未だに見えぬ朝を乞う 作:明科
クロロってこんな感じ······なのかしら、と首を捻る今日この頃。
さわさわと顔に当たる風を感じ、ゆっくり瞼を開けてすぐに眼に映ったのは、殴り飛ばすのもつい躊躇うほど端正な顔だった。
「おはよう」
こんなに爽やかでないおはようがあってたまるか、やはりこの男は表情筋が死んでいる。
そう頭の片隅で思いながら、現実を受け入れたがらないミメイの頭は
「······おはようございません」
幻覚かな、そろそろ頭がいかれたかな、お馬鹿な
何にせよ今目の前に広がるのは意味が分からない状況だった為、ミメイは思考を放棄してボロ布を被り直す。
「寝るな」
「···」
「行くぞ」
「······」
聞こえるはずのない声はことごとく無視して、安らかな寝息をたてるふりをする。
「···そうか分かった。お前は寝たままでいい。
そのまま連れていく」
ミメイのすぐ隣でガタリと立ち上がる音がした為、これは本気だと判断したミメイは跳ね起きる。
「おはようございました。
あはは、今起きたわ。
半覚醒状態から完全な覚醒にシフトチェンジよ」
ミメイちゃんついうっかりしちゃったー、とウインクを飛ばす。
その寝起きのミメイ渾身のウインクを物ともせずにクロロは立ち上がる。
「よし、行くぞ」
丁度今ミメイの頭からずり落ちたボロ布。
それをしっかり踏んだまま、早くしろとミメイに目線を送ってきた。
「あのね、貴方がピクニックに行く前の子供みたいにウキウキしてる理由は気になるけど、今は置いておくわ。
絶対ろくなことにならないのは分かってるもの。
そして、それに私が巻き込まれるのが確定事項ってことも」
「察しがいいな。流石だ」
パチパチパチ。
大袈裟に両掌を擦り合わせる。
「貴方が私を馬鹿にしてるのもよーく分かったわ」
踏まれたボロ布を靴の下から引き抜き、憤懣やる方なさそうに鼻を鳴らす。
「ほんと、馬鹿にしてるのね。
私、もう会わないって言ったじゃない。宣言したじゃない。
それなのにどうして、」
寝起きの乱れた髪を更にクシャクシャと掻き回して、ミメイを静かに見下ろしている男をキッと睨む。
「私のモーニングコールなんかしてるのかしらね。
ねえ、クーさん?」
見下ろされたままなのも癪なミメイはノロノロと腰を上げる。
しかし寝起き特有の貧血による立ちくらみでふらつくのを、それとなく手を出されて助けられたことが余計にミメイの癇に障った。
「お前が早く起きないからだ」
ミメイに手を振り払われながらも、眉一つ動かさないで問いに答える所も憎々しい。
「そうだけど、そうじゃないわ。
私が聞きたいのは、どうして貴方がまた私の前に現れるのかってこと。
···私が逃げたのに。
貴方、去る者を追うタイプじゃなさそうなのに」
「追って欲しそうな顔をしていたからだ」
「口説き文句としては赤点」
この色男が、と苦々しく吐き捨てる。
「つまりお前は、『子供っぽい意地で虚勢を張ってはみたものの、結局力及ばず恥ずかしさと悔しさで負け犬の様に逃げた自分をどうして追ってきたのか』
そう俺に聞きたいのか」
淡々と、またあの実験動物を見るような視線を向けられる。
「······っ、貴方ね···、」
心中をピタリと言い当てられ、うまい言葉を返して誤魔化すことも出来ない。
「顔に出ないのは流石だが、殺気が抑えきれていないな。
怒ったのか?」
「怒ってないわ。
事実だもの。悔しいけど事実だもの」
クロロからは見えないであろう靴の中で足の指にギリリと力を込める。
掌を握りしめたりはしない。
動揺を見せるなんてことはしない。
「子供っぽいわね、私。
大人じゃないのは分かってたの。華の16歳だもの。
でもここまで自分が負けず嫌いで意地っ張りだとは思わなかった」
鬼に心を喰われないようにと感情と欲望を抑制してきた弊害だろうか。
それとも普通の人間ごときに負けてしまったからだろうか。
とにかく、今までに無いほどミメイの感情が溢れ出し、負けたくないという子供っぽい欲望が生まれていた。
それらを鬼に糧にされてしまうのを防ぐ為クロロから逃げ出したのだ。
「そんなものだ。
勝ちたい、負けたくない、欲しい···。
そういう単純な感情によって、人間は更に力を求める。
そして強くなる。
流星街出身の俺と俺の仲間もそうだった」
「そうね、ここには何も無いから。
欲しくなるんでしょうね、きっと」
廃墟の窓から外を見る。
今日も当たり前の様な顔をして昇っている太陽。
その光が街を照らす。
何も無いこの街を、力が全てのこの街を照らす。
「私もそうできたらよかったのにな。
そんな風に、単純に、クーさんと愉快な仲間達みたいに、力を求められたら良かったのに」
心なしか萎びたようになっている紫の髪を弄りながら、ミメイは小さく呟く。
「随分弱気だな」
「そう見える?好きに笑えばいいわ」
窓のへりに手をかけて、何の目的もないがぼおっとくすんだ朝焼けを見やる。
「いや笑わない。
俺はお前を嘲笑う為にお前を追ってきた訳じゃない。
そんなことの為に、寝入ったお前を観察しながら朝まで待っていた訳じゃないからな」
どうやらミメイがクロロから逃げ、その後適当な廃墟を見つけてそこで眠りについた時からミメイの近くにいたらしい。
追われていた気も、そばにいた気もしなかったのだが、クロロの絶のせいだろうか。
それともミメイが疲れ切っていたからだろうか。
「ならどうして?」
目的が分からない、とミメイは緩く首を横に振る。
「俺はお前を仲間にしたい」
「本気なの?」
「ああ」
そうクロロが答えた瞬間、プツリと糸が切れた様にミメイは声を上げて笑い出す。
何がそんなにおかしい、と少し不思議そうに尋ねられたミメイは、思わずこぼれた涙を拭きながら答える。
「趣味悪い。クーさんってグレンと同じくらい、趣味が悪い。
昔ね、いたのよ。
クーさんみたいに、私を仲間として求めた男が。
私は得体が知れなくて何をするかよく分からないのに、それでも仲間になれって図々しく要求してきたお馬鹿さんがいたの」
『お前も真昼も世界も、全て救ってやる。
だからお前も、俺が真昼と世界を救うのに協力しろ。
俺に力を貸せ、未明』
できっこない絵空事を並べて、それら全てを叶えたいと叫んだ男がいた。
間違ったことを、馬鹿みたいなことを、力の限りわめいた男がいた。
「そうね、クーさんはその男に似てるけど可愛げが足りないわ。
だから駄目。
グレンは可愛かったのよ。
何でもかんでも欲しがって、その癖何も見捨てられない。
だから結局犠牲にするのは自分なの。
そんな可愛さがクーさんにはない」
グレンの面影がチラホラと見られるものの、クロロとグレンでは決定的に違うのだ。
「俺も欲しいものは欲しいままに主義だが」
分かるだろうと問われ、分かるけどと頷くミメイ。
「違うのよ。
クーさんは見捨てられるでしょ。
必要とあれば何だって、仲間だって、自分だって見捨てられるタイプだから。
そういうのは可愛くない」
困った様に瞼を閉じて、やっぱり駄目とだけ繰り返す。
「可愛くないか」
そもそも可愛いの定義は何だ、と聞きたそうな顔をしているがミメイはそれを華麗に無視する。
「貴方の仲間にはならないわ。
そうね、クーさんがもっと可愛らしくなったら考えてあげる。
そんな日は来ないと思うけど」
「残念だ、お前が入ればメンバーが揃うんだが」
「ごめんね。他を当たって。
私も残念よ、心から」
演技無しで、ミメイは本心からの言葉を口にする。
ミメイだって、クロロの仲間になることに心惹かれなかった訳ではない。
だが駄目だ。
今もう既に、ミメイはクロロに対して好ましい以上の感情を抱いている。
刷込み現象で雛鳥が初めて見たものを親を認識する様に、初めて念という新しい世界を見せてくれたクロロはミメイにとってどこか特別である。
親愛か友愛か感謝か何なのかは分からないが、それらの感情はきっとまだ大きくなる。
傍にいれば、仲間になれば尚更。
ミメイは欲望を抱いてはいけないのだ。
その先を望んではいけないのだ。
真昼の様になってはいけないのだ。
心を喰われないよう鬼を制御したまま、鬼の力を十二分に引き出した人間にならなければならない。
本当の意味での鬼呪装備の完成は、リスクなしで鬼の力を最大限に利用出来る武器の完成。
ミメイはそれを目指している。
「クーさん、ありがとう。
貴方の仲間にはなれない。
そして、貴方と一緒に外には行けない」
窓のへりから手を離し、しっかりとクロロを見上げてその目を見据える。
ミメイの1番大切な目標はグレン達がいる世界に帰ること。
それへの第一歩を示してくれたクロロには、ちゃんと感謝している。
信用はしていなくとも。
だが、その目標を目指すにあたっての絶対条件“鬼に心を喰われない”を遵守する為には、クロロの仲間になる訳にはいかない。
勿論クロロだけではない。
きっとこれから先も、ミメイは誰の仲間にもなってはいけないのだ。
必要以上に人間に関わってはいけないのだ。
「残念だ、本当に」
「あは。
そんなに残念に思ってくれるなんて、女冥利に尽きるわ」
セーラー服のポケットに手を突っ込み、すぐ指先に掠った呪符を引っ取り出す。
昨夜のように呪符を手にしたミメイに、クロロは少し警戒したらしいがそれは無駄である。
今のミメイには戦う気も遊ぶ気もない。
「あげるわ。
1度だけ物理攻撃から貴方を守ってくれる筈」
赤い幾何学模様が書かれた栞サイズの呪符、それを照れくささを隠す様にしてクロロの胸元に押し付ける。
「あんまり強いものじゃないから期待はしないでね。
お腹や顔を直接殴られた時とか、そういう限定的な状況じゃないと発動しないし」
「栞にでもしておこう」
良い大きさだ、と受け取ってポケットにでも入っていたらしい文庫本に挟み込む。
「落っことさないでね」
「ああ。
お前が使う呪符とやらは念能力らしいな」
凝をしなくともクロロにもミメイにも分かる。
念能力を知らない時に作った呪符だが、ちゃんとそれにはミメイのオーラが纏わりついていた。
「意識してなかったけどそうみたい。
ねえクーさん、人を呪わば穴二つって言葉知ってる?」
「聞いたことがあるな。ジャポンのことわざだったか?」
突然なんなんだという視線に対して、ミメイはふふんと自慢げに胸を張る。
人が知らない事を先生ぶって教えてやるのをミメイは好む方である。
ただしその行為は、親切心とか優しい気遣いとか、そのような素敵な心によるものではなく、自分の優位性を示せるからという実に人間らしい心によるものだ。
そういう所がちょっと子供っぽいよね、と昔深夜に笑われたこともあったが、ミメイだってまだ16歳。
無邪気さがあっても良いではないか。
「そう、でも今ピンと来なかったってことは、ちゃんとは意味を知らないのね。
私の故郷は日本······じゃなくてどこかの辺境としておくんだけど、その故郷にだけ伝わる技術があるの。
それが呪い。
私が作る呪符はね、呪いの御札···その名の通り呪いの一種。
そしてどんな小さな呪いだって、行使するには自分も呪われることが必要不可欠なのよ」
日本は無かったんだった、と適当に誤魔化した後、格好つけて人差し指を立てる。
「自分が呪われていると?」
クロロの問いに対し首を横に振り、くすくす笑いをこぼす。
「まさか。今まで私が使った呪全てに私が呪われてたとしたら······考えたくもないわ。
きっと3回ぐらい死ねるんじゃないかしら」
呪術科学の発展の為に、柊家の為に、年がら年中呪いの研究をしていたのだ。
鬼呪装備とて鬼を縛る呪いである。
それら全ての呪いの分、術者であるミメイが呪われたとしたら。
地獄に堕ちるだけではお釣りがくるだろう。
「呪われる、って言い方がまずかったわね。
確かに人に向けた瞬間、呪った術者も同じ様に呪われてしまう程強力な呪いもある。
相手を腐らせる代わりに、自分の腕が飛ぶとか。
相手の心臓を確実に潰せるけどそれを潰したが最期、自分の心臓も潰れるとか。
基本的に呪いっていうのはハイリスクハイリターン。
そのリスクが大きければ、呪いが術者に返ってきたって言われるわ」
「制約と誓約と同じだな」
「そうね、多分同じようなものよ」
昨晩説明された制約とやらを思い出して頷く。
「でも毎回呪う度に自分が呪われてちゃ世話ないし、そんなリスクの大きいものは技術として認められない。
だから人を呪わば穴二つ状態になる前に、自分から代償を差し出すの。
血とか髪とか、自分の体の一部を差し出して呪いに混ぜ込むのよ」
「なるほど。自分の体の一部···生命エネルギー、つまりオーラか。
お前は意識せずにオーラを呪いに混ぜていた、それだけだったのか」
オーラのことまで続けて説明しようとした所で、先にクロロに言われてしまった。
クロロが理解出来たならいいか、と思うもののやはり少し悔しい。
それを表には出さず、えへんと胸を張ってミメイは締めくくる。
「そういうこと。
クーさんにあげた呪符だって、何の変哲もない紙に私の血を使って呪を書いたから、立派な呪符として成立してるんだから」
「呪いか、興味深い技術だ。探してみよう」
「本には載ってないんじゃない?
私の故郷、閉鎖された特殊空間だし。
隠れ里みたいなものだから」
別世界だからある訳ないでしょ、と正直に言える筈もなく、嘘に嘘を重ねる。
いやまあ、柊家率いる帝の鬼は狂気にまみれた閉鎖的な団体だったのだから間違ってはいない様な。
百夜教よりはマシだから、まだマシだから、と誰に対する言い訳か分からないが心中で弁明しておいた。
「そうか、残念だ。
ところでミメイ、世界七大美色を知っているか?」
「知らないけど。なぁにそれ、食べ物?」
キャビアとかこの世界にもあるのかしら、キャビアは世界三大珍味の1つだけど、とキョトンと首を傾ける。
「美食じゃなくて美色だ。······本人の自覚は無しか」
益々興味深いとクロロは目を細めて頷いたが、ミメイはそれに対し寒気しか感じない。
美食であっても美色であっても、どちらにせよクロロが何を意図しているのかは分からなかったが、何かよからぬことを彼が考えているのだけは伝わってくる。
「ミメイ、せいぜい売り飛ばされない様に気をつけろ」
嫌な寒気を吹っ飛ばそうと自分の体を抱きしめるミメイ。
クロロはその頭にポンと手を置き、面倒見の良い兄貴のように優しく撫でた。
「捕まえてこようとする奴はいるわ。
でも全部返り討ちよ。逆に身ぐるみ剥がしてあげてるの」
突然の頭ナデナデに狼狽えながらも、満更でも無さそうな顔で自慢げに笑う。
「そうか。慢心はするな。
···お前が本当の意味でお前になって、壊れるまでは誰にも盗まれるなよ。」
「え、」
今最後なんて言ったの。
そう返そうとした瞬間、一陣の風がミメイとクロロの間を吹き抜けていく。
強い風から目を守ろうとしたミメイが軽い瞬きをして次に目を開けると、クロロの姿は目の前から消えていた。
「早いわね。···目で追えやしなかった」
これが今の力の差か、とミメイは唇を噛む。
「やっぱり念って、凄い。
決めた。まずは念を極めた方がいいみたいね。
私がこれ以上強くなるには、欲望をタマに与えて鬼の力を暴走させるしかなかったもの。
渡りに船よ」
念能力ならば鬼呪装備の様に鬼に心を喰われる心配はない。
強くなりたい。
そう願ったとしても鬼に力を要求するのではなく、力を自身の念能力に求めるならばローリスクハイリターンである。
「基本的なことはクーさんに教わったし、きっと大丈夫よね」
纏、絶、練、発。
周、隠、凝、堅、円、硬、流。
これらを使えて1人前の念能力者。
ミメイはまだ纏、絶、練しか使えない。
しかもまだ不慣れなせいか安定しない。
まずは纏、絶、練を特訓し、少しずつそれらを組み合わせた応用技を習得することに決めた。
個別の特質系能力はまだ考え付かない、もしくはもう持っているが気付けていない為、それに伴い発は保留である。
『ほんとに?僕に心を喰わせた方が早いんじゃない?
今すぐ強大な力が手に入るよ』
目を覚ましたらしい鬼宿が新興宗教の勧誘の様にねっとり囁く。
「お断りよ。
折角運良くクーさんに出会えて、色々教えて貰えたんだし。
念を使わないのは勿体なさすぎるわ」
『ちぇー。まあいいけどね。
どうせいつかは未明は僕に叫ぶんだから。
力を寄越せ、全て寄越せ、って』
だから良いんだ、とくすくす笑いを残し、機嫌を悪くしたミメイに新たな鎖を巻き付けられる前に、自主的にミメイの心の奥に戻る鬼宿。
「一生来ないわ。
私が鬼に心を喰わせる日なんて、来ないんだから」
早速この廃墟を新たな住処にすると決め、人避けの呪符の作成を始める。
本物の紙を使わず具現化系の念を使って半端な呪符を作り出し、指を切って出した血を使って完璧な呪符に仕上げていく。
良い修行になりそうだ。
そう思いながらミメイはたった今出来上がった呪符を、窓枠の向こうで既に昇りきっている太陽に翳す。
紙特有の薄っぺらさまで再現されているせいか、呪符越しでも太陽は眩しく感じられた。
─────────
────ミメイが目を覚ます前
日が昇った。
夜が明けた。
しかし夜明け前の時間───未明という名を持つこの少女にとっては、名前の通りまだ夜が明けていないことになっているらしかった。
朝までは待ってやろうと珍しく仏心を抱いたクロロは、今の今までミメイが爆睡しているのを見守っていた。
見守りというよりは観察という方が正しいのかもしれないが。
クロロにとっては、絶もしないで駆けていくミメイを追うことなど容易かった。
後ろに気を配っていたようだが、クロロの方が絶をしてしまえば、疲れきってオーラが残り少なくなっていたミメイは気付けない。
だからこうして、廃墟に逃げ込み、どこからか拾ってきたらしいボロ布に身を包んで眠りこけるミメイの隣にクロロは座っていられるのだった。
ミメイが後で言う通り、クロロは去る者は追わないタイプである。
だからまさか、クロロが自分を追いかけるだなんてミメイは夢にも思わなかった。
クロロ本人としても、まさか自分が逃げ出した女を追いかけるとは思っていなかった。
実際にミメイの後をつけるまでは。
気付いたら絶をして、ミメイのすぐ後を歩いていた。
何故そんなことをしてしまったのか今になっても分からない。
ただ、考えるよりも先に体が動いてしまったらしいのだ。
初めは戯れだった。
流星街に落ちた流星を見てみようと思っただけだった。
だが今は、宝としてミメイが欲しくなっていた。
髪は恐らく世界七大美色で、念を知らなかったらしいが潜在的な能力は高く天才の域に達するだろう。
そして何より、クロロが今まで見たことがないタイプの人間である。
蠱惑的な女としての側面を持ちながら、同時に存在しているのが幼い少女の様な部分。
年相応以上の打てば響く様な返しをするし、会話をしていて飽きることはない。
だが時折、駄々っ子かと思う程に変な所で変な意地を張って拗ねる。
本人は自分の子供らしい部分を隠そうと見事な演技をしているが、そのくらいで騙されるクロロではない。
子供っぽさを見抜いてそれをからかうのは、クロロにとって十分な暇つぶしになるだろう。
ふむ、宝として愛でるもよし、仲間として育てるもよし。
取り敢えず起こしてみてから考えよう。
そう思い立って、ボロ布に包まれて饅頭の様に丸まるミメイの肩に触れようとする。
しかし
「寝込みを襲うのは感心しないな」
という声と共に、パシリと手が拒絶される。
「起きたのか」
「起きてたよ。
未明が寝てる時にだけ僕はちゃんと起きていられるんだ」
と口は動くものの、瞼は開かない。
「あ、なんで目を開けないのか気になった?
そんなの簡単だ。口と手しかこの体から主導権を奪えなかったんだ。
さっすが未明だよ。完全に寝入ってる時でも僕への警戒は怠らない」
クロロの心を読んだかの様にミメイの口は動く。
ちゃんとミメイの体からミメイの声が発せられている。
だが違う。
これはミメイではない。
もっと、“何か”酷く恐ろしいものだ。
「お前は何だ?」
本能的な恐怖と未知のものに対する警戒心。
クロロのそれらを見透かした様に“何か”は笑う。
「僕?そりゃ、未明の後ろに這い寄る渾沌さ。
···嘘だよー、嘘だから」
何と言ったらいいのか分からない、という顔になったクロロに困ったのか、“何か”は改まった様に咳払いをする。
「ええとね、うん、真面目に話そうか。
僕は未明の心に住みついている鬼という生き物だ。
未明にはタマって呼ばれてる」
「二重人格か」
クロロの問いにまさか、と高笑いを返す。
「違うよ。分かりやすく言えば、未明に寄生してるのがこの僕ってこと。
未明はまだ人間だけど、僕は人間じゃない。
僕らは全く別の種族の生き物だ。
まあそんなことはどうでも良いんだ。
僕が何であれ、僕は僕のやりたいようにするだけだしね」
ミメイの閉じたままの瞼がぴくぴくと動く。
それをそっと掌で押さえながら早口で語り出す。
「おっと、もう未明が目を覚ましそうだ。
話を早く済ませなきゃ。結論から言うよ。
今の未明は本当の意味で未明じゃない。
だから、まだ未明に手を出さないのをお勧めするよ」
「何のことだ」
「あは、隠さなくたって良い。
未明を殺すにせよ、愛でるにせよ、そばに置くにせよ、今はまだ時じゃない」
すっとぼけるクロロの心中など見え見えだ、と赤い唇を上げる。
「今の未明は花咲く前の蕾なんだ。
押さえてるものが溢れ出して、我慢をしなくなった未明は······うん、考えただけで最高だ」
ちろりと舌を見せて唇からこぼれた涎を舐めとる。
「見たくはない?
遊び女の様な妖艶さと少女の様な愛らしさ。
残忍で冷酷で、それでいて誰より愛情深い。
殺そうか愛そうか、それを天秤にかけて思うがままに振る舞う美しい化け物。
見たくはない?
ちなみに僕は見たいんだ。
未明が何にも囚われず、好きな様に生きる姿を見たいんだ」
恍惚とした表情をミメイの顔に浮かべ、誘う様に舌舐めずりをする。
「···それは見てみたいな」
思わずクロロも口角を上げていた。
さっきまでヒシヒシと感じていた本能的な恐怖はどこかへ去っていく。
今はただ、鬼とやらが言う“ミメイ”の姿に興味が沸いていた。
今でも十分面白いが、それ以上があるというのだ。
花開く前の蕾を戯れに摘み取るよりも、見事な花を咲かせた後に摘み取った方が花としての価値も高い。
「君ならそう言ってくれると思ったよ。
うん、良かった。未明を宜しくね。
君がしたい様にすればする程、未明の開花は早くなる。
どうせいつかは花開くんだ。
気長に待っててよ」
「ああ」
クロロは頷き、それに安心した様にミメイの顔は徐々にとろんとしてくる。
「あははははっ、あははっ!
壊れなきゃ、真昼以上に壊れなきゃ、そうじゃなきゃ未明は未明じゃない。
我慢ばかりの一生なんて、ずっと縛られた一生なんて、勿体ないだろ?
あははは、は、あは、はぁ······。
···じゃ、これで僕はさよならだ。未明が起きる。
くれぐれも未明には僕との話、秘密にしてよ。
勝手に体を借りたってバレると未明が怒るんだ」
熱が冷める様にミメイの体から力が抜け、瞼を押さえていた手がぐにゃりと曲がる。
クロロは鬼だと名乗った、ミメイに寄生している生物のことなど何も知らない。
二重人格ではないと否定していたが、それが本当かも分からない。
だが鬼というおかしな存在も、ミメイが花開いた姿になればきっと分かるだろう。
何故かそんな予感がしていた。
「ん···」
ミメイが寝返りをうち、その拍子に意識が浮上したのか瞼がムズムズと動いている。
それをじっと覗き込む。
きっとこれで、ミメイが瞼を開いた瞬間に目に映るのは自分の姿になるだろうとクロロは確信した。
昨晩尻尾を巻いて逃げ出した相手が起きた時目の前にいるとなったら、どんな顔をするのだろうか。
クロロは楽しみでしかたがなかった。
ふぁ、と小さな無意識的な欠伸を漏らして、とうとうミメイの瞼が開かれる。
さてまずは、定番の朝の挨拶から。
「おはよう」
勝手に暗躍する鬼宿くん。
悪気はない。
彼なりにミメイの為にやっているのだ。
鬼宿がミメイのことを“未明”呼びしているのは誤字じゃありません。