未だに見えぬ朝を乞う 作:明科
ここでは少年設定です。
例の“鎖野郎”は性別不明キャラではありますが、話の都合上男にしています。
雨が降っている。
冷たい雨が、しとしとと降っている。
傾いたトタン屋根を伝い、連続的に地面へと落下する滴。
それらが赤茶けた地面を黒に染めるのをミメイは見下ろしていた。
今日も今日とて盛況な賭場、その正面玄関の壁にもたれ掛かって少しでも威圧感を出そうと腕を組む。
時折出入りする客が、そんな新しい用心棒であるミメイに物珍しげな目を向けるがそれもその筈。
ほんの少し前までは厳つい男だったというのに、後釜に収まったのはセーラー服を来た小娘である。
遊び女かと勘違いして声をかけてくる馬鹿共が多いのにイライラしながら、そもそも正面玄関なんぞの警備をミメイに任せた賭場の主人が悪いのだと舌打ちする。
飯屋のオヤジからの紹介状らしき紙を賭場の主人に渡したお陰か、雇われた初日にウザ絡みしてきた他の用心棒を容赦なく叩きのめしたお陰か、今やミメイは賭場の主人に信頼されきっている。
ミメイの見た目に反した実力を買われて、報酬が高めな正面玄関の警備に回されたのはいいが、ナンパまがいをしてくるアホ共の世話は仕事内容に入っていないのだ。
さっきも「あっ、困りますお客様(物理)」をスカポンタンにかます羽目になった。
加減を間違えて腹にしっかりキメて、酒臭い吐瀉物をぶちまけさせてしまった為、次からは首を狙おうと決めたミメイであった。
「寒い。」
はあ、と吐き出した息が白い。
息をする度ツンとする鼻を手で覆い、少しでも冷たい空気が肺に入らないようにしてみるが余り意味は無さそうだ。
雨のお陰で湿度は高いのが幸いである。
これで乾燥していたら、ミメイの喉から肺は冷たい乾燥した空気のせいでボロボロになっていたに違いない。
ミメイが着ている第一渋谷高校の制服は夏服ではないが冬服でもない。
春秋用の生地が薄い長袖にミニスカート。
みぞれ混じりの雨が降る様な寒さの中で着るのに適しているとは言い難い。
だというのにミメイが他の服を着ないのには訳がある。
まず金が無い。
カツアゲの分ではその日の食べ物をどうにかするのがやっとで、無事用心棒として雇われた今となってもカツカツ暮らしは変わらない。
それもこれも、先日この賭場で妖刀と名高い刀を買い叩いてしまったせいだ。
持ち主を呪うとか何とか曰く付きで誰も得ようとはしないが、元々業物なのとどこぞの国の王が持っていたという無駄な価値が付いてしまい、値が吊り上がっていたその刀。
鬼呪装備でないのは見て分かるが、それに近い妖気を発していたのだ。
妖刀を生み出したのは恐らく念能力者だ、そう付け加えた鬼宿の勧めもあり、ミメイは全財産をはたいて(報酬前払い)妖刀を手にした。
鬼宿を毎回毎回呼び出して鬼呪装備を生み出すのも手間であるし、得物を見せつけて威圧することが用心棒には必要だと賭場の主人にアドバイスされていたし、何より妖刀というのが気に入ったし、良い買い物をしたとは思っている。
今腰に差していても程良い重みが心地よく、実際に賭場で暴れた馬鹿を斬った時もその鮮やかな斬れ味に快感さえ覚えた。
刀の名は知らない。
妖刀という通り名の方が有名になってしまったらしい。
そんな宙ぶらりんな所も好ましい。
だから後悔はしていない。
が、金に関しては別問題である。
住と食は、賭場に住み込みのお陰である程度は補償されている。
フワフワとは程遠い硬さだが、ちゃんと足の付いたベッドで寝たのは半年ぶり以上で、新しい住処で眠りについた夜はミメイは思わず泣きそうになった。
食事は朝晩2食。
質素だが食える。ミメイがよく知る豚や鶏、名前がちゃんと分かる魚もあった。
そして何より水が綺麗だ。
流星街で名前を聞いた事のなかった弱小マフィアだが、腐ってもマフィア。
世界のゴミ捨て場とは格が違うのだ。
こうして人間らしい生活を送れている為、ミメイに文句はない。
文句はないのだ。
ないのだが、やはり服を買う金さえないのは辛い。
いや、流星街にいた頃より格段に生活水準は上がった。
だから満足すべきなのだ。
というよりそもそも刀を買わなければ良かったのだ。
そうすれば今、新しい服や防寒着を買えなかった為に寒さに震えていることはなかった。
刀の購入の際に、今月と来月の分の用心棒の報酬を前払いして貰った為、ミメイにまとまったお金が入るのは再来月。
これから先まだまだ寒くなるらしい。
だがミメイは賭場の用心棒、しかも正面玄関(屋外)の警備を止められない。
報酬を先に貰っているし、食と住がセットの素敵な職場をほいほい手放す程現在一文無しのミメイは馬鹿ではない。
「···八方塞がり。」
くしゅん、と小さなくしゃみを吐き出してから、長い紫の髪をマフラーの様に首に巻き付ける。
これで少しはマシだろう。
『まあ仕方ないよね。未明は柊のお嬢様だからさ。
これも社会勉強と思いなよ。
後先考えずに買い物すると痛い目見るってね。』
馬鹿だねー、と他人事の様に笑う鬼宿。
「タマだって考えてなかった癖に。」
刀買うの勧めた貴方も同罪よ、そう責める様な口調である。
『いや僕鬼だし。基本的に考えてないし。
欲望のままに生きるのが鬼だからさ。』
「···死ねばいいのに。」
お気楽な鬼宿に苛立ちながらも、寒さのせいで鼻水を垂らしかける自分が情けなくて、やけにしょっぱい鼻水を啜る。
『あはははは。まあ仕方ないよ。
この制服、未明特製の呪符を編み込んである魔改造セーラー服だから。
他の普通の服なんて着ない方が良いんじゃない?
魔改造のお陰で防弾防刃、呪い避け。破れにくくて汚れにくい。
長年着続けても傷まないし、おしゃれ着洗いは必要無し。
才能の無駄遣いってこういうの言うんでしょ。』
昔っから手先器用だもんね、ぬいぐるみとか作るの好きだもんね、と冷やかす。
「···正直、帝の鬼が四苦八苦して作った軍服よりも高機能だと思うわ。
こんなこと言ったら暮人兄さん怒るかしら。」
『いや?
帝の鬼の軍服も魔改造しろって言うだけでしょ、暮人なら。』
「でしょうね。」
命令だ。やれ。
そう上から目線で告げる兄暮人の姿が簡単に想像出来た。
結局グレン達とお揃いの帝の鬼支給の軍服に袖を通したことは無かったと回想する。
グレン、深夜、十条、五士、花依、雪見とチームを組んで、正式に暮人の部下になった時に受け取りはした。
だがミメイはグレン達と一緒に戦うよりも単独行動が多かったし、柊家率いる帝の鬼の一員に組み込まれるのが気に食わなかった。
それに何より、軍服よりもミメイが魔改造した第一渋谷高校のセーラー服の方が高機能だった。
ちなみに、ついでとばかりに真昼のセーラー服にも魔改造を施した為、真昼もそれを気に入っていたのかずっとセーラー服姿だった。
帝の鬼の軍服は長袖長スカートにスパッツ付きで、もしそれを今着ていたならば寒さに凍えなくて済んだのに、と過去の自分が少し恨めしい。
だが無いものは無い。
無いものは出ない。
布と糸を買って作ろうにも、それらを買うお金が無い。
貧乏は敵だ。
箱入りお嬢様育ちのミメイは惨めさを十分に味わって、生理的か感情によるものか、ほんのり涙を滲ませる。
「···寒い。」
みぞれ混じりだった雨に色がつき始める。
白く白く、灰色の建物ばかりの世界を染めていく。
赤茶けた部分を所々に残す地面に、ふんわりと白が覆い被さる。
地面の僅かな熱のせいですぐに透明に変わる白だが、次々に現れる仲間達のお陰で徐々に白の領土を広げていく。
ちらちらとミメイの視界で舞う雪の欠片達。
それをぼおっと見上げて思い出すのは、ミメイにとって1番記憶に残るクリスマス。
恐らくミメイがいた世界が滅亡した日で、恐らく深夜達が死んだ日で、間違いなくミメイがこの世界に吹っ飛ばされた日である。
そうそれと、可愛い妹シノアの誕生日だ。
祝えなかった、誕生日だ。
たった1人の妹に、ケーキさえ買ってやれなかった誕生日だ。
生まれてきてくれてありがとう、そう伝えてやれなかった誕生日だ。
自分の誕生日にシノアは、世界と姉2人を失ったことになる。
神の子が生まれたと伝わる日に、自分が生まれた日に、そんな悲劇が起きるだなんてやっぱり自分達双子の妹らしいな、とミメイは自嘲的な笑みを浮かべた。
雪が風に煽られて、屋根の下にいるミメイの顔の目の前でちらちら舞う。
視界を遮る冷たさを鬱陶しく思いながらも、最後のクリスマスもそうだったっけとやはり感傷的に思い出す。
世界を救う、真昼を救う。
その為ならば、邪魔する人間は皆殺す。
それが例え、同じ高校で学んだ元仲間であっても。
顔や名前を知っている知己であっても。
そうやって走り抜けて、斬り抜けて、それでも間に合わなくて。
亀は兎に追い付けなくて。
妹は姉に追い付けなくて。
男は女に追い付けなくて。
そんな窮地の中で、真昼が恋したグレンはやっぱり我儘を言ったのだ。
今更世界を救った所で、もう何も残らないと。
だから負け犬のまま、弱いまま、それでも仲間のまま、一緒に死のうと。
弱さを抱えたまま、仲間を選んで、それで一緒に死ねたら勝ちなんだと。
ねえグレン。
そんな貴方だから、きっと真昼は貴方に恋をしたんだね。
家族も仲間も恋人も世界も、どれかを選ぶこともどれかを捨てることも出来なくて。
そんな弱さを抱えて生きる人間だった。
ねえグレン。
なら私は何だったんだろう。
初めから人間として生まれてくることさえ許されなかった私は何だったんだろう。
弱さも強さも、求めちゃいけなかった私は何だったんだろう。
「分からないなぁ。」
流れ出した鼻水をずるりと啜りながら首を捻れば、そんなの知るか、とグレンの冷たい声が聞こえた気がした。
灰色の空から視線を外し、なんとなく賭場の向かい側の路地に目をやる。
黒いゴミ袋が幾つか積み重ねられ、痩せたカラスが飛ぶ元気もなく跳ねている。
ぽてりぽてり、そんな間抜けな音が似合う雰囲気で跳ねながら餌を探しているらしい。
そんな姿がやけに滑稽で、ミメイは近くで見てやろうと賭場の壁から背中を離した。
屋根から出ればすぐに雪が髪に当たって融けて、頭皮が濡れたのを感じる。
たらりと水が頭のてっぺんから頬を伝って流れ落ちる。
まるで涙の様だ、そんな風に思いながら哀れなカラスの背後に回り込む。
絶をしているせいかカラスはミメイに気付かずに、またぽてりぽてりと跳ねている。
「カーラースーなぜ鳴くのカラスの勝手でしょ、カーカー。」
まともに習ったこともない童謡を口ずさんでも、当のカラスはミメイに気付かないままで、その上鳴くこともない。
「なぜ鳴くの、って言われても仕方ないわよね。
鳴きたいから鳴くのよ。」
思っていたより雪は降っていたらしい。
ミメイの髪は雪融け水でしっかり濡れてしまい、その水がミメイの白い頬を伝う。
1つ2つ、3つ。
ポタリポタリと流れ落ちて、カラスの黒い濡れ羽色の上でぴちゃんと撥ねた。
余りにもミメイに気付かないカラスの反応の薄さに飽きたミメイは、ふぅっと息をついて絶を止める。
そのお陰でカラスはミメイの存在を認識したらしいが、だからといって飛び上がって逃げることもない。
どうでもいい、そんな溜め息が聞こえてくるようだ。
カラスの癖に。
ポタリ。
またもやカラスの黒い羽の上に滴が垂れる。
カラスを上から覗き込むようにして見ていたミメイは、その艶々とした黒を観察する。
そんなミメイの耳に届くのはつたない咳。
息が苦しいのか、上手く咳をして痰を吐き出すことも難しいらしい。
おや、と咳がした方に視線を向ければ、けほっと可愛らしく咳き込んでから声が紡がれる。
「泣いて、いるのか。」
水に濡れたのを嫌がる様に跳ねるカラスの向こう側、路地裏の端、ゴミ袋の山の影、そこから掠れた声がしたのだ。
どんな人間か顔を見てやろうと、さっきカラスに向けた興味を今度は新たに人間に向けてみる。
「···私に聞いてるなら、答えは“いいえ”よ。」
びよんびよんと少し勢いづいたカラスを追って、ミメイは声が聞こえた方へと回り込む。
子供らしさが抜けない高い声。
少女だろうか。
シノアと同じ様な、少女だろうか。
「そうか奇遇だな、私も泣いていない。」
声の主は地面に座り込んで俯きながら、疲れた様に声を振り絞る。
折角ミメイがゴミ袋の影にまで回ったというのに、肝心の声の主の顔が見えない。
薄汚れた長い金髪と、どこかの国の民族衣装の様な不思議なデザインの服、そしてそこから覗く細い手足からミメイは判断する。
やはり少女だろうか。
線が細い。
痩せている。
「私もお前もカラスも皆、泣いていない。」
「私とカラスは泣いてないのは合ってるけど、貴方は違うわ。
泣いてるもの。」
例えどれほど小さくても、鬼呪装備持ちのミメイが近くの人間が発した音を聞き逃すことはない。
目の前の金髪少女と目線を合わせようと、汚れるスカートを気にせずしゃがみこんで、少女の顎を掴んで顔を上げさせる。
乱れた金髪の向こうから、深い茶の目がミメイを見据えていた。
何も見ていないようで、何かを見ている。
ミメイを見ているようで、ミメイを見ていない。
乾き切った片目とは対照的に、もう片方の目からは涙が溢れている。
凪いでいる癖に、奥に炎があるようなそんな目。
こういうの見覚えがあるなぁ、とそんなことを考えて少女の頬を拭う。
「やっぱり、泣いてる。」
嘘つきね、とミメイは姉ぶって少女を見下ろした。
「ああ。やっぱりお前も泣いている。」
すっと少女が細い手を伸ばし、ミメイの頬に指を掠らせた。
ミメイにそれを避ける余裕は無かった。
流れる様な動作で、ミメイが気付いた時にはもう少女はミメイの頬を触っていた。
警戒を解き気味だったとはいえ、仮にも念能力者のミメイが気付くより早く動いた少女に目を見張る。
「私もお前も、泣いている。奇遇だな。」
するんとミメイの頬から冷たい指が滑り落ちていく。
それを最後に茶色の瞳に瞼が被さり、血の気を無くした唇が固まった。
ぐにゃりと、そんな音を立てて突然体から力を抜く少女を咄嗟にミメイは受け止めた。
冷たい。
ミメイよりも冷たい。
小さい。
ミメイよりも小さい。
それでも、まだ生きている。
「カーカー、カー、カーカー······。」
飛ぶ元気さえなかったカラスが独り、雪に吠える様にして、泣いた。
─────────
「よいしょ。」
冷え切った少女の細い体を、舞い散る雪から庇うようにして抱きしめる。
そのまま持ち上げてみるが、鬼と同居しているミメイの力でなら易々と宙に浮かせられた。
少女がその小さな腕で大切そうに抱えていた僅かな荷物を落とさないように、ミメイは自分と少女の体をしっかり接触させた。
『どうするのさ、その子供。食べるの?』
食べるなら僕にも分けてよ、と言わんばかりの鬼宿に呆れる。
「貴方と一緒にしないで。
私は人間を殺しても、食べる趣味はないわ。」
『ええ?子供の血は美味しいことで有名なのに。』
グルメな吸血鬼は大体ショタロリコンさ、と知りたくもない耳寄り情報を教えてくるのを無視して、少女を抱いたまま路地裏から出る。
雪が酷くなっている。
灰色の空を見上げれば、無限に落ちてくる白い塵。
早く屋内に入らなければ。
生者としてはこれ以上冷えようがないと思われる程冷たい少女の体。
ミメイの僅かな熱を奪って少し温まってきたようだが、まだ足りない。
『でも未明。殺すのと食べるの、その2つは何が違うのさ。
未明だって豚や牛を殺して食べるじゃないか。
それなら人間を食べて何が悪いの?
ねえ、ねえ未明。ねえったら。』
ミメイが少女を今抱きしめていることが不思議でたまらないのか、不愉快なのか、どちらかは知らないが聞き分けのない幼子の様に絡んでくる鬼宿。
「違うわ。豚や牛を殺すのは私が食べる為。
人間を殺すのは···そうね、必要だからよ。」
『豚や牛だって必要だから殺すんだろ。
何が違うのか僕には分からないな。』
ミメイが言い淀んだその隙を見逃さず、気に障る嘲り笑いをミメイの頭に響かせる。
『中途半端な慈悲とか同情はやめときなよ。
後で面倒になるだけだ。
ほら、早くその子供を捨てなよ。』
「い、や。」
きっぱりと断る。
鬼宿が反対すればするほど、ミメイの心はかたくなになる。
鬼と人間は鏡合わせ。
同じ心を共有しているが、間に透明な壁を挟んでお互いにお互いを見ているのだ。
その壁が無くなった時、鬼と人間が完全に混ざり合った時、人間は人間をやめて狂うのだ。
『えー?なんで?邪魔だろ、そんな子供。
一体全体何がしたいのさ、未明は。
クロロについて行かなかった、オヤジさんの娘にもならなかった。
それなのに、この子供は欲しがるの?』
趣味悪い、と吐き捨てる鬼宿。
それを軽く受け流して、賭場の裏に建っている小さな掘っ建て小屋の鍵をポケットから取り出す。
小さな寝息を立てる少女の長い金髪に指を通しながら、ミメイは鍵を挿し込んでドアをこじ開ける。
油を随分差していないのか元々の立て付けが悪いのか、相当力を入れないと小屋のドアは開かないのだ。
ギゴーとドアを開ければ、そこは明かりがついていない薄暗い小屋の中。
七畳程の一部屋に、トイレとキッチン、簡易シャワーが付いた好物件。
流星街での暮らしと比べれば天と地である。
まあ、柊のお嬢様だったミメイからすれば、これが···家?嘘?と言いたくなるボロさなのだが、今更文句は言うまい。
廃墟じゃないぞ、万歳。言って良いのはそれだけだ。
窓際に置かれた簡易ベッドに少女の体をそっと置く。
ふわふわ感に欠けるマットレスな為、ギシリと嫌な音しかしなかったのが悲しい。
とにかく体を温めてやろうと、羽毛など入ってなさそうな薄っぺらい布団を少女の体に巻きつける。
うむ、寒そうだ。
一応熱を発する人肌から、冷え切ったベッドに移されたせいかさっきよりも寒そうである。
「他に何かあったかしら。」
白を通り越して青くなってきた少女の顔を見ながら、アタアタと申し訳程度に置かれている部屋の引き出しを開けてみる。
だが勿論何も無い。
何かあったならミメイが既に身につけている。
『···あのさぁ、』
困った末に自分の未使用の下着を持ち出して、それを布団の中に詰めようとするミメイに対し流石に物申したくなったのか、鬼宿が溜め息を漏らす。
確かに下着も布だが待って欲しい。
防寒具にはならない。布団の足しにはならない。
「タマは黙ってちょうだい。
布を増やせば良いのよ。とにかくそう、増やせば。」
寒さのせいで頭が回っていないのか、あるだけの下着を引っ掴んでいる。
ミメイ本人にはどれだけ自分が奇っ怪な行動をとっているのか、という自覚はない。
『だからさぁ、』
こういう所、やっぱり箱入りお嬢様っぽいんだよなぁ、と呆れながら本当に下着を布団に詰めだす
『暖炉つけなよ。』
嘆息する鬼宿に対しミメイはなるほどと頷いて、ベッドに下着を詰めていた手を止める。
「それもそうね。
薪が勿体ないから今まで使ってなかったけど、この寒さは人間の耐えられる限界値を超えてるわ。」
今ベッドの上で震えている少女だけではない。
ミメイも限界なのである。
呪符で火を出して暖を取れば良さそうなものだが、元来あれは人を呪う用である。
効率が極端に悪いのは自明だ。
ここから隙間風が、と修復すべき所を見つけながらキッチン近くにある小さな暖炉に近付く。
しかしその後どうすれば良いのかと棒立ちになる。
再三述べているがミメイは箱入りお嬢様として育ったのだ。
手先は器用なくせに、家電製品でさえ扱うのは怪しい所があった。
つまり実際に見たことも使ったこともなかった暖炉なんて言うまでもない。
『まず火つけて。』
もー、しょうがないなーミメイくんはー、とふざけながら指示を飛ばす鬼宿。
「言われなくても分かってる。
···マッチを擦るんでしょ?」
とは言いつつも若干自信なさげに、暖炉脇に置かれたマッチ箱を手に取った。
『流石にマッチの擦り方ぐらい分かるよね?』
「ご馳走が見えるわ。それと暖かな暖炉も。」
芝居がかった動きでマッチを1本取り出して、顔の前に翳す。
『マッチ売りの少女か。
うんうん、未明は童話が好きだもんね。
白雪姫に灰かぶり、いばら姫に親指姫、それとラプンツェル。』
よく真昼とシノアと読んでたもんね、と懐かしそうに鬼宿は呟いた。
「定番だもの。
でも私が一番好きなのは輝夜姫と
やっぱり日本のお話が好き。
そうぽつりと漏らしながら、ミメイは手にしたマッチを箱の赤い側面に擦りつけた。
ぼっと橙の火がついたマッチを薪が少なめな暖炉に放り込んで、小さな火が安定した炎に変わるのを見守る。
ところで、輝夜姫はメジャーな日本昔話だが瓜子姫の方は違う。
“親子で読みたい日本昔話”というような本に編纂されている訳でもなく、知名度は低めだ。
それに伴い人気も低めだ。
そもそも日本昔話特有の教訓めいたものは、余り読者には伝わってはこない。
桃太郎の様に勧善懲悪を全面に押し出している訳でもない。
ただただ、瓜から生まれた瓜子姫のお馬鹿加減を察することが出来る話だ。
だがミメイはこれが好きだった。
瓜子姫を騙して瓜子姫に成り代わり、最終的には成り代わったのが露見して退治されてしまう鬼。
天邪鬼という名のその鬼のことが好きだったのだ。
思っているのと逆のことを言う他ないその哀れな鬼に、
『何か見える?
炎の向こうに、死んでしまった大好きなお婆さんでも見える?』
ちろちろと赤く輝かく薪をぼおっと見ていれば、鬼宿が揶揄う様に尋ねてくる。
「まさか。マッチ売りの少女ネタはもう充分よ。
それに私、祖母の顔なんて知らないわ。
母の顔さえまともに分からないのに。
まあ、母の容姿が私達姉妹にきっと似てたっていうのは想像つくけど。」
ミメイ達は特に父である柊天利に見た目が似ているわけではない。
1番父に似ているのは兄暮人だとミメイは思っているのだが、まあそれはさておき。
ミメイ達の容姿は母譲りだということは、別段推理せずとも察することが出来る。
「母は、何の為に生きてたのかしらね。」
顔も知らない母を哀れむような、哀れんでいないような、それどころか少し嘲笑う様にしてミメイは呟いた。
生きながらにして幾つもの鬼と融合させられて、その状態でミメイ達姉妹を産んだ母。
ミメイ達が人体実験の末に産まれた成功例だというのならば、母が産んだ子供の中には失敗例がいたのだ。
ミメイ達にとっては兄弟姉妹達で、柊家にとっては人体実験の失敗例、尊い犠牲で、母にとっては我が子だった筈なのだ。
母がミメイ達含む子供をどう思っていたかは知らない。
恐らくミメイと真昼を産んだ頃には、感情が擦り切れて人格と言えるものが破壊されていただろうから。
だが初めからそうなりたくてそうなった訳ではないのだろう。
鬼と人間の混ぜ物を作る為の母胎として死んだ母にも、遥か昔には人間らしく生きていた時間があったのだと考える。
「柊家は、怖いわね。」
ぶるりとミメイの身が震えたのは寒さからだけではない。
自分が生まれ、育ち、囚われ続けた柊家の闇がふと浮き彫りになった為である。
『今更?』
「そうね、今更だわ。」
わざとらしく驚愕を滲ませた声を発する鬼宿に対し、素っ気なく返して暖炉から離れる。
ベッドを覗き込んでみれば、暖炉のお陰だろうか、少女の顔色が緩やかに回復していた。
唇は白から薄い桃色へ。
最早凍死することは無いだろう。
さっきまでは死人1歩手前の様な顔だったが、その面影は消え去った。
弱々しいが、一応薪を燃やしている暖炉のある部屋で寝かせておけば、回復するに違いない。
ミメイは医者ではないため確実なことはいえないが、何度も死地を潜り抜けてきた者特有の勘から、今の少女に死相は現れていないということだけは言えよう。
そのままベッドの隣に蹲り、少し苦しそうな少女を観察する。
『ねえ未明、どうして?
あのまま放っておけば死ぬ命だったかもしれないのに。
どうして助けたの?』
心から不思議がっているらしい鬼宿。
「生きてたのよ。
タマ、確かに生きてたの。この子は息をしていたの。
私の頬を触って、それから私の方に倒れてきたの。」
涙の跡が残る少女の頬を軽く拭いてやり、首辺りについている泥も拭き取る。
「そんな命を見捨てられる?」
けほりと小さな咳を吐き出した少女。
それに鬼宿が意識を向けているのをミメイは感じた。
『未明は見捨てられるだろ?
今までだって幾つも見捨ててきたしね。』
何を言ってるんだ、そう憤慨した口調で鬼宿は声を荒らげた。
「でも私は、シノアを見捨てられなかったのよ。
真昼だって無理だったのに、私が出来ると思う?」
憂いを浮かべた瞳を少女に向ける。
『そりゃシノアは未明達にとっては妹だったから。』
「なら、あの妹みたいな子を見捨てられない。」
安定した寝息を立てる少女を見つめていれば、その顔に妹の面影が重なる。
顔立ちは全く違うのに、何故か少女の向こうに妹が見え隠れする。
『未明姉さんは私が死んだら悲しんでくれますか。』
そう突然問いかけてきた妹に対し、曖昧な笑みを浮かべながら抱きしめてやることしか出来なかった愚かな姉だった。
言うべきことも言いたいことも沢山あったのに、多くを求め過ぎてはいけなかったが故に、言葉に出来ず仕舞だった。
言葉にしてしまったら、それ以上を求めてしまうから。
「だから、見捨てられないの。
シノアを見捨てられなかったのと同じ様に、私はこの子を見捨てられない。」
シノアと違って癖のない少女の金髪に指を通す。
妹に出来なかったことは恐らくこの少女にも出来はしない。
ミメイに出来るのは見捨てないことだけ。
それ以上は何も出来ない。
欲しい言葉も、欲しいものも、きっとあげられはしない。
欲望を抑制しなければならないミメイが“それ以上”を望む訳にはいかないのだ。
『自分から遠ざけるものの方が多い癖によく言うよ。
グレンや深夜も、未明を助けようと手を伸ばしてくれてた。
でも未明はそれから逃げた。
中途半端に手を繋ごうとしてまた離れて。そんなのを繰り返した。
クロロやオヤジさんだってそうだ。
そうしたかったのにそうしないで、欲望を押さえ込んで我慢した。』
ふん、と拗ねたように漏らす。
「これはただの自己満足よ。分かってるの。
シノアみたいな子がいて、その子が私に手を伸ばしたから、だから私もつい手を伸ばしかけた。
それだけ。」
『繋いではあげないんだ?』
中途半端なのは1番残酷だよ、とせせら笑う。
しかしそれを気にもとめず、ミメイはふと心に浮かんだことを呟いた。
「この子、少しタマに似てるのよ。
だから余計、見捨てる気になれなかったのね。」
ああ、と納得したように手を打つミメイだが鬼宿の方は心外らしい。
『は?その子供と僕のどこが似てるって?』
不機嫌さを前面に押し出して、ミメイの拘束から逃れようとしている。
「金髪、華奢な体つき、中性的な綺麗な顔立ち。」
暴れる鬼宿を押さえつけ、少女と鬼宿の共通点を列挙していく。
『いや確かに僕は綺麗だけど、人間なんかと同じにしないでよ。
髪の長さとか違うし。それに僕の方が小さくて可愛い。
誰もが見惚れる完璧な幼女じゃないか。』
「誰が幼女?」
貴方男でしょ、何百年生きてるか分からないレベルでしょ、と首を傾げながら立ち上がるミメイ。
「さて、仕事に戻らなきゃね。」
腰に巻いたベルトに刀を下げ直し、ポケットから人型の紙を2枚取り出して言葉通り息を吹き込む。
『ねえ聞いてる?
僕は幼女だからね。
よく考えてみてよ、この白い陶磁器みたいな肌とかさ。
人形よりも人形らしい美幼女、それが僕だから。』
式神を作るのは案外集中しなければいけない作業だというのに、それを分かっていて喚く鬼宿に苛立つ。
いかに自分が美幼女かをつらつらと述べるのに我慢ならなかったミメイは、強制的に鎖で黙らせた。
「うるさい。」
『···ぎゃふん。』
可愛らしい捨て台詞を残し、ミメイの心の奥に落ちていく鬼宿を可哀想とは思わない。
見た目は可愛らしく哀れみを誘う雰囲気を漂わせているが、本性はえげつない鬼なのだ。
「よし。」
自身のオーラを少し込めた式神2体。
それらがペラペラの体を頼りなさげに揺らしながら、掌の上でミメイの命を待つかの様に敬礼している。
「この女の子の面倒を見てあげてね。」
簡潔な命だったが、張り切って頷きミメイの手から飛び出していく式神達。
面倒を見る、とはいってもミメイが出来うる事しか式神は出来ないだろう。
式神は術者の血肉と魂を分けて作り上げた小さな分身体の様なもの。
あくまで術者の一部であるために、術者を超えることは出来ない。
術者が出来ることは出来るが、術者が出来ないことは出来ない。
つまり、粥やら饂飩やら、料理を作ってやることは出来ない。
術者たるミメイに出来ないのだから。
電子レンジさえあれば、見事な電子レンジのボタンさばきを見せられるのに。
幾つも年下の妹と同レベルのことを考える、お嬢様育ちあるあるの料理音痴なミメイは、少女の眠りを邪魔しないようそっとドアを開ける。
冷気を部屋の中に入れないようにと手早く閉めたドアの隙間から、甲斐甲斐しく少女の体を拭いてやる式神達が見えた。
うん、体を拭いてあげるくらいは私にも出来るもの。
まったくもって大したことではないのだが、そう満足げにミメイは頷いて鍵を閉める。
カチャン、と響いた子気味良い音で掛金が落ちたのを確認する。
それから小屋に背中を向けて、雪の降りしきる仕事場へと足を運ぶ。
寒い、ただ寒い。
耳と鼻を赤くして、ミメイは薄く積もった雪をシャクシャクと踏みつけていく。
足先から伝わる冷たさにくしゃみがこぼれ、止まっていた鼻水がまた流れ出す。
自身の情けなさに溜め息が漏れたミメイは、赤々と輝く炎が、暖炉から感じた暖かさが、どうしようもなく恋しかった。
ご存知ですか、瓜子姫。
昔話の中ではマイナーな方だと思いますが、幼少期の私はこればかり読む程好きだったそうで。
特に何も学べない、子供の教育の足しになるか微妙なあの話が今も好きなんですけれど。
ご興味がありましたら是非調べてみて下さい。