十三歳の天才少女は、普通の恋をした   作:まなぶおじさん

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それが、ボコだから

 九月も、半ばを過ぎた。

 

 すっかり涼しくなったし、空はすぐに暗くなるし、虫の音も聞こえなくなったけれども、戦車道は今日も続いていく。そしてまた、メグミは島田愛里寿にコテンパンにされてしまうのだ。

 ほんとう、愛里寿は強い。しかもやっつけるだけじゃなくて、良かった箇所とか、見直すべきところとか、そういったものもしっかり指摘してくれる。

 さすが隊長だ、と思う。これが天才か、と思う。

 何度も敗北して、そのたびに愛里寿の言葉を聞き入れ、そうやって悪かった点を潰していくうちに、自分も段々と強くなってきた。そう実感できるようになった。

 

 戦車道における愛里寿の生き様は、以前と変わらない。

 けれどもそれ以外は、何だか少しずつ変わっていっているような気がする。

 

 まず気がついたのは、練習試合後の流れだ。

 以前の愛里寿は、一時間後の休憩を宣言した後に、決まってどこかへ消えていってしまったのだ。それも全速力で。

 もちろん、このことは選抜メンバーの話題の種になった。

 そうして真っ先に出た「結論」はといえば、誰かとこっそり会っているということ。そして、その誰かとは愛里寿の友達――或いは、彼氏なんじゃないか、ということ。

 愛里寿のいないところで、きゃーきゃーぐらいは言う。けれども、愛里寿の背を追ったりはしない。隊長のプライベートを覗き見しようものなら、家元からヤキが入るだろうし、他の選抜メンバーからも「反省会」を強いられるだろう。

 みんな、隊長のことが好きなのだ。

 みんな、隊長の楽しみを邪魔したくないのだ。

 だから、噂程度に留めておくという暗黙の協定が仕上がっていた。

 

 ――けれど、

 

「よし。では一時間後に、反省会を行う。何か質問は?」

 

 沈黙。

 

「それでは、時間まで体と心を休めるように」 

 

 はい! 

 

「では、解散」

 

 そうして愛里寿は、その場でタブレットを操作し始めた。いつもの真顔のまま、走ることもなく。

 

 そんな愛里寿を数回ほど見て、メグミは何となく思うのだ。

 ――夏が過ぎ去って、愛里寿にとっての何かが終わってしまったのではないのかと。

 淡々とタブレットを操作する愛里寿を見て、メグミは根拠もなく、寂しそうだなと感じる。

 けれども、メグミには「何かありましたか」と聞く権利はない、そんな勇気もない。愛里寿の秘密を暴くなんて、隊員だからこそしてはいけない。

 

「メグミ」

 

 聞き覚えのある声に、メグミは振り向く。

 アズミがいた。

 

「どうしたの? 隊長に用事?」

「あ、う、ううん。そういうわけじゃないんだけれども」

「そ。じゃあ、隊長から少し離れましょう。邪魔しちゃ悪いわ」

「うん、そだね」

 

 気のせい、だろうか。

 アズミがどこか、陰りのある表情をしていたのは。

 

 ――その時、あたり一面に賑やかな音楽が響き出した。

 

 トランスミュージックだ、サンダースでは馴染み深かったジャンル。

 そしてこの曲は、「この大学で」何度か聴いたことがある。

 

「あっ」

 

 その発信源は島田愛里寿、の携帯、の着信音だ。

 それだけでも驚きだというのに、この着メロを受信した後の愛里寿ときたら、

 

「あ、もしもし? うん、うん、大丈夫。どうしたの?」

 

 とても嬉しそうな顔をしながら、通話をし始めるのだ。

 そしてそのまま、戦車の陰にまで駆け込んでいく。

 それを見てしまって、もういない愛里寿へ釘付けとなる。誰なんだろう、そんな憶測が頭の中で湧いて出て、

 

「メグミ」

 

 肩の上に、手を置かれた。

 

「行きましょう。邪魔しちゃ悪いわ」

 

 アズミが、軽やかに笑った。

 メグミも、「そだね」と頷く。

 

 ――愛里寿は、まちがいなく変わった。

 音楽を聞くようになって、特定のメールや通話に対して顔を明るくするようになって、メグミは心の中で「いい人と出会えたのかな」と、そう推測している。口には出さないけれども。

 もしも、この憶測が正しければ、自分は全面的に愛里寿の応援をするつもりだ。

 心臓を、軽く抑える。

 自分はいま、とても幸せだ。だから愛里寿にも、幸せになってほしい。

 

 

―――

 

 

 秋になって、ずいぶんと寒くなった。

 

 それでも戦車道は止まらない。そして、今日も今日とてルミは島田愛里寿に負けてしまった――以前よりは、割といいセンはいっていたのだけれども。

 愛里寿の尊敬出来るところは、やはり惜しみなく「対処法」を教えてくれることだと思う。具体的なだけあって、次はこうしてみよう。こうすれば裏をかけるのではないのかと、そんな気にさせてくれるのだ。

 やはり愛里寿は、天才にして最高の戦車隊隊長だ。いつか自分が愛里寿に勝とうとも、この価値観だけは不変のままであり続けるだろう。

 

 けれど、そんな愛里寿にも変化したところがある。

 その最もはといえば、やはり音楽に目覚めた点だろう。本当に突然だったものだから、選抜メンバーも少々動揺して「なぜ音楽を?」という疑問が乱立した。気まぐれによるものか、誰かの影響か、隊長のお眼鏡に叶う音楽と出会えたのか――答えは見つからなかったが、結論としては「趣味が増えるのはいいことだ」で落ち着いた。気分転換は重要なのだ。

 

 そうして愛里寿は、暇さえあればヘッドホンを身につけ、音楽の世界に浸るようになった。

 ノリのいい音楽を聴くことが多いのか、小さくヘッドバンキングをすることもしょっちゅう。それがめちゃくちゃ可愛いと、隊員の中では評判になっている。

 時には嬉しそうな顔をして、時には両目をつぶって、時には小さく歌ってみせて、

 ときどき、寂しそうな顔をすることがある。

 

 ――ほんとう、たまたまだったのだ。

 

 大学内の渡り廊下を歩いていたところで、壁に背を預けていた愛里寿を見つけた。音楽を視聴中らしく、ヘッドホンを身に着けていて――ルミの眼鏡が、はっきりと捉えてしまった。愛里寿の、陰りのある横顔を。

 声なんて、かけられなかった。身も心も、硬直してしまっていた。どうしたらいいのかと、無言で狼狽していたところで、

 

「あ、ルミ」

 

 何事もなかったかのように、無表情で声をかけられた。ヘッドホンを取り外して、わざわざルミの方にまでやってきて。

 

「――こんにちは、隊長。音楽を、聞いていたのですか?」

 

 取り繕うように、平然とした顔で質問する。

 愛里寿は、こくりと頷いて、

 

「うん。お気に入りの曲」

「へえ、どんな?」

「激しくて、身も心も躍れるトランスミュージック」

「へえ」

 

 その言葉に、ルミは強い違和感を覚えた。

 身も心も躍れるのなら、あの時どうして、愛里寿はあんな顔をしてしまっていたのだろう。

 わからなかった。

 考えてみても、わからなかった。

 だからルミは、平然と頷くことしかできない。

 

「トランスミュージック、ですか。そういえば、ここ最近の着信音もトランス系ですよね」

「――うん」

 

 聞き逃がせなかった。

 愛里寿の、重い返事を。

 

「あ……すみませんっ、何か無礼を、」

「ううん。ルミはなにも悪くない」

 

 愛里寿は、申し訳なさそうに苦笑いする。

 息が漏れた。そんな表情、いままで見たこともなかったから。

 

「ねえ」

「はい」

「ルミは、どんな音楽を聴くの?」

「私ですか。私は……あれですね、民族系を聴きます」

「民族系……いいね。どんな?」

「有名どころで、サッキヤルヴェンポルッカとか」

「そうなんだ」

 

 愛里寿は、いいことを聞いたとばかりに微笑んで、

 

「後で、教えておこう」

 

 ルミは、純粋に首を傾ける。

 

「――教える? 誰にですか?」

 

 ルミの疑問に対して、愛里寿が「あ」と小声を漏らす。

 そうして愛里寿は、焦ったように首を横に振るい、

 

「……いや、なんでもない。気にしないで」

「は、はい」

 

 なにも見なかったかのように、ルミは返事をした。

 

「ルミ」

「はい」

「いい音楽があったら、何でもいいから教えて」

「はい、もちろんです。今度、色々とチェックしてみますね」

 

 それじゃあ――そうして、愛里寿とはそのまま別れていった。

 愛里寿の意外性から解放された瞬間に、大学内から音が生き返った。そこかしこからの他愛のないお喋り、階段の上り下り、理由がわからない笑い声、外から響く無限軌道。

 緊張感が抜けて、一人で深呼吸する。いなくなってしまった愛里寿のことを、ようやく冷静になって思い返す。

 

 ――誰に、おすすめの音楽を教えようとしたんだろう。

 ――誰。そう聞いて、どうして隊長は焦ったんだろう。

 

 わからなかった。

 わからなかったけれども、なんとなく推測は出来る。その「誰か」も、忘れられない隊長の横顔も、すべて音楽が関係していた。いまの愛里寿にとって、音楽には何らかの思い出があるのかも、

 ――指を鳴らす。

 連鎖的に発想した。ここ最近の、愛里寿の着信音について。

 例のトランスミュージックが流れると、愛里寿は「必ず」嬉しそうな顔になる。そしてそのまま、携帯を耳に当てながらでどこかへ歩み去ってしまうのだ。

 もしかしたら、その「誰か」とは、愛里寿に音楽を教えた人で、愛里寿にとっての大切なひとなのかもしれない。

 口元が、緩む。

 そうだ、そうに決まっている。大切な――好きな人という存在は、いつでもどこでも笑顔をもたらしてくれる。その人の話をされると、つい感情的になってしまう。

 だから愛里寿は、「誰に」という質問に対して、つい焦ってしまったのだ。

 なるほど、そういうことか。

 ならば、自分はこう誓おう。 

 

「――見守ろっと」

 

 もしも愛里寿が、相談なりを持ちかけてきたら、自分はそれに是非とも応えよう。

 それでいい、それで。

 

 腕時計を見る。こんな時間かと呟きながら、ルミは花壇へと向かっていった。

 

 

―――

 

 

 11月が訪れて、雪が降ってきた頃。

 

 今日も今日とて、家元が処理するべき仕事は沢山ある。選抜チームの評価、世界大会への意見、無限軌道杯に関しての手続きと、量は決して少なくはない。

 ただ、前の状況よりはだいぶ落ち着いた。相変わらず大変ではあるが、忙しくはない、ということだ。

 ――だから、

 

「お母さん」

「何? 愛里寿」

「ちょっと、ミュージアムへ行ってくるね」

「ええ、わかったわ。……ああ、愛里寿」

「なに?」

「あと少しすれば、冬休みがやってくるわよね」

「そうですね」

「……だから、旅行の一つでもしてみたらどうかしら。大丈夫、時間はあるから」

 

 だから、愛里寿の願いを聞く時間はある。なかったとしても、無理矢理作るつもりではあるけれど。

 ――でも、愛里寿はあくまでも、ほんとうの真顔のままで、

 

「いえ。私には、大学のみんなを育てるという役目がありますから」

「でも」

「お母さ、お母様には、ボコミュージアムのスポンサーになってもらうというお願いを聞いてもらいました。私はそれに応えるまで、島田流に心身を尽くします」

 

 愛里寿は、「正論」を口にしてしまえた。

 愛里寿は、真面目に自覚しているのだろう。ボコミュージアムという、島田流とは何の関係もない施設を援助してもらうというのは、単なる私情でしかないということに。

 

「……それは、愛里寿が頑張ったから」

「お母様が気遣ってくれていることは、よくわかります。ですが私は、彼に誓ったんです」

 

 食卓で、愛里寿が語ってくれたこと。

 

「大学のみんなが、私をも越える島田流を体現できるようになったら……その時こそ、黒沢に会うと」

「――そう」

「その日が来るまで、私は戦車道とともにあります」

「わかったわ」

 

 愛里寿は、無表情で、

 

「話は、以上です」

「うん。……じゃあ、ミュージアムでたくさん遊んでね。遅くなりそうだったら、連絡をちょうだい」

「はい」

「車と戦車には、気をつけるのよ」

「はい。では、行ってきます」

 

 愛里寿は一礼して、そのまま事務室から出ていく。間もなくして、玄関のドアが開かれる音が響いた。

 椅子ごと振り向き、窓越しから愛里寿の後ろ姿を確認する。その足取りはとてもゆっくりで、どこか無機質に思えて、仕事へ行く大人のようだった。

 椅子を、デスクの前に向ける。

 ――ほんとうに、背が伸びてしまっていた。 

 

 あの時の愛里寿の表情は、まちがいなく大人で、戦車隊隊長そのものだった。

 

 前からも、今も、愛里寿は本当に頑張りすぎていると思う。十三歳にして戦車道の、島田流の繁栄を背負いながら、決して少なくない大学選抜チームの育成を担っている。

 愛里寿はまだ、十三歳だ。恋する女の子だ。

 それなのに愛里寿は、彼に会いたいとは決して言わない。島田流に心身を尽くすと、そう言えてしまった。

 愛里寿はまちがいなく――天才少女だ。

 ため息をつく。

 もしも、愛里寿が「当然」の権利を口にする日が来たら――自分は、それに何としてでも応えるつもりだ。戦車を使ってでも、いざとなれば空だって飛んでみせる。

 

 それが、母というものだ。

 

 

―――

 

 

 黒沢の顔を見なくなって、数週間も経った。

 

 ここ最近の大学選抜チームは、かなりレベルが上がっていっている。一両に三両は当たり前、いざとなれば四両を相手取ったりと、目覚ましい進歩を遂げているのだ。

 ある隊員は言う、「隊長のお陰です」。ある隊員は言う、「一生ついていきます」。ルミは言う、「教えた通りにしつつ、自分なりにアレンジしてみました。上手くいきました」。メグミは言う、「今なら西住流に勝てそうな気がします」。アズミは言う、「いつもありがとうございます。お疲れ様です」。

 

 ――うん。

 

 歩き慣れた道路を歩み、渡り慣れた通学路を進んでいく。

 母は、自分に気遣ってくれている。大学のみんなは、着実に腕を上げていっている。やる気も十分で、脱落者なんて一人もいない。このまま世界へ進出しても、特に問題は無いと思う。

 

 けれどまだ、私は負けたことがない。

 

 戦車乗りとしては十分だが、島田流としては「これから」だ。だからこそ、戦車隊隊長としては「その域に達していない」と思うし、誓いを果たしていないと自覚もできる。

 ――誰かが否定しようとも、自由になることを許してくれようとも、自分は役目を全うし続けるだろう。

 なぜなら、

 

 その時、ヘッドホンごしからトランスミュージックが流れ出した。

 愛里寿はすぐさま携帯を取り出し、それを口元に近づける。

 

「もしもし?」

『あ、愛里寿? いま、大丈夫?』

「うん、大丈夫大丈夫。どうしたの?」

『あー、いやー、その、愛里寿と話がしたくなって』

 

 愛里寿の顔が、冬空の下で明るくなる。

 

「そ、そう。ありがとう」

『いやあ……あ、そうそう。この間さ、友人達と雪合戦したんだよ。その中に野球好きな奴がいて、実にクレイジーな豪速球を投げつけられちまった』

「ええ……大丈夫だった?」

『すげー痛かった。あそこまで速いと、逆にもう笑っちまうね』

「あ、それはわかる。すごすぎると、こう、呆然としちゃうっていうのかな」

『そうそうそんな感じ。まあこっちもやり返したし、超楽しかったけどね』

「……そっか。よかったね」

 

 歩道は雪に染まっていて、踏みしめるたびに鈍い音がする。

 

『愛里寿はどう? 調子とか』

「あ、うん。すごくいい、みんな成長してる」

『そっかー。もう少しで武勇伝が聞けるのかな?』

「そうかも、しれない」

『わかった。……俺はずっと、愛里寿のことを待ってるから。絶対に忘れないから』

「ありがとう……サンキュー!」

『いやいや。じゃあ、そろそろ切るけれど、他に何かあったりする?』

「ううん、ないよ」

『わかった』

 

 愛里寿から電話をかけても、電話がかかってきても、いつだって最後の言葉は、

 

『大好きだよ、愛里寿』

「私も大好きだよ、黒沢」

 

 通話が切れた。

 立ち止まって、安堵したように微笑む。名残惜しそうに携帯を胸に抱いて、しばらくはそのまま。

 やがて愛里寿は、携帯を操作し始める。黒沢が勧めてくれた、ご機嫌なナンバーを流しながらで――愛里寿は、前に歩み始めた。

 

 黒沢はきっと、このまま会いに行ったとしても失望したりはしないだろう。思いつく限りの言葉を、ありったけ投げかけてくれるだろう。

 これは自惚れなんかじゃない、確信だ。だって黒沢とは、何日もの付き合いがあるのだから。

 ――それでも自分は、使命を全うし続ける。

 なぜなら、

 

「着いた」

 

 愛里寿の目の前には、(島田流)が建て直してくれたボコミュージアムがある。

 そこは自分にとっての居場所で、心の癒やしで、黒沢と出会えた世界だ。ここがなくなってしまうなんて、心の底から嫌だった。

 母には、スポンサーになってくれた島田流には、感謝してもしきれない。

 それに報いるためにも、自分は島田流に尽くさなければならないのだ。

 きっと黒沢も、それを望んでくれている。はやく、武勇伝を聞かせてあげたい。

 

 胸をなでおろす。ヘッドホンを首にかける。

 愛里寿は、ボコミュージアムへ続く門を潜り抜けていく。

 

 

 □

 

 

 新生ボコミュージアムには、今日も数人の客が、選抜メンバーがそこかしこに居た。

 家族連れはともかく、選抜メンバーが何故ここにいるかというと、はっきり言ってしまえば「他でもない島田流がスポンサーをやっているから」である。島田流公式サイトにも、ボコミュージアムが大々的に宣伝されているし。

 そんな情報が流れれば、島田流を汲んでいる隊員の中にも、興味を持ち始める者が現れる。いわゆる取っ掛かりというやつだ。

 そんな中で、「わからん」と離脱する者はいた。そんな中で、

 

「よく来たなお前ら! 今日こそ生意気なあいつらをボコボコにしてやっから、楽しみにしてくれよなーッ!」

「ボコ! 今日もイカしたアクション見せてくれよなーッ!」

「うーん、かわいいやつ」

「今日こそ勝って! ヒーローになって!」

 

 こんな風に、盛り上がれる者もいる。

 ある隊員は豪快に叫んで、ある隊員はボコを愛でて、ある隊員は前のめりになる。そんな中で、愛里寿は一人で席につく。

 

「――おいお前! ぶつかったぞ気をつけろ!」

「んあー?」

 

 ボコとペンギンの肩がぶつかりあって、真っ先にボコがケンカを売る。それを気に入らなさそうに、ペンギンが振り向いた。

 

「なんだてめえ、俺のことを誰だと思ってんだ?」

「知るか! なんだなんだぁ? やんのかぁ?」

「おーやってやるよ。へ、こいつは面白そうだ」

 

 愛里寿が拳を作る。ボコとペンギンが、タイマンでにらみ合う。

 

「――おらぁぁぁッ!」

「なんだそのヘナチョコパンチ!」

 

 ペンギンが姿勢を低くし、足払いを食らわせてボコを転倒させる。観客から次々と悲鳴が上がった。

 

「ボコ―――ッ!」

「んー、倒れてもかわいいやつ」

「なんで先に攻撃しちゃうの! 先手を取るのはフラグなのよ!」

「ボコッ! がんばれっ、がんばれっ」

 

 家族連れからも、悲観の声が漏れ始める。それでもペンギンは追い打ちをやめず、ボコはただただ倒れているだけ。

 

「み、みんな……!」

「お?」

「お」

「あ」

「うんっ」

「オイラに、力を……!」

 

 隊員達の目が、ぎらりと光ったと思う。

 

「オイラに、力をくれーッ!」

「っしゃ―――ッ! いくらでもくれてやらぁッ! 頑張れボコ! 負けんな――ッ!」

「後でぬいぐるみ買うから、立ってー!」

「ハザードオン! ハザードオン! ボコーッ!」

「頑張れボコ! がんばれがんばれっ、スタンダ――――ップ!!!」

 

 ボコが、びくりと体を震わせ、

 

「っしゃ――――ッ!!」

 

 獣のように立ち上がり、観客全員が歓喜の声を叫び始める。

 

「みんなのお陰だぜ! よーし、何か技のリクエストをしてくれよ。絶対にあいつをボコボコにしてやるからよ!」

 

 観客全員が、その言葉を耳にした瞬間――愛里寿に、期待の眼差しが重なった。たぶん、一番声がでかかった子供だからだろう。

 慣れたシチュエーションだったし、芯から火照っていたから、愛里寿は決して怯まない。好戦的な笑みすらも生じてくる。

 みんな、期待してくれているのは分かっている。けれど、技のセレクトが一番上手いのは、

 

「くろさ、」

 

 、

 

「――ボコ! かかと落としを決めてッ!」

「わかったぜ―――ッ!!」

 

 そうしてボコは、いい感じに足を振り上げてみせて、当然のように後ろへすっ転んだ。かかと落としは難易度の高い技だから、実現できる時点で「いいところポイント」が加算されてしまう。

 ダウンしたボコの腹めがけ、ペンギンが正拳突きをお見舞いする。隊員達は負けるな負けるなと叫び、家族連れも「終わった」と諦め、肝心のボコはいいトコ無しで完敗する。

 普通なら、ここで心が折れるだろう。

 ――けれども、ボコは言う。

 

「ぐ……次は必ず勝つぞーッ!」

 

 ボコショーが完結し、幕が閉じられる。

 

「ああー……よし、いいモン見た。明日も戦車道、がんばっか!」

「あーかわいかった。買お買お」

「がんばれボコ、私もいつかヒーローになるからっ」

 

 それでも、隊員たちの興奮は冷めない。その熱意を引きずったままで、次々と会場を後にしていく。

 一人取り残された愛里寿は、そっと呼吸をする。

 

 そうだ。ボコは、何度負けてもくじけたりいじけたりしない。私も、ぜったいに諦めない。

 

 

―――

 

 

 冬はまだ続く。

 

 愛里寿は今日も、無傷で勝利した。相手は上手いところを突いてきたのだが、「なるほど」と対処できてしまった。

 

 

―――

 

 

 今日は、雪が降っていない。それでも寒い。

 

 メグミとルミとアズミがバミューダアタックを仕掛けてきたが、先頭車両を真っ先に撃破し、戦法を潰した。

 もちろん全滅させた。

 

 

―――

 

 

 今日は休日。

 家の中で、愛里寿はずっと音楽を聴いている。それをBGMにしながら、ボコのぬいぐるみで遊んでいたのだが――音楽がふっと暗転すると同時に、愛里寿は反射的に携帯を手にとった。

 着信音のイントロが流れ出すと同時に、画面を確認する。通話してきた相手はもちろん、

 

「もしもし?」

『あ、愛里寿? 今、大丈夫?』

「うん、大丈夫だよ。どうしたの?」

『ああいや、丁度暇でさ。愛里寿とこうして、話がしたくなって』

「あ――うんうん、いいよ。あのね、今ね、あなたにすすめられた音楽を聴いてて――」

 

 

「大好きだよ、黒沢」

『大好きだよ、愛里寿』

 

 

―――

 

 

 雪が激しく降り注ぐ中でも、戦車道は続いていく。

 

 五両同時に一斉に飛びかかられたが、相打ちを誘い、これを対処。勝ててしまった。

 

 

―――

 

 

 日差しが暖かい一日、絶好の戦車道日和。

 

 今日も今日とて、愛里寿は試合で勝ってみせた。敵チームはありとあらゆる手で愛里寿に攻めてきたのだが、愛里寿は、これを見切れてしまったのだ。

 隊員からは「前に利いた戦法が通じないとは」と驚愕され、「隊長はほんとうに天才ですね」と評価された。

 天才、か。

 たしかに自分は、天才なのだろう。どんな状況の中だろうと、いやでも勝ち筋を分析できるのだから。

 そのお陰で、一番の実力を維持し続けられている。

 そのお陰で、一番たいせつな人が遠ざかっていく。

 

 ヘッドホンを身につける。音楽を流しながら、彼になんでもないメールを送り始める。

 

 

―――

 

 

 大学も、あと少しで冬休みに入る。

 

 今日は敵チームからのラッシュが激しかったが、これを撃退。決して簡単なことではなかったが、愛里寿は確かに迎撃してみせた。

 成長、してしまっているのだろう。だからこそ、未だに愛里寿は負けていない。

 ――わがままを聞いてくれた島田流に、恩返しがしたいのに。

 けれど、でも、できてしまうのだ。困難を、越えてしまえるのだ。

 

 タブレットで今日の試合をまとめている最中に、ポケットの中の携帯が震えた。いったいなんだろうと見てみれば、スケートを行ったらしい黒沢から、記念写真が送られてきた。

 黒沢の隣には、友達であろう女の子が元気よくピースしている――それは良いことであるはずなのに、実に微笑ましいはずなのに、試合以上の不安と胸の痛みが、同時に降り掛かってきた。

 

「――隊長?」

「あ、アズミ。なに?」

「あ、いえ。その……お疲れですか?」

「いや、なんでもない。気にしないでくれ」

 

 

 黒沢に電話をしてみて、黒沢からはからっと『友達の梅沢、いい奴だよ』と紹介された。

 心の底から安堵しながら、スケートのこと、試合についておしゃべりして、再会を誓っては、いつもの言葉とともに通話を切った。

 黒沢の声が聞こえなくなってから、冷たい不安が胸の内に芽生えてくる。それを振り払う為に、黒沢との思い出に浸り始める。

 だめだ、

 会いたい、会いたいよ。

 けれどわたしは、恩返しをしないとだめなんだ。

 みんなを、グレートなチームにする義務があるんだ。

 

 

―――

 

 

 今日も無事平穏に、一日が過ぎていく。

 

 

―――

 

 

 黒沢と最後の電話をして、三日ほどが経過した。

 

 試合を終えて、やっぱり勝って、昼食もとり終えた後に、愛里寿はふらふらと外に出かけた。

 一人に、なりたかったのだ。

 ヘッドホンをかけ、音楽をシャッフルしつつ、愛里寿はただただ外を歩き回る。花壇を横切り、見覚えのある老夫婦をちらりと見て、カップルらしい二人組を少しだけ注目し、上の空で三羽の小鳥が横切っていく。そうして気づけば、戦車の格納庫を一瞥できる白いベンチの前にいた。

 ――意識したつもりは、ないんだけれど。

 そのまま愛里寿は、ベンチへ腰かける。視界に入るのは、格納庫の中のパーシング、センチュリオン、T-28――

 何も考えないでいるつもりだったのに、つい選抜チームのことを考察してしまう。

 

 みんなよく頑張っているし、これまで以上に成長を遂げていると思う。実際のところ、何度か危ない目にも遭った。

 けれどやっぱり、愛里寿は危険を乗り越えてしまう。大抵は無傷で、悪くても一つ二つだけの傷を負いながら、五両の敵戦車を撃退してしまえるのだ。

 手心を加える気など、一切ない。

 戦車道に関しては、常に誠心誠意を込めて歩み続ける。

 そんな当たり前をこなしているからこそ、愛里寿も常日頃から成長を遂げる。だから、未だに愛里寿を越える隊員が現れない。

 ――みんな、悪くない。

 大きくうつむく、ため息がこぼれる。これでは島田流の繁栄に繋げられない、わがままへの恩返しをすることができない、黒沢との誓いを果たせない。

 妥協なんて、とても出来そうにない。そんなことをしたら、自分が絶対に許せなくなる――黒沢にも、きっと嫌われてしまう。

 天才って、めんどくさいな。

 大きく、大きく息を吐く。

 

 ――そのとき、前方から人気のようなものが伝わってきた。

 

 黒沢、

 

「あ」

 

 とっさに、ヘッドホンを外す。

 

「隊長。……どうしました? 何か、ありましたか」

 

 心配そうな顔をしたアズミが、愛里寿の目の前で立っていた。

 愛里寿はただただ、何も考えずに息を吐いてしまう。

 

「いや、その、」

 

 なんでもない。その一言を、口にすることができない。

 

「……あ、アズミはどうして、ここに?」

「あ、私ですか? えっと、外の空気でも吸おうかなって思って、ついでに散歩でもしようかなと。そのときに小鳥が横切っていって、それをなんとなく追ってたら……うつむいていた隊長を、見つけました」

「そう、なんだ」

「はい」

 

 そうして、ただただアズミと見つめ合う時間だけが過ぎていく。

 なんでもない、それじゃあ。その一言さえ言えてしまえば、この場なんて切り抜けられるのに。

 ――けれど、理性が止めるのだ。

 

「隊長」

「なに?」

「その……差し出がましいようですが、話し相手ぐらいにはなれますよ」

 

 お前はもう限界だ。

 

「……やっぱり、普通じゃないように見える?」

「……時折、隊長のつらそうな顔を目にすることがあります」

「そっか、そうなんだ。……そうだよね……よく、見てるね」

 

 だから、誰かに、

 

「隣、いいですか?」

 

 一人ではどうしようもない、この苦しみを打ち明けろ。

 

 ――隊長としての我慢なんて、アズミ(年上)からの気遣いで、微笑みで、一気に崩れ落ちた。

 そうだ。アズミはいつだって、どんな相談にも乗ってくれた。アズミのお陰で、山でふたりきりの写真を撮ることができた。

 アズミとこうして出会えたのも、れっきとした縁なのだろう。

 だから愛里寿は、アズミの申し出に対して、精一杯に頷く。

 

「わかりました。では、失礼します」

 

 アズミが、音もなく腰掛ける。

 

「言える範囲で構いません。もちろん、秘密にしますから」

 

 愛里寿は、首を横に振るう。

 

「ぜんぶ言う。――ううん、聞いて欲しい」

「はい」

「……あのね」

「はい」

「私には、私には」

「はい」

 

 

 深呼吸する。体が、上下に揺れる。

 

「好きな人が、できたの」

 

「――はい」

 

「でも、その人は遠くに引っ越してしまって。でもいつか、絶対に、再会するって誓いあったの」

「そうですか。いいですね」

 

 そこで、言葉が行き詰まる。

 それでもアズミは、ずっとずっと自分のことを見守り続けてくれた。不安にさせないように、口元を柔らかくしながら。

 ほんとう、大人って凄いと思う。

 だから愛里寿は、じっくりと勇気を構築できた。

 

「……あの」

「はい」

「ボコミュージアムって、行ったことはあるよね」

「はい。隊長におすすめされて、行ってみたのですが……すみません、よくわかりませんでした」

 

 アズミが、苦笑いする。愛里寿は、「ううん」と首を振るう。

 

「あそこね、あと少しで閉館する予定だったんだ。でも、私のわがままで、お母さんにスポンサーになってもらったの」

「まあ、よかったですね」

「うん。あそこで、好きな人……黒沢と会えたから。だから絶対に、あの場所を失いたくなかった」

 

 アズミが「黒沢?」と呟き、顎に手を当てて「黒沢、黒沢」と何度か口にして、

 

「黒沢君って、もしかして」

「うん。アズミが会場まで連れて行った、あの人のこと。あなたのファンだって言ってた」

「そう、そうですか」

「うん。格好良くて、優しいって」

「あらら、嬉しいな」

 

 アズミが、にこりと笑う。

 それを見て、愛里寿の息の根が少しだけ止まった。あまりにも眩しかったから、やさしいお姉さんという顔をしていたから。

 アズミは間違いなく、月刊戦車道の看板娘だ。

 小さく、咳をつく。

 

「そ、それでね」

「あ、はい」

「私は、スポンサーになってくれたお母さんに、島田流に尽くすことにしたの。わがままを聞いてもらったから」

「はい」

「それで、何をどうすれば、島田流へ尽くしたことになるのか……私なりに考えて、戦車隊隊長として結論を出した」

「それは?」

「――私を越える隊員を、生み出すこと」

 

 アズミから、沈黙の返事が返ってきた。

 

「そうすればきっと、お母さんへの恩返しができる。いつか就くであろう家元の器にもなれる。島田流の繁栄にだって繋がる」

 

 アズミが、黙って頷く。

 

「黒沢にも誓った。選抜のみんなを、西住流に負けないような、グレートなチームに仕上げるって」

「そうでしたか」

「うん。だから、黒沢とはまだ会えない。お母さんとの、黒沢との約束を果たしてから、私は黒沢のところへ行くつもり」

「……隊長はやっぱり、素晴らしい人ですね」

「ありがとう。……みんな、みんなよく頑張ってくれてるよね、成長だってしてる。この調子でいけば、いつかは私を負かす人も現れる。いつかは」

 

 言葉にするたびに、焦りめいた感情が生じる。黒沢に対する欲求が、痛みとして肥大化していく。

 抑えつけるために、胸を掴む。けれども激痛は、少しも収まらない。目頭が、熱を帯びる。

 

 そのとき、体に暖かさが芽生えた。

 突然過ぎて、最初は何が起こったのか、わからなかった。

 

「あ――」

「隊長」

 

 雪が、降ってきた。

 アズミが、肩を抱き寄せてくれていた。

 

「会いたいですか? 黒沢君に」

「え――?」

「言ってください。隊長としてではなく、あなた(・・・)として」

 

 心の底から、思う。

 わたしは今、天使のような人から慈しみを受けている。大げさでもなんでもなく、ほんとうにそう想う。

 アズミは、どこまでも静かに微笑んでいる。雪が体にかかろうとも、ずっとわたしのことを見守り続けている。

 まるで、黒沢だ。

 西住みほと向き合った時に、どこまでも一緒にいてくれた黒沢だ。

 その連想とともに、黒沢との思い出が溢れ出てくる。涙まで、こぼれ落ちてくる。本心が、もうとまらない。

 

「……会いたい」

「……はい」

「会いたい、会いたいよ。黒沢に会いたい!」

「はい」

「黒沢と一緒に遊びたい、抱きしめたい!」

「わかります、わかりますよ、隊長」

 

 とても寂しいから、もう待てそうにない。

 これからも黒沢と、新しい思い出を積み重ねていきたかった。顔と顔を合わせて、好きと、大好きと言いあいたかった。心地よい恥ずかしさを、体験していきたかった。

 ――アズミが、私の背中を撫でる。

 

「隊長。黒沢君と会いに行きましょう」

 

 え。

 目を腫らしたまま、アズミの顔を見る。

 

「協力します」

「え――で、でも、遠くにいて」

 

「大丈夫、免許ならありますから」

 

 

 アズミが、人差し指をぴんと立てる。

 ――可能性が生じた途端に、唐突な義務感にとらわれて、

 

「で、でも、私のわがままで、周りに迷惑はかけられ、」

 

「隊長」

 

 はじめて、私の言葉が遮られた。

 

「好きな人に会いたいという気持ちは、わがままでもなんでもありませんよ」

 

 わたしがいくら考えたところで、きっと、この結論は導き出せなかったと思う。

 疑いなんてしなかった。だってアズミは、年上のお姉さんだから。

 

「隊長」

 

 頷く。

 

「いままで本当に、ありがとうございました」

 

 アズミが、一礼する。

 

「私達を育てる為に、ここまで頑張ってくださって……感謝してもしきれません。お疲れ様です、隊長」

 

 頷く。

 

「しばらく、お休みになってください。隊長がいない間に、私達なりに頑張ってみせますから」

「――いい、の?」

「はい」

 

 もっとも欲しかった言葉に対して、ひびの入った責務が力なく抵抗する。

 けれどアズミは、いつまでも微笑みながら、

 

「だって隊長は、まだ十三歳の女の子じゃないですか」 

 

 わたしは、泣きじゃくっていた。

 だって嬉しかったから、許されたから、認めてくれたから、また会えるから、隊員が大きく見えたから。

 ――アズミが、わたしを抱きしめてくれる。

 

「隊長は、まだまだお若いんです。せっかく見つけられた恋に、無我夢中になっても、誰も咎めはしません」

 

 アズミの髪の匂いが、ふわりと伝わってくる。アズミの胸に顔がうずまり、暖かさが染み込んでくる。体と体があまりにも近くて、鼓動すらも聞き取れる。

 アズミが、頭を撫でてくれた。

 

「とやかく言う人がいたら、私が――ルミもメグミも、バミューダアタックでやっつけますよ」

「……そっか、そうだね」

「はい」

 

 信じられる。だってルミもメグミも、アズミも、恋する乙女だから。

 

「アズミ」

「はい」

 

 止まらない涙を抑えないまま、わたしはアズミと目を合わせる。

 

「――冬休みになったらでいい。黒沢に会いたい、会わせて」

 

 アズミは嬉しそうな顔で、「はい」と返事をして、

 

「喜んで」

 

 

 

―――

 

 

『はい、もしもし?』

「あ、黒沢? いま、大丈夫?」

『ああ、大丈夫大丈夫。どしたの?』

「ああ、えっとね……その、冬休みになったら、黒沢に会いに行くことにしたの」

『ま、マジで? 本当に!?』

「うん。あ、でも……伝えなければいけないことがあるの」

『なに?』

「その……まだ、あなたとの誓いを果たせていないの」

『誓い……ああ、愛里寿を越えられるような隊員を育てるっていう?』

「ああ……うん。覚えていて、くれてたんだね」

『当たり前だよ。どんな凄い人が、大学から出てくるのかなって、けっこうワクワクしてた』

「そうなんだ。……それで、その、それについてなんだけどね」

『うん』

「……まだ、私を打ち負かしたメンバーは現れていないの」

『……そうなの?』

「うん。だから、その、約束を、破っちゃう」

 

「黒沢?」

『すげえ』

「え?」

『愛里寿はまだ、大学のナンバー1なんだね。すげえよ愛里寿、かっけえよ!』

「黒沢、」

『愛里寿……ぜひ武勇伝を、聞かせてくれよ! ああ、楽しみだなあ!』

「黒沢……」

 

「――大好き!」

 

 

―――

 

 

 ――お母さんが、あなたの家族と顔を合わせたいって言ってた。だから、一緒にいてくれると嬉しいな。

 

 雪が降りしきる河川敷で、黒沢一家は三人並んで立ち尽くしていた。

 愛里寿曰く、ここが「集合地点」らしい。

 父は何となく左右を見渡し、母は黒沢の手を繋いだままでいる。黒沢も無言のままで、愛里寿の到着を待ち続けていた。

 ――長かったな、と思う。

 転勤先でも、黒沢は決して少なくない思い出を積み重ねてきた。転校初日から質問攻めを食らったり、そうして友達が出来上がったり、沢山のバカ話をしたり、時には口論に発展してしまったり、何やかんやで仲良くなったりして、ほんとうに充実した毎日を送ってきた。

 

 ヘリの音が聞こえてくる。

 だからこそ、愛里寿と別れてずいぶんと長く経ったような気がする。

 これまでの黒沢は、意味もなくメールを送った。声が聞きたくなって、通話を始めたりもした。暇があれば、愛里寿がすすめてくれたナンバーを耳にしていた。

 ――枕元に置いてある、ファイティングポーズをとったボコのことを、毎日見つめていた。

 愛里寿のことは、一日たりとも忘れたことはない。だからこそ、恋しいという気持ちが容赦なく膨れ上がっていく。前よりも、愛里寿のことが好きになっていた。

 

 ヘリの音が、大きく聞こえてくる。

 息を吐いてみれば、白いもやが口から出てくる。すっかり冬なんだなと、夏は過ぎ去ってしまったんだなと、つくづく思う。

 なんとなく、母の顔を見つめてみる。それに気づいたのか、母がにこりと笑い返してくれた。

 父に、声をかけてみる。父も嬉しそうな顔で、いまかいまかと愛里寿を待ち続けているようだった。

 

 ヘリの音が、耳をつんざく。

 さっきからいったいなんだと、家族総出で空を見上げてみせて、

 ヘリが、黒沢の真上でホバリングしていた。よく見ると、ヘリの姿がだんだんと鮮明になってきて――つまるところ、下降していた。

 これには黒沢も父も母もビビって、全力でその場から逃げ出した。母に至っては「ムーブ! ムーブ!」と大声で警告している。母に腕を引っ張られているせいで、正直関節が痛い。コケそうにもなった。

 十分に距離をとった後で、黒沢はヘリを睨む。父が前に出て、余波から黒沢と母を守ってくれている。母から、しっかりと抱きしめられる。

 ひどい突風の中で――「あ」が漏れた。

 だってヘリには、日本戦車道連盟という言葉が刻まれていたから。

 

「ど、どういうことだ?」

 

 日本戦車道委員の父が、狼狽する。母も「ホワイ?」と首をかしげている。

 ヘリが、いよいよ着陸する。回転しているプロペラに触ったらどうなるのかなと、なんとなく思う。

 数秒、或いは数分が経っただろうか。ヘリは河川敷の一部に足をつかせ、プロペラも力なく止まっていって――ヘリの胴体部分に備え付けられたドアが、ゆっくりと開く。

 

「あ!」

 

 家族総出で、そう叫んだ。

 ――だって、ヘリからは、

 

「黒沢!」

 

 愛里寿が、

 

「こんにちは。どうも、はじめまして」

 

 見知らぬ女性が、

 

「こんにちは。ご迷惑をおかけしました」

 

 アズミが、出てきたから。

 驚きはした、足なんて呆然と立ち尽くしている。けれど、自分の目の前にいるのは、他でもない島田愛里寿だ。ただ一人の恋人、愛里寿だ。

 

「――愛里寿!」

 

 衝動のまま、愛里寿へ駆け寄る。愛里寿も黒沢へ走ってきて、求め合うようにして抱きしめあい、勢いのままぐるぐる回る。

 

「……会いたかった、会いたかったよ、愛里寿」

「うん! わたしも、黒沢に会いたかった、抱きしめたかった!」

「俺もだよ! 俺も愛里寿を抱きしめたかった! デートしたかった!」

「私も、私もだよ! 黒沢!」

 

 言いたいことを全部言い終える。しばらくは、愛里寿の鼓動を感じるままでいた。

 愛里寿の頭を撫でる、愛里寿が背中をさすってくれる。すきとささやく、すきとつぶやいてくれる。もっと抱きしめた、もっともっと抱きしめてくれた。

 

「よかったわね、愛里寿」

「……はい」

 

 声をかけられて、黒沢は反射的にその人のことを見上げる。

 大人の、赤い服を着た女性だった。

 けれども、どこか他人という気がしない。

 

「はじめまして、黒沢君。愛里寿の母である、島田千代といいます」

 

 母と聞いて、びくりと体が震える。

 ――愛里寿と、そっと身を離していく。

 

「は、初めまして! えっと、黒沢といいます! 愛里寿の恋人してます!」

 

 千代が、くすりと笑う。

 

「黒沢君のことは、愛里寿から全て聞かせていただきました。……あなたのおかげで、愛里寿はよく笑うようになりました」

 

 愛里寿が、恥ずかしげにうつむく。

 

「母として、これ以上の喜びはありません。ほんとうに、ありがとう」

 

 千代が、頭を下げた。

 黒沢も、一礼する。

 

「これからもどうか、愛里寿のことを、末永く幸せにしてください」

「はいッ!」

 

 はっきりと返事をした。命を賭けてでも、千代の言葉を守り通すと心に誓う。

 ――千代の目線が、黒沢から両親へと移る。

 

「……あなたがたが、黒沢君のお父様と、お母様ですね?」

 

 父と母が、一斉に気をつけをする。

 

「はい! はるばる遠くから、本日はようこそおいでくださいました!」

「待ってください」

 

 千代が、首を左右に振るう。

 

「そんな、堅苦しくしないでください。今の私は家元としてではなく、島田愛里寿の母として……ただのおばさんとして、ここにいます」

 

 父と母の表情が、硬直する。

 

「それに島田流とは、目的があればどこへでも駆けつけるものです。これくらいは、お手の物ですよ」

 

 千代が、おどけるようにして「にんにん」と指を立てる。

 それを見て、母はぷっと吹き出してしまった。

 

「――さすがです、島田さん」

「いえいえ」

 

 千代も、母も、そして父も、好きなように笑い合う。

 

「……よろしければ、これからも親睦を深めていただければと。私は全面的に、愛里寿と黒沢君の関係を応援するつもりです」

「こちらこそ、願ってもないことです。私達も、息子と愛里寿さんの仲を支え続けます」

 

 大人三人が、深々と頭を下げあった。

 ――よかった。

 気持ちに余裕が生まれる。再び、愛里寿の方へ視線を向けてみて――後ろにいたアズミが、視界に入った。目と目があって、アズミがにこりと笑い返す。

 

「どうも。また会えて嬉しいわ、黒沢君」

「あ……は、はい! いつも、アズミさんを応援してました! バミューダアタックはいつ見てもグレートです!」

 

 アズミが、くすぐったそうに微笑み、

 

「ありがとう、嬉しいなあ……。うん、これはもっと頑張らないとね」

「はい! 期待してます!」

 

 この人がいなかったら、自分は一生、試合を観戦することなんてできなかったと思う。

 アズミがいたからこそ、愛里寿の生き様を見届けられた。戦車道とは、こうやって縁が回り続けているんだなと実感する。

 

「あ、そうだ」

「はい、なんでしょう?」

 

 アズミが、黒沢へ近づいて、

 

「君を送り届けたあの日……社会人チームとの試合の時ね。私、いつもより上手くやれたんだ」

「そうなんですか?」

 

 アズミが、こくりと頷く。

 

「君に応援されてるって思うと、こう、張り切っちゃって」

 

 愛里寿が、含み笑いをこぼした。

 黒沢は、恥ずかしげに頭を掻く。

 ――アズミが、姿勢を低くしてきて、

 

「――ありがとう、黒沢君」

 

 笑顔で、そう言われた。

 息の根が、止まったかと思う。だって、あまりにもきれいだったから。

 

「隊長のこと、よろしくお願いします」

「――はい!」

 

 はっきりと頷き、アズミも「うん」と首を縦に振る。

 アズミがそっと立ち上がり、ヘリへ戻っていく。

 

 

 アズミが、ヘリから見覚えのあるバックパックを持ち出してくる。そしてそれを、愛里寿へ手渡した。

 登山――ではない。今日は、愛里寿とお泊まり会をする予定だ。バックパックの中には、その為の荷物が詰まっている。

 もちろん父と母は、笑顔で承諾済み。

 

「――それでは、私達はそろそろ戻ります」

「わかりました、航空機にお気をつけて。……愛里寿さんのことは、責任を持ってお預かりします」

「はい、よろしくお願いいたします」

 

 千代が、愛里寿にちらりと目を向けて、

 

「なに? お母さん」

「帰ろうかなと思ったら、連絡をちょうだい。迎えに行くから」

「うん、わかった」

「迷惑をかけないようにね」

「うん」

 

 千代の隣にいたアズミが、一歩前に出る。

 

「隊長がいない間に、私達なりに切磋琢磨しあいます。帰った時は、ぜひ相手をしてください」

「うん、期待してる」

 

 アズミが一礼する。

 そうして千代とアズミは、ヘリに乗っていって、コクピットごしから「ばいばい」と手を振るって――あっという間に、空の彼方へ消えてしまった。

 

 黒沢も、愛里寿も、父も、母も、しばらくは空を見上げたままでいる。プロペラの音が遠くになっても、誰一人として言葉を発しない。

 それからしばらくして、誰かが「はあ」と息をした。

 雪が、顔にぴたりとくっついた。

 夢から醒めたように、空から地上へ目を落とし、愛里寿と向き合う。

 

「愛里寿」

「うん」

「えっと、すこしタイミングに迷っちゃったけど、これ」

 

 ジャンバーのポケットから、ファイティングポーズをとったボコのぬいぐるみを取り出す。かけがえのない勇気の印を、愛里寿へそっと差し出した。

 驚いているらしい愛里寿は、両手で口元を覆っている。

 

「このボコのおかげで、愛里寿とはずっと繋がれてるんだって、そう思えてた。もちろん、愛里寿のことは一瞬たりとも忘れていなかったけどね」

 

 大真面目に言う。大袈裟に聞こえるかもしれないが、嘘を口にしているつもりはない。

 愛里寿の目が赤くなっていく、目頭から雫が溢れそうになって――愛里寿は、首を振るった。

 

「黒沢」

「うん」

 

 愛里寿は、太陽のような笑顔を見せながら、

 

「――愛してる」

 

 愛里寿は、ボコを受け取ってくれた。

 そうして、お互いに息を吐く。ここで、やるべきことは全てやり終えた。

 ――あとは、

 

「父さん、母さん」

「ああ。……それじゃあ、そろそろ帰ろうか」

「はい。よろしく、お願いします」

「こちらこそよろしくね、愛里寿さん」

 

 家に、戻るだけだ。

 愛里寿と手を繋ぎ、駐車場まで「家族」一同で歩んでいく。最初こそ無言だったものの、母が「あ」と声を出して、

 

「そういえば、今日の夕飯を決めてなかったわね。……何にする? 好きなのを、決めていいわよ」

「え? んー、そっだなー」

 

 自然と、愛里寿に目が寄る。愛里寿もどうしようかなと考え込んでいて、「好きなのねえ」と黒沢が何気なく呟き、

 

「あ」

 

 愛里寿の目と口が、丸く開かれる。

 

「何? どしたの?」

「えっと。大洗との試合前に、黒沢の家で食べたいものがあるっていう話をしてたよね」

「試合前?」

「うん。黒沢の家でお泊まり会を計画してた時に、一緒に決めてた」

 

 思い起こす。

 お泊り会をする時は、愛里寿と何を食べようとしてたんだっけ――

 

 あ。

 

「母さん」

「なに?」

「決まったよ、今晩の夕飯」

「それは?」

 

 愛里寿と黒沢が、顔を見合わせる。何だか笑ってしまってしまいながら、二人同時に、

 

「すき焼き!」

「すき焼き!」

 

 

―――

 

 

 ――それじゃあ、すき焼きの準備をするから。それまで一緒に遊んでてね

 

 俺は、自分の部屋に通じるドアを開けようとして、そこで少しばかり決意がつまづく。振り向いてみれば、はやくはやくと目を輝かせる愛里寿がいた。

 えー? と苦笑しようとも、愛里寿はちっとも意に介さない。仕方がないなあと思いながら、覚悟を飲み込んで、俺の部屋を愛里寿へさらけ出す。

 ――特に、何の特徴もない部屋だ。マンションらしく、少しばかり狭い感じの。

 けれども愛里寿は、珍しいものでも見ているかのように、部屋中を歩き回っている。CDが詰まった棚を、冬休みの宿題が置かれっぱなしのテーブルを、テレビを、DVDレコーダーを覗き見て、愛里寿が「うん」と頷く。

 

「これなら、ボコのDVDが見られるね」

「お、持ってきたの?」

「うん。全部」

 

 愛里寿が、バックパックをどすんと置く。

 俺も愛里寿も、一緒になって床に座った。

 

「へー、何巻?」

「八巻、それぞれ五話収録」

 

 ということは、四十話くらいか。けっこう息が長かったんだなと、今更になって思う。

 

「黒沢と、一緒に見たかったんだ」

「そっか……うん、一緒に見よう、愛里寿」

「うん」

「全部見たら、CDショップへ行って、甘いものでも食べて、友達と一緒に雪合戦でもして……色々やろう!」

「うん!」

 

 そうして、愛里寿がボコのDVDを一つずつ取り出していく。勇ましいポーズをとったボコのジャケットを目にしながら、「ほお」と手にとって、

 

「愛里寿」

「なに?」

「これ、四十話くらいあるんだよな」

「うん」

「ってことは、けっこう長いよね」

「うん」

「……でも、それでも?」

 

 前フリに気づいたのだろう。DVDを回収し終えた愛里寿は、そっと黒沢に振り向く。

 

「うん。これから長い戦いが始まるけれど……それでもボコは、ボコはね」

 

 俺は、苦笑いをしてしまう。愛里寿も、同じようにくすりと微笑む。

 

「ああー……やっぱり?」

「うん」

 

 やっぱりだ。ボコは、いつまでたってもボコられグマなのだ。

 

「……でもさ」

「うん?」

 

 ――だからこそ、ボコには人に勇気を与える力がある。人と人とを、繋げることができる能力もある。

 

「あいつはさ、ボコはさ」

「うん」

 

 テーブルの上に置かれた、激レアの、ファイティングポーズをとったボコのぬいぐるみを見る。

 

「あいつは、やれるクマなんだよな」

「うん。何度も負けちゃうけど、ぜったいにまけないの」

「な。すげえ根性、してるよな」

「うん。……ボコのおかげで、私は何度も立ち上がることができた」

 

 愛里寿の手が、黒沢の手と重なる。

 

「そして、あなたとめぐり会えた」

 

 ボコは、人を幸せにすることもできる。

 俺は、愛里寿の手を握り返す。

 

「……ボコは、これからも戦い続けるんだな。俺たちのような人を、増やすために」

「うん。この先もずっとボコボコにされるし、絶対に勝てない。でも、ボコは絶対に諦めない、何度でも立ち上がってくれる」

 

 そんな偉大なクマなのに、やはりどうしても良いところを見せつけることができない。ケンカっ早いくせに、いつまで経ってもライバルに勝てやしない。

 それでもボコは、戦い続ける。絶対に、くじけたりなんかしない。

 ――だって、

 

「それが、ボコだから?」

「それが、ボコだから」

 

 言い終えた後で、俺と愛里寿は静かに笑いあう。ボコ仲間としてわかりあえたのが、なんだか嬉しかったからかもしれない。

 そうして俺と愛里寿は、ただただ見つめあう。まちがいなく目の前にいる愛里寿のことが、だんだん愛おしくなって、終えることのない想いを伝えたくなって――

 

 そっと、愛里寿の両肩を掴む。震える愛里寿は、ふっと両目を閉じて、そのまま――

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
天才少女と転勤少年の、メタルな恋愛を書くことが出来ました。

この話をもって、大学選抜チームは全て書き終えました。
ガルパンSSを執筆し始めて二年ほどが経過しますが、これで一区切りがついた気がします。
こう、文字で表現すると、冷静に見えるかもしれませんが……逆です、一人で凄く盛り上がっています。

よくここまで書けたなと、やっぱり俺はガルパンおじさんだなと、アルフィーのエルドラドをEDにしながら、このあとがきを書いています。

ここまでSSを書けたのも、全ては応援してくれる読者様のお陰です。
最後までお付き合いくださり、本当にほんとうにありがとうございました。

ご指摘、ご感想などがあれば、お気軽に送信してくださると嬉しいです。

それでは、最後に、

ガルパンはいいぞ、
愛里寿は、凄く可愛いぞ。




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