誓約#5
4時間で7キロメートル。WA2000と9A-91が踏破した道程は、敵地での隠密行動であったことを考えれば殆ど驚異的と言えた。彼女達の最も強力なアドバンテージはその存在を鉄血に知られていない事だ。敵地の只中に在りながらここまで密かに辿り着く事が出来たのは、偏にこのアドバンテージが機能した為であった。降下の段階から徹底して存在の痕跡を最小限に抑え鉄血にとって存在する筈がない敵であり続けられた事が、彼女達の存在を隠す迷彩として機能していると言っていい。更に装備の差、という点にも助けられている。熱光学迷彩を纏い進む事で、鉄血の旧式人形の目を誤魔化したのは1度や2度ではない。姿を消し、音を出さなければ、鉄血の人形には彼女達を見つけ出す術がない。加えて陽動部隊が陽動を行っている事で、そもそも鉄血の警戒が薄い。足音を立てて進む事も出来ない戦場で7キロメートルという距離を進む事が出来た理由が、これらだった。
しかしもしひと度鉄血に潜入している部隊が居ることが発覚したら、彼女達はアドバンテージを失い、作戦の成否は急速に失敗に傾く事になる。例え装備で勝っていても、例え陽動の影に隠れていようと、一度でも鉄血に隠密部隊の痕跡を発見され本気で捜索を開始されたら最後。それは鉄血が彼女達の死体を上げるまで決して止まらない。戦力の差は歴然だ。直接の戦闘は絶対に避けなければならない。
WA2000と9A-91は細心の注意を払って進んで来た。通信施設まで残り3キロメートル。大きく迂回したことで当初の予定より余計に長い距離を踏破した事になるが、背に腹は変えられない。
路地の裏で熱光学迷彩を纏い周囲を警戒していたWA2000の背後が、陽炎の様に揺めき、音もなく人影が現れた。先行して偵察を行なっていた9Aー91だ。9Aー91はWA2000の背後をカバーする様に背中合わせで現れ、戻りました、と一声掛けた。偵察に出てからまだほんの10分程度だが、9Aー91は目的を果たして戻った様だった。その手際の良さと無音の帰還にWA2000は内心で舌を巻くしかない。9Aー91の接近にWA2000は全く気づく事が出来なかった。もし鉄血に9Aー91と同じ事が出来る人形が居たら、もしこの瞬間その人形が背後に居たら、WA2000は全く抵抗出来ないまま殺されて居ただろう。この7キロメートルで、9Aー91の潜入作戦への適性に何度助けられたか知れない。
「どう?」
「目を付けていたあそこの5階建てなら、問題なく入れそうです。周囲に鉄血は確認出来ませんし、極最近に鉄血があの廃屋に入った形跡もありません」
流石と言う他ない。WA2000がヘリの中で彼女を相方に選んだのはやはり正解だった。迅速で正確な偵察。残りのメンバーには不可能だ。
「流石ね9Aー91。偵察の痕跡は残してないでしょうね?」
WA2000は9Aー91を信頼している。だから、その言葉も只の確認の意味以上のものは無かった。普段の彼女なら、問題ありません、と返ってきてそれで終わり。今回もそうなるだろうとWA2000は考えていた。
「ーー今更、そんな事を私に聞くんですか? 」
数瞬、何を言われたのか判らなかった。常の彼女からは聞いた事がない様な冷たい声色で、予想外の答えが返って来た事に、WA2000は動揺を隠せなかった。
「え?」
「不安なら貴方が偵察に出たっていいんですよ?」
聞き間違いではないようだ。確かにここまでの道のりで、WA2000は9Aー91に多くを助けられて来た。今更彼女の仕事に口を出すのは可笑しな話なのかもしれない。しかし、余りにそれは彼女らしくない言葉だった。そして当の彼女自身もそう感じた様だった。
「っ、いえ、なんでもないです。忘れてください」
9Aー91は強引に会話を打ち切ると、行きましょう、と言ってそそくさと先に進んでしまった。
ーーなんなのよ!一体!
そう思っているうちにも9Aー91はどんどん先に行ってしまう。着いて行かなければ、本当に置いて行かれてしまうだろう。WA2000も彼女の後に続いた。
2人は予め目当てを付けていた、周囲一帯で一番背の高い廃屋に入り、鉄血の人形の気配が屋内にない事を確認すると最上階の5階まで階段で昇った。9A-91がポイントマン、WA2000がバックアップマンの二人一組だ。階段を登りきった2人は、クリアリングを行いながらホコリまみれでコンクリートの破片が散乱する廊下の突き当りまで進んだ。条件に合う部屋、3キロメートル先の通信施設を望める東向きの角部屋まで来ると、素早く中に入り左右に別れ窓からの視線に入らないように壁際にピッタリと張り付く。9A-91が窓からゆっくりと顔を出して周囲を確認し、漸く辺りに鉄血が居ない事を認めると2人は警戒度を落とした。
この先、通信施設までの最後の3キロメートルは鉄血の警戒度が段違いに上がってくる。足を踏み入れる前に、一度偵察を行う必要があった。この場所なら3キロメートル先の通信施設を望む事が出来る。鉄血人形の配置、巡回ルート、そこから導かれる2人の侵入ルート、全ての情報を現地調達しなければならない。WA2000は照準器を覗き込むと銃口を通信施設に向けた。窓から銃口が突き出してしまわない様に注意しながらじっくりと施設を観察する。
先程の事があっても、2人の息はぴったりと噛み合っている。この7キロメートルの道程を、ミスなく進んで来られたのは、WA2000と9Aー91の間にある暗黙の連携があってこそだ。WA2000は9Aー91を信頼しているし、逆に9Aー91から信頼されている事も感じている。司令部に居る時も、暇があれば一緒に居る事が多いし、食事を共にする事も多い。指揮官も、2人を組ませる事が多々あった。だからこそWA2000には分からない。9Aー91の先程の言葉は聞き間違いなどではなかった。お互いのパーソナリティは把握し合っている、そう思っていたのに。
「視えますか?ワルサー」
9A-91は引き続き辺りを警戒しながらWA2000に確認した。
「視えるわ。視界良好とはいかないけどね。遠いわ」
WA2000は照準器を通して瞳に届く光学映像に補正を掛け、なんとか視界を確保する。
「側面から入れそうですか?裏まで廻るのは遠慮したいのですが」
「それは問題なさそうね。このまま真っすぐ直進してそのまま中に入ってさえしまえば、なんとかなりそうよ。視える範囲では施設の中に居る鉄血は2~30って所かしら。ハイエンドが中に居るんでしょうけど、それは確認出来ないわ」
「わかりました。情報を共有してください」
9A-91の言葉にWA2000は頷いて見せると、極短距離にしか届かない電波で9A-91に偵察で得られた情報を共有した。
「夜まで待つと言うのはどうでしょう?暗闇は私達にも有利に働くかと」
9A-91の提案に、WA2000はかぶりを振って答えた。
「夜まで待つ意味はないわ。私達は夜戦用の装備をしてないじゃない。それに、日が落ちて気温が下がれば私達の体温も目立つわ」
熱光学迷彩を纏っていればある程度は漏れ出る熱源を隠せるが、周囲との温度差が開けば隠蔽は完璧とは言えなくなる。それに日が落ちるまではまだ6時間以上はある。陽動部隊が機能している内にギリギリまで進んでおきたい。
WA2000の答えに、しかし9Aー91は苦い顔をした。判断が不服らしい。それ自体はいい。だがそれを分かりやすく顔に出すのは、本当に彼女らしくない。一体何が9Aー91にそうさせるのだ。
「ーーわかりました。ですが少し休憩は取りましょう。ここまで来るのにもかなりの消耗を感じています。ここから先はもっと厳しい道のりになりますから」
「そうね、20分よ」
そう言ってWA2000は照準器から顔を離して腰を下ろした。2人の間に沈黙が流れる。9Aー91はWA2000から顔を逸らし目を合わせようとしなかった。WA2000にとって、9Aー91と組んで気まずさを感じるのはこれが初めてだ。
この先は敵の警戒が厳重になってくる。連携に淀みがある様では先には進めない。進みたくない。休憩は丁度良い機会だった。率直に、先程の事を訪ねる。
「ねぇ、アンタさっきは……」
「先程は」
言いかけたWA2000を遮った9Aー91が顔を逸らしたままで言葉を続けた。
「先程は、すみませんでした。普段はあなたにあんな風に感じないのに。あの時は感情が膨れ上がってしまって。思えば、2日前にアップデートを受けた時から変なんです。時々頭の中で、普段は気にも留めない様な事を考えてしまう事があって」
ーーあなたとは長いのに、変ですよね、と9A-91は難しい顔をして言った。
「覚えがあるわ。確かに、2日前からかもしれない。産まれた理由とか、戦う理由とか、普段は考えもしなかった事を考えてしまう。指揮官の声を聞き逃す位、それに没頭してた」
WA2000の言葉で、9Aー91は顔を歪めた。歪んだ顔のまま9Aー91は吐き出す様に話し始めた。
「産まれた理由や戦う理由。私もさっきから考えていました。でも、きっとあなたには分かりませんよ。あなたは壊れてないから。あの人の隣で、自分は殺しの為の道具なんだって言ってずっと昔から憚らない貴方には一生わかりません。疑った事なんてないんじゃないですか?疑問に思っても、すぐに答えを決めつけてしまうんじゃないですか?産まれた理由も、戦う理由も、そう言う目的で産み出されたからなんだって。あなたは人形としては正しいのかもしれない。でも私は違う。私は壊れてしまったのかも知れません。だけど、だからこそあなたには分からない事が分かる気がします」
WA2000には、9Aー91の言っている事の意味が分からなかった。伝わってくるのは、WA2000に対する怒りだけだ。何故9Aー91は怒りを向けてくる?何に対して怒りを感じている?
9Aー91は踏み込んでは行けない所に踏み込もうとしている。求めては行けない物を求めようとしている。そんな言い知れない予感が、悪寒となってWA2000の背中を走った。
「あの人って? わかるって、何が? 何がわかるの?」
それは、と言い掛けて9Aー91は口を噤んだ。
「9Aー91?」
「それは、あなたには言いたくないです」
その言葉に、今度はWA2000の感情が大きく膨れ上がった。
「言いたくないじゃないわ!ふざけないで!」
だが、9Aー91の拒絶は、WA2000の感情を跳ね除け、絶対だった。ずっと逸らしたままだった顔をWA2000に向けて強い感情を見せた。
「言いたくないんですっ……!」
WA2000には9Aー91が向けて来る、しかし説明しようとしない敵意の根源が分からなかった。何故、9Aー91は自分に敵意を向ける?何故?
2人の間に沈黙が流れる。9Aー91は交わった視線を逸らさなかった。どうやら本当に何も言う気が無い様だった。
その時、WA2000の耳に何かを蹴る様な音が届いた。二人のものではない。今のは、部屋の外、廊下の先で床に散乱する、コンクリートを蹴った音だーー!
WA2000は即座に熱光学迷彩を纏い、素早くしかし無音で部屋を出た。扉をくぐり、廊下の先にーー居た。速い、もう階段を昇りきってる。鉄血の人形が3体。二人が入ってきた時と同じように、ゆっくりとクリアリングをしながら此方に向かってくる。このまま廊下を突き当たりまで来れば、9A-91が居る部屋だ。部屋を方を見ると、9A-91も状況を把握したのか、WA2000と同じく熱光学迷彩に身を包み、銃を構えている。
今は、気持ちを切り替えるしかない。WA2000は9Aー91とのやり取りを頭から綺麗に追い出し、敵を見据えた。
WA2000は考える、鉄血は何故この場所が分かったのだ?、と。
幾つか考えられた。一つはこの廃屋が巡回コースの一部である場合だ。つまり、奴らは今通常のルーチンに従って動いてるだけかもしれない。もしそうなら、まだ二人の存在が鉄血に露見している訳でない事になる。このまま熱光学迷彩に身を隠し、息を潜めていれば、奴らはWA2000達の直ぐ隣を通り過ぎ何事もなく帰って行くだろう。そうすれば二人は再び任務を再開に、3キロメートル先の通信施設を目指して進行すればいい。何も問題はない。
しかし、この場所が巡回コースの一部であるとは考え辛かった。そもそもこの廃屋に入る前に周辺の土やコンクリートの破片が踏み荒らされているか、定期的に人形が通っている痕跡がないか、9Aー91がよく確認した。中に入ってからも、埃に足跡は残っていなかったし、人形が訪れた真新しい痕跡は見つからなかった。つまり、この場所に鉄血が入ってくる事は完全なイレギュラーなのだ。
そして、不味い事に二人はここまで足跡を消して来てはいない。積もった埃には、しっかりと二人分の足跡が残っている筈だ。鉄血は二人の足跡を発見しているに違いない。そう思って改めて見ると、鉄血の動きは自身の領域に不届きものが侵入したのを、前提にしたかの様な動きをしていると見る事が出来る。ねっとりとした確実なクリアリング、通常の進行スピードの半分以下の速さでゆっくりと近づいて来るのは、この階に二人が隠れ潜んでいる事に気付いているからではないか?もしそうなら早急にこの場を離れなければならない。既に外には異常を察知した鉄血の人形共が続々と集結しているかもしれないからだ。目の前の3体を手早く処理し、この廃屋から逃げ出さなければ全滅だ。今なら先手を取れる。そうだ、足跡が見つかっていない筈がない、直ぐさま目の前の鉄血を撃ち殺すべきだーー!
WA2000は指がトリガーを引き絞ろうとする本能を、強大な理性で抑えこんだ。
まだだ、まだ見つかったわけではない。例え足跡が見つかっていても、この場をやり過ごしさえすればまだ任務を継続出来る筈だ。しかし、もしここでこの3体を撃ち殺せば、即座に鉄血は異常に気付く。そうなれば一巻の終わりだ。この場所に鉄血が大軍を引き連れてやって来る。作戦は失敗。二人とも方位殲滅されてしまう。
鉄血がゆっくりと近付いてくる。ゆっくり、ゆっくり、と。
「足跡がある」
「入った形跡はあるが出た形跡はない」
「まだこの中に居る」
感情を感じない無機質な声で鉄血の人形が情報をやり取りしている。やはりこの廃屋に入ったことは既に知られている。
トリガーに掛かった指に力が入った。
ーー殺すしかない……
ーー駄目だ、殺せば作戦は失敗する!
ーーどの道もう潜入した事は知られてしまったのだ、撃ち殺して逃げるしかないだろう……
ーー駄目だ!ここをやり過ごせれば、まだ挽回出来る!
激しい葛藤の中で、しかし理性が辛くも勝利を収めた。鉄血が直ぐそこにいる。僅か1メートル先だ。奴らの息遣いの一つ一つが間近に聞こえる。瞳が極限まで見開かれる。ゆっくり、ゆっくり、鉄血はWA2000の直ぐ横を通り過ぎて行き、部屋の中へ。鉄血は熱光学迷彩を被った二人を見つけられない様だ。大丈夫、迷彩はちゃんと機能している。鉄血は部屋の中をぐるりと見回し、窓から下を見下ろした。
「さっきまでここに居た」
「そう時間は経っていない」
「飛び降りたのか?」
鉄血は部屋の中を観察しだした。足跡、熱源、痕跡は残っている。
「やはり二人」
「人形か?人間か?」
「人形だ、足跡に規則性がある。人間ではこうはならない」
ーーならばグリフィンだ、と言って鉄血は部屋の探索を続ける。
「まだ屋内に居るか?」
「廊下にはこの部屋から出た時に出来る足跡はなかった」
「足跡がこの部屋で途切れている、飛び下りたのではないか?」
ーー早く行け、早く、早く!
「ーー応援を呼ぶ、この廃屋を徹底的に調べるぞ」
そう言って鉄血のうちの1体が徐に頭側の無線機に手を伸ばしーー
9Aー91がそれを許さなかった。銃声が3回。全てを頭に叩き込み、素早く3体を沈黙させる。“9Aー91”の銃声は最小限だった。
9Aー91が行きましょう、と言って廊下を進み階段を降り始める。
正確な判断だった、とWA2000は思った。WA2000も応援を呼ばれて包囲される位なら撃つしかないと判断した。しかし、9Aー91の方がその判断に要する時間が一瞬早かった。先程は自分を壊れていると言ったが、その判断の早さと正確さには一切の淀みがない様に見られる。むしろ、判断に迷っていたのはWA2000の方だった。もし9Aー91撃たなかったら、WA2000はもう少し様子を見ようとしたかもしれない。 少なくとも、9Aー91の様に即断する事は出来なかった。
WA2000は9A-91に追い付きバックアップに付く。WA2000がバックアップに付いたのを確認すると、9Aー91は無言で迷彩を脱いで走り出した。通信施設の方向だ。言葉を交わさなくても、次にどうすればいいか分かっている。 包囲は時間の問題だ。そして、包囲が確実であるなら、通信施設の中で包囲された方が遥かにマシだ。退路はないが、作戦目標を達成する事は出来るかもしれない。ジャミングを行っている施設さえ破壊出来れば、あとは後続の部隊がなんとかしてくれる。
WA2000と9Aー91はお互いにそれが分かっている。だから口に出して確認しようとはしなかった。しかし、前はそれが息のあった二人の連携だと思えていたのに対し、今のそれは9Aー91の独断の様にWA2000には思えてしまう。9Aー91の背中がWA2000には語って見せている様に思われた。黙って着いて来い、と。もしWA2000がカバーに付かなかったとしても、勝手に先へ進んでしまうのではないか、そんな不安を覚える。
廃屋を出て、通信施設へ向かって大通りを駆け抜ける。戦術人形の後先を考えない全力疾走は時速45キロメートルにも達し、3キロメートル先の通信施設まで僅か4分しか掛からない。2人は勢いを緩めず駆け抜けながら、戦術ネットワークに接続した。もう無線封鎖をしても仕方がない。ネットワークから情報を吸い上げる。どうやら陽動部隊はまだ戦っているようだ。陽動部隊の方も思っていたよりはずっと近くまで来ている。今、丁度通信施設を挟んで向かい側に居るようだ。FALもMP5もボロボロだが、生きてはいる。WA2000はそこで、スコーピオンの反応がない事に気付いた。言い知れぬ感情が胸に去来する。仲間の死にこんな感情が生まれるのは初めてだった。スコーピオンは何故、どんな風に、死んだのだ?スコーピオンの死は必要なものだったのか?彼女を失った事で感じる、この胸の疼きはなんだ?
同じ様に感じたのかもしれない。前を走る9Aー91が声をあげる。
「ワルサー!スコーピオンが!」
だが、今は足を止める訳にはいかない。スコーピオンの事は、頭から追い出すしかない。
「今は忘れなさい!」
その時、前方に鉄血の人形が現れた。4体、廃屋の壁に身を隠し此方を照準している。彼我の距離は20メートル弱。撃たれてからでは避けられない。
9Aー91は左右にステップを踏み鉄血の射線を躱しながら、照準、発砲。フルオートの点射で4体を手早く処理する。
10メートル先の曲がり角から更に2体。9A-91は空になったマガジンを右指でリリースしながら左手でナイフを引き抜き、アンダースローで投擲。それが1体の頭に突き刺さる。WA2000がもう1体を照準し、発砲、しようとした時には、既に9Aー91は格闘戦の間合いまで距離を詰めていた。殆ど一瞬で距離を詰めた9Aー91は、ナイフが刺さり、今まさに倒れようとする鉄血からナイフを回収すると、身体を翻し返す刀でもう1体の頸部を両断する。頭部の制御ユニットから伸びる伝達系を断ち切られた鉄血の人形がその場に崩れ落ちた。
数秒の内に6体の屍を築きながら、9Aー91は殆どスピードを落とさずに駆け抜ける。兎に角速さが必要だった。包囲網が完成したら、通信施設には辿り着けなくなる。鉄血の兵力が分散している今を除いて、勝機はない。
背後から銃声。WA2000の顔の直ぐ横をライフル弾が飛び去っていく。しかし足を止めて応戦する余裕はない。
「右の路地に入ります!」
9Aー91がルート変更を即断する。狭い路地に入る事で、鉄血の旧式人形に対する運動性能というアドバンテージを殺してしまうのは避けたかったが、背後を取られたら元も子もない。入った先にも1体。9Aー91がフルオートで黙らせる。3つ先の横道からも更に2体。盾持ちだ。処理するには時間をが掛かる。今度は撃ち合わずに手前の横道に入る。後ろから2体分の足音が2人を追って来るが、振り切るしかない。
ーー不味い、敵の対応が思っていたより、ずっと速い……!
この時点で、WA2000にはそう遠くない内に限界が来ることが予想出来た。迅速な対応、相手には間違いなく指揮を取っている者がいる。鉄血のハイエンドモデルが、直接このエリアの指揮を取っているとしか思えなかった。戦術ネットワークの戦闘記録には、ハイエンドモデルを1体排除、とある。だとすれば、この地で指揮を取っているハイエンドモデルが残りのもう1体か。優秀な指揮モジュールを積んでいるのだろう。確実に追い込まれている。もしかしたら、このハイエンドモデルは直接戦闘に秀でない代わりに指揮に特化したモデルかもしれない。
「ワルサー!このままでは!」
「判ってる!」
「違う!このままじゃ着く前に弾切れです!」
「そっちも判ってる!」
取れる手立ては少ない。このまま2人で進むか、或いはーー
その時、戦術ネットワークを通してWA2000と9Aー91に通信リクエストが届いた。WA2000が応答しようとするが、その前に9Aー91が通信を開いた。
「無事か?」
「指揮官! 私あなたに、私っーー!」
「ワルサーは?」
9Aー91は指揮官に何かを言い掛けるが、指揮官はそれを遮ってしまった。
「っーー!」
「ワルサーは無事か?」
「無事です。私の後ろに居ます」
「代わってくれ」
はい、と言って9Aー91が通信を切った。WA2000からは前を走る9Aー91の表情を伺う事は出来ない。たが、WA2000には9Aー91が指揮官を呼ぶ声に安堵の心情が漏れ出ていた様に聞こえる。そして、WA2000の無事を伝える声はか細く震えて聞こえた。
しかしWA2000に9A-91を心配している余裕はない。今度はWA2000が応答した。
「無事だな?」
「肯定よ、指揮官」
「すまない、気付くのが遅れた」
「そんな事いいわ。それより、今不味い事になってるのは分かってるかしら? 是非指揮官の判断を聞きたいわね。名案がないなら切るわよ?」
「こっちとしては、お前らが先にミスをしたんだろと言いたいが? 」
確かにミスをしたのはWA2000達という事になるのだろう。しかし、そもそもWA2000には言い分があった。
「やめてよ!私は打開案を聞いてるんであって責任の所在を質したいんじゃないわ!そもそもこの無茶な作戦建てたのアンタじゃない!」
「それを言われると弱いな。それで、状況は?」
「分かってると思うけど、潜入がバレたわ。敵に包囲されつつある。あと数分って所ね。包囲される前に通信施設に飛び込めればと思ったけど、相手が予想以上に上手いわ。どんどん逸れさせられてる。難しいわね」
指揮官は端的に続きを促した。
「ああ、それで?」
WA2000は今迄客観的な情報を指揮官に報告していた。そして、此処からはWA2000の所感と、そこからの予想をを伝える。WA2000は、指揮官がチームリーダーに求める視座を併せ持っていた。
「それで、多分、敵はハイエンドから直接指揮を受けてると思うわ。まあ、勘だけどね。鉄血の雑魚共を指揮してる奴は、今きっと凄く焦ってる。指揮官の狙いを察したからだわ。だから全力で私達を潰しに来てる。そう思うわね」
「自分達が相手にしているのはハイエンドモデルだと思う、そう言う事だな?」
そうよ、とWA2000は答えた。
「なら、FAL達が使えるだろう。あと一時間は粘らせるつもりだったが、10分で使い潰す」
「死なせるの?」
そうだ、と指揮官は言った。
「そう、そうよね。それで?そのFAL達の最後の10分間で私達はどうすればいいわけ?」
「よく聞け、お前達は2手に別れ光学迷彩を纏い直し、10分の間出鱈目なルートで可能な限り遠回りしながら、通信施設を目指せ」
「なっ……!」
頭が一気に沸騰した。FAL達を使い潰すと言った男からの命令は、WA2000達に10分間をお散歩していろと言っているに等しい。
「ふざけないで! それじゃ、何の為にFAL達は死ぬのよ!真っ直ぐ行けば此処からでも5分で通信施設に着くわ!」
「だが包囲は予想より速く完成する見込みで、そもそも真っ直ぐ進む事など相手は許してくれないんだろう?」
WA2000の言葉に、しかし指揮官は即答を返した。確かに、指揮官の言葉は正しいし、今WA2000の目の前現実そのものでもある。
「それはそうだけど、そもそもなんでFAL達を使うわけ? あいつらは今通信施設を挟んで向かい側に居る。そっちで騒ぎを起こしても無意味よ!」
「質問は無しだ。元々FAL達は最初から死ぬのが前提だったろ。お前もFAL達も戦術人形だ、違うか?」
違わなかった。少なくとも、今迄は違わなかったのだ。だが今は、WA2000はその事実を認める事に抵抗があった。何故なのかは分からない。だが、多分、少なくともヘリの上から戦場を俯瞰したあの時より前にはもう、WA2000は自分の存在意義に疑問を持っていた。
「そうだけど、無駄に死なされるのはごめんよ」
「頼むから了解してくれ。どうしたんだ?ワルサー?何か変だぞ?何時ものお前らしくない」
確かに、WA2000自身にも常の自分らしくない事でむきになっている自覚があった。しかし、心の奥底ではスコーピオンの死すら納得などしていない気がしている。
同時にWA2000はそれが人形が抱いていい感情などではない事を知っていた。死ねと言われた時に死ねないのでは、それこそ戦闘機械として致命的な欠陥品だ。
今は忘れなければならない。迷ったら思い出せばいい。WA2000は殺しの為に生まれてきた、戦闘機械なのだと。
「人形は必要なら死ぬ物だろ?大丈夫だ、FAL達を無駄に使ったりはしない。俺が、お前にお前の義務を果たさせてやる、俺の指揮でそうさせて見せる」
指揮官はずっとWA2000にそうさせて来た。3年間の間一度の例外も無く、WA2000の戦闘機械としての義務を充足させ続けてきた。なら、きっと今回もそうだろう。FAL達は気の毒だが仕方ない、彼女達も戦術人形なのだから。
「了解、2手に別れて熱光学迷彩を使いながら10分間、仲間が死んでいく10分間をお散歩してろって言うんでしょ?やってやるわよ」
頼むぞ、と言って指揮官が通信を切った。あらゆる疑問を後回しにするしかなかった。今は只、指揮官の命令に従うしかない。WA2000と9Aー91は路地裏のT字路に突き当たると、暫し足を止めた。
「此処で別れるわよ」
「はい」
「それじゃ、向こうで会える事を祈ってるわ。もし会えたら、絶対にあの廃屋でした話の続きをして貰うから」
9Aー91は俯いていて、その視線が何を見ているのかは知れない。それでも、9Aー91は小さな声でーー会えたら考えます、と言うと、熱光学迷彩を纏い路地に消えて行った。
WA2000には分からない事だらけだった。9Aー91の事も、自身の死に対する心情の変化も。そして、それを生み出した、人形の存在意義への疑問も。
だが全てを忘れて戦うしかない。戦って生き残らなければ、今ある全ての感情が、無に帰してしまうのだから。
誤字脱字おかしな表現等々あったら教えて頂けるとありがたいです。