十三歳の天才少女は、普通の恋をした   作:まなぶおじさん

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十二歳の少年は、十三歳の天才少女の前で決意する

 種村たちと給食を共にしている最中、本当に脈絡なく、思いついたことを黒沢は口にしてみた。

 

「なあ種村、ボコって知ってる?」

 

 黒沢の質問に対して、種村と菊池、桜井が顔を見合わせる。菊池が「知らね」と答え、桜井が「何それ」と言い、種村が「んー」と唸る。

 

「ああ、あれな。確か地元にある……ああ、ボコミュージアムってとこのキャラクターだろ」

 

 なるだけ感情を控えめにしながら、黒沢が「知ってるのか」と聞く。

 種村は「おお」と答え、

 

「いくつぐらいだったかなー、俺が幼稚園の頃だったか。親につれられて、一回だけ行ったことなら」

「へー、どうだった」

 

 今日の給食はプリンだ、ソフトうどんのオマケつき。周囲からは「あのドラマ見たー?」と盛り上がる女子グループの雑談、「よーしジャンケンだ。プリンは俺がもらう」と盛り上がる男達、「もう少しで夏休みだなー、お前どっするー?」と話し合う他の面々。

 そんな喧騒の中に混ざりながら、種村は特に笑いもせず、

 

「何が面白いのか、よくわからんかった」

 

 

 

―――

 

 

「私の隊員達も、同じようなことを言ってた」

「そっかー、残念だなあ」

 

 ボコミュージアム内に設けられたベンチへ腰掛けながら、愛里寿が無表情の一言。

 ボコショーで叫びまくったからか、黒沢の喉はすっかり枯れ果てていたし、くたびれてもいた。ここへ来館するたびに、声のボリュームが上がっていっている気がする。

 それは愛里寿も同じらしく、オレンジ味のボコ缶を両手で支えながら、中身をぐびぐびと飲み干していっている。黒沢もボコ缶を買ったのだが、すっかりカラだ。

 

「ふう、おいしい」

「なー、うまいよなー」

「うん。ボコショーのあとのボコ缶は、最高だよね」

「ほんとほんと。ここ最近のボコショーも、熱くなっていってるし」

 

 愛里寿が、くすりと苦笑する。

 

「あなたの声援のお陰で、ボコが必殺技を繰り出すようになったから」

「なー、あれ嬉しいんだよなー。今日はムーンサルト決めてくれたしな、スカったけど」

「惜しかったよね。今日は勝てると思ってたんだけれど」

「えー? ほんとー?」

「ほんとうほんとう」

 

 思わず笑ってしまう。ボコの何たるかを知っている愛里寿が、何を言っているんだと。

 

「次は勝てるよね、きっと」

「勝てるんじゃないかな、きっと」

「……次は、いつここに来る?」

「俺はいつでも、島田さんは?」

「じゃあ、私も明日ここに」

「そっか」

「うん」

 

 そして、会話が途切れる。館内が、嘘みたいに静かになる。

 広々としたアミューズメント施設内には、自分と愛里寿、あとは数人のみの従業員を除いて誰もいない。従業員とすれ違えば「おう、また来てくれたんだな! ありがとな!」と派手に挨拶されるが、それまでだ。

 館内にはずっとボコのテーマが流されているが、かえってそれが静けさを演出してしまっているような気がする。人の声なんて、自分と愛里寿が何か会話しない限りは、ずっと途絶えたままだ。

 嫌でも、手入れのされていない風景が目につく。

 

「……こんなに面白い場所なのにな」

「ね、ほんとうにね。いい気晴らしになるのに」

「ほんとほんと。叫ぶのってスカっとするんだけどなぁ」

「うん。ここに来て叫ぶと、明日も戦車道をやるぞって気分になれるんだけれど」

 

 戦車道。

 それは島田愛里寿にとっての誇りであり、継がなければいけないものであり、父と母の生業でもあり、転勤の動機でもあって――

 

「あ、そうだ」

 

 物思いの沼へ片足を突っ込みそうになった瞬間、愛里寿がはっきりとした声を出した。

 

「な、なに?」

「えっと……その、あなたに見てもらいたいものが、あるの」

「え、何何?」

 

 愛里寿が携帯を取り出し、慣れた手付きで画面をタップし続ける。マナーの観点から、あまり画面は伺わないようにする。

 間もなく、愛里寿が「えっと」と控えめに呟く。そうして上目遣いになって、携帯をそっと前に出して、黒沢の体温が上がっていって、携帯がゆっくりとひっくり返されて、

 

 白い戦車から、身を乗り出している愛里寿の画像――いや、動画があった。

 

「こ、これは?」

「これ……今日撮った、練習試合の動画。分析の意味合いも兼ねて、いつもデータにしてるんだけれど……見てほしいの」

「ま、マジで?」

「うん」

 

 分析目的の動画ということは、気軽に了承してしまえば「あなたはこの動画を見て、どう思いましたか?」と聞かれてしまうのだろうか。

 確かに親は、戦車道の委員会を務めている。本当に時々だが、食卓で仕事の話をすることもあって――もちろん、理解はできていない。

 そんな無知なる自分に対して、愛里寿は意見を求めているのか。正直言ってまるで自信がないが、友達の願いとあれば断るわけにもいかない。

 胸を張る。

 覚悟を決める。

 

「俺で良かったら、俺なりのブンセキをしてみるよ」

 

 ブンセキの単語を耳にした愛里寿が、慌てたように「ちがうの」と首を横に振るう。

 

「えっと、難しく考えなくてもいいから。ただ、見て欲しいの」

「――え、いいの? それで」

「うん」

 

 なぜ、とは聞かなかった。

 友達だから。その言葉で、すべてが繋がる。

 だから黒沢は、うん、と頷いてみせて、

 

「わかった。じゃあ島田さんの活躍、じっくり拝見するよ」

「うんっ」

 

 少し頬を赤く染めながら、愛里寿が、再生ボタンをそっと押す。

 

 ――そして、愛里寿無双が始まった。

 

 まず思ったことは、「戦車って単騎で複数を相手取れるっけ?」だ。敵チームらしい桃色の戦車郡は、愛里寿の複雑怪奇な動作と、一撃必殺の砲撃により、またたく間に白旗を挙げていく。このままではマズイと相手も悟ったのか、待ち伏せを狙ったり、遠距離砲撃を仕掛けるのだが――対処法など知っているとばかりに、愛里寿は淡々と敵戦車を潰していくのだ。もちろんワンショットで。

 次に思ったことは、「隣にいる女の子って、こんなに強かったのかすげえ」だ。

 動画を視界に入れながらも、ちらりと愛里寿の横顔を見――視線を感じたらしく、瞳と瞳とが、至近距離でぱっちりと合った。「あ」「あ」

 なんだか恥ずかしくなって、逃げるように愛里寿無双の続きを拝見する。

 ――それにしても。

 自分の隣で、少し気恥ずかしそうに表情を赤らめている愛里寿と、画面の中にいる真顔の愛里寿とは、まるでイメージが合致しない。自分の知っている島田愛里寿といえば、少し照れ屋さんのボコ仲間だというのに。

 

 

『状況終了』

 

 でも、これ「も」島田愛里寿なのだ。

 戦車に乗れば、音もなく「島田流を背負う者」になる姿もまた、愛里寿なのだ。

 だから俺は、精一杯の素直な気持ちで、

 

「――かっけえ」

「え?」

「かっけえよ島田さん、すげえ……マジゴッド」

「ご、ゴッドなんて、そんな」

 

 男の子魂が炎上中の黒沢は、目をギンギラと輝かせながら、

 

「俺、戦車のことはぜんぜんわかんねーけど……スゲーことをやってるのはわかる。サイコーだぜ」

「あ、ありがとう」

 

 そうして、動画が終わる。けれども、血はちっとも冷めない。

 

「――はー……面白かった。いや、いいモン見させてもらった、ホント」

「そ、そう? いいものだった?」

 

 うんうんうん。黒沢は、本能のまま頷く。

 そして愛里寿は、控えめに、けれども確かに口元を緩ませながら、

 

「……よかったら、その、また見る?」

「え、マジで? 見る見る、超見る! 金払っても見る!」

「お、お金はいいの、お金は」

 

 愛里寿が、携帯をポケットにしまう。そうして、慎重そうに黒沢のことを見つめて、

 

「……見せてよかった。友達に、かっこいいって言われるのって、本当にその、うれしい」

 

 困ったような、けれど困っていないような。笑顔のような、けれども笑顔の一歩手前のような。そんな少女の表情を目にして、黒沢の心が痛みを発する。

 なんだこれ、と思った。

 いやだ、とは思わなかった。

 どこか心地良いような、どこか舞い上がるような、この染み渡る刺激は一体なんだろう。

 ――首を、左右に振るう。

 

「……俺でよかったら、いくらでも島田さんの活躍を見るよ。ブンセキはできねえけど」

 

 愛里寿は、首を小さく左右に振るう。

 

「いいの。あなたからの、素の言葉が聞きたい」

「……そっか、わかった。俺なんかでよければ、いつでも、」

 

 愛里寿が、音もなく首を横に振った。

 

「『なんか』、じゃないよ。友達、でしょ?」

「――そっか、だよな」

 

 改めてそう言われて、胸がすくような気分になった。

 うん、そうか。そういうことなら、これからも愛里寿の軌道を追い続けよう。

 それが、友達としての務めだ。

 

「わかった。じゃあこれからも、島田さんの最強伝説を見届けるぜ」

「うん。……でも、最強には程遠いけどね」

「またまたー」

「ほんとう。私には、西住流っていう超えなければいけない壁があるから」

 

 あ。

 へんな声が漏れた、頭の片隅から「にしずみりゅう」というキーワードが静かに芽生えてきた。

 確かそれは、食卓で何度か聞いたような――

 

「西住流って……もしかして、戦車道の流派のひとつ?」

「う、うん。知ってるの?」

「親が、何度か口にしてた。聞いただけだけど」

「……そっか。やっぱり、知名度は負けちゃってるか……」

 

 愛里寿が、首をがっくりとうつむかせてしまった。

 ――まずい、何か余計なことを言ってしまったか。

 けれどもしかし、言い訳のいの字も思いつかない。出てくる言葉はといえば「えと」だの「その」だの「うんと」だの。

 

「――あ、ごめんなさい、あなたは何も悪くないから」

「そ、そお?」

「うんうん」

 

 そう言われて、正直なところ、物凄くほっとした。

 自分のせいで愛里寿が傷ついたりするのは、物凄くイヤだったから。

 

「……あのね」

「うん」

「島田流と西住流は、昔からライバルのような関係を続けてきたの。実力はともかく、知名度は西住流の方が上なんだ」

「どして」

「分かりやすいから、かな。西住流は、『たくさんの大いなる力』をスローガンにしていて……対して島田流は、『一人で、変幻自在に勝つ』だから。派手さでいえば、西住流の方が上なの」

「えー、そうかなぁ? 一人でドンパチやる方が、よっぽどグレートだと思うけどなぁ」

 

 何気ない黒沢の意見に対して、愛里寿が嬉しそうに顔をほころばせた。

 

「私もそう思うんだけれど、世間は西住流寄りって感じ」

「っかー……」

 

 そして愛里寿は、深刻そうな真顔になって、

 

「それに最近は、西住流が全国大会で優勝したの」

「全国大会?」

「うん、高校戦車道全国大会。この前やってたんだけれど、西住流の継承者である西住みほが、強豪黒森峰に勝って、優勝してみせた」

「へえー……」

 

 黒森峰については、「入学するのが超難しい名門校」ぐらいには知っている。

 その名門に打ち勝ったという事実は、無条件に「すげえやべえ」と脳が勝手に認識した。

 

「だから、私はもっと頑張らないといけない。島田流を、日本一の戦車道流派にしたいから」

 

 そう言ってみせた愛里寿の顔は、まちがいなく、動画の中の愛里寿と同一のものだった。

 ――実感する。

 目の前に居る、たったひとつ上の女の子は、島田流という誇りを背負った戦車乗りだ。

 今日この日まで、戦車道を迷いなく歩み続けてきた、天才少女なのだ。

 リアルに考えれば、自分なんてまるで比べ物にならない。

 

 けれど、

 

「島田さん」

「うん」

「できる、なれるよ、日本一に。だって島田さんはやべえくらい強いんだから。友達の俺が保証する!」

 

 友達という関係に、壁だの何だのを考える必要はない。

 

「――黒、沢」

「ああ」

 

「……ありがとう、黒沢」

 

 

 

 

 ボコミュージアムから出てみれば、空は清々しいほど赤暗くなっていた。それほどまで、長い話をしていたらしい。

 まあ、それもそうかと思う。

 先程までは、本当に濃密な時間を過ごしきった。ムーンサルトボコショーに、愛里寿無双に、島田流の夢と、ほんとうに様々なものを見聞きしていった。

 久々に、心地良い疲れというものを感じ取っていると思う。少しばかり両肩が重たいが、これも、愛里寿と共に過ごしてきた証拠の一つだ。

 

「――っかし、ほんとうにいいものを見させてもらったぜー」

「また、撮ってくるから」

「あいよー」

 

 そうして、愛里寿がきゅっと手を握ってみせて、

 

「明日も頑張らなくちゃ」

 

 愛里寿はきっと、今日も明日も明後日も戦車道を歩み続けるのだろう。そして、自分と一緒にボコショーで叫び合ってくれるのだろう。

 大変だな、と思う。これは応援しなきゃな、と思う。友達として、愛里寿を見習わないとな、と思う。

 ――見習う、か。

 自分は何をしているのだろう。愛里寿という友達がこんなにもガッツを見せてくれているのに、自分は学校で何をやってしまっているのだろう。

 

 島田愛里寿との交流は、後の負担には繋がりにくい。愛里寿と出会う以上は、「ボコミュージアムへ行く」という選択を自分自身で決めているからだ。その時点で「覚悟」くらいはできている。

 交流時間も一時間か二時間程度と、実に程よい。

 

 しかし、学校の友達――種村たちは違う。

 学生である以上、学校へは必ず登校しなければならない。そうして教室へ顔を出せば、まずは友達から挨拶もされるし雑談だって持ちかけられる。ここでワザと愛想を悪くすれば、次第に人も離れていくのだろうが、生憎とそんな趣味はないし覚悟もない。

 そうして、その友達とは一日五時間以上も苦楽を共にしていく。それは授業や休み時間、給食に昼休み、時には学校行事と、とにかく色々だ。

 それらを一緒に経験していけば、クラスメートとの思い出はどうしても積み重なっていく。なるだけ淡々と暮らしていくつもりでも、時には笑ってしまったり、時にはケンカをしでかしたり、時には相談を持ちかけられたりして、否応なしに人間関係が色濃くなっていくのだ。

 ――だから、突如降ってくる転勤が怖い。積み重ねてきたそれらが、あっという間に白紙にされてしまうから。

 それが嫌で嫌で仕方がなかったから、黒沢は、友達とは教室でしか付き合わないという消極的な選択をし続けている。

 

 だが、こんなサイクルもそろそろ終わりを迎える。学園艦にさえ乗ってしまえば、むこう六年間は友情を育めるはずだから。

 それまでは我慢だ。友情めがけ深追いなどするな。強くいろ。

 

「――黒沢?」

 

 声をかけられて、体がびくりと震えてしまう。

 

「な、なに?」

「どうしたの? 何か、つらそうな顔をしてる」

「……そう?」

「うん。……その、何か悩みがあるなら、言って」

「いや、その、」

「言って」

「……いいよ、別に。大したことじゃないから」

「聞かせて」

 

 隣にいたはずの愛里寿が、俺の前に立った。

 

「私とボコは、あなたの味方だよ」

 

 愛里寿は、心静かに微笑んでいた。

 愛里寿が見せてくれた手乗りボコは、今も強大な何かと戦っていた。

 

 前の自分と違って、いまの自分には、島田愛里寿という友達が居る。 

 ボコのテーマが、苦境に屈しない詩が、ミュージアムから響いてくる。

 愛里寿は決して他人なんかじゃなくて、応援したい大切な人であって、自分(おれ)のことを見てもらいたい女の子だ。

 賢い部分の俺が言う。傷つきたいのか、お前は。

 本能が、訴えてくる。

 愛里寿を、喜ばせたくねえのか。

 ――俺は、当然、

 

「……なあ、島田さん」

「なに?」

「島田さんは、めっちゃ頑張ってるよな。西住流という壁を、越えようとしているんだよな」

「……うん、そうだね」

「だから俺も、島田さんを見習って、頑張らないといけないなって、そう思ったんだ。いや、この場合は……勇気を出す、かな?」

「どういう、こと?」

 

 隣にいる愛里寿のことを、じっと見つめる。

 

「この前さ、話したじゃない。俺は転勤族だから、友達と離れ離れになっちゃうって」

「うん」

「だから俺、友達と仲良くなることが……怖かったんだ。仲良くなればなるほど、別れ際になって、つらくなるから」

「――黒沢」

 

 愛里寿の目に、光が灯る。

 

「でも、島田さんと出会えて良かったって、心の底から思ってる」

「え」

「すごく、楽しかった。こんなの、久々だった」

「――あ」

 

 きっと、よく笑えていると思う。

 

「ありがとう、島田さん。俺と、友達になってくれて」

「黒沢」

「やっぱり俺、友達とたくさん遊びたい。怯えて暮らすなんて、もういやだ」

「……うん」

「だから俺、明日から……学校の友達と、目一杯遊ぶよ」

 

 愛里寿は、沈黙したまま――頷いてくれた。

 

「島田さん。一つ、答えて欲しいんだ」

「うん」

「――俺が学校で、元気よく暮らせていたら……どう、思ってくれる?」

 

 その問いに対して、

 島田愛里寿は、くしゃりと笑ってくれながら、

 

「――うれしい」

 

 もう、それで十分だった。

 

「ありがとう」

 

 うなずく。

 そして、拳を作る。

 すかさずボコミュージアムめがけ振り向き、己が逃げ道をぶっ壊すために、黒沢は深呼吸して、

 

「俺はやるぞ! たくさん遊んでたくさん笑ってやるッ! ボコ魂の名にかけてッ! ぜってー屈しね―――ッ!」

 

 叫んだ。ボコショーと同じくらい、心の底から吠えてみせた。

 

「がんばって黒沢! 勝てるよ! 黒沢なら勝てるよ! スタンダ――ップッ!!」

 

 自分の隣で、愛里寿も一緒になって叫んでくれた。ボコに対しての応援と、同じように。

 

「サンキュー島田さんッ! っしゃ―――! 明日からグレートな友情送ってやっぜ―――ッ!!!!」

「がんばれ黒沢! がんばれ――――ッ!!!」

 

 そして愛里寿は、ファイティングポーズをとった手乗りボコを、天高く掲げてくれた。

 

 ――その後は、なんだかもう感情がめちゃくちゃになってしまって、愛里寿と握手をしたあとで、家路についていった。

 

 

 

 

 きりつ、れい! さようならー!

 

 帰りの会が終わると同時に、種村が無遠慮に背筋を伸ばす。このあとは、素直に家へ帰って宿題――ではなく、友達とグラウンドでサッカーをするに決まっている。

 どうやら周囲も同じ考えだったらしく、数人の男女がこぞって種村の元へ集っていく。四の五の言わず、菊池が「やるか?」と親指を立てる。

 もちろん、やるに決まっていた。

 獰猛な笑みを浮かばせながら、種村は椅子からゆっくりと立ち上がり、

 

「なあ」

 

 後ろから声をかけられ、種村は「んー?」と振り向く。

 そして、小さく声が出た。

 黒沢だった。

 

「おお、どうした。なにか用か?」

「ああ、あのさ」

「おう」

「――俺も、サッカーに入れてくれねえかな?」

 

 その言葉を耳にした種村が、桜井が、菊池が、松本が、その他の面々が、慌てたように顔を見合わせる。

 そんな空気を察してか、黒沢が苦笑いをこぼし、

 

「今までの誘いを断ってきて、今更かもしれないけど……よかったら、俺も仲間に入れて欲しい。一緒に遊びたい」

「――えっと、家の手伝いとかは?」

「ああ、あとでメールを入れておくよ。今日は遅くなるって」

「……そうか」

 

 つまりは、そういうことだった。

 なら、言うべき言葉なんてたった一つしかない。

 

「っかそっか、お前にも時間が出来たんだな。もちろんいいぜ、やろうやろう」

「いいのかい?」

「もち。俺ら、友達だろ?」

 

 自分の言葉は、とても正しかったらしい。

 黒沢が、すごくいい顔を見せてくれたから。

 

 

―――

 

 

 今日も島田流の家元は忙しい。世界リーグへ向けての手続きなんて一向に終わらないし、海外の戦車道事情も逐一把握しなければならない。大学選抜チーム責任者としての仕事も全うしなければいけないから、休める時なんて娘と夕飯をとっている時くらいなものだ。

 娘――愛里寿といえば、ここ最近は頻繁にボコミュージアムへ遊びに行くようになった。

 この前までは、週に二回程度のペースでボコミュージアムへ遊びに行っていたはずなのに。だのにここ最近は、週に四回だ。

 もしかしたら、ボコミュージアムで何かがあったのかもしれない。

 その「何か」が気になるところだが、それを聞くのは親として野暮というものだ。愛里寿はやるべきことをやった後で、ボコミュージアムで心をケアしていっているのだから――家元としては、何の問題もなかった。

 

「ただいまー」

「あら」

 

 デスクからゆっくり立ち上がり、家の広間まで足を進めていく。

 今日は帰りが早い、ボコミュージアムへは行かなかったようだ。それはそれでと、愛里寿を出迎える。

 

「おかえりなさい、愛里寿――あら?」

「なに?」

「いえ」

 

 島田千代は、心の底から微笑んでみせる。

 

「何か、あったの?」

「ううん、なにも」

「あら、そう?」

「うん。じゃあ私は、部屋にいるから……夕飯になったら、呼んで」

「わかったわ」

 

 そうして愛里寿は、真顔のままで自室に向かっていってしまった。

 その小さな背中を見届けながらで、千代は思う。

 

 なにか、いいことがあったのかしら。

 

 

―――

 

 

 送信者:黒沢

 今日は、学校のみんなとサッカーで遊ぶよ。だから、今日はボコミュージアムへは行けない。ごめんね。

 でも明日からは、島田さんの予定に合わせるから。島田さんとボコショーを見るのは、すげえ楽しい(・(ェ)・)

 昨日は、本当にありがとう。

 

 

 送信者:愛里寿

 よかったね、黒沢。私のことは気にしないで、たくさん遊んでね!

 これからも、エクセレントな日々を送っていってね。約束だよ。

 あと、予定なんだけれども、明日でもいいかな? またあなたと、ボコショーが見たい(・(ェ)・)

 




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