誓約#1
倒壊したビルが街に横たわっている。地面に立っていた時は300メートルはあろうかという巨大な高層ビルは、かつて栄華を象徴した物の名残だ。今では、それは剥き出しの鉄骨に食べ残した肉片がこべりついたみたいにコンクリートが貼り付いている高層ビルの死体と言えた。よく見ると、苔だか蔦だかの植物が取り付き緑が見えるのは、腐り果ててミイラみたいになった死体に、カビが生えているかの様にも見える。そのビルの死体の上を忙しく這い回る虫達が見える。虫達は2つの勢力に分かれて、死体を奪い合うかの様に争い、殺し合う。鉄血の人形とグリフィンの人形達だ。WA2000の戦術人形は、それをS09地区の上空6000メートルから見下ろしていた。軍用多用途ヘリコプターから見るS09地区の所々には戦火の狼煙が立ち上っている。彼女はその戦場の全てを俯瞰しながら、3分後にはその火中に飛び込み、敵--鉄血の戦術人形を殲滅するのだ。彼女には見える。その狙撃兵特有の視力でもって、戦場の至る所まで見通せる。その時、いつもは考えもしない疑問が浮かんだ。
--何故、私たちは戦う?何故、6000メートル下の私の目の前で私の仲間達は死に、又は殺すのか。何故私達は生まれ、戦い、死にそうしてまた生き返るのか?私は何番目の私、今下で死んだG36は何番目のG36で、G36が道連れにした鉄血の人形は何番目の人形なのだ?何故私は、戦うのだ?何故これからあの地獄に飛び込むのだ?
何故--?
WA2000の思考は深い疑問の穴の底に落ちて這い上がれずにいた。ヘリのローターのがなりも、眼下の光景も意識からは消え、今までは気にも留めずにいた疑問に夢中になる。一度集中すればどこまでも深く落ち込んでいくのは狙撃兵の資質だ。
作戦開始2分前。WA2000の耳に飛び込んで来た彼女の指揮官の声に彼女は気が付かなかった。
「--ルサー」
「--ワルサー!」
「どうしたワルサー、聞こえないのか?」
WA2000は自身が呼ばれている事に気付いた時、戦場で最も聞き逃してはならない声を聞き逃した事実をどの様に自身を指揮する人に報告すれば良いのか分からなくなった。戦術人形であれば工場から出荷されたばかりのピカピカの新兵であってもやらない様な失態だ。それをどの様に誤魔化そうか。結局彼女はいつも通りの言い草で指揮官に言った。
「別になんでもないわよ、降下前でピリピリしてるの。何の用なのよ?」
「無線が取れるならいい。今回の戦術目的は判ってるな?」
「ふざけないで、人形は物忘れはしないわ」
彼女の不躾な物言いを気にも留めずに、彼、グリフィンの戦術指揮官は先を続けた。彼の声は冷静さを努めて保たれていたが、それでも眼下の戦況が良くない事が声色からWA2000には伝わった。
「ならばいい。それと、悪いニュースだ。降下予定地点の守備部隊との交信が10分前のものを最後に途絶えた。最後の通信の内容から、恐らく降下予定地点は完全に包囲されている」
「そうらしいわね。G36がグレネードでヤツらを道連れにするのが見えたわ。彼女は孤立していたから、多分守備部隊最後の1人だったんでしょう」
「場所は?」
「降下予定地点から北に1キロメートルって所ね。鉄血のハイエンドモデルが出張って来てるわ。敵予想戦力を大幅に上方修正するべきね。作戦は続行するわけ?守備部隊は全滅。鉄血にはハイエンドモデルもいる。当初の案は機能しないわよ」
事実だけを端的に交換しあう戦場のやり取り。指揮官とのそれによってWA2000は自身が急速に戦場という歯車に噛み合っていくのを感じる。フワフワと浮ついていた思考が鋭敏になっていく。戦場で聞く指揮官の声こそ、五里霧中の中で彼女を導く道標になるのだと体が思い出し、その声に集中した。WA2000の胸中には、既に先程の疑問はなかった。状況を飲み込む。こうなれば取れる道は1つだ。即ち、押すのか、引くのか。そのどちらか一方。
--どうするの?指揮官……?
「当初の案は破棄する。しかし戦術目的は変わらない。確認するが、本作戦に於ける我々の目的は判っているな?」
その言葉でWA2000の行く末が決まった。彼女はこれから大軍の中を進み、援護もなく、しかし極めて困難な目標を達成せねば成らず、恐らく生きては帰れない。だが彼女に恐怖も疑問も無かった。むしろ今彼女に有るのは絶大な全能感と闘争心だ。事ここに至り、それでもやれとあなたが言うのなら、やって見せようではないか。きっと他の誰にも出来はしない。この、戦いの為だけに生まれた私を除いて。
「肯定よ、指揮官。私達は鉄血に奪われて機能を失っている通信施設を、可能であれば奪還し、不可能であると判断すればこれを破壊する」
「その通りだ。お前たちは降下後直ぐ様2手に分かれ隠密行動に入り通信施設を目指してもらう。片方は本命、片方は陽動だ。陽動部隊には敵を派手に引きつけて貰う。本命の方はその隙に作戦目標を完遂する。部隊を分けろ。人選は任せるが、本命の方はお前が仕切れ」
「了解」
「--ねぇ指揮官、さっきはごめんなさい。考え事をしていたから、私--」
「いい、集中しろ」
「了解」
「降下後、本命の方は無線封鎖で通信施設を目指せ。以後の判断はお前に任せる。陽動部隊は俺が指揮をする」
通信が切れると同時に戦術データリンクから作戦の詳細が降りて来た。本命部隊の進行ルートや目標の優先順位、直面すると思われるイレギュラーまで、必要と思われる事項が端的にまとめられている。
降下30秒前、ヘリが急降下を開始。ヘリ全体が前のめりの前傾姿勢になり、大きく円を描きながら3000メートル/分の速さで高度を下げていく。殆ど墜落するかの様な急降下、ヘリの内部でWA2000は部隊分けを行う。部隊は5人、WA2000を除いたメンバーは、MP5、FAL、スコーピオン、9A-91。
--陽動の方には火力が必要だ。対して本命の方に必要なのは隠密行動と幅広い対応力。当てはまるメンバーは?
WA2000はメンバーの得意分野と求められる条件とを擦り合わせながら、メンバーを選び出した。
「9A-91、私と本命を叩くわよ。他の3人は陽動部隊に、上手くやって頂戴」
9A-91が短く了解、と言って頷いて見せ、MP5はお任せください!、と答えた。スコーピオンが突撃!突撃!と言ってシートをガタガタ揺らしている。
FALがWA2000の目を見て言った。
「大丈夫なのね?あなた、心ここに在らず、って顔してたわよ」
--15秒前
「人形に心の在り処を聞くなんて、バカねあなた」
--10秒前
「人形に心なんてないと思うの?」
--5秒前
「死を恐怖しない私達に、心なんてないわ」
--降下開始