十三歳の天才少女は、普通の恋をした   作:まなぶおじさん

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十二歳の少年と十三歳の天才少女に、嵐がやってくる

 ここ最近、うちの娘が変わり始めている。

 

 ただでさえ凄い愛里寿だが、この夏、いよいよもって戦車道を爆進中である。数字的なデータも伸びているし、大学選抜のメンバーからも「ここ最近の隊長はすごいんです」と嬉しそうに報告された。しかも、同時に相手取れる戦車の数が一両増加したらしい。

 この調子なら、いつかは自分をも超えてしまうだろう。

 それは良いのだが、愛里寿の母としてはどうしても気になってしまう点がある。

 

 何をきっかけにして、愛里寿はああも変われたのか。

 

 夕飯であるいくら丼を作りながらで、これまでの愛里寿を思い返す。

 ――ここ最近の愛里寿は、とても上機嫌でいることが多い。

 この前の戦果報告だって、ほんとうに嬉しそうな無表情を露わにしていた。ボコミュージアムから帰ってきた時なんて、だいたいは体が躍っている。ミュージアムへ行く回数だって、週二回から週四回まで増加したものだ。

 ここから推測するに、やはりボコミュージアムで何かがあったのだろう。

 ただ、それを詮索する気にはなれない。それは娘のプライベートであり、十三歳の繊細な思い出であるはずだから。親だからこそ、決して触れてはならない領域だ。

 知りたいな、と思う。

 まあいいや、とも思う。

 島田流を体現し続けているのであれば、家元としては一向に構わない。愛里寿が生き生きとしているのであれば、母としてはこのままであり続けて欲しい。

 

 さて。

 

 いくら丼を盛り付け終え、トレイの上に乗せる。味噌汁と漬物つきの、和風フルコースだ。

 そうして千代は、姿勢を若干前のめりにして口を開ける。

 

「愛里寿ー、ごはんよー、降りてきなさーい」

 

 無反応。

 

「愛里寿ー? ごはん、ごはんよー? いくら丼よー?」

 

 沈黙。

 瞬間的に、千代の中が不穏一色になる。

 おかしい、愛里寿はいくら丼が好きなはずなのに。もしかして、好みが変わったのか。それとも、愛里寿の身に何かが――

 首を右に左に振るう、両頬を軽くはたく。

 エプロン姿のままで、千代は家の中を駆ける。転倒しそうな勢いで階段を登る。愛里寿の部屋が、どこか遠く遠く見える。あと三歩二歩、「愛里寿の部屋」と書かれたボコ状のドアプレートが目に入って、

 

「愛里寿? 一緒に夕飯を食べましょう?」

 

 体温が上がりっぱなしのまま、千代はあくまで淡々とノックをする。けれどドア越しからは、何の反応も返っては来ない。

 まさか、愛里寿の身に――

 心の中で「ごめんなさい」と言うと同時に、千代は勢いよくドアを開けて、

 

 ヘドバン愛里寿がいた。

 

 千代は、本能的に真っ先にそう把握した。

 次に、「あ、ベッドの上で座ってる」と視覚的に判断した。そして、「ヘッドホンつけてるから、聞こえてなかっただけか」と冷静に結論づけた。最後に、「娘が音楽を熱心に聴いてる」と母親的にびっくりした。

 そして、娘と目が合った。

 愛里寿が、極めて焦った様子でヘッドホンを取り外す。

 

「お母さん、ノックぐらいして」

「した、けど」

「あ……ごめんなさい、聞こえていませんでした」

「いえ、いいのよ。……それより、」

 

 ひと呼吸。

 

「音楽に、興味を持ち始めたのかしら?」

「はい」

 

 この前CDを買ってたよね、とは言わない。

 

「どう?」

「グッド……じゃなくて。いいです、とても」

 

 グッド?

 

「あら、よかったわね……それで、何を聴いていたの? お母さん、知りたいな」

 

 間、

 

「流行りの曲です」

「あ、あら、そう」

 

 愛里寿は、真顔で答えた。

 

「うん、うん、そうね。音楽を聴くのはいいことよ、うんうん」

「はい、私もそう思います」

「ね。……そうそう、夕飯ができているから、音楽は後で、ね?」

「はい。ありがとうございます、お母さん」

 

 そうして愛里寿が、携帯からヘッドホンの端子を引き抜き、そのままポケットにしまいこむ。あとはそのまま、愛里寿は千代とともに一階のリビングまで移動し、いただきますの一礼とともに夕飯を口にしていった。

 

「今日は、練習試合があったのよね?」

「はい。今回は――」

 

 今日も無事平穏に、一日が終わろうとしている。

 いくら丼を食べ合いながらで、愛里寿がよかったところ悪かったところを報告し、千代は満足げにうんうんと頷いていく。いよいよもって進歩の止まらない愛里寿の武勇伝を聞いて、千代の機嫌も食も進んでいった。

 

 ――けれど、

 

 聴いている曲について質問した時、どうして愛里寿はあんなにも焦っていたのだろう。あんな愛里寿を見るのは、今年で初めてな気がする。

 少し考えてみて、否応なくフラッシュバックする――彼氏の影響で、お酒を飲み始めたんです。

 

 自分の目の前で、喜色満面な真顔を浮かばせている愛里寿を見つめる。

 まさか、まさか、ひょっとして?

 

 

―――

 

 

 午後18時。

 帰宅して早々、死んだような声でただいまーと呟き、死んだような足取りでアパート内を這いずり回り、半ば本能的に自室まで向かっていって、黒沢は我先にとベッドへ横たわった。

 ――つかれた。

 部屋に設けられた蛍光灯を見つめながら、ほんとうにそう思う。

 

 

 今日は種村達と一緒に遊ぶことになったのだが、計画などは特になく、とにかく思いつく限りの娯楽に手を伸ばそうぜということになった。

 最初にやったのは、映画鑑賞だ。いまは海外のヒーロー映画が放映されているから、じゃあそれでと赴き――「今は応援上映ですよ」と受付から言われたものだから、黒沢は、当初は控え目に応援した。種村達は、体を使ってまで感情表現をしてみせた。

 

 映画もそろそろ終盤に差し掛かった頃、ヒーロー達は、強敵ヴィランに対して必死に抗っていた。それでもヴィランはあざ笑い、車すら吹っ飛ばせる戦車級パンチでヒーロー達を苦しめ、ダメ押しとばかりに戦車を一撃で破壊するビームを乱射、五人いたはずのヒーロー達も一人きりになってしまった。

 ヴィランが諦めろと言う、ヒーローは「お前がな」と苦笑し、立ち上がる。

 絶対に屈しないその姿を見て、フラッシュバック。気恥ずかしさなど一瞬のうちに消え失せて、

 

 ――がんばれ――ッ! 負けるなッ! 頑張れ――ッ! リベンジしてくれッ! 立ってくれッ! スタンダ――プッ!

 

 ヴィランをぶっ飛ばし、映画が沈黙する中で、松本から「あんたの応援、アツかったよ」と言われた。対して黒沢は「そうか?」と淡々と答える。表面上は。

 ――本音なんて言えるはずがない。ここまで応援スキルが上がったのは、ボコと、そして――

 

 一発目から喉を枯らし、叫びすぎたせいで体も少し痛かったが、空はまだ明るい。ということで、次に何をしようかと思案していたところ、種村が山を見つめ、

 

「山か……」

 

 そういうことになった。

 黒沢と種村達は、休む暇もなく山を登ることにした。

 近所に佇むこの山は、「近隣山」という。登校中によく見かけるロケーションであったのだが、少しながら「どうなってんのかな」と思ってはいたのだ。

 いざこうして足を踏み入れてみると、何だか未知への冒険めいた感覚を覚えた。ひとたび森の中へ入ってしまえば、密林のジャングルと何ら変わりはない。

 幸いにしてコースは整っていたから、道に迷うことはなかった。途中で山頂を知らせる立て看板を見つけて、種村が「山頂を目指そうぜ」と意気込んで――その結果、我ら登山隊はヒーコラ言いながら山を登っていった。

 途中で虫に襲われたり、体に悪そうな色をしたキノコを発見したり、菊池が「食ってみる?」と言い放ったり、種村が「食ってみるか?」と手を伸ばしたり、黒沢が「ストップ!」と阻止したりと、体力的にも精神的にも消耗が激しかった。でもあのキノコのことは、正直けっこう気になってはいる。

 そうして激戦をくぐり抜け、ついに登山隊は山頂へたどり着いた。穏やかなコースではあったものの、思い出作りとしては十分といえよう。

 小さい町並みを見下ろしながら、誰もが一斉に「やっほーッ!」と叫ぶ。声は、返っては来なかった。

 

 そうして無事に下山を果たしてみれば、まだ空は明るかった。

 山登りをした直後ということで、黒沢と種村たちの達成感が、テンションは未だ高い。最後にどこか寄るかーと桜井が言い、黒沢が何も考えずにそうすっかーと応答して、種村が建物に指さして「あそこで祝おうぜ」と提案して、そういうことになった。

 ジャンクフード店だったが、この手の店で飲み食いすることは滅多にない。松本も「来るのはじめてー」とコメントしていた。

 それぞれの注文をし終え、トレイを受け取り、総勢五人のグループが一つの席についていく。うまそうな匂いが漂う中で、誰もが疲れ果てたような目を漂わせていたし、体だって危なげに左右に揺れている。応援上映に山登りまでしたのだから、そうなるのも仕方がない。

 

「……つかれたな」

「ああ」

「でも、まあ、すげえ楽しかったよな」

 

 種村の一言で、ほかの全員がにやりと笑う。

 

「な。今日はスゲー遊んだ気がする」

「私もー」

「俺も」

 

 そして、黒沢がバニラ味のシェイクを少し飲み、

 

「まだ、夏休みは続くんだよな」

「だろうな、始まったばっかだぜ」

「っかそっか、これは序の口ってことか、嬉しいぜ」

 

 松本が、「ねー」と笑い、

 

「どうしよっか。山は制覇したし、プールへは行ったし、次は海にでも行ってみる? 日帰りで」

「海か、いいなー。菊池、お前はどーよ」

「いいぜ、行こう」

「いつにする?」

 

 そこで種村が、若干曇った顔つきになる。

 

「……少し宿題を終わらせてから」

「あー」

 

 菊池と松本が、露骨につまらなさそうな顔をする。

 

「そーだったよそれがあったよもう。終わらせねーとかーちゃんにドヤされる」

「んもー、宿題ってなんだよもう。自由研究もしなきゃいけないし、やーだー」

 

 菊池と松本が嘆く中で、黒沢は平然とした素振りでハンバーガーを噛んでいく。ハンバーグ特有の弾力が、ソースが、舌に甘く染み込んでいった。

 

「黒沢クン、余裕そうだねえ?」

「毎日、少しずつやってるしな」

「まじでー? エラくない黒沢」

「フツーだよフツー」

 

 そして松本が、「よし!!」と手を打つ。嫌な予感を察した黒沢が、イヤそうな顔を見せつける。

 

「明日、黒沢ん家で宿題をしよう!」

「やだよ」

 

 明日は、練習試合を見に行かなきゃいけないというのに。

 松本は、実に不満そうに口元を曲げる。

 

「なんでー? 友達を見捨てるというの!?」

「自分でやれ、メドイ」

 

 あしらった次の瞬間、松本の両目が器用に輝き出す。

 

「松本、」

「助けて……?」

 

 至近距離から、誠心誠意が込められた少女の眼差しを真正面から受ける。

 対して男黒沢は、すこしの沈黙を以て、心穏やかに微笑んでみせて、松本の肩に手を載せて、

 

「がんばれ」

「なんで――!?」

 

 効くものか。

 相手が松本で良かったと、本気で思う。

 これがもし、あの子だったら――

 

「オメー強ぇーな」

「ブレねーな」

「メンドイだけだよ。ほら、宿題くらい自分でやれ」

「へーい」

「はーい」

 

 松本が唇を尖らせ、ふてくされ顔でフライドポテトを少しずつ噛んでいく。他の面々も「やだなー」とか「めんでー」とか言うが、黒沢は「やっときゃ、後は遊び放題だからな」とフォロー。松本は、やる気なく「へいへーい」。

 食べ終えた後は、またなーとお別れをした。

 

 

 ――そうして、現在に至る。

 こんなの、クタクタになるに決まっていた。楽しいに決まっていた。

 親は、まだ帰ってきてはいない。夕飯になるまで少し眠っちまおうか。黒沢は、ベッドの上で大の字になりながら、そっと目をつむっていって、

 

 トランスミュージックが、部屋中に鳴り響いた。

 

 どうやら、誰かが電話をかけてきたらしい。こんな時に一体誰だよと、待受画面を見てみて、

 考える前に、黒沢の指が受信ボタンをプッシュしていた。

 

「もしもし?」

『あ、こんばんは、黒沢。いま、だいじょうぶ?』

「おお、ぜんぜんヘーキヘーキ。どしたの?」

 

 ベッドの上からのろのろと起き上がり、あぐらをかき始める。

 島田愛里寿から電話がかかってきたおかげで、もやもやめいた眠気なんぞはすっかり吹き飛んでいた。

 

『うん。黒沢は……日曜日に、何か予定はある?』

「ない」

『あっ。じゃあ、よかったらボコミュージアムへ行かない?』

 

 愛里寿からの明るい声。黒沢は当然、

 

「もち、行こうぜ行こうぜ。何時から行く?」

『十時』

「十時? スピーディだね」

『……もう少し遅めがいい?』

 

 黒沢は、首を左右に振るう。

 

「んなことない。島田さんと早く会えるんなら、いつでもいいぜ」

『……そっか……』

 

 携帯越しから、心の底からの安堵が聞こえてくる。それを耳にして、黒沢の口元も緩くなる。

 

「じゃあ日曜、十時ね。ボコミュージアム前で待ち合わせってことで」

『あ、待って。待ち合わせ場所についてなんだけれど』

「うん」

 

 ここで初めて、愛里寿と黒沢の合間に間が生じる。

 黒沢が、これまで以上に携帯を耳に押し当てる。一句たりとも聞き逃さないようにと、意識を集中させる。

 

『その』

「うん」

『よかったら、中央公園で待ち合わせをしない?』

「え、別に良いけど……何で?」

 

 珍しいな、と思う。

 いつもはボコミュージアム入口前で待ち合わせをするというのに、どうして愛里寿は遠回りの選択をしたのだろう。自分はともかく、愛里寿に手間がかからないのだろうか。

 

『……その』

「あ、言いたくなかったら別にいいんだぜ?」

『ううん。その、あのね』

 

 電話越しから伝わってくる、愛里寿の緊張。

 愛里寿と知り合って二十日ほどが経過したが、声色で愛里寿の調子が何となくわかるようになった。少しくぐもったような、躊躇が生じた言動が愛里寿から発せられた時は――待つのが一番正しい。急かしてはいけない。

 

『その、』

「うんうん」

 

 そして、愛里寿は、

 

『黒沢と、たくさんお話がしたくて』

 

 すごいことを、言われた。

 そして、心臓が痛くなる。愛里寿のただの一言で、驚きとか、嬉しさとか、鼓舞とかが芽生えてきた。そこに、不愉快さなどは一切生じていない。

 

「そ、そうなんだ」

『う、うん』

「……だな。俺も島田さんの話、たくさん聞きたい」

『あ――うんっ。練習のこととか、音楽とか、話したい事がたくさんあるの』

「そっかそか、それは聞きたいな。――えーと、俺からの話題は……あ、ちょうどよかった。今日さ、色々遊んできてさ」

『どんな?』

「ああ。映画館に行ったり、山へ登ったり、ジャンクフード店で食べたり、宿題を見てくれとせがまれたりした」

『たのしそう』

 

 黒沢が、けっけと笑う。

 

「おかげでクタクタだよ。今日はメシ食って、風呂入って、ちょっと宿題したら寝ちまうんじゃないかな」

『偉いね、黒沢は』

「普通だよ普通」

 

 とは口で言うものの、内心はおっしゃあと喜んでいたりする。これが松本相手なら、「だろー」と返していただろう。

 ――やっぱり島田愛里寿に対しては、他の女子とは「違う」対応をしてしまう。自分が喜ばせたいとか、自分が励ましたいとか、自分が笑わせたいとか、俺が守りたいとか、そんなことばかり。

 もちろん、他の友人に対してもそういう感情はある。ただ愛里寿になると、それが色濃くなるというか、常にそう意識してしまうとか、そんな感じなのだ。

 これを、息苦しいと思ったことはない。むしろ、ずっと続いて欲しいとすら想う。

 なぜだろう。愛里寿とは友達で、ボコ仲間で、前に正してくれた人だからだろうか。

 わからなかった。

 

『……そっか、映画館に山か……いいな』

「じゃあ、今度一緒に行ってみる? 山は……疲れるけど」

『ほんとう!?』

 

 朗らかな声を耳元で聞いて、まずは体が傾いた。そして、思わず笑ってしまった。

 

「いいよ。でも山はマジで疲れるから、止めたほうがいいかも」

『いい、絶対に楽しい』

「そうかなあ?」

『うん。黒沢と一緒に登るんだから、楽しい』

「……え、ええー? そお? なんで?」

 

 愛里寿の言葉に照れが生じて、苦し紛れに理由を聞いてしまう。

 ――そして愛里寿は、『えっと』と言葉を詰まらせた。待つ。

 

『その……なんでだろう。ただ、黒沢と一緒にいると、楽しくなるっていうか、そんな感じになるの』

「へー……俺とおんなじだね」

『そうなの?』

「うん。俺も、島田さんと一緒にいるとさ……こう、気合が入るんだ。なんでだろうね?」

『……なんでだろうね』

 

 黒沢と愛里寿が、小さく含み笑いをこぼしあう。

 

「まあ、」

 

 窓から、虫の音が聞こえてくる。

 

「島田さんの気晴らしになれているのなら、俺は嬉しいよ。島田さんには、大きすぎる恩もあるしさ」

『ううん。私の方こそ、黒沢にたくさんの力をもらってる』

「え、どんな?」

『戦車道。時間があったら、いつでも見に来てくれるでしょ?』

「ああ、そだね」

『……私にとってはね、それが力になってるんだよ。だから、調子が良いんだ』

 

 どこか遠くで、バイクの走る音が響く。

 

「……そっか。もしそうなら、俺はこれからも応援し続けなきゃな」

『やったっ。あ、でも、無理しちゃだめだよ?』

「んなわきゃない。試合は見てて楽しいし、島田さんの活躍を見るのはもっと楽しいから」

『――さ、さんきゅー』

 

 窓から、弾けたような音が鳴った。見てみると、コガネムシが張り付いている。

 

『あ、あのね。これまでは五両ほど相手にできたんだけれど』

「おお」

『六両、相手にできるようになりました』

「――マジで!?」

『うん』

「すっげえ! あ、普通はどんくらいが限界だっけ?」

『三両』

「アメイジング……」

 

 ドア越しから、ただいまーの声が聞こえてきた。

 

「これは日本一の戦車乗り決定っしょ」

『まだまだだと思う。世界には、優れた戦車乗りがたくさんいるから』

「偉いなあ島田さんは。俺だったら、ぜったいに調子に乗っちゃう」

『黒沢は、もっとはしゃいでもいいんだよ。ずっと、我慢し続けてきたんだから』

「……サンキュ」

 

 携帯に熱が籠もってきた。

 何となく画面を見てみれば、もう三十分ほどの時間が経過していた。

 

「あ、島田さん。けっこう時間が経つよ。電話代もあるし、そろそろ切ったほうが」

『あ……ほんとうだ。その、ごめんなさい、長く付き合わせてしまって』

「いいっていいって。楽しい時間はあっという間っていうだろ? それとおんなじさ」

『――うん。そうだね』

 

 電話の向こう側に居る愛里寿は、どうやら笑ってくれたらしい。

 よかったよかったと、心の底から思う。

 

「じゃあ、日曜で」

『うん』

 

 それじゃあね。そう言おうとして、

 

「またね」

『うん。またね』

 

 電話を、切った。

 

 

―――

 

 

 愛里寿が、一階へ降りてきた。

 千代はコンロの火を消して、熱く香ばしいカレールーを白米の上にかけていく。水だって忘れない。

 

「おいしそう」

「味見したけど、バッチリよ」

 

 千代が、親指を立てる。愛里寿は、無表情でこくりと頷いてくれた。

 

「最近の愛里寿はよく頑張ってくれているから……奮発したのよー」

「ありがとう、お母様」

「ふふ」

 

 そうして、愛里寿がテーブルにつく。千代もテーブルの上にカレーライスとコップを置いて、夕飯の準備を完了させた。

 ――そうして、両手を合わせあって、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 そうして、家族団らんの時間が始まった。

 まずは愛里寿がカレーライスをスプーンで掬い、そのまま口の中に入れて、ゆっくりゆっくりと噛んでいって、

 

「おいしい」

「でしょう?」

 

 うんうんと頷きながら、愛里寿は次々と母お手製カレーを食べていく。いつもより量は多めだが、これぐらいなら完食出来ることも千代は知っている。

 

「お代わりもありますからね」

「うん」

「……データを見せてもらったけれど、ほんとうに大活躍してるわね。とても、誇らしく思うわ」

「ありがとう」

「ええ。そんな愛里寿には、母として何かしてあげたいなって思ってるの」

「ううん、大丈夫」

「そう? お休みとか、お小遣いは?」

「大丈夫」

 

 愛里寿は、耳元に手を当てて、

 

「私にはボコと、音楽があるから。それで十分」

 

 千代の、スプーンの手が少しだけ止まった。

 だっていまの愛里寿は、口元が少し緩んでいたから。

 

「――そう」

 

 だから千代も、心から微笑むのだ。

 ありがとう。娘に音楽を教えてくれた、誰かさん。

 

「愛里寿」

「はい」

「これからも誇らしく、楽しく道を歩んでいってね」

「――うん」

 

 強く、妥協せず、道を歩んでいく。それは、島田流としては正しいことだ。

 強く、妥協せず、心を弾ませながら道を歩んでいく。それは、母として何よりも嬉しいこと。

 ――言うべきことを言い終え、食卓が静かになる。音が欲しくなったので、リモコンを操作してテレビを点けた。

 

『――日本ドラッグレース協会、これからも活躍して欲しいですね。それでは、次のニュースです』

 

 愛里寿が、水を飲む。

 

『本日、文部省から正式に、大洗学園艦の廃艦決定が下されました』

 

 食卓に、爆発的な硬直が訪れる。

 

『文部省によりますと、少子化による影響と、学園艦の維持費と、実績を鑑みて……十分に思索した結果、大洗学園艦の廃艦を決定したとのことです』

「――お母様」

「ええ」

 

 視線はテレビのまま。しかし、愛里寿の言いたいことは理解している。

 

『実績についてですが、大洗学園艦は今年の高校戦車道全国大会で優勝を果たしており、それに伴って廃艦を免除された経歴がありました』

 

 ニュースキャスターの言う通りだ。大洗学園艦という世界は、戦車道という力を以てして守り通された。

 ――大会のVTRが映し出される。

 

『これまで不参加続きだった大洗学園艦ですが、廃艦を免除する為に、今年の高校戦車道全国大会に参加。そして見事、優勝を果たし、廃艦計画を撤回させました。

……専門家によりますと、当時は無名だった大洗学園艦が優勝できたのは、日本戦車道最大流派の一つ、西住流の後継者である西住みほ選手の指導力があってのもの、と指摘しています』

 

 これは日本戦車道界隈では極めて有名な話で、大番狂わせとか、西住流恐るべしとか、戦車道は奥深いとか、とにもかくにも驚愕と歓喜の声が飛び交ったものだ。戦車道ニュースWEBも、このことは大々的に報道された。

 

『こうした実績があるにも関わらず、文部省は、廃艦は確定事項だと発表しています』

 

 不義理な話だ。

 戦車道で掴んだ結果を、オトナの事情で撤廃するというのか。無駄だとは思うが、自分も抗議してみることにする。戦車道流派の家元として、こんな茶番は見過ごしてはおけない。

 

「お母様」

「あ」

 

 娘が、怯えた顔をしている。

 ――両頬を、軽くはたく。

 

「ごめんなさい、いやな顔をしてしまって」

「ううん。私も、不愉快に思ってた」

「そう、そうよね」

 

 チャンネルを変える。何かいい番組は無いか、何か――

 

『オイラはボコ! 今日はぜったいに勝つぞ!』

 

 瞬間、愛里寿めがけ視線をスライドさせた。愛里寿が、真顔で前のめりになっていた。

 

「さ、食べましょう、愛里寿」

「うん」

 

 ――さて、どんな文面をぶつけてやろうか。

 

 

 

―――

 

 

 

 日曜日、午前九時。

 朝飯を食べ終え、丹念に歯磨きをして、服がぴっちりしているかどうかを確認し、「よし」と黒沢は声に出す。

 そろそろ出かけようかと、食器を洗っている母の背に顔を向けて、

 

「母さん。今日も遊びに行くよ」

「あら、そう? いいわよ、車に気をつけて……お小遣いは足りてる?」

「よゆーよゆー」

「ふふ、そう」

「じゃ、そういうことで」

 

 手で挨拶して、玄関の前に向かう。そのまま外靴を履いて、靴紐を整えているところ、

 

「ねえ」

「うん?」

「今日は、何だかとっても嬉しそうね」

「え……そ、そお?」

 

 どきりとする。全てを見透かされているような気がして、目ん玉が丸くなる。

 

「最近は、あなたはよく笑うようになったけれど……今日は特に、そんな気がするわ」

「いつも通りだよ」

「そお? わかったわ。じゃあ、いってらっしゃい」

「いってきます」

 

 そして黒沢は、いつも以上の勢いでアパートから出ていってしまった。これ以上話しかけられると、色々とバレてしまうような気がしたから。

 母には、島田愛里寿とのやりとりを話したことはない。よく分からないのだけれど、口にするのがとても恥ずかしいからだ。友人の話は頻繁にするくせに。

 なんなんだろう、この気持ち。

 両肩で、ため息をつく。

 今日も活きが良い日光を、その身に浴びる。

 ――まあ、いいか。

 イヤホンをつける、夏にぴったりの音楽を流す。そして、待ち合わせ場所まで歩いていく。

 

 

 

 

 

 

 日曜日の朝九時。

 朝食を食べ終え、食器を片付けながら、「文部省からの返答はまだかしら」と面倒そうに思考する。日曜だろうと、考えることは多いのだ。

 無論、休むつもりはない。これも日本戦車道の、島田流の繁栄の為なのだから。

 

「お母様」

「なあに?」

 

 皿を洗いながら、千代が応える。

 

「これからちょっと、ボコミュージアムへ出かけてきます」

「あら」

 

 思わず、驚いた声を上げてしまう。

 

「今日は早いのね。まだ、九時よ?」

「そんな気分なので」

 

 見逃さない。愛里寿は明らかに、目をそらした。

 

「そう、わかったわ」

 

 けれど、言及などはしない。

 

「行ってらっしゃい、愛里寿。車には気をつけるのよ?」

「はい。それでは、いってきます」

 

 そうして愛里寿が、ボコのロゴマークつきのヘッドホンを耳にかける。玄関で靴を履いて、そのまま母の前から姿を消してしまった。

 ――ふたたび、皿を洗い始める。

 最近の愛里寿は、ほんとうによく笑うようになったわね。

 

 自然と、千代も微笑む。

 

 

 

 

 

 

 時刻は九時二十分ほど。黒沢は「これなら、島田さんを待たせることはないだろう」と思いながらで、中央公園前まで差し掛かり、

 

「あ、黒沢っ」

 

 ヘッドホンをつけていた愛里寿が、いた。

 黒沢はイヤホンを、愛里寿はヘッドホンを取り外し、手で挨拶を交わし合う。

 

「やあ。一番乗りとは、やるねー」

「うんっ。なんだか、待ちきれなくて」

「そうなの?」

 

 愛里寿が、こくりと頷いて、

 

「黒沢も、どうして早くから来てくれたの?」

「あー……その、俺も待ちきれなくて」

 

 愛里寿が、含み笑いをこぼす。

 

「私と、おんなじだね」

「そうだなあー……ま、それだけ楽しみにしてたんだろうな」

「うん」

 

 つまりは、そういうことだった。

 気を取り直して、横断歩道に目を向ける。

 

「じゃ、行こうか」

「うん」

 

 赤信号とともに横断歩道を渡って、ほんの少しの沈黙が訪れる。気まずいとは違う、気恥ずかしさめいた躊躇が黒沢の口に覆いかぶさっていた。

 何を話をしよう。映画のことか、山のことか、それとも戦車道についてか、それとも、

 

「黒沢」

 

 先に沈黙を打ち破ったのは、愛里寿だった。

 

「この前聴いた音楽なんだけれも、すっごくよかった。心が躍った」

「お、マジで?」

「うん。つい、体が動いちゃう」

「わかるわかる。俺もそうだよ」

 

 愛里寿が、手を口元に当てながらで笑う。

 

「黒沢もなんだ」

「そうそう。機嫌が良い時なんて、エアドラムとかしちゃうなあ」

「エアドラム……こう?」

 

 愛里寿が両手でエアドラムスティックを手にして、軽やかなリズムとともに音楽を奏でていく。

 黒沢は機嫌よく「うんうんそうそう」と声に出した。

 

「うん、これはいい。次に音楽を聞く時、やってみようかな」

「いいんじゃないかな。気分転換にもなるしね」

「うん」

 

 愛里寿が、人差し指をくるくると回す。ドラムスティックを回転させているのだろう。

 ――歩いている最中に、近隣山の入り口を横切ろうとする。黒沢は、思わず「あ」が漏れて、

 

「ここ、ここ。昨日、ここでてんやわんやと登ったんだよ」

「ここを? すごい……大変だった?」

「大変だったよ。虫には襲われるし、変な色をしたキノコが生えてるし。でも、コースは整ってあるから俺らでも登れた」

「そうなんだ」

 

 愛里寿の顔は、とても明るい。

 何やかんやで大変ではあったが、何だかんだで面白かったのも事実だ。

 

「山頂に登った時の爽快感は、間違いなくエクセレントだね」

「そうなんだ。今度、一緒に登ってみたいな」

 

 一緒に。

 その言葉に対して、黒沢はどきりとする。

 

「……いいの?」

「うん、いいよ」

 

 愛里寿はきっぱりと、笑っていた。

 

 

 □

 

 

 近隣山を通り過ぎていって、ようやく海辺が見える歩道にまでたどり着く。ここを数十分ほど歩けば、ボコミュージアムに到着だ。

 その間に、黒沢は映画館のこと、そしてジャンクフード店での出来事について語っていく。その中でも、とびっきりの話の種といえば――

 

「――でさあ、松本ってやつがさ、すげー厄介だったんだよ」

「どういうふうに?」

「宿題を見せてくれってせがまれた」

 

 愛里寿が、なるほどと頷く。

 

「宿題なんて毎日やっときゃ、簡単に終わらせられるってのにな」

「うん。私も、そうやって毎年クリアしてきた」

「さすが。あーあ、松本のやつも島田さんを見習えっての」

 

 愛里寿が、おかしそうに微笑する。

 

「しかもさ、松本のやつ、目をキラキラさせて『宿題を見て』ってお願いしてきやがったんだよ。漫画とかで何度か見たことあるけど、リアルで初めて見た、面白かった」

「すごい」

「なー、すごいよなー。女の子っていう立場をああも使うなんて、デンジャラスだよなー」

 

 そこで愛里寿が、二度三度ほどまばたきをする。

 

「あの」

「うん?」

「松本って、女の子?」

「ん? そだよ」

「そ、そうなんだ。……えっと、普通の友達?」

 

 愛里寿の質問に対して、黒沢は特に考えもせず、

 

「うん、友達。よく一緒に遊ぶ仲かな」

「……そうなんだ」

 

 愛里寿が、ほっと胸をなでおろす。

 ――その反応に、なぜだか目が離せない。意味はわからなかったけれども。

 

 

 歩き慣れた道を辿っていって、そろそろボコミュージアムが見えてきた。ここまでだいぶ歩いてきたはずなのだが、むしろあっという間と思う。

 それも、愛里寿のお陰だろう。愛里寿に話すことも、愛里寿から話を聞くことも、黒沢からすれば十分に楽しいものであるから。

 時計を見てみる。時刻は十時頃。

 三十分も歩いてきたのか、実感はないけれど。

 

「もう、着いちゃったね」

「そうだね、あっという間だったね」

 

 愛里寿が、こくりと小さく頷く。

 

「じゃあ、入ろう」

「ああ、そうだな」

 

 そうしていつもの調子で、愛里寿と二人きりでボコミュージアムの門まで歩んでいく。そこを越えれば、自分に勇気と出会いをくれたヒーローが待ってくれていて、

 黒沢と愛里寿の両足が、門の前でぴたりと止まった。

 錆びついた門に、新品同様の白いプレートが貼り付けられてある。それは愛里寿はもちろん、黒沢にだって読める文字列で――

 

『8月31日にて、ボコミュージアムは閉館します。長い間のご愛顧、本当にありがとうございました』

 

 

 □

 

 

 ボコショーの特等席に、黒沢と愛里寿が黙って腰掛ける。

 ここまで来るのに、黒沢と愛里寿は一言も喋らずにいた。途中で従業員と出会ったが、「いつもありがとうな! 楽しかったぜッ!」と言ってくれたきり――声らしい声なんて、それだけだった。

 仕方がない、と思う。

 ここで気休めを口にしたところで、こればかりは何も解決しない。何を言えばいいのかも、正直わからなかった。

 席に座りながらで、そっと愛里寿の横顔を見つめる。

 ――不機嫌とは違う、愛里寿の無気力な無表情。

 たぶん、自分も同じような顔をしているはずだ。愛里寿も自分も、ボコミュージアムという施設のことを愛しているのだから。

 もっと、入場していれば良かったのだろうか。

 もっと、グッズを買っておけば良かったのか。

 もっと、友達に面白さを宣言すれば良かった。

 ――わかってはいる。そんなことをしても、きっと無駄だってことに。

 うつむく。ため息までこぼれる。

 

「黒沢」

 

 びくりと、体が震える。

 

「大丈夫?」

「……ああ」

 

 自分は、何をしているのだろう。

 愛里寿を守ると決めたのに、この体たらくはなんだ。

 

「ごめん」

「ううん。私も、すごくショックを受けてる」

「だよな、そうだよな」

「うん」

 

 愛里寿も予感していたはずだ。

 客は二人だけで、修理もままならず。おまけにボコのブームなんてとうの昔に過ぎ去ってしまっている。子供の自分にすら、「経営がやばい」と分かりきっていたはずなのに。

 それでも、やっぱり消えて欲しくはなかった。

 ここで、ヒーローと出会えたから。

 ここで、愛里寿と出会えたのだから。

 

「――あ、ここかな? ボコショー」

 

 聞いたことのない声が、耳に飛び込んできた。

 粘ついていたはずの意識が、瞬く間に固まる。一体誰が来たのかと、黒沢も愛里寿も一斉に振り向いて、

 

 五人組の、女の子のグループがいた。

 

 漠然と、へえ、と思う。

 どういういきさつかは知らないけれど、客が増えてくれて良かった。もう、遅かったのだけれど。

 会場が少し活気づいてきて、自然と表情がほころんでいく。ショートヘアの子が「ここでボコが見られるんだ!」と叫んでいるあたり、ショートヘアの子もボコファンの一人なのだろう。

 愛里寿はいま、どんな顔をしているのかな。黒沢は、多少の舞い上がりながらも愛里寿の横顔を見て、

 

 愛里寿は、張り付けられたような無表情を露わにしていた。

 

「……島田さん?」

「あ、う、ううん。なんでもないよ、なんでも」

「そう?」

 

 何でもないように、愛里寿は言う。

 けれども、その視線はずっと、五人組のグループを気にしてばかりだ。

 知り合いでもいるのかなと、思考する。かといって、ここで聞き出すのはまずいと、男のカンが必死に叫ぶ。

 ――ブザー音が鳴る。幕が開かれる。

 

「よう! お前らまた……おっと! 新しい人も来てくれたんだな! こりゃあ張り切らないといけないな!」

「ボコだーッ!」

 

 ショートヘアの子から、黄色い声が飛び出す。反応からして、ショートヘアの子はやっぱりボコファンだ。

 ――そうして、ボコがその場でシャドーボクシングを始める。見た感じだと軽やかだし、パンチのキレも良いのだが、頭の中では「でもやっぱり?」とか思ってしまうのだ。

 そして、会場の隅からネズミ、白猫、黒猫の三人組(いつもの)がやってくる。間もなくしてボコがシャドーボクシングを止め、三人組の前めがけジャンプで飛び込む。

 

「ようよう! 待ってたぜ!」

「ああ? またお前か! ボコられてえのかよ!」

「今日こそは勝つ! そのために、猛特訓を仕込んできたんだ!」

「へー、やってみるかー?」

 

 黒沢の両拳が、ぐっと握りしめられる。結果なんてわかっているくせに、「頼むぜ、頼むぜ」と小さく呟いてしまう。

 そして、隣で座っている愛里寿のことを見てみて――愛里寿は、隣のグループに対して何度も目配せしている。気になって気になって、ボコショーに集中できていないようだ。

 

「無駄だってこと、わからせてやらぁ!」

 

 やはり、あの五人組に何らかの縁があるのだろう。愛里寿は未だに、声の一つも出してはいない。

 何の事情があるのかは、自分は知らない。

 

「おうおう、やってやるぜ! オイラは、絶対に諦めないクマなんだぜ!」

 

 けれど自分は、愛里寿の力になるって決めたんだ。

 だから、黒沢は立ち上がる。愛里寿が驚いて、自分のことを見つめる中――黒沢は、愛里寿を中心に左側から右側へと席を入れ替える。五人組が、よく見えるようになった。

 

「あ――」

 

 意味はないのかもしれない。こんなことをしても、グループのことは気になってしまうかもしれない。

 けれど、何かをしたくてしょうがなかったんだ。

 愛里寿という女の子を、守りたかったんだ。

 だから俺は、盾になった。

 ――そして、

 

「!」

 

 愛里寿が、びくりと体を震わせる。

 当たり前だ。俺はいま、愛里寿の手を握りしめているのだから。

 嫌われたくはないけれど、何を言われるのかが怖かったけれど、どうしても愛里寿を安心させたかった。仲間はここにいるよ、そう伝えたかった。

 

「――黒、沢」

 

 たぶん、笑えたと思う。

 

「行くぜ行くぜ! おらぁッ!」

 

 ボコは、勇猛果敢に三人組めがけパンチを繰り出す。けれどやっぱりかわされて、白猫の足払いで派手にすっ転ぶ。

 

「ああっ! ボコーッ!」

 

 ショートヘアの子が、悲観の声を上げる。

 

「ぐああ……こ、このままじゃ立てねえ……みんな、オイラに力を、力を分けてくれ!」

「ああ……がんばれっがんばれ、ボコッ」

 

 ショートヘアの子が、控え目に応援する。

 

「もっと、もっとオイラに力をッ!」

「がんばれっ、がんばれっ」

 

 よし、俺が先導する。俺は、大きく大きく息を吸い込んで、

 手に、強い熱がこもった。

 

「がんばれっ! ボコッ! がんばれッ! スタンダ――――ップッ!!!」

 

 愛里寿が勢いよく立ち上がっていた。俺の手を、ぎゅっと握りしめながら。

 ――熱気が、出来上がった。

 

「何してるんだボコッ! 立てッ! 立ってくれ――ッ!」

「あ……がんばってボコ! がんばれ――ッ!」

 

 黒沢も、ショートヘアの子も、直立してまで叫ぶ。他の女の子たちも、「がんばれー」「がんばってくださーい!」「頑張って! ファイトですー!」「が、がんばれ~~ッ!」

 

「っしゃ―――ッ!!!」

 

 そして、ボコは野獣のように立ち上がる。体全身で吠え猛り、三人組が気圧されるように後ずさりした。

 

「ありがとよみんな! パワーが湧いてきたぜッ!」

「FOOOOッ!!」

「エクセレント! エクセレントッ!」

「すごいよボコ――ッ!!」

 

 ボコが、腕をぐるんぐるんと回す。

 

「っしゃあ! 何か技のリクエストはねえか? 全力で応えるぜ!」

 

 きた。それを注文するのは、大抵は自分の役目なのだが、

 

「お姉さん、お姉さん」

 

 小声で声をかける。それに気づいたショートヘアの子が、「あ、うん!」と頷いてみせて、

 

「ボコ! 相手の後ろに回り込んでパンチして!」

「わかったぜ―――ッ!!」

 

 指令を受けたボコは、白猫めがけ突っ走り、通り過ぎると同時に体を捻って、拳を振り上げ、

 コケた。

 

「……なに失敗してんだよオメー!」

「だっせえ! だっせえぞ!」

「踏み込みが足りすぎたなーッ!」

「ぐあああ、やめろ――ッ!」

 

 うつ伏せにダウンしているボコめがけ、情け容赦のない足蹴りが次々と降りかかる。諦めんとばかりにボコが腕を上げるものの、もはや立ち上がる気力すら残っていないだろう。

 

「ああっ……頑張れボコッ! 頼む! お前はやるクマだろーッ!」

「ボコー! がんばれ! がんばれーっ!」

「ボコ! お願い! がんばってーッ!」

 

 何度も応援されても、ボコは結局立ち上がれない。三人組も満足したのか、ぞろぞろと会場から立ち去っていく。

 ボコはそのままスポットライトを浴び、「ぐぐ」と唸って、

 

「次は、必ず勝つぞーッ!」

 

 そうして、幕が閉じられる。

 

「――なにこれ、勝てないの?」

 

 ロングヘアーの女の子が、唖然とした口ぶりで呟く。

 その真っ当な疑問に対して、ショートヘアの子が、愛里寿が、俺は、にこりと笑って、

 

「それがボコだから!」

「それがボコだから!」

「それがボコだから!」

 

 

 □

 

 

「さっきはありがとう! 凄く楽しかったよ!」

 

 会場からグッズショップめがけ歩きながら、ショートヘアの子が元気いっぱいにお礼を言ってくれた。黒沢は今更ながら、ノリにノってしまったことを恥じらいつつ、

 

「い、いえ、俺も楽しかったです」

「うん。私も」

「よかったぁ。……えっと、二人はよく、ここに来るの?」

「まあ、とりあえずは」

 

 黒沢が苦笑して、愛里寿がこくりと頷く。

 見たところ、五人組は中学生か高校生ぐらいだろうか。自分よりも背が高い。

 けれども今は、こうして平然と話が出来ている。それもこれも、「それがボコだから」のお陰だ。

 

「そうなんだ……残念だね。閉館、だなんて」

「うん」

「でも、俺達はずっとボコのファンです」

「――うん、そうだね。ボコは、絶対にめげないもんね」

 

 ロングヘアーの子が、「あれでいいのかなあ」と呟く。穏やそうな女性が、「いいんじゃないでしょうか」と頬に手を添えて一言。

 

「まあ、その日が来るまで……俺はずっと、ここに行きます」

「そうなんだ。偉いね……真のボコファンだね」

「いえ。……あ、あそこです、グッズショップ」

 

 瞬間、ショートヘアの子の目がきらりと光る。早歩きしてまでグッスショップに駆け込むあたり、「さすが」と呟かざるを得ない。

 

「わあ~! ボコグッズがこんなに!」

「可愛いですねえ」

「うーん、このストラップは女の子らしさを表現できるかも」

「ぬいぐるみですか。そういえば、一つも持っていませんねえ……」

「目覚ましもあるのか」

 

 グループが、それぞれの商品を手にとって感想を言い合っている。ボコグッズがこれほど注目されていることに、ボコファンとしては思わず破顔してしまう。

 

「すごいな、すごいな……わ、レアボコだー!」

 

 ショートヘアの子が、何の迷いもなく手乗りボコを手に取る。確か売れ残りの一つであったはずだが、こうして手に取られていく様を見ると、何だか感慨深い。

 ――そして、ショートヘアの子と目が合った。黒沢とショートヘアの子が、同時に「あ」と言った。

 

「そういえば、私の名前を言っていなかったね。私は西住みほっていうの。……良かったら、その、君の名前を教えて欲しいな」

「あ。俺は黒沢っていいます」

「黒沢君っていうんだね。うん、同じボコファンとして仲良くなりたいな」

「もちろん、俺もです」

 

 そうして、みほと黒沢が握手を交わし合う。これで、ボコ仲間が増えた。

 さて、

 黒沢は、後ろに視線を向けて――愛里寿が、気まずそうに視線を逸らしている。

 

「……大丈夫か?」

「あ、うん……その、ごめんなさい」

「いや、いいよ。……そろそろ帰ろうか?」

「う、ううん。私もその、西住さんと、仲良くなりたい……けど」

 

 けど?

 黒沢が、首をかしげる。

 

「えっと。何か私、やっちゃったのかな? その、ごめんなさい」

「ううん、西住さんは何もしてない。ただ、その、えっと」

 

 ――ちょっと待て。

 このショートヘアの子は、西住みほと名乗った。西住、と言った。

 最初に聞いた時は、「へえ」と思った。そして愛里寿は、その西住みほに対してどこか遠慮しているような、怯んでいるような、そんな態度を取り続けている。

 ――ここまで見てしまえば、島田流フォロワーのカンが、否応なく冴え渡ってしまう。

 この子はひょっとして、あの西住流の関係者か何かなのか。後継者なのだろうか。

 だとしたら、愛里寿の態度にも納得がいく。互いにライバル同士だというのに、こうも至近距離から出会ってしまっては、どうしていいかまるで分からないはずだ。ましてや、照れ屋さんである愛里寿ならば尚更だろう。

 よし。

 

「しま……愛里寿さん」

「――黒沢」

「大丈夫、俺がずっと見守るよ。それに、俺たちは……ボコ仲間だろ? きっかけなんて、それでいいと思う」

「黒沢」

 

ボコのテーマが、館内で高らかに響き渡る。

 

「まずかったら、一緒に帰ろう。それでもいい」

 

 みほは、愛里寿の決意を待ってくれている。優しい人なんだなと、本能的に思う。

 そうして、数秒程度の沈黙の後で、愛里寿はみほの目を真正面から見据える。

 

「――あの」

「うん」

 

 そうして黒沢は、愛里寿の背中に手を当てた。愛里寿は、小さく小さく、うん、と頷いた。

 

「西住さん」

「うん」

「私は島田愛里寿。島田流の後継者の、島田愛里寿」

 

 みほが、「島田流?」と静かに呟き――すぐに、目と口を丸くした。

 

「本当に? あの島田流の?」

「うん。近くの大学で、戦車道を歩んでいるの」

「――すごい!」

 

 まるで自分のことのように、みほが大喜びする。ロングヘアーの子が「どしたのー?」と駆け寄ってきた。

 

「あのね、沙織さん。この子は、島田流っていう凄い流派の後継者なの!」

「しまだりゅう……?」

「うん。ワンマンアーミーを重点に置いていて、変幻自在の戦術を得意としているの。またの名を、ニンジャ戦法って呼ばれているんだよ」

「はえー……」

 

 ロングヘアーの女性が、あっけにとられたような様子で愛里寿のことを見つめている。どうしたどうしたとグループ全員が集まってきて、沙織と呼ばれた女性があれこれと説明し始める。

 凄いと言われてくすぐったさを覚えたのか、愛里寿は目を逸らしっぱなしだ。黒沢は、苦笑することしか出来ない。

 

「そういえば、大学って言ってたけれど……もしかして、先輩?」

「ううん、私は十三歳。だから、西住さんが先輩だよ」

「え――な、なんで大学に?」

「飛び級してるから」

「とっ……飛び級ゥッ!?」

 

 みほと、ロングヘアーの女性と、ショートボブの女性が驚愕する。穏やかな女性は「まあ!」と感嘆し、猫背の女性は「すごいな」と一言。

 そりゃそんな反応もするよな、と思う。出会った頃が、とても懐かしい。

 

「うわあ、凄いなぁ……すごいよ、島田さん!」

「ありがとう。でも知名度は、西住流の方が上だから……だからいつかは、追い越してみせる」

「そっか……うん、がんばって――と言うのは、おかしいかな? あはは」

 

 みほが、困ったように苦笑する。

 愛里寿は、首を左右に振るい、

 

「――確かに、私達は切磋琢磨しあう仲だけれども」

「うん」

 

 愛里寿が、そっと、

 

「今の私は、戦車には乗ってない。ここはボコミュージアムで、一緒に応援しあった仲だから……その……」

 

 そっと、

 

「ボコ仲間に、友達になって、ほしい」

 

 みほに、手を差し伸べた。

 ほんの少しだけの沈黙が訪れたが、すぐにでもみほは嬉しそうな笑顔になって、

 

「うん! 私でよかったら! これからもよろしくね、島田さん!」

 

 固くかたく、愛里寿とみほが握手を交わし合った。

 ――思う。

 やっぱりボコには、人を結びつける力がある。

 

 

 □

 

 

 ――またね、島田さん!

 ――うん、またね

 

 今日は、沢山の人と知り合えたと思う。西住流の後継者である西住みほに、大学選抜チームの戦力をあれこれ聞いてきた秋山優花里、逞しい声でしたと称賛してくれた五十鈴華、愛里寿と暗算勝負をした冷泉麻子に、

 

 ――仲いいよね、ふたりとも。もしかして、お付き合いしてる?

 ――お付き合い?

 ――まあ、ボコ仲間として付き合ってますけど

 ――ああ……なんて若いの……

 

 そんな質問を投げかけてきた、武部沙織だ。

 これでも真面目に返答したつもりだが、沙織はどこか遠くを見るような目で、意味深なことを言うばかり。華曰く、「気にしなくてもいいですよ」とのことだが。

 

 そんなことがありながらも、黒沢と愛里寿はボコミュージアムから出ていって、二人してため息をつく。

 今日はほんとう、色々なことがあったと思う。閉館決定にライバル登場、そのライバルと友達になったりと、実にアンビリーバブルなことばかりだった。今でも、鮮明にそれらを思い起こせる。

 時計を見てみれば、まだ十二時ほどだ。

 けれど、これ以上長居しても仕方がない。悔しいが、ボコミュージアムから離れるしかない。

 

「行こう、島田さ、」

 

 そこで、黒沢は「あ」と思い出す。

 

「さ、さっきは気安く呼んでごめん! あ、あれはその、えーっと」

「う、ううんっ、いいの」

 

 愛里寿は、必死に首をぶんぶんと振るい、

 

「その……愛里寿でも、いいんだよ?」

 

 上目遣いで、予想外のことを言われた。

 思わず、つばを飲む。すがるような愛里寿の瞳を見て、心臓が熱く痛くなっていく。

 

「え、と」

 

 愛里寿の頼みなら、聞くしかない。断ることなどはできない。

 だから黒沢は、なけなしの勇気をかき集め、繊細なものに手を触れるような態度で、「あ」と言い、「あ」と口にして、

 

「……愛里寿、さん」

「うん。黒沢」

 

 言えた。

 ジャイアントステップを踏んだ、心の底からそう思う。

 

「――黒沢」

「な、なに?」

「さっきはその、本当にありがとう。黒沢がいなかったら、私は西住さんと友達になれなかったと思う」

「そっか。……力になれて、よかった」

 

 愛里寿は、こくりと首を振るう。

 

「黒沢」

「うん?」

「その……黒沢の手、すごく暖かかった。優しかった」

「い、いや、普通の手だよ」

 

 自分の手のひらを様子見してみるが、やっぱり普通にしか見えない。爪伸びてるなと、何となしに思う。

 けれど愛里寿は、穏やかに首を横に振る。

 

「優しいよ、とても」

「そう、かな」

「うん」

「そっか……うん、じゃあそう思うことにする」

 

 愛里寿からそう言われて、黒沢の気分はすっかり清々しくなっている。唸りながら背筋を伸ばして、「さて」と一声つけて、

 

「帰ろうか」

「うん」

 

 そうして一歩二歩ほど歩いていって、振り返っては半壊気味のボコミュージアムを見る。

 8月31日まで、しばらくの猶予があるが――きっと、それもあっという間に訪れてしまうのだろう。

 

「――ねえ、黒沢」

「うん?」

 

 愛里寿の両足が、ぴたりと止まる。

 黒沢も、同じように止めた。

 

「あの、その」

「うん」

「……ここがなくなってしまっても、黒沢は、私の友達でいてくれるよね?」

 

 愛里寿は言った。自分にとって、最も簡単な質問を。

 だからこそ、黒沢は愛里寿の目を見て、はっきりと言う。

 

「当たり前だ。俺と愛里寿さんとは、ずっと友達で、ボコ仲間だ」

「ずっと、友達……」

「ああ、ずっとずっと友達だ」

「ずっと、」

 

 黒沢の答えを聞いた愛里寿は――自分の胸を、そっと抑えた。

 その顔はどこか曇っていて、悔しそうにうつむいている。未知の反応を前にして、黒沢の声が出るのに数秒ほどかかった。

 

「……あ、えと、大丈夫? 何かやばいこと言った?」

「う、ううんっ、すごく嬉しい、嬉しいの。……でもね、なんだかこう、胸が痛いの」

 

 その言葉を聞いて、デジャブが生じた。

 自分も、愛里寿を見ていると胸が痛くなることがある。そのきっかけは決まって、愛里寿の笑顔によるものだ。

 けれど、その痛みに不愉快を感じたことはない。熱くて、躍るような気分になれて、なぜか手放したくないとすら思えるほどの、前向きな感慨しか残らない発作だ。

 その発作を、今度は愛里寿が受けているというのか。

 自分はともかく、愛里寿には苦しい目に遭ってほしくない。

 

「愛里寿さん、本当に大丈夫? 支えようか?」

「う、ううん! ほんとうに大丈夫」

 

 愛里寿が、深呼吸を繰り返す。

 それが三度ほど続いた後で、愛里寿はようやく心安らいだのか、「ふう」と一息ついた。

 

「ごめんね、迷惑をかけて」

「いや、俺はぜんぜん。ノープロブレム」

 

 黒沢らしい返答を聞いたからか、愛里寿はにこりと微笑む。

 

「よかった。黒沢が、そう言ってくれて」

「いやいや。じゃ、そろそろ帰ろうか」

「うん」

 

 そうして、門を潜り抜ける。そこで何となく振り向いて、改めて閉館のお知らせを見直した。

 ――見間違えじゃないんだな。

 見なかったことにするかのように、帰路を視界に入れる。

 

「じゃあ、そろそろお別れだね」

「だね」

「私でよかったら……いつでも、連絡をいれてね。なるべく、予定を合わせるから」

「いやいや。愛里寿さんには戦車道もあるからさ、俺のことは二の次でいいよ」

 

 愛里寿が、首を左右に振って、

 

「それは、嫌」

 

 愛里寿から、はっきりとした声で否定された。

 そして黒沢は、申し訳なさそうに「そっか」と呟いて、

 

「ごめん。友達なのに、何だか余計なことを言ってしまって」

「ううん。でも、忘れないで。あなたは私の友達で、私の力そのものだから」

「……俺も、愛里寿さんのことを、そう思ってるよ」

「――そう、だよね」

 

 そして、愛里寿は、

 

「よかった――」

 

 青空の下で、精一杯に笑ってくれた。

 ――自分の心に、また、離れ難い痛みがやってきた。

 

 

 ――またね

 ――うん、またね

 

 そうして愛里寿は、ヘッドホンをつけて家に帰っていく。

 その背中を見送った後で、自分もイヤホンをつける。今日は、静かな曲でも流しながら帰ろう。

 

ずっと、愛里寿の友達か。

なぜだろう。なぜ、その誓いに、どこか不満めいたものを覚えてしまうのだろう。

 

 

 

―――

 

 

 

 文部省から返答が来た。曰く、『考え抜いた結果なのです。家元には、どうかご理解いただけたらと』。

 ――少し考えてみれば、まるでスジが通っていないと理解出来るはずだろう。

 ため息をつく。

 実に不愉快だ。このまま流されてしまっては、戦車道という道が極めて脆いものであると誤解されてしまう。誓いを守ることこそ、礼の基本であるというのに。

 抗議は断固として続ける。これも全ては、戦車道の繁栄のためだ。

 ――その時、ドアの開く音がした。

 もしかしたら、愛里寿が帰ってきたのかもしれない。

 両頬を軽く叩いて、表情を柔らかく整える。

 デスクから立ち上がって、居間までぱたぱたと駆けつけていく。

 

「おかえりなさい、愛里、」

「ただいま戻りました、お母様」

「……どうしたの? 何か、あったの?」

 

 愛里寿は、真顔で首を左右に振るう。

 

「特に、何もありません」

「そうなの? 本当に?」

「はい。……少し、部屋で休ませてください」

「……うん」

 

 まるで、何事もなかったかのような足取りで、愛里寿は自室へと戻っていく。

 

 落胆しきった顔を、抱えたまま。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
ニュースキャスターの台詞に、苦戦しました。

ご指摘、ご感想があれば、お気軽に送信してくだされば嬉しいです。
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