十三歳の天才少女は、普通の恋をした   作:まなぶおじさん

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十三歳の天才少女は、普通の恋をした

 

 ここ最近になって、島田愛里寿はけっこう変わってきたと、アズミは思う。

 

 まずは戦車道についてだが、愛里寿の成績はいよいよもって伸びに伸びきっている。同時に六両を相手取り、しかも勝利せしめた時は、敵味方とも「すごい」と感嘆したものだ。

 その上で、愛里寿は絶対に撃破されないようにうまく立ち回る。そりゃまあ愛里寿が撃破されるなんてことは滅多にないが、ここ最近は無傷で生還することが多い。無傷でだ。

 お陰で、ほとんど何もしないで試合が終了することもしょっちゅう。「今日は何もできなかったなー」と苦笑してしまうことも、珍しくなくなってしまった。

 副官としては、これではいけないなと思う。

 愛里寿が活躍してくれるのなら、とも思う。

 愛里寿の順調っぷりは、確かに凄い。ただ、恐れ多くも「愛里寿にとってはありえる事」だとは思う。これらのことは、戦車道の事柄で収まりきっているから。

 ――注目すべきは、試合が終了した後。

 

「一時間後に、ミーティングを行う。それまで、体と心を癒やすように」

 

 そうして、愛里寿は全速力でどこかへ消えていってしまうのだ。

 もちろん、このことは隊員たちの話題の種になった。何かの限定品が欲しくてダッシュしているのか、ヒミツの何かを成すために急ぎ足になっているのか、誰かと待ち合わせしているのか――どの説も捨てがたいだけに、隊員達はうんうんと唸るばかり。

 じゃあ追跡すればいいじゃん、と進言する者はもちろんいない。隊長を追いかけ回した時点でフクロだし、バレたら家元にドヤされるのは確実だ。そして何より、愛里寿のプライベート面はそっとさせておきたい、という意見が圧倒的に主流であるから。

 島田愛里寿はまだ十三歳だ。なのに島田流の後継者で、大学選抜チームの隊長で、隊員達の面倒も見てもらっている。これは大変だと、副官であるアズミは常々思っている。

 せめて、戦車道以外のことは口出ししないようにしたい。ただ、見守るだけ。

 それが、年上に出来ることだ。

 

 ――そして、話はこれで終わりではない。

 自由時間になれば、アズミもメグミもルミも、そして愛里寿も、大学内を気ままに歩んでいることが多い。座っているよりも、動き回っている方が落ち着くというか。

 そうして時折、愛里寿とぱったり遭遇することがあるのだ。以前なら「こんにちは、隊長」と気軽に挨拶を交わし、愛里寿も「こんにちは」とうなずき返してくれて。

 ところが最近は、挨拶を交わす難易度が高くなった。

 なぜなら愛里寿は、自由時間となると必ずヘッドホンをつけるようになったから。

 しかもノリのいいやつを聴いているらしく、軽くヘッドバンキングを繰り返していることが多い。正直かわいいので、挨拶ができなくてもまあいいやと思っている自分もいる。

 

 ――話は、実はあとひとつだけ残っている。

 昼休みになると、愛里寿、メグミ、ルミとは食堂で昼食を共にすることが多い。ルミは笑いながら近況を、メグミは笑顔で噂話を、自分も気軽に雑談をしている中で、愛里寿は真顔のまま「うん」とか「なるほど」とか「そうなんだ」と、よく相づちを打ってくれる。

 最初こそ「楽しいのかな」と不安になったりもしたが、本人曰く「おもしろい」とのことだ。

 だから愛里寿のことは、なるだけ積極的に昼食へ誘うようにしている。普段から隊長は大変なのだから、せめて面白い話くらいは聞かせたい、

 とはいうものの、昼食時にも携帯は鳴る。たいていは友人からのメールだったり、時には親からの電話だったり。前者はともかく、後者は「また後で!」とすぐに切ることが多い。メールにしたって、内容によっては後回しだ。これはルミもメグミも変わらない。

 愛里寿の携帯事情に関しても、以前は自分たちとあまり代わり映えはしなかった。無表情でメールを受け取り、時折やってくる電話には「またあとで」と短く切る。そうして無事平穏に昼食の続きを再開していたのだが、

 

「あっ」

 

 そう――

 ここ最近の島田隊長は、時折、ものすごく嬉しそうな顔をしてメールを受け取ることがあるのだ。

 そう、「時折」だ。すべてのメールに対してではない。

 ルミとメグミと自分は、目配せして「誰?」と心の中でつぶやき合う。そうしている最中に、愛里寿はいそいそと必ず返信する。これがまたかわいい。

 そうして、返信し終えれば――愛里寿は微笑みを隠しきれないままで、

 

「すまない。迷惑をかけた」

「い、いえっ、そんな。とんでもありません」

「そうですそうです」

「うんうん」

 

 これは本当だ。楽しそうな愛里寿なんて、そう滅多に見られるものじゃないから。

 そうして何事もなかったかのように、昼食が再開される。どんなメール相手なのかなと、ほんの少しだけ推測してみて――「まあいいや」とすぐに締めるまでがお決まりのパターンだ。

 

 ここ最近になって、島田愛里寿は活き活きとし始めている。アズミはそう思う。

 

 

―――

 

 

 

 文部省の方から直接電話がかかってきたかと思えば、いきなり『すみませんが、そちらの大学強化チームと大洗女子学園との試合が決まりそうなのです』だ。何故だと聞けば、『話の流れでそうなりまして』ときて、『試合のルールは殲滅戦です』で、極めつけには『あ、この試合に大洗女子学園が負ければ、大洗学園艦は廃艦となる決まりです。こちらの件もご了承いただければ』だ。契約書も書かされたせいで、断れる選択肢はないのだという。

 自分は家元で、教育者で、文部省とは協力関係で、分別を弁えた大人であるから、もちろん「わかりました」と言っておいた。

 

 ――電話を切った後は、もちろん真っ先に「はあ?」と口に出した。

 なぜ自分たちが、島田流が、大洗学園艦潰しに加担しなければならない。どうして戦車道で掴み取った未来を、同じ戦車道でぶち壊さなければならない。

 だいたい、文部省の言い回しも気に食わない。最初から相手側の負けを期待するなど、戦車道の礼節に反している。シンプルに言うなら、ナメてるのか。

 ――まったく、不義理な話だ。

 試合内容が公開されれば、大洗女子学園側には同情の声が集まるだろう。安易に想像がつく。

 そして大学選抜側は、何はともあれ非難の対象とされるだろう。もっと、安易に想像がつく。

 どちらも可哀想だ。オトナの都合に振り回されるなんて。

 ため息。

 けれど、そうなってしまったのなら、やるしかないのだ。

 戦車道とは、そういうものでもあるから。

 

 携帯を取り出し、メールを打つ。『これから部屋に向かいます』。

 こうして事前に連絡することで、愛里寿の自由時間をやんわりと中断させるのだ。今頃は、ヘッドホンを外してくれているだろう。

 ――ごめんね、愛里寿。

 こんなつまらないことで、あなたの音楽を止めてしまうなんて。

 もう一度だけため息をついて、島田千代は、愛里寿の部屋へ向かった。

 

 

 □

 

 

 ベッドに座ったまま、愛里寿は千代の話を黙って聞いていた。そんな愛里寿を前にして、千代はあえて淡々と、事務的に、大洗との試合内容について語っていく。

 

「――そういうわけで、来週の日曜日に、北海道にて大洗女子学園との試合が行われます。良いわね?」

「はい」

 

 全くもってメリットの無い話を、愛里寿は黙って聞き、そして頷いてくれた。

 今の愛里寿は、戦車に乗っている時の、島田流後継者としての顔をしている。

 

「大洗と試合を行うということは……あの西住みほと、西住流と直接対決をすることになるわ」

「はい。島田流後継者として、必ず西住流に勝ってみせます」

 

 決意する愛里寿を前に、千代は心の中で安堵する。

 なんて、しっかりした子なんだろう。

 

「――愛里寿」

「はい」

「……ごめんなさい。こんな試合に、付き合わせてしまって」

「いえ。試合は試合です。私は、私達は、これに全力で応えるのみです」

 

 これが十三歳の言葉なのか。こんなことを、十三歳の女の子に背負わせて良いのか。

 けれど、流れには逆らえない。オトナの都合というやつには、家元であろうと覆せない。戦車道の繁栄を考えた結果が、これだとは。

 

「愛里寿」

「はい」

「偉いわ」

「いえ」

 

 窓から、夕暮れが差し込んでくる。虫たちの鳴き声が、静かに伝わってくる。こんな状況だからか、そんな夏の風景がどこか愛しい。

 

「それじゃあ、夕飯を作ってくるわね。……今日は、ハンバーグにするわ」

「ありがとう、お母さん」

 

 話し終えて、千代は愛里寿に背を向けようとし、

 

「お母さん」

「――なに?」

 

 ぴくりと、千代の体が止まる。

 

「質問があります」

「なに?」

 

 ふたたび、愛里寿と向き合う。

 

「西住流に勝てば、島田流の名はどれほどのものになりますか?」

「そうね……ええ。あの西住流に勝てた時点で、大金星は確実。そして、島田流の名も以前より広まるでしょう」

「つまり、西住流に勝つ意味合いは大きい、ということですね?」

「ええ、もちろん」

「……大いなる名誉に繋がると、そう解釈しても良いのですね?」

「ええ」

 

 あれ、と思う。

 愛里寿の質問は、島田流としては正しい。ただ、こんなにもメリットを確認されたのは初めてのことだ。

 愛里寿は無言で、「勝てればそれでいい、負ければ精進する」を地でいく子なのに。

 

「……お母さん」

「なに?」

「――あの、その」

 

 千代の目が、本能的にぴくりと動く。

 愛里寿が、言葉の躊躇を覚えたから。目を、逸らし始めたから。

 

「なに? どうしたの? 何か、あった?」

「……いえ、なんでもありません」

「言って。我慢は、試合へのモチベーションにも関わってしまうわ」

「……でも、これは、島田流には、」

 

 そうして、愛里寿は言葉を打ち切った。

 ――察する。

 島田流には何の関係もない何かを、愛里寿は口にしようとしたのだろう。けれど愛里寿は真面目だから、わがままを一つも言わない良い子だから、私情を発するなんて怖くてできなかったのだろう。

 だから千代は、ショートグローブを脱いで、愛里寿の頭をそっと撫でる。

 

「言って」

「……大丈夫です」

「娘の言葉を聞くのは、親の役目です」

 

 絶対に、娘を受け入れよう。千代は本気でそう思った。

 だって愛里寿は、私の娘は、これから不義理な戦いに出向かなければならないのだ。それに報わずして、何が親だ。

 うまく、笑えているはず。

 うまく、娘に触れられているはず。

 ――けれど、

 

「いえ、なんでもありません」

 

 愛里寿は、あくまでもそう言うのだ。こちらを見つめながら、いつもの無表情で。

 

「――そうですか」

 

 私は、鈍く立ち上がる。

 

「それじゃあ、夕飯の準備をするわね。できたら、メールするわね」

「うん。ありがとう、お母さん」

「……お母さんに相談事があったら、いつでも言ってね」

「はい」

 

 そうして、千代は愛里寿の部屋から出て、後ろ手でドアを閉める。

 しばらくはそのままでいて、胸に手を当て、体の中に溜まった淀みを吐き出すように深呼吸する。

 ――ドアの向こう側にいる愛里寿に向けて、千代は思う。

 

 どうして、あんなにも苦しそうな顔をしていたの、愛里寿。

 

 

―――

 

 

 夕飯を食べ終え、ひとっ風呂浴び、宿題もある程度片した後で、ご機嫌なナンバーを聞きながらでベッドに横たわっていた。今日は暑いから、扇風機のおまけつきだ。

 全てをやり終えた後の音楽は、最高だぜ――

 大の字になりながらで、黒沢はつくづくそう思う。保証された安心感ほど、心地良いものはない。

 そんな気分に浸りながら、黒沢は無表情で、天井をじっと見つめる。そうぼんやりと過ごすうちに、理性がゆっくりと回りだす。

 

 最初は音楽のことを、次に友達のことを、そして愛里寿のことを考え始める。

 

 ここ最近の自分は、愛里寿からのメールを、電話を心待ちにしている。遊びに行こうと提案されれば、迷わず二つ返事だ。

 黒沢からも「ミュージアムへ遊びに行こう」と伝えることがあるが、愛里寿は決まって『行く(・(ェ)・)』と返信してくれる。それが、とてつもなく嬉しい。

 ――けれど、

 愛里寿と出会い、笑顔を目にするたびに、自分の心がずきりと痛み出す。熱いような、焦れったいような、そんな前向きな感情が溢れ出んばかりになる。

 わからないな、と思う。どうなっているんだろう、と思う。けれど心地良い、と想う。

 ――今度、親にでも聞いてみようかな。

 次の音楽が流れ出す。ノリの良いイントロが流れ出して、思わず鼻歌が交じり、ベッドの上で軽くヘッドバンキングを繰り返して、

 

 音楽が消え、着信音がイヤホンから流れ出した。

 

 ベッドの上で放置していた携帯を、すばやく手にとる。画面を確認してみれば、着信:島田愛里寿の文字。

 反射的にベッドから起き上がり、あぐらをかいては「受信」ボタンを押す。

 

「――もしもし?」

『あ、黒沢。いま、大丈夫?』

「ああ、大丈夫大丈夫。何?」

 

 愛里寿が、安堵したように息をつく。

 

『あの……来週の日曜日にね、北海道で、大事な試合をすることになったの』

「お、マジで? 相手は?」

『……大洗女子学園』

「大洗?」

『うん。あのね――』

 

 そうして、愛里寿から詳しい話を聞かされた。

 大洗女子学園――もとい大洗学園艦は、元々は廃艦予定であったこと。その未来は、今年の高校戦車道全国大会優勝によって覆されたこと。そして、その結果は白紙にされたこと。今度こそ廃艦になるかどうかは、この試合で決まってしまうこと。

 ――そして、

 

「それで、西住さんと、戦うことになったの?」

『……うん』

「友達、なのに?」

『……うん』

「……そっか」

『……西住さんが本土に、ボコミュージアムに居たのは……たぶん、廃艦の手続き上、学園艦から追い出されていたせいなんだと思う』

 

 情報量が多すぎて、頭の中が熱くなってくる。思わず、左手で額を支えてしまう。

 ざっとわかることは、「廃艦にしない」という約束が破られたこと。そのせいで、愛里寿がみほと戦わなくてはいけないこと。みほが住んでいる学園艦の命運は、来週の試合によって決まってしまうこと。

 ――愛里寿を、助けなければいけないこと。

 

「愛里寿さん」

『なに?』

「……戦える?」

 

 ほんの少しの、間。

 

『うん、戦う。それが、戦車道への礼節だから』

「そっか。さすが、愛里寿さんだ」

『……ありがとう』

 

 そう言った愛里寿の声は、ほんとうに穏やかだった。

 安心しきったような、そんな気持ちが携帯ごしから伝わってくる。

 

「愛里寿さん。俺でよければ力になる。応援でも何でもする」

『――それで十分だよ。黒沢の応援は、私にとっての、かけがえのない力だから』

「そっか……ああ、そういえば、試合会場はどこ?」

『えっと、北海道』

「うへ、遠いなー……」

『だいじょうぶ。あなたの気持ちは、たしかに伝わったから』

「そう?」

『うん。隊員も、私についていくって言ってくれた。お母さんも、応援してくれてる。私は平気だよ』

「――そっか」

 

 愛里寿は一人じゃない。それを知れただけで、心の底からほっとする。次第に、機嫌が盛り上がっていく。

 

「愛里寿さん」

『なに?』

「……頑張れっ! グレートな戦いをやってくれ! 武勇伝を聞かせてくれ!」

『――うん! ……その、こんな話を聞いてくれて、ほんとうにありがとう。すっきりした』

「いいっていいって」

 

 黒沢は、半ば本能的に、

 

「俺たち、友達だろ?」

 

 正しいと思ったことを、口にした。

 なのに、言い終えた後で、

 

『……うん、友達、だよね、うん』

 

 胸が、ずきり。

 

『――あ、ごめんね、なんでもないの。……じゃあ、そろそろ切るね。今日は本当にありがとう』

「俺の方こそ、話を聞かせてくれてありがとう」

『うん。またね』

 

 電話が切れる。愛里寿の声は、もう聞こえない。

 無音のイヤホンをつけたまま、黒沢は再び横たわる。

 ――なんだか、大変なことになっているな。

 ちらりと、手にしている携帯に視線を向ける。体を横向きに寝かせ、携帯に火をつけ、「大洗学園艦 廃艦」と検索して、戦車道ニュースWEBというサイトが引っかかって――大洗学園艦の廃艦ニュースが、大々的にアップされていた。

 約束を破った政府への批判。学園艦の住民によるネガティブなコメント。本土で仮住まい中の住民の写真。第六十三回高校戦車道全国大会の簡単な解説、

 

「……あ」

 

 力なく、声が漏れた。

 スクロールしていった先には、夕暮れを背に、優勝記念の旗を持った西住みほが、嬉しそうに笑う武部沙織が、五十鈴華が、冷泉麻子が、秋山優花里が、仲間達の集合写真が、サイト上に刻まれていたから。

 

 

―――

 

 

 数日ほど経過してみれば、来週に行われるらしい試合の詳細が、戦車道ニュースWEBにてでかでかと記載されていた。

 愛里寿の言った通り、この試合には大洗学園艦の存続がかかっているらしい。それだけでも一大事だというのに、大洗側の戦力はたった八両、大学選抜側は三十両。しかも殲滅戦という、いわゆる「みんなやっつけたモン勝ち」というルールが適応されるようだ。

 素人目から見ても、とってもひどい条件だと思う。これでは、大学選抜側が非難されてしまうではないか。

 実際、この記事を書いている記者も「戦力差、経験からして、圧倒的に不平等」と書いているし、専門家に至っては「これほど酷い公式試合は初めて見た」とコメントしている。

 外部の戦車道サイトにしたって、「これは酷い」とか、「大学選抜は空気を読むべき」だとか「大洗が可哀想」だとか言っている。戦力的には大学選抜が有利だが、世論的には圧倒的に不利といってもいい。

 

 ――辛いだろうな。大学のみんなも、愛里寿も、みほも。

 部屋の中で、寝転がりながらでそう思う。

 

 黒沢はこれまで、大学選抜チームの活躍を何度か見届けてきた。そうしていけば、レギュラーメンバーの顔や名前も自然と覚えていく。特に会場を案内してくれたアズミに対しては、重点的に応援していったものだ。

 だから、大学選抜チームには思い入れがある。みほにも、大洗にも色々と事情はあるだろうけれど、自分は大学選抜に、愛里寿の側についていくつもりだ。

 次々とサイトを見る。

 やはり大洗側には同情の声が、大学側には消極的な非難が、当たり前のように目に入っていく。中には、辞退をしろと言う者もいた。

 ――簡単に言うなよ。大学側だって、こんなのイヤに決まってるだろ。

 特に、愛里寿は。西住みほの友達である、彼女は。

 

 愛里寿の顔を思い浮かべる。いまごろ愛里寿は何をしているのだろう、大洗と戦うために色々と準備しているのだろうか。

 試合が始まれば、愛里寿は誠心誠意を持って大洗と戦うだろう。戦車道のスジを通すために、手加減なんてしないはずだ。

 けれど、でも、みほとは友達で、ボコ仲間だ。そんな人と不平等な条件で戦い、あまつさえ帰るべき場所さえも奪う形になってしまっている。

 そんなの、俺だって辛い。愛里寿は、もっと苦しいはずだ。

 そう思うと、いてもたってもいられなくなって――黒沢は、愛里寿に電話を入れる。時刻は午後の十八時、たぶん大丈夫なラインであるはずだ。

 1コール、2、

 

『はい、愛里寿です』

「あ、愛里寿さん。今、大丈夫?」

『うん、大丈夫だよ。どうしたの? 何か、あった?』

「あ、その……特に用事はないんだけれど、愛里寿のことが気になって」

『そう、なの?』

「うん。今さ、大学選抜のみんなさ、けっこう大変らしいから……その、なんていうか、そう! 楽しい話でもしようかなって思って」

 

 めちゃくちゃな言い分になってしまった。

 後先考えずに、感情任せに電話をかけた結果がこれだ。一応は自分なりに「休憩時間」を提案してみたものの、愛里寿からしてみれば余計なお世話としか思われないかもしれない。

 今は体力的にも、精神的にも大変であるはずなのに――今更になって、少しばかり後悔する。もっと、ちゃんと考えてから電話すればよかった。

 

『……黒沢』

「は、はい」

 

 思わず敬語が飛び出る。完全にビビっていた。

 

『――ベリーサンキュー、黒沢』

「え」

『嬉しい、ほんとうに嬉しい。やっぱり黒沢は、優しい人だね』

「そんなこと、ない」

『そんなことあるよ。黒沢はいつだって、私の傍にいてくれた』

「……愛里寿さんとは友達で、ボコ仲間、だから」

『うん。それでも私は、黒沢のことを、頼れる人だって思ってる』

「……そっか」

 

 愛里寿はきっと、笑ってくれているのだろう。声でわかる。

 また胸が痛くなる。今となっては、この反応すらも当然のものとして受け入れられる。

 

「じゃあ、とっておきの話をするよ。この間さ、種村達と、またプールに行ったんだけれど――」

 

 この後は、ほんとうに他愛のない時間が過ぎていった。

 種村達とのバカなやりとりとか、ビート板サーフィンリベンジで大コケした出来事とか、奮発してパフェ食ったこととか、その際に幽霊はいるかいないかで議論したりとか、そんなことを笑いながらで語っていって、愛里寿も「幽霊はいないと思う。見たことがないから」と真剣にコメントしてくれた。

 本当、戦車道とは何ら関係のない話ばかりをした。

 それでも愛里寿は、沢山の反応を、いっぱいの感情を示してくれた。

 それがとてつもなく嬉しくて、心の中で達成感が広がっていって、やっぱり電話をかけてよかったと思う。

 

「ごはんよー。今日はあなたの好きなカレーよー」

 

 ドア越しから、母の声。

 気がつけば、もう六十分ほどが経過していた。やはり、楽しい時間というものはあっという間に過ぎ去ってしまうものらしい。

 

「――っと。母さんに呼ばれたし、そろそろ切り上げていいかな?」

『うん。今日は、本当にありがとう。すごくすっきりできた』

「それは良かった。また今度、面白い話を仕入れるよ」

『うん。……よかったら、私も何か話したい』

「え、マジで? どんな話?」

『えっと……戦車道ばっかりになるかもしれないけど……』

「マジで? OK!」

 

 電話の向こう側から、愛里寿の含み笑いが聞こえてきた。

 戦車道に関しては、ここ最近になって興味が湧いてきたのだ。だからこそ、愛里寿の提案は大歓迎だった。

 

「……じゃあ、また今度聞かせて」

『うん。それじゃあ、』

 

 またね――そう言おうとして、今になって、「もっと、愛里寿のために何とかしたい」という義憤にかられ始める。

 もしかしたら、これが「最後」の電話になるかもしれない。ここで切ってしまえば、しばらくは愛里寿と通じ合うことが出来なくなるかもしれない。そんな予感めいたものを覚えてしまったから、黒沢はどうしても通話を切ることが出来ない。

 胸が痛くなる。熱が、体の内から溢れ出てくる。

 俺の手で、愛里寿をもっと助けたい。

 俺の手で、愛里寿をもっと笑わせたい。

 俺の手で、愛里寿を絶対に幸せにしたい。

 こんな独占的な感情を抱くなんて、生まれて初めてだ。最初は気のせいだと思っていたそれも、今となっては「ある」ものとして受け入れられる。

 この発作は、未だに正体不明だ。けれどこの病のお陰で、俺は以前よりも「生きている」とすら思う。不貞腐れていた頃とは、比べ物にならないくらい。

 ――考える。

 何かやり残していないか、何か――

 

「……愛里寿さん」

『なに?』

 

 そして俺は、あっさりと閃いた。

 

「時間がある時で、いいんだけどさ」

『うん』

「俺と一緒に、ボコミュージアムへ出かけない? ボコショーを見て、パワーをチャージしよう!」

 

『――うん! 行こうっ!』

 

 

―――

 

 

 ここ最近は、試合に関する手続きや運搬、対西住流の戦術構築などでずいぶんと忙しい。その為、黒沢と合流出来るのは十六時ほどだ。

 それでも黒沢は、「もちろん行く」と言ってくれた。その言葉を聞けただけで、島田愛里寿の口元はずいぶんと緩んだ。

 ――時刻は十五時半。黒沢と合流するために、愛里寿は中央公園まで足を運んでいく。

 この季節になると、暗くなるのはもう少し後だ。夕暮れは未だ見えない。

 人気のない静かな住宅地を歩みながら、愛里寿は――ヘッドホンを耳にしながらで、テンポの良い音楽をずっと流し続けている。これも、黒沢が教えてくれた曲だ。

 最初は正直、「少しうるさいかも」と思った。けれども音楽という激流は、そんな自分をも巻き込んでいって――気がつけば自分の首は、上下にぶんぶんと振りかざされていた。

 なるほど、これが音楽の力か。

 やっぱり、黒沢に教えてもらって正解だった。

 

 横断歩道の前で、ぴたりと止まる。

 

 黒沢と出会ってから、数週間ほどが経過する。

 黒沢とは、最初は観客同士という関係に過ぎなかった。そうして友人になれて、ボコ仲間になって――黒沢は、私の戦車道の力になりたいと、そう言ってくれた。

 その時に、自分は正体不明の発作を覚えた。最初は、ほんのちょっとした体調不良かと思ったのだが、それは黒沢と出会うたびに、日に日に色濃くなっていく。

 そう、黒沢と出会うたびに、だ。

 黒沢はいつだって、至近距離から応援してくれた。ずっと友達だと、力になると、確固たる意思を以てして宣言し続けてくれた。

 それはもちろん、嬉しい。

 

 赤信号になる。横断歩道を渡る。

 

 けれど最近は、どうも気持ちの様子がおかしいのだ。

 黒沢から「友達」と言われた時、胸が決まって痛みだす。しかも不思議なことに、焦燥感めいた感覚に陥るのだ。

 友達と言われて、何が不満なんだろう。けれど、友達と言われて不満に思う自分がいる。

 よくわからない。けれどこの病については、何だか気軽に聞いてはいけないような気がする。表にした時点で、黒沢との二人きりの時間が暴かれてしまうような気がしたから。

 黒沢と出逢えば、また胸が痛くなるのだろう。

 けれど、その刺激がなぜだか待ち遠しく思う。

 こんな感情を抱くなんて、生まれて初めてだ。

 ため息をつく。

 ――そろそろ、中央公園だ。時刻は十五時四十分、十分に間に合っ、

 

「あ」

 

 中央公園前に、黒沢がいた。

 まだ、二十分も猶予があるのに――愛里寿の顔が、緩んでしまう。

 

「ハロー」

「ハロー、黒沢」

 

 愛里寿がヘッドホンを、黒沢がイヤホンを外す。

 

「何日ぶりだっけ、四日?」

「それくらいだよね」

「そっかー……まあ、しょうがないよね。今、すごく忙しいんでしょ?」

「うん。機材の運搬から、対西住流に対しての訓練まで、色々やってる」

「っかー……いやホント、いいのかい? 俺の誘いなんかに乗って」

 

 その言葉に対して、愛里寿はきっぱりと首を横に振るう。

 

「なんか、じゃないよ。私も、黒沢と一緒にボコミュージアムへ行きたかったから」

「そ、っか」

「うん。……8月31日まで、だし」

 

 黒沢が、どこか遠い目になる。愛里寿も、小さくため息が出る。

 予想できていた結末だけれども、やっぱり、イヤだと思う。何とか出来ないものかと、愛里寿は必死になって思考を回してみて、島田流という大きな組織が思い当たって、

 

 ――娘の言葉を聞くのは、親の役目です

 

 言えなかった。

 西住流を越えるということは、島田流にとっての目標であり、夢といってもいい。それが実現した時は、らしくもなく三日三晩だけは浮かれるだろう。

 だからこそ、愛里寿は思ったのだ。来週の試合で西住みほに勝てば、少しのわがままは通じるのではないのかと。「西住流に勝てました。その見返りとして、ボコミュージアムに資金援助をしてください。島田流の財力なら可能なはずです」すらも言い通せるのではないかと。

 けれど、愛里寿は言えなかった。なぜならボコミュージアムは、島田流とは何の関連性もないから。ほんとうに単なるワガママでしかないから。だから、口に出来る糸口が見つからなかったのだ。

 それに、それに――来週の試合は、あまりにも不平等すぎる。

 たとえ勝ったとしても、おそらくは納得などは出来まい。手を抜くつもりはないが、達成感なんて抱けるはずもないだろう。

 そう思うと、口に出来なくてよかったと思う。

 これでよかったのだと、無理やり納得することにした。

 

「――愛里寿さん」

「うん」

「行こうか」

「うん」

 

 愛里寿と黒沢は、ボコミュージアムまでゆっくりと歩んでいく。その間に黒沢から、何でもない近況とか、励ましの言葉を伝えられていく。

 とても、嬉しかった。

 

 

 □

 

 

 いつの間にかボコミュージアムまでたどり着いて、「8月31日に閉館します」の門を潜り抜け、そのままボコショー会場にまで足を進めていく。人気らしいものは、相変わらず見受けられなかった。

 館内を歩んでいる最中でも、黒沢との雑談は止まらない。今日はどんな技をリクエストしようかな、今回こそ勝てるかな、何かグッズでも買っていこうかな。黒沢は楽しそうに笑い、愛里寿の顔も綻ぶ。

 ――思うと、この人と会ってからよく笑うようになったな。

 それは、いいことだ。間違いなくそう思う。

 

「じゃあ、入ろうか」

「うん」

 

 ボコショー会場に続くドアを、ややぎこちなく開ける。この軋む音も、すっかり馴染み深いものになった。

 そうして、真っ先に特等席へ向かおうとして、

 

「あ」

 

 七つの「あ」が、会場内で静かに反響した。

 だって特等席には、西住みほが、武部沙織が、五十鈴華が、秋山優花里が、冷泉麻子が座っていたから。

 

 口元が硬直し始める、血が冷えていくのを感じる、腹が重くなる、頭の中が氷漬けになる。

 どうしてここに――そう思いかけて、すぐに思い当たる。みほは、ボコ仲間だからじゃないか。

 こうして視線と視線が合ったままなのは、予想外を前にして硬直しているだけじゃないだろう。試合相手だからだとか、廃艦の命運がかかっているとか、そういった気まずさもあって、双方とも動けないでいるに違いない。

 ――どうしよう。

 口元を、ぎゅっと閉じる。

 このまま、帰ってしまおうかと思う。けれど、8月31日にここは閉館してしまう。何より、せっかく黒沢が誘ってくれたのに帰るだなんて。

 

「愛里寿さん」

「あ」

「……どうする?」

 

 また、手を握ってくれた。

 ――また、自分の力になってくれている。

 

「……見る」

「わかった」

 

 そうして愛里寿は、黒沢は、右側の席に腰を下ろす。隣を見れば、みほを中心とした五人組が座っている。

 ボコショーはまだ始まらないのか、会場内は恐ろしいくらいに静かだ。誰一人として、口を開かない。

 どうしよう、何か言ったほうがいいんだろうか。このまま沈黙を引きずったままでは、何ともいえない気持ちのままでボコショーを見る羽目になる。

 それは嫌だ。けれど勇気が沸き立たない、気まずさという重力が口を閉ざす。

 

「――西住さん」

 

 愛里寿の両目が、びっくりするくらい開いた。

 

「なに? 黒沢君」

「えっと、偶然ですね。今日はどうしたんですか? 俺らはまあ……ボコからパワーを貰おうとしてるんですけど」

 

 そしてみほが、くすりと苦笑した。

 

「実は私も、ボコからパワーを貰おうとして、ここに来たんだ」

「そうだったんですか。ですよね、ボコを見ると前向きになれますよね」

「うん。……えっと、今日も一緒に、ボコを応援しようね!」

 

 みほが黒沢に、そして愛里寿に対して笑顔を振りまく。

 ――思う。

 どうしてそんなに、あなたは強いの。こんな圧倒的不利な状況で、あなたはどうして友達でいてくれるの。

 でも、思う。

 逆の立場でも、自分は同じことをしていただろう。なぜなら、自分の隣には黒沢がいるから、自分の心を保証してくれる人がいるから。

 みほがああいう風に振る舞えるのも、四人の仲間がいるからこそ、なのだろう。仲間がいなければ、世界はうまく回ってくれはしない。

 改めて、みほを見る。

 この気まずさを、未練のような気持ちを、もやもやを、試合が始まる前に何とかして払拭したい。だってみほは敵なんかじゃなくて、友達だから、ボコ仲間だから。

 何もしないで、ただ試合を迎えるなんて嫌だ。

 みほの笑顔を見てしまったからこそ、そう思う。

 

「あ、愛里寿さん?」

 

 黒沢の手を、そっと離す。そうして愛里寿は、みほへ歩み寄り、前に立った。

 

「――何、かな?」

「……あの」

 

 みほの、沙織の、華の、優花里の、麻子の視線を至近距離から受けて、頭の中が真っ白になりかけた。

 勢いのまま、立ち上がったのは良い。堂々と、前向きに試合を行いたいという目的を持つのも良い。ただ、それらをどう言葉にして良いのか、今の愛里寿には判断がつけずにいる。

 どう決意表明すれば、みほに嫌われずに済むのだろう。何と言えば、嫌な気持ちを吹っ飛ばせるのだろう。

 慰めなんて論外だ。激励は何か違う。手加減しないで戦う――圧倒的有利な状況で、それを言うのか。

 難しい。命令ではなく、自分の意思で言葉を紡ぐのは、ほんとうに困難なことだ。

 

 五人の無表情な視線が、とにかく恐ろしい。何とかして言葉を口にしようとするも、間違いを言ってしまうのが怖い。

 助けて、お母さん。助けて、みんな。助け、

 

 その時、手に、強い熱がこもった。

 

 手を、そして隣を見る。

 わたしの隣には――やっぱり、黒沢がいた。

 試合には何も関わらないはずの黒沢が、わたしの近くにいて、わたしの手を強く握りしめていて、一緒になってみほを見つめていた。

 

「――黒、沢」

 

 黒沢が、わたしに振り向く。

 そして黒沢は、にこりと笑った。小さく、けれども力強く頷いてくれて。

 黒沢は、あくまで無言だった。けれども彼からは、言葉にする以上の応援が聞こえてくる。

 

 ――ああ、

 

 冷え切っていたはずの血が、どうしようもなく熱くなっていく。「言ってみよう」という獰猛な勇気が、芽生えてくる。

 黒沢はいつだって、大事な時にわたしのところへ駆けつけてくれた。言葉で、触れ合うことで、わたしに力をくれた。

 そうされるたびに、胸がずきりと痛くなって、黒沢のことをよく想うようになって――

 黒沢のいない世界なんて、もう考えられない。

 今、はっきりと、そう思う。

 だからわたしは、息を大きく吸う。黒沢の期待に応えたいから、後悔なんてしたくないから、西住みほと全力で戦いたいから。

 

「西住さん」

「何?」

「来週の試合は、私は全力で戦う。戦力差や、経験の差は把握しているけれど、私はあなたと、堂々と戦いたい。それが戦車道履修者としての、義務だと思っているから」

「――島田、さん」

 

 みほの瞳が、揺れ動いている。

 

「だから西住さん、あなたも私にぶつかってきて。私達は妥協せずに、それを迎え入れる」

 

 沙織が、まばたきをする。

 

「あなた達にのしかかった責務や、重みはよくわかってる。けれど恐れずに、私達と戦って欲しい」

 

 華が、わたしをじっと見つめている。

 

「私は誓う。お互いに悔いのないような戦いをすると、絶対に誓う」

 

 優花里が、真剣な表情でわたしを見据えている。

 

「だから、私に見せて欲しい。西住流を、廃艦を阻止した大洗の戦い方を。それを、島田流ニンジャ戦法で抗いたい」

 

 麻子が鋭く、わたしを捉える。

 

「こんな決意表明は、あなた達には何のためにもならないことはわかってる。自己満足だということは、理解してる」

 

 繋がれた手を、ぎゅっと握りしめる。

 

「でも、私は、堂々とあなた達と戦いたかった。友達として、ボコ仲間として、礼を尽くす戦車道履修者として、本心本音を打ち明けたかった」

 

 最後に、息を思い切り吸い込む。

 

「――来週の試合は、どうかよろしくお願いします」

 

 一礼。

 

「――島田さん」

「はい」

「ありがとう。島田さんの言葉は、たしかに伝わったよ」

 

 頭を上げる。

 

「うん。私も全力を以て、あなた達と戦います」

「――私も、戦います」

 

 黒沢と紡がれたままで、みほと握手を交わす。強く強く強く。

 

「絶対に、」

 

 みほが、ポケットから、

 

「絶対に、」

 

 わたしは、ポケットから、

 

「勝ちます!」

「勝ちます!」

 

 勇気の印(ボコ)を、互いに見せあった。

 

 

 

 

 何事もなくボコショーが始まった後は、一同揃って頑張れ負けるなそこだやられちまったーと叫び、倒れたボコが「オイラに力をくれ」と腕を伸ばす。そうして黒沢は、愛里寿は、みほは、沙織は、優花里は、華は、麻子から、色とりどりの応援が発射されて、ボコがおっしゃあと立ち上がった。

 そうして黒沢からのリクエスト、「正拳突き」をお見舞いしようとして――もちろんスカって、ボコられて、「次は必ず勝つぞ!」の一言でボコショーの幕は閉じられる。

 

「……やっぱり、勝てないの?」

 

 沙織が、脱力気味に言う。

 その言葉に対して、答えなんてものは一つしかない。

 

「それがボコだから!」

「それがボコだから!」

「それがボコだから!」

 

 

 ――いくらか買い物を済ませた後で、そのまま外に出てみれば、空はいつの間にか赤色に染まっていた。

 先ほどの件もあってか、この風景がどこか清々しく見える。機嫌だって、最高潮といってもいい。

 それほどまで、先ほどの決意表明はエクセレントだった。愛里寿が救われて、心の底から良かったと思える。

 

「――黒沢」

「うん?」

「その、あなたを巻き込んでしまってごめんなさい。さっきのあれは、びっくりしちゃったよね?」

「いや。力になれてよかった、最高に格好良かった」

「……そっか」

 

 そして黒沢は、照れ隠しをするように頭を掻いて、

 

「むしろ、俺の方が悪いっていうか……いきなり手を握って、悪い」

「う、ううん! そんなことない! 黒沢のおかげで、私は勇気を振り絞れた!」

 

 改めて、黒沢は内心でびっくりする。

 ここまで勢いよく、力説する愛里寿は珍しかったから。

 

「――そっか。うん、それはよかった」

「……うん」

 

 五人組は、もう少しだけボコミュージアムで遊んでいくという。だから今は、愛里寿と二人きりだ。

 たったそれだけのことなのに、胸がぎりぎりと痛みだす。発作が、頻繁になり始めている。

 

「愛里寿さん」

「うん」

「来週、頑張って」

「うん、ありがとう」

「幸運を、祈ってる」

「うん」

 

 気づけば、もう門の前だった。

 愛里寿とのひとときは、これでおしまい。

 

「じゃあ、今日はこのへんで。俺でよかったら、いつでも相手になるから」

「うん」

「またね」

 

 手を振るい、愛里寿を背に帰路へついていく。一歩二歩、三歩と踏んでいって、

 

「黒沢っ」

 

 片足が、宙に浮いたままで止まる。

 

「なに?」

 

 振り向いてみれば、

 そこには、目を逸らしっぱなしの愛里寿がいた。

 

「あ、あの」

「うん」

 

 何だろう。そう思いながら、愛里寿の言葉を待つ。

 

「その」

「うん」

「……黒沢はこれから、急いで帰る?」

「? いや、特になにもないけど?」

 

 それを聞いた愛里寿が、黒沢めがけちらりと目配りする。

 ――そんな些細な仕草に対して、心がびくりと動く。

 

「えっと、じゃあ」

「うん」

「――よかったら、一緒に、帰って欲しい」

 

 黒沢は、すぐには返事をすることができなかった。だって、初めて言われたことだから。

 愛里寿は恐る恐る、黒沢のことだけを見つめている。夕暮れのせいか、いつもより顔が赤い。そんな愛里寿を前にして、黒沢の呼吸が少しだけ止まる。

 けれど、でも、答えなんて一つしか考えられなかった。

 

「愛里寿さん」

「うん」

「もちろん。俺でよければ」

「あ――ありがとう、黒沢っ」

「いやいや、俺のほうこそ」

 

 微妙にとんちんかんなことを言ってしまう。けれども、本音なのだから仕方がない。

 愛里寿は嬉しそうに微笑み、足音を立てて近づいてきて、黒沢の隣に立ってみせた。

 

 そして愛里寿は、黒沢におそるおそる手を伸ばして、けれども引っ込めてしまって――それでもなんとか、手を差し出した。

 

「――え」

「……えっ、と。だめ?」

 

 首を、小さく横に振るう。

 

「愛里寿さん」

「うん」

 

 黒沢は、その小さな手をそっと掴む。それは、夏よりも熱い手だった。

 

「行こう、か」

「うん。……黒沢」

「なに?」

 

 愛里寿の目に、自分の顔が映っている。そう見えるくらい、愛里寿とはこれっぽっちも離れていない。

 

「私のことは」

「うん」

「私の、ことは、」

「うん」

 

「――愛里寿って、呼んで」

 

 

 ――家に帰ったら、この原因不明の病について、親に聞いてみよう。

 

 

―――

 

 

 来週の試合に向けての準備、訓練等はだいぶ整ってきた。当日まではまだ時間があるが、早すぎて悪いことはない。

 そして、何よりの問題である「参加する意思」は――誰一人として、断りなどはしなかった。曰く、試合があるなら受けて立つまで。手加減などはしません。島田流の誇りにかけて。

 みんな、良い選手に育ってくれたと思う。だからこそ、申し訳無さが止まらない。

 若いみんなを、娘を、こんな下らないオトナの事情に巻き込みたくなどなかった。礼節に則った、規則正しい戦車道を歩んでいってほしかった。

 大学選抜チームの責任者として、家元として、大人として、母として、心の底からそう思う。

 デスクの前で、ため息をつく。

 ざっとネットを調べてみても、やはり政府に対しての、大学選抜に対しての批判は多い。廃艦を撤回しろとか、大学側は辞退しろとか、空気を読めとか、可哀想だとは思わないのかとか――どれも否定できない。ちくしょう、と思う。

 かといって、試合を放棄することなどはできない。そんなことをしてしまえば、文部省からの信頼関係にほころびが生じてしまうからだ。

 戦車道の繁栄の為に、これからも政府とは関係を保っていく――組織とはなんと、面倒なものか。

 

 書類から目を逸らし、椅子にもたれかかる。

 窓から赤い夕暮れが射し込まれ、緩い風が白いカーテンを揺らす。朝から今まで、虫の音が鳴り響き続けている。

 たまには外に出て、何も考えずに散歩でもしてみようか。余裕があれば、愛里寿と一緒に遊んだりしたい。

 

「ただいま」

 

 噂をすれば。

 島田千代は「よいしょ」と椅子から立ち上がり、そのまま玄関へぱたぱた移動する。

 

「おかえりなさい、愛里寿。今日もボコミュージアムへ行ってきたの?」

「はい」

 

 そして愛里寿は、リビングに立ったままで一歩も動かない。

 対して千代は、二度ほどまばたきをする。そのまま自室へ向かっていって、音楽を聴くものとばかり思っていたから。

 

「……愛里寿?」

 

 そして愛里寿は、明確にうつむいた。

 その、あまりにも「珍しい」行動に、声が出ない。

 そして、そのままの時間が、音もなく過ぎていった。

 ――何があった、とは言わない。だって愛里寿は、何かを言おうとしているから。決意を固めようと、必死になって頑張っているから。だから、余計なことは一切口に出さない。

 外から、戦車の走る音が響いてきた。

 愛里寿は、ほんとうにそっと、そっと首を上げて――私の両目を、はっきりと見据えた。

 戦車隊隊長の顔をしていた。

 

お母さん(・・・・)

「なに?」

「一つ、わがままを聞いてほしいの」

 

 生まれて初めて、そんな言葉を愛里寿の口から聞いたと思う。

 その四文字に反して、愛里寿の顔は、瞳は、意思は固い。

 

「……言ってみて」

「はい。――近くに、ボコミュージアムがあることは知っているよね?」

「ええ」

「そこがね、廃館になりそうなの」

「……まあ」

 

 思い出す。あの時の、愛里寿の浮かない顔を。

 ボコについて詳しくはないが、愛里寿にとっての、かけがえのない存在だということは知っている。

 

「だから、その――その、そのっ」

 

 愛里寿の右手が、ぎゅっと握りしめられる。

 

「ボコミュージアムのスポンサーになってほしい、資金援助をして欲しい」

 

 気圧された。

 だって、あまりにも感情的な声だったから。

 

「もちろん、ただでとは言わない。来週の試合に勝ったら、西住流に勝てたらでいいから。だから、このわがままを聞いて欲しいの」

 

 ――西住流に勝つ意味合いは大きい、ということですね?

 

 だから愛里寿は、改めて、打倒西住流の重みを確認したのか。わがままに釣り合うだけの理由を、探していたのか。

 愛里寿は無表情の眼差しで、けれども千代の目をじっとじっと見つめている。人見知りの愛里寿が、真剣に人と向き合っている。

 はぐらかしなんて一切許されない。「はい」か「いいえ」か、聞き入れるか聞き捨てるか、それしか通じ合えない瞬間。

 

 だから千代は、こう答えた。

 

「わかったわ」

 

 愛里寿の目と口が、丸く開いた。

 

「よく、言ってくれたわ。そうよね、愛里寿にとっては……あそこは、とっても大切な場所だものね。いいわ、約束する」

「お母、さん」

「愛里寿はいつも、頑張っているもの。お母さんとして、これぐらいのことはしてあげたい」

 

 そうして、愛里寿の頭をそっと撫でた。愛里寿は、顔を赤くしながらでうつむいていく。

 

「勇気を出してくれて、本当にありがとう」

「――うん」

 

 ボコミュージアムへ行ったことはない。

 けれど、愛里寿がボコミュージアムのことが好きなのも、ボコミュージアムで「誰か」と出会えたことも、千代は知っている。

 だから、わかるのだ。失いたくないという、愛里寿の願いが。

 

「……ねえ、愛里寿」

「なに?」

「ボコミュージアムのこと、どれくらい好き?」

 

 その、何気ない質問に対して――愛里寿は、首をそっと上げて、

 

「大好き! 大好きだよ!」

 

 私に対して、ありったけの笑顔を見せてくれた。

 

 

―――

 

 

 今日の夕飯は、黒沢の大好きなカレーライスだ。父も母も嬉しそうな顔をして、「さあ食べて」と言ってくれた。

 その黒沢はといえば、機械的な手付きでカレーライスを掬い続けていて、そのくせ味覚もあまり働いていない。愛里寿のことばかりを考えているせいで、ロクに食欲が働いていないのだ。

 そして、親はそれを見逃さない。父と母は顔を見合わせ、示し合わせたように「うん」と頷きあって、母がにこりと笑う。

 

「ねえ」

「うん?」

「どうしたの? 何か、嫌なことでもあったの?」

「……いや、そういうわけじゃないよ」

「ほんとう? 相談なら、乗るわよ」

 

 苦し紛れの嘘をついたわけじゃない。むしろ、良いことがありすぎたくらいだ。

 少しでも頭を働かせてしまえば、ボコミュージアムでの出来事が、愛里寿と手を繋ぎあったことが、おそるおそる「愛里寿」と呼んだことが、鮮明にフラッシュバックしてしまう。

 胸の痛みは、今も続いている。

 末期症状というやつなのかもしれない。

 もう潮時だ。親に、この正体不明について聞いてみようと思う。

 

「……じゃあ一つ、聞きたいことがあるんだけれど」

「ええ」

「言ってみろ」

 

 母も父も、食事の手を止める。

 

「その、俺――俺の友人からさ、ある相談を受けたんだ」

「友人から?」

「うん。俺の友人がさ……そいつは男なんだけれど、こう言ったんだ。ある女の子の笑顔を見ていると、胸が苦しくなる、けれども全然不愉快なんかじゃない。どうしていいかわからないって」

 

 少し遠回りな言い方になってしまったのは、直接伝えるのが何だか恥ずかしかったから、愛里寿との交流が見透かされてしまうような気がしたからだ。

 それを聞いて、父と母は再び顔を合わせる。そうして、ほんとうに嬉しそうな顔を浮かばせ合って――父が、母が、自分のことを見据える。

 

「それは、私にも覚えがあるわ」

「あるの?」

「ええ。……そのお友達には、こう教えてあげて」

「う、うん」

 

 父と母は、まるで自分のことのように、上機嫌そうに微笑んでいる。その表情から、黒沢は逃れることができない。

 

「その、大切な感情の名前はね――」

 

 

―――

 

 

 ――じゃあ、夕飯を作るから。できたらメールで呼ぶわね。

 

 自室に入って、ドアを閉めて、そのままベッドに寝転がって――ヘッドホンをつける。

 言いたいことは全て言えた。だからこそ、ほんとうに疲れてしまった。このまま戦車に乗れと言われても、たぶんノーサンキューと答えると思う。

 ため息。

 よく、わがままが言えたなと思う。

 それを口にできたのも、すべては、黒沢のぬくもりが手に残っていたからだ。

 

 家に帰るまで、黒沢とはずっと手を繋ぎっぱなしでいた。口数は少なかったけれども、笑い合ったりするだけで心が満たされた。家にたどり着いた時なんて、ため息まで漏れちゃったっけ。

 ――胸の痛みは、今も続いている。

 静かな部屋の中で、愛里寿は、音の無いヘッドホンを身に着けたままで携帯を真正面に添える。パスワードを入力して、画面に光が灯って、検索サイトに文字を入力する。

 

 胸の痛み 異性に対して

 恋愛に関するサイトが引っかかる

 

 異性に対して どきどきする

 恋愛感情か否かの、確認サイトが引っかかる

 

 あの人と一緒にいたい

 もしかして? 恋

 

 画面を切る。

 携帯を胸の上に置いて、両目をそっとつむる。抑えきれない鼓動を、抱えたまま。

 

 笑みが、そっとこぼれ落ちてきた。

 

 

 




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