未だに見えぬ朝を乞う   作:明科

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キャラ崩壊していないことを祈ります。






29:いいえ、もしも罪だというのなら

「驚いたな。」

「······。」

クロロの声にミメイは答えない。

答えられない。

ミメイが言葉を紡ぐべき唇は、自身の手首に埋まっているからである。

 

「抵抗のつもりか?」

「···違うわ。」

薄い皮膚を突き破っていた牙を引き抜いて鮮血をパッと辺りに飛ばす。

唇についた血を舐めとってから、手首に残った2つの丸い噛み跡にも舌を這わせる。

もう血は止まり傷は塞がりつつあった。

あともう少しすれば元通り。

人間ではなく化け物の回復速度。

 

そうだ、ミメイはもう化け物だ。

人間でいたい、いつまでも人間でいたいのに。

けれどそれは叶わない。

昔から分かっていたことだ、いつかは化け物に堕ちるのだと。

何度も何度もそんな自問自答を繰り返してきた。

矛盾と言い訳と現実逃避と、そんなものと共に生きてきた。

しかしその全てを捨てると決めたのだ。

今すぐではない。

いつか訪れる最高の終わりの為にミメイは人間のままでいることをやめるのだ。

 

 

「クーさんは私を欲しがってくれたよね。

嬉しいよ、それはとっても嬉しい。

でも駄目なの。貴方じゃ駄目。」

完全に塞がった手首の皮膚をなぞってから、再びクロロの首に手を回す。

仲睦まじい恋人がするように彼に寄り添うミメイだが、2人の間にあるのは張り詰めた欲望だけである。

甘さなど微塵も感じられない。

「それで俺が引き下がるとでも?」

その言葉を待っていた、とミメイは目をゆったり細める。

「思わないわ。でもそんなもの、私には関係ないでしょう?

確かに貴方は私の特別よ。この世界を教えてくれた最初の人だから。

でもね、それがどうしたの?

私は貴方じゃ満足出来ない、私で傷ついてくれない貴方なんかじゃ。

だから嫌。」

殆ど動かないクロロの頬に指を這わせて、その肌が傷つかない程度に爪を立てる。

「お前の事情なんか俺には関係ないな。」

ミメイの好きなようにさせたまま、相変わらず表情の色が薄い目でクロロは彼女を見下ろす。

 

「あら、貴方の事情だって私にとっては塵芥に等しいのに。

こういう私が欲しかったんでしょう、クーさんは。

欲しいものを好きなだけ、好きなものを欲しいまま。

妖精のように、女王のように、娼婦のように。

そんな無邪気で残酷で妖艶な化け物が欲しいんでしょう?」

赤い瞳を三日月のように変えて、ミメイは指に力をこめる。

プツリと肌がちぎれる。

たらりと血が流れる。

その様を嬉しそうに見守って、真っ赤な血を愛しそうに見つめて。

そうしてクロロの顔を見上げてから、何の変化もないことにつまらなそうに眉を下げる。

 

「ああ、欲しいな。」

「うふふ、正直ね。貴方のその声音は好きよ。

欲望剥き出しの獰猛な獣みたいな声。

でも駄目よ。何しても貴方は傷つかないんだもの。

私の言葉でも、行為でも、存在でも、全く傷ついてくれない。

そんなもの私は欲しくない。」

クロロの首からするりと腕を外して彼から離れ、血溜まりを素足で踏む。

「それがお前の本性か、ミメイ。

他者を害することに悦を覚える享楽主義者。」

血溜まりの上で踊るように、軽やかなステップを踏むミメイ。

薄暗い地下室で紅玉のような目と紫水晶のような髪が淡く輝いている。

人間を誘惑するようにチラチラ揺れている。

エデンの林檎、パンドラの匣───1度手にすれば後戻りは出来ない人智を超えた存在。

 

「あは、クーさんは言葉選びが上手ね。

正解よ、大正解。

私の本質は生まれた瞬間からこうだった。

でも私は嫌だった。だってそんなの、あまりにも酷過ぎる。非人道的だもの。

私は人間らしい人間でいたいのに。」

ぴちゃりぴちゃりといやらしい水音を響かせて、ミメイは赤と白のコントラストが目立つ足を動かす。

目の前にいる男の欲深さに呆れ、と同時に愛しさを感じて彼女は笑った。

人間の欲をこよなく愛する鬼のように、獲物を見つけた吸血鬼のように。

 

 

そう、ミメイは生まれた時から壊れてしまっていた。

この世に生を受けた時点で世間一般的に必要とされる人間として欠陥品だった。

鬼の有無に関係なく始めから終わっている。

たとえ鬼がいなくとも、その性質は酷いものだったに違いない。

嗜好を実行に移す手段()と、理性を吹き飛ばす引き金()がないから今のようにはならなかったのだろうが。

しかし実際は鬼がミメイの心に侵食したせいで、その生来の異常性が加速した。

眠ったまま、無視したままにしておけた本質を叩き起こしてしまった。

ミメイを狂わせたのは鬼だ。壊したのは鬼だ。

その事実に間違いはない。

けれどミメイが人間には似合わない歪みを持って、世界へ転がり出たことも真実なのである。

 

他者の傷や痛みを愛し、自分の手で他者を傷つけることに愉悦を感じる加虐趣味の人でなし。

身体的でも精神的でも他者をズタズタに傷つけて一生消えない傷を刻みつけて、自分という存在を他者の心にこびりつかせたい構ってちゃん。

痛みによって他者を愛する筋金入りの変態さん。

その為ならば手段は選ばない。

たとえ自分自身を投げ打ってでも、その結果自分が死んでしまっても。

相手の心を見通して、相手が1番傷つく方法で傷つける。

好きな人だからこそ、恋しい人だからこそ、愛しい人だからこそ。

ミメイは傷つけずにはいられない。

真昼が人の痛みが分からない天才ならば、ミメイはそれを分かり過ぎている天災なのである。

 

けれど彼女は人間でいたかった。

隣にいる片割れは人間だったから。

自分同様鬼と混ざっているにせよ、綺麗なものに心を弾ませて花のように笑う真昼は紛うことなき人間で、とても美しかったから。

美しかったから憧れた。

だから自分の本質を奥底に眠らせて、分厚い仮面をつけて、自分自身もその存在を忘れてしまうようにして。

欲望の塊である鬼さえ呆れさせる自分の本質を殺して我慢して耐えて忍んで。

そうする位に真昼に憧れて、焦がれていたのだ。

その真昼に乞われたから鬼に堕ちたくなかった。

ミメイが人間でいようと必死になる姿を見て、間違いなく真昼は傷ついていた。

可哀想に、苦しいでしょう、可愛い未明、でも貴方はそうでなきゃ、と嬉しそうにしながらも傷ついていた。

人間らしさと鬼の本能の間で板挟みになって泣いていた。

未明の本質はそんな真昼が大好きだったし、ミメイだって愛しく思っている。

 

しかしもう、その真昼はいない。

言葉通り命を捨ててでも傷つけたかった家族も仲間も、ここにはいないのだ。

この世界で鬼はミメイの欲望を煽り、肥大させ、溢れさせた。

傷つけたいのは1人だけ、恋しいのは1人だけ、愛したいのは1人だけ。

勿論他の人間の傷だって、塩を塗りこみたい位に大好きである。

けれどそんなものでは物足りない。

欲しい、欲しい、あの子が欲しい。

あの子(クラピカ)だけが欲しいのだ。

自分のものにしたら、手に入れたら、握り潰してしまうと分かっていても欲しくて堪らない。

自分の全てで傷ついて欲しいのだ。

 

だからミメイはクロロの血を吸わなかった。

今吸ってしまえば、貪ってしまえば、ミメイは押しも押されぬ化け物になれる。

クロロが望み鬼宿が望みミメイが望んだ化け物に。

しかしそれでは口寂しい。

化け物になったミメイを見てクラピカは傷つくだろう。

優しい彼はどうしてと嘆くだろう。

責任感の強い彼は逃げた自分自身を責めるだろう。

彼は何も悪くないというのに。

ミメイに執着されてしまっただけで、彼は自分の運命以上に背負い込む。

その様がどうしようもなく愛しいのだ。

故にミメイはまだ化け物にならない。

彼が1番傷つく時に1番傷つく方法で、ミメイは化け物になろうと決めた。

どうせ訪れる終わりなら何よりも美しく激しく熱烈に刻みつけようと。

 

こんな自分を最低だと、嫌だと咽び泣く自我があるのも分かっている。

人間らしさが残っているのも分かっている。

もしも王子様が愛を囁いてくれたなら、きっと今のミメイは人間のまま踏みとどまれる。

やっぱりこんなの酷過ぎる、と欲望を封じ込められたに違いない。

そしてそのまま王子様の手を取って、幸せな世界に走って行けただろうに。

しかし救い出してくれる王子様なんていないのだ。

結局自分を救えるのは自分だけだと、大人になったミメイは知っている。

 

欲しかった。

ミメイだけを救い出してくれる王子様が。

心から欲しかったのだ。

でも今はそれ以上に欲しいものがある。

夢や希望さえも、全てがどうでも良くなるほどに欲しいものが。

欲することはそんなにも罪だろうか。

いいやそんな筈はない。

欲深い人間は何もかもを求め、世界を滅ぼすことさえも可能にしてしまったのだから。

そんな世界(地獄)で生まれたミメイが、欲しがってはいけないという道理がどこにある?

 

でも、でもね、と幼い涙をこぼす自我。

ごめんね、と謝罪を吐露する弱い自我。

そんなものを易々と握り潰して、粉々に散らせてしまう。

 

 

踊ろう、踊ろう。

白い靴は捨ててしまったけれど。

足元は真っ赤で、この先には茨しかないけれど。

あの日のように一緒に踊ってくれる人はいないけれど。

それでも踊り続けよう、いつか掴む終わりまで。

 

 

蝶のようにひらひらふわふわ、ミメイはステップを踏む。

「もしも貴方が私で傷ついてくれる人だったとしたら、私は貴方に執着したわ。

今以上に好きになった。

でも貴方は誰より欲深いから、普通の人間ほど感情の方に心を割けてないみたい。

何かを犠牲にすることにそこまでの躊躇いを抱けない。

大切な欠片をどこかで落としてきたまま大人になっちゃったのね、クーさんは。」

私も人のこと言えないけど、と手を後ろで組みながら唇を歪めて笑う。

「私を欲しがってくれてありがとう。

本当に嬉しかった。」

何も知らない無垢な乙女のように、ミメイは柔らかい笑みをこぼす。

「クーさんが私を欲しがってくれたから、私は私の欲しいものの為に往くと決めることが出来た。

貴方のその純粋な欲望にあてられたのね、きっと。

そのお礼に貴方の願いを叶えてあげる。

さあ矮小な人間よ、貴方は何が欲しいのかしら。」

ふざけたような口調の中に人間には似合わない重さがあった。

誰かの何かの面影が、ミメイの中に混ざり込んでいく。

可愛らしくにっこり笑ったまま、ミメイはクロロを見据える。

 

「そうだな、取り敢えずはお前が欲しい。」

「貴方は本当に正直ね。

あは、良いよ。その願いを叶えてあげる。」

血溜まりを広げながらクロロに近付いて、その腕の中に引き込まれても抵抗らしい抵抗を見せない。

クロロの血の香りに目を赤く光らせて、牙を見せて笑うだけ。

戯れのように首を絞められかけてもクスクス笑うだけ。

「あれだけ抵抗していた割にあっさりとしているな。」

「貴方の傍にいればいるほど、私は自分の欲を自覚するの。

貴方の欲深さに煽られて、私も欲しがりになる。

だから嫌だった。

“こう”なりたくないから嫌だったのよ。」

欲情して蕩けた瞳を細めてミメイは全身で血の香りを堪能する。

彼女の頭から足の先まで、人間離れして傾いたような美しさが包んでいる。

その様は混沌を愛する淫靡な女王そのものだった。

 

「なるほど。

今の顔は良いな、俺好みだ。」

クロロはミメイの腰に手を回し、破れたままのセーラー服の隙間に手を滑り込ませる。

「あは、趣味わるーい。あと手つきがえろーい。」

さっきまで穴が開いていた腹を撫でられて、擽ったさにミメイは声を漏らす。

こんな風に誰かに触れられたのは久し振りで、ついつい体が喜んでしまっているのが分かる。

人間同士のあたたかな触れ合いというものに飢えていたと気付いてしまう。

クラピカのせいで、クラピカがミメイの傍にいてくれたせいで、彼女にはまだ人間らしさが残るのだ。どうしても。

化け物になると決めたとしても、人間としての熱はそのままになる。

 

 

「私は貴方じゃ満足出来ない。

私が1番欲しいのは貴方じゃないもの。

でもね、貴方が私を欲しいって言うなら私は貴方のものになってあげる。

私の欲しいものの為だから。」

少し際どい所に伸び始めたクロロの手を叩き落とし、また伸ばされて追い返しという攻防を繰り返しながらミメイは血色の唇を動かした。

「俺の前で他の男の話か。」

「わあ、ここまで感情がこもらない嫉妬の言葉があったかしら。

貴方は反応が薄くて本当に愉しくない。

拗ねたり当たり散らしたりとか、そうやって私を傷つけてくれないし。

その後で私を傷つけたことに対して罪悪感を抱いてくれるなんてこと、勿論ないし。」

誰かと違って、と蕩けた笑みを浮かべる。

「俺では不満か?」

「うん。足りないの。

足りないけど、貴方は幻影旅団のリーダーだから。

それだけで私にとっては意味がある。」

きっともっと、彼を傷つけることが出来るから。

「お前が執着する男は俺達に恨みでもあるのか。」

クロロの相変わらずの察しの良さに思わず笑ってしまう。

「ふふ、どうかしら。そもそも私、男だなんて言ってないのに。

可愛い可愛い女の子かもしれないわよ?」

「女なのか。」

「さあ。可愛いことに間違いはないけど。」

「お前の口振りから考えて暫定で男としておくが、彼も哀れだな。」

涼しい顔で太腿に手を伸ばしてくるクロロを退けるも、腕の中に拘束されたままになっているミメイ。

その頬は薔薇色に染まり、赤い瞳は欲で潤んでいる。

もしこの状況をクラピカが見たらどう思うだろうか、そんな想像をして

激しくなる自分の拍動の音を聞いていた。

 

「私もそう思う。本当に可哀想で可愛いの。

何にも悪くないのに、何でもかんでも背負い込んで。

自分の運命に遊ばれて、世界の全てに振り回されて。

悲しいほどに哀れだわ。」

だから好きよ、大好きよ。

恋しくて愛しくて、今すぐにでも傷つけてあげたい。

「だからね、クーさん。

私は貴方のものになってあげるけど、代わりに貴方を利用させてね。

私の欲しいものの為に。」

クロロの顔の方に向き直り、その肩に爪を食い込ませて笑いかける。

「良いだろう。」

ミメイの髪を一房取って手慰みに遊んでから、好青年の面を被った顔で笑みを深くした。

「あは、交渉成立ね。誓いのキスでもしましょうか?」

「噛みちぎられそうだからな、やめておこう。」

ミメイの髪をゆっくり手放し、彼女を静かに見下ろす。

「それもそうね。」

そう素っ気なく呟いて、クロロの背後にある出口のドアノブに手をかける。

 

「止めないの?」

ドアに背をもたれかからせた状態で小首を傾げる。

「止めて欲しいのか。」

「いいえ、全く。でも良いの?

私は幻影旅団員の顔と名前を知っちゃったのに。」

「既に手は打った。」

パタンと乾いた音を立てて本が閉じた。

クロロの手の上にある見慣れない本が。

そして次の瞬間には空気の中に融けて消えていく。

間違いなく念能力によるものだと分かる。

「···そんなもの、貴方持ってた?」

訝しげに目を細め、空になったクロロの手を見つめる。

「ああ。お前が俺のされるがままになっていた時から。」

「あれはただのセクハラじゃなかったのね。

気付かなかったなぁ。」

「念を使いこなせていないからだろう。」

「···悪かったわね。」

少し頬を膨らませたミメイは髪を指にクルクルと巻き付けた。

鬼の力を引き出して半人間半化け物になったとしても、念能力に関して言えばミメイは幻影旅団員に圧倒的に負けている。

まともな指導は受けないままで、修行らしい修行もしていない。

なんとなく、で念を使っているだけではある程度までは行っても、それ以上の上達はないのである。

そしてそもそも、ミメイは必殺技にあたる発の個別能力を編み出していない。

 

「どこへなりとも行けば良い。」

「なぁにその余裕、私を縄で繋いでおかなくて良いの?」

「縄程度だとすぐにお前は引きちぎるだろう。

だから首輪にしておいた。」

そのクロロの言葉につられて、自分の首に手を伸ばす。

触っても何か変な所は見つけられない。

「目に見える首輪は無いのね。」

「ああ。」

「さっき念能力で出してた本に関係あるの?」

「ある。」

クロロの返答を聞いて少し考えてから、ミメイは溜め息を吐きながら顔を顰める。

「ふぅん、そう。

じゃあ念能力による何かで、私は制限されるってこと。

···1度かけられた念って大体は解除出来ない気がしたんだけど、私の思い違いかしら。」

「さあ、どうだろうな。」

「その顔、確信犯ね。

あーあ、やられちゃった。

念能力、もうちょっと使いこなせるようにならなきゃいけないみたい。

かけられたのに全く気付けないのは問題だもの。

このままじゃ貴方が死ぬまで良いようにされそう。」

暗い地下室に溶け込んでいる黒衣の男を見据え、憂いを帯びた表情を浮かべる。

 

「俺を殺すか。」

ミメイの言葉に敏感に反応したクロロが殺気をゆらりと立ち上らせるが、彼女は赤い唇で三日月を作るだけ。

「そう易々と殺されてくれない癖に。

でもね、殺さないよ。

貴方を殺しちゃったら意味ないもん。

貴方が貴方自身の運命に殺されるまで私は貴方のものでいてあげる。

貴方という人間が、その欲望のままに何を手にするのか見ていてあげる。

どこまで欲しがるのか普通に気になるもの。」

ミメイはクロロを気に入っている。

目的の為の有効な手段となりうるからというのは勿論だが、単純に彼の欲深さを好いているのだ。

クラピカやグレンとはまた違う、清々しくも底の見えない闇色を纏う欲望を持つ彼を。

見た目だけならば珍品だが、中身のせいで返品不可避なミメイを欲しがる時点でその守備範囲は幅広いと分かる。

だから、彼がどこまで欲しがるのかが気になってたまらない。

人間が触れるべきではないとされる禁忌でさえも、通常通り手を伸ばしそうで。

 

「どこまで、か。」

「そう、どこまで。

金銀財宝に女に珍品。そういうもので終わるのか、その先まで手を伸ばすのか。」

この地下室からは見えない太陽。

今のミメイにとっては憎々しくて、未来のミメイが焦がれるであろう存在。

それを掴もうとするイカロスのように、力なく天井に手を伸ばすミメイ。

「お前はその先を知っているのか。

そもそも先なんてものがあるのか。」

「どうだろ。何にもない、が答えだと私は思う。

結局のところ何にもないの、なくなっちゃうの。

でもきっと、それは捉え方次第なんでしょうね。」

鬼宿から聞いた話によると、グレンは禁忌に手を伸ばして世界を滅ぼした末に仲間の命を拾い上げたという。

吸血鬼になった真昼の命を捧げて、人間を甦らせる儀式である“終わりのセラフ”を発動させたらしい。

一体それで、グレンは何を得られたのだろう。

仲間の命?世界を滅ぼした罪悪感?真昼を犠牲にしたことへの後悔?

ミメイには分からない。

ミメイはグレンではないのだから、結局彼が何を得たのかは分からない。

でも彼が何を得たかったかは知っている。

ミメイも欲しくてたまらないものだったから。

グレンもミメイも、それを手に入れられないままあの地獄を走るしかなかったから。

 

「貴方は···どうなんだろう。

貴方は(グレン)の立った場所まで往くのかな。

往き着いたとして何を選びとって、その先に何を得るんだろう。」

くったりと折れた肘に従って、腕を元の場所に戻す。

その掌は勿論空のまま。

「さよなら、クーさん。

私の当面の目的を達成する時にまた会いましょう。」

「いつになるんだろうな、それは。」

「さあ、分からない。

でも絶対にその時は来るから安心してくれて良いのよ。」

クラピカは強くなって、力を得て、私の元まで来てくれる。

グレンは真昼の元まで辿り着いた。

追いつけはしなかった、助けられはしなかった。

それでも真昼の元まで走り抜いた。

だから必ずあの子も来てくれる。

だからその時に私は私の幕を引こう。

そんなことを思いながら、ミメイは今度こそドアを開けて地下室から脱出した。

 

紫の髪を揺らしながら暗い廊下を歩む。

廊下に響くぺたぺたという足音に、自分が裸足であったことをミメイは思い出す。

けれど振り返らない。

靴を取りには帰らない。

クロロの元へは戻らない。

ここで彼の血を吸えばミメイは今すぐ化け物になれる。

きっとその方が幸せだ。

ミメイだってこの酷い渇きを癒せるし、どんなものも簡単に捩じ伏せられる力を得られる。

クロロのかけた念能力だって、人間の体では難しい荒療治でどうにか出来るかもしれない。

そして何より、これ以上クラピカを苦しめなくて済む。

責任感の強い彼は、再会した時ミメイが化け物になった姿を見て自分を責めるだろう。

別に彼が気に病む必要はないというのに。

ミメイとクラピカはどこまでも他人である。

友人でも仲間でもない。師弟関係なんてものを結んだ覚えもない。

それでもクラピカはミメイのことで傷つくだろう。

失うことを何より恐れる彼は、間違いなくミメイに依存していたから。

 

だがそれだけで済む。

目の前でミメイが人間から化け物に変わっていく様を見ることもない。

ミメイの影にいるのが幻影旅団だと知ってしまうこともない。

ミメイが化け物になってしまうのは仕方のないことだ。

この恋を始めてしまった時点で、いつか終わりが来ることは痛いほど分かっていた。

だからそのことでクラピカを傷つけるのは避けられないことである。

しかしそれ以上に傷つけたいと思ってしまったのは、欲してしまったのはミメイのエゴだ。

クラピカが1番傷つく時に1番傷つく方法で傷つけたいだなんて。

 

 

「···あは、酷いね。」

自分自身の醜さを、非人道的な望みを嘲笑いながら歩いていれば、月光が降り注ぐ砂漠へと足を踏み入れていた。

満月の光と星の光だけが頼りのこの夜の砂漠に、ミメイは独り立っていた。

冷えた砂の中に裸足を突っ込めば、その感触の心地好さに思わず笑みがこぼれる。

足の裏に僅かに残っていた血が砂を赤く汚せば、その香に誘われた蠍のようなものがミメイの足元に現れる。

この世界の毒の耐性はまだ未確認なものも多い。

鬼のお陰で死にかけても死なないとはいえ、まだ完全な化け物になってはいない。

こんな所で蠍に刺されて死ぬなんて笑えないと思うミメイは、まずは血を洗い流すことに決めた。

傷口はとっくのとうに塞がっている為手当は必要ないが全身血だらけである。

砂漠なのだからオアシスは無いだろうかと周りを見渡せば、遠くの方に緑が見えた。

聴神経に意識を持っていって感度を引き上げれば、僅かに聞こえるのは水の音。

オアシスがあるのは間違いないだろう。

 

ミメイを刺すでもなく、まだ足元を彷徨っていた蠍を無視してオアシスに向かって歩き出す。

人っ子一人いないこの砂漠は夜の冷たさに支配されており、ある種の神秘的な雰囲気であった。

それこそ美しい月の女神様でも舞い降りてきそうな。

実際にいるのは人間と化け物の間の何かだが。

 

 

予想通り存在したオアシスで、ミメイは勢いよくセーラー服を脱ぎ捨てる。

下着類も乱暴に体から引き剥がし、それらにべったり貼り付いた派手な赤色に溜め息をつく。

セーラー服は特別性だから問題ないとして、下着類についた血は洗って取れるのだろうかと心配になる。

それもこれも幻影旅団の人間に手酷くやられたせいである。

ノブナガという居合の達人に大男のウボォーギン、情報集めが得意らしいシャルナーク。

彼等がミメイを捕獲しようとしなければ、腹に穴は開かなかった。

ミメイがフェイたんと呼ぶ彼の拷問が無ければ、ここまで血まみれにはならなかった。

いくらマチが見える部分だけは拭いてくれていたとはいえ、情け容赦もデリカシーもない男共のせいで下着が駄目になったと憤慨するミメイである。

クロロと色々あったせいで靴も置いてきてしまったし。

全く幻影旅団と関わるとろくな目に合わない。

クロロ以外はこれが初めての邂逅だというのに既に嫌になっている。

団長であるクロロと契約した以上、彼のものになった以上、これから幻影旅団に関わることもあるのかもしれないが、その時には替えの下着を用意するとミメイは決めた。

血気盛んな彼等と会えば死合になるのは想像に難くない。

 

何も身につけていない裸体を綺麗な水に沈め、1度頭まで水中に潜らせる。

じわりじわりと透明な水に広がる血を掌でかき混ぜながら、顔を水面にゆっくり上げていく。

水滴が弾け、艶を取り戻した紫の髪がミメイの背にべたりと垂れる。

それを少々疎ましく思いながら、金色の月を見上げればついつい笑いがあふれてしまう。

美しい金色。

可愛い金糸雀。

単純で簡単な連想ゲームだった。

ここまで自分は恋に狂ったかと、自嘲的な笑い声が喉を鳴らす。

「ああ、やっぱりクラピカが良い。クラピカが1番可愛い。

···会いたいなぁ。」

届かぬ月から目を離し、眼下に広がる水面を見つめる。

そこにいるのは赤目の化け物。

1度瞬きをすれば瞳は生まれ持った茶色に戻るが、またすぐに赤に変わっていく。

クラピカの緋の眼と同じように美しいとは思う。

赤は血の色、生命の色、美しいことに変わりはない。

けれど彼のものと違って感じるのは禍々しさ。

触れるべきでないと一目で分かる、忌むべき何か。

 

たぷりという水音を大袈裟に響かせるように水中で腕を動かしてから、その手を自らの頬に這わせる。

茶色の目に戻ると、赤色の目に変わると言えるのはいつまでなのだろうか。

赤色から戻らなくなって、赤だけがミメイの色になってしまうのはいつなのだろうか。

答えは分かっている。

ミメイがクラピカを傷つける時。

完全な化け物になる時。

人間を捕食者と看做した時。

その首筋に牙を突き立てて、血を啜った時。

 

「···選んだのは私なのに。

今だって後悔なんかしていないのに。

クラピカを傷つけられることに悦びさえ感じているのに。」

それなのにどうして。

「泣かなくちゃいけないの?」

もう人間じゃないと泣いていた真昼のように、何故今涙を流しているのだろう。

「泣かなくちゃいけない理由なんてない筈なのに。

だって私は生まれた時から鬼と混ざってて。

その本性は初めから酷くて。

人を痛めつけることでしか人を愛せないのに、満足できないのに。

そんな人でなしなのに。

どうして今更、私は悲しんでいるの。」

水面に映る頬に伝うのは冷たい涙。

 

「泣いたって、悲しんだって何も変わらないのに。

誰も助けてなんかくれないのに。

私はもう、化け物になるしかないんだから。

今じゃないから、その時までの辛抱だからって言い聞かせてるから、まだ踏みとどまれてるだけなのに。

もう無理なのに。」

クロロの前での言葉も全て真実だ。

ミメイは自ら鬼を受け入れて化け物になると決めた。

目を背けていた自身の本質も飲み込んだ。

そして欲望のままに往く生を享受しようと悦びを抱いた。

それが本当で、それだけが本当であったなら。

ミメイは今泣かなかっただろう。

 

大切にしたい。壊したい。

守りたい。傷つけたい。

その背反した感情達がミメイの涙となって溢れ出す。

これが真実の恋や愛だというのなら、神様は人間の創り方を間違えたに違いない。

どうせなら美しくて優しいものだけで満たされるものを恋や愛と呼ばせて欲しかった。

少なくとも夢見がちな少女であったミメイはそうしたかった。

 

「好きなの、貴方が好きなの。

この気持ちだけは本物なのに、そう断言できるのに。

どうしてこんなに複雑になっちゃうのかな。

どうしてごちゃごちゃ絡まっちゃうんだろう。」

ねえ真昼、恋って難しいね。

そんなことを呟きながら水中に潜れば、そうね、という姉の悲しそうな肯定が聞こえた気がした。

冷たい水に体を包ませて、浮こうとする気を無くして、ミメイはゆらりゆらり沈んでいく。

水面で揺れる月は遠い。

ぽかりと口からこぼれた泡を追うように手を伸ばしても、月には到底届かない。

ええそうね、でも素敵な月夜です。

何よりも月が綺麗です。

先人達の遠回しの愛の告白を嘲笑うように、そう心中で繰り返してゆっくり目を閉じる。

睫毛に貼り付いていた泡がパチンと弾ける気配を感じながら、周りが暗くなっていくのを受け入れる。

どうせこの程度では死ねないと分かりきっていても、この底が見えない泉に沈むように全てを隠せたらと思わずにはいられない。

 

 

と、そこで唐突に手首を掴まれたような感覚が襲ってくる。

水草でも絡まったかと億劫そうにミメイが瞼を開けば、目の前にいたのは見知らぬ男。

だ、れ、と唇を動かして泡を生み出しながら、その男の手から逃れようとすれば更に強く掴まれる。

それからぐいと引き寄せられて、無理に水面へと引き上げられる。

「······こんな砂漠の真ん中で不審者に会うなんて。」

空気中に晒された首から上で滴る水滴をそのままに、混ざりっけのない本心を口にしながら男を睨めつける。

「お節介だったか?」

ミメイの手首を掴んだまま、男は飄々としている。

ミメイの殺気を浴びても尚これだ。

ただの身汚い男ではないらしい。

「そうね、割と。」

「お前みたいな若い女に目の前で死なれるのは俺の寝覚めが悪いんだよ。」

「わあ、自分勝手。」

「当たり前だろ。」

「やだ、ここまで清々しい人初めてかも。」

クロロといいこの男といい、見ていて面白い人間がこの世界には多くて困る。

 

「ちなみに私は死ぬつもりなんて毛頭なかったんだよ、おにいさん。」

手首を逆回転させて男の手から逃れ、足がつく浅瀬まで泳いでいく。

「そうか?死相が見えたけどな。」

男は濡れた服を重そうに引きずるようにして水から上がった。

そしてミメイの前に歩いてきて、その手を差し出してくる。

「···ああ、なるほど。おにいさんの言うこと、あながち間違ってないかも。」

人間としての“私”の死を私は自分で定めたから。

男の言葉を反芻すれば、そこで1つ疑問が生じてくる。

「ところでおにいさん、死相が見えたって言ったけど、一体いつから私を見てたのかしら。」

そうミメイが言えば、やっべぇという顔でさりげなく目を逸らす男。

「·······おまわりさーん!ストーカーがいるんですけどー。」

わざとらしく声を張り上げる。

「砂漠に警察がいる訳ねぇだろ。」

「助けてー。手篭めにされるー。」

棒読みで可愛らしく叫んでみても、男は自分の服の水を絞りながらニヤリと笑うだけ。

「なんだ、ふざけるだけの元気は戻ったか。」

「お陰様で。···覗き魔のおにいさん?」

「覗き魔はやめろ。」

そう言いながらも、ミメイの方に再び手を差し伸べてくるこの男は随分自己本位的に人が良いらしい。

 

「えー、どうしようかしら。おじさん呼びじゃないだけ私の優しさに感謝すべきよ、おにいさん。」

ミメイは男の手を取って水の中から体を上げた。

一糸まとわぬ体のまま、ミメイは放置していたセーラー服と下着を回収する。

そしてこの変な男との会話を試みようと思いながら、それらの洗濯を始めるのだった。

「そのおにいさんもやめろ。むず痒い。」

「でもおにいさんは、まだギリギリおじさんって歳じゃなさそうだから。

一応配慮したのに、私。」

「俺はこれでも息子がいるんだよ。」

「···ふぅん。おにいさんの家族事情とかどうでも良いけど、確かにそれならおにいさん呼びはきついのかしら。」

柔い月の光を全身に浴びながら、ミメイはニヤニヤ面白そうに笑った。

しかしその顔面に布が投げつけられ、ミメイは一旦洗濯の手を止めざるをえなかった。

「着てろ。」

「汚いから遠慮するわ。」

だってさっきまでおにいさんが着てたやつじゃないの、と言外に訴えれば

「じゃあ洗ってから着ろ。」

「それ意味ないの分かってるの、おにいさん。

というより、私の仕事が増えただけな気がするんだけど気のせいかしら。」

 

 

 

 

 

─────初対面ながらもぎゃあぎゃあと仲良く騒ぐ男とミメイが後に師弟関係のようなものを結ぶことになるとは、今はまだ2人とも知る由もなかった。

 

 

 




最後に駆け込みで出てきたこの人は一体誰なんだろうなぁ。


ちなみにこの小説は
ミメイ→→→→→→→→(←)クラピカ
ぐらいの思いの差がある設定で書いています、一応。
ミメイちゃんがクソデカ感情持ってるからね、仕方ないね。

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