから。

それがたとえ、混沌渦巻く世界の闇そのものであったとしても。

 

ミメイの纏う闇色と血の薫は、恐らく幻影旅団と同じもの。

どちらを目指したとしても、結局の所クラピカはその奈落に辿り着く。

 

 

 

ミメイが最後に飛ばしてきたらしい式神に導かれ、クラピカは立ち上がる。

他の誰でもない自分の足で、まずは一歩踏み出していく。

 

ミメイと出会った時よりも大きくなったその背中を、朝日が優しく照らしていた。

 

 

 




いやー、次回は一体誰が出てくるんでしょうね(すっとぼけ)

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