未だに見えぬ朝を乞う   作:明科

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27:殺された救難信号

「─────い、おーい、起きてよ。」

目を開いた瞬間、視界が揺れた。

いや、視界だけでなく頭も揺れた。

後から襲い来る頬の痛みに、殴られたのだと気付いた。

ぼやけていた視界に少しずつ鮮明さが戻ってくる。

最初に目に入ってきたのは、自分の膝。

血で汚れたセーラー服のスカート。

ああ、洗わなきゃなぁ、と薄ぼんやり考えながらミメイは顔を上げる。

 

「こんにちは。」

口角をゆっくり上げて、目を細める。

まずは挨拶からだ。

それがたとえ、ついさっきまで戦っていた相手であっても。

「オレ達が何か気付いててその態度か。

肝が据わってるね。」

確かシャルナークという名前だった筈、と思い出しながら金髪の男に視線を向ける。

「私には関係ないことだもの、当然でしょう?」

「···驚いたなぁ。君がそれを言うなんて。」

僅かに表情を動かすシャルナークに、ミメイも楽しくなってくすりと笑った。

 

「ところでこれ、解いてくれないの?」

後ろ手に縛られた状態で椅子に縛りつけられているミメイは、体を捩りながら質問する。

「解いたら暴れるだろ。」

「そんなまさか。暴れるなんて無駄なことはしないわ。

ただ貴方を殺すだけよ。

幸運なことに今はこの部屋には貴方しかいないし。

にしてもこの縄、解けないわね。

凄腕の拷問師でもお仲間の中にいるのかしら。」

「へえ、縄の縛り方だけでそんなことまで分かるのか。」

「生憎だけど、こういう悪意100%の拘束には覚えがあるの。」

「それはやる方に?」

「敢えて言うなら、どっちもかしら。」

その言葉は本当だった。

拷問するのもされるのも、どちらにも慣れて上手くなるように柊家で教育されていた。

 

 

今ミメイがいる部屋は、どことなく柊家の訓練室に似ていた。

足元の蛍光灯が1つあるだけのせいで薄暗い室内。

手が届かない高い所にある、鉄格子のはまった小窓。

その部屋に縛られた状態で座っていると嫌でも思い出す。

教育係の大人達が寄って集って、ミメイに訓練という名の虐待を加えたことを。

真昼も、グレンもいない。

深夜もいない。

シノアもいない。

ミメイの周りには誰もいない。

助けてくれる人は誰もいない。

 

「やだなぁ、この状況。」

弱音のようなものを吐き出したミメイに対し、シャルナークはくすくす笑いながら近付いていく。

「それは、拷問されそうだから?」

「出来ればされたくはないもの。

慣れてるとはいえ、痛みは普通に感じるし。」

「それなら尋問で済むようにしたら良いよ。

君がその目を赤くすれば終わることだから。」

今は茶色に戻ってるなぁ、とミメイの目を覗き込みながら言った。

 

「緋の眼を見せれば良いってこと?」

「勿論。さっき戦ってた時みたいにね。」

「ふーん、やっぱりそうなの。

あなた達は────幻影旅団は、緋の眼を狙ってあのオークションに来たのね。」

「噂の真偽を確かめるつもりだったんだ。

緋の眼は世界七大美色だけあって偽情報が多いし。」

「っふふふふ。」

こんなに簡単に幻影旅団が釣れてしまうとは。

自分の立てた杜撰な計画が上手くいってしまうとは。

ついつい面白くなってしまう。

 

「お手数をお掛けしたみたいね。

でも、ざぁんねんでした。

私の目は緋の眼じゃない。クルタ族でもない。

世界七大美色ってそんなに魅力的なものなの?

ついつい偽情報に踊らされちゃうくらいに?

あの幻影旅団サマでさえ?」

シャルナークを煽りながら、こっそりとミメイは胸を撫で下ろす。

ここにいるのがクラピカでなくて良かった。

本物ではなくて、偽物で良かった。

ミメイで良かった。

 

「ほら、早く目でも抉れば?

抉り出したって何の価値も無い私の目を。」

さあ早く、と至って普通な茶色の目を見開いて、シャルナークの方に顔を突き出す。

そんな彼女を見たシャルナークは薄い笑顔のまま肩をすくめ、隣の部屋に繋がるドアを開ける。

「嘘では無さそうな所が困るな。

あ、団長。帰ってきたばかりの所で悪いんだけど少し見てよ。

例の奴、緋の眼じゃないかもしれない。」

「団長?」

早くもボスのご登場か、とドアの方に首をゆっくり動かしていく。

 

 

「生きているのか。」

低くて、落ち着き払った声だった。

言い方はおかしいが、団長に相応しい声だった。

人を纏め、統べ、そして従わせる、そんな声。

兄の暮人と似たような雰囲気を感じさせる。

「殺さずにって言われたから。

ノブナガとウボーは本気で戦ってたから、あともう少し殺り合ってたら危なかっただろうけど。」

ドアの向こうに半身を入れたまま話すシャルナークの方に、団長とやらも近付いてきているのか、徐々に声が大きく聞こえ始める。

「あの2人に本気を出させて尚生きているのか。興味深い。」

 

その言い方に心臓が小さく跳ねる。

どこかで聞いたような、どこかで言われたような。

変な既視感(見てはいないが)がミメイを襲う。

 

「取り敢えず来てよ、団長。」

「ああ。」

足音が近付いて、シャルナークがミメイのいる部屋に戻ってきて。

その後に続いて、闇より深い黒衣がドアを越えて。

黒を纏うその人は、その人の顔は─────

 

 

「······そうか、なるほど。」

唇を引き結んだまま何も言えないミメイとは対照的に、黒衣の団長は楽しそうに呟きながら彼女の方に歩いていく。

「久し振りだな。」

「······どちら、さま?

誰か他の人とお間違えなんじゃないかしら。」

「ミメイ。」

名を呼ばれても、何の反応も返さない。

瞼も動かさず肩も跳ねさせず、虚ろな目のままそっと男を見上げる。

肯定の意を見せたくはないから。

 

「相変わらず感情の機微を読み取らせないな、お前は。

しかしその癖は治っていないらしい。」

す、とミメイの足元を指さす。

外からは見えない筈の靴の中で、足の指に力を入れていたことを看破された彼女は思わず舌打ちをしそうになる。

そもそも前回の時点で、足の指の癖まで見抜いていたことが気に入らない。

誤魔化すのは誰よりも得意だというのに。

 

「団長、知り合い?」

「前に話しただろう。入団させようかと思っていた女だ。」

シャルナークの問いに答えながら、ミメイの顎の下に手を入れる。

その指の感触からの抵抗を図るミメイだが、いかんせん体が動かせないため、首を捻って逃げようとしただけの頭は簡単に捕らえられる。

「あの“流星街に落ちた星”?それがこの女?」

「ああ。」

「···ご愁傷さま。」

ちら、とミメイに視線を向けてから、背を向けてこの部屋から出て行ってしまうシャルナーク。

 

「そのご愁傷さま、の意味を聞きたい所なんだけどなぁ。」

無情にも閉じられてしまったドアを恨めしげに睨むも、顎の下の手によって、ぐいと顔を引き戻される。

「貴方は答えてくれなさそうなんだもの。

ねえ、クーさん。」

頸動脈の場所を探るような指使いに唇を歪めながら、ミメイは眼前の男────クロロを半眼で()めつける。

 

「貴方、幻影旅団の団長だったのね。

知らなかったわ。」

「訊かれなかったからな。俺も言わなかった。」

「訊いた所で答えなかった癖に。

ああ、違うか。

貴方が答えて私がそれを聞いた時点で私を殺したんでしょうね。

私が幻影旅団に入らない限り。」

「どうだろうな。」

クロロはミメイの首から手を離し、次に血で汚れたミメイの脇腹に視線を落とす。

 

「完全に傷が塞がっているな。」

セーラー服はビリビリに破け生地は真っ赤に染まってはいるものの、晒されている脇腹は踏み荒らされていない雪原のように真っ白である。

「有難いことに治りが早いのよ。」

「お前は強化系ではなかった筈だが。」

「私が強化系じゃないことと、私の体質は別でしょう。

昔から早いの、傷の治りは。」

鬼を体に飼っていたから、生まれた時からそうだった。

鬼の力を引き出して使えば使うほど、傷が治るのは早くなっていく。

どんどん人間をやめていく。

 

 

「そうか。」

そんな素っ気ない言葉を口にしながら、再びミメイの首筋に指を這わせる。

「クーさん?」

また頸動脈かしら、とふざけようとした瞬間、クロロの右掌がミメイの首を柔く掴む。

「俺はあの時、わざとお前を手放した。

お前が花開いて、その真価を見せるまでは好きなようにさせようと思っていた。」

じわりじわりと、首筋に置かれた指に力が入っていく。

本気で絞められている、と明確な殺意を感じ取ったミメイは呼吸を確保しようと肩を捩る。

しかしその肩さえも、クロロの左手によって椅子に縫い付けられて動かせなくなる。

 

「クー、さ」

「答えろ、ミメイ。

お前を咲かせたのは誰だ。」

「な、にそれ、意味が分からない。」

胸が苦しい。

息が出来ない。

ろくな抵抗も出来ないまま地上で溺死してしまいそうである。

「俺が知るお前は、欲望の捌け口を求めて世界全体に叫び散らしていた。

それでいながら全てを拒絶して我慢して、何かを酷く恐れていた。

欲望の塊のようでありながら、それを無視して何も望まぬ聖人ぶっていた。」

ミメイの首の薄皮が切れて、クロロの爪の端を赤く汚す。

 

「しかし今はどうだ。

お前は最早耐え忍んでいない。

己の欲望を自覚して、その刃を振るうことを躊躇していない。

見つけたな、欲望の捌け口を。」

酸素が足りなくなって暗くなる視界の中、ミメイの瞼に映るのは弱くて可愛い金糸雀。

その小さな体に余るほどの憎悪と欲望を抱えて、力を渇望し、自身の運命に翻弄されている彼のこと。

 

「貴方に、は、かんけい、ない。」

「ある。鬼宿、という名に心当たりは。」

「······!」

ガタン、と椅子が音を立てるほどにミメイの肩が跳ねる。

その拍子に椅子に彼女を押さえ付けていたクロロの手が離れる。

依然として首は絞められたままだが。

「驚いているな。そんなに予想外か。」

「どうし、て。」

「あちらから俺に接触してきた。

お前に寄生している鬼という生き物は、いつかお前が恣に振る舞う化け物になると言った。

お前はまだ、花開く前の蕾だと。

だから俺はお前を逃がした。」

 

あのクソ鬼め余計なことを、と心中で口汚く罵るが鬼宿は出てくる気配がない。

ミメイの心の奥底に戻ってニヤニヤ笑っているに違いない。

自分が撒いておいた種が育ち、収穫できそうなことを喜びながら。

 

 

「一度手放して好きにさせれば、お前は徐々に花開くと考えていた。

欲望と理性がせめぎ合うギリギリを歩いていたお前は、少しずつ欲望に呑み込まれていくと。

理性が堅固な壁となってはいるものの、その壁は内側から欲望の名を冠した白蟻に崩されて。

俺は、そうしてほんの少しだけ残った理性を押してやろうと思っていた。

最後の引導を渡してやろうと。」

「しゅみ、わる······っは、」

ぐり、と太い血管を押し潰される。

視界が暗転する。

意識が奈落の底に落ちていく。

 

しかし突然首から手が離れ、肺に酸素が勢いよく入り込み、その意識を無理矢理引き戻される。

「何故、俺の知らない所で“そう”なっている。」

「クーさんには関係ないでしょ。」

ごほごほと咳き込みながら、生理的に出た涙を目尻に溜めてクロロを睨みつける。

「お前に念を教えたのは?」

「貴方だけど。」

「お前を見出したのは?」

「···それも貴方だけど。」

この見知らぬ世界にミメイが1人だった時、道を示してくれたのは間違いなくクロロである。

彼に出会わなければ、そのまま流星街でつまらない日常を過ごしていたに違いない。

 

「でも私、貴方に言ったわ。

感謝はすれど、信用はしていないって。」

ミメイは背中に回された両手を少し擦り合わせる。

その感触から判断する所によると、関節を外しても抜け出しにくい縛り方である。

力任せに無理に引きちぎるしかないだろう。

「そうだったな。

けれどお前は俺という存在を完全に拒否することは出来ない。

雛鳥も同然だったお前に、世界を見せたのは俺だ。」

「刷り込みってこと?···確かにそれは否定出来ないわ。

だからって、私のことに貴方が口出しする権利は無いでしょう?」

馬鹿みたいね、と嘲笑うように口角を吊り上げながら視界の端にドアを捉える。

その向こう側には何人かの気配。

間違いなくさっきのシャルナークという男と、他の幻影旅団員だろう。

まともに殺り合うのは愚の骨頂。

いくら鬼の力を使おうともミメイにだって限界がある。

完全に鬼の暴走を許し、鬼となってしまうボーダーラインはかなり近い。

幻影旅団員3人との本気の戦いを強いられたからである。

 

「権利か。そんなものに価値があると?」

「あるわよ。少なくとも私にとって。」

「俺には無いな。」

「ああ、そう。それは残念、ね!」

クロロの瞼が下に下がったその刹那、1度の瞬きの間に、ミメイは手首の縄を無理矢理引きちぎる。

そして自由になった手に鬼呪を顕現させる。

その使い慣れた刀を、小窓の鉄格子の間を通すように放つ。

どうやらここは地上6階か7階ぐらいだったらしく、刀が地面に突き刺さるまで予想以上に時間がかかってしまう。

案の定クロロのナイフがミメイの頬を掠めて、目を真っ赤に染め上げた彼女の髪を一束持っていく。

 

「ひどーい。か弱い女相手に刃物使うなんて。」

地上にある刀をそのままに、その地点から鎖を引き伸ばすようなイメージで黒い靄を生み出す。

すぐにミメイの掌には、外に繋がる長い鎖の端が現れる。

鬼呪装備は、さっき作ったばかりの鎖鎌のような姿に変わったのだ。

「素手だとお前を逃がしそうだからな。」

「逃がしてよ。」

ナイフの猛攻を紙一重で躱しながら、手にした鎖を操ってクロロを牽制する。

「2度も逃がすとでも?」

「あは、そう言うと思った。」

 

 

「団長!」

隣の部屋に繋がるドアが開いて、人影がなだれ込む。

シャルナークと、知らない男女が1人ずつ。

何にせよ幻影旅団の人間に間違いない。

さっき戦った着流しの男と大男はいないのが幸いだ。

 

「団長、これは。」

「手出しするな。」

オーラを膨らませる女をクロロが淡々と下がらせる。

「あは、そんなこと言っちゃって良いのかしら。

お仲間と仲良くおてて繋がなくて良いの?

そのくらいの時間は待ってあげるよ?」

裾の短い着物のようなものを着たその女をチラリと見て、扇情的な赤い唇を開いて笑う。

その上には今にも滴り落ちそうな鮮血色の瞳。

緋の眼とよく似ているが、じっと見ていると美しさへの賛美よりも恐れを感じる、どこか禍々しい瞳。

 

昔真昼が吐き捨てた台詞と同じだと気付かないミメイは、あの時の真昼と同じ顔で立っていた。

 

「何にせよ、ばいばい。」

地上に突き刺さっている刃部分に鎖を巻き付けていくイメージをし、鎖を手にしている体がぐいと下に引っ張られるのを感じながら、ミメイは壁を一蹴りで破壊する。

そして大きく空いた穴の方へ体を踊らせ、巻取られていく鎖の力に従って、地上へと落ちていく。

上手く着地することは考えずに、そのままの不安定な体勢で落ちていく。

 

数秒後大きな土煙が上がるが、その煙の中ですぐにミメイは立ち上がる。

立ち上がれてしまう。

全身の骨が所々折れていたが、ベキベキという鈍い音の短いハーモニーの後完治してしまったからだ。

人間をやめてしまった回復速度。

勿論身に宿る鬼の力によるものである。

「っと、流石クーさん。はやーい。」

もくもくと立ち上る土煙に隠れて、背後からナイフが迫ってくる。

一瞬だけ放たれた殺気に気付き、ミメイはひらりと斬撃を躱す。

「土煙に隠れてチクチク狙うとか陰湿じゃないかしら。」

酷い酷い、と軽い泣き言を吐きながら鬼呪を刀の形に変えて、それを大袈裟に横に振るう。

その最中、何故か鬼宿の『あ、馬鹿。』という呟きが聞こえてきたが気にしない。

何にせよ刀の一振りで生まれた風により、一瞬にして土煙が払われて見通しが良くなった。

どうやら幻影旅団の潜伏場所は昔街だった廃墟だったらしく、ミメイが脱出した建物と同じようなものが周りに乱立している。

その廃墟群の真ん中にある広場、そこにミメイは墜落したようだった。

 

太陽が中天に位置し、さんさんと光を降り注いでいるのがよく分かる。

深い土煙に覆われていた太陽が急に姿を見せたせいか、やけにその光が眩しくて、意識せざるを得なかった。

 

 

「もう諦めて私を逃がしてよ。

私は緋の眼を持ってないし、クルタ族じゃない。

クーさんなら分かってるでしょ。」

クロロのナイフを刀で受け止めて、思いっきり弾きながら彼から距離をとる。

「ああ、見ていれば分かる。

その目は緋の眼とは異なるものだ。

お前は同じ世界七大美色でも、髪の方がそうだからな。」

「ああ、この髪?そうらしいのよね、私も知らなかったけど。

髪くらいなら切ってあげるわよ。それじゃ駄目?」

再び迫り来るナイフを軽やかなバク転で避けきってから、風にそよぐ自分の髪を一房手にするミメイ。

「足りないな。」

そんなミメイを突き刺すような目で見つめるクロロは、一瞬で彼女の背後に回り込む。

 

「欲張りだなぁ、もう。」

決して遅くはない、いや寧ろとても速いクロロのナイフに軽々ついていける反応速度で、ミメイは胸を逸らして避ける。

避ける。

そう、避けられた筈だった。

いつもの様に体を動かした筈だった。

だから当たり前のように避けられた筈なのに。

「あ、れ?」

頬に鋭い痛み。

視界の端に鈍い輝き。

超近距離に迫ったクロロの体。

「なんで?」

避けられてないの?

戸惑いながらも2度目の刺突攻撃を刀で止めようとするが、頭はその命を下しているが、何故か体がコンマ1秒遅れて動いている。

その遅れは、クロロほどの手練相手では命取り。

またもやナイフがミメイの柔肌を傷つける。

 

腕の動きが悪いのだろうかと考えたミメイは鬼呪を消して足技を繰り出すが、やはり遅れている。

彼女が想定していたより、普段より、少しだけ遅い。

クロロのナイフを飛ばす筈だった足が、そのズレのせいで易々と彼に掴まれる。

掴まれた足首を起点にぐいと引き込まれ、不安定になっていたミメイの体は簡単にクロロの方に倒れてしまう。

思っていたより勢いがあったせいか、彼を引き倒すようにしてミメイの顔面は地面に近付いていく。

 

 

とん、と軽い音を立ててミメイの鼻先が適度に硬いものにぶつかる。

すぐにその衝突した物体からの回避行動を取ろうとするミメイだったが、立ち上がろうとして地面につけた右手を捕らえられる。

自由を模索しようとする左手も大きな掌に左手首を掴まれたことにより動きを止める。

そのまま両手首が1つの掌によって纏めて掴まれ、ミメイの体の自由は奪われる。

無理に引き抜こうにも何故か思ったように力が出ない。

鬼の力を引き出しているというのに何故。

念の修行をしても、鬼の力をもってしてもクロロには勝てないのか、と信じたくない疑惑がミメイの頭を支配する。

「クーさん、取り敢えずこの体勢をどうにかしない?

今こっちに向かってきてる貴方のお仲間に勘違いされそうだし。」

現在進行形でクロロを地面に押し倒しているミメイは、手首を掴まれたままそう言った。

クロロの体に上乗りになって顔面を彼の肩口にダイブさせているこの状態は、ミメイの望むところではない。

クロロの頸動脈が予想外に近く、その血が力強く脈打つ音が蠱惑的にミメイの心を揺らすのだ。

 

「照れるような可愛らしい生娘でもないだろう、お前は。」

「そうだけど。

あ、でも私がヤられたのって1回だけだわ。

小さい頃の拷問尋問まがいの凌辱だけ。

あれはノーカンで良いと思うのよね。

全然()くなかったし。」

クラピカ相手には絶対しない物言い。

クロロなら構わないだろう、と謎の開き直りを見せてはっちゃけてしまうミメイである。

クラピカがミメイより歳下で、クロロがミメイよりも歳上であることも開き直りの理由の一つなのだろうが。

 

「そうか。」

しかし何よりミメイの言葉に対してクロロが表情を変えず、特に何の反応も見せない所が、理由の大部分を占めるのだろう。

こういうあけすけな物言いに反応しまいと努力しながら、自分のことのように辛そうに顔を少し顰めるのがグレンとクラピカ。

ふーん、と表面上は軽く流しながらも、その後暫く気を使ってくるのが深夜。

ミメイの自虐ネタによって彼等が少なからず傷つき、ミメイを見てくれるのは勿論嬉しい。

けれど“そう”ではない。

ミメイが真に望んでいることは“そう”ではないのだ。

その程度で終わって貰っては困るのだ。

 

ちなみに、そもそも人の話を聞かないのが真昼と暮人、それからシノアである。

ミメイはクロロもこのタイプではないかと思っていたがそうでもないらしい。

彼は人の話をよく聞いている、ゾッとするくらいに。

 

 

「ところで今日暑くないかしら。

陽の光が突き刺さってくるように感じるんだけど。」

赤いままの目で空を見上げて、巨大な燃える火の玉を捉える。

不思議なほどよく見えた。

いつもより、光の波長の僅かな差を感じ取っている気がした。

酷く眩しかった。

イカロスが目指したのも納得の美しさが、ミメイの全身を刺していた。

「この地方はそろそろ冬だが。」

「あれ?私の勘違い?でも凄く、眩しいのよ。」

太陽をよく見つめる為に上半身を少し上げる。

「その割には太陽を直視している気がするが。」

「うん、そうみたい。何だか見ておかなきゃいけない気がして。」

こんなふうに太陽を見ることが出来る時間は、あまり残っていないんじゃないかって。

分かりたくない、分かろうともしたくない。

しかし予感でも予測でもなく、ただ運命のようなものがある気がした。

 

「さて。」

「クーさんったら、らんぼーう。」

耳を掴まれて為す術がなくなった兎のように、クロロに手首を掴まれたままミメイの足は地上から離れてしまう。

ぶらーんと持ち上げられて、最後の抵抗として蹴りを飛ばすが軽くクロロにいなされる。

それでも尚バタつくミメイと、それを気にもとめずに歩き出すクロロ。

そんな2人の元に近寄ってくるのは、さっきの3つの人影。

「捕まえた?」

「見ての通りよ。」

シャルナークのクロロへの問いに対する解答権を、少しむくれたミメイが奪い取る。

「団長、部屋変えた方が良いと思うよ。

こいつの蹴りでビルの支柱がやられたみたい。」

「いつ倒れてもおかしくないね。」

着物の女と口元を隠した黒ずくめの男が、ミメイと彼女が脱出したばかりのビルを見ながら言った。

 

「ビルを壊すつもりは無かったんだけどなぁ。」

流石私、と自分の現状を棚上げして、普段通り口だけは達者なミメイである。

「で、こいつどうするね。」

「緋の眼じゃなかったって聞いたけど。」

「殺すか。」

「駄目だよ。この子団長のお気に入りみたいだから。」

そうだよね、とシャルナークが訊くのに対してクロロは何も言わない。

肯定もしないが否定もしない。

 

「ねえクーさん、私お邪魔虫だと思うの。

仲良しこよしのお仲間さんの中で、私浮いてると思うの。

だからもう良いじゃない。離してよ。」

ね、とほぼ同じ高さになっているクロロの顔を見つめてヘラヘラ笑う。

「次はあのビルにするか。

確か地下があった筈だ。」

「了解。」

しかしミメイの意見など完全に無視され、クロロ含む幻影旅団員4人からの容赦のない威圧に、諦めたように息を吐き出した。

何故かミメイは上手く力を入れることが出来ず、クロロからは逃げられない。

たとえ拘束から抜け出したとしても、この4人相手では逃げきれるかどうか。

現状は取り敢えず様子見か、と渋々無駄な力を抜いたのだった。

 

 

 

─────────

幻影旅団の新たなアジトに引きずり込まれた後、窓のない地下室に1人転がされたミメイ。

今度は縄ではなく重そうな鎖で手首と足首を拘束されている。

埃っぽい床についた頬をずらして、少しでも床に顔面がつかないように芋虫のように動いた。

どうにか上手くごろりと転がると、床の冷たさが背中に広がってミメイの体の熱を奪っていく。

 

陽の光が全く届かない室内に暫くいれば、さっきまでの身が焼けてしまいそうな変な感覚はいつの間にか消え去っていた。

「······。」

ミメイは鬼宿を呼び出そうとして、やめた。

呼び出すまでもないことだと分かっていたし、あの無神経な鬼からの最終宣告など聞きたくなかった。

 

牙のように尖ってきた犬歯。

鬼宿の力をそこまで引き出さずとも、簡単に赤くなる瞳。

太陽の光を直接浴びた瞬間、抜けていった力。

心当たりは山ほどあった。

 

鬼は昔、吸血鬼だったという。

真昼と研究していた頃に知った事実だった。

鬼呪装備を手にし鬼の力を使い過ぎた者は鬼に喰われて狂い、やがて鬼そのものになるという。

これは、真昼の身をもって証明されている。

ならばミメイは。

ミメイは今どうなっている?

 

鬼の力を引き出して、使うことに段々躊躇いがなくなっている。

完全に喰われまいと理性を保っているが、欲望は湧いてくるばかり。

その欲望を人に向けることを我慢せず、寧ろ進んでやっている。

人間と鬼との境界線が曖昧になっているのだ。

 

 

ミメイの鬼は特別製。

真昼や、胡散臭い吸血鬼のフェリド·バートリーにも言われたことだった。

鬼を飼う人間の癖に、吸血鬼に近付いていると。

その真意はどこにあるのだろう。

ミメイは産まれた時はちゃんと人間だった筈だ。

鬼が混ざっていたとはいえ、真昼と同じ様に人間だった。

それならばいつ、ミメイは吸血鬼に近付いたのだろう。

そのきっかけはいつなのだろう。

 

「鬼宿···貴方一体、何なの?」

この身に宿る鬼の存在が分からない。

今まで分かろうとしてこなかった。

近付きたくもなかった。

多くを知りたくはなかった。

「貴方、鬼なの?吸血鬼なの?それとも他の何かなの?」

心の奥底から手を伸ばすように、鬼宿がミメイに答えを返す。

『馬鹿な未明。

今更そんなこと訊いたって遅いのに。

かつてはナニカ、かつては神、かつては吸血鬼、そして今はただの鬼。

それが僕だって、何度も言ったじゃないか。』

「···。」

『僕は今は鬼だよ。でもそれは呼び方が変わったに過ぎない。

僕は不変で普遍なんだから。』

 

「それなら私は何なの。

そんな貴方を飼っている私は、何?」

『人間でいたいんだろ。』

「···うん。」

真昼と約束したことだ。

クラピカが肯定してくれたことだ。

だからミメイは、人間であることに縋りつく。

 

『でも残念、君はもう人間をやめてしまっている。

人間をやめて、美しい化け物になりつつある。』

「それは、吸血鬼?」

『可哀想な未明。

これは運命だったんだ。ただの予定調和だったんだ。』

鬼宿は答えない。

ミメイの心を抱きしめて包み込んで閉じ込めるように、その金髪を触手のように伸ばしているようだ。

 

「···いや、だ。」

『うん、そうだね、嫌だろうね。

でも駄目だ。もう遅い。』

「私は、人間。

人間でいなきゃ、皆私のこと、」

『大丈夫だよ、未明。

たとえ未明が人間をやめても、そんな君を受け入れてくれる人がいる。』

慈悲深い母親のように優しく言い聞かせる鬼宿。

「嘘。」

『嘘じゃない。』

「嘘、嘘ばっかり。」

誰も聞いていないのを良いことに、駄々っ子のように反論する。

 

『もしも受け入れてくれないなら、殺せば良い。

全ては君の思うまま。

欲しいものを好きなだけ、好きなものを欲しいまま。

君はそれで良いんだよ。

君のやり方で、愛しいものを愛してあげれば良い。』

「そんなの、絶対おかしい。」

『そりゃおかしくて当たり前だよ。

狂ってるんだから。』

「·······───────。」

 

 

声にならない声だった。

声に出来ない声だった。

言葉の形を取れない、ただの絶叫。

空を切り裂くような、悲痛に塗れた獣の叫び。

人間だと肯定して欲しくて、存在を認めて欲しくて、吼えていた。

 

血色に染まった夕焼け空のような瞳から、ぽろりと星がこぼれ落ちる。

滅多に見ることが出来ない流れ星。

透明なその星は血の気を失った頬を伝い、床に広がる紫の髪を濡らす。

 

 

 

 

────────助けて。

 

 

 

 

夕焼け色の目にシャッターを下ろす瞼の裏に映るのは、拗ねたように小さな口を突き出す1人の少年。

いつも少しツンとした様子で、ミメイの傍を歩いていた少年。

しかしその姿は瞬く間に涙色で塗り潰され、何も見えなくなってしまう。

 

 

 

 

─────────助けて。

 

 

 

 

ズズ、と鬼宿がミメイの意識を闇に引きずり込む音が聞こえたのが、自我を保っていられる最後だった。

そうしてミメイは目を閉じた。

 

 

 

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