未だに見えぬ朝を乞う   作:明科

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胡蝶って打つと、心臓がバクバクする病気に去年くらいからかかっている作者です。


あ、不整脈か。





31:孤蝶の暮、胡蝶の夢

「ジンさんジンさん、あれは何?」

さんさんと日光が降り注ぐ砂漠の真ん中で、湖に浮かんでいた大きな蓮の葉のようなものを日傘代わりにしたミメイは少し先を歩く男に尋ねた。

その茶色の目はキラキラと光り、男────ジンが億劫そうにミメイを振り向くと、茶色は軽く弾んでから紅色に染まっていく。

ミメイの目はまだ茶色がベースである。

しかし彼女の感情の僅かな変化や昂りで、前以上にすぐ赤に変わるようになっていた。

 

そう、ミメイは感情を抑えることをやめていた。

やめてよくなっていた。

どんな小さなことであっても心が動く。動く心がある。

人をいたぶっている時や、心的距離の近い極わずかな人間の傍にいる時だけではない。

ミメイの感情は心から溢れ出す。

まだ表情筋は硬いが何年かすればきっとそれさえも柔らかくなる。

以前のミメイを知る人間からすれば信じられないほど、彼女は上っ面だけは人間らしくなるだろう。

そうしてその人間らしさが頂点に達した時、自らその人間性を放棄すると決めていた。

化け物を身に宿し融かし込んだ人間未満から、押しも押されぬ化け物に。

吸血鬼という名の化け物になる。

ミメイの生まれた世界での吸血鬼とは、鬼宿はまた違うものだったようだが凡そ同じものになるだろう。

それに近付いている証拠として、直射日光がなんとなく苦手になっているミメイは葉っぱの傘を差している。

 

幼い頃にできなかったことをなぞるように、ミメイは好奇心のままに行動していた。

今こうしてジンの後をついていっているのも、知らないものの名を尋ねるのもその為である。

そもそもジンは夜の砂漠での一件の後、さっさとミメイを置いて歩き出した。

彼としてはもうミメイに用は無かったのだろうが、ミメイの方がそれでは満足できなかったのだ。

有り体に言ってしまえば懐いてしまったのである。

単純な好奇心が彼に向いてしまったのである。

鬼宿を取り込んでからは余計に、マタタビを嗅がされた猫のようにジンに飛びかかりたくなる。

そして構って貰いたいと、遊んで貰いたいと思ってしまうのだ。

動物的な本能と言うのだろうか、不思議な感覚だと思っているミメイは最早自重しない。

だから自分のやりたいように、ジンの後を追っかけている。

 

 

「毒持ちのサソリだ。刺されると三日三晩笑いが止まらなくなるぞ。」

ジンの方もそんなミメイを初めは鬱陶しく思っていたようだが、数週間経った今となっては諦めたらしい。

ジンがどれだけ引き離そうとしても、どれだけ置いて行こうとしても、ミメイはその人間離れした身体能力で彼についていく。

彼としてもここまで粘着質に張りつかれたことは余り無いらしく、一応ミメイが若い女ということもあってか説教じみたことをしていたが、それは余計彼女を煽るだけだった。

「ならこれは?」

足元に擦り寄ってくる手のひら大の蛇を指差して問う。

「この前お前が格闘した蛇のガキだな。」

ちなみにその巨大蛇は、ジンがミメイを引き剥がす為にけしかけた障害物役だったが、数秒のうちにミメイによって尻尾を切り落とされ恐慌状態に陥って戦闘不能になった。

「へえ、子供の時はこんなに小さいのね。一口でいけそう。

成体になるまでどのくらいかかるのかしら。」

物騒な言葉を口にしたミメイに怯えてか、子蛇はスタコラサッサと逃げていく。

砂に描かれたその退避跡を見送ってから、ミメイは日傘を肩に置いて周りを見渡した。

子蛇の親かもしれない巨大蛇の姿は無い。

その事実に少しガッカリしたミメイは蛇の肉の味に結構ハマっていた。

血抜き処理を程々にして、こんがり外側を焼き上げたものが特にお気に入りである。

ちなみに、先述した巨大蛇の尻尾はミメイとジンのオヤツとして彼等の腹に収まっていた。

尻尾の性質がトカゲタイプだったらしい巨大蛇はミメイが尻尾を食べている間に、切り落とされた痕が目立つ体を引き摺って逃げ去ってしまったが、今度は丸ごと食べてやろうと画策しているミメイである。

 

以前はこれほどまでにミメイの食い意地は張っていなかった筈だった。

そもそも食べること自体があまり好きではなかった。

好物はあったが、それを好んで食べたいとは思わなかった。

それが今はどうだろうか。

生臭い血の滴る蛇の肉を求めてやまない。

本能的に欲しがっている人間の血を吸わない為に、体が代わりを求めている結果だとミメイは推測していた。

だから食べても食べても満たされない。

血の香りに心は弾み、一時的な飢えは凌げるが根本的解決にはならない。

結局の所、ミメイの際限のない飢えと渇きを潤すには吸血童貞を失う他ないのである。

人間の首筋に噛みついて、牙を突き立てて、薄皮の下を流れる血潮を啜るしかないのである。

その事実を受け入れている自分自身をミメイは嫌っている。憎んでいる。

人間を殺すだけなら慣れている。

しかし食べたことはない、食べたいなんて思ってはいけない。自分と同じ人間なのだから。

しかしそう訴える自分自身を嘲笑している自我があることも自覚している。

そうやって矛盾に矛盾を重ねて、とっちらかった自我と感情を束ねて、ミメイは今を生きていた。

生きているのだと実感していた。

 

「成体になってもまだ成長するからな、お前が遊んでたあれもまだ若い方だ。」

「すごーい。あんな大きいの、キメラでしか見たことなかったのに。

この世界には普通に生き物として存在するんだ。」

人工的なものに限るなら、ミメイの何十倍もの体躯を持つ生き物は百夜教が研究していた。

柊家も興味を持っていた。

だから巨大な蛇を目にしてもそこまで驚きはしなかったが、それが自然の中で生まれたものと知って軽いカルチャーショックを覚えたミメイである。

「外にはもっとデカいのがいるぞ。」

「外かぁ。鬼宿はきっと、その“外”で生まれたんだろうな。」

頭に巻いたボロ布の端を風にたなびかせながら歩くジンの隣に走り寄り、ミメイは傘代わりの葉の茎部分をクルクルと回す。

「だろうな。お前からは外の匂いがする。」

そう言うジンから、この世界の“外”のことをミメイが聞いたのは昨日のこと。

通称暗黒大陸と言うらしいその場所には、人間が触れるべきではないパンドラの匣がうじゃうじゃしているという。

人間が手を加えた加えないに関係なく、禁忌がゴロゴロ転がっているらしいこの世界の真実に驚きながら、少し納得した自分がいたことにミメイは気付いていた。

異常な化け物として鬼宿が生まれたのはそこだったのだろうと。

 

「その口振りからすると、ジンさんは“外”に行ったことがあるの?」

「さあな。」

口角を軽く上げて、少年のままの瞳を遠くに向けるその姿にミメイは溜め息をつく。

「あ、またはぐらかした。ジンさんはそればっかり。

そんなんだから親権取られるのよ。」

傘を少し傾けてジンの顔を下から覗き込めば、

「うるせぇ。」

という声と共に蹴りが飛んでくるが、それをひらりと躱しながらミメイはクスクス笑う。

「私自身父親ってものがよく分からないから上手いことは言えないけど、多分貴方がしてるのは育児放棄でしょ。」

「んなこと分かってんだよ。」

「ふぅん。分かってて、貴方は育児放棄したままでいるんだ。

やっぱり色々あるのね、皆。色々考えて、考えた末に選択してる。」

「······。」

皮肉っぽく揶揄するミメイをまた蹴り飛ばそうかと思いついたジンだったが、彼女の顔から笑みが消えているのに気付いて何もしなかった。

 

「なら父上様も、考えた末に私達の母を孕ませたのかな。

人格を破壊して実験動物のようにした母に、私達を産ませることを選び取ったのかな。

······なんていうかそれって、凄く馬鹿みたい。

馬鹿みたいに滑稽だと思わない?ジンさん。」

「さあ、どうだろうな。俺の知ったことじゃねーよ。」

目を血色に染めて、また嘘臭い微笑を薄ら浮かべているミメイに素っ気なく返すジン。

彼は、ミメイが父親や母親というものに焦がれていると気付いていた。

ミメイの出生だけ聞いても彼女がそうなるのは仕方ないと思っていた。

だからといってジンがミメイにできることはない。

自分の息子にさえできないことを、赤の他人にどうやってできるだろうか。

だがミメイの心に深く根付いた喪失感に触れる度、迷い子のように揺れる赤い瞳を見る度、一瞬息が止まりそうになる。

ミメイを通して、赤子の姿しか知らない自分の息子がこっちを静かに見ているような錯覚を覚えて、ジンはどうして良いのか分からなくなる。

夏の終わりにふと抱く特別な寂寥感や焦燥感のような、全身を駆け昇る何かがあった。

そんなほんの一瞬の蜃気楼。それがミメイだった。

 

 

「名前くらい知りたかったな。」

日傘の下から太陽を見上げ、その光に赤い目を細めながらミメイは小さく呟いた。

取り込んだ鬼宿の記憶を遡ったとしても、母親の名前は一欠片も出てこなかった。

大体何でも知っている鬼宿でさえ知らなかったのだ。

つまり、そういうこと。取るに足らないことだった。

けれどもミメイは思うのだ。

柊家に囚われ続けその恋を運命に潰されながらも、ミメイ達妹のことを守ろうとしていた真昼のことを。

せめてミメイだけはと柊家の檻から逃がしてくれた姉のことを。

他の全てが枷を嵌められたままであっても、ミメイだけは飛び立てるようにと祈ってくれた片割れのことを。

あの愛しい人は、きっと今でも柊家に囚われ続けている。

妹のシノアだって、たった1人で膝を抱えて小さくなっていることだろう。

彼女達と同じ様に、母親もずっと独りで誰にも知られないまま囚われている。

死んで尚、孤独という名の地獄で牢に繋がれている。

死んで尚、その名は真っ黒に塗り潰されている。

だからせめて名前だけでも闇の中から引き摺り出してみたかった。

1人自由になったミメイが、姉妹達の分まで母親というものを心に収めてみたかった。

 

「良いじゃねーか、名前を知らなくても。

呼んでやれよ。」

簡単なことだろうが、とジンは言った。

「なんて呼べば良いのかな。」

その彼の言葉に戸惑いながらも、少し気恥ずかしそうにミメイは頬を緩ませた。

「顔も名前も知らなくてもお前の母親なんだろ。なら呼んでやれ。

何も考えなくて良い。」

素っ気なくもあたたかな言葉に後押しされて、ミメイはガラス細工に触れるように恐る恐る口を開いた。

「···母上──────ああ違う、これは違う。

父上様みたいになっちゃうもの。

······そうね、母さん。母さんって呼びたいな、私。」

妹のシノアはミメイを『未明姉さん』と呼んでいた。

その時の調子を軽く真似て、ミメイは母さんと呼んでみた。

「母さん。」

この世界には勿論いない。

ミメイが生まれた世界にも、もういない。

呼んだ所で意味ありげに風なんて吹いてはくれない。

それでも良かった。

ミメイは母親を『母さん』と呼べたことに満足していた。

 

「ジンさんは不思議な人ね。」

ボロ布を靴代わりに足に巻き付けているミメイは、その足を白い砂に踏み入れながらヒラヒラ歩く。

軽快な足取りでジンを追い越してから少し先で立ち止まり、彼が歩いてくるのをじっと見つめる。

「なんだ、貶してんのか?」

「いいえ違うの。ああでも、もしかしたらそうかもしれない。」

「どっちだよ。」

何言ってんだこいつは、という視線にクスクス笑いを返しながらミメイは日傘を後ろに傾ける。

「どっちも。

貴方のその性質はきっと多くの人を惹き寄せる。魅了する。

人間だけじゃない。動物や私のような紛い物でさえ、貴方に惹かれずにはいられない。

貴方なら何かをしてくれるんじゃないかって無意識に期待する。

それ自体は素敵なことなんでしょうね。」

日傘代わりの葉の、その真ん丸な影をジンの影が追い抜いてすぐ彼女もまた歩き出す。

 

「でもそれって少し残酷ね。

貴方はその魅力をもってして、多くの人間の生の歯車を回しちゃうの。

貴方はただやりたいようにやっただけ、自分が好きなように動いただけ。

それなのに、その影響がジワジワ色んな場所まで広がってしまう。

貴方の知らないうちに。貴方が知ろうとも思わないうちに。」

明るい欲望というのだろうか、そういう類の光で満ち溢れたジンの瞳を見上げるミメイは赤い目を細めた。

酷く眩しそうに。

中天より少し西側に位置する太陽よりも近い場所にあるその小さな光を、直視できないかのように。

「誰もが思うのよ。貴方に見て欲しいって。

貴方の視界に入れて欲しいって。

構って欲しい、遊んで欲しい。貴方の心に一瞬でも映りたい。

けど貴方は貴方が興味を持ったものにしか興味が無い。

だから結局、皆貴方に見て貰えずに不貞腐れて貴方を嫌になるのかもしれないわ。」

「それっぽいことを言うのが得意なんだな、お前は。」

ガシガシ頭を掻きながら、ジンはミメイのニヤニヤ顔を砂に押し付けようと手を伸ばすが、華麗なステップでミメイは逃げていく。

 

「言葉遊びは得意なの、昔から。」

嘘も虚言も、自分を守る為の武器だったから。

「そういう所も似てるよ、お前ら。」

「『ら』?私みたいな知り合いがいるの?」

「いるよ。自分が楽しけりゃそれでいいって奴がな。

ま、あいつはお前より無差別でタチが悪いけどな。

あれは完全アウトだ。」

自分勝手にお人好しなこの男がこうも断言する存在に、俄然興味が湧いてくる。

と同時に少し面白くない気分になるミメイだった。

「私は?」

「ギリギリアウトだな。」

「良いの、それで?」

「俺が知るかよ。お前の話は面白いし、お前と遊んでやるのも俺がそこそこ楽しいから良いんじゃねーの。」

「そっか。」

クラピカへの倒錯した感情さえも、ジンにとっては完全アウトではないらしい。

あくまでギリギリアウトであって、そんなミメイの生はジンにとって面白いものらしい。

そのことがミメイは嬉しかった。

クロロにそのままのミメイを求められた時と同じくらい嬉しかった。

 

 

「ジンさんは───────」

どこまで欲しがるの。

そう問おうとして、ジンの横顔を盗み見たミメイは静かに唇を引き結ぶ。

答えを聞くことも野暮だと思ったからである。

視界がどこまでも広いこの男にとって、見えるものは全て手にしたと同然に違いない。

ならばきっとまだ見えない、まだ知らないものに手を伸ばしているのだろう。

見える世界が狭いミメイには、狭いままで構わないと思っている節のあるミメイには何故そこまでするのかが分からないが、そんな彼の姿は純粋に見ていたくなる。

意味もなく期待している。

この空の果て、世界の裏側、禁忌の匣の底、狭間から見える混沌。

彼はそれらを欲し手を伸ばすのだろうが、彼ならば“何か”が変わるのではないかと根拠もなく思っている。

クロロとはまた違う、まっさらで広い欲望がジンの体からは溢れているから。

 

「ジンさんは、観賞用ね。」

「どういう意味だこら。」

「そのままよ。観賞用の欲望だわ、貴方が持っているのは。

糧にするには眩し過ぎる上に熱過ぎるから、私は見るだけにしておくの。

そうね、やっぱりクラピカが1番ってことね。」

だって彼はミメイで傷ついてくれる。

クロロやジンと違って、ミメイの全てで傷ついてしまう。

それでも力を求めずにはいられなくて、傷だらけの足を引き摺ってでもミメイに追いついてくれる。

その姿が何より愛しいのだ。

んふふ、と顔を桃色に染めて笑うミメイの赤い瞳は欲望で潤む。

自分の世界に浸るだけでなく、べっとり甘ったるい空気を排出してくる彼女ごとその空気を蹴り飛ばそうと、ジンの足がブンと振られる。

「惚気けてんじゃねーぞ、恋愛脳(スイーツ)娘。」

「あら、惚気に聞こえた?」

だがミメイはカラカラ笑いながら、半身で軽々避けていく。

「恋愛相談ならお断りだ。面白くもねーからな。」

「育児放棄してるような人にする気はないわ。」

「お前には関係ないだろうが。」

「そうよ、関係ないから好き勝手言えるの。」

「そうかよ。」

その言葉をミメイの脳が理解した瞬間大きな砂埃が上がり、その向こう側へとジンが姿を消す。

 

「やだジンさん、跳んでいかないで。

そのスピードの貴方についていくの疲れるのに。」

「疲れるならついてくんな!」

「嫌よ。まだ念の修行つけて貰ってないもの。」

「俺が使ってんの見るだけで殆どマスターしてんだろうが。」

念の扱いが不安定だったミメイだったが、全力逃亡するジンを追うことによって自然とこなせるようになっていた。

ジンが全く意図していない所で、彼はある意味ミメイの師匠になっていたのである。

「そうだけど、何だったかしら···そう、除念師?についてまだ教えて貰ってないから。」

ミメイにかけられた念の存在に気付いたジンがうっかり口走った言葉にしつこくしがみつく。

 

「かけられた念は、除念師っていう特別な念能力を持ってる奴にしか解除できねーんだよ。

ほら、もう話しただろうが。

とっとと除念師でも探しに行け。」

シッシッと手を振るジンの隣に追いついたミメイはニコニコ笑い、走りながら彼に回し蹴りを食らわせようとする。

「ふぅん、そうなんだ。

あ、別に念はかけられたままで良いの。」

「良いのかよ。」

猫の子がじゃれついてくるのをいなすように、ミメイの足を軽く払うジンは肩をすくめた。

「うん。寧ろかけられたままの方が良いかしら、今は。」

幻影旅団についての情報を話そうとすると舌が痺れたり、書こうとすると腕が痺れたりするだけだと確認は済んでいた。

あのクロロの言う首輪にしては少々お粗末な気もするが、それ以上の効果を見つけられない為現状の生活に支障はない。

そんなことより幻影旅団の長に念をかけられた自分を見て、クラピカがどんな反応をみせるのかミメイは今から楽しみでたまらない。

だから時が来るまで放っておくと決めたのである。

 

「顔。」

どろりと蕩けたミメイの顔を、再び砂に落とそうとジンは画策する。

「女の子の顔にケチつけるなんてひどーい。」

しかしそう易々とやられるミメイではない。

ジンの掌を腕で受け止めてその力を殺し、また何事もなかったかのようにジンの隣を走る。

「恋愛馬鹿は黙ってろ。」

「あは、ジンさんの目に私はどんな風に見えてるの?

恋愛脳(スイーツ)だとか恋愛馬鹿だとか、そんなに私は恋に溺れてる?」

真昼だってここまで言われたことはなかっただろうと思い返し、ミメイはおかしくなって笑いを漏らす。

「あ?んなの決まってんだろ。

お前はただの恋する乙女って奴なんじゃねーの。」

一瞬の沈黙の後茶色に戻っていたミメイの目がポカリと開かれ、星の瞬きのように紅色に光ってからまた茶色に変わる。

ぱちぱちと睫毛を何度か上下に動かして、目の前にいる男が発したのだと再確認する。

「······わあ、ジンさんが言ったとは思えない言葉ね。」

「お前は言い回しが一々うざったいな。」

「でもそれ、素敵ね。

人間だとか化け物だとか、そういうの全部遠くに投げちゃえるもの。」

「そりゃ良かった。」

「うん。普通の女の子みたいで、凄く好き。」

何気ない言葉だった。

聞き逃してしまいそうなほど軽い言葉だった。

けれどミメイにとっては何より意味のある言葉で。

それが分かるジンはまた変な寂寥感と焦燥感に襲われる。

 

「もう女の子って歳でもない気がするけど、でもジンさんのその言葉は好きよ。

だからね、ありがとう。」

少女は目尻を緩やかに下げ、月が翳るように笑った。

笑って、どこか遠くを見るような目をしてジンから視線を外す。

その横顔が女の子と呼ぶには不似合いな艶を帯びていて、本人が言っていた通りもう少女は女の子ではなかった。

少女は、女になっていた。

一瞬の羽化を経て、蛹を喰い破り飛び立っていった蝶のように。

 

「······女って奴はこれだから怖いんだよ。」

ボソリとジンが呟いた言葉も、聴覚が異常発達したミメイは一言一句間違えずに拾ってしまう。

「あは、見惚れちゃった?」

にぱ、と音が出そうな笑顔を作れば幼い少女のような無邪気さが漂う。

女の色香はたちまち霧散して、ともすれば実年齢以下に見えそうである。

「ほざけ。」

「もう、乱暴なんだから。」

大量のオーラを纏わせた拳同士がぶつかり、相殺しきれなかった力が風圧となって砂埃を起こす。

大量の砂塵が巻き上がり、砂の下に隠れていたサソリや蛇が突然日光に晒されてオロオロ足掻くのを他所に、2人のじゃれ合いは日が暮れるまで続いた。

 

 

 

 

────────────

「ねえ、ジンさんの発はどんな感じなの?」

砂漠を通り抜けた先の湖沼地帯で遭遇し、ミメイとジンによって狩られた巨大スッポンの尻尾を焼きながらミメイは尋ねた。

「言う訳ねーだろ、怪力娘。

ったく、俺の腕を綺麗に折りやがって。」

ミメイの蹴りを食らって折れた左腕の袖を捲り上げ、その具合を確認するジンは舌打ちする。

ミメイの方もジンの拳のせいで肋骨にヒビを入れられていたが、化け物混じりの彼女はとっくのとうに治っていた。

自分はまだ手負いだというのに、ミメイはピンピンしている所が気に食わないジンは舌打ちを繰り返す。

「寝てる間に私の肩外したお返し。」

「暴れるてめーを止めてやる為だったんだよ。」

「知ってる。あ、良い感じに焼けたよジンさん。」

湖沼地帯の大木の下に作った焚き火。

そこでこんがり焼いた尻尾をミメイは半分に裂き、片方を咥えながらもう片方をジンに投げつける。

 

「どうしようかな、発の能力。1度決めたらもう変えられないんでしょう?」

もっもっ、と肉を咀嚼して飲み込んでから1度口を動かすのを止め、焚き火に肉を当てているジンの方を見る。

「そうだよ。だからよく考えろ。

···というかちゃんと焼けよ。流石は箱入りお嬢様。

料理なんてしたことないってか。」

ジンの判断ではまだ生焼け状態だったらしく、ミメイの焼き方に彼は文句をつける。

「確かに無いけど。血の匂いが濃い方が美味しいのに。」

「これは濃過ぎだアホ。血抜きも適当にやりやがったな。」

「そんなことより。」

「おいこら、話聞け。」

「私の発よ。問題は私の発の能力なの。

何にも思いつかなくて困っちゃう。」

ジンの抗議は聞こえない振り、そこそこ大きかった肉を全て食べ尽くしたミメイは掌に顎を乗せて考え込む。

「お前確か特質系だろ。何かねーのかよ。」

「···何か─────ああ、これとか。」

体から引き摺り出すようにして黒い刀を右手に顕現させる。

もう鬼の宿らない、鬼宿のいない、ただの鬼呪装備の殻。

禍々しさが幾分か薄っぺらくなった刀身を見ているとふと悪戯心が働いて、ミメイはその刃をするりと左手首に滑らせる。

一瞬遅れてピリリとした痛みが手首にはしり、傷口から肉の奥までゆっくりと焼けていく。

鬼を、吸血鬼を、化け物を、殺す為だけに作り出された呪いが体を焼いていく。

 

「ああ、やっぱりすぐには治らないんだ。

ちゃんとまだ鬼呪の力は残ってる。」

薄く切ったつもりだったが、鬼呪のせいで血が止まらずに傷口からボタボタ赤が垂れ始める。

暮人が量産していた弱い鬼呪装備程度の力しかなくても、呪いはしっかりミメイの体を蝕む。

「動脈まで切ってねーだろうな。」

地面を赤く濡らすその出血量から、そう予想せずにはいられないジンは布をミメイに投げてやる。

「うん、大丈夫。ただ血が止まらないだけ。

普通の人間の回復速度以下になっちゃっただけ。」

刀を消して布を受け取りながらミメイは左手首の傷口に舌を這わせる。

呪いに触れた舌もピリピリ痛むが、それを無視して体を蝕む鬼呪ごと血を啜る。

ズルズルと淡白な味の血を吸い、口に溜まったそれを地面に向かって吐き出す。

そうやって粗方鬼呪を吸い出せば、斬り傷は見る見るうちに塞がって元の白い皮膚を形成していく。

 

「···私を殺す為の武器が私の中にあるの。

あは、ほんと私は矛盾だらけ。でも、だからこそ私は私なんでしょうね。」

生きていれば誰だって持ち合わせている自我の矛盾。

ミメイはそれが少し強めなだけ。

未明と鬼宿、心が2つに分かたれていたせいで余計に矛盾が加速していただけ。

右手の指の腹に残った血に鼻を近付けてその匂いを嗅ぐ。

何も満たされそうにない、ただの血の匂い。

やはり自分のものでは駄目らしい、と冷静にミメイは判断した。

寧ろ血を失ったせいで腹が空いてくるばかりである。

紙に押し付ければ赤い指紋が取れそうなほど汚れている人差し指の腹を、真っ白な親指の腹に貼り付ける。

するとペタリ、ネチャリと血が糊のようになって人差し指と親指の腹が離れなくなる。

ぐにぐにと血を擦り付けるように人差し指を親指に押し付けてから、ミメイはそれを無理に引き剥がした。

その拍子に親指の爪が人差し指の腹を引っ掻いて、ピッと小さな傷が出来る。

鬼呪装備による傷と違いすぐ治るだろうとその傷を親指で乱暴に押してやれば、突然指の間の血が浮き上がる。

 

初めは小さなうねりだった。

勘違いかと思ってしまうほどの小さな力。

しかしそれは瞬く間に倍増し、遂にはミメイの指の間から勢いよく血が飛び出していく。

指先の小さな引っ掻き傷はもう塞がっていた。

だからこれ以上の出血は無い筈だった。

それなのに、何かに押され出るようにして血が生き生きと動いている。

「え──────」

突然の事態に言葉を失うミメイを置いてけぼりにしたまま、血は彼女の指先から勝手に離れて空中に飛び散る。

たった今酷く斬られたかのように飛び散って、バラバラだった筈の滴はプクリと大きく膨らんでいく。

 

 

突然の事態に混乱気味のミメイの前で、赤い物体が楽しそうにクルクル回る。

「操作系の能力だな。」

ふよふよと空中を漂う血の玉を見上げるジンは冷静に分析する。

「これ、やっぱり発なの?」

「特質系は操作系との相性が良いからな。大丈夫だろ。」

「なにが大丈夫なのよ。こんな変なの、私の趣味じゃないのに。

1回能力が出来ちゃったらリセット不可なんでしょ?」

「ま、諦めろ。」

「······。」

ちゃんちゃん、という副静音がつきそうな雰囲気で素っ気なく答えたジンを静かに見据えるミメイ。

彼女の目は血の玉と同じ色に染まり上がり、と同時にさっき彼女が地面に吐き出した血がざわめき始める。

地面から血だけ剥がされてむくりと起き上がり、ジンの前に浮いたままの玉に吸い込まれる。

その玉とオーラで繋がったままの指に更にオーラを回して、ミメイは赤い玉の形をぐにゃぐにゃと変えていく。

赤い風船のようにパンパンになった血の塊はミメイが百夜教の研究施設で見たキメラの形を描き、ジンの頭を地面に張り倒そうとその前足を伸ばした。

 

「おい待てやめろ、気色悪い物体を生成するな。」

地面に転がって赤い前足の攻撃を避けながら、ミメイに文句を飛ばすジン。

「力の扱いを覚えなきゃいけないと思って。

実験台になってよ、ジンさん。」

そんな彼を見たミメイの頬には柔らかな微笑が浮かび、赤い瞳も綺麗な三日月を描く。

「もう十分好き勝手出来てんじゃねーか!」

「ううん、そうでもない。この血の塊を操作するのは···結構キツくて。

私が形を変えようとするとこいつの方が抵抗してくるの。」

赤色のキメラの形を保ち、それを無理矢理操ってジンと遊ばせるミメイの額には大粒の汗。

デフォルトの微笑も引き攣り、ギリギリと歯を食いしばる始末。

オーラを纏わせた血を操るのが初めてとはいえ、オーラの扱いに関して天才的な才を持っているミメイにしては疲弊し過ぎである。

そう判断したジンはふと思いついたことを口にしてみる。

「抵抗?······おいミメイ、1回力抜いてみろ。

この気色悪い奴にもオーラを流すな。」

「良いけど。」

息が上がるほど疲れていたミメイは、素直にキメラと繋がっていたオーラを断ち切ってそれを操ることをやめる。

その途端、制御を失った赤いキメラは弾けて散り散りになり、幾つもの小さな赤い塊として空中を漂い始める。

暗闇に浮かぶ赤い玉は焚き火に照らされてチロチロ光り、どこか幻想的な気味の悪い雰囲気を醸し出していた。

そのおかしな光景を映したのを最後にミメイの目の上に瞼が落ちる。

彼女の体は疲弊しきっていた。

今すぐ眠ってしまいそうなほどに体が重くなっていた。

冷たい地面に頭を乗せて縮こまり、そのまま眠ってしまおうかとミメイが全身の力を抜き始めた頃、ジンの声が彼女の意識を引き戻す。

 

「ミメイ、見ろ。」

「ジンさん、私今凄く疲れてるの。寝かせて。」

もったりと億劫そうに唇を動かして抗議しても、ジンの声は尚もミメイを叩き起こそうとする。

「目開けてみろ。すげーぞ、これ。」

「···。」

嫌々ミメイは目を開く。

取り敢えず言うことを聞いておけば、その後は自由だと思ったからである。

そうしてゆるゆる瞼を上げて、茶色に戻った瞳に世界を映した。

ゆっくり映して、ミメイは息を止める。

薄ら開いていただけの目がぽかりと花開く。

 

 

そこは、一面の花畑でも何でもなかった。

ただの暗い湿原地帯。

細い木々と背の低い草がまばらに生えているジメジメとした場所。

その筈だった。

その筈だったというのに、ここは花畑か何かだったろうかと錯覚する。

そう錯覚させる原因がミメイの周りにふわりと寄ってきて、その指に留まり静かに羽を休める。

「どうして、蝶が。」

血色の羽を休めているそれから目を離し、ミメイは再び視線を上に上げてみる。

そこに広がるのは何匹もの蝶がその赤い羽を使ってふわふわ飛んでいる光景。

さっきまでどこにもいなかった蝶が突然現れて世界を赤く染めている。

赤、紅、緋色─────血色。

その何より慣れ親しんだ色で、忌まわしくて美しい生命の色でいっぱいの視界。

「これがお前の能力なんだろ。」

「私の?じゃあこれはさっきの血?」

「そうだ。この蝶がお前の力の本当の姿なんだろう。

だからそれ以外の姿にしようとしたお前は必要以上に疲弊した。」

「そっか。」

蝶の形をした赤い塊が留まっている指を眼前に持っていき、その匂いを嗅いでみる。

予想通り自身の血の匂いがしたことにミメイは少しの落胆と安堵を覚えながら、指から蝶が羽ばたいていくのを黙って見守った。

 

「操作はしてねーんだな。」

「全く。」

「じゃお前の意思とは関係なく勝手に動いてんのか、こいつら。」

ジンの言葉を契機にミメイはそっと腕をもたげ、舞い踊る赤い蝶達の方に手を伸ばしてみる。

すると幾つかの蝶はミメイの方へ向かってゆらゆら飛び、彼女の手に留まろうと羽を動かし始める。

今や一滴も血が残っていない、真っ白なミメイの掌を再び赤く染めようと集まってくる。

「ある程度は意思疎通ができるみたい。

感覚的には式神と同じね。」

「式神ねぇ······お前の故郷特有の技術だったよな。」

「うん。」

「なるほどな──────。」

そこでプツリとジンの言葉が途切れる。

また何か考え込み始めて自分だけの世界に突入したのかと思ったミメイ顔を動かせば、空気をひらひら掻き混ぜている赤い蝶達を見上げた状態でジンが固まっているのを見ることができた。

やはり自分の世界に行ってしまったのかと呆れながら彼に声をかける。

「ジンさん?」

しかし答えない。

何も答えない。

またもや無視されているのかと思いかけるが、あまりに何の反応もないことにミメイの頭で警鐘が鳴る。

ミメイの声は勿論外界の音全てが聞こえていないかのように、ジンはぴしりと固まっている。

プロハンターだという彼がそこまで周りに注意を払わないことがあるだろうか。

いや有り得ない。ある筈がない。

 

「ジンさん、ジンさん!」

疲労で重い体をどうにか動かしてジンに駆け寄り彼の肩を揺らす。

肩に触れてすぐ、その異常な強ばりに気付いたミメイの顔が白くなる。

「まさか···。」

ジンとミメイを取り囲むように優雅に飛ぶ蝶。

ミメイの血から作られたという蝶。

小さい時から毒と薬に漬けられて育ったミメイの血から作られた蝶。

「毒、なの。」

物言わぬ蝶はミメイの問いに対する答えを持たない。

変わらない顔で、ひらりふわりと夜の闇の中を舞うのみで。

鱗粉に毒があるのか、そもそも鱗粉なんてものを持ち合わせているのかさえ分からない。

「ジンさん。」

見開かれたまま硬直しているジンの目を覗き込んで、その瞳孔が開いていることを確認する。

次に首筋に指を伸ばせば平常通りの脈を感じることができる。

生きている。死んでなどいない。

それでも今のジンの状態は異常だった。

彼だけ時間が止まったかのように静かに固まっている。

その姿はまるで、意識を彼方へ飛ばしてしまった拷問中の人間のようで。

紙のように白くなったミメイの顔に不安が貼り付く。

 

「私に耐性があって、ジンさんにないもの······やっぱりあっちの世界の毒なのかな。」

この世界の毒であればプロハンターであるジンならある程度の耐性を持っていそうなものだが、ミメイの故郷のもの─────特に科学技術と呪術を混ぜ込んで作り出したような毒物はどうしようもないのかもしれない。

「取り敢えず吐かせた方が良いかしら。

衝撃で意識が戻るかもしれないし。」

そう言いながらミメイは拳を握り、無防備なジンの鳩尾を見下ろして狙いを定める。

容赦なくオーラを集めた拳を彼の鳩尾に向かって振り上げたその時、ピクリとジンの指が跳ねる。

虚空を見つめて光を失っていた瞳にぼんやり光が戻ってくる。

「ジンさん。」

ミメイはすぐに拳を下ろし、戻りかけているのであろうジンの意識を引き摺り上げようと彼の目の前で手を叩く。

その甲斐あってかジンの目には完全に意思が戻り、虚空ではなくミメイを捉え始める。

「良かった、戻ってきた。」

ほっとミメイは胸を撫で下ろし、ジンの顔の前から手を離す。

体調に異常はないかと尋ねようと彼を見て、その目に射られて、思わずミメイは唇を凍らせる。

撫で下ろしていた胸が緊張で跳ね上がり心拍数が急上昇する。

今すぐジンの目から逃れようと、この場を離れようとするが足が地面に縫いつけられたようになって動かない。

 

 

「お前は、()()か。」

ジンの口が動くのがやけにゆっくりと見えた。

緊張でミメイの視神経は過敏になり、戦闘時のような動体視力に引き上げられてしまったからである。

うなじの毛が逆立っているのを感じながら、辺りを飛び回る蝶がざわめいているのに気付きながら、ミメイはカラリと乾いた口を開く。

()を?」

ここで間違えたら、求められていない答えを返そうものならどうなるのか。

それが分からないミメイではない。

だから茶化すことも揶揄うこともなく、ただ正直に事実のみを述べた。

そうして少し見つめ合えば、

「···いや、見てねーんなら良い。」

というジンの言葉で、その場の緊張が霧散する。

ミメイもジンも自然に息を吐き出して、全身で膨らませていたオーラをゆっくり緩めていく。

「ジンさん、体は大丈夫なの。」

「問題ねーよ。お前は。」

パチパチと火の粉が跳ねる焚き火の前に2人並んで座り込む。

「私は大丈夫。

やっぱりこの蝶の毒か何か?そのせいで硬直状態になってたの?」

「硬直状態か。お前から見た俺はそうなってたんだな。」

「ジンさんとしては違うのね。」

そうミメイが言えば、ジンは胡座をかいた足に頬杖をついて剣呑な目付きをする。

その視線の先に赤い蝶の群れがあることに気付き、自然とミメイも夜空を背景に飛んでいる蝶を見上げた。

 

「······夢を見てたんだよ。」

不機嫌さを隠さない声だった。

「夢?」

しかし夢という言葉からそれほどまでに不機嫌になるような要素を見つけられず、ミメイはきょとりと首を傾げた。

「夢だ。夢だと気付けない、気付きたくないような夢。

残酷な幻。掴めない蜃気楼。」

「なるほど、神経毒かしら。」

柊家の教育の中でそういう類の幻覚を何度も見せられたミメイはそう見当をつけるが、ジンは首を振って否定する。

「違うな。あれは違う。間違いなくお前の────こいつの能力だ。」

ふよふよジンの方に寄り、彼の伸ばした手の甲に留まった赤い蝶。

「私はこの蝶が毒を振り撒いたのかと思ったけど、違うのね。」

「多分俺は、お前の血が蝶の形を取った時から念にかけられてたんだろうな。

お前の意思とは関係なく、こいつらは誰かれ構わず周りの人間に念をかけている。」

「それが夢?ジンさんはこの蝶に夢を見せられたの?」

「ああ。」

「聞いても良い?その夢は、ジンさんの欲望そのままだった?

その夢で、願いが叶った気分になった?」

舌打ちをしてから、手に留まる蝶の羽を軽くつつきながらジンは答える。

「······気持ち悪いくらいに。」

 

湿った地面につかないように胸の前に持ってきた髪をミメイは一房取って、くるくる指に巻きつける。

赤い糸ならぬ紫の糸を小指に結んでみて、馬鹿らしいと笑ってすぐに解く。

「そっか。ああ、そういうこと。そういうことだったんだ。

だから私は、今の今まで発の能力を作れなかった。

作ろうとも思えなかった。

だってその力は私だけのものじゃない。

鬼宿のものでもあるから、鬼宿を飲み込んだ私じゃないと使えなかった。」

願いを叶えてやった、と鬼宿は言っていた。

獲物の願いを叶えてやって、十分油断した所でその命を喰らったと。

鬼宿は純粋な力ならば無尽蔵に与えることができただろう。

筋力、回復力、体力、そんな平凡な力ならば、宿主の精神の崩壊と引き換えに幾らでも。

力さえあれば叶う願いならば、それで十分だったに違いない。

けれど力だけではどうにもできない願いは、それが叶った素敵な夢を見せることで達成したことにしていたのだろう。

夢だと気付きたくないほど素晴らしくて、現実感のある生々しい幻覚を。

そんな醒めない夢を見せていたのだ。

 

「ジンさんは、それが夢だと気付けたのね。

だから戻ってこれたんだ。」

「だろうな。」

「どんな夢だった······のかは訊かない方が良さそうね。」

ジンの体からぶわりとオーラが膨らんだのを見て、ミメイは肩をすくめる。

見せられた夢とやらは相当彼の気に障るものだったらしい。

きっと鬼宿の─────ミメイの蝶の力は、本人も知らない願いや欲望を暴いてしまうようなものなのだろう。

それを本人が好むも好まないも別の話で、ただ無差別に夢を見せる。

理性などない化け物の鬼宿らしい、人を傷つけることが大好きなミメイらしいタチの悪い能力である。

「大丈夫よ。私の(あずか)り知らぬ所で働いた力みたいだから、私はジンさんの見せられた夢なんか知らない。」

「そうかよ。」

「ちゃんと制御の方法覚えなくちゃ駄目ね。」

視界いっぱいに広がる蝶の赤い大群が見えないように掌を眼前に翳し、瞬きを何度かしてから手を離せば、蝶の姿は跡形もなく消えていた。

「あ、消せた。」

体の中に血が戻ってきた感覚は特になく、本当に忽然と蝶は消えた。

念能力は不思議だなぁとミメイは他人事のように思いながら、血で汚れていない、傷など残っていない手を見つめた。

 

「1匹残ってんぞ。」

ジンの手の甲で大人しく休んだままの蝶。

彼に言われてそれを見れば、ふわりと羽ばたいてミメイの周りを旋回し始める。

「ならこの1匹は制御の練習用にするわ。」

「そうか。」

「式神みたいで案外可愛いし。」

自我らしきものは無さそうな蝶だったが、そのミメイの言葉を聞いた瞬間ぶるぶると震え出す。

「あら?どうしてそんなに怯えた感じになるのかしら。」

ミメイが笑みを深めれば、余計に恐怖を抱いたのか彼女から離れてジンの肩に飛びつく蝶。

式神の性質をこの蝶が何かしら受け継いでいるのなら、ミメイの式神使いの荒さを察知して蝶が彼女を嫌がるのは道理である。

それに気付いたミメイはより一層、性質の歪みが滲み出た微笑を濃くする。

「あは。」

言うことを聞かないのであればどうなるかは分かっているだろうと、じっとりと目で語りかければ蝶はヨロヨロとジンから離れ、ミメイの周りで羽ばたくようになる。

「もう制御下においてんだろ。」

「さあ、どうかしら。」

呆れ混じりのジンの視線を躱し、小刻みに震えたまま飛んでいる蝶の軌跡を追う。

 

醒めない夢に、願いが叶う素敵な夢に導くというこの赤い蝶は、一体自分をどこに連れて行ってくれるのだろう。

夢のような地獄だろうか、それとも現実のような天国だろうか。

ああ、どちらにせよ救いようのない地獄だな、とそんなとりとめのないことを考えて、ミメイは薄ら笑いを浮かべた。

 

 

 

 




何故か今回尻尾食べてばっかりですね。

···しっぽ···カレー···共食い······うっ頭が······。

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