十三歳の天才少女は、普通の恋をした   作:まなぶおじさん

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十二歳の少年は、天才少女と出会った

 きりつ、れい! さようならー!

 

 帰りの会が終了した後は、グラウンドでサッカーか、野球か、或いは友人の家に集まってゲームと決まっている。中には塾に赴くクラスメートもいるが、同じ小学六年として「すげーな」と、種村は時々思う。

 さて。

 自分の席で背筋をうんと伸ばし、独り言のように「さーて」と唸れば、どこからともなく友人たちが近づいてくる。

 

「よー種村、今日は何する?」

「っだなー、気分的にはサッカーかな」

「よし、それでいくか」

 

 友人の桜井、菊池、そして女子の松本が、やる気満々の笑みを浮かばせる。あとは、それぞれのツテを辿ってメンバーが集ってくるのを待つだけだ。

 椅子に座りながら、上機嫌そうに教室を見回す。

 相変わらずダッシュで帰宅する芝田、やっぱり難しい本を読み続けている柳澤、塾へ向かう山川、

 

「なあ」

「うん?」

 

 一ヶ月前に転校してきた、黒沢。

 これから帰ろうとしていた矢先、目と目が合ってふらりと声をかけた。

 

「お前、今日ヒマか? よかったら、一緒にサッカーやらね?」

 

 その言葉に対して、黒沢は秒も立てずに「すまんっ」と両手を合わせる。

 

「本当に悪ぃ。このあと、家の手伝いがあって……」

 

 種村は、感心したように「ほー」と声に出す。

 

「いつも誘ってくれるのは嬉しいんだけど……その、ごめんな?」

「いやいや、気にするこたぁねえよ。エラいよなーお前、俺なんていっつも母ちゃんから『掃除しなさい!』ってドヤされんのに」

「掃除なんて誰もやりたくないから、しょうがないって」

「だよなー、そうだよなー」

 

 種村と黒沢が、からっからと笑い合う。

 その間に、三人のクラスメートを捕まえてきた菊池がやってきた。

 

「ま、時間ができたらいつでも言ってくれよ。俺らは歓迎するぜ、転校生」

「サンキュー。じゃ、またな」

 

 そうして、黒沢はほんとうにクラスから出ていってしまった。

 ほんの少しの間が訪れる、放課後に浮かれるクラスメートの話し声が聞こえてくる、夏らしくセミの自己主張が届いてくる。

 

「今日も、あいつは忙しそうだな」

「らしいな。エラいよなー、家の手伝いなんてさ。お前やってるか?」

 

 やってるわけがないと、菊池が首を横に振るう。

 

「あいつが転校して少し経つけど……毎日、あんな感じだよな」

「なー、放課後になってから一緒に遊んだことねえわ」

 

 黒沢の、これまでのことを思い起こす。

 

 黒沢は、おおよそ六月頃にこの学校へ転校してきた。教師によると、黒沢はいわゆる転勤族というやつで、小1から小6にかけて転校を繰り返してきたらしい。

 それを聞いて、遊び人の種村は真っ先に思った。あいつ、友達とかどうしてるんだろうな、と。

 そんな黒沢は、実に良い笑顔とともに「好きなことは音楽を聞くことです、よろしくお願いします!」と自己紹介した。

 

 少し経って、黒沢のことを「明るいやつ」だと種村は評した。よく喋るし、よく顔に出るし、よく喜ぶし、よく体を動かすしで、非常に付き合いやすいタイプだった。

 だから、黒沢とは当然のように友人となった。体育では競い合ったり、一緒に給食をとったり、転勤族ならではのエピソードを聞かせてもらったりと、ずいぶん楽しませてもらったものだ。そして時々、「いい親だよ」としみじみ言われることもある。

 だからなのかもしれない。「家の手伝いがあるから」と言って、放課後になればすぐさま姿を消してしまうのは。

 これまで一度たりとも、黒沢とは放課後の付き合いをしたことはない。明るく活きのいい奴なだけに、少しだけ残念に思う。

 

「はいよー、連れてきたよー」

 

 菊池が、三人の女子を引き連れてやってきた。女子だからと侮るなかれ、へっへっへと笑う女子三人組は、ゴリゴリのスポーツ好きとしてクラスでは名を馳せている。

 自分を入れて七人か。もう少し誘ってみるか。

 

「誰か一緒にサッカーやんねー? 暇な奴やろーぜーッ!」

 

 そろそろ暑くなってきた、もうじき夏休みがやってくる。

 そう考えてみると、声がいつもより大きくなっている気がした。

 

 腕に自信のあるクラスメートたちが、種村の元に歩み寄ってくる。

 

 

―――

 

 

 

「はあ」

 

 放課後の夏空の下で、黒沢がため息を漏らす。

 イヤホンからご機嫌なナンバーがずっと垂れ流されているが、表情はずっと無だ。見上げてみれば、夏らしく清々しい青が目に入るが、心の内は相変わらず晴れないまま。

 

 ――俺だって、みんなとサッカーがやりてえよ

 

 けれど参加したら、クラスメートと深く仲良くなってしまう。彼らが、かけがえのないものになってしまう。

 そうした思い出が重なれば重なるほど、転勤が訪れた時のショックが大きいものに化ける。

 だから黒沢は、学校はともかく、外でクラスメートと遊んだりはしない。

 

 慣れちゃったなあ。

 

 離れたくないと願っても、いやだいやだと駄々をこねても、「親の仕事の都合」には絶対に勝てない。小3までは、「なんでだよ」と怒鳴ってきたものだ。

 ――そんな自分に対して、父は、母は、申し訳なさそうに顔を陰らせた。何度も何度も、ごめんなさいと口にした。

 親は仕事人間だが、ずっとずっと黒沢に気を遣ってくれた。なるだけ一緒に夕飯をとろうとするし、あまり仕事の話もしない。行きたい場所はあるか、欲しいものはあるか、小遣いは足りてるかと、黒沢の心をずっと守ってきた。

 そして親とは、子供のことなんてお見通しなもので――すこしでも不機嫌を露わにしてしまえば、父と母は「何かあったのかい?」と聞いてくる。それに対して、沈黙で応えようとも、

 

 ――私とお父さんは、いつでもあなたの味方だからね

 

 親のことは、尊敬はすれど嫌ったことなどはない。だからこそ、転勤がやってきたところでなんとか受け入れられる。

 家の手伝いだって、八割がたは本心によるものだ。

 

 別のクラスメートらしい、男女混合の仲良しグループが、上機嫌そうに自分を追い越していく。

 

 小4になってから、ちょっと知恵がついてきた頃になると、「仕方がないよな、忙しいしな」という諦めが自然と生じた。

 親のおかげで、自分はこうして生きていける。小遣いだって、多めに貰えている。引越し先という物珍しさにつられていくうちに、散歩という趣味も覚えた。

 だからいいのだ、これで。

 

 イヤホンを整え直し、「さて」と息を吐く。

 先日は掃除をしたばかりだし、今日は宿題もない。このまま帰ったところで、暇になってしまうだけだろう。

 だから、通ったことのない道を歩むことにした。

 そこに回り道があったから、考えなしに進むことにした。

 少し道に迷ったら、携帯でマップアプリを開けばいい。案内に従えば、すぐにでも馴染みの道に戻ることができるからだ。いい時代になったなあと黒沢は思う。

 

 ――歩いて数分後、少し大きな車道と、植林と、海を目の当たりにした。

 この土地とは数週間程度の付き合いがあるが、まだまだ未知のスポットは存在するらしい。

 車が目前を走り去って、続いて小さな地響きが足から伝わってくる。何事かと見渡してみれば、

 戦車が、車道の向こう側からゆっくり駆けてきた。

 その姿を、戦車を見て、黒沢は深く深く息をつく。

 

 まあ、いいか。

 

 自分以外に誰もいない歩道を歩み始め、潮の匂いを鼻で感じ取り、色とりどりの看板を伺う。隣に海が寄り添っているからか、どこか旅人のような気分に浸れていた。

 明るい音楽とともに、アスファルトを踏みしめていって、

 

『ボコミュージアム 500m先左折』

 

 この看板に対して、まず注目するは外見そのものだった。長らく放置されているのか、錆と色あせが随分なことになっている。

 次に見たものは、看板の内容だった。看板には「ボコミュージアム」という文字があって、ファンシーなクマが描かれてあって、500m先に左折すればボコミュージアムという施設と対面出来るのだという。

 対して黒沢は、「経営してるのかなあ」と疑う。看板のボロ具合からして、ついそんなことを考える。

 ――まあ、いいか。

 両肩をすくめる。やっていればそれでよし、やっていなくてもそれはそれで。そんな適当さを胸にしながら、黒沢は500m先まで両足を動かしていく。

 

 

 

 

 

 あった、安い入場料も払った。

 ボコミュージアムという名の大きな館に出迎えられ、物珍しさから「ほー」と声が漏れる。そうして頭の中の冷静な部分から、率直な疑問が湧いて出てきた。、

 ――大丈夫なのか? ここ

 看板がボロボロなら、施設はもっとやばい。壁は剥がれまくっているし、亀裂だって走り放題だ。看板らしいクマの飾りも、痛々しく欠けまくっている。

 修理しないのかな、と思う。予算がないのかな、と思う。

 最初は躊躇ったものだが、帰ったところで何もすることなどないし、ここまで来たのだから――

 

 

「よく来たな! オイラが相手になってやるぜ!」

 

 ミュージアムへ入った瞬間、マスコットキャラクターらしいクマから手厚い歓迎を受けた。

 どうやらロボットらしく、稼働音が僅かに聞こえてくる。それはそれとして、黒沢もカッコつけるように構えた。

 ――勝負か。いいぜ、やってやる

 不敵に笑う。

 腐ることも時折あるが、基本的にはだいたい「こう」である。明るい音楽は好きだし、笑うことも飛び跳ねることも大好きだし、祭りとあらば積極的に駆け込んだりもする。

 だから、勝負を仕掛けられたとあっては、乗る以外に考えられない。

 パンチか、キックか、それ以外か、さあ何が――

 

「うあ! やめろー!」

 

 へ。

 目も、口も、手も、間抜けに見開かれる。門番を務めているクマは、何をすることなくボコられ続け――遂には、仰向けにダウンしてしまった。

 ――そして、クマはふたたび立ち上がる。またしてもケンカを売られ、また負けた。

 何、これ。

 見渡してみても、あるのは汚れた壁と、床に放置されっぱなしのゴミだけ。客はおろか、従業員の姿すら見受けられない。あまりの寂れっぷりに、実は電気だけが走っているんじゃないのかと勘ぐってしまう。

 ――まあ、でも。

 黒沢の趣味は散歩だ。だから、未知へ歩む義務がある。

 すこし警戒心を抱きながらも、ボコミュージアムの奥へと進んでいく。途中でボコーテッドマンションとか、スペースボコンテンといったアトラクションとすれ違ったが、相変わらず人らしい人が見受けられない。途中でペンギンの着ぐるみを着た従業員と真っ向から出会ったが、

 

「おう、元気のよさそうな子供だな! よかったらボコショー、見に行ってくれよ!」

 

 そんなことを言われたので、何の抵抗もなく見に行くことにした。黒沢は、「ショー」という単語に惹かれるタイプの男だったから。

 

 

 「ボコショーはこっちだぜ」という看板に導かれるがまま、黒沢は薄暗い一室に足を踏み入れる。途端に、高揚感めいたものが腹の底から湧いてくるのを感じた。

 部屋には誰もいないらしく、長椅子はガラガラだ。半ば貸切状態だが、それでもボコショーは行うらしく、天井から『そろそろ、オイラの活躍が見られるぜ!』のアナウンスが流れ出した。

 黒沢は一番前の、真ん中に位置している長椅子へ腰掛ける。特等席めいていて実に良い気分だ。

 一体どんなものを見せてくれるのだろう。ヒーローショーか、ミュージカルか、ダンスか。

 なんでもよかった。 

 眼の前の幕と、薄暗さのおかげで、不思議な緊張感すら覚え始める。思わず、息まで大きく吐く。

 随分とここまで来てしまったが、まさかショーまで見られるとは思わなかった。やっぱり、よく歩けば色々なものが見つかるものだ。

 そうして、今か今かと開幕を待ち続けて、

 

 後ろから、足音が聞こえてきた。

 

 瞬間、腹の中で蠢いていた緊張感が大きく揺れた。

 部屋を覆う薄暗さのせいで、恐怖すらも掴み取ってしまった。

 足音は、着実に近づいてきている。「ここにいるのは俺一人」という特別感が、またたく間に不安の種として機能し始めた。

 客、客だよな。でも、ここに客が?

 足音の色が、着実に濃くなってきている。この席めがけて近づいてきているのを、感覚で把握する。

 ――ここは、ボコミュージアムなんだぞ。

 だから、変な奴なんてくるはずがない。もしそうだとしたら、受付の人が追い返してくれるはずだ。

 

 だから黒沢は、そっと、ぎちぎちと首を振り向かせた。

 

「あ」

「あ」

 

 女の子が、いた。

 

 目と目が合って、互いに硬直する。

 よく見てみれば、クラスメートの女子とそう変わらない身長をしている。同じくらいだろうか。

 だのに黒沢は、目の前の女の子のことが、まるで非現実の存在に見えた。

 目の前で固まっている女の子は、クラスメートの女子とは違う何かがある。安易に軽口を叩いてはいけないような、そう簡単に触れてなどいけないような、そんな繊細めいた雰囲気が、女の子から感じ取れたのだ。

 だから、決して口下手ではない黒沢も、沈黙するほかなかった。

 女の子もどうしていいのかわからないようで、黒沢の目をじっと見つめていた。

 ――どうしよう。そう、思った矢先に、

 

 ブザーめいた音が、一室全体に響き渡った。

 

 その瞬間、女の子は躊躇なく動き出す。

 自分と同じ特等席めがけ両足を動かし、自分とは少し離れた位置に腰掛ける。その姿勢は前のめりで、ボコショー素人である自分ですら「ああ、好きなんだな」と察せてしまう。

 そして間もなく、クマ――ボコの絵が書かれた幕が左右に開かれると同時に、ボコの軽快なテーマが流れ出す。中からはボコが、黒猫と白猫とネズミの三人組が互いに歩み寄っていて、そして、

 

「――おい! 誰だぶつかった奴は!」

「ああ?」

 

 始まって早々、ボコが早速とばかりに白猫、黒猫、ネズミの三人組にケンカを売る。確かにぶつかりはしたが、すごい肝っ玉だなと黒沢は思う。

 

「おいやんのか?」

「やっちまうかやっちまうか?」

「やっちまえ!」

 

 三人組もすっかりやる気満々らしく、腕を振り回す者がいたり、手と手を左右にぶっつける者もいる。数は明らかに不利だが、ボコは決して怯まない。むしろ、ファイティングポーズまでとっていたりする。

 ――なるほど、ヒーローショーなんだな。

 両腕を組みながら、うんうんと黒沢が頷き、

 

「ぐあっ! 何をするっ! やめろーッ!」

 

 攻撃する間もなく、ボコは三人組に集中攻撃を食らった。

 あっという間に地に伏せたボコは、引き続き攻撃を受け続けながらも「やめろ」とか「くっそ」とか「負けるか」と叫んでは、決して降参しようとはしない。だからか、三人組からの苛烈な攻撃は今もなお継続中だ。

 

「――み、みんな」

「お」

 

 ボコが、観客席めがけ腕を伸ばし始める。

 これはもしかして、ヒーローショーのお約束――

 

「オイラに力を、力を分けてくれー!」

 

 瞬間、黒沢は獰猛に笑ってみせた。あとは、勇気を出すだけ。

 カラオケもそうだが、「第一声」というものは思った以上に気恥ずかしい。叫べばおのずと慣れていくものなのだが、この、独特な緊張感は未だに慣れない。

 ましてや、黒沢はボコ素人だ。何と叫ぶのがベストなのか、見当もつかない。

 

「――ボコ! がんばれっ、ボコッ!」

 

 右耳から強く聞こえてくる、女の子の声。

 衝動的に振り向けば、女の子は立ち上がってまでボコを応援している。先程までの神秘性はどこかへ消え、今やすっかりボコショーのいち観客として戦っていた。

 黒沢は、女の子の必死な横顔を見ながら頷く。

 ――サンキュー、そう叫べばいいんだな。

 男黒沢は思った。女の子ひとりに戦わせるなんて、できやしねえと。

 だから黒沢は立ち上がり、口に両手を当てて、

 

「ボコッ! 頑張れ! ファイト! ファイトだッ!」

「あっ」

 

 強烈な視線を感じ取り、黒沢は女の子の方を見る。

 それで、十分だった。

 

「ボコ! がんばれボコー! がんばってー!」

「ボコッ! 立てッ! 立ってくれッ! スタンダーップッ!」

 

 もはや気恥ずかしさなどなく、遠慮抜きの応援が好き勝手に飛び交う。今の黒沢と女の子を止められる者は、誰もいない。

 黒沢は、最高に上機嫌だった。お祭りめいた一体感を覚えられているから、女の子の力になれたから。

 

「っしゃ―――ッ!!」

 

 そして、ボコは遂に立ち上がる。

 

「応援してくれてありがとよ! 力が湧いてきたぜぇ―――ッ!!」

「っしゃ――ッ!!! FOOOOッ!!」

 

 拳を振り上げ歓喜する。ここからが逆転タイムだ、さあ行け。

 

「うぉぉぉッ!!」

 

 ボコの渾身のパンチが、白猫の顔面めがけミサイルのように突っ込む。

 勝った、勝ったぞ――黒沢は、両手を拳にして、勝者の笑みを浮かばせていて、

 

「そんなヘナチョコパンチ、あたっかよ!」

 

 スカった。

 白猫に蹴られ、ボコが再びダウンした。

 

 黒沢が「へ?」と間抜け面を露わにする中、ボコは三人組から容赦のない攻撃を受け続ける。

 応援とは何だったのか、ボコショーとは一体何なのか、そもそも一撃も食らわせられていない現状に、黒沢は立ち尽くすほかない。

 ボコは文字通りボコボコにされて、三人組も疲れたのか「今日はこれぐらいにしといてやらぁ」とステージから立ち去っていく。ボコは何とかして立ち上がろうとするが、ダメージが大きいのか、片腕しか持ち上げられない惨状だ。

 

「ちくしょう……けど、次は必ず勝つぜーッ!」

 

 それでもボコは、懲りずに勝利を掴み取ろうとしていた。

 その姿に、男の俺は、なぜだか目が離せなかった。

 

 ――そうして幕が閉じる、部屋に電気が点く。否応なく現実世界に引き戻され、黒沢の体全体から力が抜けていって、長椅子にへたりと座りこむ。

 

 え、なに、これでおしまい?

 

 冷静になってみて、最初に出た感想がそれだった。ヒーローショーだったら、応援されて逆転勝利するはずなのに。だのにボコは、応援されようとも良いトコ無しでボコられてしまった。

 ――もしかして、ボコって名前は、ボコられるからボコなのか?

 自ら出した結論に、思わず、

 

「こ、これでいいの? ボコは」

「それがボコだから!」

 

 活発な声につられて、女の子めがけ振り向く。

 どうやら、自分が口にした言葉はビンゴだったらしい。女の子は実に嬉しそうな顔で、こぶしまで作ってみせて、前のめりでそう答えたのだから。

 

「ま、マジで? 勝てねえの?」

「うん! でもボコは、いつか勝つためにいつもボコられるの。それがボコなの!」

「へぇー……」

 

 どうやらボコは、不屈のクマであるらしい。たぶん、そういうことなのだろう。

 ――そして女の子は、「あ」の一声とともに、顔を真っ赤にする。ついにはうつむいてしまった。

 沈黙がしばらく続く。どうにかしたいという気持ちが湧いて出たものの、女の子と一対一なんてどうしていいかわからない。刻々と時間のみが過ぎていく。

 ――やがて女の子が勢い良く立ち上がって、気まずそうな足取りで、部屋から出ていってしまった。

 息が、深々と漏れる。

 誰もいない自分の隣を見つめる。ここには先程まで、どこか触れがたいような、けれども一緒になって応援した女の子が確かにいた。まるで、映画みたいだなと思う。

 長椅子に座ったまま、女の子のこと、ボコについて思い起こし――やがて、音もなく立ち上がる。

 また、ここに行こう。

 勝ち負けはともかくとして、ボコは凄い根性がある。あの精神力は、ぜひとも見習いたい。

 ――隣を見る。

 

 あの女の子と、また会えたらいいな。そうも、思う。

 

―――

 

 

 

「ただいまー」

「おかえりー」

 

 黒沢が自宅のアパートへ帰宅して数時間後、父と母が「ただいまー」の一言とともに帰ってきた。時刻はすっかり夜の八時ぐらいだが、これが黒沢家の日常である。

 

「今日も元気してた?」

「してたしてた」

「オッケ、じゃあ夕飯の準備をするわね」

「俺も俺も」

「じゃあ俺も」

 

 母が、苦笑とともに黒沢を見つめる。

 

「いつも悪いわね、夕飯の手伝いをしてもらって」

「いいって。食器を出すくらい、俺だってできる」

「将来はいい男になるな、お前」

 

 帰って早々、母が夕飯の準備をして、黒沢は食器の出し入れを行う。父も料理が出来るからと、母のアシストを行うことが多い。

 黒沢は、そんなふうに協力し合う父と母の背中を見ることが好きだった。

 

「――ところで、今日はどうだった? 楽しかったか?」

「んー、まあまあかな」

「そうか……友達と、ちゃんと遊べているかい?」

 

 複雑めいた声色とともに、父から質問が飛ぶ。

 それに対して、黒沢はなんでもないように笑う。

 

「遊べてるって、心配しなくていいから」

「そうか? ……いつも、すまないな」

「何言ってんだよ。父さんと母さんのおかげで、俺はこうして食っていけてるんだから」

「お前はまだ子供だ。そんなこと、言わなくてもいいんだぞ」

「えー?」

 

 黒沢が、テーブルの上に水入りのコップを置く。

 母が、カレーを煮込みながら「そうよ」と言い、

 

「もし、なにか辛いことがあったら、いつでも言ってもいいんだからね」

「辛いなんて」

「いいんだからな」

 

 台所で料理をしたまま、振り向かずに父と母がそんなことを言う。

 ――父も母も、わかっているのだ。親の事情というものに子供を振り回す、申し訳無さを。

 その罪滅ぼしなのか、母はたくさんの小遣いをくれる。父は、いつだって「行きたいところはあるか?」と誘ってくれる。――そんな両親だからこそ、転勤族という現実を受け入れられているのだ。

 だから黒沢は、今日も笑える。傷つきたくないから、必要以上に友達付き合いなどはしないけれど。

 だから、必然的に放課後は暇になる。早く帰宅したところで何もないから、町中を一人で散歩することも日常茶飯事になってしまった。

 ――そんなことを続けていたら、俺は、あの場所に着いた。

 それで、そこで、

 

「ねえ、父さん、母さん」

「なあに?」

「えーっと、ボコられグマのボコって知ってる?」

 

 父と母が顔を見合わせ、なんだっけ? と首をかしげ――母が、「ああ!」と顔を電球のように光らせた。

 

「懐かしいわねー。昔放送してたアニメでしょ?」

「あ、そうなんだ」

 

 母が、そうそうと二度頷いて、

 

「ボコっていうクマのキャラクターが、色々なキャラにケンカを売って、それで絶対負けちゃうのよね。いやー、いつか勝つんじゃないかなってハラハラしてたっけ」

「へー……」

 

 どうやら、女の子の言っていたことは正しかったようだ。改めてこうして説明されると、ボコミュージアムの存在が現実のものであると実感できる。

 

「ああでも、最終回はないのよね」

「なんで」

「クレームが入ったから」

「何それ」

「何度もボコられる番組なんて、教育に悪いぞーっていう」

「あー……」

 

 母が「まあ」と前置きして、

 

「たぶん、視聴率も悪かったんじゃないかしら。変化のないアニメだったし」

「あー、かもねー」

 

 思わず苦笑してしまう。あの内容がずっと続くのなら、子供向けとしてはキツいものがあるだろう。

 けれどボコは、ボコられようが負け続けようが、最後には「次は必ず勝つ」と言った。そのガッツのある一言に、黒沢は電撃めいた共感を覚えてしまったのだ。

 ――ボコは、自分よりも根性がある。諦めてしまった、俺なんかよりも。

 

「それにしても」

 

 母が、横目で黒沢のことを見つめる。

 

「よく知ってたわね、少し昔のアニメなのに」

「え? あ、ああ、この近くにボコミュージアムっていう施設があって」

「あら本当? 知らなかったわー」

「まあ、人はいなかったけど」

「あらー……まあ、昔のアニメですしね」

 

 母が苦笑する、父が「へー」と声を出す。

 そうしてしばらくして、父と母お手製のカレーが出来上がった。またたく間に、一室全体に香ばしい匂いが広がっていく。黒沢の腹の音が鳴る。

 

「うおー、やっぱり父さんと母さんのカレーは最高にうまそうだぜ」

「だろうだろう?」

「そうでしょう? では、いただきます」

「いただきます!」

「いただきます!」

 

 こうして、いつものように夕飯を口にする。そうして、いつものように雑談が飛び交うのだ。仕事の話以外で。

 学校のこと、最近聞いた音楽について、ボコの思い出に関して話を咲かせたりと、今日も黒沢家は仲睦まじくいられている。

 

 ただ、女の子の話は決してしなかった。なんだかこう、恥ずかしかったから。

 




大学選抜編、最終章です。
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